四国。高知。
南海のほとりにある街は、海の幸でも有名な所だ。
「室戸の無神経サバが旨くなるこれからの時期に、なんとタイミングの悪い」
奇妙に白く見える空を見上げ、下妻笹緒(
ja0544)はしみじみと呟いた。
突如発生したゲート。その結界内に在っても、落ち着いた物腰は変わらない。どう見てもジャイアントパンダな外見だが、中身は一応人類だ。
そのパンダの後ろでは、一般人を安全圏に運ぶための準備が進んでいる。五十人もの人々を一度に運べる車は無く、マイクロバスと乗用車を連ねることで移送することになっていた。大多数が乗り込むマイクロバスでは、川澄文歌(
jb7507)が添乗員さながらに明るい声を上げて人々の不安を拭っている。
「安心してください。私たちが皆さんを必ず結界の外へお連れしますっ」
アイドルの微笑みを使用する文歌に、何処か気もそぞろだった一般人が笑みを返す。感情を結界に奪われないよう、抗天魔陣を使用することも忘れない。
「避難誘導…押さない、駆けない、喋らない?」
一般人をバスに乗せるのを手伝いながら、ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)はコテッと首を傾げる。一緒に手伝っていた魂の姉妹のような来崎 麻夜(
jb0905)がクスクスと可愛らしい笑い声を零す。
「あらら、それじゃ早く帰らないとだね」
お喋り出来ないだなんて、そんなのつまらない。言葉は、思いを告げる大事な手段なんだから。
「ん、早く、脱出しよう?」
「まったくだぜ」
黒髪を掻き上げ、麻生 遊夜(
ja1838)は二人の頭をぽんぽんと優しく叩くように撫でる。二人の顔に笑み。離れ離れでなくてよかった。少なくとも、一緒なら何も怖くない。
「次はここだったって訳か…やれやれだな」
そんな二人に気づかず、遊夜は空を見上げて軽く息をつく。身軽な動作で軽トラの荷台へ飛び乗ると、運転手であるヒビキに笑いかけた。
「よろしく頼むぜ!」
「…任せて」
こく、と頷き、ヒビキは心持ちキリッとした顔で言った。
「壊れたら、ごめんね?」
「ソレは出来るだけ勘弁な!?」
「なんでよりによってこの変態バイクなのよぉ!」
そのバイクを見た途端、雨宮アカリ(
ja4010)は叫んだ。
どっしりとした大型二輪。そのボディに入った『隼』の文字は見間違いようが無く。他はと別の機種を見るも、どこか古めかしさを感じさせる赤い大型バイクと、もう一台はどう見ても――
「『忍者』とか……!」
知る人ぞ知る、共に時速三百の壁を突破したメガスポーツバイクである。無論、公道で出すスピードでは無いが。
「……フン」
僅か一度、鋼鉄のボディを一瞥し、ファーフナー(
jb7826)はひやりとした声で告げた。
「乗れればそれでいい」
足であるならば、使いこなすだけだ。
「そうなんだけどねっ。というか、これでタンデムするの?」
気炎を吐くように声を放ち、ふとアカリは斥候仲間を振り返った。
「行くぜ、パンダ部長!――振り落とされんなよ?」
あ。もう『忍者』に乗ってるし。
独特の黒と赤のボディに跨った小田切ルビィ(
ja0841)に、堂々たる足取りでパンダ、もとい笹緒はその後ろに乗る。
「ならば見せよう。この華麗なるバランス感覚を」
「それなんて曲芸……」
アカリが思わずつっこむ。ふと気付けばファーフナーもすでに頑強な赤と銀のボディを従えている。
「行くぞ」
「まま、待って! もうっ、乗りこなせばいいんでしょ!」
隼に跨り、アカリはその最速のボディをぽんと叩いた。
「よろしくね。相棒!」
「おかしいな……」
人々の乗り込みを手伝いながら、ふとレイ・フェリウス(
jb3036)は呟いた。純真さを感じさせる瞳は、避難誘導に従う人々を不思議そうに見つめている。
(感情吸収防止はされたのに……)
今も人々の感情の起伏が妙に小さい気がする。パニックを起こさないのはいいことだけれど。
(どうやら、普通のゲートと少し違う様だね…)
「なんか気になることが?」
友人の様子に、ラウール・ペンドルミン(
jb3166)が小声で問うた。声に近くで対応にあたっていた早見 慎吾(
jb1186)も視線を向ける。二人に向け、レイは頷いた。
「彼らの様子、気をつけて見てて。何か少し、いつものと違う」
「あいよ」
「了解」
頷き返すラウールと慎吾は乗用車の、レイ自身はマイクロバスの運転手だ。互いに人々を守る任にある。
レイの肩を軽く叩き、ラウールは戸惑うような目で車に乗る老婆に手を貸し、ニカッと笑った。
「安全圏に移動するぜ。ちょっと道中荒れるかもしれねぇが、必ず守る。ちょっとだけ辛抱してくれな」
そのラウールの横、乗り込む一人一人に目をあわせ、声をかけるのは黒井 明斗(
jb0525)だ。
「大丈夫、絶対に助けます」
二度瞬きして、ようやく言葉を理解したように老婆は微笑む。乗用車の助手席に同乗しながら、明斗は僅かに眉を顰めた。
(何故だろう)
それはレイが感じたのと同じ違和感。
(感情の吸収は妨害してるのに、言葉が届くまでに間があるような気がします)
混乱している人がいればマインドケアをしようと思っていた。だが、これほどの人数がいるのに、誰も彼もが一度も声を荒げたり騒いだりしない。逆にそれが、不自然だ。
「ん? カメラか?」
運転席に乗り込んだラウールが首を傾げる。ああ、と明斗はデジカメを手に笑った。
「取り戻す為の情報収集ですよ」
その頭上、車体の上にコツンと音。フロントガラスに映った影は少女のもの。車体上、護衛に立つ斉凛(
ja6571)は、狙撃銃を手に一度だけ背後を振り返る。
(りょんさん)
見つめる先、黒い髪の少年。黄昏ひりょ(
jb3452)は瞳にだけ思いを込め、静かに頷く。受け、凛もまた頷いて視線を行く手へと戻す。
(背中を任せます)
本当は傍に居たいけれど。自分の役割は人々を守ることだから。
(この身は一般人の皆様を守る為に)
「足元に注意しろよ」
まだ学生らしい若者がバスに乗り込むのを見送り、強羅 龍仁(
ja8161)は僅かに不安げな眼差しの若夫婦に声をかける。
「何があっても守り抜く。不安もあるだろうが、信じてついて来てくれ」
不意の恐怖にも、決して心がはぐれないように。
「貴方達は、必ず、安全な所に、連れて行く」
