剣山。見ノ越。
台風の過ぎ去った空は雲ひとつなく、風はあまりにも優しく穏やか。
上に続く道を見ながら、島津・陸刀(
ja0031)は隣に声をかけた。
「なァ霧よ」
「はい」
車椅子に座した御幸浜 霧(
ja0751)はにこにこと陸刀を振り仰ぐ。
「俺ァ登山って聞いてたンだが?」
左手にゴミ袋。右手に火バサミ。それらを持つ手は作業用軍手。どこからどう見ても清掃作業員である。
「ふふ、山を登ることには違いありませんでしょう?」
霧はたおやかに微笑む。「只今清掃中」と書かれた日除け帽を渡され、陸刀はガックリと逞しい肩を落とした。
「たまにはこういうことも……ね?」
そっと上目遣いに見つめる霧の微笑みに、それも良し、と思ってしまうのは愛故か。帽子を被り、陸刀は男らしい顔に苦笑を浮かべた。
「来ちまッたモンは仕方ねェ。いッちョやってこうかい」
「はい」
深く優しいその声に、霧は幸せそうに微笑んだ。
「あはァ、秋の散策と参りましょうかァ、ついでに自然は大切にしないとねェ…♪」
幼い外見に似合わぬ艶やかな笑みを浮かべ、 黒百合(
ja0422) は軽い足取りで山を登る。
「いい天気ねェ」
空は高く、青く、広く、遠い山の尾根で淡く溶けるようにして白くけぶる。思わず目を細め見やる黒百合の後ろ、括ったレジャーシートを背負い、周辺をチェックしながら行くのは望月 紫苑(
ja0652)だ。
「ふぁ…空気も良いですし…気持ちよく眠れそう」
遮るもののない太陽が、冷たい外気に冷えた肌を優しく撫でてくれる。リフトを素通りし、のんびりと歩きながらのゴミ拾いだ。
「…このあたりは、木が少し多め…寒いかも…」
清掃の傍ら、微睡むような眼差しが日当たりが良く昼寝に最適な場所を探し彷徨う。秋とはいえ、この時期の高山は寒い。
「ふぁ…眠いけど、お昼まで我慢です…」
ふと挿した光に目を細め、ふわふわとした笑みを浮かべて紫苑は登山道を歩いて行った。
「山はいいですね…空気が澄んでいて…」
山を見つめてディアドラ(
jb7283)は微笑む。
「あら? アンネさん耳をどうかされたの?」
「んん。何かおかしい感じだな」
駐車場に降り立ってすぐ、音が小さくなった気がしてアンネ・ベルセリウス(
ja8216)は欠伸で気圧を調整する。
「人族の方はデリケートなんですね」
天魔故かけろりとしているディアドラはむしろ興味深そうな顔。その隣、アレス(
jb5958)は軍手を着用しつつ不思議そうに首をかしげた。
「てゆかゴミ拾いってどうやるんだ?」
アレス。初ゴミ拾いである。
「ははァ…こうやんのか」
教わって即、せっかくだからと駐車場からちまちまとゴミを拾い始める。拾うごとにすっきりしていく視界に、新たな感覚が生まれるのを感じた。
「綺麗になるっていいな…」
「だな。…さて。弁当を楽しみに清掃頑張るとするか!」
「最近の登山客はマナーがなって無いと聞いていましたが…」
道に面した木の後ろ、紙屑らしき残骸に雫(
ja1894)は可愛らしい眉を潜める。
「こんなところに…」
市街地に比べ圧倒的にポイ捨てが少ない山だが、それでもこういった問題はつきまとう。
「自然は、自然そのままが一番綺麗なんです」
僅かな切れ端一つ残らずゴミ袋に入れて、雫は次の場所へと向かう。その後を追うようにして道を行くのはレイティア(
jb2693)だ。
「ごみ集め〜♪ごみ集め〜♪」
楽しげな声が歌になるほどの上機嫌。ひょいひょいと拾っていくのはゴミというより落ち葉だったりきのこだったり。
「綺麗になっていくのっていいね!」
落ち葉一つない道を生み出しつつ、意気揚々と山頂を目指した。
\や ま だ―――!!/
駐車場。瀬波 有火(
