「お仕事の後にのんびり温泉、いいですねー!」
渡された湯着を手に櫟諏訪(
ja1215)は恋人の藤咲千尋(
ja8564)と共に歩く。
「だねー!楽しみ―!」
「ちょっと照れ臭いですけど、まったり千尋ちゃんと一緒に過ごすの楽しみですよー?」
ぼふんっと千尋の顔が真っ赤に染まった。
歩み去る二人の後ろ、薬効の書かれた温泉地図をにらみ据えて後、フレイヤ(
ja0715)はカッと目を見開く。
(私は閃いたのだわ。…温泉なら!ぼっちでも!問題ない!)
切ないな!?
(そう、今の目的はぼっち温泉を楽しm…なんか書いてて悲しくなったんですけど!)
私もだよ!
そんなフレイヤが露天風呂へと特攻する傍ら、食事を終えた狐珀(
jb3243)は先に出た教師の姿を思い出して小首を傾げていた。
(ふぅむ。雅殿は何をしていたのかのぅ?)
実技教師、鎹雅(jz0140)。冷酒を桶にぎっしり詰める様子を生徒に見られまくっていた。
(たまには羽根を伸ばしましょう。最近忙しかったですしね)
湯着を抱いて雪成藤花(
ja0292)ははにかむようにして微笑む。隣を行くのは許嫁の星杜焔(
ja5378)。香ばしい匂いがすると評判の高温サウナに全力でホイホイされてしまったのは料理研究と餌付けに余念がない食いしん坊な料理人故。
(皆で温泉でぬくぬくだ〜)
藤花と二人、一緒の歩調でうきうきと温泉に向かって行った。
(温泉と聞くだけで気持ちが浮き立ってしまいますね…!)
湯着を抱え、頬を上気させて牧野穂鳥(
ja2029)は歩く。すでに心は初めて体験する霧サウナへと飛んでいた。
(じっくり堪能しましょう)
そんな穂鳥が歩み去った後、案内板を見つめ、マクセル・オールウェル(
jb2672)は逞しい筋肉をムキッ。
(温泉であるか……修学旅行の際が初体験であったが、あれは良いものである。しかし、あの時に体験しそびれたサウナというものに我輩興味津々である!)
「露天風呂なんて、初めてだよぉ〜」
先の穂鳥と同じく支給された湯着を抱きしめ、深森木葉(
jb1711)は嬉しげに温泉へと直行した。
「ふむ、屋外でお風呂ですか。人界の文化は面白いですね」
大はしゃぎで湯に入る木葉を見守りつつ、ミズカ・カゲツ(
jb5543)も足を進める。こういう整えられた野外風呂は初めてなのだ。
(初めての温泉ですから、ゆっくり楽しみましょうか)
「おー!温泉なんだぞー!楽しみだぞー!」
湯の一文字が書かれた暖簾をくぐり、彪姫千代(
jb0742)は大喜びで脱衣所へと飛び込む。
(最近ちっと忙しかったからなぁ…ゆっくりさせてもらうとするか)
軽く肩を回しつつ、麻生遊夜(
ja1838)は悠々とそれに続くべく歩く。その後ろをちょこちょこと追う来崎麻夜(
jb0905)は、表情こそ変わらないものの頬は上気し目は輝いていた。
(先輩とお風呂だ!)
\ヒャッハー!/
疲れも吹き飛ぶねぇ!まだ温泉入ってないけど!!
「湯着って何? 水着とは違うの?」
温泉は二回目だが湯着は初めてなナナシ(
jb3008)はスタッフに湯着の説明を受けている。キャミソールワンピタイプの湯着と着物タイプの湯着、両方を見せられ更に首を傾げた。
「なんで色々あるの?」
客の要望が多様化した昨今、疑問の種は尽きなかった。
「日本のお風呂という文化を知りたいですわ」
輝く金色の髪を後ろに払いつつ、長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)は楽しげに湯の説明をチェックする。ついでにチェックするのは併設するトレーニングルームの場所。
「成程、そうすると美肌効果が高いのですね…」
我先にと温泉に向かう生徒の傍ら、御堂・玲獅(
ja0388)は施設スタッフから入浴方法を教わっていた。と、顔を上げ、密かな期待を寄せつつ問いかける。
「そういえばフルーツ牛乳はこの施設にもありますか?」
そんな玲獅の向こう側、詳細な温泉の効果一覧をじっくり見つめ、下妻ユーカリ(
ja0593)はグッと握り拳。
「薬湯風呂に入るよっ!」
その目が捕えた一文。
美肌効果(大)
(すべすべお肌への道は一日にしてならず、されど千里の道も一歩から、だね♪)
最強の女子力を求め、全力爆走する彼女に隙は無い。
その後ろを軽やかに走り抜け、鴉女絢(
jb2708)は期待を胸に温泉へと向かう。
「おんせんおんせんー♪」
もともと温泉大好きなうえ、最近できた恋人の為に大人ぶってお肌とかを気にしてみたり。淡く色づく花の蕾にも似た初々しさで脇目も振らず廊下を駆け抜ける。
(うん。ここが一番、ゆっくりできそうかな)
檜風呂の内容をチェックし、ソフィア・ヴァレッティ(
ja1133)はゆったりと。楽しみつつ、ボランティアの疲れも取ってしまえば重畳。
(美肌効果も高いっていうぐらいだから、肌に塗りこめるようにしてみようかな)
「何処に行く?」
案内板前に佇む礼野明日夢(
jb5590)に礼野智美(
ja3600)は声をかける。
「露天風呂に行こうと思います」
男子服を好んで着用している智美は一見すると少年のように見える。明日夢といると、どこか年の離れた兄弟のようだ。
その隣、場所を確認し、雨宮歩(
ja3810)は雨宮祈羅(
ja7600)に微笑みかける。
「ボクらは檜風呂だねぇ。それじゃ行こうか、姉さん」
頷き、ふと悪戯な笑みを浮かべ、祈羅はメフィス・ロットハール(
ja7041)を振り返った。
「メフィスちゃんの旦那さん(友人)来れなくて残念だね。…でなかったら、メフィスちゃんに悶絶するところ見れたのに」
「も、悶絶って、べ、別に……。折角来たんだから楽しまなきゃ損ね!旦那には悪いけど」
やや頬を染めメフィスは視線を逸らせる。もちろん愛する旦那と来たかったのはやまやまだ。
コイバナの期待に目を煌かせる祈羅と、現在は弄られに回っているメフィスを見て歩はひっそりと独り言つ。
「姉さんとメフィスのコンビ、かぁ。ボクひとりが弄られる可能性大だよなぁ、コレ」
ため息がひとつ、ぽつんと零れた。
●
脱衣所と洗い場は男女別になっていた。温泉が混浴である為の配慮だろう。
「蒸気を溜め込む様な温泉もあるのですね」
案内を読みながらファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)は気がかりそうに心の中で独り言つ。
(視界が悪いですし他の方達と離れない様にしないと)
だが次の瞬間、スイッチが切り替わった。
「親しい皆さんでこうしてこれる機会は珍しくもありますし……視界が悪い岩窟風呂は、冒険感覚で楽しめそうですね」
賑やかな周囲を微笑ましそうに眺めていた神月熾弦(
ja0358)の声。おおこれぞまさに天啓か。
(これは……逆襲の、チャンス!?)
