●その精神を支えしモノは
返答はやはり否、であった。
決意の固さに揺るぎは見られない。
それでも、桜宮 有栖(
ja4490)は諦めない。
生気が感じられない程に冷えたその手を、今まさに修羅の道へと落ち行く女性に差し伸べて。
「……私は、天使の襲撃を受け、一切の感情を失いました」
爪弾かれる言葉は、どこまでも淡々とした事務的なもの。
「心なき、想いなき私には、あの時亡くした家族や友人達を、未だに弔う事すら叶いません」
深い漆黒の瞳からも感情は読み取れず、ゆっくりと何かを確かめるような口調も崩れる事はなく。
「貴女に代わり、私達が必ずやディアボロを討ち果たします」
今一度、諭す様に告げる。
どうか、信じて待っていて欲しい。
彼女を残し、逝ってしまった人達の想いに応える為にも。
「ですから、どうかその想いは……、亡くなってしまった婚約者と御友人達の冥福を祈る事へと向けては頂けませんか?」
其れは、或いは自分に向けて呟いた台詞なのかもしれない。
有栖の祈り、其れはもう届くことが叶わない、そういう類いのモノであるから。
だが、有栖の言葉は依頼者の心には届く事はなかった。
視力を失った事で他の感覚が鋭敏になっているのだろうか。
有栖の感情を感じられない言葉は、凍てついた心を解かすに至れなかった。
強固なる否定の意思。
掛けるべき言葉を失った有栖が、大人しく引き下がる。
後を継いだ蘇芳 和馬(
ja0168)が、感情では無くあくまでも仕事としての面から依頼への同行を辞退して貰うよう説得に当たる。
「携帯等で断末魔は聞かせる。だから現場には来ないで欲しい。貴女が来ることで様々な倫理から護らねばならず、最悪、倒せない場合がある」
厳しいようだが其れは事実だ。
足手纏いになる要素を戦場に置いておける程、戦いに勝つ、とは甘いものではない。
押し黙る依頼人に、突き放す一言を掛ける。
「……それでも良いなら、な。……案ずるな、貴女の想い人達を奪った者には相応の裁きを下す」
うっすらと、僅かに黒さを帯びた笑みを見せ、請け負う。
それが撃退士としての勤めなのだから、と。
だが、それでも。
憎悪を糧に、憤怒を刃に、悔恨に咽びながらも、復讐という修羅の道を歩む者の心を屈服させるには至れなかった。
感情の奔流が理性を凌駕する。
言葉は必要無い、求められるのはその業の終幕のみであった。
復讐の結末、そこに至った者の末路を彼女は知らない。
返答は変わらずの否。
こうなっては撃退士達もそれ相応の覚悟をするしかなかった。
「私達が、あなたの剣になる。がんばるよ」
雪那(
ja0291)が依頼人の護衛役を買って出る。
その表情は強敵との戦いを前に、戦意溢れる精悍さがあった。
「……悔しさ、分かるのだし。仇はとるよ。私達が貴女の手足になる」
今回の作戦で花嫁役を演じる事になるミシェル・ギルバート(
ja0205)も、自分の境遇と重ね、言葉とその意思を継ぐ。
窓の外を見やれば、既に雪が降り始めていた。
其れは、まさしくあの時の事件のように。
吹雪になる、そんな予感が撃退士達の胸を駆け抜けていくのだった。
●純白の花嫁
厳粛な音楽が反響する教会の中を、撃退士達はそれぞれの持ち場に向かい配置につく。
遊佐 篤(
ja0628)と翁ヶ馬万事(
ja4867)が敵の攻撃に備え、あらかじめ用意していたバケツに雪を詰めると、祭壇を見下ろせる二階へと昇り死角に陣取る。
(断末魔なんて、そんな気持ちのいいもんじゃないのにねぇ……)
テイ(
ja3138) はこの復讐に疑問を抱きながらも、自分の仕事を為すべく絶好の狙撃位置を探り、二階へと向かった。
護衛役を勤める事になった雪那は、万が一に備え出入り口近辺に場所を確保すると、依頼者と共に参列者として座す。
見えない瞳をじっと祭壇の方に向けて微動だにしない女性を見ながら、彼女のこれからについて思う。
この復讐を為し得た後、彼女はどうするのだろうか?
