●崩落地帯
完全に封鎖された商店街の入り口に立った撃退士一向は、その目に映る光景に絶句した。建物は尽く倒壊し、立ち入る者の行く手を阻むように瓦礫が折り重なる。綺麗に舗装されていたはずの道路はひび割れ、一部陥没したところには水道管が破裂したのか水が溜って、なぎ倒された電柱の千切れた電線からは火花が散っている。まるでここだけに大災害が見舞ったかような凄まじい荒れよう、見る影もない商店街に、撃退士の表情に苦渋の色が滲んだ。
「まさか、こんなことになっているなんて……」
口元を手で押さえて雫(
ja1894)が小さく呟くと、黒井 明斗(
jb0525)がメガネを押し上げて言った。
「クロガネ・キシン(jz0356)さんに見せられた上空写真では、ここまでの惨状ではありませんでした。ハルシエルの仕業にまず違いないでしょう」
「あの腐れ天使……今日、ここで引導を渡してやりたいものですね」
と、Rehni Nam(
ja5283)が怒りをあらわにする。
「劇場の跡地はどうなってるのかな? ピラミッドは……?」
商店街がこの有様では、ちょうど街の中央に位置する劇場跡地がどういう状態にあるかわからない。そこには、ゲートが隠されたピラミッド型の建造物がある。不破 十六夜(
jb6122)の発した疑問に、龍崎海(
ja0565)が比較的落ち着いた声で言った。
「どうだろう、わからないな……。だけど、どのみち、ゲートを破壊するためにはそこに辿り着かないといけない。まずは、敵戦力をできるだけ削ぐために分散しているサーバントを倒そう。何とか天使と遭遇する前に殲滅するんだ。ピラミッドを中心点にして、外周から時計回りに円を描くようにゲート目指して進んでいけば、一匹づつでも確実に叩けるはずだ。天使もサーバントもどこに潜んでるかわからないから、みんな警戒を怠らないように気を付けて」
軽く頷いた明斗が言う。
「僕は後方支援に回ります」
彼は、先の大規模作戦で負傷していた。
万全であればと、口惜しそうに唇を噛む明斗をマリー・ゴールド(
jc1045)が心配そうに覘き込めば、すぐに朗らかな笑みが返ってくる。
「心配には及びません。必ず全員で勝って帰りましょう」
明斗の淀みない眼差し。撃退士たちは己を鼓舞して、敵地に踏み入れた。
●動く盤上
まだどこかで破壊の爪あとが響いているのか、ガラガラと建物の崩れる音が聞こえる。道路のあちこちに散乱する瓦礫、倒れた建物群が折り重なって道を塞いでいる。そのせいで、一行はコンクリートの塊を乗り越えて行かねばならない。視界を妨げるうえに、足場は最悪。その上、いつどこからやってくるかもしれない敵襲への警戒も怠れない、かなり不利な状況だ。
武装した7人は、前衛、中衛、後衛で役割を振って、道なき道を進んでいた。前を行くのは、索敵を任されたマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)と、生命探知組の海と雫、続いて左右を警戒する十六夜とRehni、最後に索敵も兼ねた後方支援組の明斗とマリーという順で行く。
交代制で生命探知を使い、辺りを慎重に探る海に、後ろをついていた雫が質問を投げかける。
「聞いた話だと、サーバントはかなり強力な幻覚作用を持っているらしいですね。天使にも遭遇したとか?」
「ああ。危うく、犠牲者が出るところだった」
海は答えて、前方を行くマキナを見る。彼女は黒焔の翼をもって飛翔し、炎を散らしながら敵の有無を視認すると、傍に降りてきた。
「何もいないようです」
「よし、じゃあ、このまま進もう」
海が、後方を警戒する明斗とマリーに視線を送ると、合図が帰ってくる。今のところ、辺りに異常はないようだ。