数日前の温泉旅行のリベンジが今!
(? 何か悪寒がするな?)
ふいに背筋に走った寒気に天風静流(
ja0373)は内心首傾げ。その向こうですでに湯着を着込んだアイリス・L・橋場(
ja1078)が髪を頭の後ろで纏め、ギィネシアヌ(
ja5565)がせっせと髪をタオルで包んで纏めていた。
「ん? 包んでしまうのか?」
綺麗に髪をタオルで隠してしまったギィネシアヌに、タオルを手に静流が再度首を傾げる。実は話をするのが初めてなギィネシアヌ、人見知りな部分が顔をのぞかせ、内心はわはわと言葉を探す。
「義父さんから聞いたことあるのですが、髪は上げないといけないらしいのですよ?」
かわりに応えたアイリスの声に、ふむ、と静流も頷いた。
(一人黒髪なのも、隠れる…か)
脱衣所に入った瞬間、自身と同じ状態の相手を見つけて黒百合(
ja0422)は相手に声をかけた。
「あらァ…? あなたも酷い怪我ねェ…?」
傷が痛まぬようそっと包帯を外していた神喰茜(
ja0200)は、その声に笑って振り返る。
「依頼でちょっときついの貰っちゃったからね。湯治に来た、ってわけ」
包帯の下から現れたのは、相当深かったと思しき刀傷。黒百合はニィ…と笑みを浮かべた。
「綺麗に縫い合わされてるわァ…これなら、痕には残らないわねェ♪」
「そっちの首も残らないといいんだけどね」
黒百合の首に刻まれた傷痕に、茜は僅かに顔を曇らせた。大型の獣に咬まれたような咬創部は、切傷と違い創部の損傷が激しい。真皮縫合を施しても、その痕が消えにくいのだ。
「温泉の美肌効果に期待ねェ…」
「全くであるな」
嘆息混じりの声が加わって、二人は隣の脱衣籠を手にした白蛇(
jb0889)に目を丸くした。
「あなたも酷い怪我ァ…」
「電光砲とかいうやつにな…しかし、ここまで傷を負うとはのぅ…やはり今のわしは脆弱な人の身、か。身に沁みたわ」
痛む傷を堪えてため息をつく。
「黒百合殿。それに神喰殿、と言ったか。主らも重体であったか。今は互いにしっかと養生しようぞ」
さすがに重体者が三名も揃うと人目を惹く。自前の湯着を手にいそいそと脱衣所に入ってきた久遠寺渚(
jb0685)は三人の様子に目を見開いた。
(へうぅー、大怪我してる人がいっぱいです…これじゃ一人でお風呂入るの大変ですよね)
ちょうど大人数が移動した後のせいで、脱衣所には三人しかいない。
(…決めました。私、皆さんの介護をします! …介助、でしたっけ?)
意を決した渚は、手早く湯着を纏うと傷跡も生々しい三人へと足を進めたのだった。
「のと姉ー縁ちゃんー混浴であるよーあばばー!!!」
洗い場に入った途端、はわわ状態の千尋に飛びつかれ、大狗のとう(
ja3056)はニカッと笑った。真野縁(
ja3294)は髪をお団子状態にした千尋の背をエイと押す。
「いや千尋大丈夫、大丈夫だって!裸の付き合いでより距離が縮まるって!悩殺してくるといい!」
「ふ、ふぉ…い、いざ参るー!」
「おーがんばれー!」
ふんーっ!と意気を入れ直し、親友に見送られて千尋は洗い場から出た。目指すは露天風呂!
それらの賑わいに背を向け、湯着を着る際、姿見に映った自分のとある部位に月乃宮恋音(
jb1221)は落ち込んだ。
(……また、大きくなったような気がするのですよぉ……。……うぅぅ……)
湯着をきつく抑えるようにして着込む。むろん、体型が分かりにくいよう着物型の湯着だ。
「……うぅ……。……は、恥ずかしいですよぉ……」
小柄な体に反するソレは、恋音にとってはコンプレックスに他ならない。元々の性格もあってかなり恥ずかしげだ。
「? 温泉に行きませんの?」
「い……行きますぅ……」
不思議そうな顔で誘いに来たみずほに頷きつつ、恋音はふと今日この地には来れなかった人を思い出した。
(……一緒に来たかったのですよぉ……)
その言葉、告げればきっと相手は喜んでくれるだろう。
一方の男側。
「温泉かー…なんだかホッとするな」
肩の力を抜きつつ、早見慎吾(
jb1186)は嘆息をつく。
「オハナミ、は脱ぐらしいが、オンセン、は着て入る…のか」
常に誤解が増えている。湯着を片手に不思議がるレイ・フェリウス(
jb3036)に、東城夜刀彦(
ja6047)はきょとんと首を傾げた。
「花見で脱ぐのは違うと思いますよ…?」
「違う…のか」
ややも驚いた顔のレイに、頷きつつ夜刀彦は真顔で悩む。
(先輩の誤解はどこで発生してどこまで発展してるんだろうか)
会う度に誤解が増えている気がする。ちょっと見張ってないと不安かもしれない。修正頑張ろう、と密かに心に誓いつつ、手に取った自分用の湯着に目を丸くした。
「? なんで俺の湯着だけ色形違うの?」
係員。ナチュラルに性別間違えである。
(お…俺、温泉入るのに服着るなんて聞いてないんだぞ…!)
一方、この世の全てに裏切られたといわんばかりの顔なのが千代だ。
(ふ…服着なくちゃ温泉入っちゃ駄目だなんて…怖いこと言うんだぞ! アーウー服着るのは恥ずかしくて嫌なんだぞ…でも温泉は入りたいんだぞ…俺どうすればいいんだぞぅ…)
ゼンラーでもいいんだぜ(まがお)強制退場フラグだが記録係はyおっと誰か来たようだ。
涙目な千代の葛藤を知る者はおらず、皆次々に体を洗い、湯着を着こんで行ってしまう。
(み…みんな行っちゃうんだぞ…でも俺…服は恥ずかしいんだぞ…。でも…お…温泉入りたいから…我慢するんだぞ!)
千代、涙を堪えて耐え忍ぶ道を選んだ。
(む、湯着という物を着ねばならぬのか? この褌では駄目なのであるか……?)
三人が出た後の脱衣所でマクセルは首を傾げる。
(むぅ、良く分からんのである)
その裏側で大きな脱衣籠に服を仕舞いながら、犬乃さんぽ(
ja1272)はわくわくと洗い場に向かった。
(汗かいた後の温泉って気持ちいいよね♪ それに、岩風呂なら湯気凄いし、裸でも恥ずかしくないよね)
ちょうど大勢移動した後で他に人が居なかったのが禍いした。マクセルも今はゼンラーだ。
(日本のお風呂は水着やタオル厳禁だったよね!)
誰か!早く!彼に現場の説明を!!
