●赤心
虎落笛の寂しげな音が耳を突き抜けていく。
ディメンションサークルの蒼く煌めく次元の輪を抜けた先に着いたその場所は、人の気配が消えたゴーストタウン。
寂れた商店街らしき建物が、頼りなげな月光でうっすらと確認できた。
地図と照らし合わせ、現状位置を確認し大体の目星をつける。
「最短経路はこっちなの!」
椎野 つばさ(
ja0567)が、地図を片手に目的の施設までの最短ルートを導き出し、他の仲間達に指し示した。
夜の暗闇の中を、弱々しいペンライトの灯りだけを頼りに駆けて行く。
彼女達の目的は、ディアボロの大群に取り囲まれた施設の中で震える子供達の救出。
しかし、其れは本来の依頼内容からは遠くかけ離れたものだ。
依頼人のオーダーは『殲滅』であり、救助ではない。
自らの危険を顧みず、子供達を助け護るべし、という理想を抱く。
しかし、そんなものは幻想だ。
仕事である以上、依頼者の注文を彼らが満足の行くレベルで遂行してこそのプロであり、義務でもある。
関係の無いものまで抱え込んで無理をして、怪我をしてしまったら、死んでしまったら?
それこそ本末転倒であり、ナンセンスの塊なのだ。
故に、柘植 悠葵(
ja1540)は思う。
実の子を愛せない親がいるのだから、他人の子を見捨てたって、どうってことない、と。
当たり前の事だが、自分の身が一番可愛いに決まっているのだ。
其れを責めると言うのは、どうしようもないお人好しであり、世間知らずである。
依頼人とて慈善事業では無く、商売として行っている事なのだ。
儲けにならないなら、切り捨てて当然なのだ、と。
言い知れぬ感傷染みた羨望のようなモノを、心のどこかで感じる。
相手の何を知るわけでもなく、命だけを助けて救った気になろうとしている、その偽善に、甘さに。
真っ直ぐ前を見て助けたい、と言えるこの仲間達に。
過去の自分を、今、震えているであろう子供達に投影し、苛立ちを感じ、不快感を抱き。
されど、その足は駆ける。
無関係であるはずの、余計な荷物を背負う為に。
もしかしたら悠葵の根底にあるのは、在りし日の救われなかった自分の、もう一つの可能性の模索なのかもしれない。
悠葵の想いが羨望と嫌悪であると言うならば、東雲 桃華(
ja0319)が抱く其れは義憤である。
報酬の為、お金の為、単位の為、そんな物の為に撃退士になった訳ではない、と。
己の信ずる正義の為に、憤怒を刃に変えひた走る。
憐憫を抱くは癸乃 紫翠(
ja3832)である。
大切なものを略奪された自らの過去を思い、重ね、理解する。
だからこそ、今、取り残されている子供達の気持ちが痛いほど心に響くのだ。
常塚 咲月(
ja0156)は救済の為に。
「誰よりも絶望してるのは子供……だから」
手に届く、ほんの一握りの命でも、救えるものなら救いたいと願う。
そしてアトリアーナ(
ja1403)は、慈愛の元に。
「……守ってみせるの。……だから諦めないで」
普通である事の幸せを、平和で在る事の幸せを彼女は知っている。
だから行く、笑顔を護る為に。
権現堂 幸桜(
ja3264)が貫くは守護の意思。
孤独に震える子供達を護る為に、悲しみを拭う為に。
己が名である幸の一字を成すが為に。
地図を手に、先頭を行くつばさ。
彼女の想いは共鳴、である。
彼女も天魔に肉親を奪われ、幸せを壊された一人。
故に、その想いは限りなく施設の子供達に近いものを秘めている。
だからこそ、急くのだ。
これ以上奪わせない、その一念で。
撃退士一人一人が、様々な強い自分自身の信念と矜恃の元、参加していた。
例え行く道が地獄の入り口に繋がっていようとも、己を曲げない絶対の意志で使命を遂行する為に。
無謀とも思える悲壮な戦いの火蓋が切って落とされた。
●矜恃
施設までの道中、撃退士達は文字通り天魔を『轢き殺す』ように駆け抜けた。
ゆっくりと単体で歩み出てくるアルラウネ達を、風雪 和奏(
ja0866)とつばさが銃と弓の遠距離攻撃で穿ち、桃華が斧で切り伏せ、踏みつぶす。
数が多いものは無視し、ひたすらに施設のみを目指して最短距離を突き進む。
そうして到着した施設前には、既に数体のアルラウネが控えており、まさに侵入しようとする矢先であった。
これを駆逐した撃退士達は三班に分かれる。
桃華と咲月がペアを組み、正面右の教室棟へ。
つばさとアトリアーナがペアを組み、正面左の居住棟へ。
残りの撃退士達が施設正面に陣取り、やってくる敵を警戒、迎撃へ。
互いの健闘を祈りつつ、それぞれの戦いへと赴いていくのだった。
教室棟に入った咲月は靴を脱ぎ、阻霊陣を展開させた。
捜索中の万が一の奇襲に備えて、である。
建物の中は静穏な空気に包まれ、人の気配すらしない。
子供達がいるのは別の建物だろうか?
