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太陽を一身に受け止めて足音を消し、存在を消し、ヤナギ・エリューナク(
ja0006)は朝靄の中を歩く。
静寂とは違った方向から。幾ら雲は掛かっている。朝陽を背にするのは愚行だ。朝日を自分が受けるように、微かに聞こえる鼻歌とスキップの足音を辿り――
見えた。
すれ違い様に、トランクを奪う。
「あっ!」
「頂くゼ」
脇をすり抜け、走る。
「待て!」
追おうと駆け出す瞬間。
「返して貰うわ、仲間を」
蓮城 真緋呂(
jb6120)が涼やかに言い放った『仲間』という単語に、少女の思考が一瞬だけ止まる。
「行かせない」
ゆっくりとバランスを崩しながら静止する彼女の体に、植物の鞭を巻きつけてさらに動きを奪う。
「あの子はお前達の仲間じゃ、ないッ……! 私の、……友達なの! あの子と私の楽園への道を! 邪魔、しないで!」
しかしすぐ我に返り、束縛の手から逃れる。
「……これ以上罪は犯させませんわ。わたくしが止めてみせます」
離れた場所で身を潜めていた長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が一気に距離を詰め、脇腹に左フックの強烈な一撃をぶち込む。
「がっ!」
肺から酸素が締め出される感覚に、少女は思わず数歩たたらを踏み、無呼吸の苦しみを暫し味わう。
脇腹への攻撃で身を屈めた事を生かし、アッパーカットを繰り出す長谷川。しかし、すんでの所で避けられてしまう。
その隙にエリューナクは離脱要員が来るまでの更なる安全確保のため、雁鉄 静寂(
jb3365)にトランクを手渡す。
「久遠ヶ原の撃退士です。中の学生さん、怖いでしょうがもう少し辛抱してくださいね」
全力で移動しながら、トランクに語りかける雁金。しかし返事がない。だが、中から微かに息の音が聞こえる。気絶しているのか。
茂みから展開した翼で飛び出してきた牙撃鉄鳴(
jb5667)に気付いた雁金がトランクを掲げる。
「頼みます!」
「了解した」
トランクの取っ手を確かと取り、そのまま飛び去ってゆく牙撃。
「そんな……累……嘘でしょ……友達なのに……! 待って!」
虚ろな目をしながらぱくぱくと口を動かす少女。真っ青な顔になりながらも必死に足を動かし、追おうとする。
「すまんが、このまま逃がすわけには行かん」
ディザイア・シーカー(
jb5989)が少女の前に立ち塞がる。
どこにでもいそうな少し整った顔立ち、今時の少女にありがちな細く長い手足……学園制服を着ていれば、確かに紛れ込む事は容易であろう。このまま逃げられたりしたらすぐに見失ってしまう。
「……どう、して? 邪魔しない、で。あの子は、累は……ここに居たくて居てる訳じゃないか、ら。私が助けてあげなきゃいけないの……!」
少女の肺に酸素が戻ってゆく。
歪んでいるほど真っ直ぐな答えだった。だからこそ、ふと言葉が零れた。
「……なぁ、あんた思い込み激しいだろ?」
「何でそんな事が言えるの? 間違ってないでしょ」
こくりと首を傾げる。
「あなたは可哀想な人ですね」
雁鉄は言い放つ。
「何ですって?」
微かに顰めた眉は、ダムに入った皹のよう。
「信じていた大事なお友達と手をつないで出かけられればいいのに、友達をトランクに詰めなければ一緒に行動も出来ないんですね。本当にそれは友達と言えるのでしょうか。あなたは本当は――ひとりぼっちなのではないのでしょうか」
「違う! 私はひとりなんかじゃない! 累がいるの! 累だけが私の友達なの!」
手で耳を塞ぎ、叫ぶ。
「それ……自分が間違ってる、とは欠片も思わない奴に多いんだが」
そして皹は瞬く間に広がり、
「私が正しいもの……どこにも間違いなんてないわ……」
強固なコンクリートは切り裂かれ、
「そういう奴は宗教に騙され易いんだぜ? なんせ自分を肯定してくれて、何々の為だからと免罪符まで用意してくれるからな」
ダムが、水が、信じてきたものが、憎悪と憤怒と嫉妬が――
「知ってるかい? こういう詐欺の手口、悪魔は得意なんだぜ?」
――決壊する。一気に溢れ出る。
「黙れぇッ!!!!」
目に見える黒いオーラ。光を纏った事がわかる。
「上手いこと行ったが、何かヤバい事になったな」
「……洗脳されて、本人は何もわからないのでしょうね。洗脳を解くには洗脳者の誘いを断つこと。そして時間をかけることです。少々手荒ですが久遠ヶ原で保護させてもらいますよ」
「そうだな。気が逸れてる内に終わらせたい所だ――気張るとしようか!」
狙うは無力化。全員でこの場に留め、射線と進路を塞ぐ。
あのトランクに執着しているのであれば、取り返しに動く可能性は高い。気が逸れている内に終わらせたい。
構える。
少女が懐から何かを取り出そうとした瞬間、 縮地で駆けつけた川内 日菜子(
jb7813)が炎のアウルの突撃で後ろに飛ばす。
川内は、少女の様を見て思う。
――どれだけ想いが強かろうと、力という四肢をもがれた戦士は脆い。