●
「すまぬが久遠寺殿。主の世話になる」
「大丈夫です…? 凄い火傷です…」
良く泡立てた柔らかいタオルを手にした渚に、雅がひょっこりと顔を覗かせた。
「ん。その泡は黒百合殿と神喰殿に使ってやっておくれ。火傷はちょっと厄介でな」
そう言って渡すのが生理食塩水の入った医療ボトル。
「創部の洗浄用だ。火傷で最も恐ろしいのは感染症でな。ということで、すまないが白蛇殿は特別風呂行きになる」
「な、なんと…」
「個別の風呂桶を用意してもらったから、そちらを使用しておくれ。ちょっと狭いんだがな…すまない」
ちなみに創傷部の洗浄は厚い泡で撫でるように洗浄し、しっかりと石鹸分を洗い流してからタオルで押さえ拭き。入浴は基本的に可能なのだが、公衆浴場等では防水フィルムで保護するのがベターだ。
「泡洗い、なのですね」
材料を渡されて、渚はグッと握り拳。
「うん。介助人がいてくれて助かる。ありがとうな」
作成されるもこもこの泡に、背中を流してもらう予定の茜が笑った。
「…優しくしてね?」
●
静馬源一(
jb2368)は張り切っていた。
(岩窟探検って楽しそうで御座らん?)
わくてーか。
何処かから「こら走るなー」と言われたが荒ぶるわんこは止まらない。
「わふー!一番風呂は自分で御座るー!」
勢いよく飛び込んだ湯気の中、トゥルッと足が綺麗に滑ったよしお約束!
「!?」
声もなく吹っ飛んだがそこは鬼道忍犬もとい忍軍。華麗に空中で踊ってちょうど入り口側に移動したやたら立派な壮年男の頭に張り付いてセーフ。
「わふ〜…危なかったでござる」
いや、アウト。
「最近の嫁は正面から降ってくるのか?」
「わふっ!? も、申し訳ないで御座るよ〜っ」
湯船の中に仁王立ちした男の顔面から慌てて離れ、源一は湯の中に飛び降りる。
「大人しく浸かるがよい。怪我をしては事だろう」
「わふー…」
ちゃんと肩まで浸かれ、と頭を撫でられて、源一はぽちゃんと湯に浸かる。同じく湯に浸かりつつ、男はしみじみと呟いた。
「……惜しい物よ。今日が休体日でなければしっかり味わったものを…」
源一、奇跡的危険回避であった。
「や、こんな良い所ならあいつらも誘ってやれれば良かったんだがなぁ… 」
本格的な岩窟を模した風呂の外観に、ディートハルト・バイラー(
jb0601)は来れなかった友を思い残念がった。その一方で、口元には僅かな笑み。心が浮き立つのは、子供じみた小さな優越感だ。
「お邪魔するぜ」
入ると同時に迎えてくれる湯煙に笑い、ディートハルトは手桶に冷酒セットを仕込んで湯の中へ。折角の機会、落ち着けるところに入って酒を飲みつつのんびりする算段だ。
「ふ〜…粋だねぇ」
岩の壁に背を預け、ゆったりと杯を傾ける。ふと気づけば、斜め向こうで同じようにゆったりくつろいで杯を傾けている壮年の男がいた。杯を軽く掲げると、同じく軽く掲げるのが見えた。
良い出会いに乾杯を。
相手が誰なのかは知らないほうがいいだろう。
●
「お邪魔しまーす」
蒸気で朦々とした霧サウナ室をそっと開き、絢は暖かな霧の中へと足を進めた。
(全然前が見えない!)
光源の位置で隅や壁の位置はぼんやり分かるが、中央部分などさっぱりだ。壁際の石の椅子に座ると、ちょうど斜め上から細かな霧が柔らかく降りてくるのを感じた。
(気持ちいいかも)
濃密な霧でやや息苦しいが、肌の心地よさはなかなかのものだ。
(ん。今、誰もいない感じかな?)
見渡し、気配を探り、誰もいないのを確認して、絢はいそいそと美肌体操に取り組む。
「美肌?になれば喜んでくれるかな?むむむ、ちょっと頑張ってみようかな」
肌に擦り込んでみたり揉んでみたり。顔とか首とか腕とか諸々。
「お邪魔します」
次いで丁寧に足の指先を揉んでいた絢は、その声にピャッと背筋を伸ばした。
「いらっしゃい〜」
「前が…あ、失礼しますね」
濃密な霧を掻き分けて入って来た穂鳥がはにかむようにして微笑む。二人並んで霧の祝福を浴びた。
(暖かい…)
全身を暖かな霧に包まれる感覚に、穂鳥はうっとりと目を瞑る。掌がじんじん熱を持ってきている気がするのは、草抜きに一生懸命になりすぎたせいだろう。
(ですが、斜面は綺麗になりました)
疲れや小さな痛みと引き換えに、帰れぬ故郷を思う人々の為に何かが出来たのなら…それはとても嬉しい事のように思う。
(戦い以外で…)
この手で出来ることも沢山あるのだから。
暖かな霧がすべてを柔らかく包み込み、流していく。穏やかに癒される感覚。時の流れすら緩やかで、戦場を駆け、戦いに明け暮れる日々のことを今だけは忘れてしまいそうなほど。
「気持いい…」
「ですね…」
二人同時にうっとりと。
ぼんやりと光る光源を見つめて、絢は眼差しを細めた。
(次は彼と一緒に来てみたいかな…)
●
「一仕事終えた後の温泉は気持ちが良い物だね…」
ふぅ…と満足げな吐息を漏らし、静流は湯に全身を預けた。疲れた体に湯が沁み込んでくるような不思議な感覚だ。
(ティナは逆襲とか言っていたが…一体何をする気やら)
そんな静流の前では、湯に浸かってのんびりしているアイリスの姿が。
(ティナ姉様達との温泉なのです♪)
背後にそっと忍び寄ったギィネシアヌが、そんなアイリスのうなじに向かって水鉄砲で湯を飛ばした。
「はむぁ!?」
気を緩めた瞬間の不意打ち! 思わず上がった声にギィネシアヌはニッと笑った。
「アイねーさん、可愛いのぜ!」
「むぃ…やったですね」
「フフフ」
互いにかかる程度の水量に気を付けて二人がせっせと相手にお湯を飛ばしはじめる。
「楽しそうですね」
「ええ、本当に」
声と湯煙に映った影でなんとなく分かるものの、はっきりと姿は見えない。そんな状況下にファティナの目がギラリと輝いた。
「ふぁ!?」
突然感じた胸の圧迫に思わず熾弦は声をあげた。すぐ後ろで笑い含みな声が聞こえる。
「いつかのお返しです!」
「そ、それは……んっ」
思い当たる節がある熾弦は周りに配慮して声を我慢。しかし反撃の手は違う所からやってきた!
「ティナ姉様、助けてなのですっ」
「ひゃんっ!?」
なんと水鉄砲試合に負けたアイリスが飛び込んできたのだ。伸ばした手がファティナの湯着の隙間に入ってしまったせいでけしからん非常にけしからん!
ちょうどその様を見てしまったギィネシアヌ、チラ見えした立派な双丘に乳白色の湯に沈んだ。
(胸の格差ェ…)
泣くなギィネシアヌ。君の未来(胸)はこれからだ!
