簡易更衣室の中、吊り下げられた衣装に鐘田将太郎(
ja0114)は口の端を笑ませた。
(要するにコスプレして走れ、ってこったな)
紅に金の鮮やかな衣装を身に纏ったところで、様子見に来た正岡王太郎(jz0147)に気付いた。
「おっ、正岡センセも参加すんのか。イケメンは何着ても似合うねぇ」
「鐘田か。なんだ、随分と歌舞いてるな」
虎皮を羽織る将太郎に、王太郎は思わず笑みを零す。
「順位を狙ってみるか?」
「順位? んなモンどうでもいい。完走できりゃいいんだよ」
将太郎は漢くさい笑みを浮かべて言った。
「参加したからには完走するぜ」
久遠 仁刀(
ja2464)は更衣室へと向かう。
(あの悪魔に言われたからじゃないが、座り込んでいてどうにかなるわけではないのは事実だ)
頼んだ衣装は人力車夫。動きやすさは中々のものだ。
(道が見えない時は思いきり走るのもいい。踏破した先に、何か見えるかもしれないからな)
背後に闘志入魂の文字が見えそうな昭和のかほり。勢いよく出た先に、デンと人力車が待ち構えていた。
「……」
思わず二度見。自分の姿と、用意された俥。
つまり、これを――
(引いて行け、と)
「やって、やろうじゃないか」
己を追い込む系美青年――仁刀の挑戦が始まった。
「和装…なぁ。うちはその方が楽やしな」
浅茅 いばら(
jb8764)は衣装を物色する。
「にしても、平安時代衣装で女物がほとんど無いのはなんでやろ」
ちょっと衣装班と真剣にOHANASIしたい気持ちが満載。幸い重ねに使う色は揃っているようだと、女物の単を被衣に、氷重・浅葱菊綴の水干を選ぶ。
ふと昔を思い出すも、そっと記憶の箱に仕舞い直した。
「行こか」
裾をひらめかせ、舞うように外へと出て行った。
(偶にはこの様な催し物に参加するのも良いと思って来ましたし、のんびりと楽しみたいですね)
ごく自然に女性物の着物を着付け、鑑夜 翠月(
jb0681)は割烹着を纏う。
ただただ純粋に『長距離を走る』ということはあまり無い。コスプレを含むものの、なんだか普通の学生のようだ。
(えっと、それにしても色々な方がいらっしゃいますね)
色彩は元より時代もバラバラな『和』が溢れている。目のあった五月人形が手を振るのに振り返した。
(ふふ。さぁ、行きましょうか)
女性更衣室から出た宇田川 千鶴(
ja1613)は、心許なげに裾を引っ張っていた。
「う。…むっちゃ短い…いや、まぁ、兎に角走ろ…」
おお! アレンジミニ袴のチラリズムよ!
動く度にひらりひらりと眩い太腿がチラッチラッ!
これはきっと攻撃を受けると中破してくれるレベル!
(でも今回なら中破しない筈、筈)
そう――かわりに大破、もしくは服だけ重傷という世界の法則がおっと誰か来たようだ。
同じ頃、男性更衣室側には強羅 龍仁(
ja8161)がいた。
(マラソンか…偶には健康の為にも必要だな…。問題は、あの幼女悪魔をどうやって完走させるか、か)
ばさぁっ、と衣装を羽織り、前を見据える。その身が纏うのは、肌色強め胸元蠱惑的な山伏衣装だ!
颯爽と歩き出した所で、賑やかな声が耳に飛び込んできた。
「宇田川君!?」
「あ、先生…ってなんでカメラ!?」
鎹雅 (jz0140)と千鶴だ。見やった龍仁は仰天した。
「ち…千鶴?! なんだその服装は!! これを…って布が無い!」
しかし天の采配! すぐ近くに鎧姿の王太郎が!
「王太郎その草摺を貸せ!」
\アッ―!/
王太郎、開幕どころか始まる前から草摺パージ!
