風に雨の気配が混じった。
濡れたアスファルトの匂いを感じながら七人は駆ける。
(未だ一般人に被害無しなのが幸い、か…だが…)
鮮やかな緑の瞳に憂慮を含ませ、アレクシア・V・アイゼンブルク(
jb0913)は形良い眉を顰める。徳島駅上空を舞う白鷺の姿は高層ビルに阻まれて今は見えない。
(別に目的があるから? その目的が不明だが…仕掛ければ何か分かるか…)
後方、同じく思案に眉根を寄せているのは強羅 龍仁(
ja8161)だ。
(まだ人を襲っていない?何故だ?…何かを待って…いる…?)
明らかに天魔と思しき個体が、何もせずその場に留まっているという状況が解せない。
「思惑があってダンマリを決め込んでんなら、状況が動く迄は現状維持の筈。無差別攻撃するつもりなら、とっくに駅ビル周辺は阿鼻叫喚だ。――白鷺を操る指揮官が何処かに居るぜ?きっとな…」
小田切ルビィ(
ja0841)の声に一同は頷く。
こうした状況にある時、上位の存在が現地で待ちかまえていることがある。だが、
(俺達を誘き寄せるのが目的だったとしても…何の為に?)
分からない。こちらへの興味なのか、それとも他に何か目的があるのか。
「状況的に楽観視は出来ませんが、興味はありますね。最近こうした行動を取る敵が多くなったものです」
「連中にも何かしらの変化が出てきたのかもしれないな」
石田 神楽(
ja4485)の声に龍仁が低く呟く。数多くの戦場にて様々な天魔を見てきた彼らには、それは一つの流れのようにも感じられた。全く歯牙にもかけなかった相手をようやく認めだしたような……。ならばそれは、京都等で皆が死力を尽くした、ある意味目には見えざる確かな成果ではないだろうか。
「なんにしても、一般人の方が襲われてないのは幸いですね」
ふわりと柔らかい声が流れる。どこか猫耳のような大きなリボンを揺らし、鑑夜 翠月(
jb0681)は可憐な顔を引き締めて言う。
「ただ、いつ襲われるかも分かりませんから……迅速に避難できる様に頑張ります」
「うん。まだ被害出てない内に終わらせなね」
遠く見え始めた駅を見据え、宇田川 千鶴(
ja1613)は決意を込めて頷く。誰も傷つかないままであってほしい。願うのはただ祈りにも似た希望。
「ええ。今まで被害が無いからと、いつまでもそうとは限りませんから」
声に頷き、神月 熾弦(
ja0358)もその瞳に静かな決意を漲らせる。
「狙いも能力も不明、ならばこの場で暴いて跳ね返すのみ、です」
○
「ふぅむ。建物に隠れて進む、か」
壁にもたれ掛かり雨宿りをしていた男は小さく唸った。その背後の建物では職員による避難誘導が始まっている。
「ははぁ、一般市民を守るを優先させたか」
独白はどこか楽しげだ。
「お、こうしてはおれん。儂も見に行かねばならん」
●
駅に近づくにつれて雨の匂いは濃くなる。
「雨雲発生と同時に現れた天魔か…」
敵を刺激しないよう、隣接された立体駐車場に走り込みながらルビィは独り言ちた。
天気予報を確認するも、雨の予報は無い。龍仁は難しい表情で呟いた。
「雨がいつから降っていたか、だな」
尽きない疑問を胸に、龍仁は嘆息をつく。
「今は確認している暇がないが、な」
駅職員から屋上戦闘の許可はとってある。奇襲とのタイミングをあわせつつ、二人は同時に思う。
(この雨は…『何』だ?)
アレクシアは物陰から雨空を見やる。
(ここしばらくは雨の予報は無いはず。期を同じく出現したサーバントと何か関連があるのか?)