●
露天風呂は室内風呂を囲う硝子仕切りの向こう側にあった。
「一番―っ」
誰もいない露天風呂に向かい、木葉が元気よく特攻する。
「これが露天風呂、ですか。見事ですね」
日本庭園の一角に似た風情の露天風呂と、そこから見える広大な光景。思わず目を瞠り、ミズカは感嘆のため息を零した。
「ひろ〜い!」
歓声をあげてチャプチャプ泳ぐ木葉に、そっと湯に浸かりながらミズカは微笑む。
「ふふ、木葉は元気ですね」
「えへー?」
ぱちゃぱちゃするのをやめて、木葉はミズカの元へと歩く。
「ミズカちゃんの銀髪、きれいだねぇ〜」
湯船に漂う銀糸のような髪。しばし目を細め、木葉はそ〜っとミズカの狐耳に手を伸ばしてみた。
(だ、大丈夫、怖くない…。天魔でもいい人はいるんだ…。大丈夫…)
心の中で呪文のように言い聞かせるのは、かつて撃退士と天魔の戦いに巻き込まれ、目の前で家族を失った過去が胸に去来するため。
かすかに震える指が白銀に近いミズカの耳に触れる。ふわっとした獣毛の肌触り。同時に、ぴるぴるっと耳が動いて指をぱたぱた叩いた。
「おや、木葉。どうかしましたか?」
くすぐったさにはにかみながらミズカが柔らかく問う。指の感触に木葉は零れるような笑みで言った。
「えへへ〜、ミズカちゃんのお耳、柔らかくて気持ちいいねぇ〜」
無邪気な笑みに、ミズカは微笑んだ。木葉と共に新緑を眺めながら、ゆっくり温泉に浸かって安らぐ
「こうしてゆっくりするのも良いですね」
「うんっ」
体がぽかぽかと温かい。寄り添うように横に座り、木葉もまた湯に体を預けた。
ちょうど賑やかさが落ち着いた頃にやって来たのは智美と明日夢だ。
「初めての依頼、どうだったか?」
先の二人に軽く挨拶して入りながら、智美は明日夢に問う。問われた少年はやや表情を彷徨わせてから呟くように答えた。
「…彼女はさっそく東北に行ってるのに…って思うと、なんか草刈している自分が情けない気がして」
その答えに智美は苦笑した。まだ戦闘依頼には早いだろうとボランティア依頼に誘ってみたのだが、少年はすでに戦場に赴いている幼馴染み達と自分を比べて落ち込んでいるらしい。
「戦闘ばかりじゃない、人の心のケアとか事後処理とかも立派な仕事だからな」
「あと…」
「ん?」
「…熱いのや視界が効かないのはちょっと人とぶつかりそうだし…薬湯は凄い怪我してる人多いし…」
「戦場が常に視野良好で、気温も温厚だとは限らないぞ。それに、あの怪我はそれこそ激しい依頼で死力を尽くした結果だ」
戦いともなれば、そこに「待った」は無い。時には四肢はおろか、命すら喪うこともある。
「焦ることはない」
智美の手が明日夢の頭を撫でる。
「まだまだこれからだから」
暖かなその手が、少年にはとても大きく感じられた。
先に湯に入り、恋人が来るのをのんびり待機していた諏訪は軽やかな足音に振り返った。
「すわくんお待たせだよー!!」
「あ、髪あげてお団子にしてるんですねー?いつもとちょっと違っていてまたかわいいですよー?」
即褒めである。なんという技アリ。
ぼふー、と速攻で真っ赤になった千尋の頭をぽふぽふし、湯へと誘う。
「折角ですし、雰囲気だけでもってことで甘酒を持ってきましたよー?千尋ちゃんもどうですかー?」
「あっ、甘酒は、これ以上のぼせるのは危険だから見てるねっ。お風呂上りに珈琲牛乳飲みたいな!!」
既にのぼせたみたいなのは気のせいだって!!
真っ赤になってもじもじしてる千尋に諏訪は微笑む。
「え、えっと!恥ずかしいけどほかほか幸せだね!」
「ですねー!」
「うんうん!いつもありがとうね!」
「千尋ちゃんもありがとうですよー!」
湯煙とすぐ近くにある温もりと。なんだかいつもと違って変に緊張する。
(えーと、あれー、いつもどんな話してたっけ)
言いたいことは沢山あって伝えたくてたまらないのに。
幸せなのを大事にしたいね、とか。
ずっと一緒に頑張っていきたいね、とか。
いっぱいいっぱいな思いが返って口に蓋をして。だから言葉が出なくなって。けれどお湯の中の手がぎゅっと握られたから。
「……」
顔を上げるとニッコリと微笑むその人の顔。会話が無くても、きっと伝わっている。
其処に居てくれる幸せの気持ちは。
「……!」
ぶくぶく沈んでいきながら、千尋もギュっとその手を強く握りしめた。
「おお、えぇ景色やねぇ」
百八十度全て自然で占められる光景に、宇田川千鶴(
ja1613)は嬉しげに相好を崩した。
「労働後のお酒と温泉って最高やわぁ」
「そうですね。ただ、混浴というのは初めてですね〜」
一緒に入ってきた石田神楽(
ja4485)がいつも通りの穏やかな笑みで「絶景ですね〜」と周囲を見渡す。
(湯着付きの混浴なら気兼ねなく一緒に入れてえぇねぇ)
普通なら一緒に入れない相手と共に在れるのは、やはりとても嬉しいもの。密かに喜びを味わっている千鶴だったが、神楽の方も内心は同じ。初めての一緒の温泉をやはり楽しみにしていたのだ。
「お。早いな。ふふ、お邪魔するな」
そんな二人に笑いながら、手桶を抱えた雅が入ってくる。続いて入って来たのが、雅を真似て桶に冷酒セットを用意してもらった狐珀だ。
「温泉にはこの様な楽しみ方もあるのじゃな…うむ、これは良い…」
「む。そちらも美味そうだな」
「む? 同じものを頼んだつもりじゃったが」
どれどれと二人して味見しあう。
「これは旨い」
「先生、良かったらこのお酒もどうぞ」
「おお?」
四国の地酒をリサーチして来ていた千鶴の酒に、二人して顔を輝かせる。あっという間に飲み会になった女性陣の傍らで、神楽はのんびりを満喫中。
「…ふ〜む〜」
すでに全力でダラケモードだ。これが世に黒いぽんぽこもとい黒い微笑と恐れられた神楽氏とは思えない垂れ狸っぷり。温泉の魔力恐るべし。
(温泉っていうのはね…なんかこうね…孤独じゃないとダメなのよ…温泉に会話はいらない…求めるは癒し、ただひとつ。それ以外ないらないのだわ…だからぼっちてもいいのだわ)
「お、フレイヤ殿もいけるクチか。呑・ま・な・い・か?」
「の、呑むのだわ……!」
フレイヤ、0.3秒で冷酒抱えた雅に釣られた。だってフレイヤももう二十歳。これからはガンガン飲めるのだ!
「……いやね、私もね、ぼっちサイコー的な事言ってますけどね? 寂しいんですよ? ぼっち悲しいんですよ? 寂しいからお酒に逃げるんですよ分かりますお姉さーん?」
絡み酒!
