この『怒り』は誰の為――?
●
転移すれば即、戦場。その予感を胸に一同は駆ける。
(天使どもめ。好き勝手させてたまるか)
きつく拳を握り、若杉 英斗(
ja4230)は足に力を込めた。
(おまえ達の思う通りにいくと、思うな!)
闘志を燃やす英斗の後ろ、悔恨を胸に綾羅・T・エルゼリオ(
jb7475)は走る。
「…俺にもっと力があれば。…すまん、ヴィオレット…」
あの時あの場所に帰れるなら――
だがそれは、叶わぬ願いだ。ならばせめて、この思いの全てを力に変えて。
(必ず討つ)
幼子を虐待し、今も種子島を蝕まんとするあの天使――ファウルネスを。
情報は巡る。移動の間も無駄にせず。駆けながら懸念を語り合う者もいる中、ふつふつと煮えるような激情を身の内に抑え、宇田川 千鶴(
ja1613)はギリと歯を食いしばった。
(ほんま…ムカつく)
分かっている。その怒りは半ば己に向けられたものであることも。小さな子供を守り損ねた。言い訳は挟まない。それは己の力の足りなさだと。ぬいぐるみを抱きしめ、嬉しげに笑っていたあの元気な幼女はもういない。その現実を招いたのは、己の不甲斐なさだと。
(また…力が足りなかった)
掌から零れ落ちてしまったそれらに。過去に。現在に。悔しさと怒りがわき上がる。その頭をぽんと優しい掌が撫でた。慰めるように、或いは、大丈夫だと支えるように。
「…ん」
一瞬だけ瞳を揺らし頷く千鶴に、並んで走りながら石田 神楽(
ja4485)は告げる。
「また、あの天使ですね」
「そうや」
初めての敵の姿。だがそれでも分かる。――あの天使の配下だと。
「全く以て、気に食いません」
にこにこと、いつもの笑みで。
その瞳の奥にある感情を制御しながら。
「全て撃ち抜きます」
ただ明確な意思が、そこにあった。
誰かを助けたいと思い、けれど駆けつけれるかどうかは時の運。
「止めるなよ、遥久」
激情を押し殺した月居 愁也(
ja6837)の声に、事情を知る夜来野 遥久(
ja6843)は小さく笑む。
「心配するな。止めはしない」
返す言葉は短く。その心を読ませ無い程に。
けれど伝わる。いとも容易く。
「ありがとよ」
リロを助けに行けなかった悔しさも。傷つけられたことへの怒りも。惨劇を引き起こす天使への殺意も。赦すことなど出来ないそれらを前に、語るべき言葉など不要。ギリギリまで引き絞られた弓は、放たれるのを待つだけ。無論、危なっかしい親友の手綱をとるのは、自分の役目になるだろうが。
(存分に暴れるといい)
心が倦まないように。動くのならば一蓮托生。その補助は自分がしてみせるから。
(例のゲス天使の仕業か)
唇を強く噛み、紫 北斗(
jb2918)はともすれば溢れそうになる怒りを抑える。
(奴の思い通りにさせてなるものか。――いずれその首、頂戴しにいってやろう)
未だ見ぬ敵の顔。けれど思い浮かべることの出来る姿――狂気を宿す研究者の。
ふと傍らを行くみくず(
jb2654)を見る。襲撃を知って憤慨していた妹を。
『ヴィオちゃんが動けなくなって、落ち込んでるところでまた天使って…!』
その瞳に涙が浮いていたように見えたのは、目の錯覚だったろうか。
『お兄ちゃん行こう。あんな目に遭わせる天使は許せないよ!』
誰かを不当に傷つけていいはずがない。まして己の楽しみの為になど許せるはずがない。この怒りは刃だ。力に力を返す自分達は善では無い。だが、それが何だというのだろう。
実害ある危険。奪われた身近な者の健常なる心身。
――自分達は善では無い。だが、それでかまわない!
(手を出してはいけないものに出した事――思い知らせてやる)
敵でありながら人に近く、敵でありながら悪意を挟まず。敵味方の枠を越えて立ち続けていたメイド達。その奥に深淵なる智謀の大悪魔が控えていると知っていても、彼女達の誠実さは疑いようも無く。
(なればこその、今、ですか)
マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)はそっと胸を押さえる。この感覚は知っている。自分もかつて抱いたものだ。
敵味方の枠を越えて、あちら側に在って尚、敬意や友愛を抱くにたる者。ならば、その存在を不当に傷つけられた『今』、これは必然だ。
(その刃、如何程のものか)
自分はその刃の一助。彼等彼女等の思いを完遂させる為の。
(只、終焉を紡ぐのみ)
静かな眼差しで同行の人々を見つつ、紅 鬼姫(
ja0444)は該当区の地理を頭に入れていた。
(殺気が溢れてますの)
戦闘以外への心情や関心は、鬼姫には希薄だった。だからこそ逆に冷静に周囲を見れる。
思いは力に。願いは胆力に。
けれどそれだけでは成せないものもあるだろうから。
(仕方ありませんの。こちらで補いますの)
無論、戦いに赴けばその刃を振るう機会の方が多いだろうけれど。情報を回し、補助するのもまた仕事仲間だから。
踏み入れる先は転移装置。発動と共に景色が切り替わる。田畑が見えた。疎らに点在する家々も。
長閑な風景。どこか懐かしい田舎のような。
『妨害電波無し。視界良好。こちらの任務は敵撤収路の特定と遮断、及び索敵。接敵までおよそ二十五秒。作戦に入る』
勢いを殺さず駆けた先遣隊の只野黒子(
ja0049)の声が携帯から響いた。
「こちら後詰。了解した」
先行する十四名の後方、追う形となる十一名の後続部隊の中、アスハ・A・R(
ja8432)が応える。
「知り合い夫婦の子供の借り、高くつくぞ…駄天使が」
冗談めかした言葉に、思わず振り返った約二名がいたりするが、残念、部隊が違うせいでとって返せれない!
