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マスター:九三壱八
シナリオ形態:シリーズ
難易度:非常に難しい
形態:
参加人数:6人
サポート:2人
リプレイ完成日時:2014/04/07


みんなの思い出



オープニング

「ハッ……なるほどなァ……あれが連中のゲートか」
 遠く、遥かな峰を見上げ、男は唇の端を歪める。
 口が引き裂かれんばかりに釣り上がる笑み。見える牙。天を貫く光の柱を見据え、その瞳に隠しきれない喜色を浮かべる。
 ゲートへの直接干渉を上の連中は渋るだろう。
 そんな面倒事はこちらとしてもごめんだが――
「遊ぶ口実もらったんだ……せいぜい楽しませてもらうぜ」
 傷の癒えた腕を撫で、ユグドラは笑う。
 背後の闇で百を超える瞳が赤く輝いていた。




 自らの力の無さを呪った
 力を手放したことは正しかったのか
 何度も考え、自らの愚かさを憎み
 ただ安全地でひとり その無事を祈り続けた

 生きる為の力だった
 ――その生命を守る為に

 守る為の力だった
 ――その存在を守る為に
 けれど自分で守ることが出来ない身になって初めて気づく

 その持ちすぎた力が、逆に相手を殺すことになるのだと





 ――疲れたか?

 声をかけられ、レヴィは顔を上げた。
 ゲート最深部。そのコアの前。
 冷厳なる部屋の青光は、その人の纏う光と合わさり柔らかく周囲を満たす。
「主様」
 発した声は、確かにいつもより細い気がした。だが、それ以上に気づいている。自身の力が大幅に減っていることに。

 ――ゲートを作る、ということは、そういうことだ。

 様子を察し主はほろりと微笑んだ。
 どこか悲しそうな――何故かホッとしたような。
(……主様?)
 僅かに瞬き、ふと気づく。
 最近とみに感じていたあの『閉じている』感覚がないことに。
「……主様。ゲートは成りましたが」

 ――うん

「撃退士の人達や冥魔も集まっています。冥魔が表立って攻撃を加えてくるとは思えませんが、『彼等』はこちらにやって来るでしょう」

 ――そうだな

 こんな時だというのに、主の笑みは変わらない。むしろ昔の穏やさを取り戻した気にさえさせる。本当はもう、立っているのすら辛いだろうに。
(ゲートが、主様にとって良いことになったのだろうか)
 それならいい。作る意味は未だ分からないが、ルスがそうして少しでも幸せであってくれるなら。
 あとはただ、主とゲートを守り続ければいいのだ。
「主様」
 少しホッとした声のレヴィに、微笑み先を促した。
「主様に万が一がないよう、先程、ゴライアス様から守護騎士をお借りいたしました」

 ――えっ

「え?」

 ――いや、なんでもない

 レヴィの視線にルスは顔を覆う。一人でこそこそしていたせいで思わぬ事態が発生した。エッカルトの「そらみたことか」と怒る<声>が頭の中に響く。
(主様、顔を覆われてしまって……そんなに嬉しかったのですね)
 レヴィは綺麗に誤解した。
「本来なら、ご本人が来たかったそうですが……先日の戦いの負傷深く、すぐに駆けつけることが出来ない、とのことです」
 ルスは頷き、手を外すと遠いどこかを見上げた。

 ――儘ならないものだな……

「ええ。本当に」
 レヴィは綺麗な誤解をした。
「さすがに一度で送れる数も限られるそうで、ゲート内部の守護に九体、お借りしています。『返さなくていい』とのことですが」
 レヴィの声に、ルスはゆっくりと瞬きした。そうして苦笑を浮かべる。

 ――……そうか。

「主様?」
 何かを察したような表情にレヴィは首を傾げた。何か胸騒ぎがした。いや、それはずっと前から感じている。ゲートを作れと言われる前から。土地との相性を見に行けと言われる前から。

 ――……

「主様……何か、あるのですか?」
 主の意向に追随するだけなのか、と人の子に言われたことがある。
 おまえの意見を言え、とエッカルトはいつも怒っている。
 だが、自分の意見とは何だろうか。何もしたいことなど無いのに……?
 けれど――
「何を考えておられるのです……?」
 問いたいと、知りたいと、思うことは、それと同じことなのだろうか。

 ――レヴィ。お前は……?

 レヴィの声にルスは少し微笑む。手を伸ばし、相手の頬に触れた。
「私は――…」
 その後の言葉が続かない。あと少しで何かが形になりそうなのに、上手く像を結ぶ前に揺らぎ消えてしまう。
 そんなレヴィにルスは柔らかく微笑んだ。

 ――レヴィ。我はずっと、その先を聞きたかったよ

 少しずつ人らしさを見せ始めたレヴィ。
 変われる可能性を見た日から、ずっと願っていたことがある。

 ――戦いが始まれば、レヴィ、おまえは出るのだろう…?