不安が後から沸いては雪那の胸を締め付けるが、今は拭い去らねばならない。
全ては敵を討つ、その後の話なのだから。
それに雪那には目標だってある。
「ここで負けたら、撃退士になれない……!」
一人前の撃退士として認められる為にも、ここで敗北を喫する訳にはいかない。
静かに闘気を満たし、来るべきその時へと備えるのだった。
有栖もその隣に控え、じっと時を待つ。
いよいよ婚礼の儀式が執り行われようとしていた。
最奥に見える祭壇の前には、神父姿の和馬と新郎役の久遠 仁刀(
ja2464)が新婦の登場を待ち構えていた。
重々しい音と共に扉が開きミシェルが姿を現す。
この日の為に誂えられた彼女専用のドレスは、動きやすいように、と体線に沿ってタイトに仕立てられた純白のミニドレス。
その姿は、金の妖精と見間違う程に可憐で、繊細で。
それ故にどこかしら儚さが漂う。
一歩一歩、バージンロードの赤い絨毯を歩き、新郎の元へと向かう。
女性なら憧れる者が多いであろう神聖な儀式。
本来ならば依頼者も幸せの絶頂であっただろう。
ディアボロさえ襲撃してこなければ。
去来する感情は哀切という名の共鳴。
ぽろり、ぽろり、とミシェルの瞳から滂沱の涙がこぼれ落ちる。
「素敵な日になる筈だったのに……」
溢れ出る涙を拭いながら呟く。
もう泣いている場合ではない。
カズマだって見ているのだ。
笑って前に進む為にも、ここで絶望の根源を絶つ。
前を向いた時には、花嫁らしいいつものミシェルの笑顔だった。
「……はじめよう」
和馬が告げ、誓言を読み進めていく。
自身では『柄では無い』などと思っているようだが、中々に様になっている。
そして、遂にその時が訪れた。
「……では、誓いのキスを」
まさか此処に進むまで敵が現れないとは。
「ちょっと待つのだし!? ほ、本当にするし?」
顔を赤く染めて狼狽するミシェル。
それは新郎役の仁刀にしてもそうだ。
何よりも彼には身長が足りない。
口吻するには精一杯背伸びした挙げ句に、少し屈んで貰う必要すらあった。
あたふたと色めき立つ新郎新婦に、神父和馬の冷静なツッコミが冴える。
「……いや、振りでいいからな?」
全く持ってその通りである。
だが乙女にとっては一大事なのだった。
渋々、といった態で誓いのキス――振りをしようと顔を近づけ。
轟音と共に天井が爆散し、崩れ落ちた。
●暴虐の剣
炎が爆ぜ、天井を、床を、全てを無に帰すべく燃え広がってゆく。
その円の中心に、ゆっくりと終焉を告げる死神が降り立った。
空からの奇襲である。
身の丈5m強はあろうかという巨大な体躯に、黒の外套。
手にした銀の大鎌はどこまでも鋭く、鈍い光彩を放つ。
一瞬の出来事に呆気にとられた撃退士達をあざ笑うかの様に、邪視を解き放った。
「しまっ――」
一瞬、目を合わせてしまった仁刀を言い知れぬ重圧が襲い、その身体の自由を奪う。
ぴくり、と指先すら動かせない蛇に睨まれた蛙。
ぱっくりと口を開けた死の入り口に、何も出来ぬまま放り込まれる、そんな感覚。
だが、彼は無力な蛙でも、ましてや孤独でもない。
直ぐさま我を取り戻した仲間達がフォローに動いた。
「この位置じゃ狙撃できない!」
初手は邪視を警戒し、その目を撃ち抜くはずだった。
だが、完全に意表を突かれ、敵は中央に降り立ったのだ。
テイは今、自分に出来る最大の支援を考える。
それは邪視で動けなくなっているであろう仲間の為に、少しでも足止めをする事。
大鎌を握る手なら、ここからでも狙える。