「アスハさん。後で、お話が」
「後で、な」
真顔で軽く手を振り、これで肩の力が少しでも抜ければいいが、とアスハは苦笑する。力が入りすぎては逆に不運を招きやすい。いずれ直接対決する時期が来るのなら、その日まで健常であることもまた肝要だ。
「さて。討ち漏らさず、殲滅するとしよう、か」
右腕を包むのは藍に染まった朽ちかけの包帯。マキナから譲られた聖遺物。淡く揺らめくような蒼焔を纏い、先行する部隊を追う。
広大な土地に流れるのは、道中に先駆けてジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)の依頼した誘導放送だ。逃げるべき場所が分からず、逆に窮地に向かいがちな人々が倒けつ転びつ飛び出してくる。目的地を与えられたおかげか、先行する部隊に対し、縋りつくために追おうとする者はいない。
(『足止め』が無いのは、重畳)
視認した一般人情報を後方へと伝えながら、黒子は(さて)と心の中で呟く。その視線の先に巨大な蠍。薄い唇が動いて告げる。
「――処す」
掃討戦が始まった。
●
田園を異形が這うようにして走る。悲鳴にも似た嘆きの声を放つのは、人の上半身を持つ蛇だ。
「趣味最悪ですわね」
翼の力で屋根に上がったディアドラ(
jb7283)は、怒りに据わった目で眼下を見下ろした。
女性の上肢を持つ敵。見開かれた瞳にある苦痛の色。腹部にある深い亀裂は、作り変えられる前から「そうされた」ものであったのか、否か。何かを求めるように腕を差し伸べ蠢く様は餓鬼のようだ。
(ファウルネス…!)
眦が震える。付近に人は不在。発煙筒を放り、敵位置を明確化しながらアウルの矢をつがえた。同じく屋根の上に上がった仲間には先を急ぐよう伝える。目的は味方の多い此処では無く、その遥か先の地――ゲート境界地点。
振り仰いだ青女と目があった。その中にある虚無――死を経て尚続く絶望。放たれた矢がその眉間を撃ち抜く。
「回避は左程高くないようです。防御と体力はそこそこ、といったところでしょうか」
情報を回しながら、一撃でねむらせてやれない己の力に歯噛みした。解放してやりたい。この忌まわしい偽りの生から。
(今はまだ、力足りなくとも――)
嘆きの叫び声に身を裂かれながら、新たな犠牲を求めて他所へ向かわぬよう、ディアドラは再度構えた。この程度の痛みなど、何程のものだろう。おそらく『彼女』が与えられたであろう苦痛と絶望を思えば。
「覚えておきなさい」
殺意を込めてディアドラは呟いた。ここにはいない敵へと向けて。
あの日の誓いは変わらない。むしろ被害者の姿を見る度に強まっていく。
「ファウルネス。お前の望む未来だけは磨り潰す」
先に進む蠍を追うかのように、女達が幽鬼のように進む。赤に染まった道に、バラバラの人体。拾っては失った内臓の代わりのようにそれらを裂けた腹に収納していく。
「赤女は収集中、こちらに見向きもしないようだ」
その頭上を駆け、ファーフナー(
jb7826)は手早く情報を後方に回す。己の中にある忌むべき血の力を、可能ならば決して頼りたくはない。しかしそれを使う心痛より、絶えず蝕む胸の痛みの方が強い。何故かは考えない。考える余裕は――今は無い。
(仕事、だ)
いつもと同じように意識を切り替える。否。意識して、常と同じを心がけて。
退避ルートを割り出しながら先を急ぐファーフナーの目には、物言わぬ躯と、獲物を求めて彷徨う敵の姿だけしか見えない。警察との遣り取りでは、通報は一度だけ。連絡と同時に声が途切れたという。末路がどうであったのか、想像に難くない。視界に入った赤色に、一瞬別の光景が過り歯を食いしばった。
考えるな、と無意識に念じる。仕事を全うするのに、己の内に痛みを感じている暇はない。
一路目的地へと駆けるファーフナーの後ろ、無残な屍を飛び越え、駆ける大炊御門 菫(
ja0436)の槍が唸りをあげて赤女の胸を貫いた。絶命した女の体が崩れ落ちる。膨れた腹の割れ目から覗く血に染まった手に、菫はギリと歯を食いしばった。
「これ以上こんな事を広げる訳にはいかない」
喪われていく命。壊されていく日常。次の敵へと向かい走る中、浮かぶのは居なくなった幼女の顔だ。
「――」
道を塞ぐ蠍が鋏を振り上げ、降ろす。その重い一撃を弾くように防ぎ、その向こう側で幽鬼のように立つ女型の顔を見た。
(何の為に人の姿を残す必要がある?)
絶望に塗れた表情。誰もがもう理解している。彼女等もまた、かつての被害者なのだと。その苦痛、その絶望、どれ程のものだったろうか。
(何故)
死して尚、これ程に。見世物のように辱めるのか。
(――これは怒りだ)
その姿を目にする度に、思う度に心の奥で焔が爆ぜる。倒せと。赦すなと。いや、そんな言葉よりもきっともっと単純に、純粋に、どうしようもなく、身体が動くのだ。
早く、早く。
前へ――
だから!
「こんな所で止めてくれるなァ!」
激しい怒りを宿した槍が、過たず蠍の胴を貫いた。
「!」
次の瞬間、激しい敵意を感じて素早くそちらを流し見る。死体を集めていた赤女が眼球の無い眼窩をこちらに向け両手を差し招く様に突き出した。敵と認識された。恐らく、邪魔をする者として。大きく開かれた口。その首を切り落とすより音が響く方が早い!
