風にそよいだ前髪を押さえ、ルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)はチラと王太郎を横目で見た。
「俺の『これから』かい? 」
問われ、ルドルフは薄く目を細めた。その視線を前へと流す。
「変わらない。戦うだけさ、『人間として』」
いや――変わらずに在れることを、願ってる。
悲嘆にくれる人々を横目に、歩みゆく。
(あれだけやって救命した天使を『死んだと発表した』…その意味がわからない学園上層部じゃないハズ)
小さく鼻を鳴らし、ルドルフはそっけなく続けた。
「秘密も、神秘も、嫌いだよ」
――そして、アウルの力も。
撃退士の両親と、二十年を経て目覚めた冥魔の血統――まるで掛け合わせられた血で走る競争馬のようだと思う。
――役割のために生まれてきた。
そんな錯覚を何度味わった事か。
「俺はとうに、この体に潜んだ天魔に負けてる。情けないだろ? なにが『人のままでいたい』だ」
自嘲めいた呟きに、傍らの戸蔵 悠市(
jb5251)は視線を向けた。
「口に出さずにいられないのは人間だからだ。悪魔ならば『弱ければ死ぬ』のは当たり前過ぎて口にも出さん。態々『息をしなければ死ぬ』などと言わんように」
それは、あまりにも自明の理であるが故に。
「…その弱さも迷いも含めて、人である証だろう」
人であるが故の葛藤と、苦悩。せめてそれが、心を現世に繋ぎとめるものになればいい。
けれど、本当を言えば――
「…人でも、魔でも、生きていてさえくれればそれで」
「? 何か言ったか?」
思わず零れた本音は、聞こえなかったのか、否か。問うルドルフに悠市は「いや」とゆるく首を横に振った。
ルドルフは軽く片眉を上げると、苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべて相手の肩を軽く拳で打つ。
「…大丈夫さ、相棒。非力に甘え守られ責任逃れしてる奴らとは違う」
己の思いに拘って、見て見ぬフリはしないから。
「炎を消すか、消さないか。その選択も、俺の自由ってわけだ」
悠市は小さくそれと分かる笑みを浮かべ、そうして、王太郎に視線を向けた。
「これからの事、だったか」
声を挟まず聞いていた教師に、静かな声で告げる。
「――誰もが普通の平穏な生活を享受できる未来。その理想を求める気持ちは変わらない。途中で何を取り溢そうとも――」
この掌から零れ落ちてしまおうとも。
「――ここで歩みを止めたらその犠牲すら無駄になる」
失った人々の嘆きが、同情や憐れみや他人の慈愛などで容易く埋まるとは思わない。
「私ができるのは喪失があった事実を決して忘れない事と、その犠牲を決して無駄にはしないと誓う事くらいだ」
「…そうか」
真摯な声に、王太郎は静かに頷く。
そのどこか静謐な表情を悠市はじっと見つめていた。
医療消耗品を運んだ時、救護所にいたのは龍崎海(
ja0565)だった。
「ここにいたのか」
「この怪我では、他の手伝いはかえって邪魔になりますしね」
戦いの傷深いその姿に、王太郎は僅かに眉を下げる。
「あまり無理をするな。傷に響かないか?」
「この程度は別に。慣れてますから」
治癒力の高い撃退士なら、これほどの重体でも完治まで数日ですむ。だが、一般人ではそうはいかない。ならばと、回復スキルを駆使して回っているのだ。
「ただ、こういう現場を動いていると、親を失った又はそれに近い子供らをよく見かけました。そういう子供達のケアをするもの、施設とかシステムが必要なんじゃないでしょうか?」
「ああ」
王太郎は深く頷く。
移動しつつ治癒を行う海にとって、マインドケアを使わざるを得ない場面が多かったのも気になるところだった。その対象も、やはり子供が多い。
「親を当てにできないことで、他とのコミュニケーションも取りづらくなっているような気もしますし」
「親本人も、混乱の中にあるからな…」
そうした時、子供達はどうすればいいのか。頼りたくても頼れず、自分でもどうしていいか分からず。泣くことでしか発散できない子もいる。
「それに…皆余裕がないから、自制心がまだあまり発達していない子供の行動をよく思わなく、諍いに発展する可能性もあるんじゃないでしょうか」
今はかろうじて保護場所を分けることで対応しているが、限られた場所のせいで、完全とは言い難い。
「仮設住宅の建設も急務ですよね」
ひょいとドアがわりの布をめくって現れたのは若杉 英斗(
ja4230)だ。荷物を受け渡して、こきこきと肩をまわす。
「避難所生活が長いと精神的にも辛いでしょう」
資材確保や人材確保及び土地の確保の為、仮設住宅の入居が始まったのはゲート破壊後の約一か月後だ。
ここに来るまでを思い出して、英斗は目元に影をさす。
それは数分前のことだった。
(四国かぁ…ずいぶんひさしぶりな気がする)
頼むね、と荷物を渡され、持って歩きながら英斗はしみじみとそう思った。
(見てこい、か……)
英斗は小さく息を吐く。戦いに駆け抜けた跡の世界の姿が、ここにある。
(四国のこれからもそうだけど、自分のこれからも考えさせられてるな。……撃退士として、一体俺に何ができるんだろう)
戦うだけだろうか。それとも、他にも何かあるのだろうか。
通りがかる避難所からは、悲痛な叫びが聞こえる。
(……天魔によって犠牲になった肉親は、俺にはいない)
悲嘆を、魂の底からあげるような怨嗟を、耳にして僅かに心に重しを抱くけれど。
(だから他の人達よりも天魔を憎む気持ちは薄いのかもしれないな)
その憎しみに感化されないのは、おそらくそのせいなのだろう、と。
