例え愚かと言われようとも――
●
大地は血の色に染まっていた。
「なんて状況なの…」
山里赤薔薇(
jb4090)は擦れた声で呟いた。どれ程の激戦だったのか、血溜まりの中には肉片らしい欠片もある。搬送に走る友軍が次々に治癒を施すもギリギリ現世に留まっている状態の者も少なくない。
(今、敵が来れば――)
尋常では無い被害が出る。だからこそ、自分達が招集されたのだ。死を祓い人々を護る人界の盾として。
(……守り抜いてみせる)
脳裏に浮かぶ光景。幼い日の惨劇――赤の記憶。ギリ、と握った拳が音をたてる。その手に生み出されるのは甚大なる力を秘めた長大な黄金の鎌。
「……誰一人として死なせないわ」
「サーバント……か」
僅かに眉を寄せ、龍崎海(
ja0565)は小さく呟く。ふと気づき、星の輝きを身に纏った。敵が明らかに格下ならば目を背ける。その隙が誰かの助けになるかもしれない。
「…エルと再会する日も、思ってたより早そうだぜ」
ふと南枝門捜索時に遭遇した赤毛の天使を思い出し、小田切ルビィ(
ja0841)は思わず苦笑した。
「随分敵層の厚い場所みたいですね」
伊達眼鏡をくいっと上げ、穂積 直(
jb8422)は真っ直ぐに南を見つめた。彼等が居るのは北枝門よりも北側。向かう先は南に在る。
「北西にツインバベルあるから、その増援が多く辿り着いてる、ってわけね」
桃色がかった亜麻色の髪に指を絡ませ、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は息をつく。
枝門周辺は相当な厚みがあるだろう。だがそこに至るまでが薄いとは思えない。そして――連中は『待って』はいない。
「守りきりますよ! 誰も死なせません!」
「まだ見ぬ従士さんの顔、拝ませてもらいたいものね」
ふんすと気合を入れる直に軽く微笑み、アルベルトは狙撃銃を具現化させる。歩む先は多数の重体者が今なお横たわる公民館の上。彼等が撤退するまでの間、守りきるのが最初のミッションだ。
「大軍だろうが関係ねぇ」
同じくライフルを具現化し、後藤知也(
jb6379)は血臭の濃い戦場に立つ。
「仲間は守る。同じ撃退士として、人間としてな」
怯むことなく、ただ前を見据えて。
「肌がピリピリします……」
奇妙な圧迫感に雫(
ja1894)は神経を研ぎ澄ませた。ザワザワと、周囲一帯が一斉に迫ってくるような異様な感覚。勘が危機を告げている。夥しい数の群れが、迫っていると。
(長期戦だけに召喚は不利ですが……)
自身の持つ召喚獣達を思い出しながら、久遠 冴弥(
jb0754)は示された時の長さを歯痒く思う。呼び出せる時間も回数も、無限では無い。いざという時は頼りになる力なだけに、その運用にはかなりシビアな配分が必要とされる。
(相手は大軍……戦力が必要な時に確実に呼びましょう)
静かに力を溜めていく冴弥の後ろ、ぴょんぴょん跳ねて遠くを見通そうとしているのはフィノシュトラ(
jb2752)だ。
「所々緑で先が見えないのだよー」
「まだ開けている方ではあるが……山奥ならではか」
バルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)も怜悧な美貌に稀有の色を滲ませる。ビルで視界を塞がれる市街地よりはマシだが、それでも先を見越して対応する時の妨げになりかねない。
「見るのは見れる連中に任せておくことだ」
ふと低い声が流れた。見やる先、悠然と歩くファーフナー(
jb7826)の表情は静か。
「目の前の敵を殺せ。どうせ、混戦になれば余計な事を考える暇も無い」
「将に率いられた軍勢か……下級サーバントなれど、侮れるものでは無かろうな……」
敵が来るであろう方角を見つめ、バルドゥルが呟いた。ファーフナーは目を細める。
(問題は、その将がどう連中を率いているか――か)
近くに居るのか。それとも別の方法でか。おそらくそこに、鍵がある。
「多対少の戦闘も、大規模戦闘も何度か経験しましたが……このタイプはあまり例がありませんね」
慎重に現場を確認して黒井 明斗(
jb0525)は呟いた。大軍をもって敵を攻める。それはむしろ、自分達が行う大規模ゲート戦に近い。
「ゲートの在る場所で、私達が防衛戦……まるで、いつもの逆ですね」
嫌な予感を覚えながら、傍らのファリス・メイヤー(
ja8033)も呟いた。
「ええ。ですが――ゲートがここにある以上、それを破壊するのが僕達の最終目標です」
今という時、此処という場所で常とは違う戦いを強いられようと。最終的に行うのは支配領域の完全解放――ゲート破壊。
「この世界に、ゲートは一つとして必要ないのですから」
風に流れる声を耳に、その後ろ、東城 夜刀彦(
ja6047)は目を眇めて周囲を見ていた。
(緑の多い所…)
人口密集地の多いゲートのなかで、孤立するかのように山地に在る北門。
「獅子公、人気のない場所を選んだんですね……」
道中にいた住民は、以前の脱出時に全員救出している。ゲート直下がどうなったのかは分からない。けれど思う。たぶん――誰もいないのだろう、と。
「そゆとこ、ちょこっと、誰かに似とるよな……」
北の地にあり、今は学園に居るとある大天使を思い出し、亀山 淳紅(
ja2261)は眼差しを遠くへと向けた。同じ大天使。もしかしたら、友人なのかもしれない。うん、と頷く夜刀彦の声は夜の風に似て静か。
「それでも敵として立つのは。騎士としての己を貫く為なんでしょうね」
騎士として捧げた誓いを全うする。けれど、そこに余計な犠牲は不要。騎士団が勝てば天使としての職務を。撃退士が勝てば、解放を。行動から透けて見えるのは、ただ二つに一つの選択肢。――己の心命を賭けて。
声を聞きながら、宇田川 千鶴(
ja1613)はそっと懐を押さえた。服越しに、そこにある光を感じながら。
(誰も死なせん…ゲートを人おらん所に作る意味…そうなんやろ?)