 声に頷いた。

 ――なら、レヴィ、今から言うことをよく覚えておきなさい

 ルスは微笑む。相手の戸惑いも不安も包み込むように抱きしめて。

 ――命ある者はいつか死ぬ
 ――思い出は思い出以上の意味を持たない
 ――けれど思いを持つ者がそれを持ち続ける限り、限りある時の中に、永遠は生まれるだろう

 例えば、何気なく振り返った先、
 歩く道の傍ら、
 いつもと同じ場所の風景、
 そこに居た人のことを思うだけで

 ――それだけで、己の中にある刹那の永遠を知るだろう

 永遠に等しい、一瞬にも満たない刹那を。

 ――レヴィ、おまえがそうしてくれるなら、我は、いつだって、おまえの傍にいるから

「主様。それは……」
 言いかけ、レヴィはハッと虚空を睨んだ。
「リゼラ様…… !?」
 遠くで鳥の羽ばたく音がする。深部にまで届くほどの音。恐ろしいほどの大群。
「まさか、外に……!」
 呻くレヴィの傍ら、一瞬だけ表情を消したルスは思い出したように苦笑を浮かべる。

 ――他にも、来客があるようだ

 ルスの声にレヴィは呻く。予想はしていたが、早い。せめてもう一日あれば、ゴライアスが駆けつけてくれるというのに。
「主様はこちらを動かれませんよう」

 ――ああ

 頷くルスの微笑みは深い。
 違和を感じるより早く、その腕に抱きしめられた。
 いつもと同じ暖かな腕。柔らかな温もり。
 魂のこもった声で告げられる。

 ――いきなさい





 外に出て驚いた。
 撃退士達が結界周辺に集結しつつあるのは知っていた。その大きさの関係上、結界内部に一部を取り込んでしまったことも。
 けれど――
「何故、冥魔が」
 二柱の悪魔と、ヴァニタス。
 一直線にゲートに向かい突撃してくるヴァニタスには明らかに戦意がある。
「……っ」
 レヴィは走った。
 ヴァニタスの後方、群れなす鳥は偵察ディアボロだろう。戦力を測りに来たのか真意は分からないけれど。
「来たな!」
 こちらを認め、獣の笑みを刻む男はどう見ても偵察が目的では無い。
 攪乱か。
 何かの罠か。
 いずれにせよ、敵。
「これ以上進まれるのでしたら、私がお相手致します」
「フン……そこらの木っ端と一緒にするんじゃねェぞ」
 シュトラッサーとヴァニタス。
 そして、どちらも上位種により異例の力を与えられた者。
「ゲートなんざどうでもいい。……見せてもらうぜ、『終焉の』。無敗だとかいう、てめェの戦いの全てをな!」





「あの中に、突っ込めと」
 勝手に盛り上がり激突するアレな人外生物の遥か後ろ、駆けつけた撃退士達は胡乱な目になった。
「『必ずレヴィに大きな隙が生まれるから助けてやってくれ』……ってことは、それまでは周辺の鳥を倒してればいいわけか」
「本番前だ。ほどほどにな」
 嘆息つきつつも、その目は油断なく周囲を捕捉。
「僕達の力がどこまで通じるかわかりませんが……」
 奢りや慢心とは無縁。
 沢山の人々の願いを背負い、彼等は密かに戦場に立つ。
「やってやろうじゃない。必ず全員、笑顔でフィナーレを飾らせてあげるわ!」




前回のシナリオを見る


リプレイ本文




 伝えられなかった言葉がある

 ■■■■■■

 きっとそれは許されない言葉






 漆黒の光が雨のように降り注いだ。触れたものをことごとく灰塵に帰し、後には黒く染まり大きく穿たれた大地しか残らない。強靭な脚力で大きく飛び退って避け、黒地を駆けるのは人型の獣だ。
 四国、徳島、剣山。
 ゲート破壊作戦の裏側、大天使達の願いを託された一同の前にあるのは、天魔と天魔が激突する光景だった。
「先のを繰り返すけど、あの中に突っ込め、と」
 こちらに気づいて飛来する黒鷹に光玉を放ち、指揮担当を探しながら蓮城 真緋呂(jb6120)は口の端を僅かに震わせた。
 視線の遥か先、ユグドラの爪により切り裂かれる大地。反撃に放たれる灼熱の業火。ディアボロはおろか雪も木も丸ごと消失し去り、後に残るのは所々溶解し焼け焦げた大地。
「環境破壊ってどころじゃないな」
 戦場へと駆ける神凪 宗(ja0435)の声に強羅 龍仁(ja8161)はやや遠い目で口を開いた。
「後で怒ってやらないとな」
 無論、戦い故のことだと分かっている。口にした言葉は、そのままその後の日常をごく自然に希求するがためのもの。
「必ず大きな隙が出来るって……ルスさんは何故そんな事を言うのかしら」
 真緋呂は痛みを堪えるように眉根を寄せた。
「『必ず』と確定できる、ということは……それは、あの人が起こすということでしょうか」
 闇の逆十字で向かってくる五羽を纏めて叩き落とし、鑑夜 翠月(jb0681)は小さく唇を噛む。大天使ルス。彼女に関しては未だに謎が多い。ただ伝え聞く動きと言葉だけが、その人の姿を形作っている。悲しい程の愛情と共に。
「『何をするか』は分からんが、何をしたいのかは」
 分かる気がすると、重圧の入った黒鷹にとどめをさし、ぽつりと零すのはインレ(jb3056)だ。
 永い時を生きてきた。寿命が近いこともまた、同じ。
 願うことがあるとすれば、
 望むことがあるとすれば、

