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エレベーターは、静かに下ってゆく。
「先にひとつ聞いておきます」
妙な緊張感の元、百目鬼 揺籠(
jb8361)は口を開いた。
「此れからお会いする彼の人は、ネイさんの『お友達』ですかぃ?」
「はい。エドワードさんは、お友達、ですが……皆さん、どうかされたのですか?」
おほん、と咳払い。
「雑草やら芝刈り機やらのサーバントに襲われた後に植物大好きな天使からお茶に招待さ れるなんて、タイミングがいいというか何というか……」
伊藤司(
jb7383)は言葉を濁す。
先の襲撃からあまり時間は経っていない。そんな時に植物を好む天使と出会う事になり内心警戒をしているのは、伊藤だけではないだろう。だが確証はない。今はできる限り波風を立てないようにしなければならないのだ。
「いつもどうエドワード様とご連絡を?」
「伝書鳩を使っています。いつも寄越してくださるので……今回の招待も、こうして」
シアン・BR・ルナルティア(
jb2554)が、ネイの取り出した招待状を受け取って目を通す。手紙自体に怪しいものはない。
「ゆりり〜ん」
特に胸の露出の高い黒のドレスに高いハイヒールを身に着けた麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)が、胸の谷間を百目鬼に見せ付ける。
「せっかくやからおめかしせんとね♪ 似合う?」
「ええ、麗奈サンはすごく似合ってますぜ。ただ……目のやり場に……」
「あれ?これくらい普通よね?割と抑えたほうなんやけど……」
目を逸らす百目鬼。
「ネイ様が懇意にされている堕天の君、ですか。素晴らしい温室をお持ちとの事、私も素人の域を出ませんが、お花を愛でるのも育てるのも大好きですわ」
残った緊張を解すかのように、リラローズ(
jb3861)が花が咲いたかのように笑う。
「アフタヌーンティーパーティも素敵♪ 皆さんとご一緒なら、楽しいひとときになりそうですね」
「そうね。楽しみだわ。エドワードさんか……どんな天使さんなのかしら?」
蓮城 真緋呂(
jb6120)である。まだ見ぬ堕天使・エドワードの人物像をふと考える。
「お屋敷、こじんまりしてるけど雰囲気あるわね。でもお茶はお庭で、じゃないの?」
ネイが向かったのはどこでもない。温室のさらに奥にあるエレベーター。
地下に一体何が……そう考えた瞬間、扉が開く。
「ようこそ、皆さん。お待ちしていたよ」
エレベーターの前には、件の堕天使エドワード。
「わあ凄い! ひろーい!」
芝生を踏みしめ、蓮城はその広さに驚く。物理的に地上と一致しない筈な程に広大な庭園。
風が吹き抜け、花は揺れ、木はそよぐ。
「お誘い頂き至極光栄。本日は宜しくお願いしますぜ」
「この度はお招きいただきありがとうございます♪」
優雅に挨拶をする百目鬼とオルフェウス。
「こちらこそ、お会いできて嬉しいよ。エドワードだ」
「お会いできて光栄ですわぁ。よろしければ、こちらをどうぞぉ」
黒百合(
ja0422)が差し出したのは手作りのハーブティに一口サイズのローズケーキ。
「こちらもよろしければどうぞ」
百目鬼も金平糖を手渡す。
「丁寧にお土産、ありがとう。折角だしこれも出そうか。おいしそうだね……これは金平糖か。初めて実物を見たよ。和菓子ってなかなか自分では手が出なくてね」
続け、事前に買っておいた植木をエドワードに手渡すルナルティア。
「昔は蒼薔薇姫シアンと呼ばれていましたが、今はただの……シアンですの。よろしくお願い致しますの。エドワード様」
「シアンさんか。よろしくね。この素敵な植木もありがとう。この庭園の仲間にするよ」
「花に囲まれて暮らすのはとても幸せで喜びあふれますの、エドワード様は幸せですの」
「ふふ、そうさ。僕はこの上なく幸せだよ」
沢山の土産と、沢山の花。