桃華が入り口に一番近い部屋の扉を開けた。
ガラガラと立て付けの悪い音が静寂を破り、建物内に響く。
ガタッ、と他の部屋で何かが動いたような音がした。
咲月と二人、顔を見合わせ頷く。
音のした部屋へと向かい、扉を開いた。
天魔が侵入してきた、と勘違いした子供達の悲鳴が上がる。
室内には合計で七人の子供が、お互い身を寄せ合うように隅に固まり、震えていた。
桃華達の姿を視認した後でも、瞳から恐怖の色が消えようとはしない。
「お姉ちゃん達、誰……?」
引きつった声で少女が尋ねる。
「貴方達を助けに来た、――撃退士よ」
不安を拭い去るように、恐怖を打ち消すように、朗々たる名乗りをあげた。
居住棟は部屋数が多い。
一つの部屋には二段ベッドが二つづつ置かれ、四人部屋である事が窺い知れた。
慎重に一部屋づつ、見落としのないようにつばさとアトリアーナが検めていく。
そうして、最後の奥の部屋を開けた時、勢いよく子供達が襲いかかってきた。
手にしたバットやほうきで殴りかかってくる。
しかし、子供が不意打ちとは言え、撃退士に敵うはずがない。
つばさ達は軽く攻撃を避けると、救助に来た旨と自分達の身分を明かした。
「……指一本、触れさせない」
だから安心してほしい、とアトリアーナが、子供達に伝えた。
必ず護るから、と。
だが、子供達は安心するどころか、ますます不安そうな表情を見せる。
「たった八人で? 外はあんなにいっぱい化け物がいるのに? 絶対逃げれっこ無いよ!」
過去、撃退士が護りきれずに彼らの肉親を死なせてしまったように、アトリアーナ達も護りきれないに違いない。
そういった先入観と、あまりにも少なすぎる撃退士の数に、不安になってしまうのも仕方がない事なのかもしれない。
それでも、信じて貰うしかない。
「とりあえず本心でボク達の事、信じなくていいなの……。だけど今だけは信じた『ふり』してほしいなの。おねがいしますなの!」
つばさが、一生懸命になって子供達を説得する。
その口から語られるのは、凄惨な過去の記憶。
結界に閉じ込められ、両親をディアボロにされ、幸せだった生活を奪われた悲しい記憶。
自分も子供達と同じなのだ、と。
想いを共有し、感情を理解するからこそ、自分自身の半身に思えて痛む心が、子供達を護りたいと叫ぶのだ。
その姿勢は、どんな絶望の最中にあろうとも、生を渇望し未来を模索する為の不屈の精神。
痛切なまでのつばさの祈りが、子供達の『生きたい』という意思を突き動かしていく。
●信念
正面に隊列を組み、施設死守を成さんとする対応班の戦いは熾烈を極めていた。
事にあたる撃退士の数はたったの四人、対してアルラウネ達の数はその数倍に及ぶ。
戦いは、数である。
たった数騎の能力に優れた駒があった所で、物量差の暴力の前には無に等しいのだ。
最初こそ、単体殲滅が追いついていた撃退士達も、徐々に旗色が悪くなる。
アルラウネ達の危険を知らせる花粉に吸い寄せられて、続々と援軍がやってくるのだ。
暗闇の中、前方から、右から、左から、気がつけば包囲され、鞭の雨に晒されていた。
たった四つの弱々しい光源だけしか無いのも、致命的であった。
遠くまで見通せない、奇襲に気がつきにくい、暗闇の中でそれだけが異様に目立ち、目印になってしまう。
だが、それでも諦める訳にはいかなかった。
幸桜は、桜色の無尽光を煌めかせながら、奮い立つ。
子供達を護りたい、護ってくれる人もいるのだと感じて欲しい。
捜索班が子供達を確保するまで、後続の殲滅隊が到着するまで。
どんなことがあろうとも最後まで戦い続ける、と。
その気持ちは紫翠にしても同じだ。
無線連絡で子供達の発見を聞いた時は喜んだ。
だが、やはりというか、子供達は籠城戦について思うところがあるようだ。
信頼されていない、言葉に表してしまえばその一言で片付くが、その答えに行き着くまでの子供達の心境が理解できてしまうだけに複雑だ。
今はただ、捜索班の四人を信じて、説得してくれるのを待つしかない。
その為にも、ここを通す訳にはいかないのだ。
そうやって子供達の事を考え、熱くなる二人とは別に、和奏と悠葵はドライだった。
冷静に自分達の仕事をこなしていく。
戦場では熱くなったものから沈んでいく。
客観的に自分を見つめられる者が勝ち残っていくのだ。
その点、この二人はよく弁え、適切なフォローができていた。
だが、それでも戦力の差は如何ともし難い。
捜索班の腕に、全てがかかっていると言えた。
「大丈夫、私は貴方達を見捨てないわ。貴方達は私だもの」
桃華が優しく微笑みかける。
彼女も、天魔により大切な家族を失った一人だったのだ。
それ故に、子供達の良き理解者でもあるのだ。
