四国。高知。
ゲート中心部を濃く覆う霧は、騎士団の妨害魔術。遙かな先を見据え、宇田川 千鶴(
ja1613)は眉間に皺を寄せる。
「また、四国でゲート…」
此方と彼方を隔てる結界の境目。畢竟、それは世界の境界線に他ならない。
「騎士団も動き出し、悪魔もまた動き出した…年の瀬だというのに忙しい事です」
千鶴の頭をポンと撫で、石田 神楽(
ja4485)は隣に立つ。人々の『明日』を奪い、侵略の礎は彼方に聳え立つ。その鋭い爪で世界の一部を抉り取って。
その背後、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は見つめていた黄金の羽根をそっと懐に仕舞った。
(…此処で彼女に導きを求めるなど、全く皮肉だとは解ってはますが)
大切な命を託して逝った金色の大天使。彼女なら、今の状況を知ればどんな風に思うだろうか。どんな風に言葉をくれただろうか。
(――あぁ、でも――)
その彼女を母と慕っていた真皓き大天使を思い出し、仕舞った懐に手を添える。
(何時かは彼に、この羽根を渡してあげないといけませんね)
出来るなら、直接。そう、会えるならば。是非にとも。
頬を撫でる風が冷たい。暦の上ではすでに冬。日差しは熱量を減らし、太陽は遠い。
(四国来すぎて四国マスターになりそうな私ですが皆様如何お過しでしょうか)
遙か遠くを見据えつつ、真面目な表情の下、フレイヤ(
ja0715)は脳内で何処かの誰かへと伝信していた。
(私は帰りたいです)
早いよ。
(…ホント、ゴっさんのバカちんめ)
コツ、と蹴りつけた地面は硬く、乾いた音だけを響かせる。
「――チッ。ジャミングさえ無けりゃ、腕の見せ所だってのによ…」
僅かに漂う寂寥感を振り払うように、小田切ルビィ(
ja0841)は盛大にため息をついた。奇妙な薄霧は今も漂っている。デジカメの撮影を阻むのもこれだ。周囲の視認や行軍には支障なさそうだが、それにしても邪魔くさい。
「電子機器の撮影は難しかったですが、原始的な方式なら」
「! 使い捨てカメラか。いけそうか?」
小さなそれを見せる黒井 明斗(
jb0525)に、ルビィは感心した声をあげる。多少なりとも改善が見込めるなら、重畳だ。
カメラを二人が覗き込んだ時、ズイ、と肉の厚みが他の三倍ぐらいありそうな男が進み出た。
「ほう、枝門であるか」
褐色の肌に、筋肉充填しすぎて飛ぶのが下手になったと言われる程のマッスルボディ。冬に向かう季節だというのに、なにやら夏を引き戻しそうな熱のある男だ。
「あまり手を出さぬことにしておる我であるが、これほどの状況とあらば仕方あるまい」
ぬぅぅん、と滑らかかつ緩やかな動きで、ギメ=ルサー=ダイ(
jb2663)はその肉肉しい体を使って肉体言語を形成する。
「この我が手を貸そうぞ!」
その体の厚みを強調するそのポーズこそ、サイドチェスト! ニッと引き上げられた唇から眩い白い歯がキラリと輝く。まさかこんな所で完璧なボディビルポージングを拝見することになるとは思わなかったが、むしろ衝撃はそのジョブだ。
「貴公等の怪我は我が治そう。任されよ!」
回復専門員だった。
「筋肉に圧倒される、だと!?」
丁度後ろにいた若杉 英斗(
ja4230)が三歩よろめく。だがしかし負けはしない! あちらが肉の熱を燃やすなら、こちらは魂の熱を燃やすのみ!
「枝門とそこを守る天使の調査か。ようし、はりきっていくぜ!」
その腕に具現化するのは白銀の円盾。その手部側、天を衝くように伸びるのは鋭い剣だ。
(誰も倒れさせないぞ)
どれほどの距離を踏破するのか、そこにどれだけの敵がいるのか。未知の場所を進む時、最後に持久力がものをいうことがある。
(仲間は俺が守る!)