例えば出現周囲に豪雨を降らせたと報告のあった天魔のように。
(この雨がサーバントに関係あるか否か…撃ち落とせば、はっきりするだろう)
その手の中、円錐型の槍が鈍い光を放った。
「これから討伐に入ります。よろしゅう頼んます」
駅職員との最終連絡を終え、千鶴は次に避難班と先行班に連絡を入れる。
駅職員の混乱はほとんど無かった。まだ被害が出ていない事、撃退士が向かっている事の二点が功を奏したと言えるだろう。
「……うん。これから駆け上がる」
光纏の光を消し、千鶴は物陰から頭上を見やる。遙か先に、こちらに背を向け屋上に止まっている一羽の白鷺。
「屋上突入に合わせる。…気をつけて」
通信を終え、視線の先にある鳥の尾が動かないのを確認しながら足に力を込める。
『突入する』
イヤホンから聞こえた龍仁の声と同時、壁を駆け走った。
●
「“飛んで火に入る夏の虫”になりに来てやったぜッ…!!」
阻霊符の発動と同時、屋上に居た白鷺型サーバントを黒い衝撃波が襲いかかった。
ギャアアッ
直撃を受けた白鷺の鳴き声と同時、屋上に居た全ての白鷺が空へと舞い上がる。屋上周辺に羽ばたきの音が響き、巨大な翼が天使のそれのように空に広がった。
「空に――」
動きのそれは鳥と同じだ。龍仁の声に重なるように、別所から駆けあがったアレクシアの矢がその巨大な翼を射抜いた。
「人々からの証言がある。鳴き声に注意だ」
「ああ。……翼持つ敵ってのは卑怯だな!」
鷺は空へと舞いあがる。だがそれよりも駆け上がってきた千鶴の方が早い!
「墜ちな!」
地上から斜めに雷光が走った。翼を撃ち抜かれバランスを崩していた鷺と頭上の敵を撃ちぬく。
「よし!」
鷺の飛翔は天使達と違い、筋力に似た力によるものだったのだろう。翼を傷められた上、麻痺の入った鷺が屋上に落下する。かろうじて麻痺から逃れた一羽が怒りの声をあげた。
「いかん、間に合うか!?」
大きく翼を広げた鷺に、龍仁はアレクシアへと聖なる刻印を放つ。直後、耳鳴りにも似た音波が全員の体を叩いた。
「く……ッ」
全身を内側から破壊するような痛みが走る。
だが衝撃はそれだけに留まらない。空に舞い上がった全羽が一斉に翼を広げた!
「まさか――」
アレクシアは息を呑んだ。
スキルが間に合わない。そして屋上全域を網羅する圧倒的な範囲――
音の波が四人に襲い掛かった。
●
「落ち着いて行動してください。出来るだけ建物内を通って駅周辺から離れてください」
翠月の声が人々の背を押す。
徳島駅ビルは徳島駅舎とショッピング施設が併設されたビルのため、高さだけでなく幅もある。
(敵の特殊能力が【音】なら屋内の方が安全そうですが……)
アナウンスの音もあってか、彼のいる階層には【音】は届いていない。
下階で誘導にあたりながら翠月は不安げに外を見る。屋上の仲間と、外がどうなっているのか。それが少し気がかりだ。
「あれ?」
屋内に戻した視線が、上階へと登っていく一人の男を捉えた。
「ま、待ってください! 上に行っては駄目です!」
「千鶴さん!?」
イヤホンから聞こえた悲鳴に神楽は思わず声をあげていた。避難していた人々が驚いて振り返るのに、内心を押し殺し「いえ、大丈夫です。お騒がせしました」と常の笑顔を装う。
