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「……ここか。この場所を選ぶわけね」
神埼 晶(
ja8085)は辺りを見回す。
ここは春夏冬最愛の人の最期の場所。アデレイドが死んだ場所。
「広い廃病院、何があるかわからないから気をつけないと」
索敵で辺りを注意して探す木嶋 藍(
jb8679)。
「もし、ここで春夏冬さんに会えたらどうしたいですか」
「あいつに会えたら……」
はぐれないように注意して壁沿いに進んで攻撃に備える五十鈴 響(
ja6602)は何気なくを装い、小鳥遊の調子を伺いつつ訊ねた。小鳥遊の調子は芳しくなく、言葉尻は弱い。
「小鳥遊さんにしたことを思うと春夏冬さんは、小鳥遊さんのことを一番気にかけてるかと。正気に戻す望みがあるとすれば、小鳥遊さんではないかと思うのです」
「私?」
「そうです。とにかく、春夏冬さんを見つけましょう」
廃墟となった病院内は仄かに暗かった。夕方の光と闇が混ざり合って、廃墟は深夜よりも深い闇を作り出しているようにさえ感じた。きっとここには深淵に繋がる穴があり、落ちたら二度と帰ってこれないような、気の遠くなるような闇。
不気味な寂寞の空気を切り裂き、こちらに飛来するものが一つ。飛来した何かは杭のそれであり、小鳥遊の腕を掠って壁にめりこんで消滅した。
短いうめき声が無意識に出たと同時に、小鳥遊は己の身が急激に重くなったことを感じた。下手に身動きが取れず、その場に留まってしまう。
襲撃者。
皆が身構えるのも長くはなかった。
「十時の方向です!」
弾道から襲撃者のおおよその位置を割り出した雫(
ja1894)が叫ぶ。
誰もが身構える煙の中。十時の方向から煙を纏って出てきた人物。
春夏冬。真の名をライオネル・アントワーヌ。
二度目のこの光景に、小鳥遊は言葉すら出なかった。何故、また自分達に牙を向けているのか。
「やあ、イヴリン」
そして二度目は、声を発した。春風の如き極めて穏やかな声音は、されど不安を齎す恐怖のそれ。思い出すのはあの路地裏での出来事。気道が締まり、まともに息ができない。
「元気にしていたかい」
「アッキー、ねえ、アッキー!」
神埼は呼びかけるも、春夏冬は一向に攻撃の手を緩めない。距離を詰められる事のないように神崎はリボルバーでの射撃を続ける。
悟った。春夏冬はバロックの毒に感染している。それも先の芳村達と同様のものではない。もっと強烈なものだ。
「おいおいどうした、お前らこんなに集まって」
一気に距離を詰めた春夏冬を何とかシルバーレガースによる蹴り技で反撃した神埼は、そのまま距離を取って再びリボルバーを取る。
毒に感染されただけではない。身体能力までもが強化されているようだ。
だが、だからと殺す訳にはいかない。あちらはこちらを殺せるが、こちらはあちらを殺せない。その事実に何とも言えない歯がゆさを感じながら、神埼は味方とタイミングを合わせてアシッドショットを撃つ。
動く春夏冬の両手足に当てるのは至難だが、幸いにも春夏冬は右が見えない。右目がないからだ。お陰で右側に回りこめば死角を容易に突ける。
「追ってきます、屋上に誘い出しましょう」
ワープで春夏冬の後ろ上方へ移動した五十鈴が、妖精の書が発する光の玉で迎撃する。
「結局、あなたは攫われているのね……一人で抱え込もうとする癖に、ちょっと弱すぎよ。いい加減になさい」
闇の翼で飛行する麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)は、あえて見える右側へ回り込む。
