●
朝日の輝きは、突きつけられた切っ先のように静謐だった。
余りにも静かなのに、それでいて目が離せない。意識が霞みながらも引寄せられる。
平たく言えば凪ぎの瞬間。戦嵐と化す場に一瞬の静けさを、そして覚醒を促すのだ。
――勝利を。
地平の彼方より戦場を照らす光は、ただ凛冽にそれのみを求める。
無慈悲に、もしかしたら公平に。この場に願われる唯一の光として。命が幾つ落ちても、朝の光は気にせず空へと駆け上がる。
だから、そう。もしも陽のひだまりへと残り帰る事が出来るならば……。
「あら、遺言を残す時間は頂けるのですね?」
淡々と、光で消えていく霞のような機嶋 結(
ja0725)の声が響く。
覇気はなく、戦意は見えず。遺言と云うのであれば、なんと脆いものか。
剣で触れれば切れて終わる。そんな柔らかな物腰。
そんな風にユメの残滓を語るからこそ、結の言葉に前田もアルリエルも動かない。
「友と語らいたかった。気兼ねなく、背負う借りと責もなく、ただ自由に……」
ぽろぽろと零れていくそれらは、爪弾く手琴のよう。
それを真意と取るか、偽と断ずるか。前田は判断を捨て、アルリエルは即座に理解する。
これは、どちらでもあって、どちらでもない。
「名残惜しい」
そんな言葉は虚言と切り捨てられて当然。だが、命を捨てた身ではあるまい。
死を前にした者の瞳と声ではないのだ。結の淀む瞳に、けれど絶望は欠片も混じっていなかった。
諦めない。言葉の一欠けらさえ渡す気のない宇田川 千鶴(
ja1613)ならばなおさらに。
抗ずる意志は己が為だけならず。求めるのは、大切な者達へと奉じる結果があるからこそ。
出来るのだろうか。そう揺れる意志はあれど、既に握り締めた掌は血を滲ませ、脚は不退転と前へと疾走する直前。倒れるならば、前へと。
「……そう、惜しい。悩ましい」
前を、未来を見据える瞳が、アルリエルを射抜く。
「貴方達は、好きなものがおありで? 私はあの店のケーキを、もう一度食べたかった」
そう。好む。自ら目指す至高の道とは何だ。
届いてしまった幻想の剣聖。
約束を果たすと、微笑みの中に石田 神楽(
ja4485)は殺意の弾丸を込めるのだ。
この瞳に映る悉くのユメを狙い、撃ち抜く。残るのは現実のみで、それは石田の成した事実に他ならない。
それが石田の道。好きなものと嫌いなもの。幻想へと人の身を売り払ったその心臓、貫く道のまだ途中。
「諦めなど……出来ません」
まるでその意志が流れて共有するように、結の言葉が続く。
そんな語りかけの後方、傷だらけの身体を押して獅童 絃也 (
ja0694)は受けた渡された捕虜の誘導を務める。
重体を負い、まともに動ける筈のない身だ。
だが、それを隠す気など微塵もない。胸を張り、脚をもつれさせるものへと腕を差し伸べる。
「すまんな。が、後は任せてくれ」
その声を紡ぐだけで、腕で人を支えるだけで縫い合わされた傷口は裂け、血が零れる。
だが、それがどうした。最後まで己が脚で立つ事こそ武人の矜持。傷だらけの身から横溢する気は翳りも衰えもない。それが、負傷した撃退士達に最後の力を振り絞らせ、突き動かす。
ようは気分、精神、感情の問題だ。己のみが最悪と絶望に襲われているのではない。同じ立場で、動き抗うものがいるという事が彼らを支え、トラックの中へと走らせていた。
「すまん迷惑をかけるな」
全員が撤収する準備を整え、大天使とその使徒と対峙する七人へと視線を移す。
あの場に加わる力などない。
「遺したものが多くて、一杯あって、在り過ぎて……あぁ、悩ましい。口舌にて残すなど、万の夜を尽しても無理でしょう。……人の身、ならば」
