●
憎悪が湧き上がっている。黒い霧と悪魔の高笑い。そしてどこか哀しげな呻き声。
実験だ、実験だ、と悪魔が笑う。
不愉快極まりない。
「実験だなんて……所詮、悪魔ね。マキナドールも須藤さんの事も、コマと一つとしか思っていないのでしょう」
眉を顰め、蓮城 真緋呂(
jb6120)は、黒の奔流の中心を見据えた。
「――ならばそのコマ、奪い取るまで」
状況を確認する。
やはり最初に目に付くもの。
「先ずは骸骨兵団を押さえる必要があるわね」
「だが、どうする。あの義手が指揮権そのものであるのならば、義手の破壊が必要なように見えるが」
十の言う通りでもある。
いや、違う。発想を逆にしてみよう。
「……と言うか、あの義手が指揮権そのものなら、その指揮対象を無くす事も効果あるかも」
「――! なるほど。確かに、指揮官だけでは何もできんからな」
兵士と指揮官。どちらかが欠けてもいけない――それが、攻略の要となる。
「もう夜明けは終わったんだって、誰かが教えてあげなきゃいけないね」
仲間と固まらず、散会して動いてゆく蓮城。
弓兵はダリエや十が何とかしてくれると信じて射撃に気をつけつつ、槌兵・剣兵と剣を交える。
大剣が受け止める剣戟が、かつて受けた時よりも強い事に気付く。
だがしかし、倒せば問題はない。
相手をしている骸骨達を引きつけ、他の骸骨兵の元へ誘導するように移動。
囲まれた。否――
「包囲されないように――ではなく、寧ろ包囲させてるのよ」
彗星が落ちる。蓮城を囲んだ骸骨が彗星に巻き込まれて潰してゆく。
「データを蓄積しているのは、貴方達だけではないの」
これまでの戦闘から骸骨兵との戦い方は分かっている。
どれだけ数が居ようと、問題はない。
大剣を握り直し、また一歩、踏み込んだ。
セレス・ダリエ(
ja0189)は考える。
敬愛する人が、大切な人が居なくなってしまった世界。
記憶さえ混濁している……ただ、”それだけ”を、知っている。
……例えばそれがセレスだった場合、如何するだろう。
亡くした者への想いに溺れるだろうか? 屠った者への復讐に燃えるだろうか?
それとも……
決めるのは須藤自身ではあるけれど――須藤は、如何するだろうか……如何したいんだろうか。
ダリエは須藤と会うのは、初めてだ。
しかし、目の前で誰の存在を無くしてしまうのは――嬉しくないと、思う。
生きる事に価値が在るのかは、分からないけれど……
先は、何処まで行っても暗闇……
光明が差す場所は? 光明を見つけられるかも知れない場所は?
光は、何処に……救いは、何処に……
――今は考えても仕方がないのか。
「……毎回すみませんが、宜しくお願いします……」
「君は最後まで礼儀正しいな。――役に立たない盾だが、最後までよろしく頼む!」
翼を展開し、目立つ様に低空を飛んで敵の目を一気に引き付ける十。
彼らが狙うのは、弓兵の掃討。
鏃の先が、十を狙う。
瞬間、ダリエの魔導書から発される雷が骸骨に突き刺さる。
敵が集まってきた。
「……一気に行きます」
炎が爆発する。熱が散る。骸骨が消えてゆく。
一網打尽だ。
不適に笑ったアサニエル(
jb5431)が、群がる骸骨達を真っ向から迎え撃つ。
「さて、まずは露払いってところかい?」
アウルが彗星を落とす。闇を切り裂き落ちる星の群れが、骸骨達を射抜いてゆく。
さらにはウォーリア同士の連携を防ぐため、一番近くにいるウォーリアの種別のものを最優先で狙う。
霧の上に、炎が覆い被さった。
一方、海上では。
「ルスラン……漸く、お出まし、か」
水面を蹴り上げ、疾走するヤナギ・エリューナク(
ja0006)。
一人で須藤が突っ立っているとは到底思えなかった彼は、双眼鏡で様子を見つつ、須藤から最も近い場所に向かって、奴らの視覚の外である海の上を突っ走る。
肉眼で確認できるなら隠す必要もないだろう。双眼鏡を仕舞い、忍ぶ事を捨てる。