「大丈夫よ小鳥遊ちゃん。あのまるで成長してない駄目男を、ちゃんと連れて帰って説教してやりましょ」
昨年、あの場に立ち会ったオルフェウスだからこそ分かる事があった。想像できる立地、春夏冬の動きや立ち回りを味方に伝達した彼女は同時に、毒に感染している状態なので前回の手加減は期待できない事も注意していた。
事態は最悪に近い。痛覚を遮断されている場合も踏まえ、物理的に止めることも辞さないといけない場合が出てくる可能性もある。
味方の攻撃が通りやすいように立ち回るのは彼女ならではの動き方であった。前回の動きを参考に、状態異常を発した仲間はフォローし合えるようにしなければならない。
(全く……同じ道を同じように歩かせるなんて、趣味が悪いわ。……ほんまに)
だが、春夏冬は殺させない。誰にも、そして春夏冬自身にも。そして真に気をつけるべきは小鳥遊である。バロックの狙いが何かわからない以上、小鳥遊に狙いを定められてる場合も考える必要があった。
「ようやくお会いできましたね……」
「俺は君の事を知らないが、随分と心待ちにされていたようだ」
詳細を問うのはとにかく後だ。ルチア・ミラーリア(
jc0579)は神埼をカバーしつつ、着かず離れずの距離からアンドレアルファスの矢を放つ。距離とタイミング、諸々の事を見計らいながら春夏冬ににじり寄る。孔雀の飾り羽が揺れるたび、光と闇が混ざり合う矢が番われた。
「恐らくは、小鳥遊さんへの感情が毒化されたのですかね」
アウルの絵の具によるボディペイントで気付かれぬよう煙に紛れて春夏冬に接近し、死角の右側から攻撃を開始する雫。
雫の全身を巡るアウルが、邪神をその身に宿したか如く魍魎のような形を成す。し武具に宿った力は禍々しく紅い光を放ち、そのまま顎へ攻撃を仕掛ける。殺さず、動きを止めて行動不能に持ち込ませるには手っ取り早い場所であるからだ。
「状況は最悪に近いですね……」
「春夏冬さん、春夏冬さん! 目を覚まして!」
雫から刻印を付与された木嶋。春夏冬の目を引くように陽光の翼で飛びつつ、眼帯している右側から素早い射撃を繰り返しながら急所以外を狙って行動能力を削いでゆく。
「目を覚ます? 何から」
ただし、それらを全て甘んじて受ける春夏冬ではない。時には回避し、時には受け止めながら、猛烈な勢いで廃墟の中を戦いながら移動してゆく。
廊下を疾走し、階段を駆け抜け、銃弾が入り乱れる中で辿り着いた先。
屋上では体毛の黒いフェンリルが待ち構えていた。エーリカと名付けられた、青色の瞳を持つ雌のフェンリルは長田・E・勇太(
jb9116)が召還した獣。
会話は他の仲間に任せ、成り行きを見守り、仲間に危害が及ぶようなら攻撃を行うつもりでいた。何故ならば、長田は屋上がスナイパーライフルの射程に入る場所に待機し、身を潜めて春夏冬の出方を伺うからだ。
フェンリルは囮だ。狙撃のため、足止めとして春夏冬を攻撃させる。
「足元が甘いナ」
スナイパーライフルで春夏冬の腿の辺りを打ち抜くように狙いを定めて撃つ。
「気付いたカ」
長田は武器をクラルテに変え、廃病院の闇に溶け込んでゆく。
院内ではミラーリアが威圧のオーラを放ちつつ、サーベルに持ち替え突撃。
春夏冬の死角である右側に回り込んだが、それを想定して罠を用意している可能性がある。警戒しながら曲線的な軌道を描き、近距離戦での戦いを挑む。
「遊撃軍仕込みのサーベル突撃、お見せしましょう、春夏冬さん……」
なんだかんだ久しぶりの軍人との戦闘だ。顔には出ないが、昂りのようなものがある。
「貴方を案じ、待っている方がいます。少々手荒に行かせて貰います……!」
実行可能かはさておき、縛ってでも連れ帰るつもりである。