ただ、やはり嘆く人がいるのは……胸が痛い。
(こんな思いをする人達が、これから1人でも減るといい)
その為に、
(俺にできる事は何か……)
歩く速度で考え、一歩一歩、数歩目で、答えが脳裏に閃く
(守り抜く事…)
今も昔も、これからも。ずっと。
「そんなわけで、そういう手配は学園の方がお手の物でしょうから。頼みます」
じゃあまだ荷物があるので、と立ち去る英斗に頷いて、王太郎も海と分かれて救護所を後にした。
「思いは様々……見る場所も、考えるものも、か」
「なにか背中が煤けてるのだよー?」
ぽつりと零した所で後ろから声をかけられた。見れば、フィノシュトラ(
jb2752)が赤い十字の入った箱を手に歩いている。一度救護所に入り、ぱたぱたと駆けてきた。
「色んなところ…特に被害の大きかったところに行って、皆の声を聞きに行ってきたのだよ」
そうか、と頷き、王太郎はフィノシュトラのこめかみの赤い跡に首を傾げた。
「どこかで打ったのか?」
フィノシュトラは慌てて「なんでもないのだよっ」と隠す。
「それより、ええと、私たちが助けられた人たちもたくさんいるのは間違いないと思うのだけど、護れなかった人たちもたくさんいて、その人たちの事を忘れて成功だっただなんて、言っちゃだめだと思うから…勝った勝ったとか、そういうのじゃなくて、ええと」
「まぁ、落ち着け」
水を渡されて、ごくごくぷはー、と一息。
「……なにか、あったのか?」
声に、フィノシュトラは王太郎を見――地面に視線を落とす。
「きっと、私は堕天使だから責められたり嫌な思いをぶつけられたりするだろう……て分かってたのだよ」
それだけで察せられるものがあった。王太郎はただ押し黙る。
「それでも、人が、この世界が好きだから、頭を下げて少しでも力になれるように頑張りたいのだよ? 怖がらせちゃうかもしれない人には、ちょっと近づけないかもだけれどね?」
にこ、と見上げて笑む少女の赤い跡は、おそらくそういうことだろう。天魔に多少の力では傷は与えられない。痛みとしては、さしたるものではないだろう。傷とも呼べないものだ。
――けれど、心には、どうだろうか。
「だからもう二度と、こんな戦い事態を起こしたくないのだよ」
微笑みを王太郎は見つめる。
迷い。散々迷い。心の底から迷って、不器用にその頭に手を乗せた。
「……お前は、悪く無い」
「……」
「よく、我慢したな」
フィノシュトラは何も言わない。ただ、不器用な撫で方に、ちょっとだけ笑った。
●
「四国を経て――と聞くのね? なら『学園は四国から手を引く』という事かしら?」
暮居 凪(
ja0503)の声に、王太郎は不思議そうな顔をした。凪は軽く眉を潜める。
ゲートが無くなったと言うなら、その判断もアリだろうと思ったのだが。
「もしそうだとしたら――嘆く人を気にしないのかと、一般人は言うでしょうね」
置き去りにされる悲嘆を、無いものとして扱うのか、と。
「生徒達自身が武力による殲滅以外の道を選びとり、己の手で『助けた』。最終的な結果はともあれ、成し遂げたことを踏まえての『四国を経て』だったが?」
「ああ、そういうこと」
四国にはツインバベルも高松も、その他のゲートも残されている。それを放置することは無い。どのような手段になるかは、現時点では不明だが。
「なら、そう――重ねて聞くわ。生徒に聞かないと進まないのかしら?」
当事者なのは生徒以外も同じ。
主戦力と言うなら分かるけれども、先に決めておくべき事も多いはず。
「何も決まっていないなら、私は貴方を、学園指導部を無能と言うわ」
王太郎は軽く眉をあげると、苦笑を浮かべた。
「学園が意見を望む理由と、俺が『聞きたい』理由は別だろうな」
学園は、誰か一人の独裁権力の元にある軍隊では無い。団体の中で意思を問い、意見を募るのは、おそらく学生等の方が常日頃頻繁に行っている事だろうなと王太郎は思った。
「団体における意見収集。……むしろ、君ならそういったことに詳しいと思ったが」
不満を持つものならば、その不満を。
迷う者ならば、その迷いを。
集め、話し合い、討議し、そうやって大規模戦闘に向け部隊内で意思統一を図り動く――
学生達は常に、それを成し遂げてきた。
そして今回、学園上層部の誰もが予想しなかった方法をもって戦場を制圧した。
ならばそこに生まれた様々な意見を汲み取らなければ――学園は『学園』たりえない。
「無論、全ての『誰か』の思い通りにはいかないのも、集団ならではだが」
全て滅ぼしたいという意思が汲み取られないように。逆に、話し合いを望んでも機会を得られないように。
それを言い訳ととるか、ごく当たり前の『現実』ととるかは、本人次第。
凪は小さく鼻で息を吐くと、そっけなく告げた。
「私自身の思う事だったかしら? そうね――再教育が必要よ。生徒の」
次の瞬間には、その背に翼を広げる。
「このままでは、次からは負け戦よ」
飛び立つ背を王太郎は引き止めず見送る。
そうして、後ろを振り返った。
「何か見えるか?」
大きな瓦礫の上に立っていた小田切ルビィ(
ja0841)は、その声に下にいる王太郎にニヤリと笑った。
「見えるモンは変わらねぇな。ちょっと風を感じられるぐれぇか?」
どこで引っこ抜いてきたのか、その手には丈の長い草。それをくるくると回して。
「ま。見るべき所の多い土地ではあるけどな」
今回の戦いで、パワーバランスには確実に揺らぎが出ただろう。
最も顕著になりそうなのが、天界軍の弱体化に乗じツインバベル攻略に動き出すであろう冥魔陣営。