「ふふ。いつでもおいで」
「立派な酔っぱらいさんやねぇ」
御猪口片手になつくフレイヤを支、雅と千鶴が笑う。
「そういえば、雅殿、出かけより遅いお出でであったのぅ」
「うん。ちょっとな。怪我人の様子を見てた」
怪我、の単語に千鶴と神楽が顔を上げる。
「先生も当時は随分と叱られたようですね、関係各所から」
「ぅぐっ」
「もう怪我は大丈夫なんです?」
思わず咽せた雅の背をさすりつつ、千鶴が問うた。
「うん。ありがとな」
焦りつつ頷く雅にほっとしつつ、千鶴は心の中で密かに独り言つ。
(先生を大怪我させたあの悪魔、何時かどつき回したる)
●
「っくしょぃ〜っ」
豪快な音が湯煙の中に響いた。
そんな岩窟風呂を身の置き所のなさそうな風情で行く影が一つ。
(…岩窟風呂ならきっと見られない気がするんだぞ! きっと見えないから、恥ずかしくな…恥ずかしいんだぞ!)
自分に言い聞かせられなかった千代、湯気の立ちこめる暗所(岩窟風呂)に逃げ込んだのはいいものの、服を着ている状態の恥ずかしさに耐えれずおろおろり。
(隠れる場所が欲しいんだぞ!)
その目が丁度いい生きた壁を発見した!(ふらぐ)
湯を掻き分け、千代は先程くしゃみをしていた男の背後にさささっと回り込み、服の裾を掴む。
「む?」
「お…おっさん…俺…恥ずかしいから後ろ振り向いたら駄目なんだぞ…」
上目遣いの涙目に、男は頷き一つ。ややあって何故か額を抑えて苦悶混じりの声で呻いた。
「……何故今日の余は休体日なのか……!」
男が誰なのかは<お察しください>。
徐々に人口密度の高くなる岩窟風呂にフィン・ファルスト(
jb2205)がウキウキと入ってくる。
(んふふ、初めての日本の温泉っ♪ ってお客さんいっぱいかな?)
「失礼しますねー」
「うむ」「いらっしゃいなんだぞ」「どうぞー」
あちこちから声が返ってきた。どうやらかなり混んでいるらしい。そっと湯に入る間にも新たな人影が。
「思っていた以上に視界が悪いですね」
光源で陰影だけは分かるもの、確とは見えない相手は雫(
ja1894)。そろそろと気をつけて進んでいたのだが、慎重に向かいすぎてかえってライトに躓いてしまった。
「ふぇ…!?」
「気をつけるがよいぞ」
あわや全力で湯に向かってダイビングしかけた途中で、えらく頑強な胸板と腕に捕獲される。
「すみません。大丈夫でしたか?」
「余は平気だが…怪我をせぬようにな」
丁寧に湯の中に下ろされて雫は慌てて頭を下げる。
「足下のライト、絶妙な位置にあったりしますもんね」
「さっきの、ライトだったんですね」
フィンの声に慌てて躓いた位置に触れる。壊れてはいないようだ。
「お邪魔します」
ほっとして離れる雫の左前方から風が流れた。新たな客が入ってきたのだ。
「すごい湯気…ですね」
柔らかな声は鑑夜翠月(
jb0681)のもの。そろそろと動く気配に、雫は自身の経験もあって声をかけた。
「足下、ライトありますから気をつけて」
「はい。ありがとうございます」
丁寧にお辞儀する相手は一見して少女のように見えた。湯着の色柄が女性用なせいもあるが、華奢な体は線が柔らかく、少女とも少年ともつかない色香が性別を不明なものにしてしまうのだ。
「ん……満員?」
ちょうどほぼ同時に来た羽空ユウ(
jb0015)が僅かに小首を傾げる。
「いや、奥も空いてるよ」
雫の声に、翠月と二人、ゆっくり湯に浸かった。
「確か…大月で、会った」
「あ、はい。お嫁さん候補、に、間違われた時の…」
翠月とかつての依頼の話をしつつ、ユウは無意識に湯着の裾を整えていた。
(他人、と、入るのって、落ち着かない……)
でも良かった、と心の中で呟く。
(……傷が、目立たない…着物型で)
ゆったりと言葉を交わす二人の横で、フィンと雫がうっとりと呟いた。
「あー……一仕事した後の温泉って癒されますねぇ〜」
「癒されますね〜。極楽、極楽と言った所でしょうか」
雫は先程助けてくれた男に声をかける。
「温泉は初めてですか?」
「うむ。人界で覚えた娯楽よ」
「天魔の方でしたか…彼方には無かったのですか?」
のんびりとした会話が続いているが、その声を耳に思わず顔を見合わす面々も。
(どこかで聞いたような声が…?)
(でも誰か思い出せないような…?)
ふと気にはなるが、
「ふわー、湯気でみんなが見難いんだよー」
「岩窟風呂ってもくもくで楽しいな!」
次々に人が入ってくる為、確認するのは難しかった。のとうと縁が楽しげに湯の中に入ってくる。
「湯着が肌に張り付いて変な感じ…」
透けはしないが、ボディラインがかなりハッキリ出てしまっていた。
(…さんぽちゃん、ますます女の子に見えるかも?!)
マテ! さんぽちゃんは男のコ(漢字は任意)だ!
しかももっと大変な事態になっていた!
「あれ?」
二人で湯に入り湯煙を探索しようとした所で背後から声。
振り返れば、ちょうど腰まで湯に浸かった状態のさんぽがキョトンと二人を見ていた。どうやら少し遅れて到着したらしい。
「おー水泳パンツタイプにしたのなー!」
「2人とも服着ていいの?お仕置きされない?」
「湯着だよ?」
のとうと縁、キョトン。
さんぽは大きく目を見開く。その顔が物凄い勢いで赤くなった。
「…はわわわわ」
「さんぽ??」
真っ赤にな少年があっという間に湯煙の向こうに消える。水音と駆け去る音がしたところをみるに飛び出していったらしい。しかし湯煙のせいで見えなかった。
「見られちゃった(赤く)」
大丈夫だ!湯煙先生頑張った!
「み、みんなの視線が……(わたわた)」
忍軍の本領発揮。手桶先生の活躍は(今も含めて)これからだ!
●
地面につくほどに長い髪をせっせと纏め丸めふんぬ!とタオルで纏めた麻夜は、姿見で自身をチェックしてから外に出た。
「…待たせちゃった、かな?」
遊夜はそんな麻夜を見てクスクス笑う。
「髪が長ぇとこういう時大変だよなぁ」
「洗うのも一苦労だからねぇ、そのままだと映画さながらのホラーだし」
クスクス笑い返して、麻夜は遊夜の腕を引っ張った。
「行こ。先輩」
「あいよ」
先に行く遊夜の後ろをぺたぺたとついていきながら、麻夜は広い背中をチラと見上げる。
(滑った振りして甘えてもいいかな…?)
