争いには、二種類ある。
一つは強者が弱者を踏みにじる戦い。
そこに互いの意志は無く、ただただ破壊するだけの一方的な蹂躙。
もう一つは、意地の応酬。
譲れないもの。
目指すべきもの。
互いの意志と矜持を掲げ、なりふり構わずつかみ取る。
そう、これは魂を削り合う戦い。
仲間を救う為になら、僕は鬼にだってなれる。
けれど崩壊の紅が戦場を染め上げた時、僕はようやく思い出していた。
――それは、相手も同じなのだと言う事を。
●
大気を切り裂くような轟音と、明滅する蒼の閃光。
その背で広げられた一際大きな翼は、動く度に淡い発光を繰り返す。
雷霆の大天使は身につけた群青の外套を翻しながら、ゆっくりと彼らの前に降り立った。その質朴にしてなお風雅な所作は、強者ゆえんの余裕と呼ぶべきもので。
目前に立つバルシークの姿を見て、黒百合(
ja0422)が薄く笑み手を振ってみせる。
「あらァ、バル叔父さんじゃないのォ…お久しぶりィ♪」
こちらを見据える瑠璃の瞳が、わずかに細められる。以前刃を交えたことを、覚えていたのだろう。
同じく三度目の邂逅となる夜来野 遥久(
ja6843)が、微笑を浮かべ。
「この機会を楽しみにしておりました。貴殿もですね」
「ああ。こうして再び相まみえる日を私も待っていた」
頷く天使を見て月居 愁也(
ja6837)が闘気を身に纏いながら呟く。
「これが遥久の言ってた大天使様、か。名乗りは名乗りで返礼しねえとな」
聞いていた通りのプレッシャーに負けじと。
「俺は月居愁也。遥久から貴方の事は聞いてる。わざわざ手合わせを望んでくれるなんて光栄だね」
「だよねえ。じゃあ僕も自己紹介といこうかな?」
うんうんと頷く森田良助(
ja9460)も、敢えてのんびりした調子で名乗る。
(あの様子だと僕らの名乗りを妨げてまで襲ってはこなさそうだね)
その裏に、時間稼ぎという狙いを潜ませて。
(……焔劫騎士団。彼の――皓獅子公の仲間、ですか)
大天使の名乗りに内心でそう呟くのは、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)。彼女は以前、同じ騎士団員と刃を交えたことがあった。
(彼を基準に捉えるなら、厄介極まりない相手ですね)
まるで白獅子のような豪快な男だった。受ける重圧も目前の男と並び立つもので。
――ですが私の出来る事など限られています。
そして、求める事も。
マキナはバルシークへ向けて、その金色の瞳で見据えながら告げる。
「折角頂いた名乗りです。ならば此方も合わせまして――」
纏う黒焔に闘志が宿る。
「『偽神』マキナ、お相手仕ります」
彼女達の名乗りを受けたバルシークは、ゆっくりとうなずいてみせた。
「撃退士よ。お前達に言っておきたいことがある。わかっているとは思うが、私がここへ赴いたのはお前達に奪われた『雫』を奪還するためだ」
いきなり目的を告げたことで、困惑の色が宿るのにも構わず。
「大人しく返すのならば、私はこのまま去ろう」
「…でも、他の天使さんはそれだけで去ってくれるとは思えませんけど?」
六道 鈴音(
ja4192)の率直な問いかけに、バルシークは肯定を示しながら。
「他の団員については各々に任せてある。私は私の判断に従って『使命』を遂行するまでだ」
聞いた鈴音は思う。恐らくこの天使の言う事は本当だろう。嘘を言うような性格では無いと、友人からも聞いている。
(でも…だからと言って、はいそうですかってわけにはいかないけどね)
「残念ながら、雫をお前達の手に渡すつもりはない」
そこで立ちはだかったのはリョウ(
ja0563)だった。
「……では、戦うと言うのだな」
「ここから先は『通行止め』だ。推し通るならば――旅団【カラード】、旅団長のリョウがお相手する」
全身黒ずくめの彼は、槍を手にしたまま口火を切る。
