●
秋風に揺れる空は綿を千切ったような雲がまばらに浮くだけで、気味が悪いほど燦燦と太陽が照らしている。
その下で、名も無き山々が肩を寄せ合っている。狭間にあるのは寂れ、いつしか人がいなくなった寒村を改造してできた大掛かりな工場。作っているのは武器。
ここは武器工場。夜明けの八咫烏が稼動させる、拠点の一つだ。
山が自然の塀と言わんばかりに、塀がない。よって侵入はスムーズに行えた。
「悪の組織の工場へ突入、なんか映画みたいでかっこいい」
物陰から物陰へと移る中で水枷ユウ(
ja0591)は呟いた。
「さて、こうゆっくりもしてられないぞ。そろそろ分かれよう」
建物が見えてきた所でミハイル・エッカート(
jb0544)の提案通り、二手に分かれた。
●
A班は物陰に隠れて辺りを見回す。そしてユウがおっ、と声を上げた。
「あいつが良さそう。たぶんアウル覚醒者っぽい」
「了解です」
ユウが指差した先にいるのは、一人で建物裏を巡回している男である。装備から見て、アウル覚醒者である可能性が高い。
そうと決まれば話は早い。佐藤 としお(
ja2489)が音も無く後ろから接近し、チョークスリーパーで一気に意識を落とす。
「よし」
春夏冬は気絶を確認すると素早く手足を縛って口を塞ぐ。この間僅か三十秒もない。
「……慣れてますね」
あまりにもの手際の良さに、神埼 晶(
ja8085)は若干引いた。
「うん? 晶ちゃんだって練習すればこんくらい簡単だぜ。まぁ俺も本国に居た時はこういう事ばっかやってたしな。――ユウちゃん、いけるか?」
「まかせて」
ユウが男の額に触る。そして、記憶を覗き込んだ。
――ツツイリュドミラって、どんな人?
疑問は一つ。
そうして浮かび上がったのはゴシックロリータの装いをした紫色の髪の少女。見るだけではユウと同い年程度か。いつも本部棟と呼ばれる場所の最上階にいるらしい。本部棟、跡でしらべておかないと。
そしてゴシック調の部屋で大量の刃を磨く姿。見たことのない形の剣だ。なんだろう。素早く紙に落とし込む。
次に見えたのは男達が話し込む場面。『毒蜘蛛の巣』? なにそれ。え、罠を大量に仕込む技? 本部棟全体にしかけてる? 厄介だなぁ。
次へと進む。
――ここは、どうなっているの?
疑問は二つ。
ここの敷地はどうなっているのか。
山間の数少ない平地を使っている、と言ってもそれは地図上での話。いくら覚醒者と言えど決して見逃せない広さだ。見回りならば今自分達が持っているものよりも詳細な見取り図も――あった。これも紙に落とし込む。
特に本部棟。恐らくは筒井もこにいるだろう。この敷地で一番高い建物。各施設を叩いた後、B班と合流して突入した方がいいかも知れない。
――ルイジ・イワノビッチ、知ってる?