地に足を着けると、群がってくる骸骨共。そこに土の雨を降らせ、鎖鎌で暴れまわる。
「手前ェの真実、見せて貰うゼ!」
二度目の土の雨の中、エリューナクは黒の奔流の源を見据えた。
「ってことで復讐をやめさせ……るというか、そもそも始めてすらいませんね。あの悪魔に操られて暴れてるだけ」
間下 慈(
jb2391)が、向かってくる剣と槌の骸骨を見据え、ピアスジャベリンでまず穴を穿つ。
それから群れの中に突っ込むタイミングは、エリューナクと同じ。
「取り巻きさんたちにはご退場願いましょう!」
ピアスジャベリンが消えきらない内に、雷が奔り、その熱量はさらに膨れ上がる。
「さぁ、おいで鼠たち☆ ハーメルンの笛吹きはこちらですよ♪」
雷撃蹴の軽やかな身のこなしで骸骨の注目を得たジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)が、大型バイクのアクセルを回す。
「笛吹きに呼ばれた鼠たちは、自ら死地に向かう。――そう、キミたちみたいにね♪」
ブラックパレードの背中はタダでは見られない。
背中の――その後ろには。
「なるほど。須藤はこの悪魔に乗せられていたわけか。恐らく洗脳に近いような状態……」
神埼 晶(
ja8085)は、マクスウェルの言動と、骸骨達の背後で巻き上がる黒の竜巻を見て推測する。やはり、尋常ではない。
「やり方は間違っていたけれど、天魔を憎む『夜明けの八咫烏』の考えはわからないでもなかったわ」
スナイパーライフルの銃口から駆け出す弾丸が空を切る。
この際、悪魔は考えないでおく。今は交戦するだけ時間の無駄だ。
「このまま須藤を悪魔のいいようにされるのは、私としてもちょっとムカツクわよね……!」
弓の射程のさらに外。
神埼の眼が、放つ弾丸が、ブラックパレードを追いかける髑髏を射抜く。
骸骨を仕留めながら着実に進む先は一つ。
絶対に逃がしはしない。
骸骨の数が減ると同時に、須藤の姿が見えてくる。
黒の奔流、霧の源の、その中心。
「こちらは少数で対応できます。対須藤さんへの援護を優先してください」
須藤に向かう面々を見送り、未だ骸骨の対応に当たろうとする面々に間下は言う。
間下の意思を静かに確認する十の青い瞳を見返し、間下はただ頷いた。
「済まない――行くぞ!」
須藤へと向かってゆく面々の背中を見送りながら、銃把を今一度強く握る。
槌の横薙ぎを宙返りで避け、仲間へと向かう攻撃を一つ残らず打ち落とす。
その凡人、非凡につき。
激戦の中、呟く。
「この凡人がお相手します」
●
最初から須藤を抑えていた者が居た。空を飛べ、長い射程の攻撃を最も得意とする人物――牙撃鉄鳴(
jb5667)の銃口が、須藤を捉える。
彼は飛行して銃の射程ギリギリから須藤の、義手や鎌で防げない絶妙な箇所を狙う。
「完全に叩きのめす。殺さない程度にな」
狙うのは命などという、ある意味最早陳腐化されたものではない。
その奥底に、たゆたうもの。
「撃退士を『選ばれた力を持ちながら天魔に加担する屑』……そう言ったらしいわね」
神埼は須藤の落陽に直接関わってはいない。
「今の貴方がまさにソレね。あの世で世持はさぞガッカリするわよ」
だがしかし、世界の終りには関わった。確かと見届けた。
「俺、が……天魔に加担する屑……?!」
世持武政。須藤の世界であり神でもあった男。
「憎んでいた悪魔に利用されたまま終わっていいの!? 根性見せなさいよ!」
大鎌を振るう動きは極めて単調。そもそも間合いに入るつもりもないが、避けるのも容易い。
弾に腐敗の力を込め、撃つ。
「憎い、悪魔……? いや、憎いのは……お前ら……! 殺す!」
避ける事もなく、ただ大鎌の刃でそれを受け止めた須藤の動きに、言葉に、違和感を感じる。
本人らしさが無い。
動きの端々に、本人ではない何かが蠢いている。
光り輝く弾丸が、流星の如く打ち出される中、神埼は考える。
――須藤ルスランとは、そういう人間だったのか?