しかし、次の瞬間には結は身体ごと旋回させ、大剣を大きく凪ぎ払う。巻き起こる風に乗せ、宣誓の言葉を前田へと。
「……だからこそ、人の悩みを捨てた方に、人の道を閉ざされる訳にはいきませんね」
悩み、苦しみ、されど歩む茨道こそ人が世界。戦と血に塗れても、この苦悩を捨てなどしない。
そして仲間の命もだ。皆連れて帰る。凱旋し、勝利の御旗を飾れ。並ぶは今生の契りを交わした鳳 蒼姫(
ja3762)だからこそ、鳳 静矢(
ja3856)は抜き放った刀に、己が武威を込める。
「己が剣に命を賭ける生き方が至上であると言うならば……」
墓標など不要。天使にそのような概念要らないだろうし、眼前の不倶戴天とてそう。
「今度こそ、その剣で、私を断ち切って見せろ。前田走矢!」
紫の霞は、光刃如きでは掻き消されぬと剣気へと変じて吼える。
「そうか。ならば、もう残す事はないな」
赤い瞳が烈火となって燃える。剣を見せろと云われれば、前田・走矢は斬るのみ。
それに対して、レグルス・グラウシード(
ja8064)の放った言葉はある意味悪手。三白眼で睨みつけるその意志はあれど、彼が語るべき言葉ではなかった。
「天魔から力のおこぼれをもらって、偉そうに語るんですね」
兄を斬られた身で怒りを憶えるのは当然。が、ならば使徒を貶された大天使はどうだ。
「ほう、ならば貴様がどの程度か、見定めてやろう。抜け。口だけではなく、武を示して口だけではなく、理想へと斬り拓けると示してみよ」
燐光を纏い、低空にて滞空するアルリエル。が、そのレグルスとの間に割り込むのは、管槍を構えた大炊御門 菫(
ja0436)だ。
胸には創世の焔。何も終わらせない。紡ぎ、活かし、そして繋ぐための熱。
故に、その瞳に迷いはなく、躊躇いなく言葉と穂先を然りと突きつける。
「あぁ、切り開くとも、誰も死なぬ未来を。守ることこそが私の武の本懐だ」
故に朝焼けの中でこそ、滅することより活かす事を望む姿は映える。前戦の敗北を払う暁を宿したように、穂先に光が反射した。
「……全力で来い、アルリエル。貴様の剣、誇り、全て受け切って、止めてみせよう」
菫のその言葉に目を細めるアルリエル。
武人と騎士は厳密には違えど、名を呼ばれ挑まれたならば、受けねば恥というもの。前田を見れば、己が使徒も敵を見つめている。
乗るは愚策、ではある。
前田との連携を活かせば殲滅は容易い。が、個別の戦場へと誘導されれば、本領は発揮できない。
だが、それでは己の勝利とは言えぬ。だからこそ。
「良いだろう。光燐剣、アルリエル……我が剣、止めてみせよ」
ここに撃退士にとって、希望の光が射す。
天にありし太陽とは違う、胸の中の輝きが。
蒼穹と紅蓮を迎え撃つ。
●
青き光燐を翼に纏うアルリエルの飛翔、その速度は尋常ではない。
息をする間もないとは、まさにこの事か。言葉で宣言した上で誰より速く、菫の眼前に迫っていた。
地を這うような低空滑空は青の残光を残し、鋭利な閃めきが奔る。
月霞の展開さえ遅い。胸を狙うとは予測していたが、受け止める程の密度に集束するのが間に合わないのだ。
菫の胸部を斬り裂かれた斬撃の軌跡を追うように、鮮血が飛び散る。
「淡いな」
辛うじて菫が聞き取ったのはその一言。生命力の八割方を一太刀で斬り裂かれている。
「が、頑丈だ。前田程の鋭利さはないといえど、私の剣を受けて立つのはそう多くない」
そして、その返り血を浴びる事なく背後へと回っているアルリエル。
「……っ…」
まるで騎兵のようだと菫は思う。
高速で一閃を繰り出し、護りの要である前衛を突破している。結果として、蒼姫も石田もアルリエルに迫られた形へ。