そして、今回ので発生するだろうウリエルの影響力低下を踏まえれば、逆に発言力が増すであろうミカエルと穏健派――
「…さて。俺達はどう動くべきかね?」
ひょいと片眉を上げてみせるのに、王太郎は苦笑した。
「むしろ、『どうしたい』?」
問われて、ルビィは軽い動作で瓦礫から飛び降りた。身軽な動作で歩み寄る。
「『どう』…ねぇ?」
嘯く口元から笑みを消し、北西へと目を向ける。
そして、北東へも。
「四国にゃデカいゲートが二つある」
石鎚山――ツインバベル。
高松――コキュートス。
「片方の陣営と同盟を結び、片方を排除するには俺達の力はまだ足りねぇ」
ルビィの声に、王太郎はふと預かっている冥魔の幼女を思い出し――意識の底に沈めた。
「そのうえで、俺達が採れる選択肢は…ってなると、そうだな…」
軽く王太郎を見上げ、ルビィはその瞳に鋭いものを宿す。
「天魔両陣営の間で要領良く立ち回って時間を稼ぎ、その間に勃発する戦役には必勝して力を示し続ける。――それしか無ェ」
所詮この世は弱肉強食だ。
正義が相対的な物でしか無い以上、勝った陣営こそが正義。
敗者の言葉は聞き入れられず、その意思も思いも踏みにじられるのが常。
なら、
力を誇示し『争えば不利益となる』事を理解させる――
「――目指すは和平条約締結、ってか?」
「抜かぬ刃の威力を以て、か」
「そのためには、刃が脆くちゃ話にならねーんだけどな」
だが少なくとも人々は世界に示し続けてきたはずだ。
自身の力を。抗う刃の威力を。
そしてそれは、これからも変わらない。
「先が長いのは、覚悟のうえだ」
――それが果てしなく険しい道程であろうとも。
「進み続ける限り、いずれ至りましょう。恐れるべきは、立ち止まって何もせぬこと。誰かの意思や思考に寄り掛かり、自らの歩みを放棄すること」
ふいに聞こえた声に、二人は後ろを振り返った。
悠々たる足取りで、老執事が戦跡を歩む。
上品な執事服をまじまじと見て、王太郎は「ああ、噂の」と思わず呟いた。
「…噂て。どんな」
一緒にいたラウール・ペンドルミン(
jb3166)が果てしなく遠い眼差し。
「魔法少―」
「じーさん恨むぜ俺は! なんでよりによってあの恰好だったよ!?」
王太郎の答えを遮って、ラウールはヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)の細マッチョな体をがっくんがっくん揺さぶった。
じいちゃん、超嬉しそう。
「己の恥ぐらいどうということもありますまい。他者に何事かを強いるのであれば、まず己が代償を払うべきであるというだけのこと」
聖職者の如き厳かな声だが、孫世代、騙されない。
「なんかカッコイイこと言ってっけどそれよりなにより記念撮影写真は燃やせよな!?」
「……じーさんひでぇな」
ルビィが思わずつっこんだ。ヘルマンは嬉しげにルビィに微笑みかけ、次いでラウールににっこりと。
「似合っておりましたぞ」
笑みがドSだ。
「絶対ぇ面白がってるだろあんたー!」
「……大変そうだな、なにか」
振り回されているラウールに、王太郎は不憫そうな目を向けた。とりあえずパンチラだけは学園の記録からそっと消しておいてあげようと心に刻む。たぶん果たさせてもらえないだろうけど。
「あんた等はどうしたい? 随分見回ってたみてぇだが」
ルビィの声に、ラウールは一度ヘルマンを見てから肩を竦めた。
「ま、天魔な俺がどういう言うのも何だが、感情と行動はちっと切り離さねーと泥沼化しそうだな」
「泥沼、か」
王太郎の呟きに、ラウールは後ろ頭を掻く。
「見てきただろ。『此処』の嘆きも、怒りも、憎悪も。普通の人間にゃ、天魔の相手はつとまらねぇ。出来るのは、撃退士か、はぐれて来た俺達みたいな連中だ。……けど、俺は難しいことはあんま得意じゃねぇんでな。誰のせいか何のせいか、ってぇ内容で泥沼思考はやりたくねーんだ」
やったから、やり返す。
それではずっと、終りが無い。
「何かが起こった」
そして、
「原因は何だった」
「分かったなら解決策を模索し、解答を出して実行するだけだ」
感情に振り回されて、全てを否定し破壊しようとするのでは無く。
「なーんつっても、だいたいいつも感情が突っ走ってちまう性分だけどな俺は 。……感情は大事だぜ。恨みでも怒りでも活力になるならな。でも感情に呑まれたら終りだ」
声に王太郎は僅かに目を伏せる。
「繰り返させない為にも、呑まれることなく進んで行くべきだろ。俺達はさ」
そっと肩を叩くような、そんな言葉だ。
と、
「面白そうな話ね。混ぜてもらってもいいかしら」
ふいに聞こえた声に、一同は空をふり仰いだ。別の瓦礫の山からナナシ(
jb3008)が駆け下りてくる。
「先生は四国入り、初めてかしら」
相変わらず大変そうね、とその腕を軽く叩いて微笑む。
「お嬢様は、いかがお思いですかな?」
ヘルマンに問われて、ナナシは表情を改めた。
「私はね、いつかこんな風景が無くなる未来がみたいの」
外見に似合わぬ大人びた表情で、少女はその全てを見つめていた。王太郎はそんなナナシを見つめる。
「憎しみの感情は別に悪い事じゃ無い。それはきっと、悲しみで動けなくなった人が行動するための糧だから」
悪では無い。
けれど、哀しい道だ。
一度始まった戦いが終わるには、敵の全てを滅ぼすか――どこかで相手を許して手を取るしかない。
「正岡さん、ヴィオレットの事も、本当は嫌いでしょ?」
言われ、全員に見つめられた王太郎は僅かに身動いだ。隠さなければと思っていた事だが、隠しきれているとは自分でも思ってはいなかった。なにをどうしたところで、自身の感情からは逃れられないのだから。