「くっ!?」
痛みに痺れが加わる。麻痺か。だがすぐに動けるようになる。感覚でそう把握した菫の視界に、角を曲がってこちらに来た蠍が映った。巨大な体が撥ねる。
回避不可能を悟って菫は技を解き放つ。
轟音が響いた。大暴れに一瞬で周囲一帯を破壊される。路面を砕き土埃があがる中、淡い輝きが陽光に煌めいた。ふわりとたなびくのは靄に似た光の粒子。さながら身を包む月の裳裾のような。
「お返しだ!」
麻痺解除と同時、跳ね上げた菫の槍が大技を放った直後の蠍の鋏を切り飛ばした。その蠍と入れ替わるように突進してくるのは赤女。そこに銀の風が走った。
「――ッ」
無言の一閃。纏う黒焔を操り、腕から伸びる刃に似たそれに女の首が切り落とされた。背合わせになり対峙するマキナに、菫は口の端を笑ませる。
目の前には鋏を失った蠍。マキナの側には、呼び寄せられたが如く新たに現れる青女。
「背中は任せた」
告げる菫の声を合図に、二人は互いの隙を補うようにして動く。
銀光と黒焔が踊った。
●
前へ。前へ。
体を突き動かすものが、憎悪だとファラ・エルフィリア(
jb3154)は理解していた。
世界は自分の願う通りになど動かない。現実は常に冷厳さを示し、力を持たない人や優しい人から先に悲しい目にあっていく。願いはいつだって叶わない。ならば――
――『アイツ』の願いだって、叶えない。
先へ。先へ。
翼でショートカットしながら真っ直ぐに向かう。親交のある少年は命の危機に瀕した。皆がそれぞれの思いを胸に駆けるなら、自分の駆ける理由は『彼』だ。
「前に、青いの」
自分より機動力のある老紳士にファラはそう声をかけた。ぼそりとした呟きには、病んだ色が濃い。
「じーちゃは、先へ。あたしが止める」
分かりました、と。穏やかな声を合図にファラは意識を戦闘のそれへと切り替えた。紅蓮の光と共に呼び出された鳳凰が翼を広げる。付与されるのはあらゆる負の付加に抗う力。どんな状況でも戦い抜く為に。
(渡さない)
誰一人。
(叶えさせない)
何を願い何を望んでいようと、その全て。
駆ける合間に見つけた敵を――生きている人間が誰もいないのを見て――連絡と同時発煙筒で位置を知らせながらひたすらに駆ける。思うのはただ一つ。それはすでに願いですらない。
あの天使の全てを阻むこと。
あの天使の全てを滅ぼすこと。
全て、全て、全て、全て――
「さぁ殺そう」
民家から遥か離れた先、歪な体で地を這う青女の首目掛け、ファラは放たれた矢の勢いで急襲する。あっという間に肉薄し、背後から雷を放った。一瞬で消滅した頭部に、体が大きく傾ぎ斃れた。
物悲しい悲鳴のような叫び声。女の口から絶えず紡がれるそれは、己に起きた全てに対する慟哭のようだ。間近に見たその姿に、ケイ・フレイザー(
jb6707)は鼻を鳴らす。
「随分と作り手の欲望に忠実なサーバントだな。嫌いじゃないが愛と品は感じられないぜ、っと」
磁場形成で底上げした機動力を生かし、青女の腕をすり抜けざまに腕を吹き飛ばす。腹には大きな瘤が二つ。落ちている二つの色違いの靴が、捕獲された子供の存在を暗示していた。
「収納前には間に合わなかったか」
場所はすでに連絡済み。だが、今まさに一般市民を奪い去ろうとする相手を見過ごせるはずもない。
(こっち側は女ばっかりだった、ってとこか)
住宅密集地から僅かに離れた場所。獲物を求め彷徨う敵は、与えられた命令毎にバラけているらしい。
(まだ一体でよかった、ってとこかね?)
音の刃に切られた手甲の傷をペロリと舐め、ケイは不敵に笑った。
「返してもらうぜ。人間は、お前達の玩具じゃないんでね!」
腹部への攻撃は厳禁。狙うは胸より上。この鈍さならば、避けられる可能性は低い。
「よっ」
軽い声と同時、間近にいる女の首にルーンによって呼びさまされた力を叩きつけた。暗く淀んだ球体に頭部の半ばを吹き飛ばされ、ぐらつくその隙に一気に距離をとる。
刹那、
「…ちっ」
背に走る悪寒に飛び退った。反対側からのそりと顔をのぞかせたのは赤女だ。まだ何も収納していないらしく、青女と比べて動きが素早い。挟み撃ち。だが、
「――ま、詰みはそっちなわけだが」
ニッと笑ったケイの前で、屋上から駆け下りて来たアルフレッド・ミュラー(
jb9067)の鎖鎌が女の首を切り飛ばした。
「随分あちこちに散ってるな、こいつら」
「それだけ逃げれた奴が多いってことだろ」
「違いねぇな。運搬車両を借りて来てる。救い出したら、連れてく」
「頼むぜ」
手早く告げあう中、鈍い擦過音をたてながら現れる新手を見て、アルフレッドは顔を顰めた。
(酷ェな)
女達が浮かべる悲痛な表情に、透けて見えるものがある。過ぎた時の向こう側にある惨劇。その姿にどうしようもなく救いに行けなかった幼い子供の姿がダブる。
婿殿、と。そう呼んで飛び込んできていた幼女の姿が。
(俺には何が出来るかな)
鵺の意匠を持つ禍つ鎖鎌を構え、アルフレッドは唇を噛んだ。
(俺は、他の人等のようには強くない)
強敵と渡り合える程の力や、難敵を掌で転がすような智謀があるわけではない。それでも、
(それでもお前に)
あんなにも好意を寄せてくれていたお前に、
(お前の為に――俺が出来ることは…あるかな…ヴィオレット)
今ある力の全てを、今ある思いの全てで。我武者羅に戦うことしか今は出来ないけれど。
踏み込み、放たれるのは渾身の薙ぎ払い。弾き飛ばすような強い一撃に、赤女の動きが封じられる。さらに踏み込み、柄を強く握りしめた。目の無い女の眼窩を見る。目があった気がした。そこに眼球はなくとも。
「あんたらの仇も必ず獲りに行く。だからせめて安らかに眠ってくれ…」
切り飛ばす一瞬、女の表情が僅かに和らいだ気がした。
悲鳴が聞こえた。陽波 透次(
ja0280)は駆ける。戦いに引き締まった顔の中、その眉間には深い皺が刻まれている。脳裏の端を過ぎるのは幼い子供の姿だ。
(人々を守る為なら)
――どうしても討つ必要があれば。
ヴィオレットを討つ覚悟はあった。今までと同じように。例えそれがどんな相手であろうとも。
(愛しいと思った相手さえ僕は斬って来たんだ…)
血塗られた道。すでに引き返すこともできぬ程に。なのに――
そんな僕に――悲しんだり怒ったりする資格があるか…?