jb5278)は両手をあげて心からの雄叫び。
「山と言えばあれだよね。地元の人しか知らない秘湯とか! お宝が隠された洞窟とか! 何のために作られたのか分からない謎の祠とか!」
修験道の山としても知られる剣山。様々な謎や、諸説ある謂れを持つのもまた冒険心をくすぐるもの。
「くぅ〜、冒険があたしを呼んでいる! これが行かずにいられるか!」
盛大に反語にて告げ、有火はくるりと振り返った。
「とゆーことで探険してくるねー。心配ないない、ちょっとだけだから。それに、あたし方向感覚鋭いし。ね?」
これまた盛大なフラグを立て、有火は軽やかに笑って告げた。
「それじゃ、撃退士改め女子高生冒険家の瀬波有火、行っきまーす! おやつの時間くらいにはー、ちゃんと戻るからー!」
からー…
らー…
ぁー…
綺麗にエコーを響かせて、小柄な体が突風のように走り去った。思わず見送り、廣幡 庚(
jb7208)ははたと気づいて追いかける。
「せめて、カイロを」
この季節、現地は寒さが強いだろうからと購入してきた使い捨てカイロ。探検に出るならこういった温もりが助けになることもある。
人の行きが少ない方向に走った有火を追うような形で、庚もまた登山道へと足を踏み入れた。
紅茶を入れた魔法瓶を腰に括りつけ、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)は「う〜ん」と大きく背伸びする。すらりと伸びた手足は躍動感に溢れ、健康的な美しさは空に輝く太陽のよう。
「しっかりと終わらせておけば、後を心置きなく楽しめるよね」
心置きなく楽しむためには、済ませるべき用事はしっかりと済ませておかなくては。そうしてこそ、その後を心から楽しめるというものだ。
「お弁当……楽しみなの」
ソフィアの声に、若菜 白兎(
ja2109)はこくこくと頷く。
好天に恵まれた山には、豊かな自然のもつ清々しい空気が漂っている。人混みで感じる圧力めいた空気はここには無い。こんな中で食べるお弁当はどんなに美味しいだろうか。想像するだけでやる気が漲る。
「栗ご飯って言ってたしね」
「山菜も……楽しみ」
二人でふふと笑い合い、踏み固められた登山道へ向かった。
「やるからには喜んで貰いたいわ」
準備万端、リフト下の山中を目指す木嶋香里(
jb7748)の手にはペンライト。木々の間を照らし、反射光を目安にゴミを探す算段だ。
「よろしくお願いしますね」
柔らかく微笑み、長門由美もまた火バサミ片手にリフト下を目指す。
「あまり踏み入って自然を壊したくないですし…全力跳躍も使いましょう」
「足元に気をつけてくださいね」
段差のある場所にゴミを取りに行く香里を見て、由美が声をかける。
そんな由美の様子を遠目に眺め、月詠 神削(
ja5265)はほっとしたように肩の力を抜いた。
(由美さん、ずっと気になってたけど…大丈夫そうだな)
かつて彼女の身に起きた惨劇を神削は間近に見てきた。絶望に陥った姿を見た者として、由美を思う亡き母の心にも触れた者として、ずっと心配していたのだ。
(皆が頑張ってくれたんだろうな…)
なかなか会う機会が無くて、経過の全てを見ることは叶わなかったけれど、沢山の『誰か』が思いを引き継ぐようにして彼女を支えてくれたのだろう。人は決して独りではない。そう証明するかのように。
(――安心したところで、清掃活動頑張るか)
笑い合いながら進んでいく二人を見守り、神削もまた職務を果たすべく足を踏み出した。
「秋の紅葉かぁ……」
登山道の半ば。
色付いた葉がわずかに揺れる様を見上げ、佐藤 としお(
ja2489)は微笑む。
「こうして静かに自然を観察するのもいいもんですね」
