会場は人の洪水だった。
客達は海の荒波のようにざわざわと騒がしく、皆、真紅の幕が開くことを今か今かと待ち望んでいた。
その時――会場の明かりが、ぱっと落ちる。
煌めく星のようなスポットライトが前方にいる司会者を照らすと、観客の歓声がわっと上がった。
「今宵は常とは違う演者をご用意致しました。彼らの美技は、皆様方の肥えた目すらも感動でうるわすでしょう。それでは皆様。今宵限りのエンターテイメントショー、ご堪能あれ……」
司会者が舞台袖に去ると同時、真紅の幕が上がる。歓声と拍手が弾けるように舞台へと注がれた。
――撃退士による一夜限りのエンターテイメントショー。開幕。
●第一幕 エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)
演者は珍妙な恰好をしていた。
南瓜のマスクに顔を隠し、怪しげなマントを羽織っている。
その南瓜頭の怪人が一礼しながら指を鳴らすと――南瓜が弾けた。
息を呑む観客。弾けた南瓜はトランプとなってぱらぱらと舞台に降り注ぎ、南瓜の中から現れた少年――エイルズレトラに、観客達が拍手を送った。
少年が両掌を広げ、タネも仕掛けもない、と言わんばかりに掌と手の甲を観客に見せる。両手を天井に向けると掌から無数のトランプが泉のように湧いて出た。
振り落ちてくる無数のカードの中から一枚を選び取って指で挟み、無造作に客席へ投げ渡す。受け取った観客はカードを念入りに調べ上げるが、それは至って普通のカードだ。――疑問に思う観客。その間に少年は次の演目の準備を進める。
少年は取り出したぬいぐるみのチャックを開き、綿すらないことをアピールする。数枚のトランプを扇状に持ち、すっと、ぬいぐるみを一瞬遮った。――すると、ぬいぐるみが消えた。
一瞬の早業に唖然とする観客達。少年も一緒になってぬいぐるみを探す仕草をし、後ろを振り返る。
すると、いた。
少年の後頭部。そこに、ぬいぐるみがしがみついていた。
少年は手を伸ばして取ろうとするが、ぬいぐるみはするっと手をくぐり抜け、地面に立った。
――動いた!
観客が再び唖然とする。ぬいぐるみは観客の驚きの吐息など意にも介さず、小さな手足を動かして少年の足元に纏わりつく。
少年が顔を近づけるとぬいぐるみは少年の頬にキスをした。愛らしい仕草に、思わずほんわかする。
少年が両手でぬいぐるみを持ち、観客席に投げた。手に取る観客。やはりそのぬいぐるみには何も入っていない。
わっと歓声を上げる観客達。
トランプをケースごと宙空へ投げると、滝のようにカードが降り注いだ。
――一瞬。
トランプが落ち切った時、そこには別人がいた。
少年から少女へ。新たな演者を止まぬ拍手が迎え入れた。
●第二幕 佐野 七海(
ja2637)
黒のドレスを身に纏った少女――七海は、目に包帯を巻いていた。
少女は腰を折り曲げ一礼する――それを合図とするかのように、照明が落ちた。
どよめく観客。
同時、ぽう、とまるで蛍火のような淡い光が舞台の上から現れた。
少女の掌にある真珠のような球体が、光っているのだ。
少女がさらに床を掬うような仕草をすると、何もないはずの床からぽこぽこと光る球体が現れた。少女はブーケトスのように両手の球体を投げると、それは天井や壁をぽんぽん跳ね返った。
――誰かが気付く。ボールの動きがおかしい、と。
光の球体が跳ね返る軌道は全てばらばら。天井へ向かったり、かと思えば壁に垂直に飛んでいったりと、様々な動きをする。
軽快なBGMが流れ始め、球体はそれに合わせて幾何学的に跳ね返る。
少女も球体をジャグリングのようにボールをキャッチし、また放り投げる。
まるで壁や天井と少女がキャッチボールをしているかのようだ。
――ボールの中に何か仕込んでいるのか?