「マラソンで服が破れることもないだろうからな」
壮大なフラグ乙の中、マリー・ゴールド(
jc1045)は周囲を見渡しながらほてほて歩いていた。
「風流マラソン、素敵です」
和的なものなら大抵OK。そんな衣装班にマリーが申請したのは綺麗な女神様的衣装。当日届けられたそれにいそいそと着替えたまではよかったが、
「ん?」
下胸が全開だった。
「い、いやぁ――!」
なんということだろう。姿見に映ったのは明かに下乳系ゴッデス! 和装ってレベルじゃねーぞうんOK!
(最近の女子は大胆じゃのう)
思わず目で追ってしまったのは鳥居ヶ島 壇十郎(
jb8830)。一見してシニカルな笑みの似合う美青年だが中身は年季の入ったエロじいちゃんだ。
(最近体が鈍ってきておるからのう、この間も浮かれた拍子に腰骨が砕けたが…)
鈍ってきてるどころの話じゃ無いな!?
(うむ、此処は一つ老骨に鞭打って「まらそん」とやらに興じてみるのじゃ! 勿論疾しい気はないぞ、極めて全うな理由じゃしー)
ほら汗流して走るなんて健全健全! しかしその目は過ぎ行く太腿に吸い寄せられている。
「ん? そのままで走るのか?」
雅に呼び止められ、壇十郎はドロンと変化の術。
「此方の方が体に掛かる負担も丁度良いじゃろ」
その姿は犬とも狐ともつかない獣だ。
「雰囲気なら如何にも妖怪って感じじゃろ、和風じゃろ」
「ふかふかだな!」
「あっごむたいなっ」
壇十郎、大喜びの雅に全身くまなく撫でまくられた。
(あれは…注意したほうが…いいのだろうか)
神妙な顔で見守る王太郎に、その時静かな声がかけられる。
「奇妙な募集だと思ったが、またお前か……今度は何の仕事だ?」
声の主、ファーフナー(
jb7826)は、話された事情に分かる人が見れば分かる程度に眉を顰めた。
「お目付けは引き受けてやる」
「すまない。コスプレ内容はここに書いている通りだ」
「コスプレ……何だそれは?」
ファーフナーは初耳単語に眉を顰めつつ、王太郎が指す方向を目で追った。
和装。
「着物はよく分からんが……アレでもいいのか」
顎で示す先には、大NIPP●N帝国陸軍の軍服が。
「これならば動きやすい」
「ふむ」
王太郎はしばし服とファーフナーを見比べた後、真面目くさった顔で問いかけた。
「閣下と呼んでいいか?」
「断る」
●
青空の下、五月人形がラジオ体操をしていた。
みし♪
みし♪
みし♪
「どうにもアウトな音がするね」
足軽鎧姿の龍崎海(
ja0565)は、神妙な顔でしみじみ評する。
「にーにもまらそん?」
「殿様には従者が必要でしょ。後ろからついていくから、しっかりね」
「任せるのですよ!」
おおいに気をよくした五月人形こと幼女悪魔に頷き返しつつ、海は内心首を傾げる。
(重くなっても体型は変わらなかったみたいだけど、軽くしても大丈夫なのかな? 痩せ方って望んだ通りにはならないことがあるし)
同じく戦国武将甲冑に身を包んだ六道 鈴音(
ja4192)も首を傾げていた。
(こんなコが、そんなに重いわけないと思うんだけど)
「ヴィオレットちゃん、ちょっといい?」
「あい!」
鈴音は幼女の両脇を手を入れ――
間。
(ビクともしないんですけど…こりゃたしかにダイエットの必要あるかも)
鈴音は大真面目な顔で言った。
「一緒に走ったげるから、頑張ろうね」
「あい!」
幼女、返事だけは立派だ。
「ちょっと鎧外してもいい?」
ナナシ(
