●
「いよいよ……か。きっちり護ってみせるゼ。戦力減は致命的だろーし短期決戦でな」
ヤナギ・エリューナク(
ja0006)は掴まるストレイシオンに語りかける。
「つなっしーは病み上がり? だもんな勢に出るより援護を任せるゼ。――攻撃を肩代わりするよーなのは絶対ェに許さねーケドな!」
「ああ……注意する」
頷く十に、いつもの堅物らしい覇気はなかった。まだ傷が癒えていないからだろうか。
「確かに。次の手を打たれる前に、とっとと始末しておかないとまずそうだな。敵さんも失敗続きで焦れてる頃だしな」
向坂 玲治(
ja6214)が周囲を見回す。今の所、敵の影などは見当たらなかった。
「ええ、オルカの効果時間内に、カタを付けるわよ! ね、恋姉、決着を付けよう」
「ああ。こんな事はもう終わりにしよう」
神埼 晶(
ja8085)と地領院 恋(
ja8071)は互いに顔を見合わせた。
「もう……みんなして無茶なことして……無事だったから良いけれど」
瑠璃堂 藍(
ja0632)はストレイシオンに話しかける。確かこのストレイシオンはファルツの召還したものであったか。ストレイシオンも瑠璃堂の言葉を理解しているようで、心配するなという風に短く鳴いた。
「見えた、あれが海底洞窟のようだ」
十は海の底を指差す。海の岩で形成された横穴。視認できた途端ストレイシオン達は鳴き声も水の泡も上げず、速度は落ちるが静かに航行を始めた。
入り口付近でストレイシオンから降り、洞窟の様子を伺う。
「やれやれと。ずっと護り続けるのも厳しいしねぇ。いい加減此方から攻勢に出て決着をつけたいさぁね」
溜め息を吐いた九十九は、海底洞窟の様子を伺う。
暗く湾曲した海底洞窟の先は見えない。しかし、そこを横切る気配が一つ。
サメだ。
「またサメ……サメの相手はウンザリさね……」
青い光が海を撃ち抜く。
「鮫……か。どれ位が何処に居ンのか分かンねーな」
呟いたエリューナクはおもむろに取り出した小刀で躊躇いなく自身を切った。 傷を付け、血の匂いを散布する。前回は十の大量出血で効果の程は不明だが、やるだけタダであるし、エリューナクとしては洞窟進行の途中に接触しておきたい所なのだ。
「見逃してやるのは一度までだ。そろそろケリを付けさせてもらおう」
暗視鏡で視界を確保した牙撃鉄鳴(
jb5667)が、湾曲した海底洞窟の通路の、僅かに通る一直線を貫く。定めた狙いの通り、サメのヒレが撃ち抜かれた。
「さあ、思いっきり暴れさせてもらうぜー」
擬装解除水陸両用モード「ラッガイ」を起動したラファル A ユーティライネン(
jb4620)が先頭に立って多弾頭式シャドウブレードミサイルを発射。
一瞬だけ肩口にポップアップしたミサイルランチャーから無数のミサイルに仕込まれている影の刃が撒き散らされ、一気に切りつけた。サメ達の回避能力を殺ぐ。
「事情は知らねーが、海底コロニーを叩き潰していい気になろうっていうのはいただけないしなー」
妨害すれば溜飲も下るか。とにもかくにも敵の心を折って回るのが大好きなので、相手がドツボにハマっている今この時を逃すなんてとんでもない。
きっちり丁寧に折りたたんでやるだけだ。
海という広域な戦場で袋叩きにされないよう、洞窟内におびき寄せる。なれば戦場が狭い分敵も戦力を逐次投入せざるを得ないように仕向けるのも狙いのうちだ。
一列になって海底洞窟を進行してゆく。
「ホントはバッドステータスとかで不戦勝にしてーけどな)
今後の事を考えると、消耗も少ない足止め程度が一番なのであるが。
「そうね」
周囲が凍て付き、静止したかのようにサメ達の動きが止まる。
氷の夜想曲。
まるで庭園の夜に上品なノクターンが響くよう。
「ま、やるしか無ェか」
追っ手のサメが細切れと化す。あらかじめ張って置いたワイヤートラップを引いたのだ。
ワイヤーを食い破り、更に追わんとするサメがいる。
行かなければならない場所があるのだ。地領院は冥魔にのみ有効な毒を電流にしたものを、ワイヤーに絡ませるように指先から放つ。いつくもの魔方陣が自身の体に浮かび上がると同時に、敵にも同様の事が起きる。
敵にとってはそれが異常事態となる。魔方陣が浮かび上がったサメは麻痺したかのように動きを止める。
「……行こう。終わらせるんだ、彼らの為に」