疑問は三つ。
見えたのは、どこかの屋上で敷地を見回している姿である。どこだろうか? 同じ場所で、この男が持ってきたであろう食事を文句を言いつつ受け取る場面も見れた。しかし、それ以上はわからない。
――これくらいしかムリかな……
そして現実へと戻る。
「どうでした?」
「えっとね――」
ユウは見たことを全て話す。
筒井リュドミラについて、この場所について、ルイジ・イワノビッチについて。
「それだけ得る事ができれば上々ですね……ありがとうございます」
見取り図を見ながら佐藤が頷く。
「それとね、これなんだけど……」
不思議な形状の武器の絵を見せる。反応したのは春夏冬であった。
「これは暗器かな。服とかに隠して必要時に出すやつだ。つまりはアサシンで罠使い――厄介だな。『毒蜘蛛の巣』ってやつも気になる。一定範囲内に罠を仕掛けまくる技か……」
「また対策法を考える必要がありそうですね」
ふむ、と頷いた佐藤は通信機に話しかける。
「――こちらA班佐藤です。今から見取り図を送るので、これを参照してください。それと筒井の事ですが……」
春夏冬は男を適当に壁際に転がしつつ、ユウが得た情報をB班へと伝える。
「あの、こいつはどうすれば……」
心配そうに神埼が聞いてくるが、春夏冬がひらひらと手を振る。
「ほっとけほっとけ。開放しても後で加勢されるだけだ。一利もねー」
「……なんかこれ、どっちが悪の組織か分かんないね」
「総合的に向こうの方が悪い事してるから大丈夫大丈夫。殺すわけじゃあるまいし。そもそも無傷だし」
「そういう問題?」
ユウは首を傾げる。軍人らしい、と言うよりは春夏冬らしい割り切り方とも言えようか。
「――よし、それでは僕達も行きましょうか」
B班との連携もある。佐藤の言うとおりだ。
動き始める。
「あの、」
神埼は駆け出す際、皆に言う。
「よろしくお願いしますね」
「おう! ――行くぞ」
A班の目標は情報収集および第一・第二工場の襲撃が主な目標である。
「今から見取り図を送る。これを参照してくれ」
本格的に暴れるB班に比べると行動範囲は狭い。だからこそ、密に潰せる。
「――さぁ今度はこちらから行かせて貰いましょう! 大変そうだけど頑張らないとね♪」
まず突入したのは第一工場。
どちらの班にも言える事だが、徹底して叩くのは不文律である。しかし、今回はアウル覚醒者のみが相手ではない。アウルどころか戦闘力すらもうろくに持たないであろう一般人が多数いる。下手をすれば殺しかねない。
よって、V兵器の代わりに春夏冬が用意した制圧用の武器などを扱う。また、ここは武器工場である。原料となる火薬やガスなどが、至る所に置かれている。
つまり、多少の火気で、いとも容易く爆発する。ユウが手近にあった銃でガスボンベを撃つと、あっと言う間に周辺は爆風の海になる。
けたたましく警報がなった所で行動開始。
混乱して逃げ惑う者もいれば、ある程度の覚悟はしていたらしく、装備している拳銃とナイフで応戦しようとする者もいる。後者がアウル覚醒者ならば問題はないが、一般人であるから手加減に困る。
「悪く思わないでよ!」
爆発に気をつけながら、神埼は照準もへったくれもない弾丸の間を擦り抜け、接近して肉弾戦で動きを封じる。
見事なストレートや蹴りが決まるたびに何やら硬く頑丈なものがへし折れる音がするが、殺すよりはマシだ。それに、不本意な爆発で死なせたくもない。
佐藤も死なない程度に攻撃を入れる中、ユウも煙幕や工場内に転がる銃火器と火薬を使って集団へ対処している。死なない程度の量や見計らったタイミングで投げ入れているが、こうも数が多いと手間取るのも確か。
「皆さん! アレを!」