「アルリエル、何処を向いている……私は、立っているぞっ…!」
身を翻し、半身で佇むアルリエルへと刺突を放つ菫。
一閃へ込めた魂と志ならば劣らぬという自負。自身を内から焼き尽くしたとしても、アルリエルは止めるのだと烈火のような気迫が穂先より揺らめき昇る。
だが、響くは甲高い金属管。火花散り、穂先は切り落とされて空を切る。
大天使相手に単独で攻め、守る。菫の取ったものは既に戦術眼など度外視した選択だ。死への秒読みと言い換えても良い。総合力で言えば前田に勝って当然の相手だといのうに、一人でその攻撃の全てを受けようとしているのだから。
レグルスでの回復、蒼姫の魔法攻撃での支援があっても、斬られるは菫のみ。命が削られていくのは必然。レグルスの施した最大の癒しでも間に合わない負傷だ。
が、正気で対峙できる相手かと言えば否。
事実、それによって成せた一つが、戦局と命を救う。
「……護りは任せました」
黒の悲鳴が、歌と化して剣鬼へと迫る。
●
約束を果たすが為、神速の迅閃と化した前田。
先に迎撃の射撃を放つ予定が、間合いに踏み込まれる方が早い。
止められる筈がなく、迫る紅光の剣閃を避けきるのは不可能だ。石田の銃口から放たれる黒い鱗粉を斬り裂いた事で剣速が落ちるが、反射での一挙動が限界。
急所狙いでの一撃必殺狙いと先に予測はし、身を後ろに倒れるように捻り、切っ先が心臓を捉えるのを避ける鳳。それでも負傷は甚大。即座にアウルで意識を繋ぎ止め、巡る気で身体を癒す。
最早、無構えからの光刃斬は必殺に非ず。届き、防げる武まで、自分達が駆け上がったのだと。
だからこそ。
「此処まで追い、登って来のだ。……今度こそ、その命と因縁、断ち斬り終わらせて貰うぞ……!」
言葉と共に吐く気焔。よろめく脚を叱咤し、後ろへと飛びながら刀身に纏う剣気が紫の大鳥へと変じる。
妻が見ている前で、無様は晒せない。地を這いつくばる様など、見せてなるかと肺から競り上がる血潮を飲み込む。
「行くぞ」
そして、その一瞬。一太刀の間に駆け抜けた宇田川は前田の左側面へと回り込み、遠方では石田が右腕で銃を一体化させている。
狙いは言うまでもない。前田の弱点たる魔での集中攻撃での光幕の誘発だ。攻勢に回った天刃を止める事は出来ないなら、守りへと力を割かせるのみ。
正面より迫る刃翼、左より稲妻の爪に、石田の狙撃。が、これではまだ足りない。光幕で軽減できる攻撃が三手では。しかも一手は物理混じり。
けれど。
「だからこそ、撃ち抜くのみ――此処で一手増やしても足りないでしょうが、歌は独唱のみではありませんよ」
矜持は石田とて携えている。勝利を呼び込むのは何時とて、己が誇る芸であり魂を懸けた業だ。
長銃となった異形の右腕にある銃口は三つ。精度は失っても、狙撃手としての石田の技量がそれを補う。
つまる所、足りない手数を補い、決定づける。前夜では足りなかったそれを、二度繰り返さない。
「一撃で駄目なら、三撃で撃ち抜くだけです。ええ、同じ手は二度は通じないからこそ、三度目はそれを越える業を」
放たれる黒い歌という悲鳴。アルリエルを前にして、けれど菫が引き付けた故に放てるそれが、一度に三つの不協和音を奏でる。
「……っ…!?」
都合、迫る遠距離の攻撃は五発。瞬間で倍増した手数に、前田は咄嗟に光幕で対応する他ない。
光幕を通過して減衰したそれらは前田に深手を与える事は出来ないが、確かに身を削る。散った血飛沫に、雷光の残滓に身動きを阻まれる。ならば、追撃は確実な一打だ。
ぼう、ぼう、と亡霊のような仄かな光が結の周囲に踊る。
