◆
猛烈な速度で、空にまばらに散った雲が流れてゆく。埃や煤が薄く積もったビルの屋上に、疾走と跳躍の足跡が付いた。
「若生社、ですか……なんとも迷惑な方々ですねぇ」
深い溜息を吐くRehni Nam(
ja5283)。
(教育的指導、は私刑になっちゃいますし……やっぱり警察か撃退庁に引き渡し、でしょうね)
とにもかくにも、まずは追いかけられている二人を何とかフォローする所から始めなければならない。
「須藤さん、また追いかけられてるんだ……」
それも今の立場だと仕方ない事なのだろうと蓮城 真緋呂(
jb6120)は思い至る。
(ちゃんと我慢して諸々考えて
何より、学園を頼ってくれた事が嬉しいわよね……)
というのは黙っておこう。
「ともかく、無事に何とかしなきゃね――須藤さん、聞こえる?」
『ああん? お節介か?』
「真緋呂よ。……今から指示通りに走って。途中、仲間がフォロー入れるし、私が確り誘導するから任せてね!」
タブレットやスマートフォンを用いて、蓮城と共に場所の選定を行っている一人はRobin redbreast(
jb2203)。
須藤の発信機で現在位置を確認しつつ、発信機から得た位置情報から、近くに戦闘に適した屋上がないかを急いで探す。WebMAP、航空写真、住宅地図、ありとあらゆる地理的情報を掛け合わせ、目ぼしい建物に印を付ける。建物の情報が表示されたポップアップが、水面から沸き立つ泡のように現れては消えてゆく。
目当ては廃ビル、建築中のビルなど、普段封鎖されてる屋上だ。
「ねえルスラン、若生社からあとどれくらいの間逃げられそう?」
『単純に逃げ回るだけなら、お前たちが望むくらいの時間くらいは作れる』
「そっか」
そしてredbreastの隣でタブレットを操作して場所の選定にあたる五十鈴 響(
ja6602)は、コッペリウスに声をかけた。
「コッペリウスさん、また変なのにあたってしまったのですね」
『ぼく変なものは食べてませんよ〜?』
ハンズフリーの状態で聞こえてくる五十鈴の言葉を斜め下に解釈しているコッペリウスであるが、そう言える余裕があるのだろう。
「でも運良く助かって良かったです。皆で協力して、須藤さんとコッペリウスさんをこの状況から救い出しますから、もう少しです」
若生社は犯罪組織と聞くから、捕まえたら警察に引き渡せると良い。
「アウル覚醒者の犯罪結社か。練度が低そうとは言え、一般人にとっては脅威だ……日頃から恐喝等でシノギをあげているのだろうか」
とは言え、ファーフナー(
jb7826)の記憶に若生社なる連中は掠りもしなかった。
「うん、じゃあここに来て」
場所が決まれば一同は須藤達が来る前に指定した屋上へ向かい、先回りして待機。先鋒と後詰に分かれ、後詰であるRehni、五十鈴、ファーフナーは、ビルの所有者に断りを入れつつ、出番があるまで遮蔽に身を隠す。
「さて本格的に騒ぎになる前に……」
駆ける鳳 静矢(
ja3856)が目撃者の通報等で事が大きくならないよう周辺の警察や撃退署へ連絡。状況説明を行っていた。
須藤は特殊な身分である。穏便に事を済ませるべきという鳳の判断は妥当であった。通報等あっても大騒動にしない様にと言う事と、若生社捕縛後の速やかな引き渡しが可能となるように配慮を回す。
「覚醒者同士の事件ですがやってる事は当たり屋と恐喝ですので捕縛後に其方で対応を願えませんか」
ビルとビルの間を飛び越える鳳の手には覚醒者捕縛用のロープ。
須藤達を追走するルートで走り、若生社の背中を追う。
視界の一番向こうで若生社を捕らえた瞬間、狙いを定めるためにリボルバーを構えるも、飛び越える瞬間であったせいで撃てなかった。若生社が転落し、戦闘が地上にもつれ込むのは避けたいからだ。