気炎をあげる英斗の隣、フィノシュトラ(
jb2752)はぐっと握り拳で決意を新たにする。
「枝門偵察、頑張るのだよ! あと情報も何か調べられるといいね!」
「強大なる牙城とはいえ、崩せぬ道理も無いであろうからな!」
深々と頷くギメの向こう側、ファーフナー(
jb7826)は冷徹な眼差しを前方の結界へと向け続ける。
「……」
天の事情も人の事情も、起きた事象の前には些細な事だ。行われたものの結果が全て。――例えそこに、悲哀や何らかの決意があろうとも。
「仕事だ。……行くぞ」
ただ、やるべき事を遂行するのみ。
歩き出すファーフナーに続いて、一同は戦場へと足を踏み入れる。入った瞬間、僅かな違和を感じるのは、そこが半ば人の世界から切り離されたものだからか。
遙か向こう、霧で覆われた中心を見据えて明斗は拳を握った。
(どれだけ強かろうと、僕らの力が足りなかろうと、必ず取り戻す)
例え、遙か高みにある存在であろうとも。
●
風が鳴った。見えたと思った瞬間には鳥の嘴が眼前に迫っている。
「なんとぉ!」
「ほぁああ!?」
ブリッジで避けたギメの腹の上、二秒後に跳び箱の要領で飛んで逃げるのはフレイヤだ。翻った金髪の一部が、犬の爪に切り取られて宙を舞う。
「ちょ!?これで何組目ってゆかうおあぶあぶっ」
逃げた先、弾丸のように飛んでくる鳥にフレイヤは慌てた。ヤバイと思った瞬間、ザッと横合いから走り込んだ英斗の盾が攻撃を防ぐ。
「ばやっさんナイス!」
「そちら、無事ですか!?」
「なんとか!」
神楽を狙う犬の攻撃を防ぎ、鋭く問う明斗の声に英斗が答える。黒塵を放ち、ルビィを狙う駝鳥の攻撃軌道を逸らせて神楽は眉を顰めた。
「三組目から質が変わりました。これは、ひょっとするとひょっとしますか」
「ああ。どーもこっちの動きに対応してきたって感じだな、っと!」
鋭く跳ね上げるようにして鳥を斬り落とし、ルビィはニッと笑む。背を合わせ、ファーフナーは低く呟いた。
「どこかで見ているな」
千鶴が顔を顰めた。
「大本か。……けど、サーバントって、こんな連携するんやっけ?」
「下級サーバントに行えるのは単純な命令程度でしたが」
後ろに回ろうとする駝鳥の脚部を鋭く穿ち、マキナは思案げに呟く。フィノシュトラが形の良い眉をハの字に落とした。
「指揮能力者かもしれないねー?でも近くに人影は無いのだよー?」
背を護ってもらいながら、神楽はイカレスバレット鳥を撃ち落とす。
(一波、二波まではまだ『探り』の段階だった、ということですか)
思い出す。それはほんの僅か数分前のことだ。
南へと向かう途中、最初に襲ってきたのは白い駝鳥だった。
「白き駝鳥が来やるぞ皆の衆!」
「来たな!」
ギメの声に盾を構え、英斗はその蹴撃を受け止める。衝撃が腕を伝い、足が僅かに沈んだ。
「くっ…わりと、重い!?」
痺れるような痛み。厚い防御越しでも痣は免れないだろう。
「皆! 脚に注意を!」
「若杉さん、横!」
警告と同時、明斗の鋭い声が飛んだ。繰り出された襲撃に英斗は咄嗟に身を捻る。間に合うか、否か。
「燃えろ、俺のアウル!!」
高められたアウルが爆発的な力を英斗に与える。剣盾が白銀の輝きを纏い、その刃が煌めく。
「くらえ、セイクリッドインパクト!」
鋭く突き出された刃が駝鳥の肉を穿った。悲鳴をあげて退く体を追って銀風が英斗の横を駆ける。
(試させてもらいましょう)
無言で放たれたマキナの一撃が駝鳥の腹に決まった。肘まで肉に潜り込む一撃。
「そこそこの防御、ですね」
抜き、打ち払うことで血を飛ばす。ドゥ、と倒れた駝鳥の後ろから、死角を突くようにして新手が飛び出した。
