●
「ねえライオネル、痛くない?」
白い包帯を巻かれていく度に、痛みが嫌なほど引いてゆく。
純白が、自分の体をずるずると侵してゆくのがわかる。
「痛くないさ。大丈夫だよ」
「そう」
最早二人の間に言葉はなかった。
流れるものは、彼の頬から零れ落ちる一滴。
「ねえライオネル、あなたどうして泣いているの?」
例えばの話。
「泣いてなんかいないさ」
あの時、あんな事が起きなければ……考えても無駄な例えばの話。
そして彼は、泣くのを止めた。
ほらを吹こう。そこに丁度ミュンヒハウゼンとプラシーボがあるから。
もう一言も発さない。全てはこの愛の為。
●
気色の悪い風が吹く。辺りは夕闇に染まり、夜の帳が存在をちらつかせている。
「いよいよ、だね。廃病院……なんで日が沈んでからなんだろ……」
本格的に暗くなってきた辺りを見回して、葛山 帆乃夏(
jb6152)は呟いた。
「そういえば前に奴が攫われた時も病院だったか」
あの時も春夏冬はロクでもない目に遭わされていた。それに敵の本拠地でもある。警戒はすべきだと牙撃鉄鳴(
jb5667)は考える。
「アッキーそっくりなディアボロかぁ。私もちょっと会ってみたいわね」
「ロクなもんじゃないわよ、アレ」
「そう?」
首を傾げる神埼 晶(
ja8085)。小鳥遊はどうやら気分が優れないようで顔色が悪い。
「ねえ、ニコラウスと話せないかな」
「藪から棒ね……できなくはないけど。あっち昼だし」
おもむろに取り出したスマートフォンでニコラウスにかける小鳥遊。短い受け答えの後、小鳥遊がスピーカーフォンにして神埼の前に持ってきた。
『何か用かね』
「これから今回の黒幕……アデレイドと会いに行くんだけど、彼女について知っている事を教えてもらえないかな。得物とか特技とかさ。元々、軍所属だったんでしょ? その辺に関しては妹さんに聞くよりも色々知ってそうじゃない」
『ふむ、アデレイドか……彼女も小鳥遊と同じように槍を得意としていた。そもそも彼女達の家は槍の名門でもあるからな。槍を使わせたら同期の中で彼女の右に出る者はまず居なかった。そういえば小鳥遊も幼い頃はアデレイドに槍を教わっていたみたいだな』
電話越しでもニコラウスが『ふむ』と頷いているのがわかる。
「けど、あの馬鹿を助けない限り、実情はわからないのです。ですから、箍の外れた今の姉さんがどれだけの力を持っているかは、私にもわかりかねます」
『その通りだな。力になれなくて申し訳ない。本来ならば我が軍で処理すべき案件なのだが……』
「そっか。ありがとう。でも大丈夫よ。今回からこの案件に噛ませて貰うけど、ヒロインは遅れて登場するものだし」
『ははは、頼もしいな。それでは小鳥遊、後は頼んだ』
「了解」
通話が切れる。顔を上げると、見えるのは暗闇に沈みつつある廃病院。
「あそこね」
一同は顔を見合わせると、神埼と牙撃鉄鳴(
jb5667)がそれぞれ範囲が重ならないように索敵。
居るのは――
「一体だけか」
敵の気配を察知したのは牙撃であった。廃病院の正面を陣取るように、人型の敵が佇んでいる。
ただ、それだけ。
「妙だ」
ありとあらゆる罠を張り巡らせての一体かも知れない。だが次の敵がどういった能力を持つのかは、それこそ会敵しない限りわからない。磁場の狂いも何もないからだ。
しかし、考えているだけでは何も始まらない。
敷地の広さ、病院内に何があるかわからない。
ともすれば、正面突破しか道はなかった。
馬鹿正直に全員で突っ込んで、
そこで見たもの。そこに居たもの。
「あんたは――」
誰よりも固まったのは、小鳥遊であった。
薄暗闇の中、弾丸が虚空を切り裂く。
威嚇射撃? いや、誰に当たる?