聖なる刻印、ドレスミストを使用した数多 広星(
jb2054)が、アウルの力を足に込め、目にもとまらぬ速さで春夏冬へ攻撃を繰り出して先手を取る。
「本当は正面から死合たいけど、また今度」
遮蔽物に身を隠しながらヒットアンドアウェイを繰り返して精神的圧迫を加え、影縛りの術やスタンエッジを使って着実に足を止めてゆく。
アウルを全身に薄く纏わせ、ハンノキを想い気と同調させることでアウルの護りを厚くし、杭から身を護る五十鈴。激しい風の渦を巻き起こして朦朧させ、拘束を狙う。
「何だ、手加減か」
呆れた声。
杭の雨が降る。
向かってくる杭のリズムを瞬時に把握して踊るような華麗な回避を披露し、それでも避けきれない杭を身の肉体を硬化させて受け止める数多。
「……いいねえ。愉しいよ。もっとだ。お前の狂気、味わい尽くしてやる」
封砲を春夏冬の足元へ撃ち、床ごと崩す。
崩れてゆく中で、再び杭の雨を降らそうとする春夏冬。だが、それを雫のダークハンドによって阻止され、拘束されてしまう。
「ははは、そうきたか」
乾いた声音で、瓦礫と共に階下に転がり込む春夏冬。ダークハンドによって動かないかのように見えるが、そうと決まった訳ではない。
だが、そんな春夏冬に近付く者がいた。
「危険よ、藍!」
木嶋である。
「そうだとしても!」
強く言い返した木嶋は、僅かな静寂の後、少し振り向いて小鳥遊に微笑みかけた。
「危険だとしても……まっすぐ目を見て伝えるよ。例え操られていたって、伝わるものはある筈なんだ」
春夏冬の指先から一メートルも離れていない場所に立ち、木嶋は叫ぶ。
「ねえ、春夏冬さん、私達と、帰りましょう。こんな寂しい、つらい所に居ないでください。 あなたを待ってる子がここにいるの。泣くのを我慢して、ずっと頑張ってるんだよ! 目を覚まして!!」
小鳥遊は、十分に子供になれぬまま大人になろうとしている。
彼女が常に肩肘を張って生きているのがその証拠であり、だがしかしここまでやることができたのはひとえにも春夏冬が隣にいたからだと木嶋は考える。
「戻らないなら……小鳥遊ちゃんにいい人紹介しちゃうんだからね! お兄さんなら心配じゃないの!? 小鳥遊ちゃんだってそうだよね、声をあげて!」
バロックの呪いがわからない以上、春夏冬の目を見れば操られる可能性がある。それに、距離が離れていても呪いの効果は変わらないと思われている以上、バロックが近くにいる可能性も低いのだが否めない。
それでも構わない、傷つけられても引かない。 伝わるものがあると信じている。
「どうしてこんなに辛い思いを繰り返さなくてはいけないの? 誰だって幸せになれる。春夏冬さんに幸せになってほしい。呪いなんて、吹っ飛ばしてやろうよ!」
「貴方が最初にイヴリンさんに感じたのは親愛と同情だと思います。互いに支え合う内に同情が愛情に変化していったのではないですか?」
どの様な毒を感染させられたかを推察する雫。
「バロックと出会うまで、貴方は本当にイヴリンさんとアデレイドを同一視していたと言い切れますか? 二人に似た所を見たかも知れない。でも、それ以上にイヴリンさんにしかない所を見つけて好きになったのではないですか? 心に湧く悪意を無視してイヴリンさんの事を思ってみて下さい。悪意が晴れるかも知れません」
「アッキーさぁ。生き続けるんじゃなかったの? アデレイドさんのために。それがそのザマじゃ、アデレイドさんはどう思うかしらね? イワノビッチが墓の下で笑うわよ」
神埼はかつて春夏冬がアデレイドに言った言葉を思い出す。
『例え世界中全ての人間が君を赦さなくても……アデレイド、君はこのライオネル・アントワーヌが愛そう。俺という人間は、その為に生きている。これからも……そうして生き続けるんだ』