携帯を介しての【音】では被害に至らない。だが身を引き裂くような【音】が先行班を直撃したのは間違いない。
「すみません。先行班の援護に向かいます」
その目が一瞬、エスカレーターに消えた人影を捉えた。どこか悠然と動く稀に見る巨漢。
(あちらは……上階へのエスカレーターでは)
嫌な予感がいや増すのを感じ、言葉を紡ぐ。
「今、上階に誰かが向かいました。気を付けてください。……『天使』の可能性があります」
「これが証言のあった【鳴き声】……ですか」
音の波は建物の中にも襲い掛かっていた。
上階から避難を促していた熾弦は眉を潜める。すでにこの階の避難は終了している。避難洩れの人がいないか探している最中に【音】に気づいたのだ。
「……けれど、何か作用が違うような」
気分を害するというよりも、これは直接的に肉体を破壊してくるような感じだ。距離と屋内であるためか、熾弦の所にまでは直接的な力として作用しないが。
(抵抗力の無い一般の人ではどうなるかわかりません)
神楽から連絡が入ったのはこの時だ。
「はい。……わかりました。危険度は……はい……では、避難を完了させて後こちらからも向かいます」
先行班は音の直撃を喰らいつつもまだ瓦解レベルではない。ならば人々を守る方を優先しなければならない。焦りが生じるのを堪えたところで新たな報告に目を瞠った。
「え?」
慌てて見渡す視界の端、屋上へ向かう階段の扉が揺れる。だが人影はすでに無い。
「いけません……屋上に!」
●
「次が来るぞ!」
ルビィの警告と同時、三人は散開した。
ガアアア
威嚇音が放たれる。ぐらりと視界が揺れる感覚は一瞬。聖なる刻印で耐性の上がったアレクシアはそのまま槍を繰り出す。
ギャアッ
耳障りな悲鳴と同時、屋上にとどまっていた一体が絶命した。上空で鷺たちがけたたましく鳴く。
「通常の声だけで頭が痛くなりそうだな!」
黒光が上空の鷺を薙ぎ払った。翼を大破した鷺が羽根を散らせながら落下するのを千鶴の【白始】が切り裂く。
同時、頭上で何かが弾ける音がした。振り仰ぎ、千鶴はそこに頭部を破壊された鷺の姿を見る。
「神楽さん!」
「男の人がこちらに来ませんでしたか!?」
屋上入口で狙い撃った神楽の後ろから熾弦が駆けつける。四人は一斉に首を横に振った。
「連絡にあった男のことだな? 誰も来てないぞ」
上空からアレクシアに狙い澄ます敵に向かい、龍仁が牽制を放ちつつ応える。屋上に向かう男の報告があって以降、四人は警戒にあたっていたのだ。上空から攻めてくる敵との戦闘の為、見張り続けることは出来なかったが。
「ともかく、連中を斃すことが先決だ!」
「気をつけろ! 敵愾心が連動している!」
アレクシアと龍仁の声に合わせるかのように白鷺が羽ばたいた。一気に迫る嘴にアレクシアはハッとなった。
「させん!」
衝撃と同時柔らかいものが上に乗るのを感じた。押し倒された視界の先で千鶴の胴が白鷺に食い破られる。
「……!」
だがその姿は一瞬で千切れたスクールジャケットに変わった。空蝉だ。すぐさま身を起こした二人の頭上で羽ばたきの音が響く。
「フォローを!」
癒しの風で二人が負っていた傷を癒しながら熾弦が叫んだ。直後、三日月に似た無数の刃が鷺に襲い掛かる!
