●
螺旋階段を下りてゆくと、急激に体が重くなる。
石を背負い、歩かされている気分。
それは、ゲートの支配領域に入った事を示していた。
「やれやれ、ようやくゲートか……体が重くなる感覚は何度体験しても慣れねぇな」
肩を回しながら、ディザイア・シーカー(
jb5989)は辺りを見回す。
「随分と華美な内装になったもんだ。ひとまず警戒しつつ先に進むとしようか」
「これまでとは明らかに違う様子……遂にラスボスへ辿りついたという事かしら」
蓮城 真緋呂(
jb6120)は、病的なまでに白い壁に警戒しつつ歩く。
『バロック』とは何者なのか……どこまで知る事が出来るのか。
「あら? 雰囲気が変わったかしら。ここがラスト地点かしらね」
「一転、絢爛なところですねぇ。主は一体どんな奴なんだか」
麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)と百目鬼 揺籠(
jb8361)は辺りを見回す。
今までがただ地面を掘ったような粗末な洞窟だったのに対して、ここはどこかの館のような、洗練された雰囲気を持っていた。
原始から近代へ。地獄谷から一足飛びに煉獄山を通り越し、天国へ。
いや、煉獄山はここなのだ。されどここでは罪人がその罪を悔い改めることもなく、額に刻まれた原罪も清められはしない。
注意を払っていたエルム(
ja6475)は、より一層静かに、鋭く神経を研ぎ澄ませた。
「この部屋で行き止まり……」
ここまで来るのに、特に隠し扉のような仕掛けは見当たらなかった。という事は、この部屋になにか仕掛けがある。
少なくとも、コアに至る道はどこかにある筈……
「来たか」
低く、煙草の煙で燻した声が響く。凛とはしておらず、威圧こそあれど慢性的な疲弊の色が見え隠れする声音だった。
中央の執務机に座る、赤い軍服の女悪魔。
エルムが静かに問う。
「貴方が親玉?」
「その通りだ豚肉。私がこの監獄の長、アル=ジェルだ」
アル=ジェルは頷く。
豚肉、とは大層な物言いである。しかし彼女は、自身より下と必死で見出した存在――特に生き物に対しては、単なる肉の塊と見なければならなかった。
「バロックという者がいると聞いてきたんだけど……ここに来るまでにはいなかった様子でした。どこかに匿っているんですかね?」
「それを知ってどうする? あれを手中に入れてどうする?」
話す気はないようだ。
「まぁ、いいや。すぐに喋りたくなりますよ」
静かに愛刀・天狼月牙を抜刀する。波紋のぞろりとした涼やかさが、潔癖症の空間で煌き渡る。
「つまりここが監獄長の私室って訳か……ようやくラスボスまで辿り着いたな」
シーカーはニヤリと構える。
「誠に勝手で申し訳ないが、ちょいと学園までバロックを護送させて頂くぜ。受け入れて貰えないんなら仕方ない」
拳を握り、構える。
「させん。貴様らが何故バロックを欲するかは知らんが、こちらとて易々とあれを渡す訳にはいかん」
「こっちも仕事なんでね。プリズンブレイクさせてもらうしかないな」
両腰からぞろりと取り出したのは二丁の銃。銃口の下顎に取り付けられたのは鋭利な黒の刃。
「貴女がこのゲートの主。……閉じ込められているのは誰なのかしらね」
蓮城がアル=ジェルを見て感じたのが、余裕のなさ。
威圧的に見えて、その実、必死にプライドを保っているかの様にも思えるのだ。
机の灰皿の煙草の本数が、それを如実に語っている。
「悪魔にかける情けは持ち合せていないのだけど――解放するわ」
『誰を、何を』とは言わない。
「いよいよ本丸ってところだね。お姫様じゃないのは残念だけど、さっさと掻っ攫って撤収するよ」
アサニエル(