洞窟内を占領する爆風と戦闘の音の中、彼らは先に進む。
地領院が煌かせる星の輝きが頼りな暗闇の中、湾曲して閉塞しきっていた空気が一気に開ける。
「ここは……」
十は辺りを見る。
周囲をぐるりと岩で囲まれた、かなり広大な空間である。ここが行き止まりのようだ。
「で、アレは何だ? ……ディアボロ、か?」
そんな広大な空間に浮かぶ巨大なチョウチンアンコウ。薄明かりを放つ提灯を頭に提げた巨大なアンコウが鎮座している。巨大な魚型ディアボロは見てきたものの、前代未聞である。
「こんな戦闘に適した場所に一体だと、罠を疑っちまうケド」
様子を伺いつつじりじりと構えていると、ユーティライネンが「任せろ」と先頭に立った。
構え。一瞬だけ息を吸う。
「超絶速度様児戯非最恐怖片鱗舌鼓打剣技(超スピードなんてもんじゃなくもっと恐ろしいモノの片鱗をを味わわせる技)――!」
長いが正式名称は『闇歩剣技・斬光剣』。何があるかわからない分出鼻を挫き、後に続ける。
「そろそろ出てきてもらおうか」
熾烈かつ的確な銃撃を与えてゆく牙撃。
「引きずり出してやるよ!!」
地領院が作り出す雷の色は紫。形成された大槌のそこここで紫電が弾け、視覚と聴覚の両方から存在感を見せ付ける。
振るう。衝撃と共に、雷撃が疾った。
「……と。大将のお出まし……か」
エリューナクは敵の姿を見る。
見るからに粗野な髭面の男であった。筋肉と脂肪が固まってできた体、浅黒い肌。それが纏うのは物語でよく見る海賊の頭のそれ。
だがしかし、今はそれが頼りなく見えた。配下は次々と倒され、最早頭一人となってしまったからであろうか。息は荒く、目の焦点も若干合っていない。
「あなたが元凶ね……!? カダルを狙う目的はなんなの?」
瑠璃堂にとってザダックの持つ碇が脅威であった。ナイフでの近接戦闘を避け、影手裏剣・隠を放つ。腹を狙ったが直前で察知され、定めた狙いよりもずれた所にぶち当たる。
「お前達にそれが、わかってたまるかァァァァアアアア!」
手裏剣に当たっても尚、痛がる反応もせずに叫ぶ。
自暴自棄の雄叫びであった。血走った目でこちらに襲い掛かる。
(何かは知らないけど異常ね)
一周回ってこちらが冷静に分析してしまう程であった。
「あの平和で美しい場所……お前ェ達には勿体ねー。きっちり此処で片付けさせて貰うから覚悟しな」
「このガキが!」
「おっと。大人げないねェ、オッサン」
初手。相手はエリューナク。ケラケラと笑いながらその意識を一手に引き受ける。多少の損傷は厭わない。
その隙に、仲間が攻撃してくれるからだ。
「あんたが事の元凶か。はっ、ついにその面拝めるってこった!」
地領院が発する輝きは深海という夜空に散りばめられた星屑。されどザダックには優美なものと映らず、ただ倒すべき敵と認識される。
好都合だ。
彼女にとってはこれが狙い。深海を照らすと共に、近接し続けることで敵の位置を知らせる目標になるから。
近接戦闘が熾烈さを増す中、狙撃手達は考える。
そもそも。
(奴もオルカを使える? そんな訳ではない。悪魔にもオルカのような水中移動用の技や仕掛けがある筈だ)
見る限りは自分達と同じオルカを使っているように見える。が、カダルの状況からして、ザダックがオルカ自体を使っている線はない。
いずれにせよ、効果時間があるならその隙を突けばいいし、何らかの道具を持っているならそれが何かを探る。それだけだ。
侵食弾頭を込め、標準を合わせた。
(やっぱり普通じゃないねぇ……)
どうしたらそうなるのだろう――九十九は暗殺者時代の事をふと思い出した後、観察を終える。
九十九は間合いを保ち、仲間の近くに控え、タイミングを合わせて攻撃。
「纏うは大地を殺す腐毒。貪り喰らい尽くせ荒ぶる九頭の大蛇、相柳」
神話に語られし九頭の巨大蛇・相柳。それが九十九の呼びかけに応えて猛威を振るう。
「お前が……お前がカダルを!」
十も剣を振るう。恩人であるマデレーネが愛するカダル。いかなる理由であれ、それを荒らそうというのは絶対に許せなかった。
絶対にここで終わりにする。
確固たる意思の元、動く。
しかし。
「ぐっ……!」
ここまでの激しくないとは言い切れない戦闘の数々に、傷の完治していない体が悲鳴を上げた。
(ここで……ここで来るのか!)