まだそれの正体が分からないまま、再び引き金を引いた。
(さっきの戦闘を見てると、マキナ・ドールとルスランは視覚共有をしててもおかしく無ェな)
暴虐リリアンヌ然り、同じ手は使わない方が懸命か。
ならば、と雷の如き鋭い一撃と疾風をも切り裂く斬撃を繰り出す。
それだけでは飽き足らない。
目を隠し、無力化を狙う。
視界を奪われても尚、須藤は足掻こうとする。本当に奪われたものが何なのかを理解できていないまま――
「お待たせしました。ようやく全員揃いましたね」
間下が合流し、戦局に一端の区切りがつく。
骸骨は全て消え、須藤だけが残った。
その上で、問う。
「再び伺います……『何』に復讐するつもりなのか、お聞かせ願えますか?」
何が憎いのか。
何に復讐をするのか。
身を窶してでも求めるものは一体何なのか。
「復讐……何、に?」
頭を抱えた須藤が、ぼそぼそと呟く。
存在しない明後日を見つめ、その実在すら不確かな次元に意識を傾けている瞳。
相対している者達とは一人も目を合さず、両手で頭を掻き毟る。
「何が憎い……天魔が憎い……いや、久遠ヶ原が憎い……どちらも憎い? いや、全てが憎い……全員殺す……殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すううううああああああああああああああああああ」
自意識すら混濁しているようで、まともな回答が得られない。
そんな須藤を見て間下は、深い溜息を一つ吐く。
「自我も目標もない復讐は、復讐ではないですよ」
諭してみるが、須藤はふるふると首を横に振るだけで話にならない。
ぶすぶすと濃くなってゆく黒い霧が、須藤の背後で巨大な魔神の姿を形作る。
「……あれはいかにもって感じよね」
辺りを見回した神埼は、頬を撫でる外気に意識を傾ける。
初めて見たときから気になっていたが、自ら動き始めると本格的に嫌な予感しかしなくなる。妙に寒いし、体感温度が狂わされないようにしないといけない。
ただし、やたらと広範囲に撒き散らされる訳でもない。霧の手がまだ及んでいない場所からの狙撃が最適か。
「さぁ、ちょっと本気で行くよ☆」
ブラックパレードは微笑みを絶やさず、全身のアウルを血の様に巡らせ、薙ぎ払う。
食らう須藤を、冷ややかな瞳で見下ろす。怯んでも尚動こうとするその気力。
いや――本能なのかも知れない。
「須藤ルスラン。あんたは哀れなもんだよ。夜明けの八咫烏って、あんたにとっちゃ世界そのものみたいなもんだっただろうに。その世界が終わってしまったからって、憎しみの対象を変えちまって大丈夫なのかい?」
夜明けの八咫烏の終りは、坂道を転げ落ちるようなものだった。
謎の失踪を遂げた筒井リュドミラ、志半ばで死んだ世持武政、誰にも理解される事はなかったルイジ・イワノビッチ。
飛ぶ事もできず、肉体を崩壊させた哀れな三本足の烏。
だからこそ。
「この騒動を始めた人間として、終わりを見届ける義務があるんじゃないかね」
胴体を狙い、じわりじわりと攻撃を続けてゆく。
いくら何かに操られていると言っても、操られるだけの体力がなくなれば攻撃はできまい。
向こうは一人。こちらは八人。
「ほらほら、痛い所ある奴は手ぇ挙げな」
癒しの風を爽やかに吹かせ、持久戦の覚悟で挑む。
「……少し、動かないでください……」
セレスが呼び出した異界の呼び手が須藤の動きを止め、炎の塊をぶつけて体感温度を狂わせる。
この世のものではない手が体に絡みつき、体温が異常をきたしてもなお動こうとする須藤は、最早人間ではなく獣だった。
「黙れ……! 黙れ! お前らさえ居なければ……天魔さえ……!」