同じ光景を見つめ、ヒロッタ・カーストン(
jb6175)も表情を緩めた。
大抵こうした山に来るときは、依頼で急募された時が多い。騒がしかったり、妙に鎮まり返っていたりと、普通に景色を見たりする機会が少ないのが常だった。
「たまにはこうして自然を楽しんでみるのもいいよな」
嬉しげなとしおもまた、ヒロッタと同じ心情。さて、と腕まくりでやる気充分だ。
「急斜面や普段人の手が届かない場所をメインにしますか」
「人が行けそうにない所は翼を使っていきますね」
テレスコープアイを駆使するとしおに、ヒロッタが闇の翼を広げる。二人、互いを補い合うようにしてスキルを使いあい、山の中へと入っていった。
箒を手に駆け出した鳳 蒼姫(
ja3762)が、弾む足取りのまま後ろを振り返る。
「静矢さん、行くですよぅ? スキップスキップらんらんらん☆」
明るい笑顔と仕草は、まさに天真爛漫といったところ。
「あまりはしゃぎすぎないように、ね」
その姿に優しく目を細め、鳳 静矢(
ja3856)は穏やかな笑みを浮かべる。登山道にはむき出しの大きな石もある。足元に注意しなければ転びそうなほどだ。
土埃が人に害を与えないよう、通る人が居ない時を見計らって蒼姫はばっさばっさと箒で道をはく。落ち葉は木の下へ腐葉土用にし、芥は静矢が丁寧に拾ってゴミ袋へと集めた。
「外れた道にも結構ゴミがあるものだねぇ」
上に登るごとに増え始めた笹の中、頭を覗かせるペットボトルには呆れたため息が零れた。
「こういうのは駄目なのですよぅ」
「まったくだな」
二人、笹を傷めぬよう丁寧に抜き取っていく。僅かな風に吹かれ、笹達が礼を告げるかのように揺れていた。
「こんな所まで投げてる。どうしてちゃんと持ちかえらないかなぁ?」
拾ってきたゴミを袋に入れつつ、蓮城 真緋呂(
jb6120)は呆れ半分、やや拗ねたような口調で呟いた。
「ゴミを出さない、ゴミを持ち帰る。ただそれだけでいいんですけどね」
ゴミが出ないよう容器からナッツ類を取り出し食べる登山客を見て、黄昏ひりょ(
jb3452)は山を愛する人達のちょっとした工夫を覚える。
「精が出るねぇ」
「こんにちは! 良いお天気ですね」
視線に気づいた客の声に、ひりょはお辞儀し、真緋呂が笑顔で答える。
「どちらからですか?」
明るい真緋呂とひとしきり会話を楽しみ、登山客は山のお伴であるナッツ類をお裾分けして下山に向かった。
「いってらっしゃい♪」
見送り、思いがけないお土産をもらった真緋呂は嬉しげに相好を崩す。
「もらってしまいました♪」
「あの人も真緋呂さんと話せて楽しそうでしたね。それにしても、日の出を見るために山頂の宿に泊まってたんですね」
いつか見るといいよ、と登山客に勧められたひりょは、もらったナッツを噛みしめて微笑む。
「山の目覚め…ですか。そういうのも素敵ですね」
微笑み合い、二人、連れだってまた歩き出した。
山道脇に目星を付け、安瀬地 治翠(
jb5992)は効率よくゴミを集めていく。
「良い景色な分、散乱したゴミが悪目立ちしますね」
そんな治翠に向かい、文珠四郎 幻朔(
jb7425)は艶やかに笑んで呟く。
「綺麗な山に綺麗な女性…官能的よね〜」
動く度に艶やかな髪がさらりと流れ、うなじからはえも言われぬ色香が漂う。胸から腰、下部の膨らみからすらりとした足に至る部位まで、見事なラインを描いていた。
「ふむ、綺麗な景色ですね」
治翠はそんな幻朔に穏やかな微笑みで大人にスルー。軽く苦笑し、幻朔は悪戯な笑を浮かべて頭上の枝を見上げた。
葉の間から零れ落ちてくる光。優しい色のそれはまるで宝石のように美しくて。
(たまにはこういうのもいいかしらね?)
