若い天使達と手合わせする度、胸を過ぎる感情がある。
――生きていればあの子も……こんな風に育ってくれただろうか、と。
●
雨が降っていた。
(…稽古と言うなら、遠慮なくその胸を借りるとしますか)
脈打つ己の鼓動を感じながら、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は心の中で独り言つ。
相手は大天使。まして騎士として二つ名を冠される程ならば、その武も名に相応しいものであろう。『稽古』と告げられて尚、決して油断など出来ようはずもなく、するつもりもないが――
――本音を言えば、心が躍る。
『武』に於いて教えを乞うなど何時以来だろうか。
戦いに終焉を求めて駆け抜ける身に、久しく無かった種の異なる熱。出来るならば、今の己の全てを、総てを、此処で。
静かに力を溜めるマキナの背を見つつ、フレイヤ(
ja0715)は気合を入れる。
(大天使だか何だか知らないけど上等じゃない。こっちは女神の生まれ変わりな黄昏の魔女様よ。ボッコボコにしてあげるわ!)
力の差などはなから承知。けれどそれに怯えていては何もできない。
必要なのは、負けない勇気。真っ直ぐに前を向いて立ち、歩き続け、立ち向かい続ける為の心力。
例え未だ届かぬ場所にそれがあるとしても――前へ。
(『来たる時』……案外、早いな)
戦場へと歩みながら、宇田川 千鶴(
ja1613)は僅かに目を伏せる。
自らの宣言を遵守する――その実直さには、別の大天使の使徒を思い出した。
(彼とも敵である以上、再び戦う日が来るやろう)
望む望まざるとに関わらず、立つ場所が違うということはそういうことだ。
ならば、
(その時も全力を以て)
今がそうであるように。全てをあるがままに受け止める為にも。
不自然な静けさの中、神月 熾弦(
ja0358)もまた無言のままに進む。
(稽古、という物言いといい、完全に人間を収奪の対象と見ている訳でもなさそうですが……)
だがそれでも、
(変則的とはいえゲートを展開しているのも事実)
僅かずつでも人々から精神が奪われているのならば、決して無害では無い。
柔らかな風貌はそのままに、その瞳に確固たる意志を閃かせて熾弦は前へと進む。
(胸を借りるつもりではいきません、超えに行きます)
雨のカーテンを揺らすように、僅かな風が吹いた。
リボンの揺れを感じ、鑑夜 翠月(
jb0681)はふと駅のある方角へと視線を向ける。
(ゲートを形成している物……信じてお任せします)
激戦となるであろうことは、相手の階級からも推測出来た。集中してあたらなければ、人死にすら出かねない。
(大天使の方も、恐らくは僕達の様子見をする為に稽古と仰ったのだと思いますけど)
翠月は視線を前へと戻す。
自分たちがこれを好機と捉えたように、おそらくは――
(『測られる』…のでしょう)
ふわりと漂うのは静かな焔に似た暗緑色の光纏。
見据える先に見える、強大な力の顕現。
雨すらも退いて見える――真皓き獅子。
翠月の手に力が具現する。万魔殿の名を冠する魔法書。未来を切り開く為の人類の力。
(それならそれで、僕達にも手の内は晒してもらいます)
雨は、まだ止まない。
○
作戦が実行される前――
一堂に会した十三名の前には、駅周辺の詳細な地図が広げられていた。
「雨が少ない土地や日照りが続いた後土地に降る雨は恵みの雨と言う。別名干天の慈雨ともね」
資料の一つ一つをチェックしながらアッシュ・クロフォード(
jb0928)は呟くように言葉を零す。
「雨とは本来ただの自然現象だ。けれど植物を育て生き物を育てる雨を人々は天の恵みとし、それをもたらした神に感謝したんだ。まあここで言う神とは所詮偶像に過ぎなくて、人に害をなす天界の住人のことではないのだけれど」