jb3008)も服を汚さないよう裾に気を付けながらしゃがむ。
「変わった服なの」
「振袖よ」
目を輝かせる幼女にナナシは微笑った。裾を引き摺ることが無いよう、短めに縛った姿は華やかながらどこか勇ましく、妖美だ。
「はい、ばんざいして」
素直に鎧をとってバンザイする幼女の腕、足、腹、頬等をふにふに。
「ふむ……体型の変化は無さそうね。けど、これなら運動で脂肪を減らす意味は無いし、余計にお腹が空いて沢山食べないかしら」
そこへザッと足音をたて、灰買い姿の大炊御門 菫(
ja0436)が現れた。
「プロテインを飲んでいればこんな事にはならなかっただろうにな…」
揺れた両篭から、ふぁーん、と灰ならぬプロテイン(細粒)が霧のように舞う。
「ふむ…人の金で食った飯は美味かったか?」
「うん!」
「自分で稼いだ金で食った飯は、比較にならんほど美味いぞ?」
「なんと!」
目を見開きつつ、幼女は菫の持つプロテIN篭に近づいた。
「興味があるのか。見どころはあるようだな?」
菫はそっと屈むと、このうえなく真面目な顔で厳かにこう告げた。
「覚えておくといい。強い体を作るのに必要なのは、一にプロテイン、二にプロテイン、三にプロテイン、五にプロテインだ」
「「「四は何処へ」」」
海とナナシと鈴音が三重奏。
そんな中、狩野 峰雪(
ja0345)は軽く屈んで幼女に問うた。
「ダイエットかぁ…ちゃんと出てる?」
食べる量も問題だが、排出されてるかどうかも問題だ。
「肉ばかり食べないで、ごぼうとかこんにゃくとか、繊維質のものを摂るといいんじゃないかな?」
「美味し?」
「味付け次第で美味しく食べられると思うよ。あとは適度な運動も必要だね。今日はみんなで走るから、頑張れそうかな」
「頑張るの!」
今だけは威勢のいい幼女ににっこりと笑って、峰雪はイチジク的なものをそっとヴィオレットに渡し――
ポン。
「ん? ああ、これは先生方、御揃いで」
「うん。ちょっと向こうでOHANASIしようか」
「…あれ、怒られるフラグ?」
後ろに現れた教師コンビに違う意味でドナドナされた。
●
―最近の俺は腐れ縁の貴腐人を公共秩序枠に押し込むために走っている気がします。バルトロです―
切ない独白ナレーションが似合う色男、バルトロ・アンドレイニ(
ja7838)は今日も今日とて身内の迷惑回避の為に命以外の大事なモノを賭けている。
(今日はまだ一人だけだから楽だな! 多分!!)
盛大なフラグをありがとう! 多分確実に楽じゃないよ!
「最近背中の方に余剰な贅肉がついてる気がしてたからな……ちょどいい」
そんなバルトロの前、アレクシア・フランツィスカ(
ja7716)はキリッとした顔で紅の狩衣を身に纏う。
「こういうの一回着てみたかったんだよね!」
顔を輝かせる大和 陽子(
ja7903)は、空色の水干姿だ。
「ふむ。水干姿というのもなかなかいいな。よし! いける! 次の新刊はコレだ!」
「いけねぇだろ! そして声に出すな!」
バルトロがすかさずハリセンを響かせた。
「おー。狩衣や直垂もいいなぁ。後で記念撮影しようね!」
「…おめーはどうかそのままでいてくれよ、陽子…」
「ほぅほぅ。直垂はこうなるか…」
「シア、てめーは俺を見ながら違うフィルターを標準発動させてんじゃねぇ」
「しかし絡ませるべき相手がな」
「絡ませるとか言うな!」
しかし腐った狩人先生の索敵脳力(誤字に非ず)は、素早く優良物件を補足していた!