きっとそれは、同じく想いを武器として戦う川内の限界点でもあるのだろう。
彼女もまた、恒久の聖女の例に漏れず、制御できない想いに駆り立てられているのであれば……何も聞く耳を持たないだろう。
「ならば言葉は不要だ」
ただ立ちはだかるだけで、川内はこの少女に何もしてやれない。
それがとても悔しくて、悲しくて、涙が止まらない。
それでも涙を拭って憤る。人の心を玩ぶ不埒者を川内は許さない。
そして、一方的な感情の押付けと力での繋がりは、果たして友情と呼べるのか。
トランクに詰められた精一杯の友情は、果たして友情と呼べるのか。
ヤナギは鎖鎌を構え、問う。
「お前ェの『トモダチ』はトランクに詰めねーと『トモダチ』として機能しねェのか」
だとすれば大層な事だ。
(いくら覚醒者とはいえ、撃退士8人を相手にして勝てるとは思えないけど……)
エルム(
ja6475)は考える。相手がもし同じ事を考えているなら、逃げにかかるか、と。――どちらにせよコイツは逃がさないのだが。
「私の剣は人間を守るため、天魔を斬るために修業したもの……それを人間相手に使う事になるなんてね」
皮肉なものであった。
「久遠ヶ原に侵入してまで攫うなんて……その子はあなたにとってどんな存在だったのかしら。ねえ、教えて」
蓮城がゆらりと刀を抜く。
「累は……私に痛みを教えてくれた、ただ一人の友達……」
プラスチック製の銃身。ラメが使われた半透明のそれは、大きさこそ少女のサイズに合わせられているものの、見た目はただの水鉄砲であった。
「私達の邪魔は誰にもさせない!」
引き金を引く。
同時に銃口から吐き出されたのは、何とも儚い泡であった。
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全力で移動してきた牙撃は、仲間達がいる所からかなり離れた木々の間に降り立つ。ここならば木々で姿は見えないし、安全だろう。
人の重さぶんのトランクを地面に置く。トランクの古さは何も演出ではないようで、鍵も容易に破壊できた。
開ける。
大きさから見て人、それも高校生そこらの少女が入るのが精一杯だろうと見積もっていたが、本当にその通りであった。折り畳まれた手、足、そして頭。少女がトランクに合わせるようにして、身動きもできない四角になっている。まさしくトランク詰めの少女。
「おい、生きているか」
仕方なく少女を引きずり出す。顔色は少し悪そうだが、手袋越しに伝わってくる体温も生きている人のそれだ。
「うぅん……」
トランクに入っていた時間も長くはなかったのだろう。新鮮な空気を吸い、手足を伸ばしたお陰で気がつくのは存外早かった。
「! リアン! ……あれ、あなたは? ねえ、リアンは?!」
「リアン? 奴の名前か? どうでもいいが……詳しい話は後だ。絶対にここから動くな。動いたら命の保証はしないぞ……誰のとは言わないがな」
鷹のような鋭い視線で厳命した後、牙撃は再び飛び去る。
展開した翼から零れ落ちた羽が、少女――累の傍らに落ちた。
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シャボン玉は凶器であった。
弾ければ爆弾、小さな塊となれば足に絡み付いて離れない。
「ッチ、腐敗か!」
そして当たれば腐敗の酸となる。
シーカーは舌打しつつも、このミスに気にする事なく次から次へ襲いかかる攻撃をシールドで何とか防ぐ。
そうなれば川内は仲間に銃口を向けさせるつもりはなかった。どうやらシャボン玉が大きくなるほど攻撃の威力は上がるようなので、それを作る余裕を与えさせない。銃口を向けられたら反発の拳で防ぎ、常にインファイトの姿勢で攻撃を繰り返す。
「逃がさん! ――合わせる、行くぞ!」
「了解しました! ……いきます。秘剣、翡翠!!」
シーカーがアイビーウィップを足に絡めて動きを止め、エルムが肩の一点を狙って衝く。
タイミングが数秒ずれて、リアンは腕が上がらない事に気付いたようだ。
「腕が……!」
ここでエルムは気付く。
「ダメージを受けても怯む様子がない。どうして……」
ぼろぼろの体。それでも平然と、淡々と動き続ける体。
「……痛みを感じて、ない?」
「……死活かそれに似たスキルか? なら骨を外すなり折るなりに方向を切り替えるしかないな」
シーカーの言う通りだ。それに、病院の娘であった蓮城はデジャヴを覚える。あれはまるで、麻酔を打たれた患者のようだ。
「異常な精神力で耐えているのか、あるいは感じていないのか……恐らく後者か」
同じく、与え続けた攻撃の割に動きが鈍らない事に違和感を感じていた牙撃は呟く。
牙撃の言う通りだ。恐らく彼女には痛覚がないのだろう。
スキルの類か、あるいは病気の類で元から痛覚が壊れているのか。
あんなに動いているのに汗一つ出ていない様を見るに、先天的なものなのだろうか。そんなことは牙撃にとってどうでもいいのだが。
「でも、心の痛みは分かるわよね」
トランクの『友達』へ向かう心は、真っ直ぐだと思うから。
真っ直ぐ過ぎて他が見えてない気もして……
(……ねえ本当にその道しか無いの?)