軽く肩を竦め、アッシュは地図に緑で印を書き込んだ。
「駅周辺で土が剥き出した場所はこれだけか…線路を含むとかなり広範囲だよな」
「そもそも、何故「設置」をする必要があるのか…ですよね」
街路樹のポイントを見つめながら石田 神楽(
ja4485)も頷いた。
「雨により人間の精神力を『僅かに』吸収し、地へと降らせ、地上、特に樹木のような『根』のある箇所に『原因』を設置する事でそのエネルギーを収集する…」
交わされた議論を口にすることで纏めながら、神楽は思案気に呟く。
「従来結界より効率は落ちるが、自然現象に紛れさせる事で密かに収集する事を目的とした持続型、隠蔽型の結界だとすれば…」
「捜索対象は地中にある可能性、そしてそれは何らかの植物の種子のようなものである可能性もある…ってとこかな。確証は無いけど」
アッシュが言葉を引き継ぐ。
未だ全ての情報が集まってはいない状況下、手探りで探さなければならないのはいかにもきつかった。
「駅周辺に何時もいる人達からの情報でも、駅ビル前付近に目撃情報が集中していますね」
聞き込みの結果を告げながら、久遠 冴弥(
jb0754)は鉛筆で駅前を囲む。
駅前は広い歩道を挟んで大きな道路になっていた。どちらも舗装されている。
ほんの少し離れた場所にバスターミナルやバス乗り場があり、浮島のように緑の植えられたポイントがあった。
「街路樹はこっち側が多いな…」
写真と照らし合わせながら小田切ルビィ(
ja0841)が呟く。その隣で縮図にコンパスで円を描いているのは東城 夜刀彦(
ja6047)だ。
「それは?」
「雨の降っている範囲が完全な円ですので、中心を割り出そうと思いまして」
ルビィの声に地図を見せながら告げ、夜刀彦は中央に×をつける。
「中心ってのは起点の可能性があるしな」
千鶴が割り出されたそれを大きな地図の方に移す。
「ピンポイントで中央、というのは難しいが、それでもだいぶ絞れるな」
強羅 龍仁(
ja8161)が呟き、「駅前の歩道か」と眉をひそめた。
「舗装された歩道ですね…。透過能力の可能性が無ければ除外するのですが」
夜刀彦も小首を傾げつつ呟く。
相手は大天使。物を地中に埋める場合、直接地面を掘る必要は無いのだ。
「人海戦術だ。怪しいと思った所は全て当たったほうがいいだろう」
鎹 雅(jz0140)の声に、探索を担当する三人は頷いた。
「では『雨に感情を溶かしそれを吸収する』といった予測もありましたので、私は植物がある場所を中心に」
「俺は駅周辺の怪しい箇所、土がむき出しの箇所辺りを重点にしよう」
「では俺は円の中心を掘り起こして探ってみます」
冴弥、ルビィ、夜刀彦の声に一同は頷く。
「ゲートを形成する原因の探索は、そちらに任せる」
信頼をもって告げ、アレクシア・V・アイゼンブルク(
jb0913)は一度だけ拳を握った。
「…私達は大天使の対応に全力を尽くす」
アレクシアに頷き、龍仁は夜刀彦と道路の占有申請の話をしている雅を見た。
「雅…今回は無茶してくれるなよ?前回みたいな騙し討ちはもう勘弁だからな」
「う、うん。無茶はしない。うん」
一回やった身としてはしどろもどろだ。それに苦笑して後、龍仁は夜刀彦を見る。
「夜刀彦、そっちは任せる」
「はい」
互いが互いを信じて動かねば成せない事がある。
転移の準備が整った報告を受け、御堂 龍太(
jb0849)が声をかけた。
「じゃあ、行きましょうか」
頷き、全員が立ち上がった。
約束の時は来た。
ならば後は、死力を尽くすのみだった。
●
薄暗がりの中、銀糸に似た雨は小雨程度。その中にあって、静かに立つ大天使は物言わぬ彫像のようにも見えた。
「たのもー!」
静寂を破るようにフレイヤは声をあげる。喉を塞ぐような静かな圧力を明るく吹き飛ばすように。