「ハルシエルの攻撃は、二又槍による旋風だけなんでしょうか?」
続く雫の質問に、口を開いたのはマキナだ。彼女は静かな口調で淡々と説明する。
「私が彼と対峙した時はそうでした。見た目はまだ幼い子どもですが、力は相当なものです。ただ、人間のことをオモチャだと言って遊んでいるようなところは、年相応に見えましたけど……」
「オモチャ、ですか……。一番怖いタイプですね。悪意を持たずに残酷な事を行う純粋な子供は」
「ええ」
そこまで言って、マキナは口を噤んだ。彼の槍で抉られた脇腹にそっと手を当てる。ほんの少し空気が重たくなったのを感じて、雫はそれ以上何も聞かなかった。
「ん? Rehniさん、さっきから何やってるの?」
と、十六夜は急に足を止めたRehniに聞いた。彼女は、度々、立ち止まると半壊したコンクリート壁や大きな瓦礫に何かをしている。十六夜は気になって、彼女の背中から顔を覘かせると、コンクリートに傷をつける彼女の手元を見た。そこには、×印が刻まれていた。
「目印を残しているんですよ」
「目印?」
こくりとRehniは頷く。
「ここにはもう地図はない。道もないし、目立つ道路標識も建物もない。辺り一面瓦礫で、どこをどう進んでも同じような光景が広がってる。だから、迷わないようにこうして印をつけておくんです。そうすれば、一度通った道かどうかがわかるから」
「なるほど」
と、十六夜は関心したように瞳を輝かせた。
「真っ直ぐに進んでるならともかく、渦巻きを描くように歩いてるから迷いやすいもんね、ボクたち。ねえ、次はボクにやらせてよ」
「いいですよ」
Rehniはにこりと微笑んだ。そこにガラガラと音を立てて、小さな瓦礫の破片が落ちてくる。少し、足の裏に振動を感じて、Rehniは言った。
「きっと、どこかでまた何かが崩れたんですね」
2人は、小走りで開きかけた前の3人との距離を縮める。振動はしばらくすると静まった。
マリーは時折、陰陽の翼を用いて上空に上がると、崩れた建物の影から後方を見た。こうして移動する間に、敵もまた動いているかもしれない。背後から奇襲されてしまえば、後方支援どころではなくなってしまう。前衛と密に合図を交わして、マリーは、マキナ同様、頻繁に飛翔していた。
「マリーさん、そんなに飛ぶと、敵と遭遇する前に疲れてしまいますよ」
明斗が声を掛けると、物陰に隠れていたマリーは、振り返って照れくさそうに笑った。
「ゲート戦は初めてで、ちょっと緊張してるです」
明斗の傍へ降り立つマリー。丸みを帯びた小石を踏みつけて、足が滑る。
「あわわ」
危うく体勢を崩し転びかけた彼女を明斗が慌てて支えると、咄嗟に彼の体にしがみついたマリーは、顔を上げて「えへへ」と表情を緩めた。
その時、
「あれ? ちょっと待って!」
と、前方で声が上がった。十六夜が当惑した表情で立ち尽くしている。瓦礫の中に何かを見つけたのだろうか、Rehniも十六夜と立ち並んで、じっと崩れた壁を見つめていた。
「どうしたんですか?」
ひょっとしたら、敵に繋がる重要な手がかりかもしれない。駆け寄ると、全員がRehniと十六夜の元に集合していた。
「ねえ、見てよ、これ。さっき、ボクがつけた×印なんだけど」
そう言われて、十六夜が指差すところを見ると、そこには、言われた通り、×印が刻まれていた。彼女は続ける。
「実は、ボクたち、こうして時々、迷子にならないように、目印をつけてたんだ。なのに、また1つ新しい印をつけようとしたら、ほら、もうつけられてる」
「どういうこと?」
マリーが首を傾げると、
「つまり、ここはもう既に通った場所だってことか」
と、海が代わりに答えた。