彼の行動は、誰かの姿を思い出させる。悲しい覚悟をしたもう一柱の大天使を。
「誰も死なせない…というのは理想論でしょうが、それを望む人が居るのなら、私はそれをサポートするのみです」
「……心読むんはどうかと思う」
「千鶴さんは分かりやすいですから」
にこにこ笑って頭を撫でる石田 神楽(
ja4485)に、千鶴は「……むぅ」と口を噤む。くすくす笑って、ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)がその肩をぽんと叩いた。
「応えようじゃないか。例え敵であっても、こちらに礼を尽くそうとする潔い騎士の思いに」
その眼差しは遥か先にいる大天使を思って、深い。
「何を背負っているんだろうねぇ……彼等は」
呟く声が僅かな風に流れた。
「自由の翼を捨て去って尚、護るべき者の為に敢えてゲートに座すのなら――それはきっと誰が何と言おうと、何よりも騎士らしい行動……真性の騎士なんだろうね」
敵ではあれども。
倒すべき相手ではあれども。
こんな状況下ですらも尚、こちらに何かしらの思い託し、聳える山の如くに立つ騎士。――その背に守るべきものを護るために。
けれど侵略される側にとって、やはりそれは排除しなくてはならないから。
「お義父様の儀娘が一人、軍人として役割を果たしに来たわぁ」
銀の髪を靡かせ、雨宮アカリ(
ja4010)は片手に狙撃銃を具現化させる。血がふつふつと沸くのが分かった。此処に義父が――ゴライアスがいる。まだ遠くとも。見られている。戦い様を。辿り着くその行程を。
「お互い、戦場に立つ者」
情では覆らない。感情は刃を曇らせない。騎士の覚悟を救えるとするならば、それは同等の覚悟と知る故に。
「誓うわよ、恥じる戦いはしないと。絶対に」
だから見ていて。私達を。心を託してくれた、貴方の義子達の姿を。
その隣、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は目を眇めるようにして彼方を見つめた。
(北門――貴方はこの先にいるのですか……?)
その道程は、未だ遥か。それでも――
(……私は来ましたよ)
此処に。
貴方の居るこの地に。
(そして直に、辿り着きますから)
敵襲来を告げる警笛が鳴り響く。
地を走るもの、空を駆けるもの。大小十八の影。
迎え討つ側の刃が煌めく。
戦いが始まった。
○
――最期まで、騎士で在る為に。
●
凄まじい勢いで猟犬が駆けこんできた。六体で形成される群れは三つ。しかも群れ毎に猟犬、啄木鳥、小鳥の混成で編成内容が違う。
「来た来た来た! 来おったで!」
ゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が片手を打ち振るった。漆黒のアウルが黒翼の如き羽ばたき、無数の刃を形成する。三日月の如く、黒羽根の如く。
「さて、前で頑張ってるん人もおるんや。こんなとこで躓くわけには行かんからなぁ。ハーフの力見せたるで!」
凄まじい早さでクレセントサイスの術式が形成される。同時に力を解き放ったのはナナシ(
jb3008)だ。
「数で囲われるのは拙いわね。潰させてもらうわ」
具現化する力は降りしきる薔薇の花びらに似た聖炎。神の子の復活に纏わる秘跡の再現の如くに。
―聖霊降臨(ペンテコステ)―
渦を描くようにその花弁を強風が運ぶ中、冴弥は異界より黒銀の竜を呼び出す。
「来たれ、天羽々斬(アメノハバキリ)」
どの竜よりも竜としての外観を有する者の名は、布都斯魂剣とも呼ばれる神代三剣の一振り。具現化したその体に冴弥の力が注ぎ込まれる。有り余る力。煌めくように召喚獣の体を巡る紅色のそれが、抑えきれぬ血の滾りのよう。
―滾る血刃(ビートクリムゾン)―
「雑種が…畜生の分際で図に乗るなっ!!」
最大巻き込みポイントに走り込み、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)は魔力を高める。赤き光珠がその周囲に具現化した。形成される魔術術式が虚空に円を描く。
―真・円卓の武威(フォース・オブ・キャメロット)―
戦場が光で彩られた。迫るサーバントの集団に放たれた範囲技が重なり、群れを次々に吹き飛ばしていく。
「ん〜っ、逃れた子が来るのだよ!」
「小賢しい……!」
フィノシュトラの報告にフィオナは低く吐き捨てる。半数以上を巻き込むも、三つの部隊に分かれた十八という数全てを捕捉するのは不可能。だが――
「無闇に突っ込む子はこうなのだよ!」
前方、フィノシュトラの手の向ける先に毒の霧が発生した。まともに突っ込む鳥の群れが嘴から血を零す。弱ったそこに千鶴と夜刀彦が走った。一瞬交わされる眼差し。双子のような動作で同時に技が放たれた。高い命中を誇る凝縮されし影の黒き雨――影手裏剣・烈。
波のような範囲技の連携に、ゴッソリと数を減らした第一陣。何人かが範囲技から別の技へと自身の動きを切り替えた。残る敵は猟犬と啄木鳥が一匹ずつ。
「さて。お天気良好。風そこそこ。寒さ心地よし」
銀嶺の煌めきに似た髪が無造作な動きに合わせて流れる。水枷ユウ(
ja0591)はルキフグスが記したとされるバナナオレの書を手に魔力を高めた。
(四国では冥魔派のわたし。なんといってもバナナオレで繋がった縁があるから)
縁とは繋ぐもの。無から有を生み出すように、線が円となり縁となるように。
(とゆことで)
「天使やっつけろー」
淡々とした声に反し、一瞬にして放たれた鋭くも短い氷刃が猟犬の頭部を一撃で貫いた。倒れるその体の向こう側から飛び込むのは啄木鳥。その体を後藤知也(
jb6379)の銃弾が迎え撃つ。
「おっと、そっちは通行止だぜ」
頭部に弾けた弾に啄木鳥の軌道が逸れる。直後、雫の刃が閃いた。
「第一陣撃破しました!」
「短期殲滅。なかなか幸先いいわね」
「――残念ながら、一瞬のようですよ」
アルベルトの声に神楽が応えた。全員の連絡網に通信が入る。
「前方より多数の敵影を確認。間隔短め。およそ五秒から十秒ごとに襲来と予測」
「切れ目が見えないわねぇ。こっからが本番よ。気合入れていくわよぅ!」
敵影捕捉に立つ狙撃手二人、神楽とアカリの声。
「右前方より接近! 混成三部隊!」
「……先程と同数、ですか」
「補充っていうか仕切りなしに近いわね!」
マキナに向かい、真正面からの突撃と同時、走り込み、横合いから突っ込む猟犬をファリスが盾で防ぐ。一撃で前の敵を葬り、踵を返すマキナの後ろから矢のように飛び込むのは白い鳥。
「……狙って来ますか」
「嫌な動きですね……」
ギリギリで回避し、背を合わせ死角を防ぐ。
「そこの一列、纏めて行くぜ!」
前衛に防がれ並んだ敵の横手に走り、ルビィが封砲を解き放った。一直線に駆け抜ける破壊の力に体の半ばを消し飛ばされ、上半身だけになった猟犬が大きく口を開ける。
「させぬよ」
その頭をバルドゥルの一撃が切り裂いた。遠吠えだったのか、咆哮だったのか、先の仕草では分からない。
(以前の遠吠えはわりと後のほうで行われた。――けど、連鎖だったと聞くねぇ)
ジーナは眼差しを細める。
(法則性があるのかしら。戦闘開始経過時刻? 集結数? それとも、倒れた同種の数?)