幻想的で、どこか得体の知れない常夜の地下庭園。
敵の本拠地かも知れない。
「さ、席まで案内しよう」
だが今は、武器を構える時ではない。
静かに、密かに、爪を研ぐのが、正しい。
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「本格的、ね……!」
テーブルの上の菓子や、カートに収められた紅茶葉の缶の数々に瞳を輝かせる蓮城。
「へぇ、こういうハイカラなのは新鮮でさ」
百目鬼は甘いのも紅茶も好きだ。しかし、エドワードの前に置かれたカートにずらりと並ぶ紅茶缶の数々には驚かざるを得ない。
「しかし、紅茶ってぇのはこんな種類あるもんなんですか」
「それでもお店には負けるさ」
手際よく紅茶を淹れてゆくエドワードに蓮城は質問する。
「紅茶、ジョルジは流石に無いかしら?」
「ジョルジは……待ってくれ。確かまだ残っていた筈だ。さ、待っている内に食べてくれ」
「やった。それじゃあいただきます!」
食べ物を手当たり次第幸せそうに頬張る蓮城。こう見えて痩せの大食いである。
「お屋敷も立派ですし、殊更温室は素晴らしいですわ……! エドワード様は、お一人で此方にお住まいですの? このお花のお手入れもお一人で?」
「ああ、一人暮らしだよ。無精者だから、地上は色々と散らかっているけれど」
リラローズの質問に、苦笑しつつエドワードは答える。
「夜をイメージされた庭園で植物に必要な射光はないようですが、光合成などはどうされているのかしら」
「夜空の星や照明が日光のように作用しているんだ。光源は沢山置いているから、地上と変わらない速さで育ってくれているよ」
しかし、蓮城の疑問は根本的に解決しなかった。
「この地下庭園は何故夜なの? 植物って日光に当てた方が良いものでしょ」
「僕は夜が好きでね。そんな中で花が咲いていたら素敵だと思ったんだ」
そうだとしても、堕天使がこんな空間維持出来る魔力を何処から供給してるのか。彼は本当に堕天使なのか。好意的な態度は崩さないが、疑いは晴れない。
「お手入れも勿論でしょうけれど、特別な肥料など使っていらっしゃるのですか?」
「特別な肥料は使っていないよ」
質問するリラローズに答える彼の微笑みには、自らが築き上げた花園への絶対の自信があるように感じられた。
「お菓子も紅茶も、とても美味しいです」
「そう言っていただけると幸いだよ」
リラローズは特にエドワードに対して疑念や警戒を持っておらず、純粋に親しみを感じていた。それにネイの友人ならば、失礼があってはいけない。
「花に詳しいのですねェ……なら、私の名前の花言葉ももちろんご存知ですよねェ、素敵な名前でしょォ♪」
「『恋』と『呪い』か……名前からして、美しい花だよね」
エドワードの微笑みは変わらない。控えめで、厭世的な笑み。……少し不気味なようにも見える。
話をしている間、ポーカーフェイスを保って周囲の状況を探る。しかし、罠らしいものや敵は見つからない。
「素敵やねぇ……でも一人やと管理とか大変そう」
オルフェウスが辺りを見回すと、隅にある小屋が目に入る。
「あれは?」
「用具入れだよ。あそこは立ち入り禁止だよ」
その言葉に蓮城が疑問を持たない筈がなかった。
「どうして用具入れなのに立入禁止なの?」
「散らかっているからさ。流石にあそこを見られたら恥ずかしいよ」
ここで伊藤がヒリュウを音もなく召還し、視覚共有を生かして離れへと向かわせる。無論伊藤自身は動かない。
百目鬼がさりげなく質問する。
「一番気に入りの花はなんですかぃ?」
「そうだな。ここにある花は全部気に入っているけれど……最近、ようやく青い薔薇が咲こうとしている所さ。長年研究してきたものでね」
青薔薇、という単語に何よりも反応したのはリラローズであった。
「私、特に薔薇は大好きですの! もし宜しければ、拝見しても?」
「そろそろ咲くというと今は蕾なのかな?」
首を傾げる御門 彰(