jb5431)が審判の鎖でアル=ジェルの動きを封じる。
「今さね」
そこに、牽制の一弾が放たれる。
「さて、それじゃそろそろ決着をつけるとしましょうか」
卜部 紫亞(
ja0256)は光弾が届くギリギリの距離まで前進しつつ、牽制を放って相手の出方を見たのだ。
武器は刃の付いた二丁拳銃。ならば足元を狙ってフットワークを殺しつつ、あわよくば脚にダメージを与えるのが最も効率的だ。
「おいおい、俺が御花摘みに行っている間にもう終いかよ。つまんねーな」
前回は所要で外していたラファル A ユーティライネン(
jb4620)は悪態を吐く。
「戻ってきてみれば後はボスを残すのみってつまんな過ぎるだろ。もっと俺に悪魔を殺させろ」
問題発言をかましているが、実に楽しそうである。
それもそうだろう。
如何にもな感じの女獄長悪魔って設定盛り過ぎ――と言うより、以前の女守衛よりさらにくっころを言わせたい相手である。
とは言っても力でねじ伏せるって言うのも芸がない。ので、ラファルとしては絡め手から攻める腹積もりである。
「げっへっへ」
おお、その笑みのなんと下衆い事。しかし仕方がない。そうしてくれと言わんばかりの相手なのだ。
「ここにも『バロック』はねぇようだ」
百目鬼はアル=ジェルを睥睨する。
美しくも、醜くもない赤い軍服の女悪魔。赤が似合う、普通の女。
仲間の攻撃を避けたその隙、銃口の向きに注意しながら飛び込む。
「……あんた一体、何からそれを隠そうとしてるんです?」
「何だっていいだろう」
「だったら、俺たちがそれを預かってあげますよ」
回避しにくいタイミングを狙い、確実に当てる。後衛を狙う角度なら長距離攻撃の襲来もありうるが、狙いを定める分隙ができる可能性も高そうだ。
「これはあくまでまさか、の話やけど」
飛翔を続けるオルフェウスは、カードで中距離から攻撃を行いながら周辺を観察し立地把握していた。
改めて上から見ると、私室や執務室と言うには余りにも広い部屋だった。
そこに散在する豪華な家具調度は、目を瞠るものかも知れない――のだが、どうしてかどこか物寂しい。
「まさかあなたの相手してる間に誰かが連れ出してる……なんてことはないわよね?」
そして気になったのが、バロック自体の所在である。
コアの場所も考えて、ここにある筈の隠し通路からコアやバロックの居場所へと行ける事は確実なのだ。
ただ、ここに隠し通路があるという事は、他の場所にも隠し通路があると考えてもいい。
ともすれば、バロックをその隠し通路から監獄外へ逃がす――という手も、十分に考えられる。
今はそれを念頭に置き、気になる箇所は随時観察。ゲートコア及び確保対象であるバロックを探しながら雷鼓の書に持ち替えて戦闘を行うしかない。
しかも、それはあくまでも動けそうな状況時のみだ。戦闘で全員が手一杯であればそちらを優先しなくては元も子もない。
「豚肉にしてはよくやる」
戦闘中でありながらも未だ煙草を吸うアル=ジェルが、深く煙を吸う。
吐いた瞬間、煙は赤の刃となり、空間を切り裂いた。
「深紅の皇帝」
誰よりも誰かにコンプレックスを抱いた平凡な女は、地獄谷の皇帝となる。
それが望まれたものなのか、望んでいないものなのかは、本人にも最早わからない。
蓮城が草蔓の鞭を伸ばし、アル=ジェルの動きを封じる。
「未成年だから禁煙で頼める?」
煙草の煙も、ヤニの強烈な匂いも、未成年でなくとも毒なのだ。
斬撃で優先的に狙うのは銃を持つ手と足。聞きたい事があるから意識は奪わない。
だが、相手だって自分と同じ、学習する生き物だ。手足狙いに慣れたら、他をフェイントで攻撃を行えばいい。
「まずは――」
動けなくなった所で、銃を遠く蹴り飛ばす。
「一つ」