「一匹外れました!」
階段を駆け上がってきた翠月のクレセントサイスから逃れた一匹は、けれど一瞬動きをぎこちなくさせていた。
「封じれたようだな」
間一髪、最後のシールゾーンを成功させた龍仁が口元に不敵な笑みをはく。即座に通常攻撃へ切り替えようとする鷺の頭部に狙いを定め、神楽は薄く笑った。
「鳥を落すにはどうするか、私はこうします」
二羽目の頭部が吹き飛ばされる。これで頭部を失った鳥が二羽、健在なのが一羽だ。
「来や、構ったるわ!」
なおもアレクシアに狙いを定めようとする鷺に千鶴が春蘭/風大を解き放つ。惹きつけられ鷺が一直線に急降下してくる。千鶴が避け、ルビィとアレクシアが同時に身を翻した。
ガアアアア
二人に胴と翼を穿ち切り裂かれ、威嚇ともつかない絶鳴をあげて鷺が倒れる。あと二匹。
「頭を無くしても行動するんですね」
「ある意味ホラーですね」
翠月が構築したクレセントサイスで再度鷺を切り裂き、神楽がいつでも黒塵を放てるよう狙い澄ます。
「どうやら行動不能を狙う常態異常をメインにしているようでしたが……」
切り裂かれ、落下する鷺に向かい熾弦は構える。掌に集まるのは薄く輝く小さな羽根のようなアウル。集まったそれが一羽の白鳥に似た姿を形成する。
「これで終わりです」
―星晶飛鳥―
一直線に並んだそこを幻の白鳥が真っ直ぐに貫いた。
●
「一斉に状態異常攻撃、その後一点集中撃破。行動を害し弱らせてからの確固撃破は、俺達がとる戦法に似ていたな」
全員の治癒を施して後、龍仁の考察にルビィ、アレクシア、千鶴が頷いた。
「こちらが連携せず各人で動いていたら危険な敵だったな」
「集団戦闘やね。状態異常に拘ってるような印象やったかな」
状態異常と言えば、と翠月が声を上げた。
「避難誘導中、はっきりと気分を悪くした方は少ないのですけど、疲れやすい感じがした方が多くいらっしゃいました」
全員が顔を見合わせる。
「その方達は、鳥の鳴き声は聞いていないんです」
「何かに似ていますね。いえ、こんなに呑気な力ではありませんが」
神楽の声に表情が変わるのを感じた。だが、そんなことがありえるのか。
「あの鳥達、何の為におったんやろ。それに、敢えてのんびり屋上で留まってたんはなんでやろ」
全ての疑問がそこにある。『何の為に』。
一度視線を床に落とし、千鶴は頭上を振り仰いだ。
「雨、鬱陶しいな」
「ああ。サーバントを倒したのに、晴れる様子が無い」
アレクシアの声に全員が表情を引き締める。
この『雨』は何なのか。集まった疑念が一つの方向性を向く。
ルビィは口を開いた。
「局地的な雨雲と状態異常。まるで結界みてーな…。まさか、ゲート?」
「ふぅむ。そう導き出すか」
「!」
七人は一斉に振り返る。
屋上に続く入口。その上にどっかと胡坐をかいて座っている男――
「あ! あのひとです!」
翡翠が声を上げた。男は武骨な手で顎を撫でながら唸る。
「ヘロンを斃しきった技量は見事。庇い合い助け合ってこそ生存率は上がるというものだ」
「観測者か」
「その呼び名はちィと性に合わんなぁ…まぁ、黙って見ておったのは、事実だが」
言って、男はパンッと自身の膝を叩いた。
「まぁ許せ。戦いに水を注すは本意で無くてな!」
「天使か」
「おおとも」
ルビィの声に男は破顔する。
「本来なら儂も腰を上げねばならんのだろうが、全力でやりあえんのはつまらんなァ。ということでだ、おぬしら、次に持ち越さんか?」
「どういう……意味です?」
慎重に熾弦は問いかける。男は笑った。
「なに。良い戦いを見せてもらった。ならば儂も全力のおぬし等と闘いたいと、まぁ、こう思ってな」
「この、『雨』は」
「さァて。そこを解き明かすのはおぬしらの技量次第といったところだろうて」
アレクシアの短い声に男はむしろ楽しげに言う。
「が、一つだけ約束しておこう。次に試合うことを約束してくれるのならば、儂も儂の名にかけて『来たる時まで儂自身が人々を傷つけることはしない』と、約束しよう。どうだ?」
どうだと言われても答えようがなかった。むしろ今見逃されることのほうが不思議な程だ。
「何故だ?」
「これと思った若造に、稽古をつけたがるのは儂の悪癖よな」
呵呵と笑う男の言葉には何の悪意も感じられない。唖然とする一同の前、男は屋上の床に降り立つ。
足元から振動が伝わった気がした。その、圧倒的な存在感。
「良き戦いの礼に名乗ろう。覚えおかれよ、若き戦人よ」
生み出されるのは巨大な戦斧。その身を包む白光の鎧。
「儂の名はゴライアス。誉れ高き『焔劫の騎士団』が一角、『皓獅子公』ゴライアス也」
「来たる時、おぬし等の全力をこの地にて待つ!」
吼えるような声はまさに獅子のそれだった。