「――残される者の幸せ」

(永き時を生き、己は満ち足りたと、ただ残す者の幸せだけを願う)
 その気持ちは、
(少し、分かる気がする。……己もそうだから)
 きっと他には怒られてしまうだろうけれど。
 ……そんなことは望んでないと、言われてしまうかもしれないけれど。
(だが、間違っているんだろう。……僕も、お前も)
「方法を間違えれば、幸せになんてなれない。……そう、伝えてやれればな」
 物思うインレの隣、龍仁は口惜しげに呟いた。直接話をする機会すらなかった相手。止める術があれば、その時間があれば……なんとしても止めたのに。
「……寿命というものは、誰であろうと変えられん。『時間が無い』と、告げる言葉以上に、彼女の『時』は……」
「……」
 インレの静かな声に、龍仁は頷いた。分かっている。あまりにも急ぎすぎるそのやり方に、疑問を抱いていたから。
「大きな隙……か」
 フレイヤ(ja0715)のファイアーブレイクが重圧の入っていた鷹を一掃した。ちょうど範囲に入り込んだ黒鷹を龍仁の弾丸が追撃する。地に落ちた鳥を一瞬見やり、フレイヤはぼやくように呟いた。
「レヴィさんに隙が出来るなんてルスさんの事以外にないでしょ。……ったく、ほんとルスさん一筋なんだから、バカ」
 きゅ、と噛む唇が白くなる。
 あまりにも純粋に、ただひとりだけを思い続ける心。
「ルスさんだって……」
「……うん。何をしようとしているのか私には分からないけれど…。レヴィさんを助ける事、それが手を取り合った相手の望みであれば全力を尽くすわ」
「……そうだな。状況は厳しいがやるしか無い」
 フレイヤの呟きに真緋呂は頷き、その言葉に龍仁も頷く。
「そうですね。ルスさんもきっと……」
 翠月は呟く。

 『助けてやってくれ』

 ほんの一言だけの短い言葉。
 だからこそ色々な言葉で語るよりも、想いが良く伝わってきた。
 必死さも、
 狂おしい程の愛情も。
 だからこそ――
「……その想いに応えるためにも」
 見やる先に戦いを求める餓狼。今はまだ、こちらに興味を払ってはいなくとも。

「ユグドラさん、全力で挑ませて頂きます」





 守られているのを知っていた。
 遥か高みにある輝ける人。
 美しき光。その名の通りに。
 傍にいてくれるだけで奇跡だった。
 踏み出せば壊してしまう。
 だからそれ以上の奇跡は望まない。
 生まれた言葉を飲み込んだ。


 ■■■■■す





 一瞬、背筋が凍るような視線を感じた。
 本気の戦闘状態なレヴィを全員が知らない。周囲を飛ぶ黒鷹を落とす一同を見やった視線はわずか一瞬。
 攻撃は、無い。
(まずは敵ではないと、思ってくれたか)
 それとも優先度の違いなのか。閃光と共に吹き飛んだ一角、僅かに避け損ねたユグドラの右腕は黒く変じ垂れ下がったままだ。
「近づくどころじゃないわね……」
 すぐに近づける距離を。だが、レヴィの範囲は二十メートルに及ぶ。範囲に巻き込まれたらどうなるのかは、強力なヴァニタスであるユグドラの腕を見るだけで明らかだ。
 だが、レヴィの方にも損傷がある。左前腕部を裂いた一撃は相当深いだろう。
(相手がユグドラなら、回復する間も与えられん)
「レヴィ!」
「レヴィさん!」
 一か八か。龍仁とフレイヤは声をかけた。返答は無い。だが冷ややかな気配は消えた。
 ――認識されたのだ。
(うぉぉぉ嬉しいとか思わな…嬉しいよな!)
 フレイヤ、小さくガッツポーズ。
「ルスさん、エッカルトさんの要請で助力に来たわ」
 真緋呂が声をあげる。横から襲おうとする黒鷹を光玉で撃ち抜いた。
 続いて声をあげかけ、翠月は言葉を飲み込んだ。
(危険)
 察したのは、相手の心情。ユグドラ相手に気を散らせばどうなるのか。自分達は知っている。
「あの範囲攻撃が無くなったな」
 呟き、一気に距離を詰めるべく宗は走った。空を行くインレもまたその動きに合わせる。
 最も近寄れなくしていた自身周囲を消滅させる闇の雨。それが止まったのは黒鷹が撃破されたせいか。自分達が近くにいるためか。
 少なくとも、これで近づける。
「ハッ……見た顔がいるじゃねェか!」
 気づいたのはユグドラも。認識され、宗は口の端を上げた。かつては人間を一顧だにしなかった相手。まともに見るようになったのは、いつだったろうか。
「!?」

 異変は唐突に訪れた。

「!」
 何の前触れもなく、レヴィが完全にユグドラから意識を外した。戦闘中なのに。まるでそんなことすら忘れたように。
「コアが……!?」
「くそが……ガラ空きだ!!」
 その隙を見逃すユグドラでは無い。怒りを込め、繰り出された腕がレヴィの胴を切り裂いた。