あの言葉が本物であるならば、バロックの呪いなどに苛まれて終わる程度のものなのか。
「そうだよ、小鳥遊ちゃんも!」
木嶋に促され、ゆっくりとだが春夏冬の目の前に歩み出た小鳥遊。
長い道程だった。
どれだけの苦痛と、辛酸と、孤独を味わってきただろうか。
アデレイドは世界だった。春夏冬も世界だった。
もう既に半分が崩壊してしまった世界が、もう半分も崩壊しようとしているこの恐怖を、黙って体を動かして誤魔化した。
「あんたっていっつもそう」
生きて出逢えたら最初に何を言おう。前向きにそんな事も考えた。何度も文脈を練り、言葉という言葉を推敲した。
それでも出てきたのは、極めて日常的な言葉である。
「一人でそうやって抱え込んで爆発させて……馬鹿みたい。今の私はあんたの妹分じゃないの。あんたの部下なの。それすらわからない訳? 軍人失格なんじゃない? わかる? 部下はね、上司がいないと何もできないのよ……」
言葉を発するたびに零れるのは涙。
泣く予定などなかった。予想もしていなかった。
「姉さんが死んで、あんたまでいなくなっちゃったら私、どうするのよ。どうすればいいのよ」
そして、十八歳の少女の気持ち。
「私を一人にしないでよ、ばかぁ……」
生まれてこの方、頼れる者が限られてきた、不器用で寂しがりやな天才少女の、その心。
誰も動けぬ静寂が途切れたのは、ある男の笑う声であった。極めて自嘲的なそれは、僅かな音声で聞こえてきた。
「馬鹿だなあ、俺……」
春夏冬である。これまでにあった一切の邪悪さが抜けた顔で、ただ空を見上げている。
「アッキー、大丈夫? 正気に戻って!」
「ああああ痛い痛い揺さぶるな! 正気だよ……多分」
言動から、恐らくは正気に戻ったのだろうと判断する神埼。
「ひどい事を言ってごめんなさい。まぁ、アレよ。ショック療法ってヤツ?」
「大丈夫だよ。多分、ちゃんと効いたから。それに……酷いことしたのは俺なんだろうし」
「でも、この場所を選んだんだから、当然なんとも思ってないわけないよね?」
「いや……俺はこの場所を選んでなどいないが」
「へ、どういう事?」
急いで仕切りなおすように、五十鈴が提案する。
「一度学園に戻りましょう」
辺りを見回す。自分達の他に気配、それこそバロックの気配は全く感じられない。
「そうだな、バロックは……今はここにいないようだ」
「わかるの?」
「ああ。何となくだがな」
小鳥遊の問に答えた春夏冬。どこか釈然としていないのは、バロックの毒に感染したという事実をまだ受け入れられてないからか。
「バロックがここにいないなら、学園の方が落ち着いて話せると思います。それにこの前、春夏冬さんとバロックとに会った追跡班が私たちを襲ってきましたが、正気に戻っても記憶がなかったので……」
五十鈴の言う通り、春夏冬の記憶も曖昧であった。いくら思い出そうとしても甦るのは断片的な映像のみで、自分がどういう事をしてしまったのかが理解できない。
「毒を持って毒を制す、という訳にもいかないのでしょうが……毒というなら、解毒の手立てがある筈なのです。毒にのまれないで、抵抗しないと意識があるならそれができるのではありませんか? 操り糸を解すのに力になりたいと皆が思っています」
「そうか……そうだな」
自覚のない当事者として胸の中に抱える、釈然としない気持ち悪さ。
しかし、今それをどうにもすることはできない。学園に帰るしかない。
僅かな違和感と共に、春夏冬は何とか立ち上がった。
失くした筈の右目が笑う。
その影に深緑の闇を湛えながら、ゆるやかに前哨戦の終わりを始めていた。
【続く】