●
斬り拓かれた戦場で、天の刃がゆらりと泳いだ。
持ち主の瞳と同じく闘争の紅蓮を宿す刀身から立ち昇る斬気は凄絶の一言。見る者が並みであれば怖れて止まり、逆に強者たるならば呼応して戦意が膨れていく。
戦いの塊なのだろう。
その刀身に全てを懸けた存在なのだ。
前田走矢とは刀であり、戦火であり、剣戟と散らす命そのものだった。
鳳 静矢(
ja3856)が不倶戴天と見做す剣の鬼。紫電と銘打たれた刀身が因縁を断てと哭いている。
「前田、走矢」
声が穏やかであった事が、発した鳳自身信じられない。
周囲の恐慌に喧騒、全てが煩わしく無為。何にせよ、命を賭す他ないのだ。
静かに、けれどかつてなく、撃退士も前田もその戦意が高まっている。僅かな猶予もなく、烈火怒涛の戦へと流れ込むだろう。
「――名乗れ」
だからこそ、これが皮切りなのだと誰しもが理解した。
今まで前田が名を聞いた事はない。切り結べれば皆同じと、笑っていた存在が初めて問いかけている。
何人斬った。何人殺した。前田自身、覚えていないだろうし、今さら名を聞いてどうするというのか。敬意と云うには不純で、虚を突くにはあまりにも鋭い問いかけ。
ある意味の異常かもしれないその瞬間、誇りを以て答えた少女がいた。
何を今さらと、凛とした音色を以て周囲に響き渡らせるのは、まるで嚆矢を放つ弦のよう。
「撃退士、それが私達の名だ。この場にいる者、居ない者、距離の有無問わず、お前を討つと信を重ね、誓ったものだ」
焔にて紡がれた穂先灯す槍を振るい、大炊御門 菫(
ja0436)が宣誓する。
無視など出来ない。意識を奪い、染め上げるに十分な武の発露。静謐なる月の如く、前田を見据える。
これが我ら。個に非ず、一人でなく皆で繋いだ果てだと。
「誰がではない。撃退士が、天の刃を砕く時が来た」
「…………」
京都に始まり、四国で切り結び、今に至る。
その中に何を想ったのか、前田は無言。だが、笑みは消えず、増していく。
「以前はその刀に斬り伏せられたが、今度はこちらの番だ……潰えぬ撃退士の力を見ろ」
それを増長させるのは、ラグナ・グラウシード(
ja3538)。名を覚えられてはいないだろうが、港での攻防は記憶に刻まれている。
そして、穿鉄にて砕かれた大剣はラグナの手に。意志と命、断たれぬ限り何度でも切り結ぶのが剣の道に命を捧げた身の証左。
――剣戟の調べに酔っているが良い。
そんな中、氷のような冷徹さで残骸へと滑り込む影野 恭弥(
ja0018)。
交わる鋼の火花は触れるものを魅了するだろう。行き交う血の鮮烈さは、確かに目を引き付けてやまない。雄々しく、美々しく、謳われるの刀剣の舞。だが、闇の猟犬はその煌めきの中で牙を剥く。
戦いではなく、殺戮の銃口が凝らすのは、前田の隣に立つ鬼神だ。
「大した霊威、というべきか」
獅童 絃也 (
ja0694)が宿難より感じたのは禍々しさではない。
荒魂の呪詛に相違ないが、これは天災といった方が正しい。意志や想いの有無ではなく、自らに刃向うもの全てを蝕むもの。
故に、戦場では最も危険な存在だ。天界に仇成すと意志を持ったもの全てに影響を与えているのであれば、一秒ごとに戦線は崩壊していく。かたかたと鳴る仮面は敗北へのカウントダウン。
