●
光すら差さない深い海。その中を生身で行く者達がいた。
「それにしてもこれ、きらきら光っていて綺麗ね……! ねえ、何て言う技なの?」
「星の輝きって言うんだ。これを使うと、あたしの周りがよく見えるようになるのさ」
「星? 聞いた事があるわ。夜の空っていう場所で輝いてるものなんでしょう?」
地領院 恋(
ja8071)の言葉とスキルに魅入るマデレーネ。
今は何もかもが興味津々らしい。マデレーネはそれこそ水を得た魚のように活き活きとしていた。
「んー、やれやれどうしてこうなったかねぇ。海の中は綺麗だけど、地に足がついてないと心許ないねぇ……」
先導するマデレーネの背中を見つつ、九十九(
ja1149)は溜め息を吐く。息ができる、自由に行動ができる、苦しくない。水中を動くのであれば、これ以上の好条件はなかろう。だが体にまとわりつく水の重さと浮遊感が、妙な感覚を生み出していた。
「天魔から自分達を守るために力をつけてきたのに、まさか天魔から天魔を守ることになるなんて不思議ね……」
瑠璃堂 藍(
ja0632)も、ヴィンスという名のストレイシオンにしがみつくマデレーネを眺めて呟く。
敵対しなくてはいけないのもいれば仲良くできるのもいる、というだけのことだが。瑠璃堂が久遠ヶ原に来る前は、人間と天魔は根本的に違う相容れないモノと思っていたせいか、どこか不思議な気持ちだ。でも実際は、どうも大差ないみたいだが……?
「そういえば、マデレーネちゃんのご両親って、お父さんとお母さんのどちらが天使で、どちらが悪魔なの? それとも、ご両親ともハーフなのかしら?」
「どっちともハーフかな。元々ご先祖様達が天魔ハーフで、そのままカダルの中でずっと生きてきたから……」
すると背後から溜め息が聞こえた。
「しかし、要は用心棒をしてくれと……それで、まさかタダでとは言わないな」
牙撃鉄鳴(
jb5667)はそれで、と続ける。
「話を聞く限りだと貨幣制度が存在するとは思えないし、珊瑚や真珠、あるいは沈没船の宝石など、そういう換金性の高いものを報酬としてくれるなら引き受けてやってもいいのだが」
別に牙撃は慈善事業で撃退士をしているつもりもない。人にものを頼むのならば、それ相応の対価を払ってもらわねばならない。
「珊瑚や真珠……あるにはあるけれど……」
難しそうな顔になるマデレーネ。どうやら物の価値とは無縁の世界で生きてきたらしい。
「それにしても、門前払いにあったりしないかしら……マデレーネちゃんが一緒にいるから大丈夫だと思うけど。いざとなれば武器の類は預けてもいいわ」
「どうだろう……でも、みんなが入れるように私、頑張るね。たぶんファルツなら、話したら分かって貰えるかもしれないし。それに、訳を話せばみんなもわかってくれるわ」
小さくガッツを作るマデレーネ。
「じゃあ、まずはファルツって人を味方に引き込んだ方がよさそうね」
二人の助力があれば、族長も神埼達の話を聞くかもしれない。
「あ、見えてきたわ! あそこがカダルよ!」
海底で隆起している谷。その狭間が、仄かに光を発している。よく見ればドーム状の薄い膜のようなもので覆われており、光が反射した所が僅かに虹色に輝いていた。
「あれが……君の故郷か」
「ええ、そうなの。もう少しよ。ついて来て!」
徐々にその姿が近づいてゆく。深海の街、と言うほど大きくは無い。人目を忍んでひっそりと谷間に存在する姿はまさしく隠れ里のそれであった。
膜を通り抜け、足を踏み入れる。
ここが深海の隠れ里・カダル。知られざるハーフ天魔の楽園。
半球の天。上は静かにたゆたう深い海。地上と同じ環境なのに、不思議な感覚だ。
「あ」
