●
庭が荒れている。
それはエドワードによって、何よりも耐え難く、屈辱的な事であった。
女神は奪われ、花は焼かれ、庭は荒らされ。
自分の人生とも、自身とも言える芸術品を蹂躙された極限の怒りで、エドワードは笑う。
このような不躾な者達には、仕置きをしておかなければならない。
仕置き……いや、それだけでは済まされないだろう。
死を以って償いを。
「女神以外全員死ね」
青い薔薇の翼に、荊の光輪。
それがエドワードの真の姿であった。
さらにエドワードが杖を構えると、そこに白いAラインのドレスを着たサーバントが現れる。頭部に据えられたブリキの如雨露が、ものも言わずに佇んでいた。
「いいわァ、その歪んだ思想ォ……黒百合の花言葉に相応しい行為だわァ……♪」
黒百合(
ja0422)が不敵に笑い、愛用の鎌を構える。
復讐、恨み。
これこそが隠された彼女の名の意味。
彼女自身の生い立ちがそうさせた、闇を孕んだ麗しき花の名前。
「多くの女性の命を奪い、ネイさん迄も手にかけようとした 永遠の美しさ? そんな自己満足の美しさ認めない」
蓮城 真緋呂(
jb6120)はゆらりと刀を抜く。
「最早、許せる理由が見つからない。身勝手な妄執……私達が摘み取ってあげるわ」
雑草はどちらか。
生えのさばり、我が物顔で土の養分を吸い取って花壇を痩せさせ荒らす雑草は。
犠牲となった多くの女性の命がそれを物語る。
対峙してきたサーバント達がそれを物語る。
許しがたい所業の数々。理解しがたい思考の数々。
生きて罪を償う事すら生ぬるい。
「如何に砂糖で味付けしようと――あんたが求めたのは単なる死に過ぎません」
百目鬼 揺籠(
jb8361)はカツリと鉄下駄を鳴らす。
砂糖細工は脆かった。
口に入れようと指先でつまんだ瞬間、中のぽっかりとした空洞に納まりきれなかった闇が見える。
ぼろぼろと崩れる色とりどりの砂糖の塊。
歪極まりない死。
「そうよ。美しいものを欲するならあなた自身も美しくないと……ね」
麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)は鎌を構える。
美しくあれ。それは悪ではない。人として生き、何かに魅せられるのであれば、至極当たり前の事だろう。
ただしそれで他人を害すというのであれば、それは悪である。
害すだけではない。蹂躙し、時には殺す。その事の、ああなんと醜い事か。
美しさに固執した末の醜さの、目も向けられない見苦しさ。
「エドワード様は勘違いしておいでです。『華』は、ありのままであるからこそ美しいのです」
リラローズ(
jb3861)は悔いる。
エドワードの美への礼賛の考えと方法を。
歪んだまでの真っ直ぐな執着。
美への使命と名付けた残虐行為の正当化。
「貴方が慈しんでいるのは『華』ではなく、貴方自身の身勝手な価値観でしかありません……本当に、残念です。貴方が、ただ花を穏やかに愛でる者であれば良かったのに……」
枯れるまで精一杯に生きる花を愛でる事ができなかったのか。
ありのままで美しい花だけに目を向けることはできなかったのか。
他の美しいものに嫉妬などせずとも良かったのではないか。
そんな後悔を。
「花は人知れず、指図されず、ひたむきに咲く……生きるために、どんな過酷な道でも、只管希望を失う事なく」
シアン・BR・ルナルティア(
jb2554)は考える。
<己の価値観>という砂糖菓子のゲイジに囚われた彼の心を救わねばならないと。旨く逃げれた筈の彼が撃退士であるネイを見初めた理由が、助けて欲しいという無意識の懇願であったとしたならば。堕ちてく自分を止めて欲しいと願ったのならば。
ルナルティアは物理も魔法も弱い。
だから言葉で磨耗している心に穿ちを入れるしかない。
「あんたの『花』は――あんたに笑いかけていましたかぃ?」
千鳥十文字。
百目鬼の足が纏った黒い炎の蹴りはサーバントを後方へと吹き飛ばす。
「ヴァネッサ!」
「行かせないわよ」