「抜けれると思うたか!」
刹那、横合いから千鶴の強烈な迅雷が叩き込まれた。反動を利用し、軽く宙を舞うようにして後ろに飛び退る千鶴の後ろ、神楽が必中の弾丸を放ち、ファーフナーが体勢を崩した駝鳥の足を叩き斬る。
「五体一組、ですか」
「……厄介だな」
二人の呟きに、後ろに回ろうとする駝鳥に鋭く切りかかったルビィが舌打ちをした。
「こいつら、最初っから後ろの連中狙ってやがる!」
「させないんだよー!」
フィノシュトラの手の中、銀髪の少女人形が淡く光った。瞬時に放たれた水弾が駝鳥の足を抉る。
「まずは足を止めないと、ですね」
襲撃の途中で足留めされ、纏まった三体に向かって明斗はコメットを放つ。一斉に落ちた綺羅に穿たれ、のたうつ駝鳥の足は鈍い。
「どうやら、抵抗値は高くないようですね」
「フフン、トドメてやんよ!」
右手で高くボロ竹箒を掲げ、フレイヤは左手を敵へと突きつける。一直線に放たれたブラストレイの炎線が、のたうつ二体と後ろの一体を纏めて焼いた。
(範囲攻撃で少しでも早く敵を倒して味方の被害が増えない様にしたいのだわ)
「ふふっ、フレイヤ様の慈悲に咽び泣くがいいのだわ!」
(一人になるのは嫌ですしおすし!)
見事なツンデレっぷりに、頭の上ででっぷりした黒猫の幻影がシシシ笑い。
「あと二体……フレイヤさん等は中に。狙って来てるんやったら、後ろに回りこんで来るやろし」
「了解!」
千鶴の声にフレイヤとフィノシュトラ、神楽が纏まり、周囲を一同が固める。
「ふむ……空は飛んでおいた方が良かった、か?」
索敵しているギメが渋い声をあげた。
「打ち落とす系の敵がいるかもしれないのだよー?」
「ふむ。そも、我は空を飛ぶことは得意とは言えん。控えたほうがよかろうな。――だが」
ギメの筋肉質な腕が伸び、その指が進行方向を指した。
「すでに新手が着ておるな」
短くも激しい攻防戦の始まりだった。
○
遠く、立ち並ぶ家屋の上。衝動を押し殺して少女は独り言ちた。
「しぶとい…ソールに情報もらってて正解だったわね」
共有化された交戦データを元に構築された戦術。だが、実践ではやはり多少の微調整も必要のようだ。
少女は駝鳥の頭に手を乗せ、告げる。
「死角外狙いで、防御力弱者優先連撃。行け」
次に視線を向けるのは鳥。
「範囲ぎりぎりで阻害魔法使用。当てて退くを繰り返せ。行け」
●
鳥が嘴を開くのが見えた。
「麻痺が来るよー!」
フィノシュトラの警告に身構える隙もあらばこそ、大気の震えと同時に体に痺れが走った。
「厄介だな」
「くそっ、一匹逃してたぜ!」
前情報を元に鳥を最優先で落としていたのは、麻痺があるだろうと予測していたからだ。だが襲い来る他の敵は、いずれも攻撃力や機動力がそれぞれ高い。最優先で落としてはいても、攻撃と後退で距離をとられれば対応力も僅かに下がる。無理に最大敵数を捕捉しないやり方も、ある意味賢いといえるだろう。サーバントのくせに。
(上位種の指示ですか。戦術タイプですね)
明斗に痺れを解除してもらい、神楽は即座に【黒業】を解き放つ。肉塊と化した鳥が落ちるのを確認して周囲を素早く見やった。肩部排出口から零れる黒無尽光の残滓が、動きにあわせ蒸気のように揺らぐ。
「邪魔や!」
裂帛の気合と共に千鶴の影手裏剣・烈が負傷度の高い敵を中心に炸裂した。マキナとファーフナーが無言で突撃し、刈り取るように負傷敵の首を斬り飛ばす。死角外から来る駝鳥の首をルビィが切り落とし、ギメが傷ついたルビィにライトヒールを放った。
「これで終らせるのだわ!」
巨大な火球が爆ぜた。放ったフレイヤの顔を赤々と照らし、弱まった個体を纏めて滅ぼす。