もう少し耐えてくれ――腹の傷口が開くのを感じながら、何とか剣を持ち直す。
「つなつな!」
神埼の叫び声。我に返れば、目の前にザダックが碇を振り上げていた。
避けきれない。
「くそっ!」
剣を構える。耐え切れる自身はなかった。細いサーベルに細い体。さらには傷も完治に至っていない。ザダックの攻撃などひとたまりもない事はわかりきっている。
そこに、影が一つ。
「月並みだが、俺を倒してからにしな」
強引に割り込み、十を押しのけて攻撃を受ける。
「向坂!」
「おう気にすんな」
真っ向からのぶつかり合い。盾と碇。重量級の武器が激突し、全ての音が鈍る海中であっても尚鋭い鉄の音を響かせた。しかし力としてはザダックの方が強く、向坂は何とか不動で立っている状態である。
「俺がなんとかするさ!」
向坂の周囲に幻影の騎士が現れ、結界を作り出す。結界の恩恵を得たと同時にザダックの碇を押し返し、再び正面から相対する。
直接の殴り合い。
真っ向から引き付け――後ろを味方に任せる。
このザダックという男、想像以上に堅牢だ。海中を往く重戦車と言ったところで、九人を相手にしても尚動きに鈍りがなかった。
「ずいぶん堅いわね。それなら!」
肩にアシッドショットを放ち、腐敗を確認した所でスターショットを撃ち込む。
腐敗で脆くなった肩を抉り取るのは用意であった。
「ナイスだ晶ちゃん!」
紫電を纏わせた大槌が現れる。紫が海の中で煌く。
勢いをつけた体を弓なりに撓らせ、そのバネで一気に振り下ろす。
「小賢しい!」
間一髪、ザダックは腹を避けた。
一瞬、ザダックの服が翻る。内側に見えるそれは。
「あの符が怪しいな」
服の裏側にふと見えた符。あの部分だけはやたらと庇っている所からして、もしくは。
侵食弾頭を装填し、撃ち込む。
どれだけ庇っていても、それは近距離のみの対応に徹した時の話。近距離の相手をしている最中に、不意をついて飛んでくる一撃など反応できる筈もなかった。
「何?!」
ザダック自慢の服が徐々に溶けてゆく。
「確かに。なら狙うとするかね」
ザダックが明らかに同様している。この隙だ。
再度、唱える。
呼び覚ますは、あらゆる物を喰らい尽くし、その血は大地をも殺す腐食の毒となる一撃。腐食の血が錆色の風となって襲いかかる。
「これだけで随分と脆くなるものだな」
すぐさまスターショットで更なる追撃を食らわせる。半身が消し飛んだ銃に理解を示せなかったザダックの、その手足に換装したブーストショットを食らわせる。
「お前らさえ居なければ、俺はこのような事には――!」
片腕を失ってさらに冷静さを失ったザダックが、雄叫びと共に斧を振り上げる。斧の刃は青く発光し、何かが起こる事を示していた。
「まずい!」
地領院が斧で反射的に防御体制を取った瞬間――
場が、震えた。
片腕であっても尚生み出される水の波動は音波を乱れさせ、認識を狂わせる。
クリアランスでアウルの動きを補助して立ち直るが、こうも広範囲だとキリがない。
水の宴。この空間にいる限り、完全に避けきる事はできないか。
「……厄介だな」
回避の弾丸を撃ってモロな直撃を防いだ牙撃。すぐさま再び攻撃を開始する。
その隣で九十九がタイミングを合わせ、手持ちの全ての武器を使って一斉射撃を行う。その様はまさしくバレットパレード。九十九の周囲に副武器が漂い、慈悲なき矢の雨を降らせる。
「てめえのその行いでどれだけのものが壊れる! 壊すことしかできないてめえを、生かしておくことなど、できるものかァッ!」
下から回り込み、一気に浮上して頭上から叩き込む。
何の技も仕込んでいない。だからこそ強烈。だからこそ強力。
一撃が、水を揺らす。
真下にエリューナクが潜り込み、風遁・韋駄天斬り。疾風をも切り裂く一撃が水を斬り、辺りに波紋を刻み込む。水の宴のような禍々しいものではない。鈴の音のように、澄んで景色が歪みゆく。
「何だと」
「オッサン、耄碌したか。遅いゼ!」
一瞬の隙を見逃さない。鎖鎌の鎖でザダックを縛り、分銅で背中――肝臓の裏――を殴打する。
「がハッ……!」
「今だ!」
鎖の中でもなおザダックはもがく。なんという力だ。鎖を砕かれるのも時間の問題だ。
だからこそ。
「はっはー、おまえさんがみじめに死んでいくところを見届けてやるぜ」
躍り出たのはユーティライネン。
サイバー瞳術「蛇輪眼・万華鏡」。
瞳が薄水色の放射光を発し、刻み込まれたウロボロスの幻影が姿を現す。
一瞬が数瞬へ。数瞬が、一秒へ。一秒が数秒へ――!