言い分も、最早筋すら通ってない支離滅裂なものとなってきた。
「どうする、奴は聞く耳を持っていないぞ」
恐らくは須藤自身も訳が分かっていない事だろう。殺すしか他に道はないのか。
「――その耳が塞がれて声が届かないのなら、その頭に直接叩き込めばいい」
十の言葉に、蓮城がそう返す。
木枠に嵌め込まれた金属球が現る。
そこから発せられる蓮城の声は、須藤へと向かう。
『憎しみを否定はしない。けれど与えられた紛い物の憎しみに、その身を許してはダメよ』
涼しい蓮城の声が、須藤の頭の中に響く。
蓮城は知っている。
憎しみは、自ら作り出されるものだと。
憎しみは、与えられるものではないと。
『自分の意思で憎みなさい。貴方が進む道は、自分の意思で選びなさい』
どうして憎むのか。
どうして憎いのか。
かつての須藤なら、即座に答えられた筈だ。
憎むものも、欲するものも、進むべき道も、全て、全て確固とした意思で決めた筈だ。
「――だから殴ってでも目を覚まさせる」
アウルの雷を纏った素手の拳が須藤の顔にめりこみ、須藤の体が吹っ飛ぶ。
「自分の誇りだけは、……天魔への、組織への感情だけは、何があっても手放すな」
薄く煙を上げる煙を未だ突き出しながら、蓮城は言い放つ。
「目を覚ませ」
焦点の合わない目のまま、須藤は蓮城に殴られた頬を左手で撫でる。
痛みはゆっくりと伝わっているのだろうか。その瞳の焦点が、徐々に定まってゆく。
「俺、は……一体……」
徐々に開けてゆく視界に現れた面々を見て、少しだけ我に返ったかのように呟く。
その左目の色が、徐々に戻ってゆのが見える。黒から白へ。体の支配権が、何かから自分へ。
「そう、だ……憎いんだ……天魔と、久遠ヶ原の奴ら、が――殺すんだ、殺すんだ……」
地面に転がる大鎌に手を伸ばす。もう消耗しきっていて体すら震えているというのに、大した気力である。
しかし、周辺に未だ黒い霧が薄く漂っているのは憂慮すべき事態だ。
すかさず神埼が背後から三角締めで須藤の意識を落とす。
「任務完了。学園に連れ帰るわよ」
一時的に意識を失っている須藤の顔を伺ってみる。その目の下には、深い隈がくっきりと刻まれていた。
(今の須藤には世持の代わりが必要か)
どういう結末が待っているにしろ、彼には明確な支えが必要だ。
それを見つけられるだけの力が、今の須藤にはあるだろうか?
「……手がかかるわね」
神埼は、何度目かの深い溜息を吐いた。
●
「起きろ」
牙撃が脇腹を蹴り上げると、何かのスイッチが入ったかのように気付く須藤。
「まだだ……! ここで終わる訳には――」
まるで脊髄反射のようだが、先ほどまで見られていた邪悪さは感じられない。
「まぁまぁ。もうキミ、負けたんだよ☆ 良いから話聞きなよ♪」
ワイヤーで須藤を縛り上げ、ブラックパレードは落ちた大鎌を拾い上げる。
なおも暴れようとする度に、ワイヤーは締めあがってゆく。
「クソっ、厄介な事を……!」
「おお、本気だねぇ♪ 若いねぇ♪ でもね、動けば動くほど絡まっちゃうよー☆」
ぎゃんぎゃんと暴れる須藤を薄い笑みのまま眺めつつ、ブラックパレードは意識を別の方向にやる。
「それに――」
さらに視線を傾けた先にいたのは――被り物の悪魔。
「ぐぬぬ……ぬぬ……小生の大切な大切な発明品ががが……あ奴らの手に渡る位ならいっそ……スパーデラックスハイパーマクスウェルビィィィィィイイムッ!」
背負っている機械の脇から銃口が展開。同じく現れたスイッチを押すと傾向グリーンのビームが発射されるが、それをブラックパレードの盾が容易く防ぐ。
スーパーだがデラックスだが知らないが、お粗末な攻撃である。ある程度予想はしていたが、この程度のものなのか?