「ぐるぐると目測だけで歩いていたから、きっと知らず知らずのうちに同じところを歩いてしまっていたんだろうね。気にせず進もう」
みな頷いて歩き始める。誰しもが海と同じように感じていた。そういうこともあるだろう。しかし、再び立ち止まる。やはり、声を上げたのは十六夜だ。
「おかしいよ。ここにも印がつけてある」
見れば、先程と同じような×印。
「確かに、お2人がつけた印なんですか?」
そう明斗が聞けば、Rehniは間違いないと言う。
「だけど、全く同じところを歩いているなんて……。ちゃんと意識して進んでいたつもりだったのですが……」
と、雫が心配げに海やマキナを伺った。
「私たちも気を付けていました。特に私は先頭なので」
マキナもそう答える。
「念のため、この×の横に別の印を刻んでいきます。そうすれば、はっきりするでしょう」
不安を払しょくするようにRehniがそう言った。
ぞわぞわと胸が騒めいて仕方がない。不穏な流れに得体の知れない恐怖を感じる。みな押し黙って、今まで以上に視界に入る全ての物をつぶさに観察し、警戒しながら歩を進めた。しかし――。
「そんな……」
その印を目にしてRehniの顔が青ざめる。そこには確かに、×印の横に刻んだ彼女の印があった。
「どういうことなの? いくらボクたちが迷子になったっていっても、同じ場所に行きつくなんて、絶対おかしいよ」
「うん。もし、今までの×印がこれと同じものだとしたら、この場所に立つのはこれで3度目ということになるな。ぐるぐると同じところを回り続けているということに……。ぐるぐると……」
そこまで言って、海が顔を強張らせた。
「ど、どうしたんですか?」
思わず雫が訊ねると、海は蒼白した顔を伏せる。
「僕はこれを同じようなことを一度だけ経験したことがある。あの時、サーバントのクリオネと鉢合わせた時に――」
「まさか」
「やつらの幻覚の世界がちょうどこんな風だったんだ。同じ光景を繰り返す、何か変だとわかっていても、どうしても逃げ出せない、そういう世界」
「そんなはずは……。だって、まだ、サーバントとは接触どころか、その姿すら確認してないのに……」
眉をひそめる雫は、動揺を隠せなかった。海と同じ幻覚を味わったことのあるRehniは黙したまま。そこで、明斗が口を開く。
「まんまと敵の術中に嵌ってしまったということですか? だけど、腑に落ちません。クリオネに触れなければ、幻覚の世界には落とされないはずです。僕たちの知らない術があるのでしょうか?」
「こ、こうなったら、ゲート目指して突っ切るしかないよ」
十六夜が、今まで進んできた道とも、行こうとしている先とも違う、まるで別の方角を指さして言った。
「んむっ、そうです。行くしかないです」
マリーもそれに賛同する。
「そうだね。あらゆる手を試してみよう。そのうちに、攻略方法が見えてくるかもしれない」
不安を拭いきれないまま、一行はそこからは商店街の中心に向かって直進し始める。渦を描くのをやめて、今いる場所からピラミッドまでの道筋を一直線上に行けば、また同じ場所に行きつくことなどありえないだろう。
歩くうち、何度目かの地響きが耳に届く。撃退士たちは動きを止めて、辺りが静かになるのを待った。そして、互いの安全を確認し合ってまた移動を開始する。しかし、程無くして一行の足がぴたりと止まった。待ち受けていたのは、×印とRehniがつけた印。
「やっぱり、もうここは幻覚の中なのか……?」
海が上擦った声で呟く。サーバントや天使と一度も会いまみえることなく、このまま疲弊していくのか。言葉を失って立ち尽くす一同の中で、最初に口火を切ったのはマキナだった。
「あのずっと続いている物が崩れる音や揺れ、妙じゃありませんか」