「けど、行動に起こさず飲み込む事ができるだけ正岡さんは大人よ」
そんな王太郎にナナシは優しく微笑む。
「そう…だろうか」
「子供なら、自分の言いたいことだけ言って、やりたいことだけやって、自分以外の誰かの事なんか一切考えないわ」
例えそれで相手が傷つこうとも。
世界はそんな――差別に満ちている。
天魔も、ある意味身勝手な子供だ。
(天魔にとって所詮人間界は第三国で、この戦いは経済戦争でしかない)
ならば、
(戦って勝ち続け、天魔達に人間界との戦争はコストに合わないと思わせればいい)
そうすれば手を引かざるを得ないから。
「全ての人々と仲の良い親友になれるなんて幻想は持っていないけれど、全ての人々と殺し合う事の無い隣人となれるとは信じているわ」
きっとね、と告げる少女に、ルビィ達が頷く。
「……迷いや憎しみを、悪とは断じないんだな」
「私達は神様じゃないもの」
ふいに零れた王太郎の呟きに、ナナシは笑った。
「あって当然のものを、悪いだなんて言えないわ」
御爺さんはどう? と問われて、ヘルマンは微笑んだ。
「そうですな……生も死も、戦そのものも、他者から強いられるものである限り憎悪は生まれましょう」
自然の摂理を語るが如く。
「戦場にあって互いに納得ずくでやり取りするのは戦人のみ。現実には己の知覚せぬ所の意思によって、己の全てを奪われる者の方が多いのでございますよ」
戦場に己を見出す者だけならそれでもいいかもしれない。残される身は辛いばかりだが、本人は幸せだろう。それを望みもしよう。
だが、現実はどうか。
失っているのは、どんな者達なのか。
「それが悲劇惨劇と呼ばれるものでございましょう」
犠牲になるのは力無き者達で、奪われるのも虐げられるのも彼ら彼女らだ。
強者は弱者に目を向けない。
ただ、踏み潰し蹴散らすのみ。
「故に戦う力を持って戦場にある限り、それを阻むのが私でございます」
王太郎は執事を見つめた。
――この世界の威は我ら学園が示し、標を成し遂げてみせましょう
その言葉をあの日あの場所で、世界に放った男。
「今も昔も、成すべきことも進む道も変わりはしませぬ。私なぞは己の信念にしか従いませぬ故」
●
「集まってるな」
リョウ(
ja0563)が合流したのは、丁度ヘルマンが言葉を結んだ直後だった。
「何か、匂うな?」
ふと漂ってきた匂いに、王太郎が首を傾げる。
「ああ。向こうでは炊き出しの準備が始まってるようだ。匂いは、荷運びを手伝った際に近くを通ったからだろう」
「あら。じゃあ、ちょっと手伝いに行ってきましょうか」
「これは……そう、豚汁!」
「……なんで分かんの?」
フットワークの軽いナナシが駆け出し、後に続くルビィの推理にラウールが呆れ顔でつっこみつつ祖父がわりを引っ張ってついて行く。
「次の手伝いに行く前に会えてよかった。確か意見収集していただろう」
「ああ。……すまないな。わざわざ来てくれたのか」
「擦れ違うと会えないままになりそうだったからな」
これも仕事のうちだ、と笑うリョウに、王太郎も微笑う。
「四国にも、縁が深いようだな」
「それなりに、な」
王太郎の声に、リョウはしばし遠くを見る。
「俺が望む世界は遠い。だが、そこに向けて歩くと決めている。……約束や誓いがあるからだけではなく、何より俺自身がそれを望んでいるからだ」
遠くを見ていた目をこちらへと移し、告げるリョウの眼差しは深い。
「‥この地では色々な人と話したし、戦った。天・魔・人関係無く」
小さな枠に収まり終わることなく、その垣根を越えて。
「きっとそれは俺が撃退士と言う限られた能力者の一人だからで、日常を生きている人々には傲慢に映る事だろう」
けれど、それは必要な事だった。
彼等を知らなければならないと思ったし、それは後悔していない。
そして――それに対しての非難は、背負わなければならない業だ。
「だからこそ、今ここに生きている俺は過去と未来に責任がある」
今を作った過去と。
今を経て向かう未来に。
「『今』を真摯に見つめ、その先にある未来について懸命に」
「全て背負って行く、と」
王太郎の声に、ああ、と真っ直ぐな眼差しで告げる。
「――俺は今、生きている。それだけは間違いのない事実であるのだから」
炊き出し所では、星杜 藤花(
ja0292)と星杜 焔(
ja5378)が忙しく立ち回っていた。
「遠隔地輸送は向こうの方が引き受けてくれるそうです」
「ありがと〜。あとでお味噌を入れたら出来上がりかな〜」
藤花の声に焔は穏やかに微笑む。それに微笑み返し、藤花は近寄ってきた子供達の対応に向かって行った。
(土地も人も他の生物も酷く荒らされてしまった)
ふと、目を細めてその様を見る。
――戦いの跡。
人が、物が、暴力によって奪われた跡だ。
(復興に向け出来る限りをしたいな)
ふつふつと大鍋の中で舞う具に視線を戻すも、心は別の所を見つめていた。親を失った子供達。子を失った親達。今も行方不明者を祈りながら探す人々。
その様子を少し離れた場所で藤花は気遣わしげに見る。
(焔さん……)
四国に来るのは一体何度目だろうか。
――悲しい出来事の方が多いけれど。どうか人々の心に光を与えたい。
「ごはん、もうすぐ?」
「ん。あと少し…かかるかな? 少しお話しましょうか」
「うん」
そわそわしている子供達に、藤花は微笑う。
欲しいもの。食べたいもの。出来れば夢も、聞いてみたい。
――もし潰えた夢でも。
(夢を失うのは一番悲しいことだと思う)
夢を見れないのも、同様に。
(だって、子どもの夢や希望は、世界を動かす力だから。――そう思う)