不思議な爽快さと満足感を胸に、治翠の後を追うように踏み出す。
「絶景らしいから、良ければ山頂の展望台に行ってみない? 折角ですのも山を楽しみましょ」
西島は中間地点休憩所として賑わっていた。
庚の提案でゴミ収集場所の一つにもなっている為、阿波座もまた地元の人と一緒にゴミの運び出しに余念がない。
「これは運ぶのが大変そうだしな…」
ぎっしりと詰められ重くなった袋に、撃退士の身体能力をつかって神削が手伝いに入った。
「資源ゴミとォ、燃えないゴミはどこかしらァ…?」
きちんと分別されたゴミを手に到着したのは黒百合だ。小さなダンボールは中まで確認する徹底さである。
「マナー悪い奴等に爪の垢煎じて飲ませたいぐらいやな」
阿波座がしみじみとした声で言った。
テキパキと荷運びを整える傍ら、車椅子をついて下から登ってきた陸刀は体で車椅子を支えながら背伸びする。
「ありがとうございます。…疲れてしまいましたか?」
ごみを袋を膝の上に持つ霧の瞳には気遣いの色。見下ろし、陸刀はニッと笑んだ。
「イイッてコトよ。…後で埋合わせて貰うしな?」
その頬がわずかに土で汚れているのは、草の根を分けてのゴミ探しが面倒だと光纏パンチした名残だった。ちなみに陥没した地面に慌てて補修作業をしたのは言うまでもない。
どこか子供のようなやんちゃ化粧に、霧は陸刀の頬に手を伸ばし、汚れを拭う。
「ふふ。お弁当も楽しみにしていてくださいね」
周囲を確認しつつ、山を行くユングフラウ(
jb7830)の眼差しは陰っていた。
(これだけ人がいれば、探し人も来られるかと考えたのですが……上手くいきませんか)
密かな期待と――深い落胆と。
沢山の人が集まる集いで、探す相手に出会えないかと願っていたけれど。
(いえ、きた以上はなすべきをなして帰りましょう。その姿に打たれて私はこちらにきたんですし)
大きな戦の中、運命に抗う人々の有り様に心打たれ、その思いに突き動かされるようにして地上に降りた。特に記憶に焼き付いた人の姿は未だ探しえていないけれど、同じ世界にいるのだと思えば少し胸が躍る。
(それにしても……清掃活動、と……つまり、この土地を、汚す人々がいるのですか……?)
捨てられた菓子袋を拾い、ユングフラウは戸惑いの目で周囲を見渡した。
(私は、世界と、人々を守る撃退士の、いえ、この世界の方々の姿を見たと思いましたが……程度の問題はあれ、逆の方々もいる、のですね……)
守ろうとする人々が命懸けで守っている世界を、何故こんなにも気軽に汚せるのだろうか。
そして――何故、それにもめげず、守り続けることができるのだろうか。
(共に行動し続ければ分かるのでしょうか?)
ユングフラウは遠くに見える人々の姿を見守り、眩しいように目を細める。
世界は不思議に満ちている。
幾度汚されようと、それはきっと、輝く宝石のつまった宝箱のようなものなのかもしれなかった。
「まったく、ゴミは持ち帰らないと…」
午前中の清掃活動を終え、ぱんぱんに膨れたゴミ袋を締めながら若杉 英斗(
ja4230)は嘆息をつく。休憩所付近にゴミが集中するのは、そこで飲食をした者の中にモラルの低い者がいたせいだろう。
「遠くの笹の中にまで入ってたわ。どういうつもりなのかしらね」
自然を傷めぬよう、翼で飛翔しながら笹の中のゴミをとっていたディアドラは憤慨混じりに呟いた。
「なんでしたっけ? むこだよ! と言うのでしたっけ?」
「婿ってどうするんだよ。そこは『おこだよ』じゃねぇーのか?」
同じく翼で笹の中を丹念に掃除していたアレスが呆れ顔で突っ込む。食事をする者の多いテラスを重点的に掃除してきたアンネが苦笑した。
「皆がマナーを守れば綺麗なままなのにな。…さーてご飯だ!」