「え?」
マキナの疑問に雫が思ったことを口にする。
「崩壊した建物がまだ不安定で、崩れ続けているんじゃないですか? それか、敵がどこかで破壊活動を続けているのか……」
「私も始めはそう思っていましたが……」
ふと、意を決したように、マキナは翼を広げた。
「みなさん、もう一度、前進してみてください」
そう言うと、彼女は空高く舞い上がる。
「そんなに高く上がると、敵の目に見つかってしまいます」
明斗が注意を促すが、それでもマキナは飛翔を続ける。
「きっと、何か考えがあるんだ。彼女を信じよう」
海を先頭に、踏み出す撃退士たち。物が崩れ落ちる音が聞こえてきても、止まるなと言うマキナの指示に従って歩き続けた。そして、行き着いたのは、同じ場所。上空でその様子を見ていたマキナが降りてくる。彼女は爛々とした金瞳を光らせて言った。
「思った通りです。これは幻影ではありません」
「一体、何を見たの?」
問われて、マキナは答えた。
「私たちごと瓦礫の山が動いていたんです。行く先々で同じ目印を見ていたのは、地形そのものが変化していたから」
「何だって!?」
驚きを禁じ得ない一行。と同時に、幻覚でないことに安堵を覚えて、緊張の糸がほんの少し緩む。
「幻覚に落ちたと思い込ませて、俺たちの精神力を削ぐのが目的だったのかな。だけど」
と、ここで新たな問題が頭を擡げた。
「これが敵の仕業である限り、動く盤上に立たされている俺たちは、永遠にピラミッドには辿り着けない」
「それだけじゃありません。この商店街から出られないかもしれません。何とか現状を打破しないと」
見えない敵を前にして、海と明斗が頭を捻る。すると、今度はマリーまでもが翼を顕現させて上空に身を晒し始めた。
「何をしてるんですか?」
驚く仲間の制止も聞かず、マリーは大きな声を出して叫ぶ。
「もうバレましたよー! 地面を動かしてももうむだですからね!」
唖然とする仲間を見下ろし、マリーは笑顔を向ける。彼女は叫び続けた。
「今からピラミッドにひとっ飛びです! もう同じ手は通用しませんからね!」
はっとする海。
「敢えて挑発して、敵をおびき出そうというわけか」
「いずれ、ぶつからなければならないんです。こうなったら、覚悟を決めましょう」
そう言って、Rehniは魔具を持つ手に力を入れる。生命探知で探りを入れる雫、途端に彼女の表情に緊張の色が増した。
「敵が、きます」
●クリオネ
ふわりと薄紅のクリオネが堰を切ったかのように姿を現した。その数、6匹。明斗が洋弓を放ちながら叫ぶ。
「囲まれてます!」
「いつの間に……!」
空中を漂いながら体を広げるクリオネ、さながら薄手のカーテンが広がるように撃退士たちを覆っていく。咄嗟に、水の烙印を使用して仲間に加護を与える十六夜。
ここで雫が、咆哮した。彼女の強烈な叫び声に怯んだクリオネが、びくりと体を堅くし、縮こまる。その隙を見逃さず、一斉に全員で攻撃を加える。1匹、2匹と、力を失った布きれのように地面に落ちていくクリオネ。敵の囲いが崩れたのを見計らい、十六夜がアイビーウィップで束縛する。
「今のうち! 早くここから抜け出そう!」
彼女の言葉を皮切りに、撃退士たちは一斉に走り出す。手中から逃れた彼らを、サーバントが逃がすわけがない。執拗に迫り来るクリオネの触手を薙ぎ払いながら、一行は素早く二手に分かれて、敵を挟み撃つ。
全身にアウルを循環させて、雫が再び咆哮を見舞った。先程とは比べようもないほど、小刻みに震えて収縮するクリオネ。攻撃を警戒するように1カ所に固まったそれをRehniの放った無数の彗星が襲う。
爆音が何重にも轟き渡って、空気も地面も激しく振動した。瓦礫は散り散りになって舞い上がり、砂埃とともに周辺を白く濁らせる。