構える暇も与えずに、光の弾丸は飛ぶ。
少し遅れて、抜刀の音。
間に合った。
「……コピー?」
光の弾丸を刀で真っ二つに叩き斬った蓮城 真緋呂(
jb6120)。彼女は数歩後退して相手の様子を伺う。
何かがおかしい。
「……コピーにしちゃ、雰囲気が違うな」
ディザイア・シーカー(
jb5989)の言う通りだ。
纏っている雰囲気が、コピーのような安っぽいものではない。
「違う」
そこで、小鳥遊が静かに首を横に振った。
疑問が確信に変わる。
そもそも、まず着ている服が前回まで戦ったコピーのような、清潔さを象徴したような白い看護服ではない。
影に溶け込む隠密の黒、永遠の忠誠を誓う白、祖国を誇る銀。毒々しい棘を持つ闇の荊は王権の象徴たる獅子を護り、夜の薔薇が花開く。
正真正銘、小鳥遊達が着ている軍服そのもの。
そして何より――顔立ち。
日本人らしい黒髪と黒い目、白人らしい白い肌に、甘いマスク。
それこそ、春夏冬そのもののようであった。
否。
「……本物?」
蓮城の問いに、次はただ静かに、首を縦に振った。
春夏冬そのものなのだ。
今度の敵はライオネル・アントワーヌ――即ち、春夏冬である。
「なんだか様子がおかしいわよ?! アッキー! しっかりして!!」
――洗脳か魅了の類か!?
ライオネルと付き合いの長かった神埼は気付く。
まず返答がない。それからいつもの適当でへらへらとした笑顔がない。最後に無表情でこちらに銃口を向けてくる。
「随分と骨抜きにされちまってまぁ」
深い溜息を吐くシーカー。
「何されたか知らんが……さっさと戻ってもらうぜ!」
構え。
「今現在にも目を向けて貰わんと、こっちの立つ瀬がないんでな。妹分や後輩の気持ちも汲んで欲しいもんだ。今も一緒に迎えに来てんだからよ」
シーカーの言葉に頷いたのは葛山であった。刀を構えた彼女が陣取るのは、何かあった時でも迅速に対応ができる、前衛の後ろ。
葛山には試したいことがあった。一番前での戦い方じゃなくて、隙を埋めるような動き。
とは言え、やることは同じ。
一筋の雷光が剣になる。
「敵の攻撃がどうあろうと、私にできる事を丁寧にやっていくしか無いもんね」
サンダーブレードを叩き込む事に専念する事のみ。
「随分と激しい愛やねぇ。一途なんは悪いことやないんやけど、なんか紙一重やね」
飛行する麗奈=Z=オルフェウス(
jc1389)は笑うと同時に、周囲に注意を向ける。
「しつこい女はねちっこいからねぇ……なんも仕掛けてなかったらええんやけど…」
例えば、どこかで監視されていないか。
例えば、ライオネルを操るアンテナなどはないか。
恋人を模ったディアボロを作って使い捨てにする程の女だ。油断はならない。
ダリエと共に病院内での増援が来ないかどうかを随時確かめつつ、矢を番った。
「困難な戦いになりそうです。……それでも」
敵を殺さず救助するのは初めてだ。
厳しくとも勝たなければならない。ここで負けてしまったら、小鳥遊の姉にも負けたことになる。
そうなると水芭(
jc1424)は、姉に顔向けできない。
「勝ちます」
ライオネルを――春夏冬を殺さず倒し、必ず助け出す。
何をどうするにも、斧の間合いまで近づく事が先決。銃弾を避け、時には掠りながら急接近。
届いた。
草刃。夕闇の薄い群青の中、薄緑の光が仄かに煌く。
狙うは、彼の銃。
射撃不能に追い込めれば最良だが、精度を落とせるか、目標を水芭自身に集中させることが出来れば充分である。
即ち。
斧の刃を使うのはライオネルの武器や装備に対してのみ。無論、物理攻撃だけで倒すつもりはない。味方の攻撃及び魅了状態の解除を容易にすることが目的だ。
ライオネルの身体への攻撃は極力避け、全員生還を果たしてみせる。
それが、自分がアデレイドに対する方法の一つ。
それが、自分が姉に認めて貰う為の方法の一つ。
それが――勝つ為の方法の一つ。
全員生きて、帰るのだ。