その後ろ、5人乗り乗用車を担当する如月 優(
ja7990)もまた、乗り込みを手伝いながら声をかけていた。誠実な声に、僅かながらぼんやりとしていた人々が頷く。
「後方部隊はこちらですよー?」
一般人達が次々にバスや乗用車に乗り込むのを見守りつつ、櫟 諏訪(
ja1215)は仲間達に声をかけた。後方迎撃部隊の一つを運転するのは彼だ。
(一般人の皆を、無事に結界外まで連れてかないとですねー…)
結界の切れ目までどれ程の距離があるのか。少なくとも、一直線の道でない分距離があるはずだ。意思疎通の遅延を防ぐ為、荷台との間にある窓を壊し、運転中にタイヤを狙われないよう、板を細工して覆いにする。布は絡まる可能性が高い為断念した。
「未熟者ですが……先輩方の足を引っ張らないようにします」
細工を手伝いながら、天草 園果(
jb9766)は僅かに震える指先を握りしめて言った。言葉を口にすることで、勇気を身の内に留めようとするように。
「一緒にがんばりましょうねー!」
にこ、と笑った諏訪の声に、少しだけホッとしたのは生来の内気さのせいだけではない。学園全体で動く大規模作戦以外で、唐突にこれほど大掛かりな異変に遭遇することが今までに無かったのだ。
準備を整えて赴くのとは、何もかも違う『今』。
けれど、だからこそ出来ることもある。
(何を、どこまで出来るか、分かりませんが)
戸惑いはある。不安も。もしかすると、少し怖い。けれど自分は、一人ではない。
見やる先に知己であるひりょと凛。一緒にがんばろうと言ってくれる先輩達。
――『独り』では無いのだ。
「がんばります……!」
もう一台の車でも細工が終わろうとしていた。
「それは?」
ミズカ・カゲツ(
jb5543)の声に、あぁ、と咲村 氷雅(
jb0731)は作業を続けながら応えた。
「ドライブレコーダーだ。取り付け前だったみたいだが」
どうやら持ち主が購入したばかりの品らしい。手早く設置し、エンジンをかけると小さな画面に映像が映った。
(なんだ?)
「ノイズ……霧?」
訝る氷雅とミズカの前、小さな画面の映像はどこか奇妙に白っぽい。肉眼では、そうでもないのに。
彼等は知らない。ゲートの大部分が霧のようなもので視界を妨げられていることを。自然のものでは無い霧は、場所によって濃度を異ならせながら、ゆるやかに己の領土を白い腕で包み込む。外部の目を阻み、後日、探索の者の視界を妨げることとなる力は、今はまだこの地に及びきっていなかった。彼等は、展開と同時に中に取り込まれたことでその効力から僅かに逃れたのだ。
「じゃあ、行こうか」
マイクロバスの上に飛び上がり、ナナシ(
jb3008)は静かに告げた。
斥候はアカリとファーフナー。
次いで動くのは行く先を切り開く為のトラックと、道中に一般人がいた場合の保護を担当するトラック。マイクロバス、乗用車と続き、後方に陣取るのは追っ手が来た場合の撃退部隊。
連なる車体群の中、天羽 伊都(
jb2199)は炯と光る目を遥か彼方へと向ける。遠ざかる巨大なゲートの光柱。つい先程よりも霞んで見えにくくなった気がするそれを記憶に焼きつけて。
「拾える命は出来るだけ救ってみせる、ボクはお前らがやったことは忘れないからな!」
十一月四日。
四国。高知大規模ゲート出現。
全領域内人口、およそ三十万強。
その中に撃退士が取り込まれていたのは幸か不幸か。
いずれにせよ、高松ゲートにおいて、これが最初の救出活動だった。
●
「来たぞ!」
後方、トラックの上に遊夜の声が響いた。
短くも鋭いクラクションが三回。声は遠方に聞こえずとも、クラクションの音は響く。緊急の報に車両最前の氷雅は目を眇める。
「後方、か」
(追っ手)
視線を転じるミズカの横、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)はひたと前を見据え、拳を握る。
ゲート。
四国。
(誰が)
自問に答えは無い。冥魔か天界か、それすらも不明。けれど――
予感がする。
僅かに鼓動が早い。
(あなたか)
ただ、僅かに白くけぶって見える空に問う。
――今なのか、と。
「! シミン・ジュウ・ロク。前方連絡あり!」
氷雅の声が響いた。アカリからのモールス信号だ。ミズカがすぐ後ろのトラックに合図を送る。
「いきなり多いな……」
「住民の数、と考えれば相応ですね」
氷雅の声に、マキナは静かに答える。
敵は後ろに。助けるべき人は前に。
「常に時間と勝負か――」
氷雅は目を細める。ゲートが開いて然程経過していないのに、敵が出て来るのが早い。唐突に出現するには大きすぎるゲートといい、余程の相手だ。
(面倒なことに巻き込まれたな…これは例の騎士団が動いたということなのだろうか)
ふいにその瞳に熱が滲む。なら、今度こそあの焔剣をこの目で見ることが出来るかもしれない。街一つ焦土と化した強大なる力。天の焔。
(不謹慎かもしれないが……)
神器級の武器。それを見やる機会など、そうそうあるはずもなく。ならば楽しみと思ってしまっても仕方は無い。
「見えましたわ!」
すぐ後ろのトラックで、荷台に乗っていたディアドラ(
jb7283)が身を乗り出す。その背には光の翼。
「ディアちゃん一般人救出おねしゃす!」
運転を担うファラ・エルフィリア(
jb3154)の声に、ディアドラは速度を落とした車の上から飛び立ち一足飛びに人々の下へと向かう。同時、ミズカも飛び降り、駆けた。マキナは鋭い眼差しで周囲を索敵する。力を全身に満たすのは、ただ警戒しているからではない。
敵は、すぐ近くまで来ている。
後ろに続くマイクロバスからもその様子が見えた。前方車両の減速に、後方も即座に事情を察するだろう。だが止まるわけにはいかない。
「――来たわね」
呟きと同時、ナナシは振り返り様に力を放った。異形の長銃が僅かな綺羅を瞬かせる。一瞬で放たれた闇纏う一撃が遠くから飛来した鳥を一撃で消滅させた。
「空からか!」
「地形効果は意味ないものね」
伊都の声にナナシは呟く。後ろに現れたという敵と同型か、否か。離れていて分からない。だが今、それは後だ。
「行かせないからな!」
狙いは一般人か。恐るべき速度で飛来するその小さな体を伊都の一撃が打ち抜く。だが手数が足りない!