静まり返る戦場。息を潜めて、撃退士たちは様子を窺う。
「終わったのか……?」
「……そのようですね」
ふっと詰めていた息を吐いて、クリオネの残骸を確かめに行く。ぼろぼろになった薄紅の物体が、瓦礫の下敷きになっていた。
「サーバントはこれだけでしょうか?」
「いや、わからない。まだどこかで俺たちを狙っているかも」
雫と海の会話を耳にしながら、十六夜がそろそろとクリオネの死骸に近づく。
「もう動かないよね。……間近で見ると、何だか炒める前のイカみたい。変なの」
一瞬、背後で、ずるっと、何かが地を這うような音がした。十六夜の背筋が凍りつく。突き動かされるように彼女が振り返ると、
「うわっ!」
風を纏った刀が、十六夜の目の前を掠めていった。十六夜を狙っていたクリオネの触手に突き刺さっている。刀が飛んできた方角に目をやれば、マキナが腕を振るったあと、彼女の投擲がクリオネの息の根を止めたのだ。
「ああ、危なかったよ。幻覚に掛かったら皆に迷惑を掛けちゃうからね。ありがとう」
「いえ、それより……」
と、マキナはサーバントを倒したというのに、一層険しい表情を浮かべている。
「どうしたの?」
聞けば、同じことを感じていたのだろう、明斗が緊張した面持ちで言った。
「あの爆音です。天使の耳にも届いているでしょう。僕たちの居場所はもうばれると思った方がよさそうです」
「全員で固まって動くのは目立ちます。二手に分かれるというのはどうでしょうか? どちらか一方が天使とぶつかっても、もう一方が無事にゲートを破壊できれば……。このまま全員でゲートを目指すより、作戦成功の可能性は高まると思います」
雫が自分の考えを表明するも、海が懸念を口にする。
「だけど、戦力を分散させるのは危険じゃないかな。ハルシエルの戦力は未知数だし、まだサーバントが残っているとも限らない」
「いずれ、奴がこちらに向かってくるはずです。ぐずぐずしている暇はありません」
「あっちにピラミッドみたいなの発見です!」
空からマリーの声がした。見上げると、翼を広げた彼女が嬉しそうに、その方角に向かって腕を伸ばしている。明斗はマリーに聞こえるように声を張り上げた。
「周りにサーバントの姿は見えますか?」
「ううん。何にも見えないです」
マキナ、続いて海もが、翼を使用して上昇する。マリーに教えられた方向に目を凝らせば……。
「確かにピラミッドだ」
ついでに、360度を見回す。空から目視できる範囲に、敵の姿はどこにも見受けられない。
「また地面が動かされるとも限らない。順番で、上空からみんなを導こう。ピラミッドを見張って、ちゃんと辿り着けるようにするんだ」
「わかりました」
「頑張るです!」
と、その時、
ゴリ、ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
激しい揺れとともに地響きが鳴る。今までのような小さなものではない。地上にいた4人は、突然の地震に悲鳴を上げながら倒れ込む。仰向けに倒れた明斗は、視界に入った空までもが揺れているように見えた。
上空にいた3人は、成す術なくその様子を眺めているしかない。まるで遊園地のコーヒーカップのように、区分けされた瓦礫の山が、ぐるぐると回転しながら移動している。雫、Rehni、十六夜、明斗を乗せた区分も、ピラミッドを乗せた区分も同じく回転し、そして、吸い寄せられるように2つは近づいていった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、ゴンッ……。