それぞれの元へ。水芭は自分の姉の元へ。
「まぁ、薄々こうなるとは思っていた。敵対する以上救助対象とはいえ容赦しない」
牙撃はライオネルを本気で殺す気はないが、殺すつもりで掛かる。色々と面倒なのだ。
「はぁ?!」
「俺たちが救助しに来たのは春夏冬という軍人だ。恋に盲目になっているようなライオネルとかいう輩ならこのまま死んでいけ」
眉一つ動かさず、リロードしながら言い放つ。小鳥遊が明らかに驚いているが気にしない。気にする事でもない。
「ちょ、ちょっと! あんた依頼内容わかってる?!」
「依頼主とはいえ戦闘に参加している以上お前も戦力だ。働かないなら大人しく家に帰っていろバカナシ」
「ばっ、バカナシ?! あんた人に向かってそんなジョーク言う奴だったの?!」
驚く場所が若干ずれている。流石は十の後輩、そして春夏冬の妹分と言うべきか。
「説得の一つでもしていろ。俺たちが何か言うよりは、お前の方があいつも聞く耳を持つだろう」
「その通りです。何らかの反応が得られれば、隙を作ることもできます」
牙撃、そして水芭の言葉にも一理あった。
何故、ライオネルは銃口を向けるのか。
何故、ライオネルは姉の手先に甘んじるのか。
何故、アデレイドは――姉は――他人を使い捨てにするような事をしているのか。
「姉さんだけじゃなくて、あんたまで狂ってしまったの? ……ねえ、何とか答えなさいよ、ライオネル――ライオネル・アントワーヌ!」
彼らの妹である小鳥遊の、悲痛な叫びが響いた。
それでもライオネルは答えない。まるで全てを閉じ切って、こちらの全てを拒絶しているかのように。
終始無表情の、彼の心中は伺えない。
彼の瞳も何も告げない。告げてはいない。
「春夏冬さん……いえ、ライオネル、さん……今、何を想ってる……? ……大切な……愛する人の為ならば、誰にでも刃を向ける」
自分、セレス・ダリエ(
ja0189)だったらどうするだろう。
暗視鏡越しの視界で考える。
やっぱり誰にでも刃を向ける? 何をしてしまう?
ただの魅了だけじゃない。愛する人の願い。それは、叶えたい。
恐らくダリエも、同じ状況ならば、誰にでも刃を向ける。それが例え、魅了でも洗脳でも。ダリエが信じた事が全て。信じた人が全て。
――でも、もしかすると私ならば、私が私であるのならば、愛する人の願いを、別の形で受止めるかも知れない。
そう、愛する人を屠り、全てを自分のモノにする為に。愛する人。大切な人。全てを、手に入れる為に……
……今、この事を考えるのは、止めにしよう。
ダリエは戦いに全ての思考を傾ける。
「……行きます」
異界の呼び手で動きを封じ込めにかかるが避けられる。フレイムシュートも効き目が薄いようだ。
だからと戸惑っている暇はない。あちらは問答無用で攻撃を繰り出してくる。
速い。気づいた瞬間にはダリエに向かって蹴りを放とうとしていた。後退させる暇も与えないと言うのか。
覚醒者でも稀に見る程の動き。また別の言い方をすると、春夏冬の動きではない。
何者かによって強化されている、ライオネルの動き。
「みるみる物騒になっちまって……」
ライオネルの蹴りを受け止めたのはシーカー。
「攻撃は任せる。出来る限り耐えてやるからよ」
ディザイア・シーカー。二メートルを超えるその巨躯は、誰よりも頼もしい壁となり守護者となる。
シーカーの防御から宙を返って後退したライオネルを待ち構えていたのは、空からの狙撃だった。
「全く、手間のかかる」
ここまで手間をかけさせられた恨みを込め、牙撃は最高高度地点からレールガンで狙撃を行う。
鉄の塊の代わりに打ち出されるアウルの塊が、容赦なくライオネルを狙う。
強烈なアウルの雨。外した? ――否、外させた。
彼は狙撃の鬼。命中の悪魔。当てることも、外させることも思いのまま。
フェイントの雨の中に、真に当てたい一撃を隠す。
狙うは膝。銃だけではない。厄介な蹴りも封じにかかる。