爆風も収まったところで佐藤が叫ぶ。ほんの少しの間を空けた後、工場内に煙が立ち込める。ただの煙ではない。催涙ガスである。彼が言うアレとは、ガスマスクの事だ。
催涙ガスが敵の視界を奪っている間に神埼は愛用のリボルバーを活性化させてアウル覚醒者を攻撃してゆく。視界を奪われてもなお抵抗しようとする者に対しては仲間と連携しつつ容赦なく側面から撃つ。
アウル覚醒者でさらに戦闘訓練を受けているので、ちょっとやそっとで死なないので手加減の必要がないというのが楽だ。
「こちらA班、佐藤です! 第一工場制圧できました! 第二工場への制圧に移行します」
B班との間に行動の齟齬ができないように、逐一佐藤は無線に連絡を入れてゆく。
さて、B班は今どうしているのだろうか。
●
『――こちらA班佐藤です。今から見取り図を送るので、これを参照してください。それと筒井の事ですが……』
B班はA班が送ってきてくれた情報を基に、派手に暴れるのが役目である。
「こちらB班。了解しました」
A班より送られてきた見取り図をエイルズレトラ マステリオ(
ja2224)は確認する。
「なら、そろそろ行くか」
牙撃鉄鳴(
jb5667)は頃合だ、と呟く。
夜明けの八咫烏に、ルイジ・イワノビッチに関わる事件もこれで三件目。そろそろイワノビッチの顔を拝みたいものである。
(さて、今回は室内での戦闘、か。あらゆる状況に即座に対応できるようにしておかないとな)
ルーカス・クラネルト(
jb6689)は、改めてこの道中にした打ち合わせの内容を思い出す。A班との、そしてB班の面々との連携。準備はやるだけやった。装備は軽く、しかし臨機応変に動けるようにしておいた。
「そうだな、行こう」
うんとエッカートは頷く。そしてマステリオが先頭、クラネルトが殿を勤めてB班も行動を開始した。
まず向かったのは倉庫である。
物言わぬ戦力とも言える倉庫は、戦略的に言えば本部棟に並ぶ重要な施設だ。ここを使えないようにしておかなければならない。
倉庫の出入り口を内側から積荷で塞ぐ牙撃。クラネルトは牙撃の手伝いをしつつ鍵などを開かないように念入りに壊す。その横で、マステリオは武器の破壊や持ち歩ける手榴弾の拝借などをしている。
最中、出入り口であるシャッターからエンジンの音が聞こえる。エッカートだ。
倉庫に向かった途中で単独行動を取ったエッカートが向かった先はガレージ。
経験から来るスキルを使って誰にも気付かれずに侵入し、開錠してガレージ内部へ。
後は簡単だ。キーボックスから鍵を拝借してトラックに乗り込む。それから倉庫の入り口を塞ぐようにトラックを止めたら鍵を抜いて放置。これで抜かりはなくなった。
「こちらミハイル。調子はどうだ」
『牙撃だ。こちらも終わった。今から出る』
牙撃が翼で、残る二人は障害物伝いに壁をよじ登って上の出窓から出た。これでもう倉庫は使えない。
さて、下準備が終わればいよいよ第三工場である。
『こちらA班、佐藤です! 第一工場制圧できました! 第二工場への制圧に移行します』
通信機から声が聞こえる。上手く同時進行でいているようだ。
青銅の鎖鎌をロープ代わりに使って壁を登り、通気口から侵入。
エッカートが催涙ガスを放り込む。すると工場内はあれよあれよと混乱の様相を呈する。
「さてと、やるか」
ガスマスクのゴーグル越しにアイコンタクトを取り、四人は一斉に動き出す。
一般人とアウル覚醒者の見切りを付けながら、その場の状況によって対処してゆく。
クラネルトは肉弾戦や一般人制圧用の武器などを使用して相手を気絶させ、アウル覚醒者には通常通りV兵器で無力化を計る。
「厄介だが、殺すよりはマシか」
そんなクラネルトの呟きも聞こえない別の場所では。