「ジーナ! 左!」
夜刀彦が声をあげた。ハッとなって見るジーナの側面に猟犬の刃。反応が間に合わない。その瞬間、闇を切り取ったかのような黒い影が走った。
「く……っ!」
鋭く穿つ衝撃をリョウ(
ja0563)の防壁陣が受け止め、弾き飛ばすようにして防ぎきる。
「ありがと!」
「大事ないか」
「おかげさんで!」
即座に回復を唱えるジーナと背合わせで死角を塞ぎ、リョウは低い声で呟いた。
「一つの強固な意志に統率された一軍、か」
戦って分かる。この、息もつかせぬ敵の動き。
「根を断てればいいのだろうが…まずは助けられる命を護り抜いてから、だな」
急ピッチで進む撃退庁の撤退。全ての搬送車がこの前線の地から出発するには約十分。完全戦域離脱には、車一つ毎に五分は要するだろう。
「東から二部隊来よるで! 猟犬三、鳥二、啄木鳥一と、猟犬五、鳥一!」
「早い……!」
ゼロの声にルビィが舌打ちした。
「遠吠えがくると津波になる。連中を真っ先に叩いて!」
「了解!」
明斗の声に知也が応える。口元に不敵な笑みを浮かべ、ゼロが走った。
「白い鳥は任せ! ヤツは天敵やからなぁ!」
「なら、次の猟犬は任せてもらいましょ! いくでぇ!」
す、と息を吸い込み、淳紅はその魔力を一気に高めた。零れるアウルの影響か、虹色の蛍火に似た光纏が円を描く五線譜と音符に変じる。小さく弾け、煌めき、編まれたそれが一瞬で紅蓮の劫火を出現させた。
「アンコールはいつでも受け付けるで!」
「速攻でアンコールしに来てる子がいるよ」
にん、と笑った淳紅に夜刀彦がチョイチョイと前衛の向こうを指す。ギリギリで範囲から逃れた犬が走り込むが見えた。
「アンコールには再演時間がいるよってな?」
「じゃあ時間稼ぐね」
淡く明滅する太刀が閃く。胴を切り裂かれた猟犬の喉をファーフナーの鋭い一撃が切り裂いた。
「猟犬討伐ですね!」
負傷者の度合いをチェックしながら直が握り拳を作る。時折ヒヤリとすることもあるが、今のところ順調だ。
「敵が目を逸らす、ってことはやっぱり下級だね」
星の輝きの効果を確認し、海は撤退班にチラと視線を向ける。身動きの取れない重体者を多くかかえ、あのスピードで撤退しているのなら、動きとしては上々。前線が崩れなければ、彼等が危険にさらされることも無いだろう。
「西から三部隊! 猟犬ばかりや! 気合入れぇ!」
「言われるまでもない!」
黒い群れにゼロが警告を放ち、フィオナが赤の外套を翻す。巨大な魔力を練り上げ、赤薔薇はひたと敵密集地を睨み据えた。
「通さない……あなた達は其処で朽ちなさい!」
無数の彗星が一瞬で猟犬の中心を吹き飛ばした。
○
命令は常に放たれる。
攻撃力高者を叩け。範囲麻痺で支援を。側面から狙え。頭上から急襲しろ。防御弱者を狙え。攻撃後の相手を背後から突け。視界を奪え。時間差で動け。連続して疲弊させよ。負傷者を狙え。囲って一斉に麻痺を放て。間を抜けろ。隙を突け。
一匹一匹。十や二十ではきかない全ての個体に、次々と別々の命令を送り続ける。その補助として展開するのは視界同調術式。
―天眼(アイ・オブ・プロヴィデンス)―
視界同調、認識クリア。移動力喪失。遠隔戦場統括完了。
ソールは伏していた目を開ける。奥義に等しいそれを解き放って。
発動――広域戦場個別単一命令連携。
―軍団急襲(レギオンレイド)―
●
「右手後方より新手! 十秒後に接敵! 混成部隊三つ!」
「負傷敵はこっちに任せ! 前衛は新手を!」
アカリの報告に敵を撃ちぬきながら千鶴が叫ぶ。戦場の敵を一掃出来なくなって何十秒が経ったのか。すでに時間の感覚は曖昧だ。
「息つく暇も無いとはこのことか……」
次々に襲い掛かる敵の波に、リョウは顔を顰める。負った傷は無数にある。一つ一つは深くない。だが積み重なったそれがじりじりとこちらを追い詰めてくる。
「さらに後ろに混成部隊二つ、左手後方に混成三つ、後ろに鳥部隊一つ、さらに啄木鳥のみ三つ、猟犬のみ三つ……これは拙いですね」
テレスコープでさらなる情報を集め、伝達する神楽の声に僅かな焦燥が滲む。ゲート攻略の一端である以上、目指す先に敵が集結しているのは分かっていた。だが、駆けつけてくる速度と数が異様に多いのはどうしたことか。
(フン……運命とやらは、皮肉な賽を振るらしい)
ファーフナーの口元が、ほんの微か、自嘲にも似た形に歪んだ。その手が翻り、飛びかかる猟犬を避けると同時に斧槍で喉元を切り裂く。
前衛で治癒にあたる明斗が叫んだ。
「範囲攻撃持ちの人は多頭群に備えて! ――来ます!」
声と同時、十八で形成せれる群れが襲い掛かった。
「天羽々斬!」
冴弥の鋭い声に呼応し、竜が銀の円刃を生み出した。注がれるアウルが高速回転を与える。
―荒れる銀閃(ブランディッシュシルバー)―
打ち出された銀円に正面一列の敵がその体を切り裂かれた。残った部位で駆ける猟犬達を射程に捕え、フィオナが再度【真・円卓の武威】を放つ。
「雑兵如きが、粋がるな!」
「中央開いた! 左右展開を押さえて!」