トラックの荷台、保護した一般人を背にディアドラが身構えた。その横を銀の風が走る。閃く軌跡は黒。一瞬膨れ上がったマキナの黒焔に、飛来した鳥が消滅した。
時は遡る。
最後尾。テレスコープアイを宿す遊夜の目は遥か後方を駆ける二足歩行の鳥を捕らえていた。
「駝鳥とはねぇ」
「足速そーだねぇ」
見えたと思った瞬間、一気に距離を詰める敵に、口元には不敵な笑み。並走するルビィ&笹緒が荷台の隣についた。
「迎撃開始だなっ」
「フム。敵の戦力把握もやっておきたいところだな」
これほど素早く投入してきたといことは、四国を侵略する者達にとっての主戦力となる可能性もある。
「了解……んっ?」
運転手たるルビィが眉を跳ね上げる。ヒビキがかくりと首を傾げた。
「…減速。前…一般人、保護開始…?」
「じゃあ、ちゃちゃっと倒さないとな!」
「先輩の指示に従って行動するよー♪」
麻夜の体からアウルが溢れ出した。増幅されたそれが猟犬の如き耳と尻尾に似た形で留まる。
先手で放たれた遊夜の弾丸が駝鳥の片脚を打ち抜いた。僅かな減速。別の駝鳥が後部に迫った。麻夜が笑顔で小柄な体を翻す。
「いらっしゃい、さようなら」
クスクス。笑みと共に腕を突きつける。凝った血のような赤黒い拳銃。憎悪の弾丸。パンッと弾ける駝鳥の頭部。
崩れる体の向こうからもう一体。駆ける体。ジャガッと重い物音。擦れ違う遊夜の手にいつの間にか銃。
「足は速いようだが、そうそう抜かせられなくてねぇ」
衝撃と同時に片目が抉られる。悲鳴一つなく、駝鳥が細首を空へと向けた。
Vow
大気が震えた。鳴声では無い。声帯を震わせるような深い音。なのに波のように強く大気を震わせる。
「麻痺か……!」
痺れに遊夜は顔を顰めた。同時、駝鳥の頭を氷刃が裂いた。前方車両のひりょだ。
「今の、敵の技みたいだね」
全体が減速した為、車の距離がぐっと近くなる。この距離なら声が届く。
「麻痺だ! 連中、捕縛しに来てるみたいだな」
「さしずめ、捕獲部隊ですかねー?」
的確に車間距離をとりながら諏訪が言う。即座に具現出来るよう魔具は片手に。
「とくと御覧じろ」
ふいに清楚なる幻が笹緒の周囲を彩った。簡素枯淡の美。遍くそれが白銀色の波と化す。脚を負傷しながらも追いすがってきた駝鳥が、その一撃で跡形も無く消し飛んだ。
「ふむ。魔防はこの程度か」
「……明らかにオーバーキルだった気がしますが」
ひりょが僅かに口元をひきつらせる。流石にあの一撃では持ち堪えられない。
「転べ!」
残った片目を抉られた駝鳥に園果がダークブロウを放った。片脚を奪われた駝鳥の体勢が大きく崩れる。そのまま距離があけるのに、遊夜がやれやれという顔になった。
「今は追われない事の方が重要か」
「大所帯だし、どれだけ早く動けるかだねぇ」
行動阻害が最優先。その視線の先、遥か後方に見えた影に「げ」と思わず零した。
「新手来るぞ!」
地上を走るのは駝鳥。その後ろから飛来するのは空を行く鳥。
車はまだ減速したまま。
「地形無視は厄介だ、先に墜ちて貰うぜ!」
「確か、コレだった、はず」
ヒビキのクラクションによるモールスが鳴る。テキ・ツイカ。おそらく、敵の波は止まらないだろう。後方だけで抑えるのは難しい。それでも――
「防ぎますよー!」
諏訪の声に全員が力をためなおす。遊夜の口元に亀裂のような笑みが走った。
「風穴開けられたい奴から出て来いやぁ!」
長距離移送追撃戦は、まだ始まったばかり。
最先頭。
「ああっ後ろでもう始まってるっ」
「連中に、こちらの常識が通じるはずもない」
道路を走る必要があるのは、一般人を移送するこちら側だけ。
アカリはファーフナーを振り返る。
「引き返す!?」
「――待て」
武器を手に鋭くスピンさせ反転したアカリに、ファーフナーは低く告げた。
「来るぞ」
「!」
風が鳴った。反射的に放った一撃が死角から飛び出してきた鳥の頭を爆ぜる。
「鳥か」
翼ある敵なら、回り込みも道理。
「人影は」
「無いわぁ。それだけが救いかしらぁ」
飛来する影をバイクごと避け、流れるような動作で打ち抜く。運転時は命中が下がるが、ほとんど止まりがけな今なら然程影響は無い。
鋭く見やった先、道路上の救出は進んでいる。なら、今こちらに向かってくる敵をあちらに向かわせないのが最善か。
「……長くなりそうだな」
十字路に合流する小道の先、駆ける駝鳥。冷ややかに見据え、呟く静かな声が流れた。
(始まった)
優は流れに乗り、速度を落とした車の中で意識圏を広げる。
(信じ、託すのも、任務)
運転手である以上、戦いに参加するのは憚られる。だが逆に、保護は自分に託されたもの。
(必ず全うする)
生命探知。近くの人。仲間。
意識が引っかかる。
(敵)
連続で鳴った三回クラクションに、凛は狙撃銃を手に視線を送る。優の目が方角を示した。構えた先に、飛来する一羽の鳥。速い。
「近づかせませんわ」
ライフルが唸ると共に鳥が爆ぜた。対空射撃の一撃に沈んだ鳥の向こう、さらに飛来する小さなな影。
「二匹目……!」
「位置は!?」
「左!」
白銀の長弓を手に明斗は車窓から身を乗り出した。手首に引っ掛けたデジカメが揺れる。弓弦の音と共に吸い込まれるようにして矢が鳥の胴を射抜く。だが、明斗の表情は冴えない。
「これは……」
僅かにけぶって見える遥か空の彼方、小さな点のように見える影。
「いったい……何羽が……」
凛が息を呑んだ。
遮蔽物が無いからこそ分かる。距離を開けつつ次々に来訪する者達。
その時、クラクションが鳴った。
「慎吾!?」
運転席のラウールが目を瞠った。
「あ!」
凛が声をあげる。右側、死角から飛び出してきた大きな影――駝鳥!