「少し途切れましたね」
「皆、可能なら集まって!」
マキナの声に頷き、陣形を整えた中で明斗が最後の癒しの風を放つ。これでラスト。治癒術は、あといくつ残っているのか。
「ああ――見えましたね」
ふと神楽が呟いた。その遙かな視線の先、同じ方角を見やって千鶴は目を眇める。
「あれが……枝門ゲート」
それと分かる印は地面側。外周を司ると思しき光。そして北だろう方角に向けて一直線に伸びる光線。――地を這うような霧で僅かに隠されているもの。
「てことは、あの光が交わる場所に、コアへの入口がありそうだな!」
「まだちょっと霧が覆ってるみたいだねー?」
ルビィの声に、フィノシュトラは眉を垂れさせながら言った。
「濃度が場所によって随分違うな」
英斗が呟いた。おそらく、どこかの部隊が阻害系術式を破るか何かしたのだろう。
「他班もなかなかのものである」
「さすがに門に近づくほど敵層は厚そうですね。ところでそのポーズは何です?」
「サイドトライセップスである」
キラーン、と白い歯を光らせるギメに、そうですか、と明斗はしみじみ頷く。
「――中心部は、まだのようですね」
遙か北を見やり、マキナは呟いた。全ての中心、主門がある方角は未だに濃い霧に覆われている。
(あそこに――)
居るのだろうか。それとも枝門に?
「線から予測するに、最南端だわ」
地図と照らし合わせ、フレイヤはルビィを見た。ルビィがニッと笑う。
「どうやら、予測通りのようだぜ」
「これまでの道と敵は纏めたけど、問題はこれから先やね……」
足を止めたせいか、それとも別の要因か。得た情報の全てを手早く記して、千鶴は思案気に枝門側を見据えた。
「頼まれていた確認は出来たのだよ。でも、欲を言えばもうちょっと情報も欲しいのだよ?」
フィノシュトラが全員の心情を代弁する。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず――ってな?」
「同意です」
ルビィの声に頷き、カメラを収めて足を踏み出そうとした明斗の視界を何かが掠める。
「新手である!」
「何体目よ!?」
ギメとフレイヤの声に、ファーフナーが静かに答えた。
「三十一体目……七部隊目、か」
「近づく前に撃破するぜ!」
「……異論は無い」
武器を持ち替えたルビィとファーフナーがそれぞれアウルの弾丸を放った。今までの経験から、鳥型はとにかく麻痺領域に捉えられる前に打ち落とすのがいいと知っている。
「最後のコメットです!」
「地上からもいくよいっ」
「合わせていく。落ちや!」
明斗のコメットとフレイヤのアーススピア、千鶴の烈が集団を捕らえた。叩きつけられ、吹き飛ばされ、穿たれた鳥のうち二羽が落ちる。集中攻撃からなんとか這い出た二羽に、容赦のない一撃が加えられた。
「銃は得手ではありませんが」
散弾銃を放ったマキナに合わせ、フィノシュトラは人形の魔力を高め、放つ。と、当たる前に突っ込んできていた鳥が突然僅かに血を吐いた。
「毒霧の場所に入っちゃってたんだねー」
先に設置した陣に、そうと知らず突っ込んだのだ。
「次の新手は――」
「――いえ」
鋭く見やる英斗に、いつの間にか近くまで来ていた神楽が止めた。
「石田さん?」
「流石に、易々と近づかせてはくれないようだな」
無言で前を睨み据える神楽のかわりに、ファーフナーが静かに呟いた。
冷徹な眼差しが空を見据える。
「赤の天使、か」
上空。紅蓮の色を纏う少女がそこに居た。
●
「そっちから見つけるとはね」