飛ばされた銃を見て舌打ちをしたアル=ジェルは、そのまま横へと飛んで体制を整える。
「変な避け方するとその辺の調度品に当たるわよ? 給料安いんでしょ?」
「何を」
「馬鹿でもわかるわよ。嫌に豪華なくせに埃を被ってるもの。たかが知れてるわ」
そして安易な挑発に乗る安っぽさ。虚飾癖でもあるのだろうか。何とも哀れな存在だ。
後ろに下がりつつ「踏み込む先の床」を光弾で砕く。イメージは、恭しく、重々しく、心の底から服従しきった、靴の爪先でも舐めさせたくなるような、跪きのポーズ。
「小賢しい真似を」
卜部の意図を読み取ったのであろう、アル=ジェルが足元めがけて銃撃を放つ。
「申し訳ないけどダアトを銃で狙うのはNGよ」
人差し指にアウルを込め、煌かせて光線状になった無数の電撃が、アル=ジェルの動きを止めた。
黒き稲妻が、卜部を彩る。それは彼女の内面を表す、危うい絶対零度の漆黒。
「煙草か……」
技はどれも強力で厄介だ。だがエルムは考える。
煙は煙草を吸ってから、吐かなければならない。
(技の発動に二動作必要である以上、どんなに素早くても予備動作でバレバレね)
赤い煙の刃を正面から避けながら、斬り込み。
「それとも、肺に煙を貯めこんでおけたりするのかな?」
懐に飛び込む。
剣閃、一つ。雪結晶の煌き。
「行きます。翡翠!」
狙った一点を正確に衝く一撃。疾風の如き刺突。
さらにもう一撃。
「秘剣、我流・燕返し!」
繰り出される動きは一呼吸。縦の斬撃と横の斬撃の二連撃。
「煙草の吸いすぎは良くないぜ? 言って止めるもんでもないだろうが、身体機能に影響及ぼすからな」
シーカーはさり気なく煙草に目を向ける。
無論、意味もなくしている事ではない。
言葉の応酬で相手を掛かり切りにさせれば味方への攻撃や隠し通路探しへの注目度も下がるだろうから。
「昔と違って体が動かしにくかったりするんじゃないか?」
そう、例えばの話。
「たまには外に出るのも良いと思うんだがね? バロックやら監獄やら、移動の制限も意地も執着も全て綺麗さっぱり捨てて、な」
「……黙れ」
ふつふつと湧き上がる怒りを、シーカーは確かに感じ取る。
「お前に何がわかる!」
図星なのだ。
「お前さんの詳しい事なんか知ったことじゃないから知らんがな。一応改めて聞いておこうか」
「……バロックとは何だ? どこにいる? 看守達は、ここまでの道のりには存在せず、監獄は封じ込めるだけの空間と言っていた。……ならば手元に置いておく筈なんだがな」
激しい戦闘で床が抉れても尚、怪しいものは見当たらない。もちろん、バロックの存在の痕跡ですら。
「それを今知ってどうする!」
赤い煙が再び巻き上がる。今度は突風。全てを弾き飛ばす瞬間最大の力。
(発動前に煙を散らすにはちょっと遠いわね……)
漆黒の稲妻が、力の塊を撃ち落す。
「おお、面倒面倒」
第二波、第三波も順当に光弾で撃ち落してゆく。
百目鬼はアル=ジェルと熾烈な肉弾戦を繰り広げながら、その最中、怪しげな囁きを耳元で嘯く。
「もしかしたら、これだって既に時間稼ぎかもしれませんぜ?」
直後、アル=ジェルは問答無用で執務机の方を見た。
これが狙いだ。戦いの最中揺さぶりをかければ、隠し通路の方を見るやもしれない。
狙い通りであった。オルフェウスにそっと目配せし、執務机に向かわせる。
が、それがアル=ジェルの狙いであったのだ。
「馬鹿が」
「――罠」
アル=ジェルの手中に未だ収まった一丁から放たれる銃撃は、オルフェウスへと向かう。
あちらが一枚上手だったか。
そんな感想も出ない内に、最悪の事態が想定された直後。
「おっと、危ねえ危ねえ」
割って入ったのがシーカーである。彼はオルフェウスに向けられた攻撃をシールドで受け止めたのだ。
