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カダルは騒然としていた。
ガラス球の光で薄く照らされるそこには、生ぬるい血の赤が鮮烈に残っている。
住民達の不安と混乱は未だ続き、どよめきが場の空気を震わせた。
しかし、そんな中で素っ頓狂な声を上げる者達が。
「あ? つなっしーが一人だけで敵の大群に突っ込んだだぁ?」
「そうなんだ。せめてお前達が来るまで、って……」
ファルツから話を聞きながら、深い溜息を吐いたのはヤナギ・エリューナク(
ja0006)。
「……ま、その気持ちは分かるケド。とりあえず、さっさと俺らも出てつなっしーと敵の大群を何とかしねェと」
カダルの天に薄く見える敵の影。エリューナクは入り口に邪毒の結界を施し、万が一の最終防衛線を作り上げる。
「一人で先に行ってしまうなんて、まったく無茶なことして……」
軽く頭を抱えつつも、深海をゆく瑠璃堂 藍(
ja0632)。
そのうえ、状況に余裕はない。やることは決まっていた。
「すみません、私にもオルカをお願い!」
騒然としたカダルの中、神埼 晶(
ja8085)の声が響く。その凛とした声に我に返ったカダルの住民達は、陸の者に次々とオルカを施してゆく。
「さて、ちょっくらダイビングと洒落込むかね。あんだけ居りゃ、フカヒレ取り放題だな」
遠目にさらなる敵影を確認して呟いた向坂 玲治(
ja6214)をはじめとし、次々と海の中に飛び込んでゆく。
その中で、地領院 恋(
ja8071)は生命探知でより多くの反応が多い場所にあたりをつけ、神埼に話しかける。
「多く敵の集まる場所……そこに十君もいるんじゃないか」
「まずはそこに向かわなきゃ」
気になるのは一人で飛び出していった十である。遠目でもわかる大群だ。無事ではないだろう。
一刻も早く、彼の元へ。彼らは深海の水を切って行った。
――予想の通り、当の十は絶体絶命であった。
「まだだ……まだ、やれる……!」
そう強がってはいても、服を破って白い肌に作られた血は靄のように辺りを漂い、手は震え、意識も朦朧としてきた。
いくら十でも、この数を相手にするのは難しかったか。
……いや。
まだ気を失ってはならない。せめて、彼らが来るまでは――
歯を食い縛り、必死に手足を動かしても、最早気力で持たせるのも限界であった。ぼやける視界には、自身に向かう攻撃を察知できない。
「――っと、危ねぇ!」
その攻撃を庇護の翼で受けたのは向坂であった。彼の前に躍り出てカバーした向坂は、そのまま真っ向から相対する。
「君達……!」
敵の集団に真っ向から突っ込んだ向坂は、全周囲に注意を配りつつ自身が対応できる量の限界まで鮫を相手にしつつ、その場の足止めを行う。ラファル A ユーティライネン(
jb4620)も、水中用擬体に変身して全力を尽くすまでだ。
突如とした――いや、待ちわびた者達の登場に十は呆然としつつ、その場に漂っていた。状況に希望が持てたからであろうか、視界は驚くほど明瞭だ。
「なにやってるの!? 怪我だらけじゃん!」
神埼は青ざめた。流れ出た血は十の周囲を靄のように漂い、深海を濁った赤で染め上げる。
「神埼君か……すまない、ご覧の通りの有様だ。だが……せめて君達の準備が整うまで誰かが、ここで戦わなければ……カダルは、滅んでいた……かもしれない」
「ま、気持ちはわかるさね。仕事抜きでやる気にさせてくれる状況さねぇ……護りたい気持ちはうちにも有るしねぇ」
九十九(
ja1149)は自身が育った故郷の小さな里とカダルを重ね合わせていた。頭の中で巡り巡る過去は仕事がどうこうは問題の外。ただ一心に、そして感情的に、護りたいと、そう思わせる。
だからこそ九十九は十の無理な行動に焦りや危機感を感じはしても、同じ状況に置かれたのならば同じ行動を取っただろうと共感した。
「一番やれやれなのは……また鮫型か……ふぅ」
深い溜息はその深さのぶん、大きな泡がゆっくりと生まれた。鮫型の天魔を相手にするのはこれで七回か八回目になるのだ。いい加減、気も滅入る。
地領院は十の傷に手を翳す。すると指先から発される光が十の傷口を塞いでゆく。
「下手にすれば傷口が開く。もうあまり話さない方がいい」
「本当に申し訳ない……ありがとう」
「けれど、少し安心して欲しい。君のお陰で、私たちはここに到着できた。人は一人では戦えない。だからこその仲間だ。でも、だからこそ、その誇りは無駄にはしない。絶対に、護る」
強い瞳で地領院は呟く。
「それにしてもつなっしー……ボロボロだな」
「一丁前に飛び出したらこの有様だ。オルカを施してもらったファルツにも申し訳が立たない」
苦笑し合うエリューナクと十。