アンネは嬉しげに両手を上げた。
「いやー、コレが楽しみで参加したんですよね」
「なー! 楽しみで楽しみで! 頂上のテラス、すごい景色良かったよ!」
「いいですね」
四人、弁当を抱え賑やかにテラスへと向かう。
昼食タイムが始まった。
●
頂上、木道の上にはいくつもの休憩用椅子が設置されている。そのうちの一つに座り、雫は目の前に広がる大パノラマに簡単の吐息を漏らす。
「見晴らしの良い所で食べると一味違って来ますね」
平家の馬場と呼ばれる周囲一帯には視界を遮るような木が無い。なんともいえない開放感だ。
「すごく綺麗なの〜。お弁当も……おいしいの」
鮮やかな彩りは支給されたお弁当にも。山菜を使った料理に頬を緩め、白兎は小さな口で一生懸命ご飯を頬張る。ちょっと量が足りないのは、持ってきたサンドイッチでカバーだ。
「景色の良い場所だと食べる物も美味しく感じられるよね」
暖かな日差しに目を細め、ソフィアは持参した紅茶を味わう。作業で乾いた喉に、優しい味わいの紅茶がじんわりと染み入る。
「いっぱい食べて……大きくなるの」
こく、と頷く白兎の隣で、雫もコクと頷く。
そんな三人の視界の端、絶景ポイントでもあるテラスにはとしおとヒロッタの姿があった。
「なかなか有意義な時間でしたね」
「手分けすると早いですよね。しっかり紅葉も見れましたし」
満足気な顔で二人で箸を進める。ひと仕事した後のご飯は絶品だ。
「栗ごはんに山菜かぁ。いまの季節にピッタリだな」
同じくテラスに座り、英斗は噛み締めるようにしてしっかりと味わった。丁寧に作られた弁当は、ひどく優しい味がする。
「おいしいし、ヘルシーな感じがするな」
「だよな。にしても、栗ご飯うまっ…!」
隣で食べていたアンネが感動したように握り拳。ふふ、と笑うのは逆側に座ったディアドラだ。
「美味しいですね」
「人界来るまでこういうの食べる習性無かったけどなー」
アンネの隣で山菜をつつき、アレスはさっと箸を閃かせた。
「ぎゃー!?」
アンネが悲鳴をあげた。アレスの栗をちょろまかし、逆に山筍の煮物を持っていかれたのだ。
賑やかな一角の横、景色を眺めながらゆったりとした時間を楽しむ夫婦の姿があった。
「静矢さん? 栗ご飯が美味なのです!」
口の中身をきっちり飲み込んで、蒼姫はパァッと顔を輝かせる。
「秋の味覚が美味しいな…良い季節だ」
静矢もまた栗の味わいに舌鼓を打つ。口の中でほろりと溶ける栗がまた見事だった。
「食べ終わったらァ…ここに、ねェ…♪」
終わった弁当箱用の回収ボックスを設置し、黒百合は雄大な自然を堪能しながら弁当を開ける。
「絶景ねェ…♪」
天候が崩れることも少なくないこの時期、これだけ好天に恵まれるのも稀だろう。同じ場所で弁当を広げていた阿波座が下げていた水筒を差し出した。
「般若湯は無いけど、御神水でもどうや?」
「あらァ♪」
名水百選に選ばれるだけあって、水は透き通って美しい。先に頂戴していた庚が嘆息をつく。五臓六腑に染み渡るとはこのことだろう。その向こうでは、久方ぶりに顔を合わせた由美が神削に丁寧にお辞儀していた。
「その節はお世話になりました」
「いや……元気そうなら、いいんだ」
記憶は凄惨さを伴うけれど、長閑な昼下がり、弁当をつつきながらののんびりとした空気がそんな記憶を優しく包み込んでくれた。
賑やかなテラスを戻り、山頂付近のベンチを背に胡座を組んでいるのは陸刀だ。
その陸刀の胡座上に座り、豪華な重箱を開いているのは霧。朝三時に起き、丹精込めて作った弁当は自慢の品。特に厚焼き玉子は我ながら良い出来だと自負している。
「どうぞお召し上がり下さい」
微笑む霧に陸刀は口をあけて自分の口を指差す。