「あとちょっとで出来るよ〜」
いつの間にか増えた子供達と話していると、汗を拭きながら焔がやって来た。
「あっ…お手伝い…っ」
「大丈夫〜。皆が来てくれたから〜」
見れば、ナナシ達が配膳を手伝ってくれている。行っておいで、と言われ、子供達がわっと駆けだした。
「元気だね〜」
「ええ」
幼い彼らの姿に、藤花は幼き日の焔を重ねて見る。幸せを見つけたい。幸せにしたい。その思いと共に。
「将来の夢には、まだ少しかかるかな……」
ふと、零れた焔の声に、藤花はそっとその服の裾を握った。
二人の将来の夢は孤児院施設を開くことだ。
失われた家族のかわりに、せめて子供達の傷を癒しながら、共に生きようと。
(子供一人の今でも周囲の助けあって漸く…だ。課題はまだまだたくさんある……)
養い子を思い出し、ほろりと苦笑を零す。藤花はそんな焔に寄り添った。
(こんな場所を見てしまえば気が急いてしまう。まだ、一人の力なんて限られているのに)
人々は寄る辺を失っている。
こんな時に無力さを痛感する。……助けられる筈だった人はもっといたろうに、と。
「…戦争にどれだけを巻き込み続けるのか。彼ら自身も多くを喪い続けてるだろう」
遠くを見る焔の呟きは、おそらく無意識のものだろう。
「天と冥はなぜ争い続けるのだろう…」
そして、人はいつまで、それに巻き込まれつづけなくてはならないのだろうか。
「人はとても強か。わたしはその強さを信じています」
負けない強さを。
「ん……」
きゅ、と掌を握る手の温もりに、焔は微笑む。
「俺も……信じるよ」
――未来に希望を祈るように。
●
沢山の場所を歩いた。
瓦礫、更地、慰霊碑、避難所、救護所、相談所。
沢山の声を聞いて歩いた。
人の声も、悲嘆も、責める声も、怨嗟の声も。
「長くて、あっという間やったな」
「ええ」
宇田川 千鶴(
ja1613)の声に、石田 神楽(
ja4485)は静かに頷く。
「でも戦いは今もこうやって残ってる。ゲートが消えてもめでたしめでたしで終わらんのよなぁ…」
だからだろう。終わった、という感覚は無い。
「むしろ、そこに居る人々にとっては、これからですからね」
「うん……」
神楽の声に、遠くを見つめて千鶴は目を細める。
「『かつて何を思い、何を願って動き』……か」
教師の言葉を思い出す。
どこか虚無を内包するその目を。
「私は何も考えてへん。色々考えても、結局はその瞬間『いかなあかん』って思ったからなだけやし」
何かを考える間もなく、ただ遮二無二走って、駆け抜けた。
「そうして、残った結果見て思うん。覚えていよう…ってな。哀しかった事もその中で確かにあった大事な事も」
一瞬だけの邂逅の相手も。
いくつか会話を交わし、刃を交し合った相手も。
全部。全部。
「それが未来の為になるかはわからんけどな」
苦笑を浮かべる千鶴に、神楽はぽんと頭に手を置いた。労わるように撫でる。――いつものように。
「それでいいんだと思います。理由は、後で考えればいい」
大事なのは、その時その時で、『動く』こと。思うだけで何もしないよりも、遥かに人の命を、魂を、救うだろう。
今、二人で歩いた土地の其処此処に、どれだけの私念が渦巻いていただろうか。
歩こうとする人々の、切実な意見には耳を貸す。けれど、それ以外のものは聞き手に回りながらそっと右から左へと流した。
薄情と言うよりも、それは現実的な対処だ。他者の怨嗟を全て受け止めれる者はいない。
(この地で起きた事、それは覚えていたいと思っている……)
経験を捨てる事は避けたい。
何より、やるべきことを忘れるわけにはいかない。
戦いの内容も。
――天使の存在も。
「私はただ、今後も自分の意思に従って動くだけです」
『何を願って』
『何を思って』
それらはその時によって変わる。
いつの時も、自分はただ、思うが儘に動くのみ。
心を偽ることなく。
動いて――成す。
理由や言葉は、その後だ。
「……ん」
こくり、と頷き、千鶴はふと立ち止まる。物資搬送に動く人達を見つけ、やや照れたようにてててと離れた。
「…それだけやったらあかんしちょっと手伝っていこかな。これも『いかなあかん』ってやつかもしれんね」
「ふむ、では私も行きましょう」
さくっと歩き、もう一度千鶴の頭を撫でて、神楽もまたそちらへと向かう。
(もっとも、私の目下の目標は、この人が抱え込み過ぎないようにする事でしょうかね〜)
にこにこと笑む神楽に、千鶴は前髪をちょっと引っ張って照れをごまかして。そっと服の裾を握って笑った。
集荷場を訪れた王太郎の問いに、荷物の積み下ろしを手伝い終えた大炊御門 菫(
ja0436)は僅かに瞼を伏せた。
あの時とは違う問い。
脳裏に様々な光景が浮かんだ。
生き抜いた者、走りぬいた者――その、眩いほどの生き様。
「…世界を変えるのは『生きている者』であるが故に」
呟く。
それは誰かの思想。誰かの思い。
それを引き継ぐように、言葉を。
――思い出す。
大事な人を守る為に戦った。
――今もそしてこれからも。
総て摧滅し尽す先にある未来と違う、活かす事で得る安穏の日々。だが――それらは決して、今生きている者の心を癒す事には……繋がらない。
心を殺せと、誰が人に言えるだろうか。人の心は、その人のものなのに。
復讐をしたいと思う心は…当たり前だ。
例え死んだ人が喜ばないと言ったとしても、
手垢に塗れた言葉を投げても、
分かっている。――黒い焔は燃え続ける。
(悔しい)
菫は小さく唇を噛む。
何も出来ていない自分が。
だが、誰かが歯を食い縛って耐えねばならない。
――『誰が』?