「なんか、背筋に寒気が」
受難受信したのはラウール・ペンドルミン(
jb3166)。別の意味で毎回友悪魔の犠牲になる男である。
「本当にいろんな催し物があるなぁ……」
その元凶の名はレイ・フェリウス(
jb3036)。色々な意味で鑑賞度抜群の美青年だが、頭の中身は牧歌的だ。
「狩衣というんだね。人間はいろんな服があって面白いね。こういうゆったりとした服は好きだな」
「なんかすげぇ珍しくレイがまともな依頼もってきた!」
「心の声漏れてるよ」
友の本音にレイがこのうえなく白い目。
「いや…お前が絡むとたいていヒデェ状態になるのがデフォな気がしてな…?」
「おまえは私を何だと思ってるんだ」
魔法少女(♂)やデロ依頼の犠牲は覚えていないらしい。
「まぁ、少しは運動したほうがいいと思ってね?」
腐先生がその会話を受信した。脳内補完が止まらない。
「運動とな」
「口にだすのやめろ。おめぇは脳内で妄想竹生やしとけ!!」
にょっきにょき。
そんな二人の横で、陽子もまた真顔で頷く。
「男はやっぱり――腰、だよな」
「おまえもか!?」
「なぁ、さっきから寒気しないか?」
「風邪じゃねーか?」
青い顔のラウールの後ろ、アルフレッド・ミュラー(
jb9067)が首を傾げた。
「つーか、レイ。飯食わなきゃエネルギー保持できねぇんだから、食べるのは仕方ねぇと思うぜ? 量は問題になるだろうけどよ」
幼女に言って貰いたい台詞第一位だ。
「ま、たまには運動も…って、ん?」
アルフレッドはふと視線をある方向へと向ける。
更衣室の手前で、黒い老執事が立っていた。
●
時は少し遡る。
(折角だし、皆でマラソン楽しむのだよ!)
握り拳なフィノシュトラ(
jb2752)は、桜色の和風襟と袖のブラウス、紫のグラデーションがかかった袴スカートと、大正浪漫風になっている。白エプロンの胸元には、可愛い青い翼の絵が入っていた。
「お。ハイカラだな」
「雅先生、よろしくなのだよ! 牛若丸の格好すごい似合ってて素敵なのだよ!」
丁度通りかかった牛若丸と手をとりあってキャッキャうふふ。そこに王太郎が合流した。
「正岡先生、プールでお世話になったのだよ! お疲れ様なのだよ?」
「あ、ああ、うん」
とある事情で思わず目が泳ぐ。しかし今日は健全なマラソン大会。あんなハプニングは無いはずと気を取り直すが甘かった。
「衣装ってコレでいいのかな」
まさかの蜂蜜トラップ、蓮城 真緋呂(
jb6120)が視線を送る先は【和】と書かれたダイス表。
「成程。遊び心でございますな」
老執事ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)もまた、穏やかな表情で表を見つめていた。
「チャレンジャーだな」
ダイスを手に取った真緋呂に、王太郎達が見学にやって来る。
「…べ、べつに楽しみ過ぎて悩み過ぎて、格好決められなかったとかじゃないわよ!?」
慌てて手を振った瞬間、真緋呂の持っていたダイスが転がった。
6←
皆の目が表に注がれる。
ワカメ←
「え゛っ」
顔をひきつらせる真緋呂の後ろ、居合わせた御堂・玲獅(
ja0388)は全てを悟って一歩退いた。
「これは…罠!」
一同は思わず視線を玲獅へ。
振る?
「ごめんなさい。泣くほど酷い恰好になる覚悟はないですっ」
無念です。
しかし指定は和装! ここはコメディ補正で【和】の装いを――
「こんなこともあろうかと、【白鼠】を持ってきていましたから!」
無念です!!
玲獅が更衣室に飛び込む中、ヘルマンは世界の真理に打ちのめされた哲学者の顔で呻いた。
「…爺としたことが失敗いたしましたな。最愛の『あの方』は、はたして、ワカメと鰹節のどちらの味がお好みでありましょうか…」
多分心からどうでもいい。
「どっちが好きでもナマモノ混入は嫌だと思うよ」
レイが大真面目に一言。その直後、更衣室からワカメが飛び出してきた。
「コレは絶対に衣装じゃないー!」
見よ!
うら若き肢体を包むぬめった枯緑の海産物を! 中芯のところはともかく、葉体のところは絶妙にシースルーだ!
これはエロい。
「いけません。爺めの上着をおつかいください」
蔵倫粗ぶる中、真緋呂の肩を燕尾服が包んだ。
「あ、ありg――誰!?」
振り返った先、堂々と聳え立つのは巨大な本枯節鰹節(削ってない)。何故か皺のないぴちぴち太股が、違う意味で枯節チック。
「てゆかじいさんいつ着たよ!?」
「じーさんあんたなんでそんな格好してんだよ!?」
バルトロとラウールが思わず顔を覆った。
「なんだかよく出汁が出そうだね?」
レイちゃん、もっと別の感想は無かったのか!