「戦い中で他に気をとられるたァどういう了見だ」
 明らかに興醒めした顔でユグドラが血塗れの左腕を振るう。その瞳の中、熾火のように燃えるのは怒りだ。
「ブチ殺……っとォ」
 動き出した瞬間、フレイヤの異界の呼び手が発動した。地面から伸びる闇の手を避け、ユグドラは顔を顰める。
「あァ!?」
「ここここ怖くなんかないっつーの! あ、でも来んな来んな」
 来るな、と言いつつも走り込んだ場所からは退かない。目を逸らさない。かつて受けた傷は覚えているけれど。
(レヴィさんには近づけないわ……!)
 なんらかの技だったのか、意識を刈り取られているレヴィ。その身を背後に庇い立つ以上、怖いからと逃げるわけにはいかなかった。
(女は度胸よ!)
 駆けつけた真緋呂がその体を抱えて引き離し、龍仁が治癒を走らせる。
「……傷が深い!」
 全力の攻撃を無防備の意識外からまともに受けたのだ。
(間に合わなかった……!)
 もし隙が出来るなら、無防備になったところを討たれないよう、間に入って守るはずだった。だが、発生のタイミングが分からない以上、行動速度の高い二人の間に入るのは難しかったのだ。
(あと一歩だったのに!)
 だが彼等のその動きが、最悪の事態を救ったのは間違いない。
 庇いに入る一同の後ろを見やり、ユグドラは苛立たしげに舌打ちした。
「てめェらは後だ。退きやがれ!」
 楽しみを裏切られた怒りは深い。だが踏み出す前、インレの一撃がユグドラのすぐ近くの雪面を吹き飛ばした。
「ぁ?」
「戦況は変わった。惑い戦意も危うい敵を討つが望みではあるまい」
 上空より飛来したインレの表情は、常と変らない。
(さて、この獰猛なる餓狼に、老いた身でいかに対抗してやろうか)
 冷然とした表情の中、インレはまるで達観したかのように平静に考える。
 生きて帰ると誓った。
 ――故に死ぬつもりはない。
(だが――彼女達の幸せを護る為なら)
 老いた身で、もはや尽きかけの命をも燃やし、最後の最後まで戦い続けているのだろう大天使。それが分かるから、退くつもりも猛るつもりもない。
(それ以外の全て、此処で燃やし尽くしても構わない)
 感情を荒ぶらせば平静を失い隙を生み、
 悲観に目を塞がれれば状況を見誤り判断が遅れる。
 故に泰然と、まるでいつものように。決意、心情、いか程のものであろうともあるがままに。
 ただ、思いだけを胸に。
(四肢砕けようと、行かせはしない)
 踏み出し、構える。
「違うだろう。お前が望むは血沸き肉踊る魂すら燃やし尽くす戦い──来い、遊んでやる。老いた兎の喉笛、喰い千切って見せろ」
 値踏みするように目を細め、ユグドラが改めて踏み出そうとした瞬間、真正面から刃が来た。
「青森での一戦以来になるが相変わらず元気そうでよかった。他の連中にやられていないか心配だったんだ」
 宗だ。
 至近距離で見る相手の獣瞳が愉悦に細る。
「へェ? よくここにいるって知ったじゃねェかよ」
「予感がしたんでな」
 会えるような気がしていた。
 戦いを求める戦鬼同士。会う機会があるとすれば、それは戦場に他ならないけれど。
「そこの使徒と戦いたいのだろうが、こちらにも色々事情があって見過ごす訳にはいかない。久しぶりの再会だ。今日は自分との戦いで我慢してくれ」
「てめェが楽しませてくれるんならな!」
 力の集中を感じた。大技の気配に宗は大きく後ろに飛ぶ。
 龍仁がもう一度治癒を放つ。レヴィを抱えて真緋呂はさらに退いた。
「ゲート、が」
 腕の中から声が聞こえた。刈り取られた意識を取り戻しながら、レヴィはこちら側を見ていない。
「迷いは隙を生む! 戦場でその隙は命取りだぞ! 今成すべき事を成せ」
 前衛を守りながら、龍仁は叫んだ。けれど、
「主様……!」
「駄目よ!」
 深い傷のままに動こうとする相手に真緋呂は慌てた。抱きついてその体を止める。
「レヴィさん、僕達は貴方を助けて欲しいとルスさん達から頼まれてここにいます。どうしてあの方達がその様な頼みをしたのか、それを考えて下さい」
 仲間の隙を補い続けていた翠月が声をかけた。視線はユグドラを見据えている。
 インレの攻撃にあわせ、放った闇の矢がユグドラの側頭部を襲った。
「ハッ……てめェらお得意の集団攻撃か」
「求めているのは、お前自身が全てを出しきれる戦闘、だろう?」
「全員が真正面から一対一で闘うだけが、戦いではありません。スリルのある戦場を望んでいらっしゃるのではありませんか?」
 インレと翠月の声にユグドラは口元に亀裂のような笑みを浮かべる。視界の端、気になる使徒はいるけれど。
「ユグドラさん、そちらにばかり気を取られて良いのですか? 僕の一撃は【ナイトウォーカー】の名に恥じない威力がありますよ」
 普段であれば、このような物言いはしない。だが、
(戦いに強さをも求めるの敵なら)
 その名をも背負ってみせよう。
 守るべきものを守る為に。
「違いねェ」
 流れてきた血を舐め、ユグドラは嬉しげに笑った。
 集団戦を卑怯と謗る気は無い。
 遠隔攻撃者を睥睨する気も無かった。
 己の力を最大限生かせる場所で、活かせる戦いを。
 まして、その実力が望む領域にまで差し掛かっているのであれば、戦う相手として是非もない。
「楽しそうな顔になったじゃないか」
 襲来する宗の一撃にユグドラは笑った。確かに気分は良くなった。楽しませてくれるのなら、なんでもいい。
 喉が渇いているのに、飲むものが一つも無いような。
 空腹を抱えて荒れた不毛の地に立ち尽くすような。
 そんな思いをせずにすむのならば、個に固執する理由は無い。
「いいぜ、てめェら……。だが、もっとだ。まだ足りねェ。全部だ。全部寄越せ! てめェ等の全てをな!」