「来たる時、というのが何時を指しているかは知らないが、一先ずはその名に賭けた約束は護ってくれたのだな」
互いの位置を密かに確認しながら、アレクシアもまた声をかける。
「その件に関しては、感謝する。私もアイゼンブルクの名を背負う者、騎士として、先の約束を果たさせて貰う」
具現化された円錐型の槍が鈍い光を反射する。
「前回名乗り忘れていたな。強羅龍仁だ」
踏み出し、龍仁も声をかけた。
「時間制限付きだが今回は胸を借りるつもりで行けばいいのか?」
ゴライアスの片眉がひょいと上がる。
「先の時に『来る時までお前自身が人々を傷つけない』と言っていたがその来る時は今か?」
ゴライアスは答えない。ただ口元の笑みが深くなった気がした。
「お前自身『が』と言う事は別の何かは傷つける可能性がある…それはこの雨も関係しているのか?」
「ふむ」
一言。
それだけでズンと空気の圧力が増した。
「ふと思ったんですがね。『雨止むまで』は、原因が取り除かれる時以外にもあるんです?」 その力に負けぬよう、千鶴もまた言葉を重ねる。ハンズフリーの携帯越しに聞こえる仲間の声――探索側は、今まさに動きだした所。
ゴライアスは鬣のような髭を手で撫でながら笑う。
「戦場に在って言葉は不要――だが、先に稽古と口にした以上、答えねばなるまい」
その表情はむしろ楽しげだ。
「雨と見える故に雨と告げたが、儂等に天候を作り出す能力等無い。この雨は――そうさな、言うなれば幻よ」
「幻……!?」
頬にあたる水滴を感じながら一同は大きく目を見開いた。
「世界が何故にこのような現象を具現化させるのか……とかな、難しいことは儂にはさっぱり分からん! 局地的に展開された結界による異界化現象の発露であるとか、収集される微少な精神が雨のように視覚化して見えるのだとか、まぁ、考えうる理由を挙げる者は多いがな」
まるで人事のように語りながら、ゴライアスは肩を竦めた。
「儂にとっては、これはただ時と場を告げるものよ」
雨の降り始めと振り終わりは、始まりから終わりを。雨の範囲は結界の範囲を。
「つまり……雨が降り終わった時が、結界が消える時、か」
アレクシアが呟く。
「左様。空の器が満ちればそれ以上は不要。その時に雨は止む」
誰かを脅かすほど害することもなく、不必要に摂取することもなく、穏やかに、密やかに。
「さて、そろそろ準備は良いか?」
声に一同は身構えた。
腰を低く落とし、千鶴はマイク越しに友人へと告げた。
「任せたわ、よろしゅうね」
【白始】の刀身に触れる雨。――これが幻だなどと、信じられないけれど。
「ほな、お相手願います」
戦いが始まった。
●
瞬きする間も無く千鶴の体がゴライアスの側面に現れた。
隼突き。その俊敏なる力が大天使の巨躯に叩き込まれる。
キンッ!
高い音が響いた。千鶴は目を険しくさせる。巨大な戦斧が瞬速の突きを受け止めていた。
「良い突きだ」
機動力を活かし千鶴は飛び退った。ゴライアスが動くよりも前にその体に別方向から刃が迫る!
「ほぉ」
ゴライアスが笑みを深くした。
黒夜天・偽神変生を纏ったマキナの【偽神の腕(アガートラーム)】が閃く。斧に衝突すると同時、黒焔の鎖がゴライアスの体を拘束した。封神縛鎖(グレイプニル)だ。
「……避けもしない、のですか」
低い呟きがこぼれた。
斧持つ手を痺れさせる一撃に、ゴライアスは頭を一度振ってから太く笑む。
「くぉ〜……これはいかんな。意識が飛びかけるのはかなわん」
鎖が砕け散るのを知覚した。その体に龍太の白い大鎌が襲いかかる。
「耐えられるものならば、己が身で試すも一興であろうて」
その言葉に術を構えていた龍仁はひやりとした。それは自身が試そうとしていたことでもあった。
(測り合いか!)