手にした炎杖がその魔力を収束させ、防御を焼き尽くす灼撃と化す。先の集中攻撃で結の姿を捉えきれず、今さら回避しようとしても、麻痺で前田は身体の自由を奪われている。
「……迷い惑いながらも進む方の邪魔を削ぐ為に」
唸る灼撃に掻き消されそうな、か細い戦友への誓いの言葉。進む道を斬り裂く天刃を止めるのだと、結が杖を振り抜き、前田の意識を一瞬とは言え掻き消した。
自分の為以外に振るう武も、悪くない。きっと言葉にして伝えられない恥ずかしさを覚えながら、結は手応えと共に防御を固めた。
理由など直感だ。そして、それは鳳も同じ。
即座に前田の意識は戻り、痺れも切れる。甘い見積もりをしていれば、即座に負ける。
「――成程、悪くはない」
嬉々として燃える前田の赤い瞳。
戦意は十分。初手の比べとしてこれ程、戦の真髄に迫ったものはないだろう。
共に全力を出し、衝突して双方の狙いを遂げている。
己は死なずに相手を殺す。犠牲、負傷は度外視し、死なず倒れぬ一瞬を見極め、踏み込んで相手の命に刃を届かせる。
だからこそ、無形の儘に前田は一歩踏み出す。紅光を纏わぬ太刀筋は神速を失い、漆黒の鱗粉で更に失速。挙動の起こりは見えずとも、横薙ぎの刃を見て後ろへと飛ぶ鳳。
受け太刀は捨てている。
「今日はその腕を貰って帰るぞ……!」
代わりに放つのは返しの太刀。降りきった右腕を狙い、神速の紫刀が奔る。残った隻腕さえも断ち斬るのだと、音を置き去りにした刃が鳴いている。
そう、鳴いている。
「そうだな、今日も狙いに来たか」
本懐遂げられず、途中で静止した鳳の一閃に対し、二の手と重ねた前田の無銘の剣は鳳の腕を捉えていた。
振りきった腕を狙うなら、後退する余裕はない。本来であれば無銘の太刀といえど鳳の魔刀は読めず、防げなかっただろう。
「――が、右腕狙いと解っていれば話は違う。言っただろう、二度、同じ手は通じない」
前夜も瞬翔閃で右腕を狙った事が逆に仇となっている。
「ぐ……っ…」
根性で途切れかけた意識を保つが、最早限界。
「下がりや、鳳!」
前田へと飛刃の如く稲妻を放つ宇田川が叫ぶが、届かない。光幕を展開された今、身を裂く雷撃が掠り傷にしかならない上に、抵抗された。
重ねるのは結。距離を保ちながら炎杖の魔震を振るい、前田を打ち据える。魔具を介したこれならば光幕の影響は受けない。
その間に後方へと下がる鳳。唇を噛み締め、擦れそうな意識を必死で保つ。
が、鳳は勘違いをしている。今の一手で前田が優勢へと流れ始めていた。
この戦いは殿を担当する防衛戦。攻撃より防御、回復を優先すべき所を無理に攻めた為、負傷が激しく次は耐えられない。
勝利という執念が敗北へと流れる。それは何も前田を対応する側だけではない。
●
激しき風が呼び起こされる。
魔力の渦に落し込み、身体を斬り裂いて意識を混濁させる蒼姫の魔術。
故に必須となるのは秘める魔力の多寡。三回に一度は魔力の衝突で蒼姫も勝つだろう。だが、初撃は旋風が剣で斬り裂かれた。
「翼があるのに、空に逃げなくて良いんです?」
むしろ、そちらの方がアルリエルにとって都合がいいのでは。低空にいるアルリエルへと蒼姫が問いかけるが、微笑みと共にアルリエルは問い返す。
実戦を潜り抜けた、美麗なる騎士の剣そのもののように。
「飛んで欲しいのか? ……そして、私の全力を出して欲しいのか?」
実戦を経て研ぎ澄まされ、何度も撃ち直された為に細くなったが、その美しさはむしろ増し、鋭利さを宿していた。
直後、燐光がアルリエルを中心に烈と爆ぜる。
「全力で来いと云った以上、全力だ。舐めたりしない。正面より戦うが、罠と感じる誘いには乗りはしないさ」