オルフェウスの無事を確認した百目鬼がその瞬間身体のリミッターを一段階外し、猛進。
奇襲の失敗を目にしたアル=ジェルは猛進する百目鬼に向かい突風を放つが、不動の力でそれを耐え切る。
そして隙を突き、アル=ジェルの頭を左手で掴んで魂を吸う。
鬼の血による幻術。
体中の目を顕現させ、それを見た対象へ植えつける恐怖から、左腕に捕まれ体を喰われる幻影を視る。
「ゴチソウサマ。これはせめてもの、代金です」
直後、アル=ジェルの頭に世にも恐ろしい、身体中に百の目が顕現する『夢』が顕現した。
百目ノ鬼ガ視セル夢――
脳に膨大な視覚情報が流れ込む錯覚、又は純粋な恐怖は、この監獄と意義が近いようで遠い。
だからこそアル=ジェルは一瞬意識を刈り取られ、空白になる。
一瞬で十分だ。
「今です」
百目鬼は背後――オルフェウスに託す。
「ゆりりん、ナイスよ! ディザイアちゃん、よろしく!」
「よし、じゃあ行くか!」
雷を落とすオルフェウスに後衛を任せ、シーカーは一直線にアル=ジェルへと向かう。
「すまんが、最後の最後まで俺の相手をして貰うぞ」
殴り合いながらも目をまっすぐ見て逸らさずに全力で相手をするシーカー。
一体こいつは何にしがみついている。何に囚われている。
それを見極める為、一瞬たりとも視線を外さない。
ヒールを使い切ってもなお、大地の恵みの力を借りて立ち続ける。最早意地だ。意地だけで動き、その心を見る。
「横槍が入られても厄介だから、一気に行くよ」
アウルで煌く光の槍。描く弧は滑らかにアル=ジェルへと向かう。
「さあ、畳み込もうじゃないか」
神の兵士が取り囲み、回復の光を飛ばす。
「案外しぶといわね。すぐくたばるもんだと思ってたけど」
「この程度!」
卜部が呼び出した亡者の手を、アル=ジェルは赤い風で吹き飛ばす。
だが。
「見切ってんのよ、もう」
赤い煙の刃。
激しい風の渦。
ぶつかり合う。
互いに吹き飛ぶ。上手く受け身を取れたのは卜部であり、アル=ジェルは、数回床を跳ねてから何とか勢いを殺して受け身を取った。
アル=ジェルにふつふつと湧き上がる
力も、頭脳も、美しさもない彼女は、自分より下の存在を徹底的に見下すことによって自尊心を得てきた。最早アイデンティティともなった選民思考。自分より下は、みな豚肉。
だからこそ、豚肉にこうもコケにされる事が気に食わなかった。
「この――豚肉がァっ!」
卜部はアル=ジェルの、どこか貧相な人となりを読み取っていた。
何かに囚われているかのような、強烈なコンプレックスの塊。
その塊が、赤い嵐となって周囲を掻き荒らす。
やがて嵐は圧縮され、神経を逆撫でされてたまらない肉共へと向かう。
衝突、されど。
「言ったでしょう。解放するって」
その衝撃を、蓮城が霊気万象で中和した。防御でも、消滅でもない。今この場では、中和なのだ。
そのまま接近戦に持ち込む。
近くであれば、さほどの脅威もない。
連携を取りつつ、壁役として張り付き仲間への攻撃を阻む。
「くっ――」
「もう見えてるのよ」
赤い煙を、圧縮した風で吹き飛ばす。
煙ならば、掻き消せばいい。
「私が豚ならお前は猿ね。精々キーキー喚いていなさい」
両腕で円を描き、その円に両腕を突き入れて発動させるは、La main de haine。円の中から無数の白い腕が飛び出して相手に絡みつき、形容しがたい亡者の呻きを聞かせる。
今まで散々搾り取ってきたその喚きを向けられて、アル=ジェルは動けない。
「これぞ自業自得ね」
放つは、一切を吹き飛ばさんとする威力を誇る強烈な魔法光線。
声すら上げられぬ強力な攻撃。
「今だ」
更に全員の攻撃が加わり――