壁となって立った折に負ったであろうフィオナの腕の傷を癒し、ジーナは叫んだ。敵の足は速い。後ろの十二体と連携し、一瞬で左右に散って大きく広がろうとするのを中衛と後衛が遠隔攻撃で退ける。
「左側負傷度高いです。行ってきます!」
「右側に行くよ。回り込みの個体が増えてきた感じだから」
直と海が状況を見極めて左右に走る。前衛の回復手、ジーナ、ファリス、明斗が互いに距離を開けて回復が行き渡る様に配慮しているが、突発的なものまではフォローしきれない。まして敵の数はこちらの数倍、総数で考えれば数十倍になるのだ。
「攻撃手、左手側に構えて! 次が迫ってます!」
雫が叫び、次いで思わず息を呑んだ。
「横一列!?」
左手後方から駆けつけてきた三部隊、十八の敵が歪ながらほぼ横一列に展開したのだ。
「完全な一直線なら範囲内に取り込めるのに……!」
直線技を持つ一同が苦い表情になった。タイミングよく動いた敵に千鶴は目元を険しくした。
「おかしい。対応が的確すぎる」
僅かなタイムラグはあれども、こちらの戦場を見ずに行うにはあまりにも動きが綿密に過ぎる。
「どっかにおるん……?」
「こちらも同意見です」
通信越しに神楽の声が聞こえた。
敵指揮官の存在。脳裏を過るのは、かつて会った従士の言葉。
――父さんにはソールがつくわ
「『ソール』」
二人の口が同時に名を紡いだ。直情型の彼女とは似つかぬ絡め手を多用したサーバントの動き。
「……おるな」
「ええ。何処かに」
千鶴の鋭い眼差しが周囲を探る。だが天使の姿は無い。神楽のような長距離視野スキルを使っている可能性も考える――だが、誰かの眼差しを感じさせるようなものが戦場に無い。
(そんなはずない)
知っている。人間より長く生き、強い体を持っていたとしても、天使も万能では無いことを。己に出来る精一杯を超えて、必死になって動いていた大天使を知っているから。
(どっかに必ず『目』はある)
例え遥か先を見通す知略があったとしても、軍勢を上手く動かせる手腕を持っていたとしても、戦とは生き物だ。流れを読み機会を逃さず適宜動かさなくてはその最大効果は得られない。敵が指揮官タイプなら必ずここを見ている。かつてエルが、何らかの技でこちらの連携を見続けていたのと同様に!
「こっちに来ちゃ駄目よ。そこで沈んでいなさい」
最前列の鳥を撃ちぬいたアルベルトが冷たく告げる声が聞こえた。
「割り込みは禁止やでぇ!」
一瞬で猟犬の上を飛び越えてくる鳥の影に、ゼロの放つランカーが襲い掛かる。食い散らす勢いで振るわれた一撃に、抵抗する間も無く吹き飛ばされる。バックステップで元の位置に戻り、突出したところを襲おうとする牙から身を翻して鼻で嗤った。
「ハッ、わんころは大人しゅう尻尾巻いていんどけ!」
「出し惜しみしている場合ではありませんからね……」
踏み出し、呟く雫のアウルが奇妙な歪みを帯びた。武具を真紅の光が浸食していく。一瞬揺らいだアウルが魍魎の如き形を作り出した。
―神威(カムイ)―
本来は戦神を身に宿すかの如き神光を纏うもの。されど纏われしは邪神の如き禍々しい力。戦場に満ちたる死に呼応するが如くに。
「啄木鳥が来るよ!」
大気を叩く羽根音。十八という数。ただでさえ横列の部隊に戦域を広げられ、抜けようとする別の鳥の対応に走らされていた中だ。捉えきるのは不可能だった。
「啄木鳥が抜けた! 対応を!」
風を切って飛ぶその鳥の嘴が開かれた。広域に音の波が襲い掛かる。
「そんなの、私には通じないわ!」
眠りを誘う音の波を突っ切り、赤薔薇は巨大な魔力を解き放った。
「爆ぜなさい!」
一瞬で炸裂した巨大火球が敵のみを滅ぼす灼熱の輝きを放つ。文字通り消し炭に似た残骸と化して落ちる啄木鳥の群れを目隠しに、前線を突破した鳥が数羽。その小さな体が放つのは麻痺の囀りだ。
「歌なら負けんで!」
高い抵抗力をもってあっさりと凌ぎ、淳紅は天上にも届きかねないその歌声を戦場に響かせた。音の波に宿る魔力に負け、鳥が力を失って地に落ちる。
「ちょいと陣形が横広がりになり気味じゃねぇか?」
敵の動きに対応する為、横に開いた前衛に知也が嫌な予感を感じて告げた。その手の銃が、傷を負いながらも飛び越えて来た鳥に止めを刺す。
「味方の距離に気を付けて!」
告げると同時、ナナシは巨大な魔導銃を勢いよく振り上げる。遥か上を行こうとした鳥が撃ち抜かれた。
「無駄よ、そのラインから先に、貴方達の進む道など無いわ」
「陽動の可能性がある! あまり広がり過ぎるな!」
自己回復で負傷に対応しながらリョウも叫んだ。乱戦の様を呈する程に戦域が歪に拡大していく。明確なラインが共通認識としてないのだ。一時僅かに纏まりを見せても、動きで即ばらけてしまう。敵の動き方がいやらしい。こちらの心理をついてきている。
「生きた心地がしない戦場ですね」
切り裂き、剣を打ち払って血糊を飛ばして雫は再度身構えた。数秒毎に駆けつける敵。しかも部隊と部隊の隙間を縫うように移動力の違う敵が動く。
「この間より随分と統制されてやがる。指揮官はエルじゃ無い…よな?」