「飽きた玩具は壊す……かぁ☆ やっぱり気が合いそうだね、マクスウェル君☆ ボクだってそうするさ♪」
「ちちちちち違いますしおすしノンノンですし回転寿司。機密保持の為です故ェ」
ブラックパレードの剣呑な笑みに圧されながら、ふるふると首を横に振るマクスウェル。
暫しの睨み合い。否、正確には蛇が蛙を見ているだけである。
勝敗と言うまでもなかった。
「ぎ……ぎえええええぇえええッ! 覚えておくのでーすよ!!!!」
音を上げたのは蛙――マクスウェルであり、蛇――ブラックパレードは薄い笑みをいつも通り顔に湛えていただけである。
ぶしゅうううう、と気の抜ける音と共に、背中の胡散臭そうな機械で何処へと飛び去ってゆくマクスウェル。
「バイバーイ、マクスウェル君☆ また会おう♪」
飛行機雲のような煙を眺めながら、ブラックパレードは手を振った。
「さて、と……」
荒く息を上げながら地面に蹲る須藤を足元に据える牙撃。
「何故自分ばかりこんな目に、という顔だな」
冷めた赤い瞳で須藤を見下ろし――
「惨めなものだ」
――言い放つ。
靴の爪先で須藤の顎を引っ掛け、その顔を拝む。
ありったけの敵意の顔。当然だろう。須藤にとって牙撃鉄鳴は、因縁や宿敵のさらに向こう側にいる存在なのだ。
「見当違いな憎しみに身を焦がして、憎悪する悪魔の力まで借りて、挙句また負けた」
負けた、という顔に須藤の顔が更に歪む。
憎悪の顔。そうだ、それでいい。
「お前が憎むべきは学園ではない――その憎しみは俺だけに向けろ」
背後から撃たれたような顔の須藤。何故、と言いたげに牙撃を睨む。
「どうした。お前が憎む悪魔がここにいるぞ。世持を殺した撃退士がここにいるぞ。お前の左腕を奪った男がここにいるぞ。憎くないか? 悔しくないか? 恨みを晴らしたくないか?」
顔を見て意思を確認し――首をゆっくりと横に振ってそれを否定する。
「……だが、それはできない。お前は俺に負けてしまったからな――今のお前ではその憎しみは晴らせない」
牙撃の言葉に反応するように、小さく呻き続ける須藤。
「だから生きて、強くなって、俺を殺しに来い」
淡々と、ありとあらゆる感情は込めず。
ただそこに、「憎しみ」という「希望」と「光」を見せ付けて。
「どんな手を使っても、何に縋ろうと――それまでは死にたくても死なせない」
黒の皮に包まれた、薄く長く白い指が須藤の髪を鷲掴む。
須藤の美しい顔に嵌め込まれた金の瞳。
開ききった瞳孔の、その奥の奥にたゆたうもの。
――良い絶望だ須藤。
――依頼とは関係なしに、殺すのが惜しくなった。
赤い瞳が絶望を見据える。
「お前の絶望と憎しみは、この『名前の無い鬼』が食いつくしてやる」
世界の裏側――絶望を担う鬼。
穢れきった世界を証明する、黒い鳥の翼を持つ名も無き鬼。
彼に向かう憎しみが、一つ増えたところで何も変わらない。
彼が担う絶望が、一つ増えたところで何も変わらない。
――あくまでもこれは想像だが、世持はこうして憎しみを煽って『夜明けの八咫烏』の構成員に『生きる理由』を与えたのだろう。
ならば明確に憎む対象を与えて『生きる理由』にさせる。
牙撃一人だけならば、憎しみの矛先がぶれることもないだろう。
憎しみだろうが立派な『生きる理由』だ。否定などさせてたまるか。
今はもう果たしたが――かつては牙撃もそうであったのだから。
血の因縁。肉の憎悪。父親という最も忌む存在。
――思い出すだけで吐き気がする。