jb7305)。
「いいよ。花だって、沢山の人に愛でられたいと思っている筈さ」
頷いたエドワードに案内され、青い薔薇の前に行く。
まだ花開かない青い蕾。幽玄の青は、その時を粛々と待っているように見えた。
「青薔薇って赤系の色素を抜いて作るんだって。でも実際には薄紫色で自然な方法では鮮やかな青にはならないらしいね。でも実際には薄紫色で自然な方法では鮮やかな青にはならないらしいね。 着色料とか塗ったり、青い水とかあげたりするのかな?……ん、そもそも色素ってどうやって抜くんだろう?」
「その他、青薔薇は、遺伝子操作で色を変えると聞きますが、工房などもあるのかしら……あの、私にも青い薔薇は作れますか? あの、御無礼とは思いますけれど……方法を教えていただけませんか?」
興味の視線を向ける御門とリラローズ。しかし、エドワードは小さく首を横に振った。
「済まないね。その方法はまだ秘密でね。まだ自信も確証も持てていないんだ。青薔薇が必ず出来る、という方法ができたら、すぐに君に教えるよ」
「本当ですか?! ありがとうございます!」
嬉しそうに笑うリラローズの隣、黒百合が薄暗く笑う。
「ふふふ、綺麗な薔薇ですねェ……こんなにも綺麗だと土の下に死体なんて埋まってたりするのでしょうかねェ……」
流石に気づいたようだ。
「みんな……さっきから少し、明らかに不穏だね。どうしたんだい?」
「ごめんなさいね。今はみんないろんな意味で敏感やから」
オルフェウスの妖艶な笑顔を見て、何かを悟ったらしい。
「……いや、いいよ。僕も疑われてもおかしくはないだろう。だから、僕に何か協力できる事があったら言ってくれないか」
自身の潔白を証明したいらしい。
「エドワードさんってどんな人が好みなんですか?」
「好きな女性、か……考えたこともなかったな。好きになった人がタイプだよ」
伊藤が事前に頭に入れておいた失踪した女性の情報との類似点が漠然としすぎていて見つからない。
「何故堕天したの?」
「階級社会に嫌気が差してね……それに、この世界の花が好きでね」
そこで、蓮城は淀みなく質問を投げかける。
「それじゃあ……エドワードさんなら、攫った女性どうする? 参考意見に聞きたいな」
直球過ぎる質問。しかし、相手の様子に変わりはない。
「女性を攫おうと考えた事がないから、何とも言えないな」
それでもエドワードは揺るがなかった。
「あと、何かお変わりなどございやせんかね。例えば、俺達がここに来る前後の夜とか」
「特に変わりはないけれど……地上の夜は、僕も寝るからね」
百目鬼がふむ、と頷いた後で蓮城が提案する。
「ねえ、ちょっと上のお屋敷を探検してもいい?」
「じゃあ私も少しお手洗いに行くわぁ。乙女心は察してね♪お・じ・さ・ま♪」
「いいよ。……少し散らかっているけれど、それでも良ければ」
エレベーターに向かって行く蓮城とオルフェウス、そしてルナルティアの背中を見送った百目鬼はそうだ、と腰帯に提げた蝦蟇口からデジタルカメラを取り出す。
「花を写真に撮るのは良いです?」
「いいけど……どうしてだい?」
「やたらと花が好きな近所のガキがいてね。こんなに綺麗なら見せてやりてぇなって」
「ふふ、綺麗と思ってくれているなら嬉しいよ」
「ありがとうございやす」
目に付いた花を、少し慣れない手で次々と写真に収めてゆく。
「こりゃ随分金のかかってそうな施設ですねぇ」
地下を作ること自体が金持ちの所業だ。それに魔法仕掛けの庭園と来た。単なる嗜好でここまでするとは、考えられない。
……鮮やかな赤いアネモネが目に入り、それも写真に収めた。
エレベーターの調査は、業者が分かれば情報源も増えるかも知れないと言ったルナルティアに任せ、蓮城とオルフェウスは慎重に屋敷を探し回る。
気が抜けたように見えて、そうではない。オルフェウスが物質透過を試みるも、術式のようなもので阻まれてしまう。
(そういう事……さ、どんな棘がここにはあるのかな?)