「つまり…自分が出汁の元の気持ちを味わうことで何かしらのインスピレーションを?」
アルフレッドが斬新かつ上方向に回転半捻り的な深読み。ならば料理人として受けて立たねばとコンフュージョン。
二本目の本枯節(ぴっちぴち)が誕生した。
「レイがマトモになったと思ったら他にうつってやがる…!」
「失礼だな!?」
ラウールとレイが狩衣衣装で蹴鞠勝負。
流石は久遠ヶ原。マラソン始まる前からこの有様だよ!
「よし、じゃあ、出発だ!」
ぞろぞろと走り出す和装(広義)陣。
「さて、一走り行ってきますかな」
爽やかな笑顔の後、ヘルマンが猛ダッシュした。
はらりっ
「じいさ――ん!?」
孫世代が大合唱。
「風で匠の技みたいに薄く削れていってるぅぅ!」
陽子が絶叫。なんという匠の技。舞う花鰹を追って幼女もダッシュ。枯れてるのに生き餌の活きがいい。
「ふ。一走りごとに体が軽くなっていく気がいたしますな!」
物理的にな。
「どうやら今日は絶好調のようでございますぞ!」
「気づけぇえ!」
舞い散る削節の中、ラウールの声が響き渡った。
全てが走り去った後、最後の一滴も残さず飲み干したバナナオレ子、もとい水枷ユウ(
ja0591)は空気の匂いを嗅ぐ。
漂う鰹風味に混じって、仄かに香る(ような気がする)匂い――
本気の巫女装束が功を奏したか、センサーに引っかかったある意味神の啓示的な天啓――
(バナナオレが…こっちに)
なんかめっちゃ遠い気がするけど、バナナオレへの愛は時空間とか超えるはず!
<甘><蕉>カッ!
バナナオレ神、ユウの全力が解き放たれた。
●
幼女の集中力は乏しい。
「飽きたのです!」
飛んで逃げようとした途端、玲獅の星の鎖が発動した。
「しっかり走り終えて下さいね?」
にこ、と微笑む玲獅に対して冷汗かいてるのは、マリアンヌと同じ気配を察したせいだろうか。
「そうだ、颯爽と走ってる姿をデジカメでムービー録画してあげるね。後でデータをあげるから、上司に、頑張ってますって報告したらいい」
褒めてくれるよー、と微笑んで撮影する峰雪。つられて一生懸命足を動かすも、気力が三分と続かない。
「とぅ!」
「逃亡禁止」
しゅぱーんっ
真緋呂のアイヴィーウィップならぬWAKAMEウィップがその体を絡め取って路面に戻す。
「使いこなしてるな…先に進んでも大丈夫だぞ?」
思わず呟いた王太郎の横に並び、真緋呂は「いえ、何だか途中で倒れないかしらって心配で…」とひょろ長い体を見上げた。
「そんなに体調悪そうに見えるか?」
「ちゃんと食べてます? 街にお奨めの料理屋さんがありますよ。で、そこの定食が大盛りで美味しくてですね」
食べ物トークに気を惹かれた幼女がうろちょろ。フィノシュトラが苦笑した。
「運動した後のご飯は美味しいのだよ?」
「そうそう。ほら、頑張って。完走したらきっと後のご飯が美味しいから。夕飯になったら何か食べさせてあげるわ」
(これは給水所の食べ物が目の毒すぎるわね)
察したナナシが即座に連絡を回した。結果、バナナの匂いはするのにバナナは見えないエリアにコップだけがズラズラリ。
「水っ腹になるー」
「必要分だけ摂取すればいい」
凛とした声で言いつつ、菫がドリンクに心からの善意でプロテイン投入。
「やはり運動にプロテインはつきものだ」
「ごふぅ!?」
うんうん頷き立ち去る菫。うっかりプロテINドリンク(溶けきれてない)を手にした王太郎と仁刀が、気づかず口にして粉吹いた。
(今は水の入手も楽やなあ)
いばらが昔を懐かしむように遠い目をする。その手にはちゃっかり無投入の飲み物が。
(これだけ見張りがいたら、なんとかなりそうかな)
逃亡幼女を囲む面々に、海は少し安堵した。
(長距離に転移されたらどうしようもないけど。だからといって綱を付けたりするのもどうかと思うし)
「あ、ヴィオレットさん…って、やる気あらへんな…」
「ちーねぇ!」
合流した千鶴に、ヴィオレットが素早く飛びついた。
「重ッ!?」
ガビンッ
「えっと…終わったらこれあげるから一緒に走ろ?」
丁寧に降ろし、キャンディーネックレスを見せると、幼女が両手を伸ばしつつ駆けてくる。
(ほ、ほだされたらあかん。ここは心を鬼にする時や!)