(まぁ、易々と殺される気は無いが)
ぱ、と手を離す。離された須藤はと言うと、重力のままに頭を地面に落下させた。
声は発さずに悶絶する須藤に、間下は足を屈ませてその手を取る。
「残念ながら、まだ死ぬには早いですよ?」
傷口にアウルがねじ込まれてゆくのをぼんやりと見つめながら、須藤はその本意を問う。
「……どういうつもりだ」
「言った通りです。須藤さん。『何』に復讐するにせよ、一度うちで――学園で学びませんか」
「ふん、誰がお前らと――」
応急手当が終えた右手を間下から引き剥がし、そっぽを向く。
「でも、考えてみてください。僕らに復讐するなら学園で得た信頼や地位がそのまま武器になりますし、天魔に復讐するなら撃退士としてのノウハウが武器になります。どっちに復讐したいと貴方が考えるにせよ、相応のメリットがある筈です」
間下の言う通りであった。
少しだけ眉を潜め、微かに開いた目で間下の様子を伺う須藤。
「今は雌伏の時ですよ」
間下は続ける。
「貴方がもう一度今度は自分の意志で復讐を決意するまでは……そうですねー、表向きは僕らの言葉に懐柔されといて、裏で力を蓄える――ってのはどうです?」
理には適っている。
「須藤さん、あなたには選んで欲しいの」
蓮城が十に視線を向ける。それを受け取った十は頷き、一歩前に出て言う。
「須藤ルスラン。先ほど彼らが言った通りだ。貴様さえ承諾すれば、久遠ヶ原の生徒となり、一人の人間として最低限の生活は送れる保障がされる」
「承諾しない、と言えばどうなる?」
力なく鼻で笑う。完全に強がりではあるが、まだ折れ切れていないのが須藤ルスランという人間だ。
「人間としての扱いはないと思え」
「そうか……」
十の言葉に、静かに頷く須藤ルスラン。
地面に転がったまま暫し考えた後、空を仰ぐ。
長いようで短く――簡単なようで複雑であった。
いつのまにか晴れた空は、憎らしいほどに澄み渡った青を見せ付けている。
「どこまでも……どこまでも外道だよ、お前らは……」
黒い鉄の義手が、顔を覆う。それから聞こえてきたのは、小さな嗚咽。
零れ落ちる涙の雫と共に、義手から発せられる黒い霧が静かに空に昇って消えてゆく。
紛い物の憎しみが、全て抜け切った。
後に残ったものが何なのかは、言葉にするだけ野暮である。
●
夜明けは――終わった。
夜明けが終われば朝が来る。
「朝だ、起きろ」
「ふぎゃっ」
ジャケットを着る一歩前まで軍服を着込んだ十が、数日前に増えた布団をひっぺがす。
「いい天気だ。布団を干すのに丁度いい」
「……うるさい」
明後日の方向に飛んで行った枕を手繰り寄せて顔を埋める。その右手は、黒い鉄で出来ていた。
「今は何時だと思っている。授業まで時間は無いぞ――須藤ルスラン」
「ぐむぅ……」
「ちなみにお前が初めて受ける授業の教師は遅刻をするたびに関節技をかけてくる。熟練のアウル覚醒者のコブラツイストを食らいたくなければ、その枕も僕に渡して起床する事だ」
犯罪組織『夜明けの八咫烏』幹部、否――『機械仕掛けの骸骨兵団』司令官、否――久遠ヶ原学園大学部学生・須藤ルスラン。
それらが彼の新しい肩書きであり、居場所であり、選んだ自身の処遇でもあった。
様々な制約を得て、彼は久遠ヶ原の生徒として生まれ変わったのだ。
本来は有り得ない、重犯罪者の学園生活。左腕の件がなければすぐにでも八つ裂きにされる、極めて特殊で危なげな立場。