「教会に死神はいらない。地獄へ戻れ」
シングルアクションのリボルバーが火を噴く。
一発一発の衝撃が大きい。
撃つ度に反動が肩に走り、射線がぶれる。
其れを適時修正しながら、狙い澄まし、目標を射る。
回転式弾倉から素早く空薬莢を外し、リロード。
弾幕の維持に努める。
それがテイの目標、『みんなの命を助ける』に繋がると信じて。
テイが弾幕を張る最中、人知れず篤の戦いは続いていた。
思ったより火の回りが早い。
このままでは、数分と立たず教会は火の海となり遠からず崩壊するであろう。
慌てて用意していた雪を火に注ぎいれ消火にあたる。
だが焼け石に水である。
いかほどの雪を投じようとも、猛火と化した炎を止める事は叶わず、バケツの雪は底を尽きる。
「ちったあ消えろよ!」
毒づくが、消えないものは消えないのである。
こうなっては短期決戦で仕留め、早々に避難するしかない。
リボルバーを構えると、前方に取り残された和馬達を救援すべく牽制射撃を行う。
「おい、こっちに来い!」
しかし、いくらその背を撃とうともびくともしない。
大鎌を振り上げ、遠心力を加えた痛烈な一撃を振り下ろす。
和馬とミシェルが切り裂かれ、吹っ飛ぶのが離れた場所にいる篤達にも見えた。
そう、今のこの陣形は欠点がある。
短期決着がつくならば、確かに有効な配置なのかもしれない。
だが、そうで無かった場合、其れは少数の誰かに負担を強いる、と言うことだ。
その誰かが、今回は仁刀であり、和馬であり、ミシェルなのだった。
燃え広がる炎、分断された前線、盲目の女性を護衛しつつの戦闘。
戦況は刻一刻と不利に傾いていった。
●断罪せしその剣は
雪那は下手に動けない。
悔しさに唇を噛む。
依頼者さえ居なければ全力で戦えたはずだった。
熱に耐えきれず燃えた天井や、照明器具が落下してくる。
このままでは、依頼者はもとい、撃退士ですら危うい。
決断の時が迫っていた。
「ここは危険だよ、早く外へ!」
依頼者を促し、外へ退避を促す。
だが、動かない、動けない。
彼の悪夢を前に、妄執がそれを許そうとしない。
抵抗する、例え自らの命尽きようとも、仇が討たれる終焉を聞くまでは、と。
それでも、このまま止まらせる訳にはいかなかった。
無理矢理にでも引きずり出す。
今にも身体を引きずり、戻ろうとするその肩を抱き。
脱出しなければ危ないのは先に避難した雪那達だけではなかった。
最早、崩壊まで猶予は無いだろう。
悔しいが、諦めなければならないのかもしれない。
にじみ出る焦燥感が、胸を掻きむしる。
「……おちおち戦ってられんな」
燃え崩れゆく教会の中で、和馬が呟く。
仁刀を抱えて撤退すべき場面ではあろう。
だが、あまりにも立ち位置が悪すぎた。
支援してくれる味方は後方、入り口付近。
そして自分達は祭壇、壁際、退路無し。
簡単に側面を通してくれる程、御しやすい相手でもない。
切り裂かれた傷が痛む。
だが、今は自分達に注意を引きつけ、仁刀が動けるようになるのを待つしかない。
ちらり、とミシェルを見る。
頷き合い、互いの意図を組む。
同じ部活で気心が知れている故の連携。
ミシェルが飛翔し、手にした手裏剣を擲って注意を引く。
「……外道、覚悟して貰う!」
その間に、反対の側面から大きく回り込んだ和馬が、抜き放った白刃を引っさげ、逆袈裟に斬り上げた。
腹の底に響くような咆哮。
初めて見せた敵の動揺。
好機と見たミシェルが、手裏剣から爪に持ち替え、一気に間合いを詰めた。
「……マジぼっこぼこし!」