機材や棚などによる壁が多くて助かった。エッカートは手早く耳栓を詰め込み、閃光手榴弾を炸裂させる。
出入り口から現れた敵は急所を外して撃ち、第三倉庫の出入り口前に広がる広大な実験場めがけて手榴弾を放り投げて伏せる。構いやしない。装備から見るに全員アウル覚醒者だ。
しかし一般人は下手な方法で殺したくはない。マステリオはで発煙手榴弾等で煙に巻きながら、素手で気絶させる。
「ヒリュウ!」
さらに体の小さなヒリュウを飛ばして、こっそり背後から殴らせて気絶させたり、とにかく手数を減らすことに専念する。
「逃げなければ爆発させる。命の保障はしないぞ 」
近くにあった火薬の容器を引火させないように周囲を撃ち、脅しをかける牙撃。殺しはしないが、気迫では殺す。一般人は失血死やショック死を防ぐために太い血管を避けて狙っているのだ。これくらいしたって構わないだろう。
そうして降伏した者達の装備を奪って破壊し、アウル覚醒者は拘束して、一通り終わった事を確認する。
「こちらB班、ミハイルだ。そちらも終わったか? 本部棟前で落ち合おう」
●
本部棟で合流すると、牙撃が二人ほどアウル覚醒者を縛って来ていた。
「その――それは?」
「対筒井用の秘策だ。俺達は今ここで罠にかかる訳にはいかん」
秘策、と言っても牙撃やエッカートが考えたものは単純である。
「歩け」
銃で脅しつつ、牙撃は男を本部棟の廊下へと突き込む。男は筒井の『毒蜘蛛の巣』の事を知っているようで、カチカチと歯を鳴らしながらぎこちなく歩いてゆく。
「コレって人道的にギリギリな感じよね……」
アウル覚醒者であるのでちょっとやそっとの罠では死なないだろうが、絵面で言ったら確実にこちらが悪である。
直後、ワイヤーのようなものを引っ張るような音がした。と思った瞬間、矢が正面から飛んできた。場にいたのが全員アウル覚醒者とだけありこれは避けたが、間違いはない。
「なるほど。これが毒蜘蛛の巣ってわけか」
「やべぇな、殺す気満々の罠じゃんコレ」
矢の飛んでくる高さが絶妙であった。かかった人物が小柄であれば頭に、大柄ならば胸に当たるように設定されているのを見て、春夏冬は感服する。
「これは厄介だな」
次々と炸裂する罠の数々に溜息を吐くエッカート。これでは捕虜がいくらいても足らない。
「これで敵がいなければマシだったんだが……そうも行かないか」
エッカートは溜息を吐く。
敵は容赦なく来るのだ。罠には細心の注意を払いつつ、敵を倒してゆく。
遮蔽に身を隠しながら出来るだけ通常の人間が歩かない壁や天井を歩ける特性を活かし、マステリオがやや先行。
次はクラネルトが前衛に位置し、他よりはまだ少し高めな防御を活かし盾のように後衛の体力が減らないように行動する。通路の角などでは先に確認し敵の有無を確認。
「安心しろ、殺しはしない……が、手足なくなるよりはマシだろ」
人殺しも行う夜明けの八咫烏と同じレベルに墜ちたくはない。エッカートは負傷した敵の応急手当を行って延命させ、銃で脅す。
聴覚を研ぎ澄ませながら、万一の筒井の奇襲に備える牙撃の横。戦いやすいように適当な場所に物を投げたり発煙手榴弾の煙で赤外線などを探るユウ。量を調節した火薬で吹き飛ばし、先程得た情報も活かしつつ、安全かつ迅速に勧める最短ルートを選ぶ。
そうして辿り着く――最上階。
●筒井リュドミラは考える。
あの人の事を。
天魔に支配される事などない、この国の平和を。
実現の為ならば汚れ役も引き受ける、気高い自己犠牲を。
誰にも理解されぬ、崇高な理念を。
筒井リュドミラは考える。
あの人の事を……ただそれだけを……
●
エッカートが閃光手榴弾を投げ込み、初手を獲る。
そして味方同士で死角を補い合って突入。