自分の過去を、境遇を、子供達に語るその姿は、普段のクールな彼女からは考えられない程に、穏やかで慈愛に満ちた優しさが溢れていた。
桃華が過去を重ねて語るなら、咲月は未来を想い、その心情を述べる。
「――たら、れば。それ言った所で、失ったものは戻らない。――どんなに願っても……。それなら『今度こそは』って思う方がまだ救いはある……何の為の友達……?」
素直になれない子供達を、叱るように、諭すように、生きよう、戦おうと促す。
「自分の命を否定する事は、両親を否定する事だよ……。キミが死んだら……、誰が家族の事を覚えておくの……?」
大切に肌身離さず身につけていたペンダントを外し、子供達に渡す。
「家族がくれた御守……。護るよ……、御守に誓って……。――子供はキミ達を含めて何人……?」
想いを託し、誓約を立てる。
今度こそ、絶対に護ってみせると。
子供達の中で、異を唱えるものは誰一人いなくなっていた。
その後、左右の建物に潜んでいた十二名の子供達は、中央の講堂棟に集めらた。
阻霊陣を張り、万が一の為に撃退士が二名、その場に護衛として残り、六名の撃退士が施設警護にあたる。
負傷や疲労度合いによって施設正面の対応班とローテーションで休憩する方法が取られる事となった。
時刻は二十時を回った頃、殲滅隊の到着まで、後二時間を残していた。
●死線
最早、限界だった。
如何に六名に増えようとも、焼け石に水だ。
依然として物量差は縮まらず、不利な戦いは続く。
包囲された状態では、戦線として接するライン的にも不利であるし、退路も無い。
持久戦に耐えうるだけのスクロールや薬品も圧倒的に足らず、集中力や体力も早々持つものではない。
服が破れ、肉が裂け、血が飛び散り、骨がへし折れる。
もはや膝が笑い、立っていられないような状況だ。
それでも、心に抱いた信念の刃を必死に突き立て、立ち続ける。
何があっても子供達だけは、と。
だが、悪い事は続くものなのだ。
遂に、山側からアルラウネの増援が降りてきた。
そうして、彼女達は講堂棟に目をつける。
その薄い扉をしなる蔓の鞭でぶち破り、侵入に成功するのだった。
残念な事に、『阻霊陣』が防ぐのは、『物質透過』のみである。
物理的な攻撃による破壊までは防げはしないのだ。
子供達の絶望的な絶叫が響く。
あっ、と言う間もなく、無慈悲な鞭により、物言わぬ人形と化していく。
中でおにぎりを食べて回復していた和奏と、休憩していた幸桜が迎え撃つ。
子供の相手は苦手だ、と自覚する和奏がおずおずと差し出したあめ玉を、嬉しそうに受け取った子供が、
「何でかな? 君たちを護りたいからじゃないかな」
そう言って幸桜が抱きしめた子供が、撃退士達が護ると約束した子供達が無惨に殺されていく。
そして悲壮なのは、中だけでは無い。
外の対応班も、最早まともに立っているのは悠葵だけであった。
最後まで子供達への感情に捕らわれすぎず、冷静に戦ったが、やはり無謀だったのだ。
悠葵が倒れれば全てが終わり、施設の中の子供達は皆殺しにされるだろう。
疲労感、絶望感に薄れ行く意識の中で、撃退士達が最後に見たのは、夜を昼に染め上げる煉獄の炎と、その中心に立つ銀髪の悪魔の姿だった。
文字を書くさらさらとしたテンポの良い筆の音が室内に響く。
殆どの欄を埋めると、エレオノーレ(jz0046)は一息ついた。
夕刻から未明にかけて行われたアルラウネ殲滅戦の報告書である。
その総数は五十体にも及び、撃退士側への被害は怪我人が出たものの、死亡者数はゼロであった。
今回はかなり運が良かった、と言える。
ただし、一般人に関して言えば、不幸な子供達が八名犠牲になってしまった。
それでも、元々の依頼内容を考えれば、四名助けられただけでも奇跡的と言えよう。
救助された子供達は、つばさの縁故を伝って、信用のおける施設へと引き取られていった。
全員が全員同じ施設とは行かず、ばらばらになってしまったが、久遠ヶ原の口添えもあるし、大丈夫だろう。
それにしても不可解なのは、何の変哲もない田舎に、戦略的に投じられたとしか思えないディアボロの大群である。
疑問点は多々残るし、嫌なものを感じずにはいられない。
だが、今はただ、作戦の成功を祝おう。
エレオノーレがすっと立ち上がった。
手にした子供達のお礼の寄せ書きに踊る文字を、嬉しそうに見つめて。
「さて、あやつらも今頃療養で暇じゃろう。これでも読ませて元気にさせるのじゃよ」
楽しげに呟くと、いそいそと部屋を後にした。
世の中、理不尽な事が平気でまかり通り、多くの悲しみを生み出す。
されど人は人である以上、言葉を交わし、想いを尽くせば解り合える時がくるのだ。
可愛らしく書かれた『ありがとう』の文字が全てを物語っていた。
どんなに大きな石に躓き、転ぼうとも、再び前を向いて歩き出せるのだから。