いや、そもそもあの球体は何もない場所から出てきたのだ。
観客の一人が暗闇の中で目を凝らすと、壁や天井から巨大な人間でない手が見えた、気がした。
BGMが終わりを向かえようとする頃合い。
幾何学模様を描いていた蛍火の球体達が、一点――少女に全て向かう様に同時に壁や天井を跳ね返る。
少女はくるりと一回転。ふわりと浮くドレススカート。
盲目のはずの少女の両手に全ての球体が収まり、BGMが止まる。――ふっと、霧散するように球体が姿を消した。
息を呑む観客。一瞬の暗闇。
彼らの隙をつくように照明が付き、そこには少女が――『白色』のドレスに身を包んだ少女が立っていた。
黒色から白色への早着替え。
暗闇と光。それを自在に操る少女はぺこりと一礼すると、舞台袖へ姿を消した。
●第三幕 相馬 晴日呼(
ja9234)&平田 平太(
jb9232)
「俺のマジックは前二人のとは違って間近で見てもらうマジックなんだ。こっちへ寄ってくれ」
次のマジシャンはくせっ毛の成年だった。観客は席を移動し、舞台近くまでやってくる。
晴日呼が舞台袖へ手招きをすると、アシスタントが晴日呼の横に道具を持ってきた。晴日呼はゴムボールを一つ取り、最前列で見上げていた少女の前に屈んだ。
「好きなマークを書いてくれるか? 君にしか書けないマークがいいな」
「! ……うんっ」
選ばれた少女は渡されたペンで描き終わると、それを晴日呼に返す。そこには、もじゃもじゃ頭の顔が描かれていた。
どうやら晴日呼の似顔絵らしい。
晴日呼は指輪のはめた指を巧みに使い、他のボール五個と混ぜながら掌の中でかき回す。ボールをシルクハットの中に滑り落とし、晴日呼は帽子をかき回す。
当然、中身は見えていない。
その状態で晴日呼は中身を見ないで手をつっこみ、引き上げる。
――握られていたのは、似顔絵の描かれていたボールだった。
「地味? わかってるさ。これは準備運動みたいなものだ」
続けて晴日呼はボールを袋の中にボールを二十個ほど入れ、その中からも似顔絵付きのボールを探し当てると、さすがに観客もどよめき始める。
「まだ地味だよな。よしわかった」
アシスタントが晴日呼の後ろに回り込み、目隠しをする。晴日呼は目の前の物が何も見えていない状態だ。
アシスタントはそれまで使っていたボールと、台車にあったボールを全て交ぜる。
その数、五百以上。
じゃらじゃらと箱の中で交ぜ、ボールを客席中にばらまいた。
観客は小さなボールを受け取ると、不思議そうに檀上に目を向ける。
――この中からボールを見つけるのか?