「まぁ」
あーん、の要求に、霧は頬を染めながらくすりと微笑った。
「言ったろ?埋合せて貰うってな。ホレ」
「仕方のない方……」
甘いものを滲ませて、霧は陸刀の口に一口大にした厚焼き玉子を含ませる。
「いかがです?」
「うまい」
飾り気のない、真っ直ぐな言葉。
何よりの賛辞だった。
暖かな一等地にレジャーシートを敷き、紫苑は香里とまったりとした時間を楽しむ。
色付いた木々の木漏れ日は優しく、思わずお弁当を食べる手を停めてうつらうつらと微睡んでしまうほど。
吟味に吟味を重ねた此処は、風もあたりにくく日差しは良好。昼寝をするには絶好の場所だ。
「やっぱり紅葉を楽しみながら食べるご飯は格別ね♪」
香里は鮮やかな紅葉に目を細める。陽の光が木の葉に透けて、きらきらと輝いて見えた。
「帰りのリフトは四時半……ですか」
時計を見、香里は時間配分を考える。紅葉も楽しみたいし、山頂からのパノラマも見たい。やりたいことはいっぱいなのに、時間はあまりにも短かった。
「やりたいことをするのが…一番です」
お弁当に持参のおにぎりもきっちり食べきり、紫苑はそんな香里に微笑む。登山ウェアを布団がわりに、もそもそと丸くなった。
「ご飯食べたら眠くなっちゃいました…お休みなさい…すぅ」
大好きなお昼寝タイム。吸い込まれるようにして眠りに落ちた少女の上に、光が優しく降り注ぐ。風邪をひかないよう、上着をかけてあげながら、香里は立ち上がった。
「そうですね。行ってきます♪」
風が優しく髪を撫でてくれる。
気温は四度近いはずなのに、何故かとても暖かく感じられた。
「けど、ひりょさんが高所苦手って意外だったわ」
見ノ越まで降り、食べ終わった弁当を仕舞いながら真緋呂はそう告げた。ひりょは微苦笑を浮かべる。
「景色のいい所で食べたいのは山々ですが、高いのは……ここも充分高いですけどね。…? どうしました?」
「…お弁当1つじゃ足りない」
しょぼんとしている姿に、ひりょはくすりと微笑って持ってきていたおにぎりを渡す。
「お裾分け」
「ありがとう!」
パッと顔を輝かせ早速開く姿に微笑んで言った。
「折角ですし、紅葉を見に行きましょうか」
●
食事がすめば自由行動。早速レイティアは漆黒の翼を広げて空へ空へと舞い上がる。
「風が気持ちいい……!」
澄みきった青空に落ちていくような感覚が気持ちいい。
(爽快だわ!)
ただひたすら、愛する自由な空を満喫するその姿を、地上から庚が眺めて口元を綻ばせた。
「楽しそうですね」
「一緒する?」
なんという地獄耳。つぶやきを聞きつけ舞い降りたレイティアは、そのまま庚を空へと連れて行く。
「わ……ぁ」
足元に広がる見たことのない光景。人の身では決してみることの出来ない三百六十度の世界だ。
「空、気持ちいいよね!」
すぐ近くのレイティアの声に、庚は無意識に頷く。
胸に迫るその光景を庚は心に刻みつけた。
「ははぁ。剛毅だな」
そんな二人を地上で陸刀が見上げる。車椅子の霧を見下ろし、問うてみた。
「飛んでみてぇか?」
「いいえ。私は地上を行くほうが」
たおやかに微笑み、霧はそっと陸刀の手に触れる。
「ここには、島津様がいらっしゃいますから」
麓の紅葉を見に降りる治翠に付き添って、幻朔ものんびりとした歩みで降りていく。
「次はスケッチ道具を持ってこようかとも思いまして」
「あら?治翠くんは絵を描くのね?今度見せていただけるかしら?」
「ええ」
笑顔で頷き、治翠は思いを口にする。
「次の機会には是非、当主を案内できればと思います」
その日の為に、道を覚えておこうと思った。沢山のものを見て、沢山のものに触れて、沢山のものを彼が学べるように。
「文珠四郎さんもよろしければ一緒に」