監視である十に少しでも逆らえば、明日どころか一秒後ですらも危うい。
例えどんな事があっても、だ。
覚束ない手で枕を十に明け渡すと、自身もまた気だるげに起き上がった。
「眠い……」
「夜遅くまで酒を飲んでいるからだ。これ以上飲酒による寝坊が続くと、禁酒しなければならん日も近いだろうな」
「む、それは困る……」
今の須藤は二十四時間の監視と、定期的な報告書の提出と義手を調査が行われる以外は、普通の学生と変わらぬ生活を享受することが許されている。
発信機の付いたチョーカーと、互角以上の実力を持つ十による二十四時間の監視。
いや、十だけではないだろう。見えていないだけで、ありとあらゆる監視が常にいる筈だ。
窮屈ではあるが、どうしてか悪い気はしない。無論、逃げようとも思わない。
まだ冬の気配が残る大通りを、須藤と十は歩く。
「おっ、偶然。よく寝坊しなかったな」
「……おはようございます。もうここには慣れましたか?」
「馬鹿にするな。ちゃんと起きたし、もう既に慣れているぞ」
曲がり角からやってきたエリューナクとセレス。偶然の出会いに、彼らも加わる。
「――って言っちゃアいるが、実際のところどうなんだ?」
「つい三十分前まで眠っていた」
「言うな!」
さらりとエリューナクに真実を話す十。
「おはよう須藤さん! 今日から初めての授業らしいけど、大丈夫。怖くないから」
「そんな心配はいらん。いくら学校に通うのが初めてと言えど、不安になど……」
後ろから合流するように現れた蓮城が、須藤の顔を覗き込むようにくるりと回って微笑む。
「手、震えてますよー。何だかんだで不安なのではー?」
「違う! 断じて違う! 今日は義手の調子がおかしいだけだ!」
手を指差し、その震えを指摘する間下。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。困ったら十さんだけじゃなくて私達も居るんだから」
「怖がってなんかいない! いないんだからな!」
神埼の言葉を全力で否定する須藤。そこに意地や見栄が入っているのは言うまでもない。
「気の抜けた顔だな。大丈夫か?」
牙撃を見て、瞬間的に須藤の顔が強張る。
「ふん。何を言うか。お前にされた事、何一つとして忘れてはいないからな」
見る見るうちに険しくなってゆく須藤の顔。
「いつかお前を殺してみせる。いつか、絶対にな。それまで首を洗って待っていろ」
黒い鉄の義手の指先が、牙撃を指す。
「人を指で差すもんじゃないよ。さ、予鈴がそろそろ鳴るから行った行った」
「……そういうお前はどうなんだ」
「これから図書館。この時間に授業がないだけさね。……もう少し、これから世話になる大学という場所について勉強したらいいよ、何なら手伝うし」
腑に落ちない顔をしている須藤の背中を叩きながら、軽く笑うアサニエル。
「そうだね、遅刻しちゃうよー☆ ま、棄棄先生の関節技をコブラツイストからクリップラー・フェイスロックに変えてもらうようなせめてもの説得はできるけど……それなら貸しイチって事で、お先―♪」
「待て、複合関節技に進化しているぞ! しかも死んでもお前に借りは作りたくない!」
軽々と須藤の脇をすり抜けて行くブラックパレードを追いかけようと駆け出す須藤。
そうして彼は先に行く。その足取りは軽い。
罪を背負って、古傷を抱えて、生傷と向き合って、一筋の希望を見据えて。
憎しみを糧に、進む。
【終】