これを止めなければ行けない。前田とて無視出来る存在ではないが、最大の影響を与えるのはこれだ。
残骸の影に身を潜め、宇田川 千鶴(
ja1613)は沈黙を貫く。
大切な仲間、信じる人、戦う命。それらを奪おうとする剣鬼に、渡すものは一つもない。
例え言葉の一欠けらとて、向けるつもりはないのだ。
――代わりに、その命を取らせて貰うで。
奪わせない。斬らせない。そして、此処で終わらせる。
指輪に込めた祈りを届ける為、疾走の一瞬を待つ。
高鳴る鼓動は機先を制すべく、全身に血と気を巡らせている。霞むような、それでいて研ぎ澄まされていく感覚。
一つの、笑み。
「では、無銘の儘に散れ」
神速を誇る前田の刃が奔る。
●
刀剣を構え、槍を手繰るより、早い。
それどころか銃口を向けるのが間に合わない。気づけば前田は疾風の如く駆け抜け、菫の横に立つ。
「……っ…!?」
驚愕は誰のものか解らない。
間合いを踏破する事が剣士の最大の難関。
如何に鋭利な刀を持とうとも、槍衾を抜けられなければ鉄の棒だ。
持ちうる在りとあらゆる技、秘剣を覚え、対策を講じられている前田だが、素の身体能力と歩法のみで間合いを詰めていた。或いは、この速度こそが前田の持つ最後の手だったのかもしれない。
「どうした?」
紅光纏う刀の構えは無の行に入っている。
振られれば神速の太刀。攻勢に入られれば終わると直感して、菫は槍を寄せる。転ずる身には猛る魂。無傷の勝利ど捨てている。最後の瞬間まで斬り結ぶのだと、焔の刃が閃いた。
斬線が産み出したのは拒絶の光衝だ。僅かとはいえ前田を弾き飛ばし、距離を取り間合いを産み出す。
衝撃で後退し、姿勢を揺らがせる前田。
「浮つけば護るべき物を失うぞ! 最後の時まで、気を抜くな、怖れるな――今こそ攻めよ!」
菫の声に押された訳ではない。
身に走る激痛に蝕まれてなお、笑顔を崩さずにいる石田 神楽(
ja4485)の右腕が狙撃銃と一体化する。禍々しき形は紛れもない異形の長銃だ。
「夢を追い求めて天の刃に。夢見るのもよいですが」
そして黒雷を伴って放たれる悲鳴の如き銃声。
ただ貫気を高め、穿つ為に。
「そろそろ現実での約束を果たしましょう」
その心臓、狙い撃つ。まるで夢想の剣士と成り果てた魂を撃ち抜く為、神楽は全身全霊を込める。
同時に、紫の霧が刀身より大鳥と化して空奔る。
鳳の刀から放たれたアウルの塊は、純粋な破壊の力として眼前の全てを薙ぎ払う刃翼の飛翔だ。
地面の破壊の跡を残し、前田へと翔ける速度は弾丸にも劣らない。
共に前田の苦手とする遠距離よりの左右同時攻撃。菫の作った隙に重ねて放たれた狙いは、ただ一つ。
光幕を誘発し、光刃を封じる事。
だが。
「少々、甘く見過ぎだ」
前田は剣士。魔で編まれたものでない限り、先に見せた速度があるのだ。加え、無構えを取られれば回避行動の先読みさえも難しい。
横手に飛び、紫鳳の翼を避ける前田。石田の放った弾丸は右足に着弾するが、撃ち抜くには威力が足りない。多少の荒業だが、物理ならば身体能力に任せて避けるか素の耐久力で凌げる。
物理の弾幕でも或いは光幕の誘発は出来ただろう。が、それには手数が足りない。此処で必要とされるのは魔のよる一斉攻撃だった。