範囲にいたのは蒼姫を初め、石田、菫、そしてヒールの為に接近したレグルス。都合四人を巻き込む炸烈の青光が吹き荒れるが、させぬと菫が白霞を櫻の吹雪と周囲に散らし、蒼姫と石田を庇う。
結果、三人分の負傷を受けて膝を付く菫と、盾で受け重圧を受けたレグルス。威力として恐ろしい程ではないが、三人も累積すれば話は別。
「……くっ」
レグルスは神の兵士による加護を菫に使っている。結果として傷は癒え、更にヒールを重ねて一気に半分近くまで回復させるが、そう何度も出来るものではない。
「やはり頑強だな。そこだけは見事。庇わせてまだ倒れないか」
そして、アルリエルはこれを狙ったのだ。
陣形として拙い。後衛と前衛が別れ切れていないのであれば、何かしらの庇う技だろうと。
だからこそ、アルリエルの剣は再び菫へと向く。
「ならば立て。守るのだろう? 受けるのだろう? 覚悟を威光に変え、見事、私の剣を耐え切ってみせよ。奉じた祈りと願いにて、勝利という誓いを果たせ」
騎士として、剣と魔の両方を防いだ菫へと意識を向けている。
石田が翼を狙って引金を絞り、狙い違わず着弾しても意に介さない。
これから先は何処までも菫を狙う光燐剣。が、耐えるにしても菫もまた回復の技を持って来ていない。斬り裂かれ、削られ、貫かれ続けていた。
それでも、菫の鼓動は動いている。
蒼姫が一瞬でも朦朧と動きを止めれば、その瞬間に立て直せる。
「……幼くとも共に闘おうとする者を護る為に」
膝を付いた己を叱咤し、頭上で管槍を旋回させる。ああ、無様を晒してしまった。
これでは申し訳が立たない。
「アイツは何度地を這っただろうか。アイツはまだ居る。戦おうとしているのに」
そう。この大天使と使徒と切り結んだのは自分だけではない――その意志を継いで、活かせ、動け、まだいけるだろう。
燐光の重圧を押しのけ、再び刺突を放つ。迅速の穂先は菫の手首の捻りに動かされ、軌道を歪ませアルリエルの左肩へ。
「活かす其れのみ。敗北を払うは私達も同じ」
捻り、手元へと戻す。が、途端に迫る剣気に凄まじさ。凛冽に、凄烈に。向き合うだけで疲弊するような錯覚。
光燐剣でこれならば、三度振るう光燐斬閃は死に直結する。使われていれば、即座に壊滅していたかもしれない。
だが、そうではない以上――迫る青き光に屈しない。
輝く青燐の剣からの流麗な一閃。だが、刺突であれば狙う場所は見えていた。
続いたのは赤ではない。月光の白霞が煌めき、炎のように揺れている。一点に凝らした防御の霞が、アルリエルの剣を完全に止めている。燐光と霞が乱反射して光の乱舞が起こる。
切っ先は胸に。が、菫の鎧を貫けていない。
瞠目の気配。それを逃さず、アルリエルの剣を斬り払う菫。
隙を穿つと蒼姫の霊符より炎刃、石田より銃弾。動きが止まった所へ、菫へとレグルスがヒールを施す。
両者、消耗はあれど、開戦の状態に戻っている。天秤は五分。揺れ動き、どちらに傾くか解らずとも、それは拮抗している状況でもあった。
そして、獅堂の告げる、待ちわびた一言。
「撤退可能だ、下るぞ……!」
会話と三手を防ぎ、ようやく後退出来る。後は迅速に戻るのみ。
倒せる状況ではない。
悔しくとも、それが事実であり、広がっている現実。
●
そして後退する鳳に、剣鬼が迫る。
前田の赤い瞳が疑惑に揺れ、唇が紡ぐ。
「問おう、先日の続きを言って見ろ」
間合いを突き放したい鳳と、縮めたい前田。左右から宇田川と結の援護があるが、それでも前田の優勢が覆らない。
だからこそ、気迫では負けられないと鳳が叫ぶ。