そして地上からは神埼がスナイパーライフルで狙撃を行う。隙はない。
同じく、射程ギリギリの間合いを保つ。
しかし相手はすばしっこいもので、気づけばあっと言う間に間合いを詰められてしまう。
「でも本当に本人か疑っちゃう位……速いわね!」
シルバーレガースの蹴りで対抗しつつ、弾丸を撃って回避。そして、この反動を生かして宙に返る。
「もしかして、さ」
着地の後、神埼は思いついたかのように言う。
「お姫様のキスで目覚めないかな? ねぇ、イヴリンさん!」
「やめてよ気持ち悪い……!」
軽くえづく小鳥遊。
「こういうのはなにかショックを与えるとか……」
「ショック、ね……」
小鳥遊も何か覚悟は決めたらしい。動きに少し躊躇いがなかった。それでも、前回よりも攻撃に対して抵抗が減っただけだが。
「野性味あるのも悪くないけど……せっかくのいい男なんやから、一緒に踊ってくれるかしら?」
移動や狙いを阻害するかのように、矢を放つ。当てる必要はない。
目指すは『破壊する』より『極める』。徹底した妨害と牽制を重点とした攻撃を心がける。
「でも――」
これまでの反応から見て、正気に戻らない事は確定した。なれば無力化を試みるまで。
包帯の視界から蓮城は鎖を飛ばして反応を遅らせ、さらにエアバーストで体勢を崩す。
「ドジっ子過ぎない? 操られてるとか」
冷静に、淡々と。
戦っている時の彼女は、光を纏った彼女は、余りにも冷静であった。
普段の彼女からは想像もつかない、氷のような無表情。
これこそが無駄を完璧に削ぎ落とした姿と、頷かせるような説得力があった。
悪あがきと言わんばかりに撃ち出された弾丸を刀身で受け止めて弾く。
次の瞬間だった。
杭状の弾丸が数発打ち出され、無差別に飛ぶ。
オルフェウスはあまりにもの事に反応が遅れてしまった。
ぐらり、と視界が歪む。
視界だけではない。音を捉える聴覚が、湿った草のにおいを伝える嗅覚が、武器を持つ触覚の、その輪郭全てが融けてゆく。
「な、何やの、あれ?」
物陰に隠れ、オルフェウスは呼吸を整える。世界を上手く認識できない。
あの杭は一体何なのか。
「チッ、そういやインフィルトレイターだったっけか。コピーがアカシックレコーダー似だったから忘れてたぜ」
強烈な騒音がシーカーの中で鳴り響く。
認識障害に騒音。あの杭の弾丸には様々なバッドステータスを付与するものと考えていいだろう。
「各種バッドステータス弾完備ときたか……上位互換ばっかりだな、おい」
シーカーの家主のインフィルトレイター的行動から察するに、アシッドショット互換があるのであれば……
「……バレットストームの上位互換もあると見るべきだな」
こちらの一手上を行く仕様。全く、悲しくなってくる。
とは言え止まってはいられない。前衛に聖なる刻印を与え、最初から最後まで皆の壁として立ち回り、ライオネルに張り付いて銃を狙う。
出来れば叩き落としにかかったり弾きかかったりして味方に銃撃が行かないよう阻害を終始徹底する。
「射線に気をつけろ、来るぞ!」
ダリエの放つ魔導書の光を回避しながら、ライオネルは跳ぶ。
上下左右、三百六十度にぐるりと形作られる杭の群。
身構える暇など与えられない。
強烈な眠気が、痺れが、圧力が、毒が――襲いにかかってくる。
絶体絶命? 否。
軽く笑う声が聞こえる。
「まだまだ倒れてやんねぇぜ?」
生命力を回復し、それでもなお不適な笑みを浮かべるシーカー。防御陣で自身や味方を守る。
「ぶっつけ本番だけど……きっと上手く行くよ!」
さらに葛山も全ての攻撃を受け止める覚悟でいた。
後ろの邪魔になるといけないので、基本の姿勢は低い。
背筋を伸ばす事が基本の剣道や居合道にはない姿勢。慣れないが、戦いのバリエーションは増やしておく他にない。
彼女は発展途上。得れる全てを吸収し、試行錯誤の末に自分を磨いてゆく。