手の内を晒させられるのは、果たして相手か、自分達か。
だが技を出し惜しみしていては勝機など無い。
飛び退ったマキナと入れ替わるようにして振るわれた大鎌を斧で遮り、ゴライアスは暗青の竜と、力を編む熾弦、槍を構えるアレクシアの姿を視界に認める。
その直後、漆黒の逆十字がゴライアスを直撃した。
「入……っ!?」
まともに決まったと思った逆十字が砕け散った。
ゆらりと背後を振り向くゴライアスは感心したように唸る。
「ふぅむ。魔法の使い手もこれほどとは……ははァ、冥魔の木っ端共より余程鍛えておるわ」
「……重圧、入らない……のですか」
防御が高いとは聞いていた。だが、特殊抵抗のこの高さ。
(まさか……)
翠月は目を見張る。
相手の外観に、パワータイプの重戦士と思っていた。だがこの抵抗力、防御力を考えるのならば。
「さて、とりあえず挨拶がわりと行くか」
ゴライアスが軽く手を天へと挙げる。無造作なその動作。
「避けてください!」
声は三方から放たれた。近くにいた者は回避行動に移る。
雲が穿たれた。
空が陰った。
一瞬で降り注ぐのは数多の流星。
「コメットだと!?」
龍仁と雅が同時に術を編む。
アッシュの命令を受けストレイシオンが防御効果を発動させ、フレイヤがマジックシールドを展開させる。
天地を轟音が揺るがした。
●
爆撃音に似た轟音にルビィは弾かれたように顔を上げた。
周囲で探索する撃退庁職員がざわめく。
誰の力か。敵か、味方か。
同じ雨の範囲内とはいえ、駅で隠された向こう側の戦場を見ることは出来ない。
かつて見た巨漢の姿が脳裏に浮かんだ。
――雨が降る。
掘り起こした土壌の下、それらしきものは見当たらない。
(どうか、無事で……)
植木近くを手分けして探索し、冴弥は焦りを押し殺して祈る。
埋めた跡があれば目安になるはずだが、植木のどこにもそのような跡はない。
(透過で埋めた可能性……)
言われた言葉。
そう、透過を使えば「跡」など無い。
抜き放ち、掘り起こされた場所にも何かの異常は無い。
ニニギも困ったような顔であちこちに顔を突っ込んでいる。
(――何処に)
――雨はまだ止まない。
次々と舗装が剥ぎ取られていく。
雨の中心、駅の前。
じりじりと胸を灼く焦燥と戦いながら夜刀彦は『それ』を探す。
ハンズフリーの携帯越しに聞こえる戦場の音。声。
自らが傷つくよりも辛い時間。
けれど託された。ならばここが自分達の戦場。
――雨を止めるために。
大きな音をたてて舗装が捲り取られる。
雨は――
●
「見事」
凄まじい力に耐えきった一同にゴライアスは言葉短く告げた。三人のアストラルヴァンガードによる治癒が負傷の高い者を重点的に癒していく。
「俺の知っているコメットと、違うな?」
龍仁の声に熾弦も頷く。範囲は一回り以上、力は倍以上。防御効果や回復が無ければ一瞬で瓦解しかねない力だ。
「<星堕>という。すまぬが、人の子等の技には少々疎くてな…?」
ゴライアスの腕が振られた。空間が軋むような音が響く。
「遠方から失礼」
遠く、後方援護に立つ神楽は静かに笑む。
腕を痺れさせる銃弾にゴライアスもまた笑んだ。
「これほどの命中を誇る者はそうそうおるまいて」
反応できたのは、元から攻撃を見越して立っているからだ。避けようと思って避けられる者は少ないだろう。
賞賛されて尚、神楽の笑みは変わらない。
「大天使、しかも騎士を名乗る程の御仁と出会えた事、光栄に思います」
けれど自分は狙撃手。自ら近づくことはしない。
「人の子にも高次に至る者は在るということか。こちらも光栄」
野太い笑みのままゴライアスは一同を見る。
「終わりでは、あるまい?」
「無論のこと!」
刹那、アレクシアの槍が閃いた。次の瞬間には側面からマキナが走る。槍を受け止めたその体にマキナの一撃が炸裂した。