ザダックが『止まる』。静止という言葉が似合った。
「蒼天の下、天帝の威を示せ! 数多の雷神を統べし九天応元雷声普化天尊!」
九十九が唱える。天帝たる黄帝の威を示す為最高神が一席雷帝の力を借りる為に。
(こいつに対する哀れみは一体何だ)
牙撃はザダックに何故か中間管理職的な悲哀を感じつつも、容赦はしなかった。動かない敵などただの都合のいい的でしかない。止めは躊躇い無く心臓を狙う。
――これで、終わらせる。
一同の意思が前にだけ向く中、ザダックは考えた。ここで死ぬのか、と。
自分にしてはあまりにも後ろ向きな考え。しかし先程から脳裏に過ぎるものは走馬灯のそれであり、その際を教えている。
片腕を失った、動かない体。その前に、欠けた水晶球が漂着する。
『しくじったね、ザダック』
欠けてもなおその機能は果たしているようで、主の声が響いた。一部始終を見ているようである。
「! シャウレイ様!」
欠けた水晶は何も映さず、ただ音声のみを伝える。
「違うんです、これは、予期せぬ邪魔が入って」
『ザダック』
水晶は、優しく言い聞かせるように続く。
『僕はね、止まったおもちゃのゼンマイを巻いてあげる程、退屈してはいないんだよ。僕の思い通りにならないおもちゃはいらない。さようならベルンゲル。全然面白くなくてがっかりしたよ』
所詮自分は使い捨ての駒であり、若い甘ったれの暇つぶしの道具でしかなく――その道具にすらなりえなかった。
『出かける。仕度をしてくれないか、ベルンゲル。姉上が何やら面白いものをあっちに作ったという話を聞いてね』
『左様で』
主は最早、自分の事など気にも留めていない。いや、覚えてもいないだろう。
その事実が、最期のザダックを屈辱の水底へと叩き込んだ。
「シャウレイ、貴様――!」
刃が、矢が、弾丸が、ザダックを狙う。
しかし、ザダックにそれは些事であった。
自分をどこまでもコケにし続けたあの悪魔への恨み。それだけが彼の最後の感情となる。
叫びは爆発が覆い、真っ赤な爆風が海の中を照らし――やがてすぐに消えた。
「これでちっとは海が静かになるか?」
溜息を一つ吐き、肩を回しながら向坂は呟く。
そこにあったのは、いつもと変わらぬ、平和で、穏やかな海だった。
●
戻った面々を、カダルの者達は歓声で出迎えた。
「ひとまずは……って所だけどな」
手渡された布で汗を拭いながら、向坂は守りきれたカダルを眺める。
薄明かりが仄かに漂う隠れ里。何よりも平穏を望み、争いを避けた――自分達が守った深海の楽園。
「十!」
歓声の中で、マデレーネの声が響く。鈴の転がるような声が凜と響き、十はそちらを向き直る。今にも泣き崩れそうなマデレーネを、十は微笑みで迎えた。
「ここは……これからも平和だ」
「ありがとう。十や、みんなのお陰だよ」
これからもカダルの平和は続いてゆく……
「そうだ、約束を果たさなければならないな」
「約束?」
「ああ。この戦いが終われば、一緒に映画を見に行く、と――」
ゆっくりと差し出された手。
そういえば、そんな話をしていた。もう気が遠くなる程昔の話のように思える。
「そう、だった……ね」
マデレーネはその手を拒んだ。静かに首を横に振り、その手を押し返した。
「……ごめんなさい」
「どうして」
マデレーネは微笑んだ。
「結界の巫女は、結界の柱……柱を失ったカダルは、崩壊も時間の問題になるの」
「どういう、事なんだ」
「言葉のままよ」
諦観の声は無機質だった。
「それが私の生きる道だから」
自分の全てと引き換えに、自分の世界の苦痛を飲み込んだ者の瞳。
――海の底は、少女にとって窮屈すぎた。
永遠の安寧が許される平和な平和な海の底。退屈すぎる海の底。
それでも、少女は海の底が大好きだった。