「いけません!」
方向を転じる凛の前、何かが影をつくった。
(あ)
嘴が見えた。それほどの至近距離。狙われたのは目か。瞬きする間も無い。
ザンッ
氷刃が煌いた。横合いから貫かれ、鳥の体が弾かれボンネットを跳ねて地表に放り出される。
(りょんさん!)
同時、闇を纏ったナナシの一撃が駝鳥を吹き飛ばした。
「気をつけて。相当数回り込んで来てるわ」
一般人を収容する為、速度を落とせば当然か。だが誰も、それを悪手とは思わなかった。
救うべき人がそこにいる。
救うべき手がここにある。
道なら切り開けばいい。
困難なら払えばいい。
今自分が出来る最善を。両手を最大限伸ばして抱えられるだけ抱えることを祈って、いったい何が悪いというのか。
「吹き飛べ!」
沈んだ駝鳥の影から飛び出してきたもう一羽を伊都の狙撃銃が撃ち抜く。頭部を抉った一撃に体勢を崩し、沈むかに見えたその体が大きく膨れた。
How
「!? これは……!」
不意に走った奇妙な感覚に慎吾は息を呑んだ。視線を向けると同乗していた一般人が全員眠りに落ちている。移送車体内を襲った異変に護衛達も気づいた。
「厄介ね……範囲が広いわ」
足下のマイクロバス内にも動揺がある。大き目の乗用車の傍らで放たれたそれは、後方の乗用車からマイクロバスまでを範囲に捕らえたのだ。
「大丈夫、安心して。お姉ちゃん達がついてるよ」
眠りに落ちた親の傍らで、範囲からかろうじて零れ落ちた子供がしゃくりあげている。それを抱きしめ、文歌は柔らかな声で不安を取り除く。敵発見の報から体を低くし、不意の衝撃に備えるよう人々には伝えてある。不安はあるだろうが、全員がそれに習っていたせいか混乱は低い。
いや――
(落ち着いているのは……いいことですが)
この奇妙な違和感は何だろうか。腕の中の子供も早くも落ち着きを取り戻している。否。落ち着いたというよりもこれは――
(スキルの効果が消されている? いえ……精神吸収はされていないはず。では、これは、別の『何か』?)
戸惑う文歌の上、車上のナナシは鳥を狙い撃ちながら、ゆるやかにざわめきが落ち着くのを確認して嘆息をついた。
「いずれにしろ、運転手を全て撃退士で揃えていて正解だったわね」
かわりに攻撃手はかなり限られている。手数が足りないのは、どうしようもない。
それでも、数珠繋ぎのようになった現在の状況で、運転手がいきなり眠りに落ちたらどうなっていたか――それを想像すると恐ろしい。
「広範囲睡眠か……」
同じ頃、乗用車内でそれを確認した龍仁も苦い嘆息をついていた。
痛み等は伴わないのが救いか。自分達ならともかく、一般人には堪えきれないだろう。
「……成程、こいつらは捕獲用、といったところか」
まず最初に放たれたのが敵を攻撃する為の者ではなく、人間を逃がしにくくする為用の僕。こちらが車でなければ、有効な手段だったろう。
「……命の奪い合いよりも効率を先に取るか。冥魔や悪魔の考え方では無いな」
生かすことを前提にしているのなら、それは魂を所得しようとしている悪魔達では無く――天界。
(やはり、おまえ達なのか……?)