 感情、と呼ばれるものがわからなかった
 時折浮かぶこの言葉が感情なのか
 言葉にすればより強くなる
 だからそっと蓋をした
 今の世界を壊したくなくて

 ■■■います





(魔女は見知らぬ誰かを笑顔にする者。…だったら好きな人達は?  決まってんじゃない、超幸せにすんのよ!)
 フレイヤが術を解き放つと同時、ユグドラの足元から無数の手が現れた。まるで地底に引きずり込もうとするかのような手を回避し、ユグドラは反転する。右足が消えた。
「きゃあ!」
「フレイヤ!」
 凄まじい力で蹴り飛ばされ、細い体が宙を舞った。ユグドラは違和感を覚えたように眉を潜め、己の足を見て舌打ちする。
「チッ」
 レヴィに抉られた右腿の自己回復が追いついていない。つっ、と軽く左肩を後ろズラすと、真緋呂の放った光玉がこめかみの横を勢いよく通り過ぎた。
「次はてめェか」
「!」
 重症を負ったフレイヤを庇い、真緋呂は身構える。そのユグドラの頭上に影がさした。
「ッ」
 飛来した闇が覆い被さるようにして舞い降りる。無言で放たれるインレの掌底を僅かにバックステップで躱したところで白銀の槍が唸りをあげて襲ってきた。
 パンッ
「……くッ」
 嫌な衝撃に共に宗は呻いた。ユグドラの左手に白槍の柄が握られた。
「カカッ」
 凶悪な笑みと共に強く引かれる。咄嗟に武器を手放すが勢いは殺せない!
「!!」
 反射的に喉元を庇った腕に激痛が走った。目の前で爛々と光るのはヴァニタスの獣瞳。ぶしゅり、という音と同時、熱と血が腕を伝い雪に赤の模様を広げる。骨ごと砕くか、喰い千切るか。一秒後に見えた未来が突然消えた。

「避けるか」

 インレが呟く。目を狙い繰り出した剣指を避け、口の端を歪めてユグドラは笑った。口元を染める血を舌でベロリと舐めとる。その顔がギョッと強ばった。
 瞬間的に見た視線の先に翠月。その身に纏い直した闇の風。
 不可視の闇の矢がユグドラの頭部に弾けた。


 楽しげな男の笑い声が妙に耳障りだった。
(寝てるのになにようるさいわねー……)
 思ったところで目が覚めた。寝てる場合じゃなくないか!?
「ッッッ〜〜!」
 起きようとして身動きできない激痛に硬直した。あまりの痛みに声も出ない。
(骨折れた! 絶対折れた!)
 折れてない。わりと頑丈だった。
「フレイヤさん!」
 羽音と衝撃音が響き、目の前にボタッと黒鷹が落ちてくる。真緋呂の声に必死に目を向け、フレイヤは血の混じった息を吐き出した。
「範囲が来るぞ!」
 少し遠くで龍仁の声が響く。自身の意識を取り戻させたのも彼だろう。戦闘はまだ続いているのだ。
「レヴィ、さん、は」
「ここ! ゲートに行こうとするの!」
 真緋呂は泣きそうな顔で首を横に振る。無理やり創部を圧迫止血したが、それだって走り出そうとする相手を押し止めながらだ。戦いに傷つく前衛を守る龍仁は、常に治癒を放ち続けている。それでも最初に二回、回復をもらえたことがかなりの助けになっている。
 ごほ、と一度小さな血を吐き、フレイヤは雪の中から這い出た。恐ろしく体が重く、上手く動けないけれど。
 一歩。震える足で歩む。
(ルスさん)
 まだ会ったことがない大天使。
(力、借して)

 彼女の使徒を失わない為に。





 微笑っていて欲しかった。
 幸せであって欲しかった。
 自分が悲しませているのなら、自分など消えてしまってかまわない。
 決して本当の意味では同じ時間を生きられなくても。