「走りきれたらな? って、そっちいったらあかん!」
「ゃん」
発動した【春嵐/風大】に、抗えずぽてぽて。
「これは…思った以上に大変そうやな」
呟くおねえちゃんのスキルが割とガチです。
「人数で捌ききるしかありませんね」
玲獅もゴクリの喉を鳴らした。
「しかし食べただけ重くなるとは、どのような構造なのか……。たった1日走るだけで軽くなるとも思えんが」
ファーフナーの声に、フィノシュトラがふと気づいて声をあげた。
「歩くだけでミシミシするなら、走ったら道とか、大丈夫なのかな?ちょっと心配なのだよ?」
教師が二人して始末書を書かされることになるのだが、それはまた後の話である。
●
先頭を走る菫は向かい風に軽く目を細めた。
話し声は後ろに。それもどんどんと遠ざかる。
頭の中が真っ白になっていくのを感じた。喉の渇きは今は無い。
ふと意識に触れるものがあった。
(奴の気配がする)
目を開けて、行く先で軽く手を振っているのを見ても違和感を覚えない。
『楽しんでいるか?』
眼差しだけで会話。毀れた笑みの理由は分からない。
ふと何処からともなく現れるユウ。
(後で通過する連中は、大変だな)
一抜けしながらそんなことを思う。
菫が軽やかに走り去った後、第六給水所はバナナオレ布教仮拠点となった。
その頃、マラソンを楽しむ面々は過ぎ行く景色を満喫していた。
「郊外を走るのは楽しいね」
「行った事のない道も多いですし」
峰雪と翠月が息を吸い込む。和装の為、体の表面は冷えていない。しかし布の無い部分はそうはいかない。
(んっ…布が…っ)
いろんな意味で弾ける胸を必死に押さえ、走るマリーの手の下がとても危険。あわやたわわな果実が零れそうになった所で、前を走っていた王太郎に抱きついた。
「!?」
「ごめんなさい‥‥少しだけ」
大きな背中を借りてせっせと衣装を直した。
「直った…ありがとうございました」
「あ、ああ、うん」
王太郎が目線を彷徨わせつつコックリ。教師として毅然とした態度がとれるようになるには、まだ年数がかかりそうだ。
「よろしかったら、これどうぞ」
衣装と戦っているマリーに、翠月がそっと割烹着を差し出した。
「ありがとう!」
これでポロリが回避される! しかし羽織った姿も家庭的にエロいのは何故だろうか。
その後ろから、路面を爪で掻くような足音が響いた。壇十郎だ。
「機動力ありそうですね」
翠月が感心したように言う。壇十郎はぐっと胸を張った。
「お供つきというのも、なかなか乙じゃろ?」
しかし彼の真の目的は和装女子のあらぬところを覗くことだ!
(和装ってことはもしかしてもしかすると穿いてなかったり…って穿いとるんかぁああああい!!)