忌々しげな声は若かった。人間の年齢で言えば十三、十四か。髪だけでなく、翼も深紅な天使だった。髪カチューシャの横にある小さなカミツレの花が、年頃らしい精一杯のお洒落なのだろう。
「私も『眼』は良い方でしてね?」
神楽の言葉に、少女の眉がピクリと動いた。成程、と唇が動く。
「貴方がこの枝門の守護者ですか」
登場と同時、ジッと少女を見上げていた英斗が問いかけた。緑の瞳が真っ直ぐに英斗に向く。
ぽわんぽわん。
(かわいい…美術室に肖像画、はよ)
おっと心の声が漏れかけたようで失礼。
「……そうよ」
英斗を見つめたまま、少女は静かな声で答えた。どこか感情を抑え込んだような声だ。一同は素早く目配せしあう。
(感じた視線は、彼女のもののようですね)
(偵察と、守護か。厄介やな)
目を細める神楽の横、千鶴は油断なく周囲に視線を走らせた。
(さっきの戦闘でこっちの手の内はみられた。なにより消耗してる。ここは退くべきか)
英斗の眼差しは少女に据えられたままだ。
(みすみす情報源を放置する必要もあるまい)
ファーフナーの思考は眼差し共々冷徹に。戦況を見据えて細められる。
ふと、少女の手に斧槍が出現するのが見えた。戦う気か。それとも示威か。逡巡する一同を見やる少女が、その時ふと何かに気付いたように眉を顰めた。
「?」
人々は知らない。それは、少女に向けられた意思疎通だった。
<――天使よ――そこの天使よ――我の声が聞こえていますか――>
(???)
<――良いでしょうか――貴方と――話したいというものがおります――>
エルの目がひとりの巨漢に据えられた。途端にハテナ?が深くなる。
<――堕天使と言う身であることは重々承知しております――ですが――彼等の意思に免じ――話していただけないでしょうか――>
エルは困惑した。
会話。別にそれは構わないのだが、それよりも相手の男が決めているモストマスキュラーのほうが気になる。
(……いい笑顔だし)
言葉との差異が半端無い。
「我はギメ=ルサー=ダイ!この地を持つ天使よ!この者達と話してはくれなんだか!」
「え、あ、うん」
ギメで始まる名前の天使は皆こんなのかなぁ、と少女が思ったのは秘密である。
「僕は、黒井明斗、そちらの名前を教えていただけますか?」
不穏な気配が去ったのを見て、明斗が声を上げた。視線は相手の斧槍に油断無く注がれている。
「はじめましてなのだよ!私はフィノシュトラっていうのだよ?」
会話での対応を試みる二人に、果たして少女は答えた。
「……皓獅子公配下、エル・デュ・クラージュよ」
「成程。獅子公の従士ですか」
神楽が呟いた。若手を育てるのが好きな大天使には似つかわしい気もする。
「フーン。わざわざ挨拶に来るなんざ、随分と義理堅いんだな? 流石はオッサンの従士」
「べ、別に父さんは関係ないわよっ。あんた達の連携が上手かったから、ちょっと近くで見ようとか思ったわけじゃないんだから!」
ルビィの声にエルは視線を逸らしながら胸を反らせた。暗に上司を褒められて嬉しいのか、表情が緩くなっている。
「『父さん』?」
ふとマキナが小さく呟いた。微妙に目が据わっている気配。
「ゴッさんの娘さん?」
「似てないですね」
「似て無くて、よかった!」
「あれ、でも確か前に」
「親子で紅白てな、珍しいな?」
「若い娘さんなのだよー?」
「親子で出撃であるか」
「義理だろう、普通に考えて」
一斉にあがった声に、エルがプルプルしている。
「血が繋がってなくて悪かったわねっ義娘よ! これでも歴とした直弟子なんだから!」
「直弟子、ですか」
マキナがボソリと呟いた。エルがその姿を視線に捉える。銀色の髪。どこか野生の獣に似た不思議な金色の目。