(自分……だろう)
誰かに投げて、終りになど出来ない。見て見ぬフリなど論外だ。
「背負う、と?」
「ああ」
王太郎の静かな声に、強い意志をもって頷く。
やったらやり返される。――それを理解して。
あの時と同じ想いを。
「今生きている者が許せるように…共に進みたい」
告げた後、僅かに自嘲めいたものが浮かびかけた。偉そうに聞こえるだろう、と思った。知った風な口をと思われるかもしれない、とも。
けれど決めたのだ。恐れを抱きながらコレが正しいと進もう、と。
「例え迷いながらでも――やり遂げたなら、本物になる」
呟かれた王太郎の声に、視線を上げた。相手は僅か、眩しげに微笑う。
「貫けよ」
●
風に金の髪を靡かせ、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は戦禍の跡を見つめていた。
近づく王太郎に気付き、その口元に僅かに皮肉な笑みを浮かべる。
「答えを得に来たか。ご苦労なことだな」
「そちらも、な」
あらゆる角度から意見を募って欲しいとの話だ、と苦笑して告げられるのに、小さく鼻で笑った。
「我は我のしたいと思った事をする」
簡素に告げて、フィオナは視線を街並みへと戻す。
己の成したいことを、己の思いのままに。
それを謳い、示す。
――それを是とし、ついて来てくれる者達の為に。
(見解も何もあるものか)
「ああ、そうだ」
ふと脳裏を過った記憶に、フィオナは目を細めた。
「終わってなどいるものか」
まだ果たしていない、約定がある。――禍津の使途との。
「…だが…何を期待しろというのかな? オグンについて、死という欺瞞で蓋をした学園に」
四国作戦本部の解散。
オグンの死の発表。
それを見て、学園が四国の作戦は仕舞いとしたと考えるには十分すぎると、フィオナは判断した。
「そも、このような視察に何の意味がある? 口より先に手を動かせとは、まさにこのことだろうに」
失笑し、その金糸にも似た髪を後ろに払いながら歩みだす。
「…人よ…我を失望させてくれるな」
風が鳴った。
(何が妹の為だ)
街を歩きながら、川内 日菜子(
jb7813)は拳を強く握る。
(本当に妹を想うのならばアイツは傍に居続けてやるべきだっただろうに)
痛みが走った。肘、肩、膝。すでに傷は塞がっていようとも、時折蝕むようにそれは起こる。
(……帰って来いクソ天使、傷が疼いて仕方が無いだろう…)
その癒えぬ傷跡は、自爆という死を選んだ男の置き土産のようなもの。
そうまでして守りたいものがあったのか。
だが、何故その手段を選んだのか。
――守りたいものを置き去りにしたままで。
決して住民の前では吐露出来ない思いがある。自分以上にただ一方的に奪われた人々。だが――
耳に聞こえる怨嗟。
吐露される怨念。
憎しみを、怒りを、嘆きを、ただ吐き出すだけの人々。
(だがな…私は民間人の拳ではあっても、復讐の代行者ではない…ッ!)
いっそ耳を塞ぎたいそれらが、心に波をたてさせる。
(全部殺せだとか、滅ぼせだとか、気安く私に命を奪わせようとするな!)
――命はそんな風に、軽々しく奪い合うべきものでは無いのに。
「一服どうだ」
ふと声をかけられ、差し出された飲み物に足を止めた。
いつの間にそこにいたのか。荷物を抱えた王太郎をまじまじと見てから、出されたミネラルウォーターを受け取る。
喉を潤すと、少しだけ気が落ち着いた。
「吐き出さずにはいられない思いというのも……あるんだろう」
日菜子の思いを察したのか、王太郎は呟くように零す。日菜子は嘆息をついた。だからといって、やはり、鷹揚には構え難い。
「どうしたいか……だったか」
小さく口を拭って、日菜子は一度息をつく。
「互いに生きた上での対話を望みたい」
思い出した問いに、日菜子は沈黙を挟んでから告げる。
「死んでしまえば返せるモノまで返せなくなってしまうだろう」
言葉も、何もかも。
――命あって初めて成るのだ。お互いに。
己の掌を見つめ、握り、開くを繰り返す。
困難を打破する為の拳。
けれど――
「握り拳と握手は出来ない。ならば拳を解く意思を見せるまでだ」
こんな思いを、また抱えずにすむように。
日菜子と分かれ、荷運びの現場に行く王太郎が雨宮アカリ(
ja4010)と出会ったのは、道路上の瓦礫を撤去している場所でだった。
「先生?」
「これは……大仕事だな」
「先生も大荷物ね?」
大きな段ボール箱を抱えた王太郎にアカリは苦笑する。
ふと、遠くから金切声が聞こえてきて、二人してそちらを見た。――漏れ聞こえる怨嗟に、何を思うでもなく小さく息をつく。
「私達に送られるのは感謝の言葉ではなく悲痛な叫び。いつだってそうだったわね」
撃退士になる前も。そして、今も。
「お医者様になった方が感謝されるし必要とされるし……よいしょ」
巨大な瓦礫を撃退士の身体能力をフルに使って撤去しながら、アカリは荷物を落とさないよう持ち直す相手に笑いかける。
「それでいくと、私達は所詮、戦いの申し子みたいなものだろうし」
例え防衛の為の力でも、忌避されることは――少なくない。
「ねぇ、正岡さん。……もし目の前で大切な人を殺されたら、あなたは許せる?」
声に、王太郎は一瞬、答えられなかった。
小さく唇を噛む。
経験があるのだ。察した。そしてきっと――許せなかった。
(エルさんは敵である私に大切な人の形見をくれた)
義父を殺されたのに。殺した相手に。
そして――