或いは回避する空間さえ与えない飽和攻撃か。
「ならば」
後悔は後。身を翻し、石田と前田の間に立つ鳳。決してそちらには行かせないと切っ先を向ける。
その生き様に尊敬に近いものは抱く。剣にそこまで殉じれる者は少ないだろう。語り明かせるものはないかと、今さらになって思うのだが。
「貴様の剣は軽い。己の命ひとつ乗せた程度では、安いナマクラだと」
鳳の纏う紫霧が刀身に集束していく。高まる剣気は前田を越えるのだと、天井知らずに高まっていく。
魂さえ壊れてしまいそうな予感。それでもなお、勝って討ち、帰るのだ。
「――帰りを待つ者がいる身として、教えてやる」
「なら、来い」
左側面に回った菫を後に回し、赤き瞳が鳳を見据える。
●鬼神之面
薙ぎ払う紫の大翼が巻き起こす砂塵に隠れ、宇田川が疾走する。
瓦礫とバリケードの間を縫い、到達した先に何もいない。代わり、振りかえればそこにあるのは宿難の背だ。
白の面がカタカタと鳴り響き、生命力を蝕んでいく。これを破壊する、その一助とする為に、指輪に集った魔力を雷撃へと変成する。
「その動き、止めさせて貰うで!」
そして横走る稲妻。雷遁の閃光。背後から起きた不意打ちの一撃に宿難は対応出来ない。
意識していない瞬間だからこそ、雷撃への抵抗もマトモに出来る筈がない。痺れ、動きが鈍る。
「一本も四本も、動かせんなら一緒や」
威力として大したものは出せていない。が、この瞬間を狙っていたものがいる。
応えは黒炎纏う弾丸。瓦礫の下、特定不可能な場所より放たれた影野の狙撃だ。
言葉は不要。迅速を以て任を成す。信頼には破壊で示そうと、狂気の黒が流星のように駆け抜けた。
だが、着弾するより早く、白の面を付けた首が横に振られる。まるでそこに来る事を読んでいたと云わんばかりに。麻痺した身体では初動が遅く、完全に回避には至らないが左頬を撃ち抜き、面の半ばまで罅を走らせる。
「……読まれていたか」
上位、それも使徒の近いサーバントの頭部狙いなど狙って出来るものではない。仲間の援護があったからこそ何とか当てられたものの、影野の額に汗が浮かぶ。トリガーを絞る時、外れたと直感と経験が囁いたのだ。
だが、同規模のものを後一撃叩き込めば砕け散る。直撃である必要さえないだろう。
「行くぞ」
前田はむしろ攻めた。互いに攻撃に長けたものが狙いを破壊すべく猛攻を仕掛ける。
そういう意味では誘導されたのでは、と獅童に疑惑が走る。これではあまりに順当過ぎる。真っ当過ぎて、当然の結果しか見えない。
そんな思惑を吹き飛ばすように解き放つ闘気。獅童の身から漏れる気迫が風となって周囲を揺らした。
巻き起こる戦風の中、白い髪が踊る。
リボンを解き、楚々たる娘から、純白の獅子へと変じた姫宮 うらら(
ja4932)が宿難へと踏み込んだ。
「獅子の如く、参ります……!」
振うは十字に放たれる不可視の爪牙。見えない程にか細い斬糸を自在に手繰るのが姫宮の武技だ。
事実、胸部を斬り裂かれた宿難は回避不能。いや、面のある頭部への攻撃を避ける為、他の全てを犠牲にしている。
だからこそ、姫宮の背筋が凍える。空を切る音を後に残す程の高速だったが、相手の剣は何処に?