「貴様は自身を磨く事で人の世を変えるのを諦め天の力に縋った……それが、貴様の武の軽さだ、前田!」
「…………」
その言葉に、鬼と身を落した剣士は何を想っただろうか。
即座への返答はなく、が、笑いも揺れもしない。いいや、そうか。果たしてどうなのだ。
鼓動が聞こえる。脈動する戦意。
これが、前田の心臓。闘争を求める魂の根源。それに鳳は触れてしまった。
「――勘違いした儘、死なせるのは癪だ」
前田の瞳が鬼の嘆きを、戦意に変える。刀に光へと成らずとも、紅蓮の武威が此処にある。
「己は剣であり、執りしものがいない事を悔やんだだけだ……執りし者、消えた事を悔やんだだけだ」
故に、彼は不変。剣の鬼。いや、鬼魂の刀身。
消えた者に、そして今の主に忠を誓っている。
故に魔刃に肩を斬り裂かれつつも、踏み込み放たれる剣閃。ただ雷鳴より早く、稲妻より迅く、斬り殺す為の剣。
倒れた鳳に対して、次に正面に立ったのは結だ。
「男は無理をし過ぎるものですね。……まるで恋焦がれるように戦って、忠を尽して」
杖を大剣へと持ち変え、まるで盾のように構える。生存と撤退こそが最優先。
それに今ので感じたのだ。
「その様を狗とは言いませんが……盲目の恋と忠誠をはき違えているようですよ。それも、過去の亡霊に」
これだから男はと、暗く、冷たく、湖底の水のように微笑む結。下手に鳳やレグルスの前に立たれる訳にはいかず、己が撤退路まで耐える必要があるのだ。
引き付けるだけ引き付ける必要があった。
●
蒼姫の爆炎。
狙いはアルリエルではない。地面へと叩きつけ、土砂を撒き散らして追撃を一瞬妨げる。
だが、光燐の剣は執拗に菫を狙う。騎士は逃げる事を良しとはしない。
そして飛翔するアルリエルならばこの程度、即座に追いつめられる筈だが。
「ほう……」
爆炎と土砂の向こう、盾を構えたレグルスがいる。
菫の防御スキルが尽きた上で負傷は激しい。
もはや大規模な回復は不可能。小さな癒しと、神の兵士が一回のみ。擦れ違い様に菫へと仄かな癒しを放つが、負傷に対して足りていない。
いいや、それでも。
二回重ねれば。攻撃をダレカが受け止め、その間に癒しを二度。
そんな耐久力と精神力、誰が持つ。アルリエルの剣は伊達ではない。
それでも護る盾を持つ癒しの腕こそがレグルスだ。邪魔だと無造作に薙ぎ払われる光燐剣を盾で受け止め、盾が軋む悲鳴を上げ、衝撃のみで肋骨に罅が入る。
だが、止まらない。こんな芯の入っていない剣では自分は倒れないのだと。
そのまま鍔競るように密着。離脱される前に、言葉の剣を突き付ける。
「ここまで攻め込まれて……正門から近い研究棟に雫をまだ隠しているなんて、思ってるんですか?」
「…………」
その言葉の真意を問うようにアルリエルの瞳がレグルスを見据える。即座に後ろへと翼で後退されたが、それでいい。
一手自分が防ぎ切れば、状況は更に転ずる。無論、癒し手が攻撃を受けるという分、ハイリスク・ハイリターン。
だが、誘導出来れば。レグルスが後一手、止めるか、攻撃を誘い受ければ。
「天使アルリエルまでこっちに来てくれたのは僕たちにとって好都合です……ここにいる時点で、あなたはもう『敗北』しているのかもしれませんね?」
そんな問いに返答は静かに。けれど、先程以上の燐光の輝きを伴った。
「何を愚かな……私の狙いは雫ではない上に、移動させようとしていると知らせてくれるとは好都合」
剣姫が舞う。高速で飛翔し、迫り、盾で受けようと瞬間に横手へと旋回しつつ回り込んでそのまま背後へ抜ける。
「このまま一気に中央を制圧し、雫を担当する仲間の支援としよう」