 ■■ています





 頭から流れる血が目に入って見えにくい。
 咄嗟に近くにいる二人に範囲攻撃を放った。大ダメージを負った身であの二人に張り付かれているというのはどうにも具合が悪い。
「意識、落としたと思ったんだがな」
 金髪を赤に染め、ユグドラは翠月を見て笑う。
 哄笑があまりにも嬉しそうで、血だらけなのに全く弱って見えない。
「落ちて、いる、場合じゃ、ありません、から」
 肩で息をし、告げる翠月の体もまた血に染まっていた。その攻撃力を軽視出来ざるものとして最初に狙われ、けれど宗達の助力で追撃を免れ、龍仁の治癒をもらって今に至る。
(時間とダメージは、稼げたでしょうか……)
 動きをあわせ、狙い撃つことで最大の効果をあげる。流れすぎた血で立ち続けるのも難しいけれど。
(レヴィさんは……)
 視線が合わさっている今、ユグドラから目を外すことは出来ない。
 どうなったのか。思った時、耳が乾いた音を拾った。

 パンッ

「…何してんのよ、死ぬ気? ルスさんが心配なのは分かる。でもね、私だって貴方がルスさんを心配するのと同じ位、貴方の事心配してんのよ!」
 平手打ちした手を庇うように持ち、フレイヤは強い眼差しでレヴィを見下ろした。
「貴方が初めて笑顔を見せてくれた時嬉しかったのよ。…魔女だ何だと言ったって本当に誰かを笑顔に出来るのか不安だったもの。でも貴方は笑ってくれた、私に自信を持たせてくれた」
 見上げる視線。真正面から見下ろして。
「だからもう一度笑顔見せてよ、お願いだから」
 額に小さく口づけた。
「…………………………………。うあああ! 恥ずかし!」
 三秒ぐらい後、頭抱えてごろんごろんするフレイヤをなんとなく見やり、吹き飛ばされた雪の上でインレはなんとか身を起こす。引き裂かれた腕から血が滴った。
(少しは、脅威に思われたか)
 頭部のダメージは大きかったのだろう。
(勝機が見えたな)
 レヴィを見る。大天使がなんとか生かそうとしている使徒。
 ――もしかすれば、それは他の意志とは逆になるかもしれないけれど。
「行くと良い。望むが侭に、願いを、想いを告げてこい」
 インレの言葉にレヴィは息を飲んだ。
「我が儘で良いんだ。そう在ることが彼女達の幸せだ」
 我儘なんて、分からない。
 感情なんて、分からない。
 けれど心が叫んでいる。傍に。傍に。本当は一時だって離れたくなくて。ずっと一緒にいたくて。
「行け」
 背を押された。足が動いた。立ち上がる寸前、解き放ったのはかつて主が持っていた治癒術。
「ぉ」
 痛みの減った少女の声が聞こえた気がする。

 思えば、誰かに許し認めてもらいたかったのかもしれない

 言葉を。行動を。
 一人で歩き出すには、足りないことが多すぎて。
 最初からある言葉はただ一つ。
 故郷を失い、家族を失ってなお、その傍らにあることを望んだほどに。





 愛しています





「無事か。すまない。これが最後の治癒になる」
 全く動かない腕に治癒の力を感じ、宗は口の端を少し上げた。
「いや、無理をさせる」
 その髪が赫く染まっているのは、至近距離でユグドラの血を被ったためだろう。新たに具現化させた雪村を持つ手に僅かに力が戻る。
「さて、続きと行こうか」
 ヒヒイロカネに戻った白槍は何処へ行ったのか。気にしている余裕は無い。空蝉はとうに使い果たし、大怪我を負った身。だがそれは相手も同じことだ。
「帰ってきたらとりあえずお腹縫わさなきゃ」
 走り去ったレヴィに背を向け、真緋呂は宗の動きにあわせて光玉を放つ。顔を覆うように流れる血を払い、避けようとしたユグドラの肩に光玉が弾けた。
「回避、落ちてる!?」
 蓄積ダメージが想定を超えたのか。細かいことは分からないが、
「好機」
「押して行くぞ」
 放たれた宗の一撃に、ユグドラが舌打ちをする。流れる血。目に入る。
「さしものお前も連戦はきつかったか」
 使徒との戦いで大ダメージを負ってからの戦闘。こちらの負傷も大きいが、相手はそれ以上だろう。
「ぁー。だがこれだから、面白い」
 鞭のように振るわれた足が宗の体にまともに決まる。
「か……っ」
 息がつまった。吹き飛ばされ雪に埋まる。だが、

「は?」

 くるりとユグドラの体が宙を舞った。
 弧を描き、膝裏を刈るようにして視覚外から一撃を放ったのはインレだ。受身こそとれども、背中から雪に落ちた。レヴィに負傷させられた腕は未だ動かない。
「ちィ!」
 攻撃の気配を察し、ユグドラは身を起こそうと片腕に力を込める。だが離脱するよりも魔法の使い手が放つほうが早い。
 フレイヤと翠月。
 黒猫と炎の剣が同時にユグドラの上に降り注いだ。