監獄の長、アル=ジェルは地に伏せた。
●
結果から言うと、アル=ジェルは生きていた。ただし虫の息であり、体は指一本と動けない。
そんなアル=ジェルの身体を調べていたエルムは、小さな金色の鍵を見つける。
「これは?」
「……バロックの、牢の鍵だ」
最低限の事のみでも答えた事に驚きながら、アル=ジェルの思考の変化を悟る。
それを見たオルフェウスは、アル=ジェルの目の前に屈んで顔を覗き込む。
「一個だけ聞いていい?」
改めて見る顔は、確かにオルフェウスほど美しくはなかった。かと言って、忌み嫌う程醜くも無い。貴族階級の娘であるならば監獄の長などはせず、もっと一生を享受できる方法とてあっただろうに。
「あたしたちはこれから『何』に気を付ければいい?」
「そうですね。これも聞いておきましょう」
続く百目鬼もずっと、気になっていた事があった。
「バロックとやらの罪は何ですかぃ?」
罪。
その一文字に、ありったけの忌々しさが詰め込まれていた。
ではその忌々しさは何なのか。
「洗いざらいゲロっちまった方が良いですよ。あの様子だ。渡したく無い相手がいるんでしょう?」
微かに聞こえた舌打ちの音。確かに図星だったようだ。
暫しの静寂の後に、アル=ジェルは口を開く。
「あれの罪は重くて深い。我らの兄から全てを奪い、呪いにかけた。あれの動きは、言葉は、吐息は全て呪われている。その呪いに罹れば一生魘される」
アル=ジェルは忌々しげに、だがどこか自嘲も含めた言葉尻で続ける。
「存在そのものが毒。呪いそのものだ。呪われ続け、死ぬことすら叶わない。奴で気をつけなければならない事と言えば、奴の全てが当てはまる」
やけに抽象的であった。当てにならないと言えば、そうとなる。
「どうせ素直に吐くとも思えなかったけど、後は精々悪者ぽく傷めつけながら尋問するとしましょうか。あと、ちゃんとトドメは刺すから安心しなさい」
もう動かないアル=ジェルの前で屈んだ卜部は、何ということもない、ただの単純作業をやるような目でアル=ジェルを見下した。
アル=ジェルも、彼女の前ではしょせんは道端に転がる石の一つでしかない。
「目を撃たれるか、耳の中を撃たれるか、それとも鼻……? 天魔なんてどうやったって碌な死に方はしないもんだわ」
押し付けられる殺意にすら、アル=ジェルは動じない。動じることができない。
「好きな所を選びなさい。選ばなかった嫌な所を撃ってあげる」
「待って」
それを止めたのは、蓮城であった。
「バロックの居場所、勿論知ってるわね?」
「……何が狙いだ」
蓮城の口調に何かを感じたアル=ジェルは、黙って蓮城の提示する『条件』を聞く。
「本意なく奪われるか、意思を持って引き渡すか――先を考えた上で貴女の『誇り』を選んで」
「君にしては意外だな。どうしてそう言える」
春夏冬の問いに、蓮城はアル=ジェルを見つつ答えた。
「情けなんてかけないけど……苦しそうだもの。彼女は極力捕縛したいの」
「そうさね。この事件、根は深そうだ。ここはひとつ、学園に連れて帰った方が有益じゃないかい?」
同意したアサニエルが簡単に血を止める。
「そうか……」
春夏冬は暫し考えた後、アル=ジェルに視線を向ける。
「だ、そうだ。来て貰おう」
「……好きにしろ」
その言葉を最後に、アル=ジェルは意識を手放した。次目覚める時は、学園のどこか、厳重な監視体制の中だ。
「……さて、この部屋が監獄のどん詰まりで最後の部屋ならゲートコアはどこかこの辺にあるんだろうが、見えねーな」
ガサ入れを続けるユーティライネン。大方隠し扉か何かでさらに繋がっていると予想はできるのだが。
「まぁこういうのって大体本棚とか壺とかに仕掛けがあってみたいなパターンが多いんやけど……」