四国で発生したということから、おおよその見当はつけていた。けれど、望んでいるのとは違う。
違うと言われれば、自分は安堵するだろうか。だがきっと――そんなことは起こらない。
「ままならんものだな……」
所詮は侵略者と、現地の民。
交流を経てなお――その立場は変わりようが無いのだから。
救助は進む。
「斥候班が囲まれてる」
氷雅の報告に、トラックに戻ったミズカは息を呑んだ。
「収容完了ー!」
「走って」
ファラとディアドラが報告する。守る為に車上にいたマキナが氷雅のトラックに飛び乗った。一気に加速した氷雅側。だが一般人を収容したファラ達は急発進するわけにもいかない。
「てゆか、はやくもいっぱい気味なんだけど、どうしよ……」
ファラの顔がひきつっている。1tトラックは軽トラックより大きいが、流石に十六名もの人間を収容するのには小さかった。レイの機転でマイクロバスの余剰の席に収容したから何とかなったが、かわりにマイクロバスがいかにも重そうな動きになったのは仕方がない。
「もしかして、もう一個のトラック、1tのほうがよかった系?」
「いざとなったら、ちょっと詰め詰めでバスに乗ってもらったほうがいいかもですね」
トラックで詰め詰めだと、ちょっとしたことで落ちかねない。
「だねー。にーちゃ、ごめんよ!」
キリッとした顔でファラは後方のマイクロバスを担当するレイに一言謝る。無論、聞こえるはずはないが。
「ディアちゃん、遠隔攻撃の準備よろ!」
「お任せくださいませ♪」
危険地に近づくわけにはいかない。だが前を取り除かないことには進めない。
人々をしゃがませ、車体に設置したロープを掴んでおくよう指示してディアドラは油断無く周囲を見渡す。同時、マイクロバスのレイに向かって意思疎通を飛ばした。
<前方に敵。斥候部隊の解放を待って速度を上げます>
<了解>
意思疎通を持つ者同士なら「会話」になるのはこういった時にありがたい。
増えた攻撃手により斥候部隊周辺を飛び交っていた鳥が全滅する。
ビッ、と一度合図して、アカリとファーフナーが即座に速度を上げた。
「方角的に道なりに進んで大丈夫のようですね」
方位術を使用した文歌の声に、レイは頷く。
「後は、距離だね……」
速度があがったこともあり、すぐ近くに聞こえていた戦闘音が僅かに遠のいた。だが、ずっとというわけにはいかないだろう。敵の脚は速い。
(この先に、集落はあったかな……)
市街地では無かったからこそ、途中の人影も少ない。
飛来した鳥にミズカが対峙する。一瞬の抜刀。吹き飛ぶようにして両断された鳥の体が右から左へと流れフロントガラスに奇妙にどす黒い液体を撒く。実際の血と違う色は、異形であるが故か。死の間際、鳥の目がこちらを見たような気がした。
ゲート中枢近くの大多数の人を置き去りに来ているという、その事実をレイは重く受け止める。同時に、救出手が取りこぼしかねない「密集地以外の人々」を救えることはある意味行幸かもしれない。
もし彼等が救出を念頭におかなければ、彼等は後の時の中で命を落とす運命にあった。
数とすれば少なかったかもしれない。
けれど確かに彼等は、奪われるはずの命を救ったのだ。
鳥達が、無機質な目でそれを見ていた。
○
それでいい。
お前達はそのまま、進んで行け。
――迷いは全て、ここに置いて。
●
荷台の後ろが吹き飛ばされた。駝鳥の放った強烈な蹴りに車体が大きくブレる。
「ヒビキ!」
「……平気」
でもちょっとイラッとしたかも? 焼き鳥希望。盛大に。
「大丈夫ですかー?」
「駆動部はいける! 側面が外れたぐれぇか……!」
最後部、追いすがる駝鳥が大きく跳躍した。
「乗ってくるつもりか!」
警戒する声の隣で、くすくすと笑う声。
「ふふっ、今宵もレヴィアタンが疼くよぉ」
黒い風が舞った。紺碧の鎖鞭の鎖鎌が駝鳥の脚を切り落とす。バランスを崩し、着地すらままならずその巨体が荷台の上に落下した。衝撃に足が浮く。
「よっと!」
その頭部を遊夜の銃が打ち砕いた。重い体を蹴り落とす。後ろから走ってきていた駝鳥の足に上手くぶつかって、転ぶのが見えた。
「ラッキーだねぇ」
麻夜が嬉しげに笑う。
「さて。鳥が風雅を解するかは分からんが」
笹緒の声と同時、上空に風神雷神の幻影が浮かんだ。指し示す先、走り込み遊夜を狙う駝鳥が雷光に打ち抜かれる。
「さんきゅ!」
「うむ」
「ちぃ……うっとうしいな!」
鋭い嘴で攻撃してくる鳥に舌打ちし、ルビィは意識を集中させた。
「ちっと勘弁な!」
「む?」
バイクがブレた。僅か一瞬。放たれた封砲が上手く重なった駝鳥と鳥を纏めてなぎ払う。
「うぉ、やっぱ運転しながらは難しい――が、やってやれねぇこたぁ無いなっ」
後ろの笹緒がちょっとヒヤッとしたのは秘密である。
「あの小鳥は『眼』ってトコか?…追跡型って感じだぜ」
「先程からの技といい、どうやら捕獲・追跡がメインのようだな」
笹緒の呟きは常と変わらず落ち着いている。
「なんにせよ、諸共壊してやれっていう連中じゃなくて助かったぜ」
だが後ろから続々と集まってくるのはいただけない。空を駆ける鳥はすでに周囲を囲う体勢。邪魔なこちら側を片付けることを選んだか。
「邪魔です……!」
園果が氷の夜想曲が発動した。三羽が絡み取られ地表に沈む。抵抗した一羽が頭を振り、園果に向かって威嚇するように嘴を向けた。
パンッ
「当たりましたねー?」
バックミラー越し、割っておいた後部との窓から放った諏訪の一撃だ。命中上げておいてよかった。
「右から来ます!」
ひりょの声と同時、ドンッと音が響いた。空家という死角を利用して駝鳥が塀を跨ぎこし、トラックと並走するバイクに向かう!