隙を見つけられない時は、前衛の動きをじっと観察する。
もう少しで、何かが掴めそうな――そんな気がする。
「避けて」
仲間に退避を促し、蓮城はコメットを叩き込む。
無数の彗星が、夕闇に煌く。
当たった。手ごたえに基づく確信があった。
だが。
「重圧が効いて、ない?」
攻撃を受けた箇所が薄く煙を上げている事も気に留めず、ライオネルは銃を構え直した。その動きに、障害めいたものは一切なかった。
――必ず付与できるものなのに、付与されていない。
それは何故か。
蓮城の疑問も他所に、ライオネルは杭を放つ。
狙うは牙撃。彼はそれを撃ち返す。撃ち落とすのではない。わざわざ撃ち返したのだ。
確かめたい事がある。
ダリエの異界の呼び手が効かなかった。蓮城のコメットが効かなかった。
「やはりな」
平然と動くライオネルを見て確信する。
「何か仕掛けがある」
「あの包帯が気になるわ」
失踪前とは異なる部分。左目を覆うように巻かれた頭の包帯。あの白が気になる。
「ならば剥がしにかかるまでです」
横一線の蹴りにわざと喰らい付いた水芭。その強烈な振動を小さな斧や手を通してひしと感じた。しかし、これが何なのだ。この位で負けてしまったら、自分は姉に見せる顔がない。気力だけで、振動を、痛みを吹き飛ばす。
「お願いします」
「オッケー、任せて!」
包帯側に回り込んだ神埼はクイックショットで攻める、攻める、攻める。
バッドステータスの耐性と共に身体能力も強烈に強化されているが、確実に生命力を削ってきている。彼を救える時も近い。
この目論見通り、確かに状況は終止符を打とうと終焉への前準備が行われていた。
オルフェウスは、敢えて左の視界に飛び込む。迷いや躊躇はなかった。
「さ、そろそろおねんねしなきゃね♪心 配してくれてる可愛い子もいるのよ? 三角関係で大変やろうけどね」
アデレイド、イヴリン、ライオネル。
それぞれのベクトルが何処へ向かうかは、最早オルフェウスでも見届けるしか他がない。
「蝶のように舞い、蜂のように刺すって言葉あるでしょ? あたしはね? ……蝶のように舞い、蜘蛛のように絡めるの♪」
林檎のように赤い舌が、薄紅の唇を舐める。
「あたしの仕事は――」
周りが光ならば、自分は影。過去のようにありとあらゆる妨害阻害を行い、搦手を駆使して翻弄しよう。
「――邪魔することなの♪」
麗奈=Z=オルフェウス。毒蜘蛛のような女。
今の彼女が担うは――彼の意識を惹く事。
視界を防ぐように、布槍が舞う。まるで踊り子がひらりとそこで軽やかなターン。
どうする為? ……無論。仲間の「次」に繋げるため。
――今よ。
そんなオルフェウスの妖艶な声が聞こえてきた気がした。
言われなくても、と答えるように牙撃が侵食弾頭を撃ち込む。
狙うは銃。
例えライオネルの体がバッドステータスに強くとも、流石に銃にまでそれは及んでいないだろう。
命中は容易であった。結果は牙撃の推測通り。
銃がみるみるうちに腐敗して融けてゆく。
すかさず、神埼のデスペラードレンジが飛ぶ。一度に三発の攻撃、が二度。合計六発。
ショットガンを捨てハンドガンで対応。しかし当然ながら火力が圧倒的に足りない。
「行かせません」
ダリエが時間稼ぎと言わんばかりに瞬間移動でライオネルの前に立ち塞がる。
至近距離。右の死角からで、勿論ライオネルの反応は遅れた。
振り返る。銃口を向ける。数センチ先にはダリエの姿。
引き金を引けば、ダリエの心臓に向かって弾丸は一直線に疾るだろう。
一瞬だけライオネルの動きが鈍る。銃を持つ手が、引き金を引く指が、一瞬だけ、そう。今までにはなかった躊躇いのようなものを見せた。
「?!」
そもそも小鳥遊は、途中で気付くべきだったのかも知れない。
ライオネルが、重傷を負わせない程度の絶妙な攻撃を加えている事に。
……あの姉が操っているとは、思えない事に。
とは言え、この隙を逃しはしない。