「ま、アツいつなっしーも嫌いじゃねーゼ?」
でも、と続いたのは神埼であった。
「つなつな、一人で突っ込んじゃダメだよ。何のために私達がいると思ってるの! みんなでカダルを守るんでしょ!? ここは私達に任せて、つなつなはカダルに戻って」
「いや、しかし……」
弱弱しい反論を射抜いたのは牙撃鉄鳴(
jb5667)。
「素直に引かないようなら放っておくだけだな。死んだら死んだでその時だ。俺は知らん」
状況は逼迫している。それを一番知っているのは、十ではないだろうか。
「手負いの人間を頭数に入れてこれ以上の負傷されると足手まといだ。オルカの効果時間もある。一人で動ける内にカダルまで下がって大人しくしていて貰おう」
「……」
傷口の痛みと共に、自身が今やるべきことを痛感する。
「ああ……頼んだ」
「十先輩は私がカダルまで届けるわ」
瑠璃堂が十に寄り添い、カダルに向かってゆく。
残る七人が、サメの群れと改めて対峙する。
「来たわね。ここから先には通さないわよ」
全体の戦況を見渡せる位置まで下がった神埼は、いかなる方法でもカダルに接近するサメを迎撃する。スナイパーライフルXG1から放たれるスターショットの軌道が海中で煌々と直線を描く。
「来いよ! 相手になってやるからさァッ! アタシは! 仲間が流した血を! 無駄にできるほど! 冷たくはなれねぇんだよ! 」
前へ前へ、恐れずに、ただ愚直に。
地領院は体当たりを不動で受け止め、そのまま前進する。その先の群れの中に突っ込んだ瞬間、紫電とその衝撃が炸裂し海域中に轟く。
すり抜かれた。取り逃がしたのがいたか。だが、後ろに誰もいない――訳ではない。
「――晶ちゃん!」
「オッケー、恋姉!」
神埼のクイックショットの雨がサメの体を貫く。
「……と。サメ型ディアボロか」
もし鮫の習性もあるのであれば、血に寄る可能性もなくはない。
……確証はない。が、やらないよりやった方がよほどいい。
小刀で二の腕を少し切り、その上で大群に接触する。しかし、狙った以上の効果は得られない。
「なるほど、つなっしーの血の方が多いからか」
先ほどから靄のように漂う十の血。それが原因か。ならば作戦を変更し、ニンジャヒーローで意識を引き付ける。十がカダルに戻る為の手助け程度はできるだろう。
「さ、ガッツリ行きますか」
大群に突っ込んでいたのだ。手の届く範囲に敵ならいくらでもいた。
放つは、雷遁・雷死蹴。一直線上に鋭い一撃が閃光の如く奔る。
命中した敵から手堅く葬っていくが、この量だ。ヒットアンドアウェイで動き回る敵に注意しつつも、次から次へと襲ってくる。
しかし、エリューナクに向かうサメの動きが止まる。後ろには、向坂。
「確か、泳がないと呼吸できないんだったか?」
影の腕でサメを縛り上げて身動きを止め、すかさず接近してフルメタルインパクトを叩き付けた。衝撃波が水を揺らす中、ダークハンドが及ばなかった鮫の体当たりを集中させたアウルを使って微動だにせずその場に留まる。
「大人しく飛ばされると思ったか? 残念だったな」
逆に飛ばされるのはお前だ――と言わんばかりに、シールドで押し返す。
「フジツボの撃ち漏らしに気づかなかっただと? 油断したか……」
だが、過ぎたことは仕方ない。さっさと敵を駆除するのみだ。
「今日の俺は機嫌が悪い。ひと思いには殺らんぞ」
以前狙撃のポイントに目星をつけていた甲斐があった。そこから、一匹ずつ正確に撃ち抜いて行く。
全てを焼き尽くす暴力。
その名に違わぬ正確無比かつ冷酷無比な狙撃。
カダルに迫り来るサメから順当に撃ち落す。浮遊感の中でも弾丸は一直線を描き、目標にぶち当たってゆく。
「おばあちゃんのことは私たちにも責任があるわ……今度こそ守り抜いてみせる……!」
最前に立った瑠璃堂はナイフを構える。
「この前のタコは偵察ね……それから間を置かずに、こんな大軍を送り込んでくるなんて。何が目的か分からないけれど、ここは絶対に通さないわよ……!」
彼女の体がナイトミストで覆われ、サバイバルナイフの尖端の煌きすら影の霧に隠される。
敵の数が多い。それが何だ。囲まれないように注意すればいいだけの話ではないか。
仲間とつかず離れず、万が一のフォローもできるような絶妙な位置取りで鮫肌を切り裂いてゆく。
瑠璃堂の前線復帰で十がカダルに完全に撤退した事を確認した牙撃は、カダルに近い敵から次は目やヒレを狙撃する。今度は敵の行動速度を削ぐ事に徹する。
(しかし数が多い)
舌打ちをした瞬間、周囲の気配に気付く。
多角から複数の攻撃。一気に迫り来る。
ディアボロにしてはやけに知能の高い動き。不自然であった。
(この組織的な行動、指揮している奴がいるのか……?)