――無理だ。誰かが呟く。
白い布で目隠しされた晴日呼は、よたよたとした足取りで客席に降り立つ。スポットライトが晴日呼を追い、客席はそれをはらはらと見守る。
晴日呼は手探りながらも着実に歩みを進め、一人の老人の席前で止まる。
――老人が差し出したボールは……似顔絵が描かれていた。
どっと沸く観客。
拍手が鳴り止まぬ内に晴日呼はボールを少女に渡して引き、代わりに前に出たのは、なんとアシスタント。――平太である。
「相馬さんはボールを使った演目でしたね。それでは私もボールを使ったものを少々……」
彼が準備運動、とばかりに手をぷらぷらさせると、一瞬。指と指の間に挟まれたボールが四つ出現する。
両手をクロスさせるように動かすと、視線がぶれたと思った間隙にボールは二つになり、次の瞬間には三つになる。ポケットを指差したと思えばそこから消えた一つ目のボールが出てくる。
続けて片手では被っていたシルクハットを脱いで、その中身を客席へ晒した。
「何も入っていないでしょう。今回もこのボールに印を……つけないで、そのまま入れますね」
おどけたように言うと、と玉を帽子へ入れ、平太は指で数字を作る。
「一、二、三で、ボールが消えます! 行きますよ、一、二、さーん! ……あれー?」
ぽとぽとぽと、とボールは平太の足元に落ち、檀上で跳ねる。どうしたどうした、と客席で笑いが起きた。
おかしいなー、と平太は逆さにしたままのシルクハットに手を突っ込みごそごそと何かを探る。
すると何かを見つけたのか、帽子から手を引き抜く。
そこから、花束が出てきた。
ぎょっとする観客達。キザっぽく平太は膝を折り、ぽかんと口を開けている女性にそれを手渡した。
「これはあなたに差し上げましょう。それでは改めましてシルクハットに入れまして……はいっ、消えた!」
おおー、と客席がどよめく。
「さて、私の出番ももうおしまい。次の演者を盛大に迎えましょう」
そう言ってシルクハットに手を入れ、取り出したのはトロンボーン。あの小さな帽子に納まるはずもない大きさだった。
平太の楽器が陽気な行進曲を鳴らすと、その曲に合わせて次の演者がやってくるのだった。
●第四幕 美具 フランカー 29世(
jb3882)
入場してきたのは甲冑を着た女性だった。
彼女は舞台中央まで行進すると、ぴたりとそこで止まる。銀に輝く武具はライトに反射して勇ましく光り、スカートは風もないのにもごもごとたなびいている。
――もごもご?
観客が疑問に思ったその時、スカートの裾からぴょこん、と竜のような生物が顔を出した。
なんだあの動物は、と、どよめきが起きる。爬虫類のような猫のような――見たこともない生物だ。
「美具は猛竜使いぢゃ。これから美具の猛竜達が芸を披露するのじゃぞ」
美具は鞭を強かに床へ打ち付け、先ほどの竜が小さな手足を動かして舞台道具を運んでくる。持ってきたのは台に置かれた数個の林檎。
そしてのっしのっしと舞台袖から新たなドラゴンが登場し、怖がりな観客は悲鳴を上げた。……妙にドヤ顔が鼻につく竜だ。
「こやつが今からクイズに答える。正解だったら拍手をお願いするのぢゃ」
そう言って彼女は林檎を台の上で二つのグループに分けて並べた。右に五つ、左に七つだ。
「問題ぢゃ。この林檎、足したらいくつになる?」
竜は問題を聞くと、のっしのっしと足を踏み鳴らし始める。一、二、三、踏んだ数で答えを示すらしい。――十二回。鳴らし終えると客席へドヤ顔を決めた。
おおっ。
見事、正解だった。
「よくやったのじゃっ」
ハイタッチしようと両手を前に出す美具――しかし、竜はそれをスルー。美具の豊満な胸へと駆け寄ると、そこへタッチしたのだった。
「……って何をしとるかぁー!」
美具が叫んで竜を投げ飛ばすと、会場はささやかな笑いに包まれたのだった。
続いて出てきたのは丸々と太った竜だ。転がるように移動する竜の眼前には、フラフープのような輪が三つ、宙に固定されて浮いている。
「続いては火の輪くぐりじゃ。この巨体が見事、あの火のついた輪をくぐり抜けて見せるのじゃ」
どう見てもくぐれる大きさではない。輪の大きさに比べて竜の腹は二回りも大きい。