応えは最上段から振り下ろされる斬馬刀が剛断にて告げる。
受け太刀も捨てた後の先だ。姫宮の身体が揺らぎ、追撃の日本刀が踊って真空の刃を産み出す。意識は朧ろ。僅か一瞬で生命力を完全に失い、精神力だけで立っている。
胸元から競り上がった赤くて熱いものがナニで、ドコから出てきたのかなど考える余裕がない。
だからこそ、あと一撃が欲しい。二度目の白の面の発動は同時に壊滅的な打撃を与えるだろう。
が、獅童は闘気解放で攻撃の手を失っている。迅速、電光石火の早業での仮面狙いでは失策だ。
誰かと叫ぶ前に、己が往かねばならぬのに。
鷲獅子の強襲を一身に受けるのはラグナだ。
金色を纏い、指示を失った二体は空からラグナへと強烈な攻勢を仕掛けている。
大剣で受けた筈が弾き飛ばされ意識が途切れ、必中の瞬間に更に横手からの一撃。何度も意識が途切れて、まともに動く事も出来ない、
二体の鷲獅子に弾かれ続けるラグナはまるで玉突きで遊ばれるかのようだ。
だが、その身は削れてはいるが、堅牢そのもの。不屈の騎士がその程度で壊れない。
「潰えてたまるか!」
ラグナが一身に引き受けるからこそ、残る七人が攻撃と防御に専念できる。
攻撃も回復も、防御も回避も出来ないスタンの連続。その中でも。
「……護ってみせるッ!」
意識を取り戻すべく、吼えるラグナ。膝を付き、それでも否と唇を噛みきった。
そして剣に満ちる光気。白涙のような衝撃波として放たれたグリフォンへと直撃し、瀕死のそれは地へと落ちて動かない。
「悪いが、負ける気は……ないんだよ」
残る一体に再び意識を奪われ、転がりながらもラグナは一瞬の攻撃を待つ。耐える。凌ぐ。防ぐ。
そして、勝つ為に己の成すべきことを。
●剣花ノ銘
戦にて煌めく閃光の美しさは、死神の魅せる夢だ。
一瞬でも気を抜けば命を絶たれる。前田の光刃斬は致命の斬撃。
正面より切り結んで勝てるものなど、人には早々いまい。その点に特化した存在なのだ。
故に息を出来ぬ程の速さで繰り出される斬撃、横薙ぎに刺突、斬り上げと繰り出されるそれらは全て魔にて形を成す刃。鳳の持ち変えた円舞も、菫の焔槍も魔撃にて前田へと殺到する。
剣閃と紅蓮の疾風。前田の身を刻み、焼き焦がす。避けきれない。
「……ちっ」
笑いながら舌打ちをする前田。完全に弱点を突かれた形となり、状況がこの瞬間はとはいえ拮抗している。
その理由のもう一つが、間合い。
「卑怯とは言わせんぞ」
菫は元より槍。刀剣を制する間合いこそがこの本領。無銘の刃にて止めようとも、届かなければ意味がない。左側から迫り来る炎槍に頬を斬り裂かれる。血も即座に蒸発する程の熱量を秘めた菫の槍。
脚狙いと見て、斬り上げられた菫の斬撃。頭部の目、鼻、口などの小さな点狙いはそう上手くいかずとも、穂先は確かに前田を焼き斬る。
「そして甘いなど、二度と云わせない。私も、仲間もだ」
「そうだ。言っただろう……貴様は軽い!」
正面に立つのは鳳。紫霧を刀身に纏わせ、石田を背に戦っている。
何も背負うのは仲間の命だけではない。帰りを待つ妻がいる。友がいる。
それらを全て投げ捨て、魂を軽んじる生き様、認める訳にはいかないのだ。同じ剣士として、その域に辿り着く事に憧憬は覚えても、剣の鬼と堕ちる訳にはいかない。
故に、鳳の全身を巡るアウル。神速の光刃を振るうならば、自らも神速へと化すのみ。
瞬間の踏み込みは確実に音速を超えていた。前田が迎撃出来ない程の速さで振るわれる、紫の剣閃。夜風の如く澄み渡る太刀筋は前田の右肩を捉え、鮮血を花吹雪のように散らす。
「捉えたぞ」
ついに前田の芯へと刃を斬り込んだ鳳。この程度で喜びはしない。狙いは刀傷など安いものではないのだ。
「此処でその右腕も貰う……前田!」
「……っ!」
ここにて前田の笑みが崩れる。