再び妖艶にオルフェウスが笑い――別の場所。蓮城は居間や寝室の生活空間を重点的に。時にはケセランを呼び出して高い位置も覗き込み、エドワードが興味ありそうな物の傾向や、人柄が分かるアイテムを探ってゆく。
「特に……無いのかしら」
まるでここは寝て食事をするだけだと言わんばかりに私物が少ない。やはり、地下の庭園の――あの立ち入り禁止の離れに入るしかないのか。
しかし、そんな蓮城の考えも虚しく、ヒリュウは離れには入れなかった。視覚を共有している伊藤は理解した。何か結界のような術式が離れの壁に発動されているのだ。
「……何か音がしたね」
「ご、ごめん……よそ見をして躓いちゃったんだ」
「大丈夫かい? この辺りは段差が多いから、気をつけてくれ」
わざと転び、愛想笑いをする伊藤。だが、エドワードの不審な視線は変わらない。
「……地上に行った子達も、遅いね」
「帰りに花でも眺めてんじゃぁねぇですかぃ?」
散策から帰ってきた百目鬼がは思いついたように、デジタルカメラの液晶にエドワードを映し込む。
「そうだ、折角の機会です。記念撮影は如何でしょう」
「へ、僕が?」
「そうでございやす。ささ、皆さんもご一緒に」
全員を画面の中に入れようと手で指示を送っていた百目鬼だが、エドワードだけがカメラの視界から外れる。
「どうかされましたかい?」
「折角のお誘いだけど、僕は遠慮しておくよ。僕自身を撮られるのは苦手なんだ」
「そうですか」
百目鬼が頷いた時、蓮城が戻ってくる。
「折角だし、お礼に一曲吹かせて頂くわ」
蓮城がケースから取り出して組み立てたのはフルート。銀色の残響が場に漂う中、今回のティーパーティーはお開きとなる。百目鬼が密かにエドワードの姿が写真に収めながら――
「ところで、エドワードさんは学園に来られたことは?」
「へ?」
穏やかだが隙のないエドワードがここへ来て初めて素っ頓狂な声を上げた。またすぐに表情こそ戻りはしたが――
「……ああいや、彼方はお仲間も多いんで。――今度遊びに来られると良いでさ」
「時間ができればお邪魔させていただくよ。今は花の世話で忙しくて、行けそうにはないけれど……」
エレベーターが閉まる前。
「今日はどうもありがとう。また会える事を、楽しみにしているよ。」
最後、エドワードの厭世的な笑みが、人工の月光に輝いていた。
●
「うわー、流石に今の時期でも夕方は冷えるわぁ。くしゅん」
「そんな格好してるからですぜ……」
深い溜息を吐いた百目鬼が羽織をオルフェウスの肩にかける。
「しっかし……」
デジタルカメラで撮った写真を、少し慣れない手で見てゆく。赤いアネモネ、薄紫のトリカブト、黄色のサオトギリソウ、白いスイセン、大輪のダリア、薔薇の花……
……『学園帰属の堕天使』は、様々な制約を受ける。
彼がもしそうでないのであれば――信頼に足るとは、言い切れない。
最後の写真。
青薔薇の蕾の中、映えるエドワードの横顔は、まるでこちらの盗み撮りを知っていたかのように微笑んでいた。
砂糖漬けの死は硝子の瓶から取り出され、紅茶に落とし込まれる時を待っている。
その先には、不可能の青が横たわっていた。
【続く】