置かれているものに、変わりはない。
ただし。
「そうですね……豪華な割に、何も入っていませんが――」
壁を叩いて音を確認し、隠し扉の類がないか調べるエルム。
調度品には驚くほど何も入っておらず、本も触られた形跡がない。
本当の本当に見掛け倒し。ハリボテの豪華さであった。
「ふむ、あの作り付けの本棚が怪しいか」
ユーティライネンが多少適当にいじっていると、ガタンと一回大きな音が響く。
する本棚が下に落ち、その先に階段が現れた。
「おお、ここにあったか!」
「どうやら、ここで本当に最後になるみたいだね。増援が来られても厄介だ。手早く片付けるよ!」
アサニエルの言葉通り、階段に飛び込んで駆け下りる一同。
螺旋階段は長く、けれど何もなかった。
やがてたどり着いたゲートコアの間。その中心には赤く光る宝玉が、どこか所在なさげに佇んでいる。
「これがここの監獄のコアやね。不気味だけど、寂しそうで赤くて綺麗」
オルフェウスは辺りを見回すが、伏兵のような存在は見当たらない。ただし、コアの向こう側――硬く閉ざされた鉄の扉の向こうに何かが――いやバロックが――潜んでいる事は往々にして予測ができた。
だが、今はひとまずゲートコアだ。
「っとここからは時間勝負だ。残党が追ってくることは間違いない」
ユーティライネンは対悪魔用に戦争特化した偽装解除を行う。
「悪魔共にウォーウォー唸るKAKA偽装解除!」
忌み嫌う、悪魔共に恐怖を与えるかの如き凶悪な進化を遂げた機械化の姿。
「三撃で決めるぜ」
戦争、戦争と唸り続ける機械。
「魔刃『エッジオブウルトロン』」
「せやね。早くせな」
そこにオルフェウスの鎌の連撃が加わる。
真っ赤な宝石は、寂しそうで脆かった。
亀裂が走り、軽やかな音を立てて崩れてゆく。
それは、この監獄がひとつの終わりを迎えた事を示していた。
「じゃ、もう手っ取り早く回収しましょう」
最早ここまで来ると、卜部はあまり興味がなかった。早く帰って続きが気になっいた漫画を読みたいのだ。
意を決し、エルムが鍵を開ける。
重い扉が歪な悲鳴を上げてゆっくりと開く。
瞬間、彼女の目に飛び込んできたのは。
「――コレがバロックでいいのかな?」
エルムの驚きと共に、アサニエルはバロックを眺める。
「さて、ようやくお目当てが見つかったね。思っていたよりも……貧相だね」
痩せ細った体に絡み付く拘束具の数々。顔の下半分にはマスクが装着され、口すら動かせない。
これがバロック。この監獄の真の囚人であり、呪詛と謳われる悪魔。
確かに、彼らが想像した姿とは、大きく異なっていた。
そこには禍々しさも、血反吐が出そうな邪気もない。
ただ弱々しく、拘束されてそこに転がっているだけの、細い男。
しかしそれでも、春夏冬は聞かねばならない事があった。
「お前がバロックか」
悪魔は答えない。ただ目の前の景色を淡々と受け入れている。
「ならばお前に聞きたい事がある」
悪魔は答えない。ただ目の前の春夏冬の言葉を淡々と聞き入れている。
「お前は何かを知っているのか。イヴリン=リア・ルトロヴァイユと、アデレイド=リーベ・ルトロヴァイユについて、もしくはルイジ・イワノビッチについて。何か知っているのか」
悪魔は答えない。その深緑の空虚な瞳をこちらにただただ向けている。
「答えろ!」
悪魔は答えない。口も手足も動かさず、じっと黙っている。
「ねえ春夏冬さん」
そこに静かな蓮城の声が届く。
「何の重要参考人なのかは、今は言えないって言ってたけど……せめて話せる内容は教えて欲しいわ。 私達は全く何も聞かされないまま、少数でゲート最奥まで来て彼を確保した。 それでも何も聞く権利は無いの?」