揺れが収まった。ずれたメガネを直して、辺りを見渡す明斗。突如、目の前に現れたピラミッドを見上げて、ただあんぐりと口を開く。
「一体、どうなって……?」
「いててててて」
「みなさん、お怪我はありませんか?」
「何とか……。それより、なんでここにピラミッドが? 今までずっと私たちを遠ざけていたくせに……・」
雫の心配をよそにRehniの頭の中は疑問でいっぱいだ。そこに、空から一部始終を見ていた3人が降りてくる。
「大丈夫か?」
「はい。全員無事です」
聳え立つピラミッドには、人1人が何とか通り抜けられるだけの空洞が口を開けて待っている。
「明らかに罠だな……」
「ええ。わかっています。だけど、行かないわけにはいかないでしょう」
瓦礫を積み上げただけの不安定な作り。この中で敵と鉢合わせて万一戦闘にでもなれば、ピラミッドは簡単に総崩れして、撃退士は間違いなく圧死しまうだろう。しかし、ゲートはこの中にあるのだ。恐怖と緊張と闘争心がない交ぜになった複雑な気持ちで、一行は真っ暗な穴の中に足を踏み入れて行った。
●ハルシエル
狭くて暗いトンネルはそう長くは続かなかった。そこを抜け出ると、巨大な空洞が広がり、天井に所々開いた穴からは光が漏れ、空間を明るく照らしていた。
「わざとこういう作りにしたんですね」
と、明斗。
「はなからここへ誘い込むつもりだったんでしょう。敢えて私たちを翻弄し、疲弊させたうえで……」
Rehniが気に喰わないとばかりに、むっとする。と、その時――。
バサッ……、バサッ……。
大きな羽ばたき音が、辺り一面に木霊した。ちらちらと撃退士たちの視界が陰り、はっとして、天井を見上げれば――。
「やあ。待ちくたびれたよ」
降り注がれたのは、笑いを堪えるような幼い声。優雅に羽ばたく真っ白な翼は、天井から降り注ぐ光に照らされて眩く輝いている。翼によって巻き起こる風が、彼の柔らかな髪を掬い、麦わら色をした波打つ毛は、風に舞うたびにまるで絡みつくようにして光を纏っている。
「ハルシエル!」
と、誰かが叫んだ。
ふふ、と不敵に笑いながら彼が腕を振り上げれば、その手に掴まれた二又槍の切先にぐるぐると小さな風が渦を巻く。細められたそのガラス玉のような瞳には、溢れる加虐心が揺らめいて、灰を帯びた空のように妖しさで一杯だった。
「やっぱり来たね。しかも、この前より多いじゃん。オモチャが増えて嬉しいよ」
「覚悟するんだ、ハルシエル!」
「ハルシエル様、でしょ? ちなみにゲートはあそこだよ」
ハルシエルが示す方を見えれば、そこにはピラミッドへ入ったときと同じような穴が開いている。
「あのトンネルの向こうさ。くっふふ。行ければの話だけどね……。さあ、こんなに僕を待たせたんだ! 楽しませてくれるんだよねぇ?」
そう言って、ハルシエルは力一杯、槍を振り下ろした。ごうっと、巨大な旋風が龍のように襲い来る。凄まじい強風に、踏ん張るも体が浮いてきてしまう。肉を削がれるような痛みに思わず叫ぶ。
「きゃぁあああぁぁああ!!」
抵抗空しく吹き飛ばされ、空中で揉みくちゃになりながら、地面や瓦礫でできた壁に叩き付けられる。早くも崩れ始めた脆いピラミッドの内壁が、ばらばらと、倒れ伏した撃退士の体に落ちてくる。
「あっはははははははは!」
頭上に響く甲高い子どもの笑い声。
「本当、脆いんだから!」
旋風は十六夜とRehniに直撃していた。Rehniは浮遊する盾で辛くも防いだが、十六夜が負傷している。慌てて神の巨兵を使用するRehniが、なぎ倒された仲間の回復を図る。
雫が何とか体を起こし、十六夜の元へと駆け寄る。抱き起すと、弱弱しいながらもはっきりした口調で十六夜が言った。
「ボクなら大丈夫……、まだ戦えるよ……」