―神天崩落・諧謔(ラグナレック・ミスティルテイン)―
特段力を増加させた攻撃では無い。だが、受けたゴライアスは自身の防御の一角が崩されたのを感じた。
「ほぉ!?」
初めて驚いたような顔になり、笑う。
「防御崩しとはやりおるわい!」
二人が退いた場所へストレイシオンが走り込む。雷光にも似た光が一瞬で具現化した。
「放て!」
アッシュの声と同時、ハイブラストが構えるゴライアスを貫く。その次の瞬間、力強い羽ばたきと同時に水晶で形成された白鳥の如き力が駆け抜けた。
―星晶飛鳥(ル・シーニュ)―
透明な何かが砕け散る音がする。けれど無傷では無い。
ヒュッと風を切る音がした。
攻撃の隙間に身を躍らせ、千鶴が体重を乗せた一撃をゴライアスの頭部へと振り下ろす。斧を構えるゴライアスの頭が、その時後ろからの一撃に揺れた。
「お!?」
「フッ、卑怯上等!こちとら大天使相手で一杯一杯なの!」
「流石に、同時攻撃になると潜行への対応も緩むんですね」
見事不意打ちを決めたフレイヤと翠月が次の一撃に備え身構える。
そちらを振り返る間などあろうはずもない。
ゴライアスの頭部に振り下ろされた兜割りが炸裂した。
「うむ。これは良い連撃」
頭から口元へと伝わる血の筋をぺろりと舐め、ゴライアスはむしろ楽しげに言う。それ以上血の流れが見えないのは、おそらく治癒術によるものだろう。
「流石は大天使。恐ろしく強く、タフですね。怖い怖い」
龍太の攻撃にあわせて追撃して後、神楽はいつもの笑みのまま呟いた。
ゴライアスは攻撃を避けない。その鉄壁とも呼べる防御をもって全て受け止めている。
先の言葉を思いだし龍仁は成程と唸った。
剣戟に似た音を響かせ、マキナの強烈な一撃をゴライアスの斧が受け止める。
受けきれる攻撃であれば、受けきればいいのだ。高い防御と状態異常に対する高い抵抗力、そして回復を備えるのならばその戦法が取れる。自身が試そうとしていたように。
(慢心、どころではないぞ)
実力に裏打ちされた冷静な判断。個々で動いていたから分かりにくかったが、そもそも、この男は『個』では無いのだ。
個としての戦闘ではなく、騎士団の一員としての――
「……大天使でありながら、尖兵か」
人の力を測る為の。
――ならば。
(この男を従えている騎士団の上とは、どれほどの強さか)
「数で押せば……ってところだよな」
アッシュが小さく呟く。そう、例えばもっと大掛かりな戦いの場で、全戦力を集中させて狙い打てば――
(いや、もしストレイシオンの<防御効果>みたいなのがあったら……)
この人数では試すことが出来ない。だが、大天使という相手の階級を考えれば、可能性も考慮しなくてはいけないだろう。
「……少なくとも、物魔共に高いのは防御だけではなく攻撃力も、ということは分かりましたね」
新たな術を構築しながら、熾弦は相手の隙を狙う。
高い戦闘能力は受け防御にも発揮されている。だが同時多方攻撃に対応できるほどの万能性は無い。
また懸念されていた通り、個体攻撃だけでなく範囲攻撃を有していることも確認できた。その力も、京都に降り立ったような化物じみた力というわけでは無い。
もっとも、挨拶がわりとの言葉通り、先の攻撃が最強の技というわけでは無さそうだが。
(もっと、情報を)
熾弦は最後の星晶飛鳥を放つ。
ゴライアスは最初の範囲攻撃以降、攻撃を仕掛けてこない。受けた傷を癒しているのもあるのだろうが。
「受身一方か。それでは大天使の名が、騎士たる者の名が泣くぞ!」
これでは情報をもっていかれる一方。アレクシアは槍と共に弁舌を振るう。
「大天使? だから何だ? 例え相手が百戦錬磨の化け物であろうと、先人達は命を賭して戦った。何故かなど、騎士である者が分からない筈があるまい? その騎士が、突っ立ったままか!?」