「さぁ、黒く染まろう?」
常闇の羽が舞った。
狂い咲くように舞い散る羽根は、麻夜の体に浮かんだ刺青のような黒い模様と同じ。光の消えた瞳が愉悦を含んで笑みぐみ、口元からクスクスと暗き深淵から響くような笑みが零れる。
「重ねます!」
園果の放った炎華の乱舞が切り裂かれた鳥を爆破した。なおも追いすがろうとする体をひりょの八卦石縛風が石化させる。
「抵抗は低すぎず高すぎず、ですね」
睡眠や石化が有効なのはありがたい。群れと化した一群から僅かに距離が開けたのにホッとするのと、悲鳴のような声があがるのが同時だった。
「車が……!」
「!?」
風に乗って届いた凛の声にひりょは弾かれたように視線を転じた。一般人を乗せた乗用車に鳥が群がろうとしている。
「くそっ! あっちに標的を変えたか!」
ルビィのバイクが一気に加速した。その肩を笹緒が掴む。
「待て!」
空が赤く瞬いた。
一瞬で咲いた炎の華が範囲内の敵を一掃する。それを一瞥し、ナナシは残った個体を数える。
「駝鳥二、鳥三」
「了解!」
伊都の魔具が漆黒の焔にも似た光を宿した。穿たれた駝鳥の傷跡から舞い上がった黒焔がその体を包み込む。同時、禍つ刃が鳥の体を両断し、もう一体の鳥を鋭い矢が射抜いた。二つ後ろの車から放たれた一撃だ。
「流石に放っとけねーしな」
「届くものですね。あぁ、でも、安全運転はお願いしますよ」
「あいよー」
しれっとした顔はラウールと明斗だ。
「運転手も同乗者も撃退士だ」
「……だったな」
ルビィは苦笑した。
乗用車を追い越す寸前には、優と龍仁が治癒を重ねる。
「気をつけろ」
「礼を言う」
ふと気づくのは、戦いの中で負った傷もいつの間にか少しずつ癒されていたこと。運転を勤めながら、彼等もまた支援し続けてくれているのだ。
「この辺りの、地形……」
ふと、優は様子に目を細める。ほぼ同時に、前の車両にいる龍仁も気づいた。
転移した彼等に、現地の地理はほとんど無い。
だが、乗り込む地元民に先に訪ねていた道の特徴――見えた標識。
「……もう南国市に入ってたのか」
「道路状況オールクリア! なのに、なによこれぇええ!」
道路をひた走りながらアカリは叫んだ。同じ道を行くファーフナーは無言だ。
集落を過ぎ、後はひたすら道なりに走った二人だが、それと分かる障害物は見当たらなかった。というのも、もともとこちら側の道に民家が少なく、避難の為に道が大渋滞となることも無かったのだ。おそらく、南の道を使っていればこうはいかなかっただろう。地元民に道を聞いたファーフナーの判断は正しい。
もっとも、凄まじいS字カーブを何度も経験する羽目になったが。
「このっ鳥っ。しつこいっ」
纏わり突くような鳥をその凄まじい加速と軽快さを生かして避けながら、アカリは長大なライフルを向けた。
「堕ちなさい!」
打ち抜かれた一羽が弾かれたように吹き飛び、落ちる。近づこうとする群れをエアロバーストで吹き飛ばし、ファーフナーは一瞬だけ視線を後方に流した。
仲間の車両はやや後ろに。肉眼で見える距離だが、近づくまでにタイムロスがある。変わりに走りこんで来たのは後方配置だった笹緒&ルビィのバイクだ。どうやら仲間に言われて前の手伝いに来たらしい。
「無事か!?」
「後ろはっ!?」
「あっちの連中から言われた。光柱が見えた位置より外側に、そろそろ到着するはずだ、って話だ!」
その確認と、先回りした敵に囲まれている斥候のフォローを頼まれたらしい。長距離射撃を駆使して護衛車両を守っている分、後方よりも前方の方がフォローの手が足りなくなるのは仕方が無い。人は一度に二つの方向に行動を起こせないのだから。
「前を見ろ」
襲い来る鳥に構わず、ファーフナーが短く声を放った。民家を見つけ、先にクラクションを鳴らして通り抜ける。出てくる人影は無い。それもそのはずだ。
「あそこ、境界線!?」
視線の遥か先、薄く空に上る煙。
「どうやら、あそこで詰まっているらしい」
自力で避難した者もいたのだ。だが、結界に阻まれてそれ以上に逃げられない。ルビィがニヤリと笑った。
「こじ開ける――前に、掃除だなっ!」
「境界か」
モールスを受信し、氷雅は道路と車体位置を確認した。
境界前は一般車両が詰まっている。両側が畑なのは行幸か。
「混戦ですね」
マキナは低く呟く。
一時群がった鳥を殲滅しても、すぐに集まってくる。
「行きましょう」
恐らく、あれが最後の難関。時間をロスすれば、犠牲者が出るだろうから。
魔具の一撃で結界はあっさりと開いた。
「突破して! 大丈夫よ! すぐ救助が来るわぁ!」
アカリの号令に、なすすべも無く境界に避難していた人々が外へと徒歩でまろび出た。
「邪魔な車両はどかすぜ!」
ルビィと笹緒、ファーフナーが道を塞いでいた車両を牽引でズラす。かろうじて一台が通れるだろう隙間が開いていく。だが、1tトラックやマイクロバスで直進は厳しい。しかしそのトラックとマイクロバスが後ろから来ている。
「止めるか!?」
「いや――行かせる」
咄嗟に止めようとしたルビィの手をファーフナーが遮った。逆手が翻り、飛来する鳥を一瞬で打ち抜く。
「防衛もやんなきゃだしね!」
アカリが狙撃銃を構えた。すでに迎撃体勢に入っている。空きが足りずに一般人を保護することになった氷雅の軽トラが走り抜ける。飛び降りるのはマキナとミズカ。着地と同時、放った一撃がこちらに向かう鳥をそれぞれ撃墜する。
続いて入るのは1tトラックだ。ひらりとディアドラが光の翼で舞い上がり、上空で鞭を撓らせる。風の唸りと同時、鳥が吹き飛ばされるのが見えた。