辺りを少し見回していると、そんな声が聞こえてきた。
「おい、マデレーネ。お前また海に出てさ、カダルが退屈だからって出るのはいいが門限は守ってくれよ」
調子の良さそうな細身の青年が駆け寄ってきた。この青年が件のファルツらしい。
「ごめんなさい、ファルツ。お父さんはいる?」
「なんだよ急いで……って、こいつらは一体――」
「地上の人」
「はあ?」
ファルツは目をぱちくりとさせながら、マデレーネの後ろの他所者を呆然と眺めていた。
「地上の人。私ね、この人たちに助けて貰ったの」
「嘘だろ。地上の奴らはロクでもねえって、ばっちゃん達が言ってたぞ」
迫害から逃れた者達の末裔らしく、やはり外部の存在には一等敏感らしい。
「落ち着いてこれを見て欲しいんだ」
地領院は真っ青なファルツを宥めつつ、地上で予め撮っておいたディアボロとの戦闘の痕跡や、遺体の写真を見せる。
「……何だこれ」
「話は聞いた事があるかな? 悪魔が生み出したディアボロという手下だよ。このあたりでそのディアボロが見つかってね。しかもそれが捕獲型だった」
呆然としたファルツに写真を手渡し、続ける。
「悪魔側の何物かがカダルの存在に気付いているんだ。マデレーネちゃんはそれに気が付いた。彼女は立派にカダルの事を考えているよ。退屈なだけの少女なんかじゃ決して無い」
その通りだ、と十は頷く。
「信じて欲しい。僕はこのマデレーネに救われたのだが、直後ディアボロに襲われた。偶然ではないだろう」
この上なく苦い顔をしたファルツであったが、自暴自棄で頭を滅茶苦茶にかき回した後、呟いた。
「……いいか、変な事はするなよ。族長が帰ってくるまで、お前の家で待たせておくんだ」
「ファルツ……!」
「ついて来てくれ。裏道を使う。上手く事が運んだ後で広場とかを案内しよう」
そうしてファルツの案内の元、カダルの中を歩いてゆく。裏通りのようで、自分達の他に人通りはなかった。
「深海の町なんて物語の中みたいだわ……」
うっとりとしながら、瑠璃堂が辺りを見回す。
「ああ、美しい所だ」
「そう言って貰えると嬉しいな。何せ、ご覧の通り娯楽の少ない街だ。景色くらいは綺麗にしておかないとな。広場に行けばもっと眺めはいいぜ」
地領院が見渡す限りの道のそこここに光るガラスの球が置かれた光景は、質素と言えど幻想的なものがある。
ファルツは、数度言葉を交わす内に態度は友好的なものへと変わっていた。そこで、地領院は思っていた事を聞いてみる。
「何故住処が海底にあるんだ?」
「俺らの先祖様はハーフ天魔であるせいで迫害を受けてしまってな。色んな所を逃げ回ってたんだと。で、ある時誰かが閃いたらしい。海の底なら迫害する奴は誰も居ないって。だから海の底だよ」
「戦闘手段はあるのか?」
「それが無いんだな。ご先祖様はカダルを作るのに精一杯だったし、こんな海の底だしな。カダルの結界はご覧の通り立派だし、外とは接触しないようにしてきたし」
ファルツはおどけたように肩を竦め、続ける。
「ま、強いて言えば魚を取る為に使う銛を振り回す位かね、戦闘手段は」
「そうか……」
頷いた地領院の隣、瑠璃堂が続く。
「衣食住はどうなっているの? お店とかもあるのかしら」
「食い物はそうだな、主食は魚だ。塩も簡単に採れるし。で、住は岩を掘るなり何なりしてて……服はある海草を術で紡いでできた糸で織った布を使っているんだ。店は……あるにはあるが、話が上手くついてからだな」
やはり独自の生き方というものが確立されているようだ。
「興味は尽きないな……」
だからこそ、守らねばならない。瑠璃堂が言葉を発した。