つかさず牙撃がブーストショットで壁を破壊して瓦礫に注意を向けさせる。
瓦礫はライオネルの右側――死角へと雪崩れ込んだ。
最後に持っていたハンドガンでさえ、瓦礫へと飲み込まれて姿を消す。
ハンドガンだけではない。その体勢すらも大きく崩す。
「……いい加減、目を覚ましなさいよ」
喉元に突きつけられる刃、切っ先、銃口……
ダリエを至近距離で捕らえた時の、あの体の躊躇い。
「……全く、敵わないな」
薄い笑い。それは、未だ声を発さなかった彼のものでもあった。
狂気の白から、狂奔の黒がぶすぶすと抜けてゆく。
「ばか……」
出そうになる涙を必死に堪え、彼女は呟いた。
「成長したな、イヴリン」
春夏冬は笑う。それこそ心底、穏やかな顔で意識を失った。
●
結論から言うと、春夏冬はアデレイドに魅了の類になどなってはいなかった。
つまり迎撃から今まで、全ては彼の芝居という事になる。
ライオネル・アントワーヌ――即ち春夏冬は、一同を殺さない程度に追い返してから、アデレイドに単身、決闘を挑むつもりであったという。彼なりに責任を感じての事なのだろうか。
……とは言え、包帯の下は酷い有様であった。
特に右目。
すっぽりと抉り抜かれており、もう戻らないものと思われる。
アデレイドによって巻かれた包帯には、裏側に術式のようなものが書かれた痕跡があった。異常な身体能力も、バッドステータスの耐性も、恐らくはその術式のものと思われる。
術式は既に消えている上に念のために包帯を替えたから、これ以上彼の体に負担がかかる事はないだろう。
「アッキー、痛む?」
「まぁ、多少は……だが、大丈夫だ」
神埼の手当てを受ける春夏冬。意識の回復こそ早かったが、応急処置もほんの気休めでしかない。設備の整った場所で治療を受ける必要がある。
「けど、無茶したもんやねぇ」
オルフェウスは妖艶に笑う。
例え一人で八人を相手にできるように強化されたとしても肉体への負担が計り知れない上に、何よりも右目を抉りぬかれた上で戦ったのだ。無茶の他に相応しい言葉が見当たらない。
「色々考える事があったとしても、貴方を心配して一人で探してた人もいるんだよ。ほら、小鳥遊さんも何か言ってやってよ」
葛山は小鳥遊の方に視線を向ける――が。
(……あれ、何だかそんな雰囲気でも無い……?)
小鳥遊が纏う雰囲気が真冬のツンドラで吹き荒むそれと全く同じだ。
「馬鹿じゃないの? 本当の本当の本ッッッッッッッッッッッッ当に馬鹿じゃないの?」
「いや、君にそういった事をさせたくな――」
「『いや』じゃないの。あんた馬鹿じゃないの?」
槍の柄尻で春夏冬をずんずんと小突く。仮にも右目をくり抜かれた上に術式で体に負担をかけまくって大怪我を負った人間にやるべきではない鬼畜の所業である。
「ちょ、ちょっと小鳥遊さん。流石に可哀想だよ」
「黙ってて。この考え無しにかける慈悲なんて無用よ。さっきも私達に攻撃をけしかけてきたじゃない。それにこいつなら何だかんだ言って生き残るわ。死にはしないって」
葛山も真っ青になるレベルで容赦がないド突き具合である。
「いや、考えはあった、あったから! 痛い痛い!」
「そう言ったって、どうせ最終的には考えなしの相打ち覚悟だったくせに。というか八人相手にした後で姉さんと連戦ってどういう神経なのかしら。運よく生き残ったって拳銃自殺くらいやるでしょ。っていうかそんなに喚く元気があるなら問題ないわ。あんたそろそろ本気で指揮官辞めること考えたら? 演技力あるんだから役者に転向する手もあるわよ」
どんどん話が脱線してゆくが、彼女の心配の度合いも何となく伺える――ような気がした。
「違う、そうじゃなくて」
「ほらやっぱりそうなんだ」
流石に傷口は避けているようだが、このままでは本気で春夏冬が危ない。
「もうやめてあげて! 流石に春夏冬さん可哀想だよ!」