「ただ始める前にこちらも問わせてもらおう。先の戦いで、負傷したメリーゼルに下がれと言ったのは騎士団の指示か?」
「私は現場にいなかったのでわからない。それがどうかしたのか?」
放たれるのは、挑発とも憂慮とも取れる物言い。
「もし彼女の独断ならもう今回の戦いには出すな。真実彼女が誇り高く優しいのなら、歪むか早死にするだけだ」
聞いたバルシークは一旦黙り込んだ後、ややおかしそうに目を細める。
「何がおかしい?」
「いや。つくづく人間と言うものは、存外自身のことは見えぬのだなと思ってな」
「……何が言いたい」
にらみ据えるリョウに向け、大天使はロングソードを突き付け。
「それは刃を交えればわかるだろう、『長たる者』よ」
その言葉が始まりの合図だったかのように――雷鳴が地を震わせた。
●
「はっ…どこまでも堂々とありたいってわけか」
漆黒の肩マントが動きにあわせて大きく翻る。嘲るように言い放った郷田 英雄(
ja0378)が、即座に地を蹴った。
狙いは大天使後方で飛翔するグリフォン。黒色に金のラインが描かれた銃を手に、狙い定め。
「だがな…闇に紛れて仕掛けなかった事は悔いて貰う」
それが騎士道だろうと全力で勝ちに来ないのは武士道を嘲ている。
狡猾であれ、感傷など捨てろ。
放つ銃弾は鷲獅子の胴へと命中し、つんざくような悲鳴が上がる。
「手前らが仕掛け、俺が阻止する。それだけ判れば、後は根競べだってことだ!」
その動きに共鳴するかのように動く影。
「さてと、俺の剣がどの程度通じるか…試してみるか」
水無月 望(
jb7766)がグリフォンとの距離を測りながら、移動する。白銀の髪がまるで糸のように後方へと流れ。
(空中だと武器射程でぎりぎりと言ったところか)
滅影使用はひとまず諦め、大剣を銃に持ち替え撃ち放つ。
「悪いが、手は抜かないぜ」
CR差の重みが、サーバントの生命威力を削り取った。
一方仲間が大天使を引きつけている間に、実験場の上へ移動した者もいた。
「ここからなら、攻撃距離も稼げるだろう」
グリフォンの飛行力を警戒した恙祓 篝(
jb7851)が、手にした五連のリングから黒炎の塊を生み出す。
「南無三ってな!」
炎は純白の翼へと直撃し、その動きを鈍らせる。やや飛行高度が落ちたのを確認しながら。
「……前回の汚名を返上出来る、なんて思ってないけどな」
それでも、自分の心根に点る炎はまだ生きてる。
胸に秘めたるは、若干の負い目とそれを上回る決死の覚悟。
「なら、限界まで燃やし尽くすさ」
時同じくして、バルシーク対応班も動き出していた。
血のように紅く染まる長槍を手に、リョウが側面から素早い一撃を繰り出す。
金属が互いを削り合う耳障りな音と、手に伝わる微かな振動。群青の外套の下に見え隠れする白銀の鎧が立てたものだ。
――予想通り簡単に削れるものでもなさそうだな。
冷静に状況を見極めながら、大天使に言い放つ。
「お前のような潔さを持った『騎士』が、今は虐殺兵器の為の尖兵か」
何も言わずこちらを見据える瑠璃に向け、怒りを押し殺すように。
「忠誠は主に、誇りは剣に…とでも言うつもりか、片腹痛い。あの時あの場で焼き払われたのは冥魔では無く、無辜の人々とその日常の場だ!」
「――ああ、お前の言う通りだ」
帰ってきたのは静かな声音。そこには怒りも動揺の色も宿すことは無く。
「我らがやってきたことを正当化するつもりは無い。冥と戦う為に多くの罪なき者を犠牲にしていることもまた、認めよう」
「……虐殺を開き直るとでも言うつもりか」
聞いたバルシークは微かに笑み。
「お前にも守りたいものがあるだろう? 長たる者よ」
手にした剣を水平に掲げる姿に、遥久が咄嗟に盾を構え飛び出す。
「私はそのためならば、奪うことに迷いは無い」
切っ先がわずかに揺れた刹那――轟音と共に稲妻が一斉に降り注いだ。