嫌な汗を感じながらルビィは呟く。エルの時、確かに統一はされていたがこれ程細かな動きはしなかった。まるで一匹一匹が自己判断して動いてるかのような錯覚すら覚える。
「下手な天使等より厄介ですね、どこまで持ち堪えられるか‥‥」
僅かに流れた汗を拭い、明斗は前線の様子を確認する。大丈夫。まだ崩れていない。
そこに猟犬部隊が突入した。
「いい気になるな! 雑種!」
フィオナが【真・円卓の武威】を放つ。都合三度目。放てる数は、あと一回。
「……」
ふ、と呼気一つ、マキナの体が僅かに沈んだ。一瞬の揺らめきにも似た動きを追うように黒いアウルが空を裂く。触れた猟犬が悲鳴をあげる間もなく絶命した。
「撤退状況は!?」
「半分は撤退しただろうね。けどこれは――」
リョウの声に海が応える。治癒を放ち、癒す傍らから襲い掛かる猟犬の牙。
「――思った以上に、堪える」
何歩進み、何歩下がっただろうか。
ただの雑魚戦ならここまでしんどいとは思わなかっただろう。それどころかずんずんと前線を押し上げていけただろう。だがそんな余裕がない。気を抜けば突破されるのはこちらの方だ。
(拙いな)
個々で気を付けようとも、全体を補助しきるのは不可能。崩れていないのは、敵との単純な個体能力差と、それにまして補助にまわる人々が広域を駆けずり回っているからだ。
「東城さん、回復もらって来! こっちは防いだる!」
「すみません。お願いします!」
腕を引き裂かれた後輩に千鶴が叫ぶ。素直に仲間の治癒を受けに後退する夜刀彦の無事な腕が動き、具現化した銃が隙間を抜けようとする鳥を射抜いた。
(手が足りん……)
足の痛みを押し殺して千鶴は駆ける。撤退を続ける後方を護る為、前衛の壁を抜けてきた敵に対応しているが、敵の想像を超える連携を前に半ば翻弄されかかっている。走り回る分晒される攻撃の数も増え、二人の負傷度は中衛で最も高い。だが回避力に優れる二人だからこそ、この程度の負傷で留まれているとも言えるだろう。
「少しでも前線を維持しないと…」
抜けようとする鳥に一撃を加え、雫は自身の負傷度を身を蝕む痛みで確認する。まだ大丈夫。今は――まだ。
「どっちが先かなー」
「?」
魔力を込めた一撃を放ってユウが小さく呟いた。知也の視線に、ユウは感情の見えない眼差しで言葉を続けた。
「押したり押されたり。敵が駆けつける早さも種類も数も不明だけど、こっちの技は無限じゃないしねー」
相手側の敵数だって無限では無いだろう。だが明らかに、尽きるのが早いのはこちらの技の手数。
誰が、どの技で何をどれだけ対応するのか。
誰が、範囲技の重複による無駄なオーバーキルを防ぐのか。
誰が、位置調整されていない前衛のラインを一定形態で確保するのか。
誰が、合間を埋めて補助に入るのか。
誰が、敵の攻撃を防いで相手の行動を妨げるのか。
誰が、傷ついた人をどのタイミングで癒すのか。
個人でどう対応するのか。全体でどう共有するのか。纏めるのか。動くのか。誰が。いつ。何を。どうやって。
さぁ、欠けているのは――どれだ。
「ギリギリで回ってる。うん、上手く回ってると思う。でもそれって、結局、運命の神様を相手にした綱渡りだよね」
恐るべき事に、拮抗しているのだ。これほど多彩な技を有し、強力な力を有する撃退士の集団と、たかだか下級サーバントの群れが。
だからこそ、分かる。
「隙を見せた方が負け」
恐らく、勝負の行方が決定づけられるのは――一瞬だ。
○
戦場をソールは見ていた。腰にさした双剣には手も触れず、ただ命令を放ち続ける。自身の肉眼では決して見えない遥か遠くを別視点で視認しながら。
(……)
命令する。命令する。命令する。命令する。絶え間なく余計な思念を挟まず、感情すらこそぎ落して。
主と同期のことを考えまいとするように。
命令する。ただ一つの念の元に。
――殺せ。
●
走り込む猟犬の足を血翼の大鎌で切り裂き、ゼロが身を翻す。その背を狙う啄木鳥をファーフナーの一撃が胸筋を抉るように貫いた。
「広がりすぎるな。――隙を生む」
「西側少し突出しています!」
ファーフナーの声に、ふと気づいたファリスが叫んだ。西に多くいるのは猟犬だ。
「仲間は呼ばせない。好き勝手はさせない!」
赤薔薇のファイヤーブレイクが炸裂した。範囲から免れた猟犬をマキナが葬り、ルビィの放った封砲が纏めて七体を吹き飛ばした。
「封砲もこれでラストだ」
「囲い込みに気を付けてー! 注意力下げに来ているのだよー!」
ふと変わった敵の動きにフィノシュトラが最後のポイズンミストを設置する。
「毒の霧も最後なのだよー……」
「範囲こっちも補うで! 今の内に準備しといて!」
「ありがとうなのだよ!」
淳紅の声にフィノシュトラは顔を輝かせた。
身に持つ技を放つ為に、身体において僅かに一呼吸分合間が必要なことがある。連戦時にはそれが足枷となり、隙となることもままあるのだ。
「放つ時、場所に気を付けて。相手も対応してきてるみたいだから」
前衛に治癒を放ちながら海が告げる。それは戦いが始まってしばらくしてから実感しはじめたこと。