思い出す。小さな子供の姿を。その笑顔を。人間界、好き?と問われて、嬉しそうに頷いた幼女。小さかった。本当に、本当に小さな女の子だったのだ。
「――ッ!」
紅蓮の光が溢れた。赤翼。感情の昂ぶりに呼応して視覚化されたもの。悲しむ資格も怒る資格も有りはしない。なのに悲しみも怒りも止められない。アウルが勝手に感情を叫ぶのだ。悔しさも悲しみも激しい怒りも!
銀の双銃を構えた。見えた人影は女性。その背後に青女。
――今はただ、救済と殲滅を。
声に出来ない叫びの代わりに、無限を宿す双銃が咆哮を轟かせた。
「ただの暴虐か、何かの布石か…」
地を渡る風のように駆け、久遠 仁刀(
ja2464)は次々に上がる発煙筒の位置情報に目を細める。
翼を駆使して高台から索敵する者達により、敵位置はほぼ網羅されつつあった。中でも発煙筒で位置を知らせる者達の活躍は抜きんでている。たどり着く前から後詰部隊は敵位置を煙によって明確に視認していた。
『角の右。赤い蛇女がいますの』
頭上を駆け抜けた鬼姫の声を背に、仁刀は足に力を込めた。付与されし縮地の力で一気に加速する。
開ける視界。右。刀に添える手。踏み込み、振りぬいた次の瞬間には刃は鞘に納められている。
トンッ
軽い物音と共に斜めに切断された頭部の上が落ちた。
抜刀。その一太刀。
膨れた腹部に犠牲者を知るも、今は新たな犠牲を防ぐ方が先。
(後で、必ず)
眉間に皺寄せ、踵を返しながら仁刀は新手を求めて空を見る。近いのは、右側の煙か。
(敵としては厄介な数だが見境なく人を攫うには少ない)
一報が早かったせいか、民家密集区が点在する地形が幸いしたか。
(既に多数が攫われた後なのか? いや、或いは騒ぎを起こし避難者や撃退士を集めるのが目的なのか)
駆ける先には、倒された青女と、その腹から這い出ている濡れそぼった女性。それらを背に庇い立つのは、屋上経由で発見し急行して来たリーリア・ニキフォロヴァ(
jb0747)だ。奇妙に腹の膨れたもう一体の青女と対峙している。
「抱えて飛べ!」
駆け様に叫ぶと、即座にリーリアが反応した。仁刀と入れ違うようにして女性を抱えて屋根へと飛翔する。嘆きの歌が放たれた。あくまで女性は生け捕りにしたいらしい。一瞬揺らいだリーリアの体にひやりとしたが、無事屋根の上に着地した。腕の中の女性は眠っている。追おうとする青女の体を仁刀が阻んだ。
(こいつ!)
すでに誰かを腹に収めているのに、なおも手を伸ばそうとしている。
(一人じゃ足りないってことか!?)
女の顔が仁刀に向く。標的を変えたと知って身構える仁刀の前で、その首が斜めにずり落ちた。
「助かりました。保護はこちらで手配します。久遠さんは先へ!」
一旦女性を安全な位置に移動させたリーリアだ。崩れ落ちる青女を確認し、仁刀は後を任せて駆ける。本来後詰であるリーリアに任せておけば、保護と移送は大丈夫だろう。
(あれは、保護の為の液か?)
女性を濡れそぼらせていたもの。もし蛇の長大な下半身がそれで満たされ、それ以外は皮と骨だけのようなものなのだとすれば、最大収容数は一人や二人では無い。仁刀は連絡を回す。
「女の腹に気をつけろ。連中の容量、俺達の想像を上回っているかもしれん」
●
後方、敵を葬りながら白地図へポイントを書き込み、アスハは目を細める。
(ルートが確定してきたな)
明かに死者の多い道筋がある。他の場所はそこから散って行ったと見ていいだろう。黒子が推測したルートとほぼ重なる。
散開するルートとして刈りいれの終わった広大な田畑が使われてしまったが、逆にそのおかげで被害者が少ないとも言える。なにせそこに人はいない。
「もう大丈夫だよ! 安全な場所に移動するからね!」
救出された少女達がアルフレッドに抱えられて到着する。受け取り、励ますのはみくずだ。
(あたしは、悪魔だけれど)
そう、彼女達を怖がらせた天魔の側。本当を言うと、そのことが少し後ろめたい。――ヴィオレットのことも。
みくずは拳を握る。
(あたしたちは『撃退士』だから)
この種子島を――この世界を護る責任がある。
(ううん。あたしが、そう決めた。この世界を護るって)
生まれた場所や血筋なんて、ちっぽけなものだ。大事なのはそんなことじゃない。もちろん、どうしようもないそれらに、胸はちくっとするけれど。
絶対に何とかしたい。
出来ることがあるなら、少しでもいい――手を伸ばしたい。
もう、傷つく誰かを見たくない。自分に出来る精一杯で護りたい。力の限り!
(だって、その為に撃退士になったんだもん!)