最早意地でも友人の元に向かおうとする姿は、一線を越えた何かすら感じられる。
一気に身をかがめこんで、ただひたすらに拳を振るいまくる長谷川。
相手を殺す訳ではないので、V兵器を使うつもりはない。
その代わりに、拳にバンテージを巻く。
狙うは顎。脳を揺らしてのノックアウト。
一人で誘拐を働こうというのだ。どんなタフな相手かわからないが、例えいくらタフでも脳が揺れれば立ってはいられない筈だ。
バンテージを巻くのも、拳を保護するのと同時に衝撃を浸透させて脳を揺らすのが目的である。
「さあ、テンカウントを聞かせて差し上げますわ!」
捕縛を前提に戦うエリューナクは、予め借りておいた覚醒者用の捕縛を試みる。
狙うは銃を持つ右腕。痛覚がないのであれば、物理的に動けなくするまでだ。
射程ギリギリで目隠しを使い、武器や手足を破壊しにかかる。
しかし、痛覚がないせいで、いくら攻撃をしても武器を手放す気配がない。動きを止める気配もない。
「可哀想だが……生かさず殺さず、だ」
迅雷。足にアウルを集中させて雷の如く蹴りを繰り出した後、離脱。
衝撃が来た事によるバランスの一時的崩壊こそあるものの、それ以上の反応がない。
血だらけになって動き続けるリアン。最早そこにあるのは、何なのか。
「仕方がない」
足に向けて、牙撃は構えたレールガンで侵蝕弾等を撃つ。
骨が折れる程度で止まってくれればいいが――まだ動き続けるようなら、最悪足を破壊することも厭わない。
アウル覚醒者なら手足の一本や二本なくなっても直ぐに死にはしないだろう。運が良ければ時間がかかっても完治するだろうし。いずれにせよ口が利ければ問題あるまい。
換装、ブーストショット。そろそろ終わりにしたい。
「うっ」
ブーストショットが当たった足が、大きくぐらつく。
「降伏しなさい。貴女に勝ち目はないし、逃げるのも無理よ」
「誰、が……!」
最早往生際が悪い、というものではなかった。なおも動きシャボン玉を生成する様は、壊れた機械のようにも見えた。
風上に立ちながらシャボン玉を避けるエルムは思う。風上ならば速度は落ちるが、これはいつまで続くのか。常人ならば意識を失ってもおかしくはない痛みを感じず、平然と動き続ける彼女との戦いは……
早く終わらせよう。それが、一番なのだ。
我流・燕返し。十字の斬線が、少女の胴に刻まれる。
「貴女を想う友達を、貴女は同様に想えているの?」
蓮城の右の拳が、雷を纏ってゆく。
「自分の事しか考えていないなら貴方の痛みは偽物。――本物の痛みを知りなさい。体の痛みを感じなくても、心でこの拳の痛みを感じるといい」
弾ける雷と共に――振るい上げる。
有無も言わさず、リアンの顎の下にぶち当たる。
「る、い……」
頭蓋骨の上で危なげに乗る脳味噌が、奥底から震え上がる感覚。猛烈に現実から遠のいてゆく視界の中でリアンが呟いたのは――ただ一人。
自分に痛みというものを教えてくれた、友人の名であった。
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「ごめんなさい、リアン……私のせいで、こんな事になってしまって……」
累は血だらけでぼろぼろになって倒れるリアンの傍らで、涙を零していた。
「いくら痛みに強いとはいえ、無茶しすぎです……」
そんな彼女らに、せめてもの応急処置を施すエルム。
「……よくもまぁこれで友達などと言えたものだ」
どちらに言うのでもなく、牙撃は呟く。これだから人助けは嫌いなのだ。中身が金ならやる気も出るのだが……
「ま……二人とも、『恒久の聖女』の構成員に狙われないようにしねェとな」
エリューナクは考える。リアンのように私情で動き、次に二人とも狙うような輩が現れてもおかしくはない、と。
「ごめんなさい、ごめんなさい……痛みをわかっていなかったのは、誰よりも私だった……ごめんなさい、あなたはこんなに痛いのに……」
雲と朝靄が晴れた青空の下、懺悔の嗚咽だけが響く。
間違いのない復活への一歩は、いつも後味が悪い。
空っぽのトランクに詰め込まれる次のものは、懺悔と贖罪。
限りない光の中、静かな地獄は暫し続いた。
【了】