「お。ここだ。っと、視界悪りぃから足元に気をつけてな」
「ひゃっ」
よしと踏み出した途端振り返られ、わざとでなく足が滑って伸ばされた腕に捕まった。
「言った傍からだなぁ」
「す、滑りやすいんだって」
クスクス笑いながら体勢を立て直してやって、遊夜は麻夜の背を軽く押すようにして入る。
「俺も眼鏡置いてきたから気をつけねぇと」
その様子に中でくつろいでいた絢と穂鳥が声をあげた。
「いらっしゃい♪」
「お疲れ様です」
「お邪魔しまーす」
空いている所に座り、二人は先客に挨拶する。
「お邪魔するのぜー」
「あ、椅子が大理石だ。あれ?暖かい?」
「うん。あと、座ってると顔に水蒸気あたるよ」
「ほんとだ!」
きゃっきゃ会話を楽しむ女性達に、遊夜はのんびりと手足を伸ばす。
「ここは暑すぎもせずにのんびり出来て良い…寝入っちまいそうだ」
「暑すぎなくてものぼせるから気をつけないとだよー?」
「もう一つのサウナもさっきからわいわい楽しそうだけどね」
「高温サウナはどうも苦手なんだよな、ガキン時のぼせてからトラウマにでもなっちまったンかねぇ?」
のんびり暖かな霧に浸りながら、三人はくすくす笑う。
「あー、一気に暑くなるからねぇ 」
その言葉に重なるように、遠くから一際大きな声が聞こえてきた。幾人の声が合わさったような声。
「どこだろ?」
「岩窟風呂?」
行った面々を思い出し、遊夜は笑った。
「面白くなってそうだなぁ」
●
(霧のサウナ風呂も鼻や喉の奥の乾燥を蒸気で潤してくれるので個人的には好きですが)
玲獅は足を檜風呂へと向ける。
(今回はこちらで寛ぎましょう)
ここ最近、緊急依頼や危険な依頼が多かった。心身が負った緊張は並大抵ではない。一般人より遥かに頑強な撃退士とはいえ、息抜きは必要だ。
「失礼いたします」
「…ん」
先に寛いでいた神凪宗(
ja0435)は、何度かの水音の後、声をかけ静かに入って来た玲獅の声に頷き、敢えて視線を逸らして持ち込んだ冷酒を味わう。いかに湯着を着ていようと、みだりに女性の姿を見つめるものではないのだ。
(次の戦いも…近い)
微睡むような意識の中、宗はふと硝子仕切りの向こうへと視線を馳せる。
晴れ渡った空の青。流れる雲は緩やかで、ここが天使と悪魔、両陣営のゲートが開いている四国の地だとは思えないほどだが。
(…平穏は、いつも…不意に、壊される…)
かつて四国の地がそうであったように。今、東北の地がそうであるように。
まるで悪意ある嵐のように。
(…次は、守り抜く)
平和な世界を目指し、若い命を散らした友。彼が守りたかったのは、もしかしたら今見るような、こんな穏やかな景色だったのかもしれない。……だからこそ。
「……」
飲み乾した杯を置いて、宗はゆっくりと湯に身を委ねる。
疲れを癒しながら、一人、今は亡き友の言葉を思い出していた。
「お邪魔するね」
穏やかな時が過ぎる檜風呂に、ほっとしつつソフィアは何度かかけ湯してからゆっくりと入る。体はすでに丁寧に洗い済みだが、やはりかけ湯は礼儀である。
しっとりとした湯が小麦色の肌の上で宝石のような玉を作っていた。
「疲れている時の温泉はやっぱり気持ちいいよね〜。香りも良くて、リラックスできるよ」
「なんだか、時間の流れも違う気がしますね」
玲獅が微笑んで頷く。
「うん。普段は趣味とかで時間使っちゃうから、こういう、気持ちよくてお肌にも良いっていうのはありがたくもあるよね」
思わず女二人でふふと笑い合ったところで、みずほと恋音がやって来た。恋音に日本式のマナーを習ったみずほは、早速丁寧にかけ湯してからそっと入浴する。
「お邪魔いたしますわね」
「失礼しますぅ……」
「いらっしゃい」
先に入っていた二人が微笑って迎える。全身を包む温もりに、思わずみずほの口から吐息が零れた。
「これが日本のお風呂…汗が流れて気持ちいいですわ」
そうして、同席している三人の女性に視線を向ける。
「わたくしも皆さんの様に美しくなりたいですわ…」
「……ぇぅ……長谷川先輩は、お綺麗なのですぅ……」
同じく二人の女性をチラと見、自分の胸を見、密かにため息をついていた恋音が恥ずかしげに言う。途端、みずほの顔が真っ赤になった。
「うん。綺麗だよね」
「私も、綺麗でいらっしゃると思いますが」
ソフィアが同意し、玲獅が柔らかく微笑むのに至っては、耳まで赤くなるほどだ。
「あの…そんなにわたくしのことを見られましても…恥ずかしいですから…あまり見ないでくださいませ!」
照れ隠しにシュッシュする拳風で、水面がシュッシュシュッシュ切れていたのは秘密である。
「おまたせー」
先に檜風呂に入っていた歩は声に振り返る。無意識に左肩口の傷痕に触れていた手を離し、体ごと向き直ったのは何かの予兆を感じていたかかもしれない。
湯着を来た祈羅は小走りで駆け寄り、そのままの流れるような動作で湯に温もった歩の体に抱きついた。
「あったかーい」
「わっ、ちょっ」
真っ赤になる歩だったが、祈羅は気にせずメフィスはにょにょ。
「あっつーい♪」
「ね、姉さん。メフィスも勘弁してくれぇ」
周りを慮って見渡すが全員微笑ましそうに笑んでいる。慌てて祈羅を張り付かせたままで湯に浸かると、メフィスも笑いながら隣に入って来た。
「そうだ。メフィスちゃんが旦那さんと温泉いったんだよね?」
「え。…い、行ったわよ?」
「のろけ話プリーズ♪」
ハイと掌を差し出されてメフィスは恥ずかしげに目線を逸らした。
「ま、まぁ、普通よ」
「プリーズ♪」
えがお。
「♪」
ぶくぶくと一度鼻の上まで湯に浸かったメフィスが目線を逸らしつつ浮上。
「男湯と女湯がとなりだったから、サプライズで壁向こうから投げてビックリさせてやったわ」
石鹸と告げて放ったプレゼント。受け取った相手の声は今も耳の奥にある。
「ごちそうさま」
「うちらもいちゃつこうか!」
おめでとうのつもりで微笑んだ途端、笑顔の祈羅に言われて歩は慌てた。湯に顔の下半分を沈めて照れているのを隠したものの、女性陣にはたぶん赤らんだ顔をバッチリ見られただろう。
(まったく、探偵ひとりでこの二人に勝てるわけないだろうに……恨むぞあの野郎)
今この場にいないメフィスの恋人に恨み言を念じつつ、歩みは楽しげな女性二人に(まぁいいか)と嘆息をつくのだった。
●
高温サウナの中に入った瞬間、魅惑の匂いが襲い掛かってきた。
「……っ!」
(この匂い……パンの匂い!?)
あまりの誘惑に呼び覚まされた猛獣(胃袋)が\ごぉぉーっ!/と猛り狂う。
(うーむ、実に腹が減るな。温泉から出た際にはパンを食べるとしよう)
おおここにも運営にホイホイされし生贄がひとり。高温サウナ、あまりにも罠だった。
しかしそんな中で瞑想に耽る若杉英斗(
ja4230)がそこにいた。
すでに長い時間入っているのだが、熱さに負けることも空腹に惑わされることもない。
(鎹センセはカワイイよなぁ)
しかし違う邪念が入っていた。
(いまいくつなのかな…これ以上年齢のことを考えたら、命が危険な気がするからやめとくかなぁ)
たぶんキャメルなクラッチはかまされるだろう。
(あ〜…、鎹センセはどの温泉に行ったのかなぁ。俺もセンセと同じ温泉に行けばよかったなぁ…)
汗と一緒に空白が流れる。ぐぉぉおーと鳴るのはマクセルの腹。
(いかんいかん。煩悩退散、煩悩退散。俺はココで、汗と一緒に自らの邪念を洗い流し、撃退士として一歩高みに登るのだ)
カッ!