フードの奥にある、落ちくぼんだ二つの目を狙う。
零距離から繰り出された高速の三爪が狙い違わずフードを切り開き、邪視を封じる。
再び上がる怨嗟の声。
怒りに震えるグリム・リーパーの鎌が、容赦なく和馬とミシェルを斬り飛ばす。
だが、その事により、二人は敵の側面を抜け、退路を確保する事ができた。
後は仁刀だけである。
そう思われた矢先、天井を支えていた柱の一角が敵と和馬達の間に崩れ、その進路を塞いでしまった。
近づく事すら許されない。
瓦礫の向こうで、死神の手が上がる。
束ねられたるは魔の炎。
和馬達を逃がすまいと収束する其れを――、万事のピストルが撃ち抜き、阻止する。
「俺が支援します、早くこっちに!」
万事に呼ばれるままに、和馬達が出入り口へと走る。
最早仁刀を助ける術はなかった。
尚も諦めずに追撃の炎を放とうとする死神を、有栖の弓から放たれた矢が突き刺さり、動きを制する。
だが、それもここまでだ。
次々と建材が燃え落ち、炎が全てを飲み込む。
仁刀と敵を残し、撃退士達は教会外への退避を余儀なくされた。
外では依頼人が泣き崩れていた。
和馬の言っていた事が現実として起こってしまった。
結局倒せなかったどころか、味方の一人の命すら危うい。
一体何の為にここまで頑張ったのだろうか……。
やり場の無い思いがそれぞれの胸に去来する。
その時、通話状態の携帯電話から、仁刀の声が響いた。
ハッとした一同が電話を片手に聞き入る。
しかし、其れは依頼者に当てて、のものだった。
「理不尽に怒り、憎むのは当然だが……」
仁刀の前には、傷つき、視界と片手を奪われた手負いのディアボロ。
手にした打刀の刃を鞘に納めたまま駆け寄り、鞘打ちによる打撃を加える。
しかし、倒れない。
尚も何かに固執し、その鎌を振るう。
身を捻り、回避しようとするその身を、浅く切り裂かれる。
「そいつを倒して復讐から先に歩き出せるんなら、全力でそいつは倒す」
仁刀は、刀の鯉口を切った。
秘匿されていた刀身が露わになり、美しい刃紋が炎に映える。
見上げれば、穴の空いた天井から、粉雪が舞い込んできていた。
炎に照らされ、燐光を放ち、何かを悼むように。
死神が、再び鎌を振り下ろす。
浅く身を切らせ、その鎌を足場に仁刀は駆け上った。
「だから、この戦いで復讐への区切りは付けてほしいもんだな」
飛び上がり、上段に振りかぶる。
悲劇の連鎖を断ち切る為に。
断罪せしその剣は、魔を絶つ紅蓮の剣。
「墜ちろっ!」
気合一閃!
全力を込めた一撃で振り下ろした。
一際甲高い慟哭のような咆哮が響いた。
その残響と共に、教会は完全に崩壊するのだった。
撃退士達が慌てて駆けていく。
泣き崩れたままの依頼者の隣で、ミシェルが声をかけた。
「……きっと心の穴は憎悪で蓋は出来ても、埋められないのだし。貴女に託された祈りは……もっと違うものと思うし」
憎悪の念に捕らわれた女性の瞳から、また別の涙があふれ出る。
ぽろり、ぽろり、とたまった物を吐き出すように。
「倒したら、もっとスッキリすると思ってたし……ディアボロも元は人……この人も、結婚式で悲しいめにあったのかな……」
ミシェルの寂しげな呟きが、空へと吸い込まれ消えていった。
その後、絶望的かと思われていた仁刀は、無事救出された。
崩れ墜ちた十字架が、彼を護る様に隙間を作り、奇跡的に助かったのだ。
其れは、依頼者の女性を護った撃退士への、亡き新郎からの贈り物だったのだろうか?
今、彼女は前を向いて歩いている。
その心に、大切な思い出を抱いて。