「くく……カカカッ」
 笑い声が聞こえた。
「イイ攻撃だ」
 まともにくらったはずの男が強靭な体をバネに起きる。
「まだか!」
 治癒は全て使い切っている。身構える龍仁にユグドラはプラプラと手を振った。
「い〜や。ここまでヤれりゃあ満足だ」
 もっと、を求める気持ちはある。だがどちらも手負いとなれば、お楽しみは後にとっておくほうがいい。
「この戦場はてめェ等にくれてやる」
 ポイッと何かを放られ、龍仁は反射的にそれを受け取った。ヒヒイロカネ。目を瞠った時にはすでに相手はあの脚力で場を後にしている。
「本当に戦って楽しむことしか考えてないんだ……」
 あまりにもあっさりと去った相手に真緋呂は肩を落とした。通信にユグドラ離脱を伝える龍仁からヒヒイロカネを受け取り、宗はそれを強く握り込む。
(……俺は、強くなったのか……それとも)
 昔よりは強くなっただろう。認められたと思っていた。けれどそれは、昔よりは、なのか。それとも――
 奪われかけた腕から血が滴る。
「向こうはどうなったのかな……」
 未だ傷深いフレイヤと体を支え合い、真緋呂とは空を見上げる。
 山頂、天を衝く光の柱は今も健在。
 誰も答えられないまま、時だけが進む。

「あ」

 光が一瞬、弾けたように見えた。
 錯覚か、否か。けれどそれを境に空の光が緩やかに薄くなる。

『コア、撃破しました。繰り返します。ゲートコア撃破しました』

 飛び込んでくる報告。無意識に声が零れた。けれど歓声をあげるには思いが強すぎて喉の奥で声がくぐもる。
 破壊した。依頼は果たされた。
 なら、
「レヴィは……」
 龍仁は痛みを堪え立ち上がる。
「ルスさんは!?」
 報告は無い。息を殺す気配。
 静寂の訪れた世界に風が吹く。
 その中に、光るものが混じった。
「これ……」
 手を伸ばしたのは何故だったろうか。
 きらきらと、輝くそれが光を撒きながらすり抜けていく。
「待って……」
 フレイヤは手を伸ばした。胸が痛んだ。何故。
「待ってよ……!」
 光を掴んだ。
 その羽根を。
「……そんな……」
 ふわりと掌に落ちた羽根に翠月はぺたんと座り込む。うそだ、と呟いたのは誰の声か。
「いやだ……いやだ待って、こんな……」
 胸に飛び込んできた光の羽根に真緋呂は緩く首を横に振る。
 柔らかな黄金の羽根。まさしく、『光(ルス)』の名の通りの。
「……」
 苦しい息の下、インレは羽根を手に瞑目した。
(……そうか)
 声は無い。ただ、分かった。
(そうか……)
 同じく無言で息を吐き、宗もまた瞑目する。
 戦場は制圧した。ゲートは破壊された。彼女の望んだ通りに。
 けれど、その命は――
「彼女は……望みを果たしたのか」
 やり遂げたのだろう。
 独力でなくとも、自力でなくとも、そうなるようにと願い、動き続けて。
「それでも……俺達は……」
 羽根を握り締め、龍仁は膝をつく。
 羽根が風に流れる。世界にその光を散らせて。
「生きて……欲しいと……!」
 携帯から女性の啜り泣く声が聞こえる。遠く名前を呼ぶ別の声は長門由美か。
 男性の声が告げる。


『大天使ルスの死亡を確認しました』





 ――……





 剣山ゲート『月華』は破壊された。
 ゲートによる一般人被害者、ゼロ。
 現地混乱による一般人負傷者数、軽傷数名。
 撃退庁および久遠ヶ原学園撃退士被害者、重軽傷者数十名。
 死者、ゼロ。
 環境破壊および施設破壊、中度。
 討伐天魔、天使リゼラ。
 死亡確認天魔、大天使ルス。
 学園保護天魔――……