真逆の方向にエドワードを吹き飛ばす蓮城。
「今ですぜ!」
サーバントが吹き飛んだ瞬間、百目鬼の背後から四人が追撃に向かう。
「振られちまったんですぜお前さん。可愛い娘に言い寄る悪い男をね。この国では『悪い虫』ってぇんですぜ」
言葉で逆撫でし、百目鬼は攻撃を誘う。
対サーバントを集中させる為、またエドワードをネイの所へ行かない為。エドワードを引き離して、その意識と攻撃を引き付ける。
「頼みましたぜ、皆さん」
目前の敵を見据える。
その時、舌にあの時味わった紅茶の味が微かに蘇った。
何故ディアボロを引き剥がしたのか。
蓮城はあのディアボロを見て、これまで戦ったサーバント達を思い出した。
これまでのサーバントから考えても、状態異常を仕掛けてくる可能性は高いうえ、その創造主であるエドワードが同様の能力を使えてもおかしくない。
動きを妨げられて二体の相手は厳しい。よってまずは倒し易いだろうサーバントを撃破しにかかる。
「スタンが効かないようだけど……一撃の重さは効いたはず」
さらにエドワードとの距離を離したコレダーの雷撃の残滓が拳に纏わりつく。
「ネイさんは無理しないで。貴女が再び狙われるかもしれないから、自衛に専念して? そうすれば私達は戦いに集中出来る」
「今は後ろにいなさいな。体というより心が揺れちゃってるからね。言いたいことはそこで言ってあげなさい」
蓮城とオルフェウスはネイに自衛を語りかける。
心身ともに不安定なネイは、本人が戦えると言っても戦わせたくはなかった。
一瞬の心の隙さえ命取りになるのが戦いというものだ。
その相手が、自身にとって思い入れのある人物なら、尚更――
だからこそ、二人の言葉には説得力があった。
「……はい」
「うん。ええ子やね」
闇の翼を広げたオルフェウスは、ウィンクを送って前進を始める。狙いはサーバントだ。
「サポート型の敵か。こういうのは長期戦になる程厄介なんだよね。出来るだけ速く片付けたいな」
御門 彰(
jb7305)の言う通りであった。攻撃を仕掛け続けているエドワードに対し、追従していたこのサーバントは直接的な攻撃行為を行ってはいなかった。
エドワードの補助および、こちらへのバッドステータスの付与。恐らくはそれに特化している。だからこそ、早期に打ち破る事に限る。
不意打ち・蹴撃。
神経を研ぎ澄ませ、気配を消していた御門が一気に躍り出る。
「暗殺からの不意打ち……最近こればっかりだな……」
自嘲も含めたような反省を込めて呟いた御門は、されどと考えを変える。
これが間違いなく最終決戦になる。そんな時になりふり構ってなどいられない。立て続けに忍法・髪芝居で動きを止めた。
そこでオルフェウスが鎌を振るい、斬撃を見舞う。
「花盗人は、此処でお終い、ですわ」
ハイドアンドシークで自身の存在を希薄にしつつ、ディアボロをクロスグラビティで攻撃。射撃攻撃で早期撃破を狙う。
右側面に回りこんだ黒百合はロンゴミニアトで薙ぎ払う。
スラスターが風を吹き荒らし、返す刃でもう一度。蓮城が振るう刀の斬撃とトリッキーに組合せ、他の仲間の攻撃に合わせたりずらしたりで畳掛ける。
続き、目にも留まらぬ隼突きを二回繰り出した後、距離を取る。後退の直後出現させた影分身をエドワードの方面へと送り込み、再度接近の機会を伺いつつ弓矢を構えた。
特にこれといった反撃をされない分、早く片付きそうだ。
微かに浮いたドレスの裾。その下には、蹂躙されきった花の死骸が横たわっている。
誰がそうしたのか、尋ねるものは誰もいない。
「咲という字は本来、笑と同じだったのをご存知ですかぃ? よく思い出しなせぇ」
エドワードの動き自体は注視すれば避けれるものだ。しかし堅牢で、攻撃の中に足払いを織り交ぜて転倒を狙っても中々思い通りにはいかない。
自分より美しい<花>を生み出す事で、育成者として上位に立つ事で報われようとした。
ならば<花>となった命に、ルナルティアはどう答えてあげればよいのだろう?