白い世界が終わったとき、ゴシック調の部屋で紅茶を飲む少女が一人見える。
「で、アンタが蜘蛛の本体ってわけか」
「正解。私は筒井リュドミラ。世持様の下で働く者よ」
直後響いた銃声。神埼が早撃ちで撃った物だが、筒井はその方向も見ず、紅茶を飲みながら弾き返した。
「ようこそ、襲撃者」
銃弾を弾き返した彼女の手には、刃。
人を殺す為に隠し、研ぎ澄まされた暗殺者の刃だ。
「――食ってやる」
筒井が、消えた。
どこだ。
辺りを見回し、耳を澄ませても、筒井の気配を感じる事ができない。
牙劇が暗視鏡を装着する。熱探知機能などを追加した特別製だ。赤外線式の罠もあるかも知れない。同時にそれも探る。
――見つけた
「(そこだ)」
「(了解です)」
背中合わせの牙撃と佐藤はアイコンタクトを取り合い、そして佐藤が撃つ。
部屋を区切る布を張った鉄柵風のパーティション。その向こうに、筒井がいる。
しかし急所は狙わない。この手の敵は、確実に当たる攻撃にはかなり敏感だ。だからわざと急所を外した狙撃を行う。当たるとは思っていない。ただ、その場から動かす事は可能である。狙いの通り、筒井は姿を現す。
宙に姿を現した所で、牙撃が特殊な形に練りこんだアウルを打ち込む。
これでもう隠れられない。
肉を切らせて骨を絶つ。佐藤達の攻撃から筒井を決して逃さない。
(どこだ……どこにある……)
そして牙撃は筒井の手足や暗器を狙いながら動きを観察する。単純・複雑を問わず、罠使いがよもや自分の罠にかかるなどといったヘマはするまい。
筒井の動きから罠の位置を見極め、そして最終的には罠の密集地帯へと筒井を誘い込む。警戒して動かないならそれこそ狙撃の的だ。
それまでは移動は最低限に、もしするとしても筒井や罠に細心の注意を払って警戒しつつ壁を背にして移動。そして体力が減れば互いを回復し合い、確実に仕留める。
エッカートは罠を見極めるのを忘れず、遠距離での攻撃に心がける。間合いに入られない限り、筒井自身から攻撃を受ける事はまずないだろう。
「しかし、こうもすばしっこいとはな」
筒井はあのような格好で銃弾をかわし続けている。むしろ気持ち悪いくらいだ。
この場の罠を仕掛けたのは筒井である。つまり、罠で迎撃することもある。
飛び出してきた罠を銀月の如き障壁で弾き返すユウ。壁を兼ねた中距離戦力の役割を持つ彼女は、懐に潜られないように立ち回る。
「うーん、イヤらしいなぁ。友達いなかったでしょ」
一直線の冬の魔法で迎撃しつつ呟く。
「黙れ……」
筒井は頭上にあるものが飛んでいる事に再度確認する。羽虫ではない。小さな赤い竜。マステリオのヒリュウだ。時々攻撃らしい火の玉なども吐いてきたりしていて非常に鬱陶しい。
「……悪魔の使いが」
筒井はこの手の存在が嫌いであった。ならばやる事は一つである。
視認できぬスピードで柳刃を取り出し、そしてヒリュウへと一直線に放った。そして命中。この間わずかゼロコンマ数秒。ヒリュウは小さなうめき声を上げながら、その姿を靄のように消してゆく。
「! ヒリュウ」
突然視覚の共有が途絶え、微かに驚くマステリオ。
「そこか」
その微かな声を筒井は逃さなかった。八時の方向。パーティションを挟んだ壁際か。
ともすれば逃がさない。
「エイルズ!」
エッカートが叫んだ時には遅かった。筒井の袖口から這い出た鋭利な刃が、マステリオの体を貫く。だがしかし上手く避けたらしい。まだ息がある。あまり動かず、回避と補助に専念したのが裏目に出てしまったか。
「悪魔の使いが……お前のような奴がいるから……」
身動きが取れないマステリオに対し、筒井はありったけの怨恨を詰め込んだような顔で最後の一刺し――は、敵わなかった。