その前に翠月は男の子だ。
心が沈没した壇十郎の後ろ、幼女を見下ろしてファーフナーは呟く。
「CTスキャンで体内がどうなっているか調べるのはどうだ」
「しーちーすきゃん、て?」
「病院で全身輪切りにした画像を確認できる装置だ。継続して走り続けるより断面を確認して原因を究明した方が楽だろう? あとは……そうだな、食べ過ぎた分は吸引してしまえば……」
幼女が必死にファーフナーから遠ざかろうとしている。と思ったら、向かう先に休憩ポイントが。
「いらっしゃいませー。バナナオレ喫茶『第六給水所』へようこそー」
ユウとマリアンヌがお出迎えポーズ。この凍魔、ノリノリだ。
「あ、ユウさ…喫茶て…?」
見た千鶴が唖然と呟いた。その傍らをいばらが通過する。
「ご注文、バナナオレ?」
「舶来のもんはいらへんで」
\禍呼風/
「んきゅ!」
バナオレ沼へと誘う風に這いずり抱きしめられて、いばらが可愛くすっ転ぶ。
「ご注文、バナナオレ?」
知らなかった?バナナオレ神からは、逃げられない。妖怪よりも妖怪らしい。
「えっと、じゃあ、バナナオレだけ」
翠月がドリンクを手に取る。食べながら走るのが難しいチョコバナナはご遠慮だ。
「ご飯なの!」
「えっと…あれは罠や、ゴールさせん為の罠」
「ヴィオレットちゃんはチョコバナナ食べちゃダメだよ」
千鶴と鈴音が神妙な顔で諭す。しかし幼女もめげない。
「だから!食べちゃダメだって!」
幼女は必殺お目めうるうる攻撃!
「…でも、ひとつくらいなら大丈夫かも…ね」
ぽむ。
ほだされた鈴音の背後に教師二名。
「あ、あれ?」
「さ。先生とお話しようか」
「わかったやろ? 先生おっかないからな?」
鈴音の犠牲に幼女が神妙な顔。しかし横切った時、条件反射で飛びついた!
「あっ!」
千鶴が思わず反転。その瞬間、素早い動きについていけなかった服が見事にビリビリィ!
「ちーねぇ!?」
驚いて振り返った幼女が目測誤って地面に沈没。素早く龍仁が走った! 朽ちていた縫い糸が限界突破で山伏衣装が華麗に重傷!
なんという肌色大公開。鈴懸衣からチラ見の赤褌がOh! Sexy!
「あらあら、うふふ」
マリアンヌが嬉しそう。
Q:(衣装が)エロいお父さんは好きですか?
A:大好きです(天の声)
「ちゃんと走り切れたら今度何か作ってやろう」
大真面目に告げる龍仁。待ってパパ! その前に褌仕舞って!
「うふふ。コレを」
バナナオレフリルエプロン(小さい)が下賜された。
「…シュールやな」
股に翻るバナナ色のエプロンが筋骨逞しい新妻ルック。
「四国の一報はもう入った?」
装着する千鶴達の隣で、マリアンヌは海に微笑む。
「どう評価されてるのかな?」
「ふふ。皆様の力をもってすれば、当然かと」
その向こうではチョコバナナをもっきゅもっきゅ頬張る真緋呂の姿が。
「一つしか食べちゃダメとは聞いてない」
幼女が壮絶に羨ましそうな顔だ。
「チョコバナナ!」
「いかが?」
パっと顔を輝かせたマリーに、マリアンヌがチョコバナナを「はい、あ〜ん」
「あ〜ん♪」
「うふふ」
マリアンヌの目がキラッと光った。
素早く玲獅の手が翻る!
ぶりゅ。
「むぐー!?」
投入された死のソースにマリーが昏倒した。こっそり味見()していたマリアンヌが残念そうに手を引く。
「もうちょっと吸い取りたかったですわ……」
「危ないところでした!」
死のソースもだいぶ危ない。
「ひゃあん!?」
その時、真緋呂が悲鳴をあげた。なんとハラペコ幼女がワカメ(衣装)に食いついていた。
「食べないでーっ!」
ただでさえ危ない衣装が危険領域に!
「これはいかん! 乙女のピンチじゃ!」
壇十郎、張り切った! 一直線に走りこみ、下ナメアングルを試みる!
「さて、そろそろ行かんとな」
シャランラ〜
その眼前で龍仁のエプロンが華麗にひらり。ああ、素晴らしかな赤褌。
「ふぎおお!?」
壇十郎に痛恨の一撃! しかし外見は若いおじいちゃん、諦めない!