「大切な人を討たなきゃいけなくなったら、あなたは撃てる?」
自分は、撃った。
多分、彼女はそれを分かっていたのだろう。
「敵を憎まず戦争を憎み、勝利を望まず平和を望む……それが私の信条よ」
なぜなら彼女も同じ戦人だから。
己の感情よりも、大きなものを見据えて動いてみせた相手だから。
――なら共に戦争と戦おう。
この思いを胸に、前へと進むために。
●
風が髪を撫でていった。
見上げる空の下、少女の手に持つ群青のリボンがはたはたと翻る。
荷物を抱え、歩いて幾何か。出会ったメリー(
jb3287)に王太郎は足を止める。
「大丈夫か?」
声に少女は振り返った。揺れる眼差しに、王太郎は気づかないフリをしようとして――失敗した。
「大丈夫なのです。でも、ありがとうなのですよ」
差し出されたハンカチに笑って、メリーはぺこりと頭を下げる。次に見たどこか大人びた微笑に、王太郎は戸惑うように頷いた。
「メリーが戦う理由はお兄ちゃんを護る盾になる為なのです。それは今もなのです」
もう一度空を見上げ、メリーは傍らの王太郎に、語るともなく心境を語る。
「だから四国の戦いも最初は盾として強くなる為だったのです」
常と変わらぬ理念。
常と変わらぬ意志。
けれど出会った――迚も強くて大きい人。
「恋人や仲間を大切にする人だったのです。敵さんだったけど…本当はもっといっぱいお話がしたかったのです」
もし、時が――それをゆるのならば。
「もっとあの人の事を知りたかったしメリーの事を知って欲しかったのです」
振り返る仕草で赤い髪が揺れる。
揺れる瞳は思いのせいか、それとも涙か。
「もうあんな想いはしたく無いのです」
だから、と手に持つリボンを胸に抱く。その思いを刻み込むように。
「だからメリーはこのリボンに誓って……例え天魔であっても、話し合えるなら話し合いたいって思うのです。……夢物語だとしても……」
諦められない思いがある。
あの時の思いを、光景を、忘れえぬものと刻んだが故に。
「後悔だけはしたくないのです」
同じ悲しみを繰り返さないために。
「……そうか」
俯いた少女に、王太郎は少し迷ってから不器用に頭を撫でる。
何故、彼女達はこれほどに強いのだろうと思った。子供だったかつての自分が、持ち合わせていなかった強さだ。
「大きな荷物なのです。どこに持っていくのです?」
「ああ…。東の避難所に届けてくれと言われてな」
そっと話題を変えた少女に、王太郎も頷いて乗る。行き先を示すと、成程とメリーはうなずいた。
「手伝うのです」
「大丈夫だ。大きいが、重いわけではないからな。……というか何が入っているのか知らないんだが」
そういえばと思いだし、王太郎は仮止めされている箱を開けた。
女性用の下着類その他が見えた。
そっと箱を閉じた。
「……すまん……頼んでも……いいだろうか……」
「……引き受けたのです……」
茹で上がったみたいに真っ赤になってすごすご辞退する教師に、メリーはやや顔を赤らめながら、指摘せずに引き受けてやったのだった。
かつての戦いの激しさが、至る所に刻まれていた。
家屋、壁、道路、公園。そして戦いに参加した撃退士の体にも。
顔に一生ものの傷を負った少女がいた。けれど戦地を見やり、問いに答える表情は静かだ。
「戦いは何故始まってしまったのか、と」
ファリス・メイヤー(
ja8033)は僅かに目を伏せて言う。その右目は戦いの最中に敵に切り裂かれ、顔には大きな傷跡が残っている。
「彼らには彼らの信念があったのでしょうが、どんな大義名分を掲げたとて、そんなものの為に奪われていい命など無かった」
身勝手でしょう余りにも、と、自嘲めいたものを浮かべながら呟く。
「喪って良い命など一つも無かったのですから」
「傷のことは恨んで無いの?」
その傷跡を見ながら、アイリ・エルヴァスティ(
ja8206)が問う。
自身の仇討なら絶好の機会はあったというのに、ファリスは果たして溜飲を下げなかった。
「命を奪い合うのと決着をつけるのとがイコールでは無いと思ったから」
少女の声に、王太郎はその静謐な表情を見つめる。
「大切なのは、見誤らないこと」
信託のように言葉が紡がれる。
「やった・やられたで、何度命を奪い合えば満足すると? 命でしか贖えないと息巻けばそれだけ戦火を広げるだけ。それは単に自分の溜飲を下げたいだけでしょう」
それは、自分が「やってやった」と、すっきりしたいだけの行動だ。
「私はそうなりたくない」
凛とした少女に、アイリは淡く微笑む。
「それなら、あなたもきっと、前へ進んで行けるわね」
過去に縛られることなく、前へと。
「戦いを無くそうと動いても、それ自体がまた戦いとなる。不毛な連鎖なのでしょう。『流れを続かせようとするもの』を絶たない限り」
永遠のループの断絶こそ、至上の命題。
「それが誰かの意思を反映しているのであれば、その意思を刈り取るのが先決でしょう。この四国は敬愛するお方が眠る土地……この地で、これ以上の悲劇はごめんだわ」
アイリの声に、ファリスは頷く。
そうして、王太郎を見つめて言った。
「生きていく限り衝突があろうとも、奪い合い憎しみあう道以外を探します。常に幾筋もの道を模索するのが、知性ある者の務めでしょうから」
●
「フハハハハ! 何かを成せたつもりか? 迷うなど、あまりに未熟よ……!」
突然響いた声に、王太郎は思わずビクッとなった。
振り返った先に、見事なサイドチェストを決める褐色半裸天使。