「遥久、生きてるか!」
愁也がかけた声に苦笑しながら、遥久は返す。
「当たり前だ。この程度で倒れるつもりは無い」
そうは言いつつも、受けたダメージは決して軽いものではない。痺れるような痛みに耐えながら、それでも表情に出すことは無く。
以前見た攻撃の予兆に真っ先に反応し、仲間を庇わんと動いていた。
「……ありがとうございます」
遥久の行動により直撃を避けていたマキナが、口を開く。
「礼など必要有りません。私はやるべきことをやったまでですので」
強烈な魔法攻撃は阿修羅にとって鬼門。笑む遥久に彼女は微かに頷き。
「では私も、やるべきことをやりましょう」
言うが早いか、すべるようにバルシーク側面へと回る。
放つのは、白色の包帯に覆われた偽腕から繰り出される高威力の殴襲
同時に生み出される黒焔の鎖が、蒼の騎士を絡め取っていく。
「ナイス、マキナさん。じゃあこっちもくらってもらうぜ!」
そこを襲うのは、同じ阿修羅の渾身の一手。
盾に取り付けられた螺旋状の槍が、天使の胴部に鋭く打ち込まれる。
「――っ」
もろに受けその身を大きく逸らせた所を、リョウや大天使対応移った英雄の刃が襲いかかる。
直後、体制を取り戻したバルシークの背後でバチッとスパーク音が走り。
「来ます!」
音よりも速い、光の刃。
来る、と認識した時には、衝撃が身体を貫通していた。
「なんて威力なんだよ全く……」
遙か後方に移動していた良助は、前線の状態に思わず呻きを漏らす。
周囲を覆いつくす大量放電が、近接前衛のほぼ全てを飲み込み閃光を放った。広範囲攻撃によりマキナと英雄は意識を刈り取られ、スタンを免れたメンバーも深傷を負ったことに変わりは無い。
「けれど…僕はやれることやるしかないから…!」
空中から強襲を仕掛けようとするグリフォンへと意識を集中し、弾丸を放つ。高命中の一撃は翼へと見事着弾し、その飛行高度を大きく下げる。
そこを狙うのは、もう一丁の狙撃銃。
「あはァ、ひとまずはあのお邪魔虫を排除するとしましょうかァ…!」
今は奇襲班が到着するまで、耐える時。
昂ぶる気持ちを抑え、黒百合は闇を纏った強烈な一撃を撃ち込む。地上に墜ち動きが鈍くなったところへの一発は、仕留めるには十分の威力だった。
良助よりもなお後方から放たれたそれを、グリフォンは認識すら出来なかっただろう。
残るもう一体へ襲いかかるのは、鈴音の放つ煉獄の業火。
「私の最大奥義で歓迎してあげるわ。六道呪炎煉獄!!」
その手から繰り出される紅蓮の炎と漆黒の炎が、まるで螺旋を描くように一直線に敵へと向かう。
「ギィイイイ!」
捕らえられた鷲獅子が、苦痛の叫びを上げる。灼熱の炎は吸い込めば肺ごと焼き尽くすほどの高温。
耐えきれず動きが散漫になった隙を、良助のイカロスバレットと篝の魔法攻撃が追撃をする。
「とりあえずここまでは順調…か」
移動してくる銀羊を横目に、望は墜ちてきたグリフォンに向けて滅影を放つ。
前衛の受けたダメージはかなりのものだがこれは予想範囲内あり、こちらも既に強サーバントを一体落とせている。
痛み分けという意味では五分五分と言ったところだろう。
(今、奇襲班は……)
つい視線を向けそうになるが耐え、目前の敵に意識を集中する。
まだまだ戦いは、始まったばかりだ。
●
しばらくの間、打ち合いが続いた。
バルシーク班が懸命に抑えている間に、サーバント対応班はグリフォン二体の殲滅を成功。現在は次々に移動してくる銀羊を鈴音が次々にスリープミストで眠らせていた。
「眠ってない羊を積極的に狙ってください!」
ホイッスルを手に鈴音が叫ぶ。ちなみに笛はスキルで仲間を巻き込まないための彼女なりの工夫。
数体にまとめてバレットストームを撃ち込んだ良助が、一瞬の明滅の後身体に受けた痛みに気付き、顔をしかめる。