「チョコバナナはいかがかしら?」
「それよりバナナオレを頂きましょう」
若おじいちゃんがネバーギブアップしてる横で、外見は枯れてるおじいちゃんがバナオレトラップ回避。しかし本枯節が風に削られすぎてマッパに近い。
「ん。バナナオレの情け」
「頂いて参りましょう」
ヘルマン、キリッとした顔で龍仁と同じエプロンを腰に装着。
「さて、もう一走りでございますな」
その直後、
(せめて、乙女のぴちぴち太腿を……!)
壇十郎、口直しを求めて顔を上げた!
シャランラ〜
眼前でヘルマンのエプロンが優雅にピラリ。荒ぶる蔵倫。孫世代の作った米糊がかろうじて宝具を隠してる!
「ぎゃーっ!?」
壇十郎は【世界の扉を開きかけた】という理由で心が重体になりかけた。
南無。
●
さて、ここで只管駆けに駆け通していた人々を見てみよう。
「抜かせてもらうぜ!」
「させるか!」
ゴール目指し、ラストスパートをかける将太郎と菫。
(松風の代わりに走るぜこんちくしょう!)
ちなみに松風とは愛馬のことである。――何故いないかって?
(逃げちまったからだよ!文句あっか!!)
しかし全力移動の菫には届かない。
白いテープを軽やかに切って、菫は堂々と一位を飾った。
仁刀は走っていた。重量八十を超える俥を引きながら。この俥が無ければ最後尾に甘んじることもなかっただろう。
そろそろ水分摂取をしたほうがいいかもしれないが――
「じゃあねメイドさん。お互いに次があれば、また」
「ええ。うふふ。またお会いいたしましょう」
――聞こえた声に、仁刀は思考のシャッターをピシャッと閉ざした。
(見ない。俺は何も知らない、あそこに給水所があるなんて気付かなかった!)
顔は右へ。なんか「あら」とか声が聞こえた気がしたが空耳だ!
「まぁ、なんて丁度いい♪」
ぎしっ
声と共に重量アップ。思わず振り返った先、気絶してるマリーを抱えた凍魔が優雅にお客様状態。
「な!?」
「この子を運んであげてくださいませ♪」
「あっ! マリーがズルしてるの!」
ふたりのマリーを指さして、ヴィオレットが飛んできた。
「あたしも乗るのですよ!」
俥がピクリとも動かなくなったのは、言うまでもなかった。
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ゴールポールの下、ファーフナーは一人、ゆったりと紫煙をくゆらせる。依頼を果たした今、ぬるま湯のような空気に浸るつもりはない。
そんなファーフナーの視線の先では、峰雪と共に海と玲獅がビデオを囲んでいた。チョコバナナを手に翠月と鈴音が後ろから覗き込む。
「なかなか良く撮れてるね」
なんとか完走した幼女が、龍仁とナナシに空腹を訴え、千鶴とレイが苦笑してそれを見守った。
「完走する体力はあるんだな」
心が萎れている壇十郎の毛並をそれと知らずアレクシアが撫でながらぼやく。陽子とフィノシュトラが教師二人に視線を送った。その隣でぐったりしているのは、俥を引いて完走した仁刀だ。将太郎にドリンクをもらっている。
「災難だったな」
察して苦笑する菫の後ろで、ちゃっかり混じったユウがちぅーと新しいバナナオレを飲んでいた。
「コレを和装と…」
着替えた真緋呂が持つぼろぼろのワカメに、いばらが胡乱な目をしている。
「じーさんの恰好もな」
「娯楽は突き抜けてこそでございますれば」
ラウールの苦言に執事服のヘルマンは紳士の微笑み。苦笑するバルトロの下、マリーは今も雅の膝枕で眠っている。
アルフレッドは幼女の頭をぽんと撫でた。
「いっぱい食う姿かわいいけどな。だっこもできねぇのは辛いじゃねーか。体の為にもダイエット頑張ろうな?」
声に幼女は周囲を見渡した。皆がいなければ、最後まで走ろうとは思わなかっただろう。
だからきっと、もうお腹いっぱいに物を詰め込まなくても大丈夫。
「うん!」
悪魔のおねえちゃんは傍にいないけど、
学園の『姉』と『兄』がいるから――もう寂しくない。