竜もそれがわかっているのか、ぷるぷると首を振っている。
「つべこべしておらんで行くのじゃ!」
ぱしんっ! と鞭が竜の尻尾を掠める。
肥えた竜は恐怖に慄きながらもぐるぐると転がり、遠心力をそのままに――跳ねた。
やればできるもの――である。
飛び越えた勢いを殺せず、竜は転がりながら舞台の壁にぶつかってようやく止まる。ぜはーぜはーと荒い息を溢しているが、見事に輪を飛び越えられた。
わっと拍手が巻き起こった。
美具が観客へ向けて一礼すると、三匹の竜達も彼女と同じような動きで一礼し、舞台を去っていったのだった。
●終幕 大和 陽子(
ja7903)&ファラ・エルフィリア(
jb3154)
「レディス&ジェントルマン! 今宵はお楽しみいただいてるかなっ?」
ととと、とステップを踏みながら現れたのは小悪魔風の衣装を着た少女ファラ。背には蝙蝠のような翼を生やし、先の尖った尻尾がお尻についている。その少女の後ろから、彼女と対になるような天使衣装の少女もててて、と続いてくる。
「名残惜しいけれどステージはこれで最後!皆様! ご一緒に手拍子にてご参加くださいませ!」
陽子の口上に乗せられて、観客達は音楽に合わせて手を鳴らす。ファラは帽子を持ち上げ、そこから出てきた風船を頭で陽子にトスした。
陽子もその風船を頭でファラに返し、手拍子に合わせて二人は円を描きながら舞台を舞う。
天使と悪魔の舞は可愛らしくも洗練され、間をぽんぽんと行き交う風船は、まるで天使と悪魔の間で揺れる人の心の様。
その風船が、ぽーん、と客席へ。
天使が、トスする方向を間違えたのだ。
おろおろする天使の陽子。
風船は吸い込まれるように客席へ。――それを、空中で何かがさらう。
悪魔――ファラだ。
ファラは見えない階段を踏むように宙へ駆け上がり、風船を頭の上へ。
ワイヤーなどで吊るされていないというアピールなのか、その場で一回転してまた風船をキャッチする。
――どうやって、浮いている?
ファラの背には翼が見えるが、まさかそれで飛んでいる訳もあるまい。悪魔の恰好をしているだけで彼女は人間である『はず』なのだ。
陽子は空中に浮いた悪魔を悔しそうに見上げている。ふと陽子は舞台上に置いてある小道具の垂直棒に目が止まる。
何かを思いついたのか垂直棒を手に取り、それを客席に向けて固定すると――なんと、その棒に足をかけた。
息を呑む観客席。陽子は細い棒の上を、物理法則を無視した角度で駆け上がり、風船へ手を伸ばす。
ファラはその手をひょいと潜り抜け、遊ぶように陽子の周りを跳ね回る。
陽子もそれを追いかけ、棒の上を、それがまるで舞台の上であるかのように悠々と駆け回る。天使と悪魔の舞踊が再び始まった。
舞台の上で見るよりも空中に浮いている分舞台上よりも非現実的で、天使と悪魔の戯れは中世絵画を連想させる。
観客達はその不思議な光景を、口を開けたまま眺めていた。
――思えば、今日一日非現実的なことばかり見てきた。
本当に種も仕掛けもあるのかと疑いたくなるほどの神秘的体験。笑い。そして、感動。
もしかしたら、これは本当に夢なのかもしれない。観客は少女達を見上げ、憧憬し、熱に浮かされたような心の中でそう思う。
そう。これは夢。起きたまま見ることのできる現実ではない舞台。これこそがエンターテイメント。たった一日限りのショータイム。
観客達は終わってしまうのが名残惜しいとばかりに、少女達の空中で遊戯を見上げていた。
少女達は空中で手を繋ぎながらくるくると棒を回りながら舞台上へ降り立つと、二人手を繋いだまま、客席に向かって一礼した。
――幕が、落ちる。
観客達は自分達で意識するよりも早く、まるで手足が魔法にかかってしまったかのように立ち上がり、万雷の拍手で終幕を称えたのだった。
幕が降り切ると、客達は放心したように会場を後にし、外に出た。
夜風は涼しく、ここが現実なのだと客達の心を呼び覚ましてくれる。
彼らは夢から覚め、これから非日常から日常の世界へと戻っていく。
しかし、彼らの心に焼き付いた今宵の出来事は、いつまでも忘れないだろう。