「仲間同士で隙間開けて、範囲逃れしてきてるわね」
「おまけにこちらの隙を狙って来てるな」
ナナシの声にリョウが目を眇めて呟く。纏まっていてくれれば、範囲で大部分を掃討することも出来るのに。すでに敵の部隊はそれぞれ隙間を開けて完全に対応している。
「とにかく数を減らして!」
自身も傷の深い敵を撃ち貫きながらアルベルトは告げた。長射程を生かして的確に殲滅する神楽とアカリが前衛の討ちもらしを仕留めていく。
転じた視界に敵に囲まれる千鶴が見えた。ファリスがその体を庇いに入る。
「いけません…!」
神楽の支援射撃が後ろに回り込む啄木鳥を撃ち落とした。
「動きが変わった!?」
「回復手への攻撃が減りました。かわりに防御力で狙い変えてますね」
アルベルトの声に神楽が唇を噛む。
「手数を生かして不意打ち多用って……まるで俺達の動きみたいな……」
自身も囲まれた夜刀彦が凌ぎながら呻く。今までの戦闘データで把握したのか。背後から切り裂かれた背に血が滲む。
自身も死角外からの傷に僅かに驚きながら、ナナシは鋭く警告した。
「気を付けて! 個体別で狙いをつけてるのがいる!」
単体との戦いであれば、逆にこうまで押されはしなかったかもしれない。そのナナシに向かい鳥の群れが周囲を囲むようにして一斉に襲い掛かった。
「また……!」
攻撃なら避けれる。いざとなれば空蝉も。けれど――
ピィイイイ!
「痛ぅ……!」
一斉に全方向から放たれた広範囲麻痺に皮膚がひび割れたように赤くひび割れる。麻痺は退けれる。一羽の力は微細。だが重ねられたそれが皮膚を割き体力を削っていく。
「やってくれるわね……!」
「ナナシ殿!」
「こっちよりも前衛を!」
バルドゥルの声にナナシは叫んだ。群れによる連携攻撃を凌ぐ前衛の元にも鳥達が押し寄せている。
(敵味方が入り乱れて、範囲治癒が出来ない!)
ジーナは顔を顰めた。傷の深い者へのヒールに切り替えるも、このままではジリ貧だ。
「ヒール、祝福切れたわ。治癒術残りわずかです」
「ライトヒール切れました。ヒールも残り僅か。祝福に切り替えます!」
ファリスと直が状況を報告し合う。明斗は思わず目を見開いた。
「同時二回復術潰しに来てるわけですか……」
「……念入りだね」
海が顔を顰める。
中衛後衛を狙うのは、硬い前衛よりも落としやすいから、だけでは無い。負傷度が高ければ回復手の治癒はそちらにかかりきりになる。治癒回数が増えれば技は切れる。技は無限では無い。『把握された』のだ。自分達の出来る事と、出来ない事を。
「頭上を抜かれるのは不味い。――撃ち落す…!」
邪魔な鳥を落とし、ルビィは眉間に皺を寄せた。
「数で押す……これじゃ、どちらがどちらだか……!」
大規模な戦いの末に高位種を倒し、大地と人々の解放をしてきた自分達。これはまるで合わせ鏡だ。自分達がやってきたことを、今まさに、相手にされている。
「持久戦ですか……この戦い方は、あの方ではありませんね」
マキナは小さな呟きを零す。
だが、正攻法であり、堅実な方法でもある。大軍を動かすとは、そもそも数だけ放つということではない。少なくとも「騎士団」の旗下にあるならば、この程度は想定内。
「とはいえ、喰らいすぎたのも事実……」
手強いと見れば、僅かなタイムラグを経てサーバントは動きを変えた。意識を分散させるかのように周囲を覆っての阻害技実行、直後に行われる比較的高い攻撃力の者の襲撃は、可能な限り側面や背面、もしくは頭上から。
操る黒焔で側面の敵を葬り、マキナは足を踏み出した。
ざわりと周囲の空気が色を変える。体から滲むのは力の欠片。師より賜った「魂の渇望を『力』に変える秘術」――その先にあるもの。
―飢餓天狼(マーナガルム)―
迫る牙に身を翻すと同時、餓えし狼の咢にも似た鋭さで貪欲なる一撃が猟犬の腹に叩きこまれた。未来への祈りにも似た願いを内包するその力は敵の魂を貪り、己の力へと変えるもの。繰り出された力のうちの僅かな欠片でしかないが、それでもその力は深い傷をかすかに癒す。
(……何処だ)
その脇をファーフナーは駆ける。鋭く視線を走らせた。
(何処に居る)
サーバントのみで状況判断できるものだろうか。上級ならともかく、下級の知能は犬猫並だ。ならばこれ程の連携――敵指揮官の監視、何らかの連絡手段があるはず。
(何かあるはずだ)
サーバントに共通する動き。もしくは他と異なる動き。
――その先に、天使の目が在る。
「破られたら、相手の物量で潰される。ここが正念場ですね」
鋭く周囲を見やり、雫は足に力を込めた。武器に高められたアウルが篭る。
―地すり残月―
放たれた力が大地を這う三日月のような軌道を描く。その後、僅かに下がるのは突出しない為と、回復をもらう為。
「率いる将が違うだけでこれ程までになるとは……」
その体に治癒を放ちながらファリスは唇を噛んだ。
「天使ソール。単純命令の組み合わせだけでここまでやりますか…」
背をつたう嫌な汗がひかない。
ファリスの見てる先、前衛を抜けた一頭の猟犬が背を反らす。気付いた者が銃を向けた。だが間に合わない!