意思を込め、英斗は盛大なフラグへと突入した。
「すごいですね。パンの香りが……」
「だね〜。これはライ麦パンかな〜。……クルミも入ってるね〜」
脳というよりも体に染みついたデータベースから漂う香りの元を探し出し、焔はほわほわと幸せそうに微笑った。
(お風呂出たら買いに行きたいな〜美味しそう)
実際に口にすればよりレシピが分かるだろう。
そんな許嫁の様子を微笑って眺め、藤花はけぶるように瞳を細めた。熱に少し頭がクラクラする。体から汗と一緒に悪いものがどんどん出ていくような感覚。
(……あれ?)
ふと気づいた。頭の支えが消えるような感覚。
(あ、これ…は)
「藤花ちゃん…!?」
隣の温もりが大きく揺らいだのに気づき、焔は咄嗟に手を伸ばした。危うく椅子から倒れ落ちそうだったのを抱きとめる。
「うぬ。体調不良であるか?」
「と、藤花ちゃんが蒸しうさぎに…!」
「早く水風呂に行くのである」
慌てて抱えた焔の為、マクセルが温室の扉を開いて促す。
(熱に…やられたのかな…)
意識が薄れかけていた藤花は、ふと頬に感じる温もりにぼんやりと目を開く。頬だけでなく右半肢に熱源。硬く感じるのは力が入っているからだろう。
(お姫様抱っこされ)
…!?
気づき、体の赤みが更に増した。姫抱きで水風呂に漬けられたときには湯気が出るかと思った程。
(あ、そ、そこまでしなくても、大丈夫、ですけど…な、なんだかこういうの憧れるポーズではありますが)
水風呂ではっきりと輪郭の出るけしからん体を抱きしめつつ、藤花はドキドキする胸を必死に落ち着かせる。密着した相手の逞しいさが一層ドキドキを加速させるわけだが焔は全く気付いておらず。
(なんだろう…? 藤花ちゃんって、なんだか落ち着く…)
何故ともなく感じる母の気配に、首を傾げていたのだった。
●
戻ってきた湯着inバディなさんぽがようやく衝撃から立ち直った頃、湯煙の中でのとうの悪戯心がうずうずしはじめた。
「いっししし、後ろからハグして驚かせるのにゃ」
(うに!なんだかのとがそわそわしてる予感!)
素早く察知し、縁がそれに便乗する。ターゲットはそこにいるはずのさんぽ。気の緩んでる今を狙い、二人は背後と側面から抱きついた!
?
三人分のハテナが乱舞する。
「…あー…っと、どちらさまかー…?」
至近距離の相手を見上げ、のとうがちょこりと首を傾げる。
(凄く男前だが…何故か、そう…でらっくすな彼女を思い出すな…?)
縁もキョトンと飛び込んだ胸板の主を見上げ、
(…?……!…すごく…硬いです…)
あっ筋肉のことですからっ。
「何用か?」
「や、人違いだったのにゃ。申し訳ない!」
「ご、ごめんなさいなんだね!」
「わぁ、ごめんなさい」
二人の様子に事態を察したさんぽも一緒に平謝り。男はその様子に笑んで頷く。
無駄に渋かった。
●
薬湯風呂は、何というか色も臭いも他と違っていた。
その想像以上の色と臭いに三人は思わず棒立ち。
「色んな意味で身に沁みそうな色と臭いだね…」
やや茫然とした夜刀彦の声に慎吾はうーんと唸る。
「薬湯の臭いか…まぁ慣れたらどうってことないかな」
隣のレイは神妙な顔。
「オンセン、は…臭う、のか」
あっ。誤解増えた!
「いやこれ薬湯だから」
「他のはいい匂いのとかありますよ」
「?」
人間界は難しい。レイ、ちんぷんかんぷんである。
「人界は不思議…だな」
「と、とりあえず入ろう。そのうち慣れるさ。多分」
「あ、先にかけ湯してくださいね」
入り方の知らないレイに、しゃがむよう伝えてから夜刀彦が手桶で汲んだ湯を足から順にかける。どうやらそういう作法らしいと、見よう見まねでレイが夜刀彦にかけ湯する。多分誤解増えたフラグ。
その間にさっさと済ませて湯に浸かった慎吾は、とりあえずわりと初心らしい友人の未来を案じる。
(見ててほのぼのするけどな…)
頑張れレイ。多分言わないと相手は一生気づかないぞ。
「温泉温泉温泉…!」
温泉スキーな夜刀彦はというと、すでに脳みそが温泉一色。足からそっと入るのだが、濡れて張り付いた湯着といい、髪をタオル包みしたせいで珍しく丸見えな細い首といい、無駄に色気が七割増。さすがお色気くノ一(♂)エロイエロイ。
「嗚呼…湯着も考えもんだよな」
「何が?」
知らぬは本人ばかりなり。
その頃、ようやく身支度を整えた女性陣が傷の身を癒すために薬湯風呂へとやって来た。
「ふゥ、久しぶりに身体を休めましょうかァ…いい湯だなァ、ってねェ♪」
色にも臭いにも頓着せず、黒百合が湯面を騒がせないようそっと足から順に身を沈める。
「まぁちょっと臭うけど効きそうな感じはするよね」
「お邪魔しまーす」
入ってくる一同に、先に浸かっていた面々が軽く手を挙げて挨拶した。
「足下、気をつけてね」
「了解♪」
「これで御酒を取られてなければねェ…」
「飲酒はだめなのですよ」
「飲ませるわけないでしょ」
身を沈めた黒百合に、渚と丁度現れたナナシがメッと目だけで叱る。残念ながら必殺「これは御酒じゃ無いわァ、般若湯よォ♪」戦法は打破されてしまった。
「飲むのならスポーツドリンクにしなさいよ。温泉に浸かって汗が出すぎると身体に悪いし、のぼせて長く浸かってられないしね」
「あらァ…ありがとうだわァ…♪ 今日は帽子じゃないのねェ…?」
「お風呂でぐらい脱ぐわよ」
もっとも、しっかとタオルで包んでしまっているが。
「…ふぅ。良いお湯ですねぇ…」
ゆったりと身を浸しつつ、渚は満足の吐息。そして視線は湯船の近くにデンと設置された巨大な樽風呂に。
「…すごい個別風呂ねェ」
「中は同じ感じかな?」
気になりすぎてまだ入浴できていない茜が樽の中の生薬袋を手にする。色は同じだが臭いが少し違うようだ。おそらく炎症用の薬効なのだろう。
「それにしてもぼらんてぃあではあまり力になれなんだのぅ…現状仕方ないとは言え歯痒いものよの…」
「しょうがないって」
白蛇の悄然とした声に茜は微笑う。三人を見守って、渚は口元まで湯に沈んだ。
(それにしても…皆さん、無茶、しますよね…)
ちなみに彼女も重体体験はあったりする。
一気に賑やかになった周囲の声に耳を傾けつつ、首まで浸かったレイは温もりに目を瞑る。
「これが、オンセン…か」
大きな全面硝子の向こうに見える自然に眼差しを細め、レイは穏やかに微笑んだ。
「オハナミといい、人界は風流…だな」
そんな中、実は誰よりも早く薬湯風呂に浸かっていた女子が一人。その名はユーカリ!