クラネルトの援護射撃。わざと急所を狙う。この手の敵が一番嫌う攻撃だ。筒井は銃弾を弾いて後退。狙い通り。
「マステリオの救出に向かう。援護を」
通信機に呟きを入れ、一気に駆け出すクラネルト。罠と判明した所のみを選んだ上で最短のルートを割り出し、筒井への牽制で走る。
「しっかりしろ」
「……すみま、せん」
安全を確認した壁を背にしつつ、マステリオの応急処置に入る。貫通している。が、臓器などは損傷していない。上手く避けたようだ。命に別状はないが、傷は深刻なことは変わらない。しかしこの状況では止血程度しかできないのが歯がゆい。
「とりあえずはこれで我慢してくれ」
銃声鳴り響く中での応急処置は慣れた物だが、複数対一というのが妙なものだ。
そのハンデをもろともせずに筒井は立ち回る。流石は幹部か。時には視認できぬスピードで迫る。一撃で殺すつもりだ。
だからこそ、隙を見せた敵にはほくそ笑む。愚かにも自分に背中を見せた刈り上げのサングラス。
――馬鹿め、背中がガラ開きだ。捕まえ――
「捕まえた……と、思ったでしょ? 逆です!」
佐藤は振り向き、銃を構える。しかし迎撃は筒井も考えていた事だ。陳腐なブラフなど何十手も想定してこちらは動いている。殺れる。そう確信した。
だが。
「残念だな。お前のターンは来ないぜ。あと、服のセンスなってないぞ」
「なっ」
アサルトライフルの形をしたシールドを、筒井の頭めがけて大きく振りかぶるエッカート。空中で身動きが取れない筒井は、銃床による一撃を避けられず、頭に強烈な衝撃を走らせる。
「がッ……」
脳を震わせる強力な一打。筒井の矮小な体ごと吹っ飛ぶ。
「今だ!」
吹っ飛んだ筒井が飛び込んだその宙は。
「――はっ!」
神埼の銃弾の軌道。
高速で回転する銃弾が猛然と宙を進み、切り裂く。
気付いた時には遅かった。いや、気付けなかった。
銃弾は刺し貫く。筒井の――腹。刺し貫いた。
血を吐きながら、地面に墜ち転がる筒井。
「大人しくしろ。すれば命は奪わん」
倒れる筒井の頭に銃を突きつける牙撃。ユウにシンパシーを使わせるためになるべく殺さないようにする。が、
「だれ、が……」
まだ抵抗する気らしい。ならば仕方が無い。生かしておいても後々面倒そうだし、そんな余裕もなさそうだ。そう思いながら撃鉄を上げる。
「誰がお前らの言う事なんて聞くか!」
「!」
重症を負った者の叫びではなかった。不意打ちにも近いその叫びと共に、筒井の周りに白煙が一気に立ち込める。
「――これは」
牙撃が気付いた時には遅かった。爆発音と同時に、視界が煙で塗りつぶされる。
視界が戻ったとき、そこには誰もいなかった。
「逃げられたか……」
クラネルトは呟く。
「いや、しかしあの傷だ。遠くまでは行けないだろう」
後で付近を捜索すればきっと見つかる筈だ。
それに、今は手負いの筒井よりも優先しなければならない事がある。
「ったく。見た目に反しておっかねぇ奴だよ」
春夏冬は溜息を吐きながら、筒井が落としていったらしい鍵を拾い上げる。どうやら、屋上へと続く扉の鍵のようだ。
「――」
何かを感じ取ったのだろう。彼の顔から、一切の感情が消える。
「ちょっといいかな」
「――お? 何だい、晶ちゃん」
神埼が声を掛けると、すぐさま春夏冬の顔は元に戻った。だからこそ。
「あれだけの罠、私達の攻撃がはじまってからでは仕掛けられませんよね。といって、日常的にあんな罠を仕掛けてあったとも思えない……という事は、私達の攻撃がある事が相手に知れていたって事になりますよね」
「確かにな」
敵の誘いに乗ってしまったか 。あるいは内通者でもいるのか……という事は、この拠点からは重要書類の類は出てこないか。
「だが、まだ全部が終わった訳じゃない。行くぜ、最後の場所に」