「……あの隙間、トラック通れるかしら」
とは、地上を見下ろしての一言。蛇行すればいけそうだが、直進だとあちこち車体をはねそうだ。
「おりゃぁぁあたしのテクを見ろぉぉ」
ファラの声と同時、ふわっと車体が動いた。何をどうやったらそうできるのか、あの隙間を実に優雅に抜けていく。荷台の一般人もほとんど揺れを感じなかったレベルだ。
「っしゃああ! 脱出成功ー!」
「……無茶するなぁ……」
続くマイクロバスのレイが苦笑する。
「まぁ、やってやれないこともないだろうけど」
「皆さん、しっかりつかまっていてくださいー!」
「わぁ信用されてないー」
「あ、あくまで安全のためですからっ」
「分かってるー」
レイと文歌のやりとりに、車上から飛び降りながらナナシは苦笑した。
「わりと余裕あるわよね」
見やる先、マイクロバスは先の動きをトレースして見事に抜けきる。ふわりと地上に着地したナナシの横、ドンッ、と着地するのは伊都。追いすがる駝鳥に向け、爛々と目を光らせて重い一撃を放つ。
「ここから先には行かせない!」
その横を慎吾の乗用車が抜けた。通り過ぎ際、放たれた治癒が伊都の傷を癒す。
「おっ?」
次々に一般人を保護した車が通過した。通り過ぎながら、龍仁が、優が、それぞれ治癒術を解き放つ。防衛に集っていた面々の傷が癒される中、ひらりと舞い降りる凛の傍らを諏訪のトラックが通過する。飛び降りたひりょと一瞬視線を交わらせ、凛は即座に道向こうの駝鳥へと銃口を向けた。園果が大剣を構え、その隣に立つ。
「引き剥がし損なった!」
境界線へとトラックが走りこんだ。その後ろには駝鳥の姿。
「防衛線を」
ふと、何かが視界をかすめた。残像のように煌いたのは銀の髪。
放たれた黒焔が触れた瞬間、駝鳥の半分が吹き飛んだ。同時に焔の鎖が残った部位を絡めとる。
「撤退を」
静かな声に全員が頷いた。
人々は結界の外に出した。内部に今留まり続ける意味は無い。
「あれ……」
走りながらも今だ近づこうとする敵を牽制し、ふと伊都は気づいた。
遥か視線の先――出発前に睨みすえた光の柱。
その柱が、白い霧のようなもので遮られて見えなくなっていた。
●
「連結陣!?」
南国市。結界の境界からやや離れた防衛線。
撃退庁と学園が急遽築き上げたそのラインの内側で、生徒達はその情報を知った。
「中が見えないって……あの中が、ですか?」
「そうだ。ゲート発生後、状況を把握しようとしたがあっという間に霧のようなもので内部が見えなくなった。おかげで枝門の位置も数も分からない有様だ」
駆けつけた実技教師、鎹雅の応えに一同は顔を見合わせる。彼等がいたときは、その力がまだ及んでいなかったのだ。
「それで見えなくなったんだ……くそっ!」
伊都は歯を食いしばる。
目隠ししてこそこそしようだなんて。ロクなことをしない。全く腹立たしい!
「敵はサーバントか……最早、確定だな」
報告を受け取って、雅は嘆息をついた。
ディアボロもサーバントも、見た目だけではどちらがどちらなのかは分からない。だが、カオスレートを変動させる攻撃で、マイナスの時に威力が跳ね上がったのなら、それは天界陣営。
そして今この時に動くだろう大掛りな集団は一つしかない。
「……」
ファーフナーは慣れた仕草で切り口を入れ、葉巻に火をつけた。くゆらせた紫煙の先、断たれたままの世界を見る眼差しは冷ややか。
境界線の遥か向こう側には、今も駝鳥の姿らしき影が見えた。だが、あえてこちら側に近づき、越えて来ようとはしない。結界を越えた瞬間に、サーバント達は踵を返した。まるで、最早関心は無いといわんばかりに。
「ん。これで、大丈夫」
「ありがとうございます」
ふと優の声が聞こえた。傷を癒されたディアドラが嬉しげに笑う。
お疲れ様、と、傍らで声をかけあうのはミズカとファラだ。
「なんとかなりましたね」
「だねー。怪我、もうだいじょぶ?」
「癒してもらいました」
飛び交う鳥と強力な脚力を生かして死角から遅い来る駝鳥に、対応にあたっていたほとんどの者が大なり小なり怪我を負っていた。だが、その全てはすでに癒されている。これだけアストラルヴァンガードが揃っていると、駆けつけた撃退庁の治癒部隊の出番すら無い。
「消耗品の補充はこちらで行う。スクールジャケットはあちらだ。軽食の類は向こうでもらってくれ」
雅が学園からの至急品を渡して行く。
連戦になる可能性が高い今、即座に対応できるように補給部隊が組まれたのだ。
ふと自分の拳に視線を落とし、マキナは僅かに目を細めた。
(――焔劫の騎士団、ですか)
ふと顔が浮かぶ。その大きな掌が頭を撫でたのは、二月程前のこと。
あれから姿を見なかった。何をしていたのかは――もう、考えるまでも無い。
(何故、とは野暮ですね。何時かは――と、判っていた事ですから)
天の威の体現者であるのならば、現状は必定。驚く程の事もない。
超えて行けと、言ったその言葉も覚えている。あれはさらに前――湯煙の中での邂逅。
――盗めるものがあれば持って行くがよい。
強くなれ、と、その目が言っていた。
――何れ、儂の到達できなんだ先に行けたなら、そいつを教えてくれれば有り難い。
気づいていた。それは別れを感じさせる言葉だったから。
(――戦うならば是非もなく)
なのに、胸を小さく穿つ、この痛みは何だろうか。
(…とは言え、もう少し先であったら良かったのに――)
結界の外、振り返る向こう側は淡くけぶって見えにくい。
同じ方向をぼんやりと見つめ、ラウールは痛みを覚えたように目を眇めた。
(騎士さんよ…これがあんたの望みか…?)