「これは…どうやらダメージを反射してるみたいだね」
瞬時に他の仲間へと通知。
「反射って…。なんつー卑怯な特性だよおい」
つい本音が漏れた篝だが、ここで引き下がるわけにもいかない。
「どれくらい返ってくるのか怖くはあるけど…びびっちゃいられないしな」
篝は覚悟を決めると範囲攻撃を銀羊へ撃ち放つ。色とりどりの火花が爆発と共に羊を覆うと同時、自身の身体に衝撃が走る。
「っ痛う……」
とは言え、耐えられないほどでもない。反射の威力はそこまででも無さそうだと判断すると同時、轟音が耳に届く。
雷を纏った一閃をリョウが空蝉でかわす。それを見たバルシークは気付いたように。
「ほう、お前もその技が使えるのか」
「何?」
「以前も見た記憶があるのでな」
断ち切ったと思った途端に手応えが無くなる。後方にいる黒百合にちらりと視線をやりながら。
「面白い能力だ。だがこれならどうだ?」
「――っ!」
長剣を大きく振り抜くと同時、周囲に稲妻が落ちる。その回避力でぎりぎり直撃を避けたリョウは、額に汗を浮かべながら。
「……なるほど。発動条件もお見通しという訳か」
「一度見せられた技を記憶しないほど愚かではない」
微かに口元を緩める大天使を見て、愁也は内心で思う。
(くそ…やりづれえな……)
技を見せれば見せるほど、こちらの手の内を見透かされてしまう。これが経験の差なのだと嫌でも思い知りつつ。
――なら俺たちにやれることなんて限られてる。
小手先程度の企みではすぐに看破されてしまうだろうそれだけに。
「細かいことは考えねえ! 俺は護って戦うだけだ!」
炎のごとき闘志で向かう愁也に、英雄も笑いながら。
「ああ、全くお前の言う通りだ」
相手の考えなどどうでもいい。元より自分の方が優れてるなど思っちゃいない。
自分はただ、全力で相手へと向かうまで。
「手前、女難の相が出てるぞ」
からかうような嬌声を上げながら、刀を振るう。その動きに連携するように望が腕を狙い太刀筋の読めない一手を繰り出す。
「悪いな…テメェの腕一本、戴くぜ」
挑発ような物言いも、全ては天使を引きつけるため。大天使がわずかに体制を崩したところへ叩き込まれるのは――
「あらァ、私から注意を逸らすと大変よォ…!」
遙か後方にいながらその移動力で瞬時に後ろを取った黒百合が、凄まじい斬撃を浴びせる。
「くっ…!」
「この距離でも私は貴方を補足出来るんだからァ…バル叔父さん♪」
三枚刃の大鎌を手に嗤う姿は、まさに死神のごとし。
「…なるほど、相変わらずの威力だ」
肩から血を流すバルシークは、それでもどこか楽しむように。追撃を入れる黒百合の斬閃に併せてカウンター放電を浴びせる。
「……っ!」
身体に走る激痛に、思わず顔をゆがめる。様子に気付いた遥久が怪訝な表情で。
「黒百合さん、その傷は…」
「なるほどねェ…どうやら羊ちゃんだけじゃなく、あの叔父さんも反射能力を持ってるみたいよォ…」
強烈なCR差攻撃の代償は小さくは無かった。しかも自分が空蝉を使う事は既に知られているため、有効に使えるとも思えない。
それでも、彼女は愉快そうに嗤う。
「フフフゥ…なかなかいい状況だわァ…♪」
それでこそやり甲斐があるとでも言わんばかりに。
マキナも背後へと周り込みながら、攻撃を続けていた。
(この警戒心…並大抵のものではないですね)
バルシークの死角に対する反応の良さは、恐ろしいとさえ感じる。
まるで背に目が付いているのかの如く、気配を察知しぎりぎりの所で致命傷を避ける。
その反応速度は徐々に上がってきているようにも見え。
微かに、嫌な予感が彼女の中をすり抜ける。
――ですが、今は……。
ただ愚直に攻めるのみ。マキナはその手に込めたアウルを、ひたすらに叩き込む。
激しい打ち合いが続く中、実験棟の上にいた篝の目に研究所から姿を現した奇襲班の姿が映る。
(来た……!)