「ふむ」
ゴライアスは笑む。
挑発と分かっていた。こちらが相手の力量を測っているのと同様に、向こうもこちらを様々な角度から探っていることも。
後にあるやもしれぬ戦いを思うならば、乗るべきではない。
だが、
嗚呼、だが、
「騎士の名の下に言われては、動かざるを得まいて」
これほどに技を磨いてきた者達の声ならば。
これほどに楽しい技を見せてくれた者達ならば。
応えなくてはならないだろう。
騎士として。戦場に立つ者として。
翠月とフレイヤ、そして遠方からゴライアスを捕捉していた神楽は見た。
三人は気づいていた。ゴライアスが、最初に立っていた場所から一歩も動いていなかったことを。
その足が、動いた。
「では、参ろう」
獅子の牙が、閃いた。
●
短い悲鳴と同時、鮮血が迸った。
「熾弦さん!」
一撃で血の海に沈んだ熾弦に翠月が咄嗟に叫ぶ。
「多人数の戦いで、まず叩くべきは回復手」
血に染まった戦斧を担ぎ、ゴライアスは無感動な目で告げる。冷徹な瞳には、ただ獲物を屠るための意思だけがあった。
それでも語るのは、最初に稽古と告げたが故か。
「運べ!」
アッシュが呼び出したスレイプニルが危険状態の熾弦を咥え、ゴライアスの眼前から離脱する。運ばれたその体に龍仁と雅が治癒を飛ばした。
「狙わせん!」
龍太とタイミングをあわせ、千鶴が迅雷の一撃を叩き込む。飛び退るその体が風の障壁で包まれた。フレイヤのウィンドウォールだ。
(あれが、通常の攻撃)
熾弦のもとに駆けつけたい衝動をこらえ、翠月はアウルを練り上げる。強く、強く。友を守る為にも、強く。
(魔防の上限、試させていただきます……!)
冥府の風を纏った黒逆十字がゴライアスの体に叩き込まれた。背後からの攻撃に、白い鎧に血が滲む。
身を穿つ傷みに、ゴライアスは肉食獣の笑みを口元にはいた。その体に向かってマキナと神楽が同時に攻撃を仕掛ける。
二方向からの攻撃に、ゴライアスはマキナの一撃を受けることを優先する。より高い攻撃を防ぎきり、片方はあえて受ける。基礎の防御が高いからこその対応だ。
(成程。確かに多人数で押し切るのが一番……!?)
冷静に戦略をたてていた神楽の背を悪寒が走った。
大天使がこちらを見た。同時に雅も。
その体が掻き消える。
「!?」
「――次いで狙うは、遠方より確実に攻撃を当ててくる者よ」
通常移動とは思えなかった。おそらく、全力移動。
(邪魔となる者を排する為には、自身の能力劣化も厭わず、確実に、ですか)
走り込みから勢いよく放たれる斧に、神楽は相手の戦法を認める。
黒髪が目の前で舞った。
それを知覚する前に、衝撃が意識を刈り取った。
「神楽さん! 先生!」
千鶴が声をあげる。
放たれた烈風の一撃に二人の体が吹き飛ばされるのを見た。
血の息を吐きながら雅が血溜まりの中で叫ぶ。
「石田……ッ! 生きて、いるな!?」
声は確認というより懇願に近い。咄嗟に庇いに入ったものの、貫通する攻撃は防げなかった。攻撃は、よりゴライアスに近い側のほうが強くなるらしく、防ぎに使った盾は再起不能な程木っ端微塵に砕かれている。
「……獅子、か!」
駆けつけながらアレクシアは歯を食いしばる。
どこかに侮りがないかと伺っていた。稽古をつけるのだと、そう言うほどに格下と見られているのならば。
だが、相手は獅子なのだ。たとえ兎であろうと、決して手を抜くことはしない。
誉れ高き騎士団において、獅子公の二つ名を贈られる程に。
「ならば、尚更に――!」
全ての力を此処に。
駆けつけ、目にもとまらぬ速さで繰り出された攻撃が位置を変えたゴライアスの肩を穿つ。硬さに腕が痺れた。
(頭部狙いは流石に防ぎにくるか……!)