京都で失った左腕。そこが死角であるのは確かだ。
が、だからこそ前田が太刀を振るえるのは右腕のみ。隻腕の剣士は片手を負傷したからと、もう片方に重きを置けない。攻撃を当る事が至難の技だが、右腕を負傷させればさせる程、前田の攻めは極端に劣化する。
誰しも左へと目が行く中、炯眼である――かもしれない。
「……見捨てておけないな」
瞬間、前田の赤い瞳が燃え上がった。
先に見せた俊速の歩法が再度実現される。菫の槍の間合いを擦り抜け、鳳の真正面に。
踏み込みが解れば回避は可能と鳳は見ていた。
が、踏み込みの速度が尋常ではない。踏み込ませる事で、逆に『先の先』の術理を完成させてしまった。加え、どちらに避けるべきか、無構えからは読み取れない。
大気を、そして肉と骨を斬る音も聞こえない。全てを置き去りにした神速の刃が振るわれていた。
残るのは紅の軌跡だ。
真紅が舞い散る。ぼたぼたと落ちる血という生命の結晶。袈裟に斬り捨てられ、意識の力のみで立っている。動脈は切れ、回復は必須。戦闘続行は死に繋がる。
「鳳!」
空を切った菫の月華による制止。盾で動き出しを止めるならば、槍の間合いでは遠すぎる。
だが、それで耐え切った。今の一閃、狙ったのは斬首だと鳳は直感したからこそ、更に前へと踏み出す。
前田とて完全に意識をも断ったと確信した一閃だった。直前で僅かに避けられ、首を跳ね飛ばすには至らずとも、重傷に他ならない。
だというのに、気付けば鍔競りへと持ち込まれている今。
「……強いな。やはり、強い。だが、言っただろう。軽いと。そんな剣では、私は倒せん……っ…」
無構えからの光刃斬、最早必殺に非ず。
そして返礼は至近距離からの一撃。刀身に纏う紫霧が大鳥の形を成していく。
「貴様の武は強い。強いが軽く、鋭いが脆い。……この距離からならば、光幕とて意味を成すまい」
軋む刀身。諸手を以て、隻腕の使徒を討つべく、渾身の力を振り絞る鳳。先とは違って魔翼の気閃。耐えられるのなら凌ぎ切ってみせよと、夕暮れを強烈な紫へと変えて。
「脆い……だと? 軽いだと?」
或いは無銘にて止める好機。それを問い返す事で亡くした前田に、猛禽の翼が襲う。
その寸前。
カタカタと、白の面が鳴る。
それは呪詛。生命を蝕みも意識を断つ怨魂の音だ。
●鬼ノ刻
その僅か前に遡る。
無念と成り果てる、鬼神の荒武に。
宿難の取った行動は専守。仮面を守る事を第一に、攻撃の手を一つ捨てていた。
「……嵌められか!」
一見、宿難の斬馬刀の構えは八相のそれだ。が、横にも分厚い刀身で白面どころか、頭部の一つを完全に覆う楯としている。
本来ならばそれで視界を失うのだが、二面こそが宿難。二つ目の顏が戦場を見定めている。
そして残る二本の腕で振るわれる刀。攻撃を一手捨てて防御に徹しつつ、攻撃も可能。
斬馬刀の驚異的な攻撃力を封じてはいるが、どちらがマシとは言い難い。初手の最大火力で破壊仕切れなかったせいで、完全に警戒している。
「反則やろ、それは……けどな!」
吐き捨てるように口にし、鞘から直刀を抜き放って飛び上がる宇田川。確かに四本も腕があるなら、何処かを犠牲にすれば面は庇えるのだ。が、動けないならば意味はない。
「鬼神云うても、鬼や。荒魂鎮めて退治や、観念せい」
振り下ろされる斬撃はただ一点に全体重と衝撃を集めた断ち斬りの剣だ。
首の付け根へと叩き込み、体幹を揺るがして意識を割る。朦朧とした身体は麻痺などより自由が利かない。斬馬刀の構えは崩れないが、次の一撃は必中と化す。
「一撃にて、山を砕く撃を」
吐き出された呼吸。即座に転身する獅童の身体は嵐の如く。踏み込む震脚は地を揺るがし、轟音を響かせて繰り出される烈風纏いし双打掌。肩を撃ち抜き、後方へと吹き飛ばすのみなならず、衝撃で斬馬刀が横にズレる。