数や装備からして、いきなり攻撃を仕掛けた場合はこちらが犯罪者になりかねないと判断したredbreastが警告を呼びかける。
「なんで追いかけてくるのか分からないけど、武器を締まって理由を教えてもらえるかな?」
「なんじゃボケ! 須藤出てこんかい!」
「決裂か……ルスラン、後ろに下がってて」
襲い掛かる三人。こうなれば周辺に流れ弾が飛来せぬように気をつけながら戦うしかないだろう。そう考えたredbreastの前に鳳が現れ、納刀状態で三人を軽くあしらう。
「杜撰な動きだな。この程度ならば簡単に潰される訳だ」
言葉が通ずる距離にまで来た鳳が挑発を交えた注意を自身に向かわせ、ごく単純に捕縛を試みる。
「あんだとコラ!」
「所詮お前たちの様な輩は不利な状況の相手しか追い回せないのだろう? そうでないなら私に傷一つでも付けてみるがいい」
愛刀の天鳳刻翼緋晴を抜く。白鞘に描かれた紫の鳳凰が鳴き、刃がぞろりとした輝きを放つ。無論、手加減はして行動不能に出来る程度に抑えるつもりだ。
鳳が注意を向けている間に、若生社から須藤とコッペリウスを庇うように立ち翼を展開したファーフナーが須藤からコッペリウスを受け取る。
「ひとまず、コッペリウスは俺が安全な場所へ避難させておこう」
「わぁ、ぼく飛んでます〜」
この状況でも能天気な悪魔である。ともかく、これでコッペリウスの安全は保障された。
そして彼らと入れ替えで、五十鈴が飛び出す。彼女が宙で祈ったその時、蔦が螺旋を描いて若生社の三人の動きを止めた。しかし威勢のいい三人は、それで暴れるのを止めるという考えなどありはしなかった。
まだ暴れるのか。
どれだけ須藤に怨恨を持てばここまで動けるのであろうかと思いながら、五十鈴は呼びかける。
呼びかけのFamhairに応えた『何某』の気配が感じられたと思ったら、次の瞬間には大声で叫んでいた。無論、この叫び声は他の味方には聞こえない。対象となる三人だけが聞こえる異形の声である。
「こ、こんの……」
気絶しかけの意識の中で五十鈴に銃を向ける二橋であるが、瞬時に散弾銃の銃身が鋭い切り口を煌かせながら真っ二つに斬り捨てられた。
「その邪魔な玩具は斬って捨てさせて貰う」
姑息な真似しかできなかった者には、鳳の神速の一撃など見抜くこともできなかっただろう。
強さと気位。ありとあらゆるものが違う。鳳は、この若生社なる組織が須藤によっていとも容易く壊滅に追い込まれた理由が分かった気がした。
現時点では、若生社に狙われているのは須藤のみであるが、須藤は何の装備も持ってはいない。そこで蓮城はあるものを須藤に手渡した。
「これで護って」
「おい、これは――」
ロセウス。かつての一件で蓮城が須藤に託した一筋の光。細緻な淡桃色が、鋭く光を反射している。
「……素良さんは須藤さんのマリオネット出来たんだから、須藤さんもワイヤー結界出来るわよね?」
どこか腑に落ちない須藤の言葉を遮り、悪戯っぽい微笑みを浮かべる。
「あ、自衛だけじゃなくて私を護ってくれてもいいのよ?」
「その必要は無さそうだがな」
だが須藤の軽口を、蓮城は笑って受け止めはしなかった。瞳は藍から緋へ。平穏と慈愛から冷徹と沈静へ。
「街中で騒いじゃだめよ?」
草蔦が地面を這いずり回り、妖蝶が仄かな光を孕んで舞う。
武器を失った二橋はどうする事もできず、そのまま意識を手放す。
(拍子抜けね)
ロープで簀巻きにされる二橋を眺め、蓮城は思った。
残り二人の処理も、蓮城が想像した通り、存外手のかからないものとなる。