唯一足を踏み入れていない場所――本部棟の屋上。
情報の通りならば、奴がいる。
●春夏冬は逡巡する。
自分は今、どちらを優先すべきであるかを。
任務なのか。私情なのか。過去なのか。
――任務を優先すべきだと、一人目の自分は言う。
――恨みを晴らすべきだと、二人目の自分は言う。
――過去を清算すべきだと、三人目の自分は言う。
さて、どうしたものか。
答えは、もうすぐ先で出さなければならない。
●
屋上に飛び込むと、聞こえてきたのは陽気な鼻歌であった。
「立ち込める煙、上がる爆音、響く銃声、崩れる建物……いやぁ、実にいい景色だ」
流暢な日本語。
「やあやあ皆さん。お元気?」
噂通りの姿。噂通りの言動。
「――おじさんが類似岩伸びっち? 」
「正解だよお嬢ちゃん。だけどおじさんはヘコむなぁ。俺まだ26だぜ」
「あんまり岩っぽくない……」
「おいおい……そっちが残念がるなよ。岩みたいにゴツい男の方が好みなのか?」
国際指名手配犯、ルイジ・イワノビッチがそこにいた。
「いやーここまで大変だったんじゃない? あ、蜘蛛のお嬢さんもしかして死んだ? 死んじゃったの? 殺しちゃった?」
ふと見ると、春夏冬は下手をすれば今にもイワノビッチに掴みかかろうとせん勢いだ。
「(春夏冬さん、まだその時じゃない)」
それを察した佐藤が静かに止めに入る。また、同時に神埼と牙撃が目を光らせる。
近いうちに、春夏冬とイワノビッチの関係を春夏冬から直接聞かねばならない。彼に裏切られたか仲間を殺されたか……謎は尽きないからだ。
「……人間、なんですか?」
「そうさ人間だよ。アウルとかいう力に目覚めただけの、百パーセント純粋な人間さ。天魔の部類じゃない」
佐藤の質問に対して、けらけらと笑いながら答えるイワノビッチ。嘘は言っていない様子だ。証拠として目が据わっている。
(――ああ、殺り甲斐のある目だ。遠慮なくいけそうだ)
その目は歩いてきた道全てを焦土としてきた者の目。エッカートは本能と経験から悟る。
「ならこのルイジ君が種も仕掛けもあるマジックを見せてあげよう」
親指と人差し指を立て、春夏冬めがけて『撃ち込む』。
「バン★」
爆発した。
屋上の縁に、小型の爆弾が大量に設置されていたらしい。イワノビッチのふざけた言葉に反応し、周囲が爆風の海になる。
突如の出来事に、一同は受身の態勢。しかしその中で唯一、動じなかった者が。
――今しか。
――今しかない。
春夏冬である。
今ここで自分が動かなければならない。己の感情を否定し、冷静な判断で弾き出す。
「春夏冬さん! 待って!」
背後で誰かが自分の名を叫んだような気がする。春夏冬。三十二番目の任務用の名前。
「今度こそ……」
爆風の中、銃を構えて駆ける。
『そうすると思ったよ、ラオ』
目の前に、イワノビッチがいて、母国語で話している。
昔を懐かしむような穏やかな顔。直後、首に微かな痛みが走る。
『ま、積もる話は外野がいない場所でじっくりしようや』
対アウル覚醒者用の麻酔。これを打たれると――
そこで春夏冬の意識は途切れた。膝を地面に付きそうになった所で、イワノビッチが受け止める。
「ハァイ皆様、それではご機嫌よう。こいつは借りてくよ」
春夏冬を肩に抱え、イワノビッチは朗らかに微笑みながら手を振る。
「その男を解放しろ。さもないと――」
「撃てんのか?」
クラネルトの牽制は、その一言で止められた。深い闇が触手を伸ばしてクラネルトの手を絡めて止めたような、そんな感覚すらある。
「ん、それでいいの」
背筋が凍るようなイワノビッチの表情も一瞬。後はよく見る軽薄そうな笑みを浮かべたまま、春夏冬を抱えたまま、柵の無い屋上からひょいと飛び降りる。