それこそが、『今の自分』を形作るものだから。
同じ風が二度と吹かないように、過去は決して戻らない。
低空飛行で索敵する鳳凰の後ろ、発見した敵情報を回しながら千鶴は大地を蹴る。
(――もっと早く突撃すれば、あの笑顔は戻ったやろか)
何を思うまでもなく、脳裏に浮かぶコトバ。ああまたか、と。空虚な何かを噛みしめるように心に忍び寄る虚無。それは怒りの裏側に常にある。
本当の本当には分かっている。自分だけの力でどうにか出来たわけではないことも。ただ、届けたかった手を届けられなかった。その事実が辛いのだ。悔しいのだ。幸せであって欲しいと思った相手だったからこそ。
――守りたかった相手だったから、こそ――
モット ジブンニ チカラガアレバ
守れただろうか――あの優しい日々を。そう、思わずにいられない。
地面に倒れている女性を抱える蛇女の背に、千鶴は勢いのまま体当たりを喰らわせた。態勢を崩し落とす意識のない女性を抱き留める。
「無茶をしますね〜」
にこにこ。
常の笑顔なのに笑ってない気配満載な神楽の腕が上がった。その身の黒は闇に傾けた属性の為か、別の理由か。【黒鬼】の持つ魔変神経同化の力と相まって、今この瞬間、一般的な魔族を凌ぐ闇の力がこの身にある。禍つ長銃から放たれた闇黒の弾丸が、水の入った何かを叩きつけるような音をたてて青女の眉間を撃ち抜いた。
「一体討伐完了」
情報を回しながら、神楽は警戒を緩めない。
青女は女性を集める。なら、撃退士女性を狙う可能性は高い。すでに撃退士の元に、その性別に対応する敵が現れる事例があがっている。
(今の千鶴さんは、自身を囮にしかねないですからね)
いつもかもしれない。自分よりも他の誰かを護ろうとする人だから。だからこそ、いつも心配であったりするのだが。
(きっと怒られますね)
ふと浮かぶ顔がある。幼い顔にめいっぱい遺憾そうな表情を浮かべて、あの子供ならこう言うだろう。
――ちーねぇも無事じゃないとイカンのですよ!
なんだか次にはこう言われそうだけれど。
――にーにもなのですよ!
(幻想です)
穏やかで切ない幻だ。それに心を浸す気は無い。現実は、現実の力で取り戻すものだから。
「さて。行きますか」
助けだした女性を護りに、すぐに後詰の人達が駆けつけてくれる。連絡を回し、次の敵位置を確認しながら神楽は千鶴の頭をぽふぽふと撫でた。女性の体を引き出し、やや高台へと移動させる。周囲に敵影は無い。
「私達には、取り返さなければならない日常がありますからね」
神楽の声に、千鶴はぐっと拳を握りしめ、力強く頷いた。
目印と情報を元に次々に後詰のメンバーが駆けつける。
着実に安全圏を広げる後詰の先頭では、白野 小梅(
jb4012)がふんすと息をはいていた。その前方にいるのは赤い蛇の体をさらに血の赤で染めた女だ。
幼い顔に精一杯遺憾の表情を浮かべ、小梅は魔女の箒を握りしめる。
いつだって、いつまでたったって、天界は変わらない。遊んでいた人の子達を殺そうとしたあの時の同胞も。庇ったが為に追放し、さらには殺そうとしてきた同胞も。どうして、と。どんなに叫んでも彼等に届くことは無いのだ。こんなことは間違ってると思うのに。
――死体を集める赤女。
その男性は誰かの恋人や誰かの父親であったかもしれないのに。
――女性を集める青女。
その先の未来には惨劇しか待っていないのに。
「なぁんか、腹立つぅ」
ぷー、と頬を膨らませて威嚇して。小梅は敵を睨み据えた。
「許さないからねぇ!」
難しい事は後から考えればいい。「ダメ」だと心が叫ぶ悲劇を止めるのだ。誰かの悲しみや、誰かの苦しみはもう増やしたくない。自分がされたら辛い。自分の大切な人に起きたら苦しい。だから止める。この侵攻は、絶対に止める!
「いっくよぉーっ!」
距離、およそ二十メートル。射程範囲に入った瞬間、小梅が魔女の箒を大きく振るった。
「ニャンニャンGO!」
一気に駆けた黒猫が赤女の喉元に食らいつく。鈍い音がして噛み砕かれた首が真後ろに折れ、その重さに引きずられるようにして体が倒れた。
次! と駆ける小梅の頭上、翼で屋根にあがったレイ・フェリウス(
jb3036)が高さを生かして敵の漏らしが無いかを確認しながら走る。
「今までの天界陣の動きとは、ずいぶん違うな」
思い出すのは、かつて会った使徒の姿。今、どうしているだろう。嫌な予感がするのは、彼の主が開いただろうゲートを前にしているせいか。いっそ、件のゲス天使の方がゲート主だったらいいのに。
「あんなに怒ったファラを見るのも、初めてだし、ね」
飛び出して行った妹分を思いながら、レイは冥府の風を纏う。強化された魔力を込め、道の先にいる蠍を見る瞳は冷ややか。
(本当は、止め役にならないといけないんだろうけど)
危なっかしい妹分を諌めるのは自分の役目だから。――毎回、成功してるとはあまり思えないけど。まぁ、一応。
(でも今回は、止める気になれないのも事実だからね)
盛大にやっておいで、と思う。大切な者を傷つけられて、怒らないなんて嘘だ。例えそれが、半ば自分への怒りだとしても。あの天使は、それだけのことをしたのだから。
「さて。流石の私もちょっと『おこ』だよ」
軽く手を挙げ、振り下ろした。凄まじい勢いで飛来した雷刃が蠍の胴に炸裂する。即座に反応してこちらに向かってくる敵に怯まず再度叩き込んだ。雷光が弾け、硬い甲殻がひび割れ砕ける。
怒っているのは、妹だけじゃない。自分もだ。
「君は、やりすぎた」
ここにいない相手に向けてレイは言葉を放る。
「もう誰も、止まらないよ」
「この道を真っ直ぐ抜けて。背後は追わせません!」
住宅密集地の外れ、耳が遠くて退避が遅れていた老女を守り、透次は避難に付き添う。追おうとする青女を足止めするのは、ヒリュウの灯火だ。
(あの腹の中にも、女性が――)
中に一体何人の女性を入れているのか、歪な下肢で彷徨う青女に嫌な動悸がする。
「灯火! お願い!」
召喚主の『頼み』に、灯火はしょうがない任せろと言わんばかりに一瞥し――何故か動きを止めた。
――あれ?