防御を駆使して致命傷は決して与えさせない。知能と武力が備わった敵は厄介極まりない。
(避けないのか、避けられないのか、どちらだ!?)
せめてそれだけでも分かれば。
「己、ないし朋友の能力が低い場合は、身を縛る技、能力を減じる技の者が優先となろうが、な」
ゴライアスの目がマキナと翠月を捉える。
「させると思わないでねっ!」
フレイヤの最後のウィンドウォールが翠月を包む。僅かでも生き残る為の力となるように。
魔女は誰かを笑顔にさせる為に在る。だから自分よりも誰かを守る為の力。
例えそれで、自身の危機を招いても――
「確実にとれると思う位置にある敵を叩くのも、定石」
声が近くでした。
え、と上向いたそこに聳える大樹の如き巨漢の姿。
冷徹な目が見る相手は、他ならぬ自分自身。振り下ろされる斧がやけにスローモーションに感じる。
「とらせんわっ!」
瞬間、いきなり景色がブレた。斬撃が空気を割る。同時に引き裂かれた人影がジャケットに変化した。
「身代わりか……残念ながら、お前さんは最後だ」
告げられ、フレイヤを庇った千鶴は目を見張る。
最後。――何故。
その腕の中、フレイヤは血の気の失せた唇で言葉を紡いだ。
「……稽古で笑ってくれるなら何回でも稽古したげる。今は耐えるので精一杯かもしれない。でも見てなさい。人間ってのはね、どんな壁に阻まれようとも乗り越えられるんだから」
九死に一生を得たばかり。けれど闘志は衰えない。
その様を見て、ゴライアスの目が細められた。冷徹な色の中にある、何故か悲しい虚無の色。
「敵を叩く優先順か。ならば私は何番手だ!?」
アレクシアの鋭い一撃が閃く。斧で受け止め、ゴライアスは静かに告げた。
「好機を得た時、または――纏まった時」
ギクリとした。今、近くに三人――否。
アレクシアは息を飲む。互いの隙を補い合う連撃。続いて攻撃に移った龍太の刃が閃き、召喚獣のハイブラストが音鳴き雷光を閃かせる。
(いかん…!)
――五人分、纏まった。
攻撃の手順は、相手に。
「敵の陣形は、常に崩さねばならん」
ゴライアスの声が響く。時に自身を大きく移動させてでも、相手の陣形を崩すのは、多対一の基本。
近接攻撃者は、攻撃の為に纏まらざるを得ない瞬間が発生するから。
ゆらりと空間が一瞬歪む。
(やはり持つか――周囲攻撃を!)