「貰いました。いえ、撃ち抜きたいのは貴方ではないのですけれどね?」
にこにこと笑い、そして黒き歌とも喩えられそうな絶叫の銃声。黒雷を伴って奔る石田の貫弾は宿難の面、それも額へと撃ち込まれ、罅が入る。びしびしと音を立てて壊れる寸前、後一撃の瞬間。
だが、必勝を期した追撃はない。
馬鹿なと誰しもが瞠目した瞬間、影野が瓦礫の下から飛び出して全身し、片膝を付く。
狙撃手として身を隠していた影野がわざわざ前へと出る理由など、石田には一つしか考えられない。そう、普通なら有り得ない連携の齟齬。
勝敗を敗北へと転がした、一瞬。
「……吹き飛ばし過ぎた、と……?」
射程ギリギリを取っていた影野。烈風突きで8メートルも後退させられては、射程外にまで飛ばされる。互いの射程、どれほどの間合いとノックバックが起こるのか。
双方がどんな攻撃と間合いなのか認識しなかったミス。
即座に狙撃。だが、その際には既に斬馬刀が楯となる。硝子の表面に走る亀裂のような罅を斬馬刀に残しつつも、面は壊れない。
「でしたら……!」
今さら遅くとも、意識を刈り取ると姫宮の両腕が踊る。荒れ狂う鬼神の霊威を斬り裂き、動きを止めるむのだと白獅子の爪牙が奔る。
呪詛、怨念を散らす獅子舞の如く。或いは穢れを全て祓うかのように。自身の負傷を無視し、烈しい動きに血を散らしながら放たれるが――遅い。
それより早く振るわれた日本刀。産み出され斬風は獅堂と姫宮を捉え、姫宮の意志を完全に奪い去る。
意志の問題ではなく、これは身体の限界。
そして、白の仮面が鳴りだす。
●敗者之戦
それは意志の問題ではない。
生命そのものに影響を及ぼす呪詛。絶対の好機と瞬翔閃を放つ寸前、切り替わった逆回しに鳳が崩れる。
「……良い剣士だ。が」
前田の顏に浮かぶのは静かな怒り。
この瞬間、トドメを刺すのは容易に過ぎる。が、先の言葉は何だと、問い返そうにも意識がない。
剣士としての決着も付かない。勝利を求めているが、こんな形ではないからこそ。
「待て、トドメなど刺させないぞ!」
一気に突き進み、炎槍を突き上げる菫への意識が途切れていた。
陽炎纏う魔炎の烈刺を避けきるのは不可能。
目を狙われた穂先は頭を傾げて直撃を防ぐが、額を切られて血が溢れるように流れ出す。
「娘、殺されたくなければ受け取れ」
前田へと倒れて来た鳳を回し蹴りで飛ばし、菫へと弾き飛ばす前田。
咄嗟には避けられない。いや、受け止めなければトドメを刺される可能性とてあった。
そして、菫が受け止めたが故に前へと出た影野へと突き進む前田を止めるものが最早いない。初手の前田の前進と、ノックバックした宿難を追った影野の前進。都合合わせて20メートル。残る距離は前田の踏み込みの圏内だった。
咄嗟に瓦礫の下に潜れ込み、影野は回避しようとするが無為だ。地面に突き立てられた前田の刀が紅の光を纏い、凝縮して大地も瓦礫も両断する。
光刃斬とて威力が半減しただろう。でなければ、両断された影野の胴体が転がっている。
それでも鮮血を吹き出す地面。伏せた影野の肩口から胸までを斬り上げるようにした前田。
「これで、四人か……さて」
瓦礫と血の海の上で瞼を細める前田。石田と菫の双方を見て、どちらを相手取るかと悩むかのようだ。いや、事実そうなのだろう。切り結べるのは菫だが、放置出来ず、また、因縁深いのは石田なのだから。
「その銃から、黒い歌は聞かせて貰えないのか?」
「貴方には断末魔も上げさせないと約束しますが?」
笑う二人。最早勝機など皆無でありながら、石田は折れていない。
だからこそ、その瞬間を付いて菫が疾走する。槍は愚直なまでに突き払いでの頭部狙い。
「そう、まだだ。お前を倒せば、私達の勝ちだ」
撤退などすれば前線を構築する撃退士がどうなるのだ。
自分達だけ逃げる?