「灯火!?」
青女の口からは今も嘆きの歌が放たれているところ。だが、
『姦しいですの。耳障りですの』
抑揚に乏しい声と同時、突如背後に現れた鬼姫の一撃がその首を切り落とした。一瞬舞った黒羽の幻影とともに、リンと涼やかな音色が響く。
『後詰に連絡していますの。こちらは任せて、進むのがよろしいの』
凛と顔を上げ告げる鬼姫に、透次は安堵の息をつく。
「ありがとう。ええと…」
『「紅さん」と呼ぶのがよろしいの』
「あ、はい」
何故か逆らってはいけない空気。コクリと頷き、透次自身は老夫婦を導く。先行して安全を確認する灯火が、ふと、勢いよく敵の方へと走る人影を発見した。蠍の攻撃から人を護りつつ、自分よりも他者を癒し続けた結果、治癒術が枯渇して大怪我により一時搬送されかかった英斗だ。
「まだ怪我治ってないよ!?」
「まだ! 敵が! 残ってますから!」
その後ろを救助者搬送用のバンで追いかけるのはジーナだ。屋根の上にアルフレッドが張り付いているのが地味に気になる。
「保護対象者、発見!」
こちらを見つけて急停止するそれに、透次は慌てて灯火を呼び戻した。射程ギリギリで英斗に回復を放ち、こちらに向き直ったジーナが老夫婦に暖かい笑顔を向けた。
「よく無事でいてくれたねぇ。もう大丈夫だよ」
示された安全地への確かな感触に、思わず涙目になる二人を抱きしめて。目で「お疲れ様」と告げられた透次は「任せてもいいかな?」と問うた。ジーナは快諾する。
激戦区の真っ直中だからこそ撃退士が運転しているが、安全が確保された場所からは依頼していた護送車が随時出る。準備は万全だ。
「頼みます」
軽く頷き、即座に踵を返す相手の武運を祈りつつ、ジーナは老夫婦を抱えて後部座席へと座らせた。周囲を警戒しながら情報をチェックしていたアルフレッドがジーナを振り返る。
「姉御。蠍で被害が出た。俺が護送してくからそっち向かってくれねぇか?」
「あいよ。そっちも気を付けてねぇ」
一般人保護の為、状況によって運搬を交代していた二人である。同じ情報を元に戦場へと走り、角を曲がると同時に術を解き放った。
「! 助かります!」
大暴れによって砕かれた地面に立ち、蠍の鋏を『飛龍』で防いでいるのは英斗だ。振り上げられた鋭い尾を北斗が砕く。
「これで痛恨の一撃は出せねえだろ」
その北斗の傍らへと、間一髪で難を逃れた男性を抱え飛んだレイが降り立つ。その体へと向かい、腕一本を犠牲に鬼姫からの致命傷を回避した赤女が甲高い悲鳴をあげた。切なる願望。無数の闇の手が地面からレイの体を掴んだ。
「んぎゅ!」
巻き込まれぬよう慌てて男性を北斗に渡したレイが闇の手でその隣に叩きつけられる。わりと痛そうな音がした。
「…いけるか?」
「な、なんとか…?」
空中に浮いているのを叩きつけられたのと違い、左程負傷は高くないようだ。防御が紙だから辛いけど。
「対空技とか、わりとスペック高いな蛇女」
「絶えず足場を確保していて正解だったな」
北斗の声に、英斗の視界を補い治癒しながら綾羅が呻く。邪魔をする一同に向かい、赤女が叫びをあげた。
『煩わしいですの』
軽く舞うような動きで一閃した鬼姫の一撃に、赤女の首が落ちた。同時、蠍の攻撃を避け、踏み込んだ英斗がアウルを燃やす。
――込められるのは『友情』。誰かの為に怒る友の為の『願い』。高められた力に水晶の如き輝きを放つ!
「くらえ、クリスタルクロス!!」
声と同時、裂帛の気合を込めた一撃が蠍の胴に炸裂した。貫通し、地に伏すのを見て、すぐ傍の十字路で青女を下したマキナが小さく告げる。
「この場は制圧したようですね」
保護の為、先と後の何人かが一時的に集まった結果、複数の敵が呼び寄せられたのだ。周囲の敵影が絶えたのを確認して、小梅が空高くへと飛翔する。
「んとぉ、むこうにいるねー。あと、ゲートの方に青いのがいるよー」
「な――」
英斗は目を瞠る。ゲートとの境界付近。そこへ一直線に退避する青女達の姿があるというのだ。逃げ込まれれば、部隊を編制しなおさない限り突入できない!