一人失ってなお反攻を試みる若生社に新たな圧力が加わった。
その中で、ビルの壁からRehniが現れる。新たな圧力の正体は、彼女の呪縛陣である。
壁を地面として待機していたRehniは、跳躍の中、考えていた二つの案のどれを実行しようか計算に入れる。
ひとつ、須藤との距離が離れている場合かつ、二人以上巻き込めそうならば呪縛陣。
ひとつ、須藤との距離はない場合か離れていても一人しか届かないならば、八卦石縛風。
何故二通りも用意したかと言うと、八卦石縛風ならば一人のみに発動する場合、こちらの方が拘束できる確率が高いからだ。
結果として後者を選ぶ。気の澱んだ砂塵が嵐となり、三木に襲い掛かる。
「はい、一人」
気絶した三木を手早くロープで簀巻きにしてゆく。これは、途中で仕掛けて人数減らすなり足止めするなりでの、須藤へのフォローの心算であり、逆に邪魔しそうなら追跡して、機を見計らって拘束する心積もりだ。
その間、redbreastは基本的にダメージの入らぬダークハンドで動きを止め、ナイトアンセムでの認識障害を付与してゆく。残り一人。追い詰めるのは容易かった。
「まだ暴れるんだったら、こっちにも手はあるけど」
最終手段としては氷の夜想曲で眠らせるか物理で殴るかの二択である。
万が一物理に出るとしても、重傷に繋がらぬよう攻撃力の弱い物理で叩くし、怪我させた場合は捕縛後も回復術を施すのでこの程度は問題あるまい。
「で、どうするの?」
武器を持ち直したredbreastを筆頭に、一同が残った一浦に詰め寄る。
「お望みでしたら、追撃も考えていますよ? いつでも大丈夫なようにしてますから」
刀を構えたRehniの頭は追撃策で満ち満ちていた。元より後詰としては追撃要員である。味方への巻き込みを考慮した八卦石縛風主体での戦闘には、呪縛陣から髪芝居までの一連の流れも滑らかに組み込まれている。
「そうでなければ――」
鳳が無表情のままロープを張る。並の覚醒者ならば抜けることもできぬ専用のものである。
「う、ああ……」
そして犯罪結社構成員・一浦が出した結論とは――
◆
無力化の後に捕縛した後は追撃せず、速やかに警察へと引き渡す。ロープで簀巻きにされた若生社の三人が連行されてゆく。
「本当にお疲れ様でした」
「でもぼくは車にぶつかっただけですし」
労うRehniに首を傾げるコッペリウス。そんな彼に、五十鈴がそもそもの原因を聞く。
「それです。コッペリウスさん悪くないですよね。それに交通事故は警察を呼ばないと……」
その横、気が抜けて地面に座り込んだ須藤は、義手で拳を作ったり解したりして調子を確認していた。
「腕、痛むの?」
「いきなり痛み始めやがった。気持ち悪い事この上ない」
「あの悪魔が近くに居る……とか。あの悪魔が作ったのよね? それ」
「やめてくれ。あのクソが近くにいるとか冗談じゃない」
今見ている彼は、態度や口は悪いがどこか間の抜けている須藤ルスランである。それが何かの拍子に傾いてしまい、また不安定にならないか、蓮城には少し心配であった。
「ところで。透君て呼んでよくなったら教えて?」
「何だよ、藪から棒に」
「今は『須藤ルスラン』かもしれないけど、『凛島透』として友達になれる日が来たら嬉しいから」
「……」
表情や言葉では何の反応も示さず、須藤は先ほど渡されたロセウスを蓮城に押し返す。
「俺はまだ凛島透には戻れん。まだ須藤ルスランでやり残した事が山のようにあるからだ」
人としてのささやかな喜び。それは未だ張りぼてにすぎず、薄い壁を一枚隔てた先では、未だに築き上げた亡骸が山を形作っている。それが須藤ルスランの現実であった。