背中から深度を落として回避し、上を仰いぎながら激突しているサメの姿を確認しつつブーストショットで尾鰭を打ち抜く。
「どうやら、あそこにいる奴が指揮官らしいね」
地領院は生命探査である不自然な点を発見する。特定の場所に固まり、微動だにしないサメの群。中央で何かを守っている陣形。指差す先を見れば、仄かにそこが光っている。
「――気付いたようだね」
奥に控えていたサメ達も動き出す。
星の輝きで気を引き、真正面から攻撃を叩き込んでゆく。
「恋姉!」
攻撃の動きの隙を取られて背後を取られたが、そこに神埼が射撃を入れて追撃を防ぐ。
「悪いね、晶ちゃん」
薄い笑みを返したが、二の腕が痛む。掠ったか。鮫肌のせいで少々傷が深い。
「大丈夫さね」
「助かる!」
傷ついた地領院を癒す九十九の花信風 来来百花娘娘が優しく香る中、迫るサメを蒼天風 降来威天雷帝が射抜く。雷光の花が深海で煌き、はじける音を鈍く伝える。
傷が塞がり、再び自由に腕を動かせることを確認した地領院は、構えなおして一気に前進する。
「まだまだァ! アタシ達はここを! 絶対に守るんだよォッ!」
まだ敵はいる。これら全てを排除しない限り、この戦いは終わらない。
銃後のカダル。
守りきるまで、絶対に通しはしない。
激戦の音は、水を伝い、カダルの結界にまで届いている。だがしかし、その事は誰も知る由がなかった。
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――激戦は。
オルカの活動限界時間を越えても尚続く。限界が近づいたらカダルに帰り、住民にオルカをかけて貰い、再度出撃……そんな事を幾度繰り返したのだろうか。
サメの数もかなり減った。両手でやっと数え切れる数から、片手で事足りるまでに。
「おっと、そっちには行かせねェぞ」
それでもなお残っているしぶといサメは賢いもので、消耗した一同の一瞬の隙を突いてカダルに接近しようとする。そこをエリューナクがニンジャヒーロを使って誘導。
その瞬間にカダル後方側に控えていた九十九が顔――特に鼻を狙って矢を放つ。本物のサメと相違があるかは別として、効果の有無を確かめるために一度は狙って撃ってみたかったので丁度良かった。
「さぁ、どうなってるさね……」
この眼差しは百里を見通す風にならん。力願うは方神を翔駆せし白き風の神、風伯――
詠唱を始めると、九十九の四方から発せられた風が水中を泡となって駆け抜ける。そうして見抜くは戦況。影になって見えない鮫、カダルに近づく鮫の存在を暴きだす。
最後の一体。
「――上」
「オッケー」
下から潜り込んでいたエリューナクが、鼻面に向けて鎖鎌で攻撃を掠めて怯ませた後、返す刀で風遁・韋駄天斬り。更に死角に潜り込み、再び雷遁・雷死蹴。
吹き飛んだサメを、少し浮上して周辺で哨戒していた地領院が真正面から頭を叩き割る。
辺りから敵の反応が消えた。
ただ二つを残して。
しかし最後の一体が消えた事に気付いたのか、そそくさと海域から脱出しようとしている。
「行かせるか――!」
向坂が追いかけようとする、が。
「――いや」
牙撃の冷たい声が止める。
深追いはやめておこう。連戦に告ぐ連戦は思った以上に消耗している上、この海域から離れる訳にはいかない。
「そうね。今は……カダルの方が重要よ」
ひとまず、カダルは防衛できたのだ。今回の目的は果たせた。
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十も無事なようで、傷の手当も受けて安静にしていた。
一同の無事を確認し、ほっと胸を撫で下ろしたのはカダルの住民達。この窮地を脱した事を知り、混乱の熱は急速に冷めてゆく。
「無事だったか、良かった」
傷の程はどう見ても十の方が重いのだが、それでも無理に体を動かして起き上がった。
「君のおかげでカダルは無事だった、けど――あまり無茶はしないで欲しい……心配だから」
また傷口が開いてしまうぞ、と治癒術を施す地領院。
「して――敵はどうしている」
「敵に、悪魔らしい指揮官がいたわよ。サメ達をやっつけたら逃げちゃったけど」
「――そうか」
されど当面このような危機がないことは確かで、その事についてはひとまず保留にしても良かった。
「あら……そう言えば、マデレーネちゃんは?」
辺りを見回す瑠璃堂が言う通り、この場にいる筈のマデレーネがいなかった。
「どこに行ったか……それがギーゴッツ殿も教えてくれない。ただ一言、無事とだけは」
「そう。無事なら良いのだけれど……」
彼らはまだ知らない。カダルの巫女が背負う運命を。僅かな自由を差し出したマデレーネの覚悟を。
今はただ、最後に控える決戦のみが眼前に広がっている。
【続く】