「うふふ…えぇ、是非ご同伴させていただくわ」
「山と言えば山菜や茸……山の幸です!」
弁当を食べて充電完了! 雫は用意していた袋片手に目をキラリ。
「それでは行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
小柄な体が走り去るのを見送り、ソフィアは「ん〜っ」と背伸び一つ。
「後はゆっくり楽しもっか」
ソフィアの声に頷き、白兎は眼前に広がる広大な景色を見つめる。遠くの山の連なりが青く溶けるようにして霞んでいる。きっと世界の果てに誘われるのは、こういった光景なのだろう。
「外国の人も見に来るのも納得……なの」
陽光に微睡むように、小さな呟きが風に溶ける。
その時、のんびりとくつろぐ二人の前を蒼姫が駆け抜けた。
「パノラマっ☆ パノラマっ☆」
山頂三角点は神域の如く縄で守られている。それを拝んでから、蒼姫は大きく身を乗り出すようにして頂上の光景に魅入る。
「うむ、絶景だねぇ」
はしゃぐ様子に微笑み、静矢もまたその雄大な光景に魅入った。しばし堪能し、蒼姫は大きく息を吸い込む。
「やまびこ試すですよぅ。やっほぅ〜〜〜♪」
腹筋をつかって声を遠くへ。続く音の広がりに、顔を輝かせて隣を振り仰いだ。
「おおぅ。静矢さん! 成功ですよ!」
「おお…綺麗に返ってきたねぇ」
吸い込まれていくような不思議な音が、ふわりふわりと消えながら声を返してくる。まるで声も思いも、その存在ごと全てを受け入れてくれるような。
「……雄大だねぇ」
しみじみと呟く静矢の胸に、蒼姫はコツンと後頭部を預ける。
頬を撫でる風がどこか暖かかった。
昼食後、遊びに出たアンリ達を見送って、英斗は頂上付近を探索していた。
「せっかく四国にきたんだから、久遠ヶ原に帰る前にうどんでも食べたいな」
頂上の宿泊施設には食事処がある。メニューに書かれた「うどん」の文字に、英斗は早速ホイホイされた。コシのある麺は食べ応えがあり、汁は鰹と椎茸の風味。暖かさと深い味わいがじっくりと疲れた体に染みこんでいく気がした。
(……そういえば剣山て、昔大蛇が出たって話があったな)
食事を終え、神削は魔具を確認して立ち上がる。およそ十メートルと言われる大蛇の目撃談や伝承は、かなり古い時代から存在する。諸説様々あり、発見場所もやや離れているがそれらが天魔である可能性も捨てきれない。
(一応、見回っておくか)
そんな神削から数百メートル離れた場所では、アンネ達が柏手を打っていた。
「こんな所があるのですね」
ディアドラは珍しげに周囲を見渡す。
「不動の岩屋……か。この下に降りるのか?」
岩と岩の狭間のようなそこには鉄の梯子がかかっている。
「人一人通るのがやっと、って狭さだけどね。湧水もらって帰ろうか」
「お。じゃあ俺、観測所ちと見てみてェから行ってくるわ」
「あそこもう使ってないぞ?」
「え?もう使ってねぇの?ふーん…?」
行きたそうな顔のアレスに笑って、アンネとディアドラは手を振った。
「あとで写真見せてくれな」
「行ってらっしゃいませ♪」
「へへっ。そっちもな!行ってくる!」
そそくさと飛び立つのを見送って、二人はくすりと笑った。
「中すごい狭いですから私透過で入って行きますね!」
「あはは。いきなり顔出して驚かせないでくれよー?」
早速中に入るアンネに、ディアドラは笑って透過する。途端、ぽんっとはじかれて目を丸くした。
「「きゃー!?」」
洞窟内でまさかの女体詰め。
「? 悲鳴がしたような……?」
非常にけしからん格好の二人の遥か頭上、大蛇探索中の神削が阻霊符片手に通り過ぎていった。
「ここは何の神様だったかしらねェ…」