「この里に脅威が迫っています……結界があれば大丈夫かもしれないけど、そうでないかもしれない……分からないからこそ、私たちと協力して貰えませんか? マデレーネちゃんと出会って、この里を見て……確かに力になってあげたいと思ったから。そう。それと、マデレーネちゃんのお父さんの説得にも力を貸していただけたら、と思って」
微笑む瑠璃堂。この位の女子と言えば跳ねっ返りのマデレーネであったファルツは、初めて見た女子の微笑みに少し赤面しつつも、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「……会えばわかるけど、族長っておカタいんだ」
「そうなんだよね」
むうと唸りながら首を傾げる二人。
「面白いな。誰が堅い、と?」
背後には、筋骨隆々な強面の男が仁王立ちで居た。
「お、お父さん……」
「族長、いつ……」
カダル族長・ギーゴッツ。えも言えぬ威圧を放ち、マデレーネとファルツを黙らせた。
「族長さん」
そんな中で最初に口を開いたのは神埼 晶(
ja8085)であった。
「このカダルは、何者かに狙われていますよ。しかも、ソイツにはカダルのおおよその位置を掴まれていると思って間違いないです」
ディアボロの写真を見せる。
「私達がさっき出会ったディアボロ、明らかに人間を捕獲するための能力を有していたわ。そんなディアボロがなぜこの辺りに出現したか……ちょっと考えればわかるんじゃないの? 今回はたまたまつなつなが捕まったけど、普通であれば人間なんか滅多にいない場所よ。つまり、あのディアボロはカダルの人間を捕獲しようと探していたのよ」
「そうだとしても、カダルは結界がある限り安泰だ。余所者が気にする問題ではない」
その通りかもね、と地領院は頷く。
「だからこれからもそうしていけると思っているかもしれない。でも、人も天魔も日々力を付け生息域を広げているんだ。いざこの場所にディアボロが攻めてきた時、この街は身を守る武器が無いんだろう? だから、アタシ達がその武器になる。それが十君を救って貰った恩返しなんだ」
久遠ヶ原に居るハーフ天魔の写真を見せ、地領院は付け加える。
「世界は変わっていくよ。かつて迫害されたハーフ天魔も、今は久遠ヶ原で仲間として受け入れられているんだ。カダルはアタシにとって余所だけど――それでも、この綺麗な場所が壊されてしまうのは悲しい」
「何という寝言を言っているのだ。余所者はすぐさま立ち去れ」
深い溜め息を吐いたのは牙撃であった。
「自分の娘が悪魔に襲われたというのに、耳も貸さずにくだらないしきたりなんぞにこだわってカダルが壊滅しようと、俺が知ったことではない」
「そうね。私としても、正直カダルが滅びたところで何の問題もないわけよ。でも、マデレーネにはつなつなの命を助けてもらった恩があるからさ。その分、カダルを助ける助力はするつもりよ」
あくまで上から目線の牙撃に、それに頷く神埼。
「地上に戻って『うっかり』ここのことを話してもご自慢の結界とやらなら隠れ切れるのだろうな。そもそも、マデレーネが助けた人間が何故あそこにいたのかと考えれば、ひょっとしたら地上にここのことが既に知れているのかもしれないしな」
真偽は不明のハッタリである。
ちなみに、十とマデレーネの邂逅は偶然によるものだ。
「なら、人間と悪魔の両方を相手取るよりここで俺たちを雇って悪魔を退ける方が賢い選択だと思うが?」
「その通りです。カダルに危機が迫っています。ココで私達の話を受け入れて今後の対策を考えるか、私達の話を拒絶するか――貴方の判断が、カダルの命運を決めます。メンツやしきたりにこだわっている場合ではないですよ」