「ゲート間際に?」
すでに戦場離脱し撤退に入っているとの一報に、別地点を制圧していた黒子は低い声を零した。
「すぐに――」
『いや。必要ない』
ふと、別の声が耳に届く。同じ情報を得たアスハだ。
『心配ない、な。こちらの方が上手、だ』
情報は全て集約され巡る。
――そう、必要無い。
アスハが薄い笑みと共に告げるのと、ゲートへ向かう青女の首が刎ね飛ぶのがほぼ同時。一瞬翻ったのは闇の翼か、それとも黒衣の裾か。
全ての懸念は語り合っていた。言葉を尽くさずとも一言で把握しあえる瞬間もある。だからこそ任せられるのだ。
『布陣は、すでに整っているから、な』
大地を踏みしめ、ゲートを背に泰然と。死神の鎌を手に佇むのは老執事。
種子島において、この地に眠る愛する唯一人の為に全てを捧げた男――ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)がそこにいた。
その愛を全うするということは、己の絶望すらも乗り越えるということ。
長き生の果てにようやく得た愛を自らの意思で手放した。その思いの深さと同様に、喪失後の虚無はどれ程のものだろうか。そんな内面をおくびにも出さず、ヘルマンは常と変わらぬ穏やかな微笑をたたえて立つ。
「ゲート側は抑えましたぞ、アスハ殿」
『了解。そちら側は、任せた』
「承りました」
恭しく告げ、微笑むヘルマンの前に闇の空間が現れた。僅かに遅れ、同じ地に至ったファーフナーだ。敵を傷つけない認識障害の空間に、上手い具合に青女を巻き込んだ。
「……同じことを考える奴がいるとはな」
闇から抜け出し、心を読ませない鉄面皮でファーフナーは翼を解除する。
「ふふふ。ひとりでは成せそうにありませぬ故、心強うございますぞ」
好々爺の顔で一礼し、ヘルマンは懐を探った。最端地点の目印にと発煙筒を探し、
「おや。もしかして……品切れ」
「……じーちゃ、カッコつかないなー」
遅れて走り込んだファラが残っていた発煙筒を取り出して設置した。思わず苦笑した顔は、暗い影が少しだけ和らいでいる。
悪魔という種族。けれどなまじの人よりも情に厚い者達。連鎖的に浮かんだ顔に、心を振り切るように駆けた。
小さな手が頭を撫でたのはいつだったか。一生懸命な『おまじない』を覚えている。あの手が動かなくなったと知った時の、心臓を抉られたような痛みも。
(俺は)
敵への憎しみよりも前に、燃え上がるような怒りは己自身に向いた。思考よりも早く、感情は事実をつきつける。幼子すら救えなかった不甲斐なさを、弱さを――何故自分はあの時。何故、と。
時が戻るなら――あの日よりも前に。
あの笑顔があった日々に。無遠慮で小さな爆弾のような子供が飛び回っていた日常に。帰れれば、どれ程……
(時は、戻らない)
知っているのに思うのは、すでにそれほどに己の中にその存在が息づいていたからか。弱さから心を閉ざし、失ってからその無垢な笑顔に絆されていたことに気づく。己への怒りを敵にぶつけても、それは取り戻せない。現実は変わらない。
ただ、力を。
持っているこの力を。仕事だと、仕事だからだと振るい続ける。立ち戻ることの出来ないあの日の分も込めるように、強く、強く。
例え戻れなくても――前へと、次へと、手探りで道を探すかのように。
そんなファーフナーの背後に、何かを察しのか無言のヘルマンが守るように立つ。認識を狂わされてあらぬ方向から出てきた青女が、死神の鎌に首を刈り取られた。ファーフナーの前、初撃で首を半ばもがれた女が腕を振るい、ファーフナーの頬を裂く。委細構わず、その首を完全に吹き飛ばすのと、同時にファラの治癒がファーフナーの頬の傷を癒した。
幼子の声を思い出す。
イタイノイタイノトンデイケー
(――)
浮かんだ名前を胸の中に落とした。寄せられていた純粋な好意。目を背けた弱さを、隙を、誰かに支えてくれている現実。独りでは無い。戦場であれ、日常であれ。何処かに誰かがいた。種族を問わず。
「さぁ終わらせましょう。貴女方の苦しみを」
その耳に静かな声が聞こえた。義憤に燃えるのではなく、正義を叫ぶのでもなく、ただ優しく包み込むような穏やかな声が。
「二度と眠りを妨げさせませぬ故」
一瞬見やった先で振るわれるのは終焉の鎌。首切られる寸前、絶望に染まっていた女の顔がほっとしたような表情に変わるのは、何故か。
(呪縛を――解く悪魔)
死して尚残る呪いを。絶望を。力で祓うのと同時、深い慈しみで包み込んで。
腹の中から女性達をテキパキ引き出し、ファラが後詰に連絡を回す。何人もの女を呑み込んで動きの鈍い青女達は、すでに彼等の敵では無かった。
●
「最終目標地、判明。前進と共に周囲掃討に移る」
手短に報告し、遠く、空へと細く上がる発煙筒の煙に、黒子は長い前髪の奥で目を光らせた。
道中を最速で蹴散らしつつでは間に合わなかったタイミングだ。保護もしながらでは、やはり行軍速度は鈍る。
(あとは各個撃破されないよう、合流することですか)
とまれ、引き揚げようとしている敵よりも贄を求めて彷徨う者の方が多い。
「――が、やはり漏らしが出ると拙いですからね」
ゲートへ向かうルート上で止まり、黒子は素早く待ち伏せ体勢をとりやすい場所に陣取った。ゲート前のメンバーはこちらに合流してくるだろう。それまで、この場所で足止めをすればあちらに向かう敵も減らせ、漏れも防げる。
(畑を突っ切られると事ですが。まぁ、なんとかなるでしょう)
ふと、視界の端で新たな煙が上がった。遠くまで出ていた敵を見つけたようだ。
確定報告が次々に入る今現場は情報分野において相当優秀だと言える。あちこちで上がる発煙筒の下には常に敵および保護対象者がおり、消えれば対応完了の意味になる。
あちらは任せておけばいい。ならば、こちらは、遠慮無く。
見やる先、膨れた腹を引き摺り来るのは赤い蛇女。
いざという時の退避ルートを頭に叩き込みながら、黒子は魔具に雷光を印加する。狙うは頭部。例えそこに死体しか詰まっていなくとも。
―雷拍―
響く音と共に頭を強撃した光に、赤女の体が大きく傾いだ。
別所、包囲網の如き動きで敵を葬る先では、今も尚救助が進んでいる。
「遥久!」
「遅れるな」
盾と蠍の尾が激突する。僅かに顔を顰め、力に抗う遥久の後ろで震えるのは逃げ遅れた初老の男女。生きた彫刻のように互いに抱き合ったまま硬直している。その傍に急行した綾羅が降り立った。
「護送する!」
「頼んだ! ――てめぇ! 俺の遥久に何してくれやがる!」
巨大な蠍の鋏が躍った。振り上げられるより早く、間隙を縫って愁也がその懐深くへ飛び込む。
(――これが私怨だってことは俺が一番分かってる)
身を蝕む程の怒りと悔しさ。今すぐ転移装置が動けばとどれほど思ったことだろう。同時にどれほど願ったことだろうか。無事でいてくれと。この身に千里を飛び越える翼があればと。
(だけどな、それがどうした!)