そんな事、絶対に無理だ。出来る訳がない。
「最後の一瞬まで、勝利を手放せるものか! 戦いに諦めなど不要だ!」
菫の振う槍の白首へと放たれる刺突。それが穿鉄であり、炎槍を破壊されても怯まない。執りし武器は槍のみにあらず。胸の意志と魂こそが本物であれば。
どうして、最後の瞬間まで魂を捨てられるのだ。
「ならば、耐えてみせろ。勝ってみせろ」
踏み込む前田の紅蓮光。無構えからの神速は最早、斜陽の煌めきにしか見えない。
何処から来るか不明。だが、機はそうではない。技の起こりが見えないなら、その瞬間を作るまで。
刹那、天界されたのは紅蓮の刃を拒絶する白月の霞だ。アウルで形成されたそれは斬撃の威力を減衰させ、紅の光を屈折させ反射する。月に焔は届かない。菫の魂を斬るに、これでは足りないと。
可笑しいと思わなかったのか。簡単に魔炎槍を穿鉄で砕けた事が。勝利への確信は、敗北へと転ずる瞬間でもある。
重なる光輪が斬り裂かれる毎に減ずる斬撃の勢いと鋭さ。ついに菫へと届くが、二の腕の骨まで達するだけで止まる。
動ける。闘える。まだだ。
「今だ。やれ、ラグナ!」
小天使の翼を作りだし、ラグナが前田の頭上から襲撃する。
今まで空から打ち据えられたのを、今此処で返すかのように。
●絶望ノ甘味
此処で更なる悪手――或いは勝てたかもしれない希望が潰える。
「舐めるなや!」
更に重ねる宇田川の兜割。側面を突いた上、完全な防御姿勢の宿難は意識が途切れて膝を付く。此処で本来ならば獅堂が撃を放つべきなのだが、呼吸を整えてスキルを換装している。
迅速での戦闘が求められている今は悪手としか言い様がない。一撃ごとの重きを置いた戦術は時として有効なのだが、他の仲間と噛み合っていないのだ。
間合い。タイミング。攻撃方法。
スキルを変えつつ、流星錘で斬馬刀を絡め取るが、奪い取るには至らない。力の勝負で宿難に負けているのだ。何とか斬馬刀を宿難の楯代わりから引き放すので精一杯だった。
だからこそ、宇田川の視線は誰よりも信頼する黒の狙撃手に。迅速かつ速攻という意味を理解していた石田は、悲鳴のような絶叫を轟かせて貫気で成された狙撃を宿難の白面へと。
ついにその一撃で壊れて砕ける。面の下の頭部も酷い負傷だが、まだもう片方、治癒反転が残っているのだ。
このまま倒す戦力は残っているのか。倒れた姫宮をバリケードの影に隠しつつ、宇田川が戦況を見渡す。が、そこにあるのは絶望の二文字だ。前田とて負傷しているが四割も削れていないだろう。
宿難は或いは、全滅を視野に入れれば倒せる、かもしれない。だが。
最上段から振るわれる斬馬刀が獅堂を叩き伏せ、躍る刀が宇田川諸共切り刻む。
「……あかん」
勝てない。
前田を二人で抑える事に失敗し、光幕の誘発を甘く見ていた。
宿難への接近攻撃手の精細を欠いた動き。
後衛との連携不足で足を引っ張り合う。
こんなもので、前田は倒せない。残る四人は健闘するだろう。宿難も倒せる。代わり全員死ぬ。
そもそも――撤退出来るのか?