「上位者の命令が下ったんだろうね…」
ポツリと慎吾が呟いた。
此れは『誰が』望んだ戦いだろうか。少なくとも、騎士個人が望んだ戦いでは無いだろう。
天界は縦社会。上の者の意識が変わらない限り、こうした戦いはいつまでも続くのだろう。
(騎士団か…出来れば、戦いたくなかったかな)
けれど、実行された行為は最早戦い以外の決着を望めないもの。激しい怒りと敵意を込め、伊都は世界を絶つ境界線の向こうを睨み据える。
「覚えてろよ天使共、この仕打ちは絶対に許さないからな」
開かれたゲートの直下にいた人達は、恐らくもうこちら側に帰ってくることは出来ないだろう。只人の命を一瞬で奪ってしまうもの――それが、ゲート。自分達が出来るのは、ゲートの外周、結界内と支配領域の人を救い、略奪者を追い払うことだけ。
その、なんと口惜しく腹立たしいことか。
(生きてたんだ。この時代に、この世界で、一生懸命。その人達を奪ったお前達を僕は許さない!)
幾つの門があったのか。その門の中で、どれだけの命が奪われたのか。それは決して、忘れてはいけない事だから。
「おねえちゃん、ありがとー!」
大きく手を振る子供達を見送り、文歌はホッと息をついた。笑顔を守れた。それが何よりも嬉しい。
「お疲れ様」
運転手を務めていたレイが微笑む。
「お疲れ様ですっ」
声をかけあい、同じ方向を見つめる。撃退士達に守られ、結界の外へと無事に脱出できた人々。ほっとしたような顔の人もいれば、今更ながらに怯え震えている人もいる。明斗が丁寧に言葉をかけながらマインドケアを施していた。
「……気づいた?」
「はい」
レイの声に文歌は頷く。
結界内にあって、彼等一般人は奇妙な程落ち着いていた。精神が吸収されないように施されていたにも関わらず。直接の被害にあいそうな時のみざわついたが――
「ゲートの影響だけでは無さそうでしたね」
スキルを使用すれば、反応は出る。だが、それ以外の時のあの落ち着きよう――感情の揺れ幅を緩やかにされているようなあれは、通常のゲートの影響とは異なっていた。
「何かの術式なのかな……これだけ大掛かりなゲート展開が、誰にも感知されなかったのと同様に」
騎士団は『武』だけでは無い。おそらく組織として、二手三手先を読みながら戦場を自らの思う通りに作り続ける力がある。
「いつまでも、後手に回る気はないが――な」
笹緒の声に、二人は頷いた。
三人から少し離れた場所で、バイクを持ち主に返し、ふとアカリは空を見上げる。
「お義父様……? 気のせいかしら」
青空と、境界を経て白くけぶって見える結界。
ふと小さく煌いたのは、先程まで相手をしていた鳥型のサーバントか。それとも普通の鳥か。
「フフ、差し詰め谷底にでも落されたかしらぁ?」
鳥はただ静かに上空を旋回する。
大きく伸びをし、空を見上げるルビィもまた、その鳥にニヤリと笑った。
「――観てんのはオッサンか?」
何を思っているのか。
隔たれた向こう側の相手を窺い知る事は出来ない。
「待ってろよ。この落とし前、キチッとつけてもらうぜ?」
「ところで、カメラを回していた者達はどうだったかな」
笹緒の声に、ちょうどカメラチェックをしていた氷雅が言葉を返した。
「あの靄の前の画像も撮れてる。それでも多少は、影響を受けているな」
「デジカメで撮った内容も同様ですね」
仲間のもとに戻ってきた明斗が画像を見ながら報告した。
「やれやれさね。けど、アアなる前に撮って来れたってのは、デカイと思うぜ」
「騎士団も、大胆かと思えば、随分と慎重ですよー? このルート情報があるだけでも、だいぶ違いますしねー」
遊夜の声に、諏訪も頷く。
「敵、また、来る?」
「ふふっ。追い払わなきゃ、居座られても困るよねぇ」
おちおち遊びにも来れないから。
「うぉっと」
ヒビキと麻夜に後ろから飛びつかれ、遊夜は苦笑した。
「連中には、とっととお暇してもらいたいねぇ」
同意を示す人々の中、結界を無事抜け出せてホッとしていた園果は、ふと見つけた先輩の姿にそそくさと近寄る。
「あの、先輩……部長さんの所に行ったらどうですか?」
あっちにいますよ、と場所を示すと、ひりょがちょっと困ったような照れたような顔ではにかむ。互いの無事を喜んでいるのは、きっと彼女も同じだろう。けれど、こういう場所で互いに無事を喜びあう姿を他者に見せるのもなにか恥ずかしい。でも本当はすぐに駆け寄って、無事でよかったと、そう告げたいのも真実で。
「あ」
眼差しに気づき、凛が振り返る。思わず足を踏み出しかけ、ちょっと戸惑い、嬉しいような困ったような、そんな仕草ではにかむ。同じだと思う。今きっと、同じ気持ちで、同じ事を思ってる。
園果におずおずと背中を押されて、歩き出した。
ふと、パンッ、と、結界の方角で音が響いた。
一撃。二撃。
三撃。四撃。
絶たれた世界とこちらを繋ぎ留める為、ナナシが攻撃を放ち続ける。何度閉ざされようと、遅れて逃げてきた一般人がいれば、いつでもこちら側に帰って来れるように。
学園の応援部隊、その本隊が到着するまで絶えず、放棄すること無く。
(『現状』は……予測済みだ)
仲間と共に負傷者を癒し、保護した一般人が撃退庁職員の手で安全地に更に送られるのを見送りながら、龍仁はゆっくりと噛み締めるように胸の中で独り言つ。
(これが答えだとしても俺は諦めずに歩いていくからな…)
刃を交え、命をかけて闘ったことも。
一緒に温泉に入って話し合ったことも。
一緒に酒を酌み交わしたことも。
――決して嘘では無かったから。
(例えその先で、何を思い、考えていようとも――だ)
生きている限り、歩みを止めることは無いのだから。
次々に運び込まれる資材。
組まれる結界と人界を隔てるための簡易堤防。人と天魔の境界線。
誰とも無く視線が向かう。導かれるように。
静かに明斗は呟いた。
「必ず取り戻す」
○
全てを見終えた巨漢は、ただ口の端に笑みを刻む。
言葉は無く。
声すら無く。
ただ見るものをゾッとさせる程の覇気を纏って立ち続ける。
――やがて来る者の到着を待ち続けるように。