「コッペリウス……前にカツアゲされてた、お人形さん作ってる悪魔の人だね。恐喝とかカツアゲとか、犯罪に巻き込まれやすいんだね」
「その節は非常にお世話になりました〜。恥ずかしいながらぼく、世間知らずなもので」
「普段は山に住んでるみたいだから、車とかあんまり知らないのかな」
「車はイノシシさんよりも力が強いですよね。結構な力で飛ばしてくるもんですから、けっこうびっくりしちゃいました〜」
「……一人だと危なそうだから、弟さんの所まで一緒に送っていくよ?」
「わあ、ありがとうございます〜!」
redbreastが案じる通り、この調子だとまた黒塗りの高級車に追突されかねない。
「してコッペリウス。その弟とやらは一体何者なのだ。職業は、何をしに来た。それと、須藤の義手に覚えがある様子だが、お前が人形師を営む過程で作ったのか」
「弟ですか? 弟はですねえ、シャウレイって言って、僕に会いに来てくれました。お仕事についてはこの前、『執事を使うのが仕事だから』って言ってました」
ぽろりと出た執事という言葉に、弟のシャウレイとやらが道楽の金持ち息子である様が想像できた。
「須藤さんの義手ですけど、うーん……どこで見たんだろう……ぼくが作った覚えはないんですけど、知り合いの作品なのかな?」
本人も曖昧らしい。難しい顔で首を左右に傾げているが、これといった事も思い出さないようだ。
「とにかく、弟に連絡は入れる事ができるか。弟を迎えに行って、コッペリウスの元へ連れて来させよう」
「じゃあ待っててくださいね。携帯が〜……ここにあった、ような……」
貴重品が入っているらしいがま口のポシェットを漁るコッペリウス。そこに、一人の青年が現れる。
「あ、兄さん」
「シャウレイ!」
緩やかに波打つ銀の髪を持つ、とても美しい青年であった。地面から僅かに浮いていると錯覚させる神秘的な雰囲気は、高貴さの表れであった。
「でもどうして? 約束の場所よりも距離あるよ」
「音がしたんだ。兄さん来ないし、暇潰しに音を追いかけてたら、兄さんがいたって訳」
見た目とは裏腹にフランクな言動であるが、底知れぬ何かを感じ取った一同は身構えた。それに気付いたシャウレイは、困った様子など一切見せずに広げた両手を見せる。
「やだなぁ。僕、君達に何かしようとか思ってないし。というか兄さんに会いに来たんだし」
「それがね……」
事の一部始終をシャウレイに説明するコッペリウス。須藤の事にも触れたらしい。話が終ると、シャウレイは須藤にずいと詰め寄って義手を凝視した。
「その手、知ってるよ。ハロウィンって言うんだろう。人間の世界じゃ人気らしいね」
「ハロウィンは十月だ」
「そうなのかい? ま、どうでもいいや。僕シャウレイって言うんだけど、君の名前は?」
「……須藤ルスランだ」
「ルスラン。そっか、よろしくねルスラン。皆も、兄さんが世話になったね。礼を言うよ」
「それではみなさん、ありがとうございましたー!」
大声で礼を述べるコッペリウスと共に手を振り、その場を去ってゆくシャウレイ。
「……何なんだ、あいつ」
ただの悪魔には持ち併せていない『何か』。その『何か』が、義手が生じさせるものではない、新たな違和感を作り出した。
そんな須藤を案じたのであろう、蓮城が顔を覗き込んで言った。
「須藤さん、何か食べに行く? ……十さんのおごりで」
「高級焼肉食べ放題」
即答であった。
「……行くか」
新たな違和感を、別の感情で押し消す。いずれ再びこの違和感を抱く時が来るのだろう。だが人としてのささやかな喜びを享受する須藤には、今はまだ別の問題であった。
これから訪れる波乱に気付きもしないで、須藤は夕闇に影を伸ばした。
【了】