「やつを地面に叩き落すんだ! 本体が駄目なら、槍だけでも……!」
海とマキナが飛翔し、ハルシエルに向かって行く。
「僕と空中戦でもしようっていうの? ふん、そんな紛い物の翼で本物に勝てるわけないだろ?」
再び振り上げた二又槍を、海が同じく槍で叩く。そこへ、マキナが鋭い一撃を放つが、うまく二又槍で防御されてしまった。激しい魔具の打撃に、ハルシエルの二又槍が重低音を鳴らして振動する。その揺れに、腕を持っていかれた天使は、
「くっ」
と、顔を歪ませた。
「腕力はそうでもないんだな」
海の挑発に、かっと目を見開くハルシエル。そこへ、ひゅんと空気を裂くような音がして、ハルシエルは力を込めて羽ばたいた。明斗の放った矢は、天使に当たることなく叩かれ、海とマキナは強い風圧に後退する。
明斗は、連続して矢を放ち続ける。正確な狙いは天使を確実に翻弄した。その隙に、マリーが炎の烙印を施し、仲間の強化を図る。再び、天使の懐に飛び込む2人。海が繰り出す掌底と、息を吐かせず続くマキナの流れるような一撃が、ハルシエルの手から槍を叩き落とした。
「ううう……もう許さないからな!」
そう言うと、ハルシエルは声を限りに叫んだ。
「来い! 僕のお気に入り!! っふふ……あっははははは!!」
怒り狂っていたハルシエルが、突如、笑い出した。その美しい瞳をぎらつかせて地上に降り立つと、体を揺らして、なお笑い続けている。すると、ゲートがあるという穴から何かが出て来た。薄紅をした半透明の物体が、すうっと滑るように地表を移動すると、ハルシエルを包むようにして立ち上がる。
「ク、クリオネ!? 何て、大きさだ!!」
巨大なサーバントは、天使の体を完全に自身の中に包み込んでいる。ハルシエルはほくそ笑んで言った。
「こいつには特別にゲートを護らせていたけど、もういいや。ここで全員やっつけてやる!」
そして、クリオネが一瞬、体を左右に揺らしたかと思うと、太く長い触手がこちら目がけて飛んできた。すれすれのところで交わす撃退士たち、しかし、
「あっ! マキナさんが!」
最も天使の近くいた彼女が囚われてしまった。
「これじゃあ、迂闊に手を出せない。何とかして切り離さないと」
すると、雫が言った。
「あの巨大なクリオネに守備を任せていたということは、ゲートは今、無防備なのでは? ゲートを破壊するなら今です!」
「よし、ゲートは君に任せた」
「僕が援護します」
と、明斗。海は頷いた。
「俺たちで奴を惹きつけるから、その間に!」
海は、黒鉄の糸をクリオネ目がけて投げつけた。目に見えないほど細く頑強な糸が、マキナに絡みついた敵の触手を容赦なく切り裂く。べちゃっと、マキナの体ごと音を立てて落ちるクリオネの一部。そこを見計らって、雫と明斗が、ゲートに向かって駆け出した。
「行かせると思うわけ?」
クリオネにゲートの入り口を塞ぐハルシエル。
「はははっ! 馬鹿な奴ら!」
海がマキナの元へ駆け寄る。クリオネに触れられた彼女は完全に幻覚の中に落とされていた。ぼんやりと目を開き、どこぞをじっと見つめている。薄紅の肉片からマキナの体を掻き出すと、海は素早くクリアランスを使用して、幻覚の世界から彼女を救い出す。
その間、マリーは、敵を惑わせるために奇門遁甲を発動させていた。方向感覚の狂ったクリオネは、滅茶苦茶に触手を伸ばし振り回してくる。その中を掻い潜り、マリーは炸裂符を投げつけた。爆発するクリオネの体。ついで、十六夜のサンダーブレードがクリオネを麻痺させ、そして、ここぞとばかりにRehniが大量の彗星を降らせる。
「今です! 行きましょう!」
大破する巨大なクリオネを見て、雫に合図する明斗。2人は降り注ぐクリオネの肉片を避けながら、ゲートへの穴に突入していった。