怒りは間違いでは無い。
八つ当たりと言われようと構わない。
守りたかった。助けたかった。無事でいて欲しかった。傷つけられたくなかった。私怨でいい。この怒りは誰あろう、自分がもつ確かな思いだ!
まして、遥久まで傷を負うとか――!!
「……お前ごときが百年早ぇ」
黒く凝った呟きと同時、振りかぶった六角型の盾が凄まじい勢いで鋏の根元ごと頭部を叩き潰した。激昂して声を荒げるよりも遥かに怖いレベルで殺意増し増し。そのままガッツリと片方の鋏を失った蠍の頭部を抱え込む。
「行けぇ! 遥久!」
「全く。無茶をするな、とは言わないが……限度があるだろう」
素早く側面へと駆けながら嘆息一つ。指元で陽光を反射するのは盾のかわりに具現化した黄色のワイヤー。その金属糸が淡い緑光を宿す。蠍の真横へと飛び込み、振り上げた腕の動きにあわせてその体が両断された。綺麗な断面を見せる蠍に「へっ」と愁也が鼻を鳴らす。
「どんなもんよ!」
「次行くぞ」
「あ、ちょ」
慌てて見やる先は先程助けた老夫婦。だが先に確認していた遥久は「大丈夫だ」とそっけなく告げる。愁也もすぐ理解した。腰の抜けた老爺を半ば抱え、綾羅が他の者も誘導してくれている。
「俺達は久遠ヶ原の撃退士だ。避難誘導するから、落ち着いて付いて来て欲しい」
「後ろの敵はこっちで惹きつけるぜ」
合流したケイがニッと口の端を笑ませる。
破竹の勢いで安全地を広げる撃退士の手によって、戦場制圧が成されたのは作戦開始からわずか二十分弱のことだった。
●
「傷負ってる人、いるかい?」
「全員完治してますね」
ジーナと英斗の声に、現状をチェックしていた黒子が息をつく。
「まぁ、これだけ回復持ちがいれば、余程のことが無い限り」
お疲れ様でした、と。互いに労い合う横では、最後まで大暴れして怪我だらけだった愁也が遥久にこってり絞られていた。
「暴れたりねーよ! あの天使ぶっ飛ばす!」
「次にとっておけ」
絞っても絞っても復活するなと言わんばかりの目に、やりとりを見ていたレイが苦笑する。
「どこも苦労してるみたいだね」
「にーちゃ、何か含んでない?」
「含んでるとも」
ジトッと睨むファラの横では、ディアドラが情報を纏めながら首をかしげる。
「赤女には毒が通りましたが、蠍には不可。抵抗力が高いのか、それとも毒無効なのか」
「どっちだろうなぁ…。蠍は物理が効きにくかった気がするけどよ。装甲のせいで」
「あの御婦人方には物理が、蠍には魔法がより効いておりましたな」
アルフレッドの声に、ヘルマンが応える。次いで、「ところで」とリーリアを見て首を傾げた。
「『あれ』は何ですかな?」
「ちょっと、ね?」
ゲート境界近くに何かを置いてきたリーリアは意味深な笑みを浮かべた。後にサーバントが拾ったそれを開けて、ファウルネスが鼠花火爆弾に凄まじく地団駄踏むことになるのだが、それはまたほんの少し後の話。
「蛇に取り込まれてた女の人達も皆無事だって!」
みくずの声に、北斗がホッとしたように表情を緩め、次いで鼻を擦る。
「ふん。『奴』の企みは阻止できたか。次が行われる前に滅ぼしたいところだな」
声に、鬼姫が静かな声で告げた。
『焦る必要はありませんの。次はこちらが攻める番ですの』
――そう、次はこちらが攻める番。
「ところでアスハさん。後でお話があると言いましたよね私」
「そうだったか、な」
にこにこ笑顔の神楽に、アスハが明後日の方向を見ながら嘯き、千鶴が「やれやれ」と言いたげな顔で苦笑する。
「なんにしろ、天使にゃ、ザマァミロだな」
皮肉な笑みを浮かべるケイの後ろでは、綾羅がひやりとする目線をゲートに向けていた。
「どこから見ているのか知れないが、せいぜい悔しがるといい」
例え見ていなくとも、失敗はすぐ悟るだろう。次があろうと何度でも阻んで見せる。
「……なにか、妙に知っている気がする視線を感じるんだが……」
「バナナオレの匂いがするねぇ」
感じる筈の無い独特の視線に仁刀が眉を潜め、小梅がとあるプールで一緒になった「胸の大きなおねえちゃん」を思い出しながら首を傾げた。姿はどこにも見えないのだが。
きょろきょろする二人の視界の端では、一人離れてシガリロを手に佇むファーフナーの姿。口につけらえることなくただ紫煙が細く流れる。
「報いには……まだ、足りない」
小さく零す透次の声に、菫は「ああ」と頷く。そんな二人に視線を向けてから、マキナはゲート側へと視線を転じた。何時の間にか白い靄のようなもので見えにくくなっていた。
(おそらく、準備が整い次第……)
視線の端に菫の姿。同じくゲート側へと視線を投じて。その凛とした眼差しに燃える焔が、何れ己を焼き尽くしそうでならない。
そんな懸念を知らず、菫はゲートをひたすら睨み据える。宣戦布告のように。
「直ぐに行く」
そこにどんな罠があろうとも。
だから待っているがいい。
「そのゲートが、貴様の墓場だ」