「剣山に?」
 報告書を手に翠月は小さく呟いた。
 三月下旬。
 あの戦いからすでに一月が経過していた。目の前の教師は小さく頷く。
「レヴィに関しては……な。無理やり動かすのは危険として、剣山に監視体制を敷いている。大天使の遺体を……守っているのだろう」
 使徒レヴィは、天使エッカルトと共に学園預かりとなった。とはいえ、その身柄は学園には無い。大天使の遺体を抱いたまま、剣山に姿を消してそのままだ。
「エッカルトや皆がいなかったら、ちょっと面倒なことになっていたかもしれないな」
 自分の死後、レヴィを守れるのは誰なのか。
 その環境は何処なのか。
 『彼女』の出した答えがこれだったのだろう。エッカルトだけでも守れず、学園だけでも守れなかった。
「剣山のゲート跡については、今も交代で監視している。コアを破壊しているから、そこを通って天界の連中が来ることは無いが……完全に消滅しきるまでは、な……」
 すでに支えを失った結界は消滅しているが、コアのあった山頂付近は今も一般人の立ち入りを禁止にしている。
 ゲート破壊後の監視もあり、使徒が剣山に残っている理由も色々つけているが、それもそろそろ限界だろう。人どころか動物すら犠牲にしなかったゲート内部には、エネルギーはほとんど無い。未だにぼんやり残っているのが不思議なほどだ。
 使徒が山に残っている新たな理由を作らなくては、と呟く雅の短くなった髪が揺れた。
「魂の傷は、そう簡単には治らないと思うが」
 報告書を閉じ、呟く宗に雅は頷く。その唇が泣き笑いのような笑みを刻んだ。
「エッカルトが言っていたよ」
 大天使の死後、レヴィが生きているのは奇跡だと。
 おそらく短くない時間の中、生徒達と交わした言葉や培われていた絆が、その魂を砕くことなくこの地に留めているのだろう、と。
「……大天使が希望を見出したのは、これだったのだろう、と」
「……絆の力、ですか……」
 翠月はふと羽根を取り出す。消えずにこの世界に残ったこの羽根も、もしかしたら……
(……美しい方、でした)
 初めて見たそのひとは、すでに息を引き取った後。それでもあまりにも美しかった。悲しい程に。
(……もっと早く、お会いしたかった……ですね)
 覚えているのは、亡骸を抱き呆然と座り込むレヴィの姿だ。
 泣くことが出来ればどれほどよかっただろうか。あまりに思いが深すぎては、涙すら流すことが出来ない。
 ただ、心が壊れてしまうだけ。
『レヴィ! ルスはお前に何と言った! 母の言葉を思い出せ!』
 声よ届けと叫んだのは龍仁だったか。
『「生きなさい」そう言わなかったか! お前も良く知っている俺の知り合いもお前の事をとても心配してた。彼女の為にもお前は生きろ!』
 魂が死んだままでは、肉体もまた死に至る。
 それは誰もが危惧していたことだった。
『親はな……子の幸せの為なら世界を敵に回すのも厭わないものだ。ルスの為にも…エッカルトの為にも……そしてお前自身の為にもどうか生きてくれ』
 願いは届いただろうか。
『記録ではなく、記憶に残りたいと、ルスさんは願うと思う』
 涙に濡れた真緋呂の声も。
『レヴィさんが覚えていなきゃ、この世界にルスさんは生きられない。生きて。ルスさんの魂と一緒に生きて』
 誰かの言葉だけで全てを補えるとは皆思ってはいない。だが、届けたいと願い、祈る様にして届けた言葉が、壊れてしまった誰かを救うきっかけになるのは事実だ。
 少なくとも、レヴィは今、生きている。
 きっと、それが真実だ。
「……」
 ぱたん、と報告書を閉じ、インレはもたれていた壁から背を離した。
「行くのか?」
 問いに頷き、静かに歩む。
「……雪が溶けたからな」





「もーいーかーいっ?」
 フレイヤの声が響いた。
 剣山山頂。
 残る雪は僅か。リフトもまだ止まっているが、歩けない距離では無い。
「もう……いつまで閉じこもってるのよ。そんなの、ルスさんは望んでやしないんだから。バカちん」
 べち、と蹴る大地の色は茶と白が混じった泥の色。同じ大地を踏み、まだ足跡の無い薄い雪の上に踏み出して龍仁は呟いた。
「それでも、ちゃんと生きている。……結局、ルスは全部、分かってたんだろうな」
 自分がいなくなった後の世界でも、生きていてくれるという希望を見出した。
 良い行いだとは到底思えない。けれど、それが彼女がとれた精一杯の、そして最後の行動だったのを知っている。
「『生きたかった』……か」
 風に流れる髪を軽く押さえ、真緋呂は目を伏せた。彼女と直接会話できた人が聞いた言葉。切なく悲しい、心からの願い。
 ――決して誰にも叶えられない願い。
「生きる、って何だろうね」
 かつて天魔に奪われた生家。生命を救う医者だった家族。命を寿ぐ血筋。
 だから思う。

 生きるとは、何か。

 今際に、胸に秘めた叶わぬ望みを呟き、けれど愛する者の生を願って暖かな微笑を残し、この世を去った人。
 彼女の心からの願いは本当に果たされたのか。それを知ることはもう出来ない。
「早く出てらっしゃーい! ちゃんと出てこなかったら、こっちのルスさんにも会えないんだからね!」
 フレイヤの声に一同は振り返った。腰に手をあて、黄昏の魔女はふんすと鼻から息を吐く。
「毎朝登ってくるでしょ。……いつだっているわよ。この世界に」
 ああ、と龍仁は声を零す。
 愛する人たちに、いきなさい、と告げた彼女。
「そうだな……」

 ――行きなさい。

 その身とその魂を一つずつもって。
 この世界に。

 この世界で。


 ――生きなさい。




「あ。皆来た」
 ふと気づき、真緋呂は声をあげた。眼差しの先、手をあげる人々。
 足元には花。芽吹き始める命。
 空は晴れ渡り、
 冬は逝き、
 荒れた大地の傍ら、
 焼けた土地の片隅にも緑が萌える。

 生まれ出る命を讃えるように。








 ――それは、春。











依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: 断魂に潰えぬ心・インレ(jb3056)
重体: −
面白かった!:25人

凍気を砕きし嚮後の先駆者・
神凪 宗(ja0435)

大学部8年49組 男 鬼道忍軍
今生に笑福の幸紡ぎ・
フレイヤ(ja0715)

卒業 女 ダアト
撃退士・
強羅 龍仁(ja8161)

大学部7年141組 男 アストラルヴァンガード
夜を紡ぎし翠闇の魔人・
鑑夜 翠月(jb0681)

大学部3年267組 男 ナイトウォーカー
断魂に潰えぬ心・
インレ(jb3056)

大学部1年6組 男 阿修羅
あなたへの絆・
蓮城 真緋呂(jb6120)

卒業 女 アカシックレコーダー:タイプA