背けられた背の蒼薔薇によってその心は隔され、全てを拒絶しているようで。
「解放してください」
屈折した己の闇から抜け出して、自由に根を下ろす植物達のように……強く儚く生きて欲しい。
「されど抜けれぬ牢獄であるのなら。朽ち落ちるまで貴方の命を奪いましょう」
遠距離攻撃でエド様の足止めをする仲間の援護を行う。
そこに、黒百合の分身が到着。
「助かります!」
分身は不敵な笑みを返答とし、大鎌を振るう。
「小賢しい真似は止して貰おうか」
エドワードの周囲に突如としてビームの柱が幾多にも発生する。
発生場所が掴めない上に、足元が光った瞬間にその場から足をどけても、完全に避け切れないほど早い。
「厄介ですぜ」
掠った時についた頬の汚れを手の甲で拭いながら、百目鬼は呟く。
大規模な技を連発する相手に二人と分身の一体だけでどれだけ持つのか?
次に飛んでくる炎の刃の雨を全力で駆け抜けながら、そう考えていた。
その時。
「どいて」
――涼しい声が聞こえる。
直後、アンタレスの炎がエドワードを襲う。
「貴方の炎なんかに負けない」
蓮城以下、サーバントの相手を行っていた者達が合流。
それがどういう事を表しているのかがわからない程、エドワードも愚かではない。
「まさか――ヴァネッサ!」
エドワードの力の半減。
自身の盾が、半身にも近しい存在が、消滅したのだ。
「美しさと愛に狂うってのは、あたしにもよく分かるわよ? でもね、それを他力でどうにかするのはどうかと思うわ。いくら美しくても、心が腐ってる人が一緒だと、花も腐っちゃうわよ?」
カメラの音が続く。
「遺影は必要でしょ? 飛び切り醜いあなたのお顔、永遠に残してあげるわね♪」
携帯電話でオルフェウスがエドワードの顔を撮ったのだ。
「恋と呪いは表裏一体、相手を想う、という行為は同種の感情だわァ……そして私は好きよォ、そんな歪んだ真っ黒な想いわァ……きゃはァ、絶頂の内に殺して上げるゥ♪」
黒百合はエドワードの考え方は嫌いではなかった。
だからこそ殺す。
好きだから殺すのだ。愛と、憎しみを以って。
炎の隙にエドワードの背後に回りこんだ黒百合は、喉元に噛み付き生き血を啜る。
吸われてゆく血と入れ替わりで、大量の快楽物質が流れ込んでくる。それはまるで吸血鬼の吸血行為が如く。
エクスタシーと言う名のフィーバータイム。
「くっ――」
風の刃で黒百合を引き剥がし、数歩たたらを踏むエドワード。
「全く……どこまでも懲りないね、お前達は」
苦い顔でエドワードは笑う。
「花の害にしかならないような奴等なんだ、せめて花の肥料になって死ね」
杖を掲げたエドワード。その杖の先端から、青い光の弾丸がそれぞれを襲う。
割って入ったルナルティアが、ネイの体をその場から押し出す。
「危ないですの!」
青い薔薇の種がルナルティアの肉体に打ち込まれる。
これは――荊。
弾丸が植えつけられた瞬間、荊が体に巻きついて身動きを封じる。
それだけではない。
荊から蕾が出来上がり、それが徐々に育ってゆくごとに生命力が吸い取られてゆく感覚。
これは弾丸ではない。種子――人の生命力を糧に育つ、忌々しい青い薔薇の種子だ。
動きと生命力を奪う青い薔薇。
巻きつく荊が痛みを与え、咲いてゆく青い薔薇は鮮やかに力を搾取してゆく。けれども止まる事は決してしない。してはいけない。
「……俺が死んだってネイさんは渡しません。トモダチですからね」
百目鬼のそれは、意地での食らい付きにも近かった。
このまま喉笛を噛み切ってしまいそうな勢いだ。
体力が奪われるというのであれば、こちらもエドワードの体力を奪って鬼術『魂食』で消耗した分の回復を行うまで。
鬼の矜持というものがある。
技の名前でもあり、百目の鬼の心の在り様でもあり。
全神経を集中させ、突き進み――嗤う。
荊の痛みに構う事などない。
総力戦だ。
持てる技の全てと、持てる力の全てを出して。