ウォーオオー
「『遠吠え』発生なのだよー!」
フィノシュトラの警告が戦場に響く。恐れていたものが来た。ユウは鋭く目を細める。方角は――どちら。
「南西方向! 来るわ!!」
「南からもです!」
アカリと神楽が声を上げた。
「二方向……わりと、広範囲」
ユウが足を踏み出す。後ろに負傷者のいる公民館。そこから南西、または南――どちらが多いか。
「南からが多い! 数十三や!」
「おーけい」
ゼロの報告に眉間の小さな皺を消し、ユウは無造作に手を払った。
―禍夢風(マガノユメカゼ)―
瞬時にルート上に深き夢の風檻が形成される。氷葬の細剣を手にユウはその後ろに仁王立ちする。
「他の来襲部隊と合わさったわ!」
先頭に向け銃撃しながら叫ぶアルベルトの声に戦場がざわめいた。
「大暴れは望むところや!」
寧ろ戦意を滾らせてゼロがその背に翼を生み出す。
「成程、これか……撃退庁部隊を全滅させた大波……!」
身構え、ルビィが力を溜めた。来るなら来い。身構え、フィノシュトラもまた前を睨み据える。
「皆を守らなきゃいけないから、ここは負けられないのだよ!」
「兆候は!?」
バルドゥルの声にジーナは告げた。
「討伐数百十一、経過時間九分二十五、戦場内戦闘状態同一種十三体、およびエリア視認同一種三十体!」
報告に神楽が呟いた。
「同一戦場内の数です。おそらく戦闘状態に入った猟犬が十二体を超え、なおかつ周囲に未戦闘同一種が三十を超えた時点で発生。連鎖になるかどうかは、まだ分かりませんが」
かつてその脅威に晒されたことのある神楽の声に、ジーナは成程と薄く笑った。
「最初に命令入れておけば条件達成で発動だ。下級サーバントを操るにはもってこいだねぇ」
「最初から遠吠えを使わせない理由は分かりませんが……」
雫の声にジーナは軽く肩を竦めた。いつもと同じく余裕めいた表情をしているが、その瞳には焦燥がある。
「トドメだろうねぇ。多数にかかりきりになった所に大波だ。――防ぎきるのは、難しかったろうね」
「大波に構えて!」
「ここは護り通してみせますっ!」
戦場に声が響き渡った。今も戦場を圧する群れと戦いながら、さらなる波に一同が構える。そんな中、飛翔の翼を広げ、空に上る者達がいた。猟犬の攻撃は彼等に届かない。その上空から攻撃を放つのだ。
だが――
「いけない! 穴を通る!!」
前線に穴が空いた。時間にして僅か数秒。大波が来るまでの僅か一瞬の隙間。だがここには、他にも敵がいる!
悲鳴に似た声があがった。
「穴を塞いで!」
隙を逃さず、前衛付近にいた敵が波と化して走った。
○
一瞬のミスが致命的になる。戦場とは常にそういうもの。見つめるべきは全戦場の先の未来。殺意高い戦場ならなおの事。
好機。
同時に別戦場の正式報告が入る。
ノイズ。
なんてタイミングで。激しい喪失感と安堵。僅かな乱れ。戦場にあってあるべきではない感情。
けれどそれは生まれてしまった。
戦場に二つの隙が同時に生まれた。
●
「行かせない!」
最も近くにいたファリスが走った。阻まなければ。一瞬の隙を見逃さず走る敵達。負傷しているものが大半であっても、この群れでは抜けが出る。それは負傷者のトラックを襲うだろう。待ち受けているのは死だ。
(手よ、動け)
その手に握るのは剣の紋章の入った盾。
(足よ、動け)
死地に向かい駆けるのは血に塗れた足。
(心よ、怯むな!)
群れの真っ只中に細い体が飛び込んだ。痛みが走った。勢いに吹き飛ばされそうになる。濁流の中の一点。奔流に抗う一つの堰。
「援護を!」
ナナシが叫びと共にその強大な力を放った。回り込み後ろから襲おうとした猟犬が吹き飛ばされる。
「――!!」
声なき声と共に放たれた赤薔薇のファイアーブレイクがその真っ只中で炸裂した。ファリスを護り一瞬で周囲を殲滅する力。だが波が止まらない。開いたその場にも次々になだれ込む!
「!」
右目に灼熱の痛みが走った。
「ファリス!」
ジーナが悲鳴をあげる。死角外から飛び込んできた猟犬は、その鋭い爪でファリスの右顔を――その右目を切り裂いたのだ。
「さがって!」
「駄目……今は!」
攻撃盾を手に前に立ち、後退支援に立ったジーナにファリスは強く首を横に振った。ぐらついた足で大地を踏みしる。
突破された壁。
多数の猟犬と、今も尚健在な啄木鳥と鳥。今離れれば、穴となったこの場所に敵がなだれ込む。
――それだけは、絶対に防がなくてはならない。
(守ると誓ったのよ)
脳裏にある一つの光景。剣の一族たる実家。武技を誇り、武力を尊ぶその一族の中で、剣の力を持たずして生まれた自分。剣の一族の中の盾の子。
(攻撃するだけが、戦いじゃない)
敵を葬る力もない子と、見下されたこともある。
(敵を倒すだけが、戦いじゃない!)
誰かを、何かを守るということは、何かを、誰かを倒すということだけではない。武力を否定することはしない。それだって力だとわかっている。けれど、『倒す力』だけが『力』じゃない!
(誰にも言わせない……『守り』の力が不要だなんて!)
言われ続けてきた。罵られ続けてきた。あの幼き日に誓ったのだ。この手で守れる誰かがいるのなら、必ず守りきってみせると!
「一つたりとも渡さない! 私達の背に在る人達は!」
ファリスの声に、アカリは小さく頷いた。
(そう――退けない)
後ろで苦しんでる人達の痛みが分かった今、ここで引くは軍人の名折れ。
義父よ。ゴライアスよ。貴方が其処で騎士として立つのなら、尚更に!