「あなた――」
「マキナ・ベルヴェルク」
答えに、エルのこめかみが一瞬ひくついた。
「マキナ……そう、あんたが。へぇ」
斧槍を持つ手が僅かに震えている。一瞬にも満たない刹那、互いの目に苛烈な色が走った。
(彼の直弟子、そして義娘――…)
知らず、マキナの拳にも力が入る。
彼に鍛えられたその力、認められたその意志を――
見てみたいと。そう、思う気持ちに嘘は無い。同時にまた、示したい、とも。
今で無ければ。此処で無ければ。互いに拳をと気迫をぶつけ、誘うことも出来たかも知れない。だが、今は任務中だ。
(無論、望まれるなら是非もないが――)
けれど、見やる先、あちら側も何かを押し殺して佇むばかり。時が、場所が、戦いを阻んでいる。
(羨望か――或いは嫉妬か)
一瞬、胸を灼き、体に熱を行き渡らせるこの感情を何と呼ぶべきなのか、分からない。
ただ、互いに互いの姿を目に焼き付ける。まるで宿敵に会ったが如くに。
「ゴライアスさんのお弟子さん?…娘さん?なら、きっと、もう決めちゃったんだよね?」
フィノシュトラの声に、エルがハッとなって僅かに身じろいだ。
「私も守りたいものがあるのだよ!だから今日はここまでだけど、またここを取り返しに来るのだよ!」
「来なくていいわよっこっちだって護らなきゃいけなんだから!」
慌てて斧槍を振る少女はどこか年相応に見える。
「だから、まずは枝門の攻略から私たちみんなで挑ませてもらうね!」
「く、来るなら叩きのめしてやるんだから!」
後ろを護るように空で仁王立ちする少女に、ファーフナーが何気なく声を放った。
「四国の天使勢ってのはガキばかりだな。しかも1人だけか。そんなに人材不足なのか…それとも相当な実力者なのか、だな」
「ガ、ガキじゃないわよ!だいたい、上司がゲート開くってのに従士がのんびり出来るわけないし。たかだか一界のゲートに、騎士団の全員がこぞって来れるわけもないし」
挑発めいたその言葉に、エルが憤慨したように告げる。隠れた表情の中、ファーフナーの唇が皮肉げな笑みを刻んだ。
(成程。所詮、数多ある世界のうちの一つ、か)
悪魔と全面戦争の舞台となった世界もあるのだろう。ならば、彼らにとってのいわゆる『収穫地』に、多大な武力を投入するということは無さそうだ。少なくとも、今のところは。
「そちらが暴力で奪ったモノを返して頂きたい」
明斗の声に、エルは唇を噛んだ。真っ直ぐ睨み据える目に、明斗は内心で眉を顰める。
「はいどうぞ、って返すとでも思ってるの?」
ギリ、と小さな音が聞こえた。斧槍を持つ手が白くなるほど、力が込められているのが見える。
(このひとは――)
望んでいなかったのかもしれない。今の現状を。あの瞳にあるのは、痛みだ。
それでも――
「戦を望むのですね?」
凛と、見据える明斗にエルは奥歯を噛みしめた。感情が見える。――ホントウハノゾンデイナイ。
「始まっちゃったものは、終わらせるまで止まらないのよ。動かなきゃ何も出来ない。戦わなきゃ、守れない。勝たなきゃ、護れないのよ! 戦いは、もう、始まってるんだから!」
血を吐くような声と同時、鋭く斧槍の先を向けられた。即座に身構える一同の中、千鶴は相手の声に僅かに唇を噛む。
「勝たないと護れん…確かにそう」
思い出す。こんな時に――いや、こんな時だからか。
「あの時のルスさんの様に。なら貴女の護りたい者は?」
声にエルが僅かに怯んだのが見えた。ルス? と呟く声には畏怖が混じっている。
揺れた髪、紅蓮の中で咲く白い花。
カミツレの花言葉――逆境に負けない強さ、親交。
「負けない為の力? 誰の為? その奥に護りたい誰がおる?」