最後の戦いに挑む。
その最中、百目鬼はネイに問う。
「ネイさん、あなたが決めてくだせぇ。俺らは奴の撃破を狙ってます。ですが、ネイさんが望むなら――生かせて然るべき裁きを受けさせる事も考えていやす」
サーバントを倒したおかげか、これまでの戦闘の事もあってエドワードをかなり消耗させた手ごたえがあった。
数の上では元からこちらが有利。持てるスキルの全てを使っての総力戦に打って出たとしても、確実にこちらが勝つだろう。
「あの方に、ネイ様のお言葉をお送りするのです」
だからこそ、ネイに問う。エドワードの生死を。
エドワードには、生きて裁きを受け、罪を償うだけの価値があるのかと。
ルナルティアは、自分の言葉を花にそっと優しく語り掛ける様に問うた。
彼女が望むのであれば、そっと砂糖菓子より甘い死を愛しきエドワードに差し出す。その心の準備はできていた。
「奇蹟の意味を持つその花は、不似合いよ」
蓮城は杖の一振りを刀の峰で受け流す。
魔法攻撃こそ脅威ではあるが、近距離の物理攻撃となると脆い。
見切ることなど容易いどころの問題ではなかった。
「死をもって償いなさい」
青い薔薇の翼を切り落とし、コレダーで顔面を殴る。
情けはない。容赦もない。
「――待って、ください」
微かな声だった。だが、蓮城はそれを決して聞き逃しはせず、刃をびたりと止めた。滑らかな刃がエドワードの首の皮膚を切り裂く一ミリ前。
「……女神に救われたわね。報われない恋の哀れなナルキッソスさん?」
ネイが存命を願うならトドメは刺さず、無力化捕縛したいのが蓮城の考えであった。被害を受けてもそう想える理由があるはずなのだから。
「この先は死ぬより辛いかもしれないけど」
数歩後ずさりながら、蓮城は刀をゆっくり鞘に納める。
「エドワード、さん……」
かつて、自分を呼ぶ声がした……ような気がした。
かつて、助けを呼ぶ声がした……ような気がした。
「私は、あなたを救いたい……助けて、という声が、ここから聞こえた気がしたんです……それは、この事件の被害者の方々の声かと思っていました」
けれど、違った。
今ならこう思える。
あの助けを求める声は、何よりもエドワードのものであったと。
美しさに固執し、嫉妬の末に無辜の美女を殺して回り、挙句にはネイを女神と呼び称えて人形に仕立て上げようとした。
あの狂気に突き動かされた、エドワードの心の奥底にあった叫びなのだと。
もし解放する事ができるのであれば、そうしたいと。
ネイは思う。
純粋に花を愛で、客人に紅茶を持て成すエドワードに戻ってくれればと。
しかし――
「あっはははははははは」
それも、砂糖菓子のような幻であったら、どうであろう。
乾いた笑い。
「……ほら、ご覧。花が沢山咲いているよ」
焦点の合わない目と覚束ない足取りで歩くエドワード。
「アネモネ、トリカブト、オトギリソウ、スイセン……どれも美しい、色とりどりの花達だ。ほら、ご覧よ。綺麗だろう? 全て僕が育てたんだ」
目の前にあるのは、戦闘で荒れ果てた花畑だけだ。無事な花など、少なくともエドワードの目に入る所にはない。
「その花は、どこにも――」
リラローズがあたりを見回すと、エドワードは燃えた花を一輪摘み取り、「ほら」と見せた。
「そう見えているんだろうね、彼には」
御門は呟く。
燃えた花さえ鮮やかな花に見えているのだ。
「……可哀想な人」
蓮城は呟く。
もう幻しか見えない可哀想なエドワード。
執着と妄執と戦いの末に心を壊し、焦点の合わない世界の中で幻覚しか見据えなくなった可哀想なエドワード。
きっとこのまま生き続けたとして、自分の罪など認めはしないだろう。
自分が罪を犯してきたことなど知らないだろうから。
花よりも美しい女性に嫉妬を抱く前のエドワードとなったのだから。
収めかけた刀を、蓮城は再び鞘から抜いた。
笑い続けるエドワードに、ダリアは一歩踏み出した足を静かに戻し、首を横に振った。