一瞬鈴音に視線を送ると、彼女も勘付いたのだろう。けれど敢えて表情に出すことは無く、銀羊への攻撃の手を緩めることは無い。
「まとめて焼き払ってやる!六道赤龍覇!!」
ずきりと返ってくる痛みもそのままに。
後方へ意識を向けないよう、わざと派手に振る舞い続ける。
そしてその数秒後、遥久と愁也の胸元で微かな振動が伝わる。
携帯のバイブだと気付いた二人の顔に、僅かに緊張が走る。けれどそれは激戦の中では些細なもので、そのことに気付いた者はいないだろう。
「くっ……!」
全身が痺れるほどの衝撃。受け止めた遥久は微かに顔をゆがめながら、じりじりと後退を始める。
(あくまで自然に。気付かれるわけにはいかない)
自身の受けたダメージ量は、すでにかなりのものになっている。奇襲班が到着するのが先か、自分が力尽きるのが先か、焦燥を振り払うようにその目は静かで。
――信じると決めた。ならばそこに迷いなど無い。
だから顔を上げ続ける。
それはこちらを目指す友と仲間への信頼。
バルシーク班が後退を開始したのを確認し、サーバント班も行動を開始。
良助は銀羊攻撃への位置取りをする振りをして、プール側へと移動。手近な羊へ銃弾を撃ち込みながら、その時を待つ。
篝と鈴音はあくまで銀羊殲滅を優先させながらも、余力を挟撃に回せるよう位置取りに気を付け。
「はっ…どうやら手前が前回の雑魚と違うのはよくわかった」
強烈な斬撃を受けた英雄が、喉に溢れる血を吐き捨てる。
「生半可な覚悟で手前は止められねェ。俺も腹を括ろうじゃねえか」
ひたすらその手に、魔具にアウルを注ぎ込むように。
「いいだろう! 手前の視線を釘付けにしてやるぜ!」
英雄や望の挑発的言動で大天使の気を引きつつ、プール近くへと戦線を動かすことに成功。
愁也が遥久と一瞬視線を交わし、にやりと笑ってみせる。遥久もわずかにプールを気に掛けるようにけれど決してわざとらしさが出ないように振る舞いながら。
(何かを企んでいそうな表情は得意でしてね)
対するバルシークは微かに瞳を細め反応を見せるが、表情からは何も読み取れない。
「ここを通りたければ僕達全員を倒すことだね!」
プール北東側に下がった良助は、挑発的に声を掛けながら天使の様子に細心の注意を払う。
(大丈夫…気付かれては無い)
彼が奇襲班が来る方向を気に掛ける素振りは全く無い。
(もう少しだ…後もう少し…)
「あはァ、じゃあそろそろ本気出させてもらおうかしらァ!」
後方からプール側に移動した黒百合が、大鎌で猛攻を始めながら話しかける。
「どうかしらァ、今度どこかで御茶でも一杯飲まないィ?」
「何?」
攻撃を受け止めながら互いに距離を取る。
「貴方ほどの武人なら武勇伝の一つや二つはあるでしょォ?興味津々なのよォ…♪」
突然のナンパ宣言に面食らった様子のバルシークは少しおかしそうに。
「なるほど、悪くない誘いだ。だが敵対する者へ武勇伝を語るほど、私も傲慢では無いのでな」
「…むゥ、可憐な乙女の誘いを断るとはもう少し乙女心を理解したらどうかしらァ…」
わざとらしくふくれてみせる黒百合に笑いながら。
「乙女の誘いであるなら尚更受けられん」
「ふゥん…見た目通りお堅いのねェ♪」
直後、リョウが攻撃と同時に霞を生じさせる。
(これで思うように視界が効かないだろう)
霞に溶け込むように、けれど敢えて放つ殺気は消し去らず。槍を手にバルシークへと躊躇無く向かう。
「己が矜持と心にかけて、世界に抗する覚悟があるのか? 『蒼閃霆公』バルシークにこの一撃で問う!」
まさに今が好機。
正面側にいた愁也達の目に、奇襲班のサインが見える。
――今から行く。
目線での合図にこちらも構える。
狙うは両班同時の一斉攻撃。
奇襲班が迫ろうとしたその時、バルシークが僅かに動いた。
攻撃を阻止しようと数名が背面へと回り込む。それを見た愁也が慌てたように。
(おい、そっちは…!)