追う事はできない。
焼け焦げる屋上に、一陣の風が吹いた。
●
最早筒井は虫の息であった。そこに居るのは暗殺の専門家ではなく、震える体と意識を必死に動かし、あてもなく彷徨う少女だった。
一歩すら命を奪いかねない状況の彼女の目の前に、ある人物が現れる。
「筒井」
「……須藤」
彼の名は須藤ルスラン。夜明けの八咫烏、その片翼。自分と対を成す存在。
その要望は一言で言うと美青年である。色素も薄ければ線も細く、危なげで。知り得ない時代に、美の象徴と跪かれて崇められて奉られるような。そんな美貌。
「工場は破壊され、人員にも損害を受け、お前自身も深手を負った。この失態、どう世持様に報告する?」
「それは……」
腹から流れ出る血は正常な思考すら奪っているらしい。先程から言葉が浮かばない。
「しかし、俺はお前に感謝している。何せお前がこうも派手にやらかしてくれたお陰で、お前を始末できる大義名分ができたからな」
後ろに従えている部下が差し出した銃を引ったくり、悪魔すら陥落させる笑みを浮かべる須藤。
「お前の負けだよ、筒井」
撃鉄がキリキリと鳴る。風が吹く。須藤は嗤う。そして――そして――
●筒井リュドミラは考える。
何故自分は負けたのか。
『毒蜘蛛の巣』には、世持が信頼を置いてくれていた。
世持に寄り付いた愚かな蛾共を、これまで一度も失敗する事なく一網打尽にしてきた。
暗殺技術も磨いてきた。回数も忘れるほど陶磁器の肌を真っ赤に染め上げた。
常人ならば必ず気を狂わせるような訓練を、幾度とこなしてきた。
何度も何度も何度も何度も、その袖に隠した刃を磨いてきた。
あの人の為に。ただそれだけに。
なのに何故、自分は負けたのか。
筒井リュドミラは考えた。始めて自分の事について考えた。
何故……何故……何故……?
絞り出した、言葉。
「よもつ、さま」
そして筒井リュドミラは、考えるのを止めた。
●
乾いた音が辺りに響く。筒井は糸を切られた操り人形のように、手足をふわりと虚空に舞わせながら倒れた。
凍りついた時間が暫し続いた。やがて鈍い音がした時、地面に深紅が浸食してゆく。
「馬鹿な女」
最早何も映さない筒井の虹彩を見つつ、須藤は薄く煙を上げる銃を放り投げる。足元に転がる筒井に欠片の感慨も抱かない彼は、遠くから聞こえてくる足音を感じた。
「――遅いぞ、居候」
「いやぁすんませんねぇ。こいつ運ぶのに手間取っちゃって」
朗らかに笑うイワノビッチは、一人の男を抱えている。軍服を着た、それこそイワノビッチと同い年程度の青年。気を失っているらしく、ぴくりとも動かない。
「それは?」
「最終確認の保険の――ま、タダ飯食わせてもらってるからには、もしもの間違いがあっちゃ困るんだよ」
「……好きにしろ」
誰が何をしようと、自分に支障がなければ問題はない。第一興味などもなかった。
「片付けておけ」
近くにいた部下に顎で指図する。足元で転がる肉の塊は、どうあれそのままにはしておけない。
「……ラオ。――いや、今はアキナシだからアキちゃんって呼んだ方がいいかな」
この世の全てを見下したような、軽い笑い。
「久しぶり」
その瞳は、何も映してはいない。
ただひたすら、塗りつぶした黒が、深淵が、そこにあるだけだった。
●ルイジ・イワノビッチは笑顔で傍観する。
この世界は、この組織は、この男は、どうなるのであろうか。
この世界に、この組織に、この男に、自分はどう立ち回れば。
この世界で、この組織で、この男で、最悪の結果が得れるのか。
この世界を、この組織を、この男を、自分を。
傍観し、傍観し、傍観し、傍観し、手を伸ばす。
その先に全てを呑み込む絶対の闇があると、そう期待しながら。
また、微笑んだ。
【続く】