「……いいんですかい?」
「はい」
百目鬼の問いかけに、ネイは消え入りそうな声で答えた。
もう手遅れ。どうしようもなく手遅れなのだ。
「もう終わりにしましょォ……」
「エドワード様、残念ですの」
黒百合とルナルティアも武器を構える。
構える一同。そこから先は、一瞬だった。
「さようなら、エドワードさん……」
涙と共に、ネイの言葉が零れる。
「さあ食べよう」
荊は枯れ、薔薇は朽ち。
砂糖漬けの死は、何も言わずにその毒牙を頚動脈に突き立てる。
「きっと……きっと砂糖より甘い死だ」
美しさに固執した醜い天使は、その幻想を胸に抱いたまま消えていった。
●
青い薔薇は枯れ果て、薔薇で飾り立てられた別荘も見る見るうちに廃れてゆく。
戦闘の痕が生々しく残る地下の庭。
天は夜空などではなく、そこはもう、ただ花が植えられてあった、巨大な地下の空洞であった。
そこで百目鬼とオルフェウスとリラローズは、庭の整備を行っていた。花に罪はなき故に、エドワードの花を愛でる心は尊重したいのだ。
「俺も花に悪いことしちまいましたし……それに奴さんも一人は寂しいでしょう」
「よく聞く言葉だろうけど、花に罪はないからね。綺麗になって出直しなさい。あなたの『美』は、ただのメッキでしかないわ」
数少ない無事な花を、オルフェウスは綺麗にしておいた花壇に植え替える。まるでそれは、エドワードの墓標であった。
そんな風景をぼんやりと眺めながら、ネイは少し焦げたベンチに座っていた。
心ここに在らずと言った風で、虚ろなをしており焦点が合っていない。
「ネイ様」
ルナルティアが話しかけると、我に返ったかのように体をびくつかせた。
「私は……私は……」
ネイは未だ、その心中を言葉にする事ができなかった。ささやかな幸せの記憶と、強烈な不幸の記憶が入り混じって、言葉にならない感情だけが空気を微かに震えさせる。
「大丈夫」
隣に座ったリラローズは、そっとネイの背中を撫でる。
「悪い事ばかりは続きませんわ。大丈夫、大丈夫です……皆、貴方の友人です。辛い時は、どうぞ甘えて下さいな」
明けない夜はなく、花はみな朝日を受けて咲く。
「怪我を癒したら、またお茶会をしましょう」
だからこそ、今の夜ではなく次に来る朝に心を寄せればいい。心配しなくても、空はもう白んできているのだから。
「ええ。ネイさんはよく頑張りましたぜ」
百目鬼も優しく頭を撫でる。
「ね、今度みんなでお茶でもしましょ。この前ね、いいお店を見つけてんな」
百目鬼に腕を絡ませ、からかい半分にオルフェウスは問う。
「ね? あたしの美しさはどんな感じ?」
「そうですねぇ……」
足元には花。気高く、強い、
「……いや、やめておきましょう。言わぬが花、って言葉がごぜえやす」
「えー、なんやのそれ」
口を尖らせるオルフェウスの隣、百目鬼は軽く笑う。
「さあ、帰ろう。色々と報告しなくちゃいけない事もあるし……」
「そうねェ。それと、お風呂に入りたいわァ……庭仕事は流石に汚れるものぉ」
御門と黒百合が歩き出す。
「ネイさん、もう少しだから。もう少しで帰れるから。それから……また考えましょう」
差し伸ばされた蓮城の手を取って、ネイはゆっくりと立ち上がって頷いた。
「……はい」
帰ろう。
一同を追うようにして、ネイも歩き出す。その時、視界の端にあるものが見えた。
一輪の青い薔薇。
その香りを確かめようと、拾って顔を近づける。
「あら……」
すると、どういう事であろう。薔薇は、みるみるうちに朽ち果ててしまったではないか。
「……」
しかしネイは構うことはせず、朽ち果てた花の香りを確かめる。
何も香ってこない。きっと食べても同じ事。
無味無臭の朽ち果てた青い薔薇は、まるでエドワードのようだった。
朽ち果てても尚、網膜に焼き付いて離れない鮮烈な青い薔薇は――
どこかで砂糖に漬けられて、誰かの砂糖漬けの死となる事を待っている。
【終】