そこからは、スローモーションのようだった。
反射的に後方へと視線を向けたバルシークは、その向こうで駆け上がってくる奇襲班の姿を目にする。
良助が猛射撃を行い愁也や遥久が阻止するより早く、その長剣が掲げられ――
閃光が南方一帯を飲み込んだ。
●
誰も、言葉が出なかった。
バルシークの前で跪く撃退士達。
雷花の直撃を受けた奇襲班に、バルシークは低く声を掛ける。
「お前達の動きは悪くなかった、とだけ言っておこう」
纏まって動かざるを得なかった彼らは、半分近くが稲妻に飲み込まれ深傷を負っている。
そして呆然となる迎撃班に視線を戻し、淡々と言い放った。
「私も甘く見られたものだな」
――失敗した。
この瞬間、ようやく彼らは悟った。
自分たちはこの男を『正面から引きつける』のが任務だった。その前提を正しく理解できていなかったことに。
もちろん、理解できていた者もいたのだろう。
しかし正面引きつけを行う人数に比べて、常時背面にまわる人数が多すぎた。
元より隙の無い歴戦の相手に背面から攻撃を続ければ、後ろを常に警戒しろと言っているようなもので。
「潔く正面で迎え撃てば、私が負けていたかもしれない……が」
避けきれず受けたダメージは決して軽いものではないだけに。
蒼の雷霆はロングソードでかつんと地を小突くと、微かに笑んだ。
「残念だったな、撃退士よ」
「追撃を! まだ戦いは終わっていません」
盾を手に走る遥久に愁也も呆然としているメンバーに檄を飛ばす。
「とにかく今はやれることをやらねえと!」
彼らが追いつくより早く、バルシークは西研究棟の方へ動き出す。
(くそっここからじゃ届かねえ…!)
バルシークの狙いは西棟側に立つメンバー。
「くっ…ここから先はいかせん!」
立ちはだかる望の攻撃を受けきった大天使は、お返しとばかりに強烈な刃を振るう。斬撃は肺にまで達し、しびれと激痛が全身を貫く。
「……っ」
溢れ出る血で息がうまく出来ない。視界が紅く染まる中、望の意識はそこで途切れる。
次なる狙いはすぐ近くにいたマキナ。
連続行動で彼女の側面に回ると、凄まじい勢いで薙ぎ払う。
「マキナさん!」
直撃を受け、その小柄な身体から鮮血のしぶきが上がる。雷花で深傷を負った彼女に、この攻撃を受けきる余力は無かった。
一瞬で血の海に沈んだ二人を見て、良助は感じ取っていた。
(それなりに負傷を与えているけど、バルシークにはまだまだ余裕がある…)
対して自分たちは、引きつけの時間を含め既にかなりの消耗をしている。奇襲班の戦力が追加されていなければ、即撤退をしなければならない程に。
確信に近い予感に、銃を握る手が微かに震える。
――ここからは、死闘の始まりだ。
「こうなったら、意地でも止めるしかありません!」
鈴音が渾身の炎を撃ち放ち、黒百合の鎌が白銀の鎧を削り取る。遥久と愁也が攻撃を受け止めれば、英雄が巨大な戦鎚を振るいリョウが高速の一撃を繰り出す。
しかし大天使の勢いは未だ衰えることを知らない。
「何てタフなんだよ…!」
篝が地を蹴りながら、刀へと持ち換える。
(自分が実力不足なのは分かってる…けれど)
リスクを負わなければ、仲間の命が危ういと言うのなら。
「やってやるよ…あの時とは違うんだ!」
無力だった頃の自分のままではいたくない。だから、無謀だとわかっていても天使へと向かう。
たった一撃でいい。
全てを賭け、刃を振るう。
全員でのまさに身を削る猛攻撃。
確実にダメージは蓄積されているはずなのに、それでも瑠璃の瞳から光が消えることは無く。
繰り出される強圧の攻撃に、一人また一人と血の海に沈んでいく。
――お前にも守りたいものがあるだろう? 長たる者よ。
篝と共に蒼の斬撃を浴びたリョウは、薄れ行く意識の中唐突に理解していた。
(ああ、そうだ)
自分たちは任務のために命を賭けてきている。仲間の為なら、なりふり構わないと思えるほどに。
でもそれは――
この騎士も、同じだったのだ。