巨大な磐座を見上げつつ、黒百合は剱山本宮の前に立つ。
「まァ、いいかァ、もっと素敵でハードコア的に敵をいびり倒せます様にィ…」
チャリン、と御縁祈願の音が響き、ぱんぱん、と小気味の良い二拍手。しかしお願い事はわりと物騒だ。
「ご利益あるといいわねェ…♪」
その下に伝説を秘める磐座は、ただ沈黙を持ってそこに座している。
「あらァ…? ハーモニカねェ…」
ふと風に運ばれてきた音を拾って、黒百合は下に広がる紅葉の茂みを見る。
その視線の先、持参したハーモニカで童謡を奏でていた真緋呂は、最後の音を奏で終えてそっと唇を離した。
「えへへ、お粗末様でした」
「素敵でしたよ」
お世辞抜きに賛美して、ひりょは写真を収めたカメラを掲げてみせる。
「あとで現像しますね」
「嬉しいけど恥ずかしいかなっ。…あ」
照れ笑いした真緋呂が、ふと空から降りてきた綺麗な葉に目を丸くする。
「木々からのお礼ですね」
「あはは」
はらはらと舞い落ちる葉がまるで拍手のよう。
(帰ったら寮で天ぷらにして友達にお裾分けしよう)
それらを受けとめながら、ひりょは楽しげに目を細めた。
●
「望月さん。望月さん。記念撮影しますよ」
熟睡しきった紫苑を背負った姿で、香里は背を揺らせて覚醒を促す。
「はーい。並んでくださいねー」
「点呼お願いしまーす。居ない人ー?」
としおとヒロッタが人数を確認する傍ら、カメラを手にアンネとひりょは楽しげに互を取り合いっこしていた。
「色んな写真撮れたな!」
「写真集出来ますね」
「いいなそれ!上から撮ったらこんな感じだったぜ!」
後で纏めて皆に渡そう、と話し合う二人の頭上、空から撮影していたアレスが降りてくる。
「あと二名、かしら?」
幻朔が名簿片手に首を傾げ、あ、と声を上げた。
「帰ってきた」
集合時間ギリギリ、駆け込んできた有火の姿にレイティアが手を振る。
「おかえりー!」
「ただいまー」
「何か面白いもの見つけた?」
「それが、なーんにも。おっかしいなー、絶対何かあると思ったんだけどなー」
軽く頭を掻きながら有火は首を傾げる。神削も頷いた。
「大蛇も見つからなかったな。何か動物が通った跡みたいなのは見つけたけど」
その瞬間、ガサガサガサッといきなり後ろから音がした。思わずギョッとなって振り返る一同の前、雫が走り込む。
「間に合いました!?」
「ギリギリセーフだね」
ソフィアが笑いながら雫の頭についた落ち葉を取り除く。手に持った袋がぱんぱんになっていた。
「一杯……なの」
「この時期は、美味しい物が沢山あって幸せです」
白兎の感嘆の声に雫は嬉しげに相好を崩した。
「どうかされましたか?」
楽しげな光景に目を細めていた由美は、治翠の声に少し目を瞠り、柔らかく微笑んだ。
「いえ…きっと、何気ないこんな日が、後からとても貴重なものになるんでしょうね」
振り返る先に、夕日に染まる剣山。
輝く紅葉が、まるで黄昏の炎のようで。
「いつか、今日を振り返った時に…」
同じ光景を見つめ、ユングフラウは眩しげに目を細めた。
赤と金が世界を染めていく。
どこかせつなくて、寂しくて、美しい、そんな光景。
(あぁ……)
世界の不思議は、未だ解けそうにないけれど。
(綺麗……理由はそれだけでいいのかもしれませんね)
大仰なものも、格式張ったものも必要ない。
自然に、あるがままに、そこにある美しさ。
見つめる人々の先で、太陽が最後の光を投げかける。
一瞬に満たない刹那の中に、永遠を閉じ込めるように。
「帰りましょうか」
香里の声に頷き、皆がそれぞれの思いを胸に歩き出す。
一日が終わり、山はこれから眠り、全ては闇に閉ざされる。
けれど知っている。
やがて去る彼らが、
必ず、新しい朝を連れて来てくれることを。