「聞き入れるのなら、悪魔を撃退して報酬を受け取ったらここのことをきっぱり忘れて誰にも話さないと誓おう。俺は金を払われれば契約は必ず守る」
ギーゴッツは無言でマデレーネとファツルを見る。
「この人たちが言っている事は本当よ。だからお願い、この人たちの言っている事を信じて」
「周辺の海域を探りましたが、確かに見慣れない痕跡がいくつもあった。これはヤバいっすよ、族長」
「ファルツ、お前までこいつらの味方をすると言うのか」
ついに身内までも余所者の味方をし始めたのが琴線に触れたのか、ギーゴッツが怒りに震えているのがわかる。
目線を送りつつ、九十九は前に出た。
「少し頭を冷やしたほうがいいねぇ……」
交渉時に有利になるわけではないのは承知で、忍法・友達汁を使う。余りにもこちらの話を聞き入れていない。少しは冷静になって貰わないと困る。別に嫌われ役を買って出るのは苦痛ではない。交渉方法の一環だ。
肩で息をするギーゴッツを見て、神埼は言い放つ。
「――族長と話しても無駄ね。マデレーネ、貴女がやるのよ。カダルを救いたければ、貴女からカダルの人達に危機を伝えなきゃ」
「……うん」
手をきゅっと握り締め、マデレーネは静かに頷いた。
「その為にも周辺海域の調査はしなきゃ。『オルカ』、使ってくれる?」
「わかった」
街の外れに向かってゆく神埼達の背中を見送りつつ、十はギーゴッツに言う。
「あの子の言葉に耳を貸してくれはしませんか。あの娘は、あなたが考えておられるほど、子供ではありませんから」
かつての自分の姿を重ね合わせながら、十も後を追う。
今は自分のやるべきことをするだけだ。
●
オルカを使って周辺海域の調査に乗り出す神埼達。
牙撃は敵の予想される進軍ルートや狙撃ポイント・いざという時の退路、それとレアメタルや石油などの海底資源がないかを調査していた。後者は人力なので期待はできないが、見つけたらいい金になる。
「……とは言え、無さそうだな」
呆れつつ辺りを見回す。背後には、カダルがあった。
改めて見ると、遠景のカダルは隠れ里でありながらも幻想的な美しさを醸し出していた。確かに、一度足を踏み入れさえしなければ目視すらできない、巧みな隠れ里。
「……使えるかな」
ふと地領院は、懐からデジタルカメラを取り出して電源を入れてみる。すると地上にいる時と変わりなくデジタルカメラは液晶画面を光らせた。
「やはり、美しい所だな」
少し顔を綻ばせた後、視線を戻した地領院は発見する。
「これは――」
「何かあったのかい?」
共に行動していた九十九が、地領院の見る先を覗き込む。ちなみに共に居たのは、一人だと確実に迷子になる自信があり、ここで迷ったら帰れなくなると踏んだからだ。
「まさか」
九十九のテレスコープアイがその『何か』を捕らえる。
それは、この海域の魚やカダルの住民のものではない、明らかに異質なディアボロの痕跡であった。
敵も、自分達の足取りを掴みつつある。残された時間は、もう少ないだろう。
●
同時、マデレーネはカダルの広場に住民達を集めていた。何だとなんだとざわめく住民達の前で、口を開こうとした時、父が現れた。
「マデレーネ」
想定の範囲内だ。しかし、ここで退く訳にはいかない。
「私、やるわ。どれだけお父さんが止めても、私はこのカダルを守って見せる」
頑として退かない姿勢のマデレーネを一瞥した後、ギーゴッツは踵を返した。
「好きにしろ」
「お父さん……!」
去ってゆく父親の背中を見送りつつ、住民達に向き直る。
「みんな、聞いて欲しいの――」
マデレーネは語り出した。この短い時間の間に、自分が体験した事の全てを。このカダルに忍び寄る魔の手を。
状況は、最悪の事態を避ける為に動き始めた。
【続く】