「そうですね。何か知ってることがあるなら、ここで言っちまった方が良い」
春夏冬は暫し黙っていた。黙っていたが、それでも口を開いた。
「こいつは小鳥遊を……知っている奴ならば小鳥遊の姉貴についての、重要な手掛かりを持っていると思われる悪魔だ」
春夏冬の妹分・小鳥遊には姉がいる。
名はアデレイド・リーベ・ルトロヴァイユ。
かつては春夏冬の伴侶になる筈であったその女性は、ある日突如発狂し、忽然と姿を消した。数年の時を経て彼女は彼らの前に姿を現したが、最早かつての柔和な姿など見る影もなく――死を以って永久の救いとした。
結果として春夏冬は右目と婚約者を失い、小鳥遊は唯一の肉親である姉を失った。
「詳しい事は俺にもまだわからない。ただ……本当にこいつが、本当にその手掛かりを持っているのであれば、俺は――俺達は、こいつを知らないといけない」
しかし、その発端がもし――もし人為的なものだとすれば。
もしそのバロックが、アデレイドの発狂について知っている――もしくはアデレイドの発狂を引き起こしたのであれば。
「こいつの呪いが何なのか……それはわからない。だが知らなければ、俺達の軍にかかった呪いもそのままなんだ。狂った奴らが狂ったまま、狂った人間として消えていくのはもう嫌なんだ」
そして思い浮かぶ、もう一人の友の影。
かつての美しい記憶を忌々しく塗り替えた、あの男とも関係しているのであれば。
「だから俺は……俺は……」
生きている自分には、何ができるのであろう。失った右目の、その眼窩にずっと問いかけた数ヶ月であった。
ようやく手に入れた手掛かり。けれど、その手掛かりを前に、今の自分は何もできない。
「気の滅入りそうな場所でしたからねぇ」
肩を叩き、春夏冬を優しく宥める百目鬼。
「帰ったら美味い酒でも飲みましょうぜ」
「……すまない。知らないうちに取り乱してしまったようだ」
「別に構いませんぜ。人というものは、そういうものです。――さ、行きましょう。ここじゃ煙管に火すら点けられません」
運ばれてゆくバロックは、意識はあるようで目の前の景色だけを淡々と見ている。
それがやけに不気味で、百目鬼ですら背筋が凍った。
「……バロックについては、またこれから調べていけばいい。どれだけ人間の一生が短いからと、生き急ぐ必要はありませんからね」
百の目を持つ鬼ですら、あんな空虚な目は見たことが無かったからだ。
「これからが本番……かね」
やれやれとシーカーが肩を竦める。
見上げた天井。その上。
地獄谷を俯瞰する空は、まだ晴れた気配がなかった。
●
「シャウレイ様」
「うん?」
地獄だった大穴を俯瞰しながら、ベルンゲルはシャウレイに問う。
「よろしかったのですか。バロックの事」
「そうだね。惜しいと言えば惜しいかな。姉さんも生きてるし。バロックは結局、向こうに渡ったし」
シャウレイは至って冷静であった。いや、正確には冷静ではないのだ。
組み立てた物語が、自分とは思いもしない方向にかき回されている。シャウレイが組み立てた筈の事態はより、シャウレイが求める混沌の様相へと。
「では、バロックは如何様に」
しかし、それでも気になるのがバロックの処遇である。あれの能力が判明するしないにせよ、バロックが戻らない限りはできる仕掛けも限られている。
「ほんの少し様子見かな。烏の事も気になるし、姉上がこうなったし、父上達とも相談しないと。……少し面倒だけどね」
悪魔は笑う。それはもう、真紅の薔薇すら真っ青になる妖艶な美貌で。
「でも、そっちの方が面白いだろう?」
●
絶対の監獄。
囚われているのは誰だったのか。
これはまだ、序章でしかない。
ほら、また新しい囚人がやって来た……
【終】