「魅せてあげるわ! 私達の底力ってやつをね!」
「絶対後ろに通さないで護りきるのだよ!」
血を流しすぎ、崩れそうな足を踏ん張って、フィノシュトラもまた立ちはだかる。並び立ち、直は盾を手に立ち塞がった。
「ここで退く訳にはいきません。伸ばした手を届かせるためにも…!」
「大波が来るぞ!」
そこへ波の本隊が走った。
「くそ……! させねぇ!」
その波に備えていたゼロが先頭の頭を打ちぬく。もんどりうって倒れる体を新手が跳躍して乗り越えた。だがその群れにファーフナーの砂嵐が襲い掛かる。
痛みは無い。巻き込まれた味方は最初から抵抗力が高い。逆に猟犬の群れの大半がその勢いを減じた。認識障害だ。
「ふん…その数と殺気…わからいでか!」
砂塵の中をフィオナの【真・円卓の武威】が炸裂した。密集地を穿つ力に地面に積もりかけた砂が吹き飛ぶ。
同時にコメットを放つのは明斗だ。その目に宿るのは激しい怒り。
「これ以上、こちら側を掻き混ぜるのはよしていただきましょうか」
その時、ファーフナーの目がある一点に注がれた。
「其処か」
一撃と共に放たれた呟きは静か。
「攻撃への参加が乏しい個体を潰せ。そいつが敵の『目』だ」
「成程」
即座に神楽の銃弾が放たれた。ファーフナーが啄木鳥を殺した瞬間、攻撃の手が緩んだ別の鳥を撃ちぬく。僅かに何らかの圧が消えた気がした。
「遠隔持ちは戦場全域を探って! 敵の目が潰れて連携が緩むなら好機よ!」
走り込む猟犬の体が吹き飛んだ。滴る血を拭い、ナナシは慧と光る眼で見据える。
「負傷者最終組出発しました!」
最後の回復を放った直が叫ぶ。アスヴァン部隊がこちらに走って来るのが見えた。
「よっしゃ! 巻き返しやで!」
叫んでから淳紅は顔を顰めた。体を張って敵を防いだ為に、脇腹に深い傷が出来ているのだ。その姿に誘われたように後ろ脚を失った猟犬が走る。
「なめたらあかんで!」
身構えた瞬間、猟犬が吹き飛んだ。
「やと君!」
「じゅんちゃん、あっちお願い!」
「任せ!」
走り込み、迅雷で切り裂いて離れる夜刀彦の後ろ、怒涛のように駆け込むのは猟犬の群れ。無茶ぶりかもしれない。けれど、そこにあるのは信頼だ。
「狼の遠吠えも、鳥の鳴き声もかき消す程の、盛大な歌を唄いましょっ!」
淳紅の声が響いた。
抜かせるわけにはいかない。最後の人々が出たばかり。この後ろには守るべき人々がいる。
息を吸う。体に力が満ちる。熱は奥に。声を放つのは喉では無い。体全てが楽人の器。天と地の狭間に在りし音の守人の――
「どうぞ一言一句一音一律、お聴き逃さぬよう、ご注意を!」
まるで兎のように跳躍した足にも五線譜。その体が中空で一瞬制止する。瞬時に展開したのは一瞬の幻影の如きオーケストラ。
―‘Cantata’(カンタータ)―
凄まじい音の雨が降り注いだ。一瞬で広範囲を圧した力に次々に猟犬が倒れていく。だが、数があまりにも多い!
「全部捉えきれん…っと!」
幻影消失と共に落下する体に向かい猟犬が鋭い牙を剥く。だが走り込んだバルドゥルの盾がその牙を弾いた。
「ありがと!」
「任されよ!」
痛みのせいで受け身のとれない体もついでに抱き留められる。即座に降ろして淳紅の背を背中で支え、バルドゥルは防御に徹する。その横腹へと走り込む猟犬の頭がアカリの弾丸に吹き飛ばされた。
「守り抜きます……!」
フェンリルを召喚し、冴弥はその力を振り絞る。
血に染まった大地に新たな血が沁み込んでいく。無傷な者は一人としていない。生命の危機すら傍らに在る。此処はまさに死地だ。
だからこそ、更に前へと踏み出す。召喚獣と共に。
――前へ。
ジーナに支えられながらファリスが足を踏み出す。
――前へ。
彗星を振らせながら明斗が進む。
――前へ。
マキナが、リョウが、ルビィが、雫が、フィオナが、ゼロが、ファーフナーが、続くようにその足を進めた。
――前へ。
警戒しながら千鶴が、支え合いながら淳紅と夜刀彦が、その力で切り開きながら赤薔薇が、庇い合いながらアカリとフィノシュトラが、治癒から攻撃に転じながらバルドゥルと直が。
――前へ。
足をひこずるようにしてユウが、全身から血を流すナナシと知也が。その姿を高所から支えながら神楽とアルベルトが。
――前へ。
思想などいらない。感情などあとからついてくればいい。全ての未来は進む先にこそある。
例えそこに至る全ての道が己の血に染まろうとも。
――前へ。
○
風に血の匂いが混じった気がした。
「払い損なったようだね」
彼方を見つめ、ソールは小さく呟く。同調していた視界を解除。直前に見えたのは血塗れの二十五人の後ろから駆けつける学園の大部隊だ。
失態だった。
僅か一瞬。たったそれだけの隙。
他戦場の結果が及ぼした効果。だが本当の脅威は、そこではない。
(彼等は隙を見逃さなかった)
貪欲に。我武者羅に。一瞬の閃きにも似た刹那の勝機を逃さなかった。隙などいつでも取り返せるはずだったのに――それが出来なかったのだ。
(ここに踏み込まれはしなかったが、私の負けだね)
我が身を省みず立ちはだかった。隙を補い続けた。戦場を支え続けた。そして走り続けた。
例え辿り着かずとも――全て守りきり、生き延び、前進した。
――彼等の勝ちだ。
(撃退士、か)
あの錬度と動き。――やはり脅威。
(シス)
同期を思う。
(これは貸しだよ)
(だから君は、生きて帰れ)
●
戦場は移動する。
夥しい重体者を出しながらも打ち立てられたそこが、北の最前線。
全ての情報が回され、築かれる前線簡易基地に派遣されるのは、学園と撃退庁からなる混成部隊。最小単位は百。
――大規模戦闘が始まろうとしていた。