言葉より速く流れた光燐の斬撃。青光の跡の鮮血。レグルスが吐血したのは肺ごと斬り裂かれたからだ。
己に神の兵士を使用し、無理にでも立つ。下がる。次はない。
それでも。
「僕の矜持は、兄さんのように、誰かを護ることです……!」
それを成した今。一瞬の攻防とはいえ、信念と誇りは勝利した。
前衛を交替した菫に、癒しを施す。自分は後で良い。
八割以上に回復した菫が再び、燐剣を防ぐ炎槍として立ちはだかる。
●
切り結び、火花と剣戟の祈りを奏でる結と前田。即座に劣勢へ。
が、斬り付けた瞬間に横手より急速に接近して来た宇田川に気付けず、風の刃を受ける事となる。
それは何よりも早く、ただ速く、疾風さえ斬り裂く風神の一閃。
「…………」
宇田川は無言。向ける言葉などありはしない。指輪より紡がれた神風は手刀の動きに合わせ、前田の脇腹を捉える。
咲き誇る血の花びら。残滓の風に舞った。
光幕を斬り裂くそれは軽い負傷ではなく、確かに刻んだ護刀の疾走。
「此処です」
足元へと牽制射撃を続けていた石田が再び放つ黒業。歌えと云われれば、何処までもこの歌を響かせよう。
絶叫の如き三唱。右肩、左胸、腹部中央と吸い込まれたそれはやり減衰して前田を撃ち抜けないが、それでも着弾したのは事実。
だが、此処まで戦えたのは、結の献身だった。
「……中々の剣ですが、貴方を倒せばどれだけの賞金が貰えて、借金が減るのでしょうか?」
「なら借金を無くす簡単な方法を教えてやる。借金取りの首を跳ね飛ばしてやれ。俺の首よりは簡単だぞ」
その言葉の応酬の中、またも斬り裂かれ、即座に自己再生の術を施す結。攻撃の一切を捨てての防御と回復。手にした大剣は牽制と防御にしか使っていない。
眼前に楯と突き立てるように構えて、受け続ける。
それでも徐々に追い込まれていた。もしも鳳や、或いは菫が似たような戦術を取れば、もう少しは楽だっただろう。
時間をかければ光幕を使った前田でも切り崩せるのだが。
「少々、鬱陶しいな」
その時間を競うがこの戦。
言葉と共に光幕が集束していく。何となれば押し斬る算段がついたのだろう。
今、前田への最大火力と化しているのは宇田川だ。故に、前田は光刃を持って宇田川を狙う。そして空蝉で宇田川が避けた所を、結が狙う――筈だが。
そんなに、上手くいくのか?
疑問を抱く余裕などなかった。
戦意が途切れていない事に願いさえ捧げる。
滾り、巡り、咆哮と化すその祈りこと、菫の勝利への祈祷だ。紅蓮と蒼穹が幾度となく切り結び、最早意識を保てなくなり始めている。
何を良い、何を叫び、何を言われたか解らない。
ただ堅守。
後方へと通らせないと。
故に、此処でようやく気付く。血が抜け、鮮明になり過ぎた意識。迫る死に、他の余計なものが排除される。
まだ、光燐斬閃を使わせていない。逆にここまで温存しているという事は、何かしらの意味がある。
蒼姫から見れば、それは疑問だった。一直線上に自分と菫が偶然並ぶ事はあり、アルリエルは空を舞い剣を振うのだから一網打尽と出来る瞬間も度々あった。
が、それを使わないのは。
「……防衛線を斬り裂く為の剣」
この後の戦闘、防衛線を斬り裂いて流れ込む為の秘剣。
「その通り。が、このままでは同胞達に申し訳が立たないな」
鎧を己の血で染め上げる菫の前に立つアルリエル。膨大な剣気が燐光と化して細身の長剣へと凝縮していく。誘っていたこの技だが、この瞬間に使われれば全てが崩壊する。
何故なら、菫の後方には線軸を逸らせば、石田、レグルス、蒼姫の三人がそれぞれ別の線上に立っているのだ。
かといって庇えば菫の方が死ぬ。となれば、残るのは一つ。
「活す為に、唯、それを願う」