……うん。天使。
テラテラと光る肉々しいバディを見つめながら、王太郎は(そういえば天使だったなぁ…)と遠い目になった。
なんだろう。自分、天使憎いはずなのに、なんかもうどうでもいい気がする。
「不満がある? 未練がある? 主らは未だ未だ途上。未だ何も成せておらぬのだから当然である」
ムチムチィッと筋肉を盛り上がらせ、ギメ=ルサー=ダイ(
jb2663)は今度はラットスプレッドを決める。あれ、なんか前より厚みが増してる気がする。
「そも、何をしに来たのだ? それは成し得たのか? 他を優先したのなら、それは見合うだけのものだったのか?」
深い声でギメが問う。
声だけ聴いていればひどくシリアスなのに、とりあえず王太郎はピクピクしてる大腿筋が気になりすぎて困った。
「あの老将を止めたのであろう? それは超えるという事だ。考えを上回り、意が正しいと見せるという事だ。さもなくば――」
胸筋ピクピク。
「さぞ。失望するであろうな。その程度かと」
ようやくまともにギメの顔に目を向ける。ギメは不敵な笑みを浮かべた。
「主らは、我ら天魔とは違うのであろう? 力のみではないのであろう?」
力をもって攻め入る敵に、力以外のものでも対抗するのであれば――
「ならば、見せよ。見せられぬのなら、歩み続けよ。それが人の子の義務である」
「そこに居たのか」
ゆったりと紫煙をくゆらせながら、かけられた声にファーフナー(
jb7826)は振り返った。
「……この形だ、無用な不安を与える必要もあるまい」
明かに一般人とは思えぬ強面の風貌。ましてそれが異国のものであれば、傷つき身を寄せ合う人々に不安を与えかねない。
そう思って人々に近寄らずにいた。武装を解き、遠巻きに。
「……すまないな」
「お前が謝ることではない」
感謝と労りの眼差しに、ファーフナーは小さく鼻を鳴らして視線を逸らす。
若い教師の、天魔に対する憎しみをファーフナーは察していた。
そしてそれを、表に出すまいと鋼のような精神力で押しとどめていることも。
(憎しみは、俺の中にもある)
その感情は、あまりにも身近だ。囚われている――相手と同じように、自分も。
だからこそ、おそらく彼が望んでいるだろう答えは自分には無い。
ただ眼下に広がる光景に視線を馳せて呟いた。
「四国だけが特別ではない。戦場は何処も同じだ」
静かな声を王太郎は傍らで聞く。
「住民にとって天使は憎き侵略者だ。撃退士に復讐を託しても早々に決着とはいかない。寧ろ戦いの気配は遠ざけたいだろう」
恐怖を、死を、間近にしたいなどと……誰が思うだろうか。
「重要なのは非日常から日常へ戻すことだ」
深い眼差しの奥にある静かな色に、王太郎は「そうだな」と小さく頷く。
避難生活では考える時間がありすぎる。
日常に戻り日々の生活に追われれば、生きることに精一杯で、忘れることはできずとも――慌ただしさで苦しみを紛らわせることはできるだろう。
そんな風に、忙しさが救いになることもあるのだ。
「そのためには住居や仕事が必要だ。……撃退士にできることは瓦礫撤去等の労働か」
「現実的だな」
「……今は夢を語っても仕方あるまい」
ファーフナーの乾いた声を聞きながら、王太郎はその隣で同じ風景を見つめる。
天魔への憎しみをひた隠す王太郎。
人への憎しみをひた隠す自分。
歪だと思うも、やすやすと変えれるものでもない。それだけの下地が、過去に存在するからこそ。
いっそ――堂々と、天魔を憎める者や未来を語れる者を羨ましくも思う程に。
見やる先、現地の人々と積極的に会話しているのは天野 天魔(
jb5560)だ。
「この地区にいるのはコレか。……ん?」
視線に気づき、そのリスト化した一覧を持ってやって来た。
「物資は行き届いているようだな。流石に対応が早いようだ。多少抜けがあるのは、仕方ないとしても」
ぽん、と丸めたリストで王太郎の胸を打つ。
「基本は現状の物と金と人を送る方針でいいだろう。生活基盤の復興を考えるなら、今の個人優先から徐々に企業優先に切り替え雇用を増やさねばならんがな」
「すまないな。助かる」
「別にたいしたことではない」
天魔はゆるりと視線を被災者に向ける。
かつては大きな建物も立ち並んでいただろう場所。だが、遮るものを欠いた大地に、吹き抜ける風は強い。
そして、街のざわめきはどこか小さかった。
「俺達は失くすべきでないものを欠落し、哀しみに蹲る者達を救えない。何故なら立つ事を決めるのは本人だけだからだ」
閉じた世界は内側からしか開かない。
自らの力でしか、救われないものがそこにある。
そうして、悲哀を抱え、疲弊した人々に別の時、別の場所の光景を重ね見る。
『彼の者』が守ろうとしていたのは――ああいった人々だった、と。
「まぁ殆どの者は欠落と折り合いをつけ立ち上がるだろう」
欠落を埋める何かを探す為か、
欠落を憎悪で埋め復讐者となるか、
それとも――
「欠落から目を背け忘却するか、欠落を認めてかは知らんがね」
決めるのは己だ。誰もそれを肩代わりは出来ない。
立つも、留まるも。
生きるも、死ぬも。
ただ、それは今すぐでなくてもいい。『時間』だけがもつ癒しによって、徐々に顔を上げ、立ち上がる者が出ないとも限らないのだから。
「なんにせよ俺達は彼等が立った後歩けるよう準備をしつつ彼等が立つまで待てばいい」
差し伸べる手は、いつでもここに用意しているのだから。
差し伸べる手は、いつでもここに用意しているのだから。