●ゲートコア
「よくも! よくも! 僕のお気に入りだったのにぃいい!!」
ハルシエルは、足元の肉片をぐちゃぐちゃと踏みつけると、翼を広げて飛翔した。
回復したマキナが闘気解放すると、ハルシエルを追って舞い上がる。それに、翼を持てるマリーと海も続き、敵と向かい合って魔具を構えた。
「ふん、槍がなくったって、僕は最強なんだから!」
ハルシエルは翼を大きくしならせると、物凄い勢いで突っ込んできた。まるで切れ味のいい刃物のように、手のひらを突き出してくる。轟音とともに巻き上がる旋風、二又槍の時ほどではないが、威力は絶大だ。海とマリーは魔法書を開いて、攻撃をする。人間より遥かに飛行術に長けたハルシエルには、なかなか当たらない。時折翼を畳んでくるくると旋回しながら、彼は四方八方からの攻撃をものの見事に避け切っていく。隙を伺い、Rehniが星の鎖でハルシエルを縛るが浅い。
「何だよ、これ。邪魔だ!」
彼から繰り出される旋風をRehniは真面に受けた。海が慌てて彼女の元に降り立ち、ライトヒールを当てる。
「あっははははは! あっははははは!」
高笑いをするハルシエル。マキナが拳に力を入れた。
その頃、ゲートの内部に侵入した2人は、コアに向かって急いでいた。そこは、オモチャだらけで足の踏み場もない。オモチャは、無造作に天井まで高く積み上げられ、歩を進めるたびに崩れ落ちてくる。
「きゃっ」
と、雫が手をついた。
「大丈夫ですか?」
「はい。ちょっと足が埋もれてしまって……」
2人は懸命にオモチャを掻き分けて行くが、行き着いた先はオモチャの壁。必死になって、オモチャを崩すも現れたのは行き止まりだった。
「どういうことでしょう?」
「もしかして、コアはオモチャの中に埋もれているんじゃないんですか?」
「え? この中に?」
2人は顔を見合わせた。今は、ゲートの外で仲間が天使と戦っている最中だ。考えている暇はない。雫と明斗は黙って、オモチャの山を掘り始めた。
空中で激しくやり合うハルシエルとマキナ。マキナが素早い連撃を繰り出せば、ハルシエルは巧みに交わしてマキナの首に狙いを定めて手刀を振り下ろす。マキナは咄嗟に体を後ろに傾けるも、翼を振って彼がぐっと懐に踏み込んでくる。
「遅いんだよ!」
と、そこへ、背後に回ったマリーが炸裂符を見舞い、十六夜が地上から思い切りサンダーブレードを放った。爆音が鳴り響き、黒い煙の中から、苦しそうに顔を歪めたハルシエルが姿を現す。
「やったです!」
「これで2度目だね。直接戦うのは苦手でも、キミの邪魔をする位は出来るんだよ」
思わず喜ぶマリーと十六夜。マキナは最後の一撃とばかりに拳を突き上げ、煙の中に突っ込んでいった。
「あった! コアがありました!」
明斗の感極まった声を聞いて、雫が走る。そして、有無を言わさず、アウルを1点集中させるとコアに向かって解き放つ。彼女の地すり斬月がコアを木端微塵に貫いた。
突然、ハルシエルが胸を抑えて、動きが止まったかと思うと、ぐらっと態勢を崩して落ちてきた。頭から落ちてうつ伏す。
恐る恐る近づくとハルシエルはすでに絶命していた。白かった翼はぼろぼろで、黒い煙に焚かれて煤けてしまっている。何だか信じられないといったような、茫然とした彼の形相。まだその頬には赤みが差していて、今にも息を吹き返しそうだ。見開かれた彼の瞳には一体何が移っているのだろうか。その表情は、まるで永遠に解かれない幻覚の世界にでも落とされた者のようだった。
「終わったんですね」
と、ほっとした顔でRehniが呟く。遠くで、
「みなさん、ご無事ですか?」
「やりました! やりましたよ!」
喜びに打ち震えた仲間の声が響いていた。