それは、誰なのか。
「オッサンの従士、ってことは、オッサンか?」
「父さん? 違うわ。リュクスよ」
千鶴に動揺させられ、ポイと放られたルビィの言葉に思わず答えていた。慌ててももう遅い。
「違う、のですか」
咄嗟について出たマキナの声に、エルは唇を尖らせた。迷うことしばし、仕方なさげに告げる。
「父さんは北よ。……ソールが言ってたわ。待ってるのは、たぶん、あんた達なんでしょ」
待っている。
その言葉が、何故か重く感じた。
「『貴方は』『此処を』護るんですね?」
最初の問いの答えをもって、英斗は言葉を重ねるように確認した。エルは頷く。父親であり上司であるゴライアスの居る北では無く、南を。
「そうよ。けど、気を付けることね。父さんにはソールがつくわ。あたしより相当難物なんだから」
「そんなに喋っていいんですか?」
「向こうも難しいから諦めろって言ってるの!」
「そんなこと、出来るはずがないのは分かってるでしょう」
明斗の声にエルはふくれっ面になる。その目に剣呑な色が閃いた。
「だったら、実力で排除するだけだわ」
その瞬間、
「ふんッ!」
フレイヤが、懐から取り出したニシン(なま暖かい)を全力でエルに投げつけた。
「なぁ!?」
そんな原始的対応されるとは思いもよらず、顔にくらったエルが目を白黒させる。
「なによこれぇえ!?」
ニシンです。
「フッ。ニシンも知らずに人間界に来るだなんて、ちゃんちゃらおかしいわ!」
「なんですって!? なによこんなもの――」
エルがニシンを握りしめた。書かれた説明文が謎の効果で高らかに存在を歌い上げた。
ハアアアアア!!!!!!
ドッコイショオ!ドッコイショオ!(ドッコイショオ!ドッコイショオ!)
ソォランソォラン!!(ソォランソォラン!!)
「なによこれぇええ!?」
ニシンです(※物体は)。
「天使さんは言動から典型的ツンデレ幼馴染タイプ…そして髪と翼が赤という事は下着も間違いなく赤…」
「は!?」
「黄昏の魔女の力を以てすればこの程度の情報収集等わけないのだわ!」
ビシィッ!と指さされ、エルはニシンを握りしめて憤慨した。
「ううううるさいうるさい!なによひとのパンツあてたからっていい気にならないでほしいわ!この――ニシン!」
「赤、であるか」
ギメがボソリと呟いた。
フレイヤの名前がニシンになっているがそれはともかく。あまりのことに、数瞬全ての思考をニシンに持って行かれた一同が、唖然として一人と天使を見やる。神楽とファーフナーが私は部外者ですと言いたげな風情で視線を遠くに馳せていた。
「人間様を知ってからケンカ売りに来なさいって事だよ言わせんな恥ずかしい!」
「上に始められちゃったんだからしょうがないでしょばかばかばかっ! あんたの名前は忘れないからねニシン! 次ぎに会ったら覚えてらっしゃい!」
すでに盛大に間違われている事実をどう指摘すればいいのだろうか。
「無益な血を流すのは本意じゃない。――アンタも俺達も…違うか?」
引き揚げ時を察したルビィの声に、ややも肩で息をしていたエルが口をへの字に曲げる。
「違わないわねっ」
頭に血が上っていても、即座に判断できる程度には冷静らしい。
「今日は帰るぜ。俺は小田切ルビィ。…また近い内に会うかもな」
エルは「フンッ」と鼻で息を吐き、ふてくされた顔になる。
「会わないほうがいいわ。殺しあうんだから。けど、出会ったなら、全力で殺すわよ」
「そいつぁおっかないな」
ニヤリと笑って、ルビィはあっさりと背を向ける。背後を襲われると疑うことは無かった。ゴライアスの義娘なのだから。
(ヤな奴!)