脇腹から流れる血を手で止めながら、それでも僅かな可能性に宇田川は身を投げ出す。
宿難のその真正面へと。迅雷と化して、刃を突き立て、後ろへと下がる。
「まだや」
心も闘志も、精神も折れていない。
絶望なんて感じていない。誰より信頼する人と共にいる戦場で。
この仲間達なら勝てると、強く信じて。
絶望という安易な結末に、屈したり出来ない。
●
二体目のグリフォンを倒し、ギリギリで翔けたラグナ。
「本田! 待たせたな……私が相手だッ!」
その身とて負傷仕切っており、治癒反転の面が壊れていない今は本領である耐える事とて至難の技だろう。
だが、残るメンバーで最も体力の残った前衛だ。前田を撤退させれば、或いは前田を抑えていれば石田と宇田川が宿難を倒す可能性とて見える。
故に、翻って上空へと奔る前田の無銘の太刀筋を怖れない。肩口を掠めたが、不意打ちに対して精密な先の先など不可能だ。加え、菫が自身の肉体で前田の刀を受け止めた直後。
「剣士であれ、騎士であれ、完全に穴がないというのは有り得ん!」
むしろ太刀を振るった直後、その右腕はがら空きだ。憤激と共に繰り出される鋼の刺突。
先に鳳が負傷させた右肩へと突き刺さる、骨を粉砕するかの如き剛撃。身を捻って衝撃を逃がしても、完全ではあるまい。
「砕け散れッ、リア充!」
そして、言葉は前田の精神を掻き乱す。
「貴様……それでも騎士を名乗るか。騎士の名折れが。俺の忠を侮辱するか!」
交差した瞬間、反転して繰り出される紅蓮の一閃。技の起こりが見えず、斬跡という結果のみを残す筈が、ラグナには届いていない。
外した、のではない。
「……流石に左側からならば効果はあるか」
菫が盾を活性化し、身体に張り付くようにして初動を狂わせたのだ。
完全に止める事は不可能でも、合気の要領で力の流れを誘導させる事は可能。槍や大剣ではなく、刀の間合いに踏み込む危険性があるが、隻腕である左側からなら機会がある。
「…………」
だが、それによって激昂していた前田の瞳が静けさを取り戻す。
己の技を止められた事に怒りは覚えても、むしろ技の冴えには敬意を表するのがこの使徒だ。
「騎士ならば――」
そして、ならばこそ。この右肩の負傷は二人掛かりで得たものでも。額から切れた血がついに目に入り、片方の視界を潰しても。
「我が主、アルリエル様と同じ騎士を称するなら――この無銘、もう一度抜けてみろ」
外せば死ぬだろう。
憤激での激襲は前田の得意とする間合いと性質。迅にて斬られる可能性がある。そして動きが止められた所に光刃斬でトドメだ。
加え、ようやく前田の負傷も五割程度。通った所で、反撃で落ちる。
「……っ……!」
「そこの娘も動いて良いぞ。二度、同じ事が成功するというのならな。お前達は撃退士、なのだろう?」
くつくつと笑う前田。喉の奥で堪えきれないと。
静寂。
遠くで落雷。
爆裂音。
そして、遠くで燃え上がる赤い光。いや、空を飛ぶ炎の翼。
「駄目です、撤退しましょう……」
石田が呟き、空蝉を使い果たした宇田川も全力で後退していく。
宿難は後数発で落ちる重体だが、それでも立っている。
対して、姫宮・獅堂・影野・鳳と倒れ、宇田川と菫は精神力だけで立っているようなものだ。
「どうした?」
逃げるように……いや、実際に逃げていた。
後方から来るのは炎の八咫鴉。石田の見た事のある、一度敗北した存在。
他にも翼を広げたサーバントを連れ、蒼い燐光を纏った天使が見えている。前線は崩壊したのだ。
「逃げの一手だけではなく――あの時のように、心臓を狙わないのか?」
追撃のない前田のその姿は、かつての京都の時に似ている。
だからこそ、代わりに石田は呟いた。
「もう夜ですよ。眠りなさい、剣聖。……暁と共に、貴方という夢を貫きましょう」
所詮、使徒など幻想に過ぎぬ。
アウルがそうであるなら、この戦いも白い悪夢。
消えてなくなるが本来の人の世の在り方。天魔が来て、もはやその理は失われているものの。
天使が齎した襲撃は、中央門を突破される結果に終わり、夜の到来と共に双方一次休戦と化す。
夢は醒める。
戦いは巡る。
次の戦にて身体を休める事が出来るのだろうか。
仰ぎ見る空に、星の欠片などない。
研究所に籠城していれば、周囲をサーバント達が包囲している現実が見えてしまう。
後、一欠けら。
何かが足りない。勝ちたいのに。
失わず、奪われない為にどうすれば良いのだろう。
そして、空が白く染まる。
朝焼け、曙光の色彩は、天の二度目の襲撃の始まりだった。
<続く>
(執筆担当:燕乃)