だから決意した。もう後悔なんてしない。
「こんな事も……あるのさね……」
九十九は、マデレーネの『里を守る』という事に対しての行動は肯定していた。しかし、る。九十九自身の『自由』への思いが故に心を殺してまでの行動に感じるのは、怒りより悔しさだった。
「手前ェで決めたのか。後悔は無ェか?」
その瞳を見定めるように、エリューナクは問うた。しかし、マデレーネの瞳は揺らがない。
「うん。私は――ここが、みんなが、好きだから」
「そっか……強ェな、お前ェは」
「私は戦えないから、弱いままよ……」
「戦える戦えないだけが強さじゃねェよ。お前ェは立派さ、マデレーネ」
牙撃はこの光景を静観していた。
マデレーネについては特に言うことはなく、当人の覚悟に外野がとやかく言うのは筋違いだろうから。
それよりも牙撃は以前話した報酬については向こうが覚えていることを期待している――のだが、あえて催促はしなかった。流石に先代の巫女を守り切れずに報酬を要求するほど厚顔ではないし、無恥でもない。
「……決意を、しなければならないと思う」
微かに震える声で、地領院は言う。
「犠牲を払い、カダルに守られて生きるのか。カダルを捨てて生きるのか、カダルを守り生きていくのかを。地上と国交し連携し、皆が国を守るだけの力を付け、結界に頼らずこの地で生きていける道もあるはずだから」
「そうよ。カダルはもう安住の地ではなくなったわ。今回は敵を撃退できたけど、所在を知られた以上、また襲撃される危険が常に付き纏うんじゃないかしら」
住民達がざわめく中、ギーゴッツが腕を組んで静かに言葉を聴いていた。
「さっきファルツが言っていた事もわかる。カダルこそが貴方達の居場所だって。だから、みんなでよく考えてみてほしい。この機会に、貴方達はカダルを捨てて地上へ移住するべきよ。現代なら久遠ヶ原学園を通じて世間に働きかければ、不可能ではない筈よ」
ざわめきは止まらない。仕方のない事であった。カダルで生まれ、カダルで育ち、カダルで死ぬ。それが、ここの住民達の『平和』であり『日常』であった。
「何より、これまでのカダルの平和は、代々の巫女の自由を犠牲にして得たもので、これからはマデレーネを犠牲にして、貴方達は自分達の平和を得る。……私はそういうの、好きじゃないわ」
一人の巫女を柱として縛り付け、出来上がる平和。
かつては致し方ない事だったかも知れない。だがしかし、今となっては残酷で、恐ろしい慣習とも言えた。
「みんな……」
マデレーネは零れ落ちる涙を拭い、場を望む。窮屈だが愛するカダル、海の天、大好きなみんな。憧れの地上。地上の友人。
「さよならは、こんな形ではいけないと思う。だからあたしは、そのためなら協力は惜しまない。君の笑顔をもう一度見たいから、さ」
「……うん!」
瑠璃堂はあるものをファルツに渡す。
「ファルツさん……これを」
「これは?」
携帯電話と、その簡単な使い方と久遠ヶ原の連絡先を記したメモである。
「また遊びに来たいし、何かあったら連絡が取れるようにしたいから」
「連絡? ……何のだ?」
「おそらく脅威が完全に去ったとは言いきれないから、すぐ結果を解いて自由に、なんて簡単には言えないわ……マデレーネちゃんが自分で決めたことだから、今はそれを応援しなくちゃね。それに、一緒に次に会う約束も決めておけば、そのときに連絡が取れなくなった時も安心かしら」
「何かその……悪いな。ずっと世話になりっぱなしだ」
「気にしないで。私もここは気に入ってるから……」
辺りを見回した瑠璃堂はふとある事に気づき、ファルツに提案する。
「……最後に、もう一度、カダルを見て回りたいわ。お店もまだ見れていないしね」
「そう言えば、まだ案内してなかったな。ついて来いよ」