次々に背を向け粛然と退却する一同にエルは臍を噛む。潔さも、信任も、自分の後ろに在るひとに向けられている。だから裏切れない。騎士としても、弟子としても、娘としても。
「あんた達なんか、絶対、絶対、倒してやるんだから!」
●
撤退時にもまた、敵襲はあった。だが奥へと進んでいた時に比べ、その動きは精彩を欠いている。
「動揺が伺えるな」
「外見ともども、若いであるな」
ファーフナーの声にギメがしたり顔で頷く。道中、猛烈な香水と唐辛子酢の刺激臭にやや遠回りして動くと、鼻に匂い物食らった犬がいた。未だに何らかの不具合が生じているらしく、あてもなくうろついている。
「それでも、近くには寄らない方がよさそうだねー?」
フィノシュトラの声に、一同はそそくさと結界の外に脱出する。境を抜けると、すぐに防衛部隊が治癒に駆けつけた。
「守るべき者を守るために戦う、か」
傷の治療を受けながら英斗は呟く。
(俺に似てるかな)
ただひたすらに、遮二無二護ろうと踏ん張っているところとか。
「なんか、泣きそうな顔やった、な」
思い出し、千鶴は小さく呟いた。真っ直ぐな目が、必死の色をしていて――それが少し、気にかかる。
(護るため……か)
「本意では無いのかもしれませんね。彼女はまだ、末端でしょう」
神楽が小さく告げる。戦いを決めるのはいつも上の立場の者だ。
「権益を得、勢力拡大するために戦争を行うのは当然」
ふと、ファーフナーの静かな声が流れた。指に挟んだ葉巻から細く紫煙をくゆらせながら、ファーフナーは遠くへ感情の伺い知れない眼差しを向ける。
「感情を露わにし業に抗えぬ……。何処までいっても、世界はそういうものだ」
人であれ、天使であれ。
それぞれの――世界に属している限りは。
「……流れる血は少ない方が、いいのだよ?」
辛そうな声を思い出し、しょんぼりと言うフィノシュトラを一度見て、ファーフナーは視線を枝門側へと馳せた。その顔には何の感情も浮かんでいない。
「……あの手合いは言葉でどうこう出来る類では無い」
それは世界の裏側を見続けてきた男の審眼故か。
「死にものぐるいで来るぞ」
「『戦いはすでに始まっている』――まさに、そうですからね」
明斗が落ち着いた声で言う。
どのような立場や思いであれ、侵略した側である限り、その事情を斟酌してはいけない。こちらもまた、護るべき者を護るために在るのだから。
「そうよね。もう、始まってるんだもんね。……なんで始めちゃったのかしら。上役のバカちん」
ため息一つ零し、フレイヤは空を見上げた。あの日と同じ青い空。一瞬、視線が遠くへと流れる。
あの山は――あちらだったか。
「騎士団の上ということは、ツインバベルですか。人死を出さないよう苦慮する悪魔メイドに、今度は騎士団がこの状況。……常に先を読んでいるのは、誰なんでしょうね」
嘯きながら、神楽は戦闘データを元に思案する。戦闘指揮能力持ちなのは間違いないだろう。言動を見るに護る為の盾ではなく護る為の矛。
(恐らく絡め手も苦手な部類でしょうが、サーバントの動きと相反しますね。……ふむ。何か他に関与している者がいそうですか)
「あの若さで決死とは、けしからんな」
ギメが珍しく真剣な面持ちで呟く。
「いずれにせよ、戦うのであれば、是非もなく」
マキナが言葉を噛みしめるように口にした。互いに見据えあった、苛烈なものを秘めた緑の瞳を思い出しながら。
「覚悟は出来ているでしょう。こちらも――あちらも」
あとはただ、進むのみ。
視線の向かう先、高知市の霧は今だ晴れず。その内側に今だ秘されし主門を抱いたまま、揺らぐことなく聳え立つ。
だがいずれその白き鎧を剥ぎ取り、人々は刃を持って牙城に斬り込むことだろう。幾つもの物語を紡ぎながら。
千鶴は小さく目を閉じる。瞼の裏側に、白く散る雪の幻影を見つめながら。
「……きつい冬になりそうやな」
――春は、遠い。
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後日、高知対策本部・南部支所に大量の大蒜と鰹の塩たたきが放り込まれた。
検査の後、本部の人間が美味しくいただいたが、今も犯人は不明である。