(1824……1956……2005……ふふふ、こうして浸かっているだけで女子力が上がっているのが分かるよっ)
カッ! とユーカリの瞳が光を宿す。
目指すは女子力1万。このレベルになると身体から淡い光が放たれるのだ!(多分!)
無論、ただ浸かっているだけではない。最強の女子力を得るためには、自らのスキルを上げる必要があるのだ!(カッ!)
(気になるのが薬湯の成分だね!)
いずれはオリジナルブレンドの薬湯も作ってみたいし、どんな生薬が入っているか、きっちりばっちりゆかりんチェックっ!
ちなみに案内所に書かれていた内容は全てメモり済みである。
その隣ではナナシがひっそりと小さなペットボトルに湯を入れている。持ち帰って研究する為だが、ある意味ユーカリとナナシが協力すれば様々な相乗効果が出そうな気配がするのだがこれ如何に。
(西洋風だとバラやラベンダーの香りで楽しませてくれるところも多いけど……ここの香りはいかにも漢方!って感じの、自然生薬だねっ)
ふんふんと湯の匂いを嗅ぎ、ユーカリは脳内メモ帳にメモを書き連ねる。独特の匂いだが、いかにも効きますという雰囲気は実効果以上のものを引き出す可能性がある。
(雰囲気も重要……閃いたっ!)
ユーカリの脳裏に電撃が駆けめぐる(イメージ)。
風呂の中で目を輝かせ頬を紅潮させている美少女に、同席中の一同が神妙な眼差しを送っていたのは内緒である。
●
英斗は戦っていた。
たぶん己の内側にある色んなものと。
(あ…あのサウナ時計が12まで行ったら一度出るかな…)
ぐるぅぉぉー
(いや、もう一周したら出るかな…)
ごっごるぁ〜
(いやいや、もう一周…)
ごぅるるぉ〜
マクセルの腹時計が定期的に鳴り響く。
(…)
ふと英斗は気づいた。
(あ…なんか意識が…きれいなお花畑がみえる…)
いかんこれは危険な兆候だ間違いない!
あわや休憩依頼で初重体者かという所で英斗の危機本能が警鐘発令。はっ!と目を開くと同時、ふらふらする足を踏ん張って出口へと。
「うむ? 気を付けるのである」
危なげな様子にマクセル、テカテカマッソードアーマン。それにお辞儀し(水風呂に入ったら、あがって牛乳を…)と 思った所で目の前が真っ暗になった。かくんと意識が落下する。
「おい!?」
ふとサウナの中で考えていた相手の声が聞こえた気がした。
もっふ。
顔面が柔らかなものに沈んだのを感じたと同時、彼の意識は消滅した。
●
歩とメフィスの手をそれぞれの手で握り、祈羅が笑顔で休憩所へと歩く。
「これは両手に花っていうんだろうね」
そんな三人が向かう休憩所には、湯上りの面々が思い思いの姿で寛いでいた。
「このために生きてる感じだよね!」
腰に手をあて、コーヒー牛乳をぐいっと一杯飲み乾した絢がイイ笑顔で口を拭う。同じくフルーツ牛乳を飲み乾した玲獅も満足顔だ。
ドリンクコーナーの向こうには本間八畳ほどの畳スペース。。
「ん。目が覚めたようだな」
「大丈夫ですか?」
そのうちの一人、英斗はぼんやりと目を開けてから首を傾げた。頭上から雅と玲獅がのぞきこんでいる。頭に後ろに感じる温もりと柔らかさ。これは知っている。なにせ別の温泉でも味わった。違う所があるとすれば、見下ろす女性が今回は二人なのと、
「…なにか、かおが、はれてひるよふな?」
「ぁー…」
二人のアストラルヴァンガードが揃って微妙な困り顔。
「一応、その、癒しの風も使ったのですが…」
「うん…二人で試してみたんだが…なんでだろう、な?」
見下ろす二人の下、雅の膝枕で転がっている英斗の顔はぷっくり腫れ上がっていた。だいぶ根性入れてどつかれたらしいが、誰と誰と誰がどついたのかは永遠の秘密である。
「またな」
「うむ」
風呂場で飲み仲間になっていたディートハルトが壮年の男と挨拶を交わす後ろでは、お風呂場で皆を脅かそうとこっそり画策した源一がお店の人にメッされている。
「ゲイルさん、今青森の方は危ないから用事あっても行っちゃダメですよ?」
大真面目なフィンの声に、男――ゲイルは面白そうな目を向けつつ頷いた。
「覚えておこう」
その様子に飲泉をもらっていたレイと慎吾が盛大に湯を噴出。
「なっ、なっ…!?」
「?」
首を傾げたフィンに、ようやく相手に気づいたファティナが慌てて走った。
「ご無事ですか?」
「……え?」
「あの男は、四国冥魔勢の一柱です」
「え?」
ついついと指を指す先、すでに外へと出てしまっているゲイルを見やってフィンは目を見開く。
「……!?」
思わず自分の口を押さえた。
●
「少し、宜しいか」
「ほぅ…? 何用か」
施設の外、悠然と歩くゲイルに静流は声をかけた。上質のスーツに身を包んだ男の向こうには幼女と少年の姿。
「いや…写真を撮っても良いか、聞こうと思ってね」
学園に提出してみようかとふと思ったのだ。別に敵意も無いただの戯れだが。
男はただ薄く笑う。
「拒む理由も無い」
パシャリ、と一枚。拍子抜けするほどあっさりと手に入った写真に静流は苦笑する。これがこの四国の脅威の一柱とは。
(会話にならないと聞いていたが…)
ふと顔を上げ、静流は目を軽く見開いた。
つい先程まで前に居たはずの男は見えず、その向こうにいたはずの二つの人影も消えている。瞬間移動等は在り得ない。ならば、歴戦の静流の一瞬の隙をついて素早く去ったということだろう。
(成程。…確かに、四国の悪魔は一癖も二癖もあるらしい)
手元のデジタルガメラの画像の中、男はこちらを見て笑っていた。
「温泉地に、悪魔…か」
丁度それを見ていた宗が口元に苦笑を浮かべる。
悪魔が何故ここに居たのかは誰も知らない。もしかすると、彼もただ穏やかな時を求めてきていただけかもしれない。
いつ何が起こるかわからない現実。
戦いは日常の隣にあり、今日会った誰かが明日敵になるかもしれず、親しい大切な誰かが明日、居なくなってしまうかもしれない。
(平穏な時は……)
きっと、幻のように儚いものなのだろう。
(だが)
だからこそ、穏やかなる<時>を共に。
明日には何があるか分からないから、刹那にも似た今という<時>を全力で味わえばいい。
過ごす<今>は分からなくても、それは人生という長い道の中にあって、輝く黄金にも似た宝物なのだから。