アレクシアは防御の為にランスを構える。
その抵抗ごと、烈風の一撃が周囲を薙ぎ払った。
「避けるか」
その中で一人、避けきった千鶴だけが身構える。
召喚獣の負傷はそのまま召喚主に反映される。立っているのは、千鶴と龍仁、翠月とマキナ。
「……私が最後な理由は」
「避けるからよ」
あっさりとゴライアスは言いきった。
その瞬間、雨が、消えた。
●
掘り起こした時、雨が消えたのを感じた。
夜刀彦はシャベルの上の土を平地にあける。
転がり出た物。
――青い雫型の石。
●
「動かされた、か」
消えた雨にゴライアスが呟く。向かおうとするその体を千鶴の刃が止めた。
「稽古、でしょう?無粋なんは後で、もう少しご指南頂けんやろか?」
龍仁と雅の治癒が瀕死の仲間を癒す。まだ戦場を脱せれない。せめて、仲間が雨の原因を持って帰還するまでは。
「――最後に私の全霊、見て頂けますか?」
マキナが進み出る。
ゴライアスは足を止めた。一度だけ駅を見やり、マキナに向き直る。
応じた。
だから、駆けた。
傷付く事は厭わない――目的を果たせるのならば。
マキナの封神縛鎖がゴライアスに放たれる。――鎖が砕かれることは知っていても。
――戦場に終焉を。
黄昏がゴライアスの体を襲う。受け止めたゴライアスが口の端を笑ませる。楽しげに。
それが我が求道であり、胸に擁する不変の信念なれば。
この身――この拳は、唯一その為に。
最後に放たれる技は、偽神変生・羅刹天(ラグナレック・ヴィズル)。『終焉』と言う渇望を基にして――
「……受けきる、のですね」
今の全力の全てを。
……滑稽で無様に見えるものだったろうか。けれど自分にはそれしか無い。常に、常に、ひたすらに全力で――終焉(おわり)の先に、安らぎがあると信じているから。
「見事也」
嘘偽り無く、ゴライアスが告げる。返礼の如き一撃と共に。その力を賞賛して。
その瞳にあった共感を、マキナは目に焼き付けた。
●
「成程。そちらに居たか」
遥か頭上から響いた声に、三人は弾かれたように顔を上げた。白鎧を染める夥しい血に顔色が変わる。
(奪いに来たか…!?)
破壊を。咄嗟に動きかけたルビィを冴弥の手が止める。
「いずれ取り戻す時まで、そいつはおまえさん等に預けよう」
三人の頭上、ゴライアスは血に染まった戦斧を担いで告げる。
「まったく……人界も化物揃いになってきおったわい。楽しみが増えたというものよ」
その声は駅を挟んだ向かい側を見ながら。
遠く救急車の音が響くのを背に大天使は翼を広げる。
「次は、おまえさん等とも戦いたいものよ」
ルビィは気づく。鎧を染める血が、決して仲間達のものだけでは無いことに。
「……いずれ、必ず」
声にゴライアスは笑う。
太陽がそれを見ていた。
○
「おー、痛い痛い。いや、人界も物騒になったものよ」
せっせと回復術を使う友にバルシークは呆れ顔になった。
「嬉しげだな」
「おお。最後まで気が抜けんかったわい。避けるは当ててくるはで散々よ」
己自身も、最後まで立っていた顔に傷ある男に「化物のようだ」と賞賛混じりに呟かれたが。
「儂に言わせれば、あの年齢であそこまで至る連中こそ化物よな」
ゴライアスは笑う。
自身の能力がこれ以上伸びないことを確信していた。だからこそ、若い天使達を見ると可能性を思わずにいられない。
自分よりも高みへ。
自分では至れなかった場所に……あの者達なら――と。
「いずれ当たるとして、あの撃退士達もまた、いかなる高みに至るであろうか」
「敵だぞ」
「うむ。ま、それはそれ、これはこれ、でな」
ゴライアスは目を細める。
遥か昔に喪った我が子。
生きていれば、彼らのような若者になっただろうか。
彼らと手合わせするのを喜んだだろうか。
「次に会うのが、楽しみよなぁ」
歩み続ける者は、常に成長し続ける。
その到着点が如何なる高みにあるのか――想像するだけで楽しかった。
●
アタッシュケースの中、青い宝石が煌めいていた。
異なる技術で作られた石を研究者の手に渡し、雅は病室を振り返る。
生徒達の意識はまだ戻っていない。
灼熱の焦土と化した土地。
異界の雨が降っていた土地。
それらが同じ道の途中にあるのか、違うのか……それすらも不明なまま。
それでも――
「……戦いは、避けられん、か」
いずれその時はやって来る。
彼らが成そうとした御物のほぼ全てを――生徒達は手に入れて来たのだから。