葛山は小鳥遊を何とか止める。名残惜しそうに舌打ちをする小鳥遊を見て、彼女の怒りの程を見る。これではまずいと思い、風を吹かせて話題を変える。
「ね、夕暮れ期の風って気持ちが良いもんねっ」
「そうだけど」
「疲れて火照った身体を休めるにはちょうど良い時間じゃないか、な……」
「……そうね」
心地いい風を受けて深呼吸をした後、小鳥遊は搾り出した。
「で、どうだったの」
どこか、寂しそうな顔。
「……姉さんは」
間。暫しの後、春夏冬は小さく首を横に振る。
「もう手遅れだ」
風が吹く。葛山が吹かせたものではない。今の自分をせせら笑うように、嫌に不気味な、涼しい風。
「……そう」
告げられた事実に、彼女はただ短く頷いた。
「ま、とりあえず救急車は呼んである。お前はまず手当てを受けるべきだ」
携帯電話を持ったシーカーが待機させておいた救急車を呼ぼうとするが、春夏冬がそれをゆっくりと手で止めた。
「――いや、後でいい」
ゆっくりと首を横に振る春夏冬。
「だがお前、そんな体じゃあ――」
「頼む」
もう失ってしまった彼の右の視界。永遠の闇と白い包帯で覆われたそこに在るもの。
彼の覚悟は、固かった。
手負いとは言え、春夏冬も見届ける権利が、あるのかも知れない。
「さぁ――ラスボス戦と行こうか」
ニヤリと笑ったシーカーが、設置したサーチライトの電源を一気に点ける。
強烈な光で晒しだすのは、屋上。
見得るもの。
屋上の壊れた金網に腰掛ける、アデレイド。
彼らの愛する人。そして、止めるべき人。
「……姉さん」
微笑む彼女は何を考える。手を振る彼女は何を考える。
教えてくれアデレイド。泣いているのか。それとも、絶望しているのか。
「あれが、小鳥遊さんの、姉様……」
水芭は思う。
何と残酷な笑みを浮かべる人だと。
自身の姉が『姉』たるものと考えていた水芭にとって、それは得体の知れない何かとの遭遇とも取れた。
「全く――」
まるで鎮魂の紫煙を上げる煙草を吸うかのように、銃を取り出した牙撃。躊躇いは一切なく、引き金を引く。
撃ち出された弾丸は、煌々と夜空を穿った。
闇夜で仄かに光を放つ、赤と紫。
鬼と鬼。暫しの睨み合い。
「心が壊れそうになったことは、ある。それでも私は踏みとどまることが出来た――周りの人達のおかげで……彼女にはそういう人がいなかったのかな……」
「居たの。けど、それでも駄目だった」
理想を守るため、あらゆるものを断末魔と共に拒絶した姉。
守りすぎた故に――閉じすぎた故に――永遠の病の炎が彼女を焼き続ける。
「姉さんはもう戻らない」
愛する人を模したディアボロを作り、更にはその本人の右目を抉り抜いた。
擦り傷一つでも丁寧に手当てしてくれた、あの時の姉はもう、死んだのだ。
「でもね。だからと、許されることではないの。ディアボロには『材料』が必要――つまり彼女は魂を奪った。それは何ものを差引いても――罪。小鳥遊さん、覚悟をお願いね」
蓮城に言われるまでもなかった。
自分はイヴリン・リア・ルトロヴァイユ。ルトロヴァイユ家の養女であり、アデレイドの実の妹でもある。
もう幼いイヴリンなどではない。任務用に名前を与えられて武器を手に取り戦う、一人の軍人だ。
「“救う”のでしょう? お姉さんを」
頷く。
甘い病の治療法。
ほら吹きのプラシーボでも、同情のホメオパシーでもない。
「姉さん、あなたは私が、私達が……」
槍の切っ先が、アデレイドの喉元に向く。
一粒の狂気が詰まったカプセルと、それを流し込むだけの愛。
喉にどれだけつっかえようが、副作用が起きようが、関係はない。
震えた手で、重い足で、爛れた脳髄で、朦朧とする意識で。
覚悟を決めて武器を持ち、その切っ先で相手を貫く。
「必ず救ってみせる」
これ以上愛する人に罪を犯させないため、彼らは今、安楽死の薬を手に取った。
静かな死は純白のまま、手足を折りたたんで眠っている。
全てはこの愛の為。
泣くことも、何もかも、もう止めにしよう。
【続く】