「ありがとう」
先をゆくファルツに続き、瑠璃堂は歩き出す。カダルは小さい街だ。時間のうちに戻ってこれるだろう。
今更わざわざ見て回る必要も本来はないのだが、瑠璃堂にとっては必要であった。この幻想的な街を、記憶にしっかりと刻み込んでおきたかったから。
「いいか、本当に大事なものは手放しちゃ駄目だぜ」
「うん。ありがとう。ずっと大切にしていくわ。ここも、みんなも――あなた達との思い出も」
ユーティライネンの言葉を一つずつ受け止めながら、マデレーネは頷く。
「そうだ」
何かを思い出したエリューナクは、懐からあるものを取り出してマデレーネに小箱を手渡す。繊細な彫刻が施された淡い色合いで、蓋には愛らしい天使の絵が描かれていた。
「これは?」
「開けてみな」
蓋を開けると、中から陶器でできた小さな天使がくるくると回りながら聖歌を奏でる。爪弾かれるのは慈しみ深き信仰の曲。
「すごい、綺麗……!」
「オルゴール、ってんだ」
天使のオルゴールに見入るマデレーネ。
「たまにはコレで外界を思い出しな」
「うん。何かあった時……これを見てみんなのことを思い出すわ」
小箱を胸に抱くマデレーネを見て、神埼は引き際を見極めた。
「それじゃ、私達は地上に帰るから。オルカを掛けてもらえるとありがたい、かな」
残念がる住民達を引き連れ、町の入り口へと向かってゆく神埼達。
「待て」
留めたのはギーゴッツである。
「今の地上の者達よ、我々は勘違いをしていたようだ。お前達のような者もいる事――」
始めこそ頑なな態度で接していた族長も。
「確かに心得た。今回の一件、我々とこのカダルを守ってくれた事、心から感謝する」
深く、頭を下げた。
「カダルの今後も、我が娘の事も、心配に及ぶ事ではない。我々も、新たな平穏を得る為に再び歩みださねばならないのだからな」
「お父さん……!」
娘の言葉に、父親は言葉で返さない。ただその広い背中を以って、娘に答えた。
「これでさようならという訳ではないから」
薄水色の光が十達を包む。別れの時だ。
「必ず……必ず、また会おう」
「――うん!」
地上の存在と、海底の存在。決して交わらなかった筈の存在が、再会を誓って握手を交わした。
また、いつか。
海の天が静かに流れ、彼らをずっと見守っていた。
海図を頼りに、ゆっくりと浮上してゆく。目当ての場所まで行くことができれば、迎えの船が回収してくれる手筈だ。
一同は何も話さず、ただ目的地へと向かって黙々と浮上していた。オルカの不思議な感覚ともしばらくは別れを告げ、酸素と重力が渦巻く地上へと回帰する。
「海底ともこれでオサラバだな。やはり地上と違って窮屈で息苦しい。そこはマデレーネに同意だ」
「そうだな、彼女は誰よりも自由を愛していたから……」
立つ鳥が後を濁さないのは非常に良い事ではある。が、やはり十としては辛いものがあるらしい。
いつかマデレーネが真の自由を掴む時が来るだろう。しかし、それがいつになるのかはわからない。その時まで、マデレーネはずっとカダルの中に閉じ込められているままなのだ。
「……まぁ、奴らも地上に未練があるならいずれ上がる日も近いだろう。次の巫女はしきたりなんぞ気にしないだろうからな」
牙撃の言う通りであった。族長の言葉に耳を傾けた住民達の目に映ったものは希望であり、決して絶望ではなかった。
「そうか……そうだな」
ふと上を見る。
「見えた」
太陽の光が水面にたゆたい、あたり一面を青く照らしている。
「光だ」
この青の、さらにさらに下。光さえ届かぬ深海の底に、彼らはいた。
隠者の平和と、少女の祈り。これからは未知の未来が待っている。
ただ、一つ。言える事があるとすれば――
そこは、確かに楽園だった。
【了】