管槍を短く持ち、狙うのはアルリエルの剣を弾く事。飛翔斬そのものを切り落として軌道を逸らし、更に踏み込んで剣そのものを切って弾く。
無理だ、無謀だのは今更だ。
アルリエルが何か囁いたが、最早、聞こえなかった。たった一度でいい。剣を弾ければ、一人でも助かる。
全員を救う事は出来ずとも、一人だけでも。
この腕と、我が身の武の足りなさを嘆くは後で良い。
「其れのみの槍と化せ」
我は守護の紅蓮。己が深淵を覗くが如く、心は澄み切った鏡と化す。
「私の剣の元に眠れ、焔を胸に抱く娘」
放たれる燐光から形成す斬閃。
飛翔の輝刃へと、槍を携え挑む菫。
独力のみでは不可能。故に、此処に残る石田の三発の鱗粉が重ねられる。勢いが減じた飛翔刃、その瞬間に右へと身を落しながら槍を上から合わせて左へと流す。
軋みを上げる槍を無視し、二つ目。今度は右へと踏み込みながら左へ斬り流す。こめかみを掠めた衝撃に意識が飛びかけるが、それでも一歩。槍と剣、間合いが交差した瞬間。
――残るは一閃。
剣を弾けば勝つ。いわば奥義破りに至るその寸前。
触れ合う剣と槍。が、霞の胸を薙ぎ切った燐光の剣が、逆に槍を弾き飛ばした。
巻き上がった鮮血。アルリエル側を相手にしたものは、誰一人とて立っていない。
切り落とした飛翔斬は僅か軌道を逸らしたが、石田と蒼姫は直撃を、重体手前だったレグルスは盾を構えるも、受け止めきれずに斬閃によって流血を尾のように引きながら後方へと吹き飛ぶ。
残るは血霞と青い燐光。
「奥義を使わせるというのは、こういう事だ。生きていれば覚えておけ」
そして飛翔するアルリエル。よくぞ持ったと、息だけは残して地に倒れる撃退士へ視線を投げかけると、そのまま前田へ加勢へと向かう。
だが、それでもと。
行かせない。負けられないのだと、全員の維持と矜持を束ね、瞬間、後方より巻き上がったのは魔風の渦。
地面を転がった蒼姫が巻き起こした旋風。魔力も抵抗力も落ちた今ならば。
「行かせない……!」
地を這ってでも、絶対に。
文字通りの執念。大天使アルリエルを墜落させ、動きを止める。
後何秒持つだろうか。解らない。ただ、少しでも時間を稼ぐ必要があったのだ。
●
再び放つ風神の一閃。前田の弱点であり、左側から狙われて抗しえないものだ。
故に避けも受けもしない前田。身を切り裂かれながらも、反撃の刃を振るう。
瞬間の戦慄は単純かつ明快――神速の太刀が見せる紅光の乱舞には、宇田川から見ても避ける空間がない。
前田とてこの手の技の使い手、宇田川と同じ忍軍の撃退士の技は何度も見ている。故に、初手より空蝉では回避不能の光刃乱舞だった。曰く、同じ手は二度も通用しない。
空蝉で避けながらも、続く無数の刃に斬り裂かれて倒れる宇田川。
「くっ……」
故に、此処が生と死の境界線。死を覚悟してでも、逃亡すべき瞬間。
宇田川を掴み、後ろへと全力で逃げる結。彼女自身も既に昏倒するのを精神で抗っている状態だ。追撃があればそれは死だ。解っているが、他に生存の手を知らない。
瞬間、前田の進路を塞ぐように、火と水と氷と風、刃と弾丸の嵐が突き刺さる。
「ちっ……」
「此処までか」
それはアルリエル側をしても同じ。意識をようやく取り戻した瞬間、牽制射撃に晒されて後退している。
光燐斬閃があれば、防衛拠点を文字通り斬り裂いて突破した所だろう。だが、それを使い切っている今。
「後方のサーバントが来るまで、時間を稼ぐぞ」
かくして、勝者は不在。闘争は続行。
ただ、戦の音が研究所内を揺るがしている。
どちらに転ぶか、陽光の元でも未だ判明せずに。
<了>
(執筆担当:燕乃)