「……なぜ、諦めない」
攻撃を受け止め続ける遥久に、バルシークは問う。
「今ここで諦めれば、その代償は必ず先へと向かいますから。それに――」
痛みで意識が飛びそうになりながらも、遥久は顔を上げ続ける。
「全員連れ帰るのが私の誓いです。置いて逃げるつもりなど毛頭ありません」
生きている限り、必ず全員連れて帰る。背負う誓いは己のため、そして今ここにいる友のために。
聞いた天使は愚問だったな、と言わんばかりに頷いて。
「お前の誓いは見事なものだ。だがしかし、私も譲るつもりは無いのでな」
身を賭して赴いた同じ騎士団員の為にも――
己の使命に躊躇はしない。
立ちはだかる全てを薙ぎ払ったバルシークは、撃退士の包囲網を突破し霊査実験室へ猛然と突き進む。
正方形の建物を射程圏内に収めたとき、身につけた外套を脱ぎ捨て。
「撃退士よ、よく覚えておくがいい」
蒼の剣閃が宙を舞う。
振り抜く刃は、迷い無き渾身の決定打。
「これが、敗北するということだ」
崩壊の雷撃が、全てを粉々に打ち砕いた。
●
飛び散るガラス破片と、半壊した霊査室の壁。
止まない悲鳴と飛び散った血糊に、バルシークは内心で呟く。
(来るとわかっていて残っているとは…よほどの事情があったと見える)
まさに、命懸けで。
攻撃に巻き込まれた研究員の姿が、半ば冗談かのように撃退士達の脳裏に焼きつけられていく。
「何てことなの…」
膝を付いた鈴音が、悔しさと怒りで打ち震える。その後方では血まみれの黒百合が無言のまま金色の瞳を細め。
まともに意識があるのは、既に数えるほど。後は全て血の海の中、瀕死の状態に陥っている。
彼女達も既に生命力が尽きかけている。けれど受けた傷の痛みより、突き付けられた現実の痛みの方が遥かに上で。
良助がぎりっと歯がみしながら。
「……撤退を選べば、恐らくあの天使は見逃してはくれるだろうね」
逃げる自分たちを追撃するようなことはしないだろう。
「けれどさ…このままで…っ」
詰まる声には涙が滲む。
「終わっていいわけないだろ? 犠牲者に何て言えばいいんだ!」
その時、前方から微かに声が聞こえてくる。
「ふ…ざけんな……」
気絶を免れていた愁也だった。
壊れた霊査室へ入ろうとするバルシークの足に、ワイヤーを飛ばす。
振り返った天使の目には、足にすがりつこうとする姿があって。
「…俺は絶対諦めねえぞ…!」
血だまりの中から、英雄もゆらりと立ち上がり。
「…やられっぱなしで逃げるのは趣味じゃ無いんでな」
瀕死の状態で尚も追いすがろうとする姿に、バルシークは静かに口を開く。
「死にたいのか」
阿修羅二人はただ笑みで返す。
その瞳に宿るのは、限界を超えた修羅の炎。
後悔するくらいなら、踏みにじられた方がマシ。
見捨てるくらいなら、投げ捨てられた方がマシ。
向かいで立ち上がった、同じ意志を宿す仲間と視線を交わし。
諦めるくらいなら。
愁也が地を蹴り、大天使へと突撃する。
「俺はまだ死んじゃいねえぞバルシーク! 四の五の言わず向かって来いよクソ野郎!」
痛覚の全てをシャットアウトし全身血まみれで駆ける阿修羅。
彼らの姿を見たバルシークの目が、わずかに見開かれる。
鬼だ。
狂奔の闘神に取り憑かれた、鬼の化身。
その身どころか魂さえも削り捨てるその激甚に、一瞬気圧されそうになる。
「僕らも援護を! 絶対に彼らを死なせちゃ駄目だ!」
良助が牽制射撃を放ち、鈴音と黒百合も援護攻撃を開始する。
「――その若さで、大した気概だ」
語る口調はどこか感慨深げでさえあって。流れる血もそのままに、白銀の剣を大きく掲げる。
「お前達に敬意を表して、私も全力でお相手しよう」
つんざくようなスパーク音。全身のオーラが凝縮されていくのを見て、愁也は思う。
(…遥久悪い。ちょっと約束守れ無いかもしれねえ)
全員で帰ると誓った。
その気持ちに嘘はない。けれど。
英雄も迫り来る脅威に微動だにせずに。
「はっ。売った喧嘩の落とし前は付けてやるよ…!」
とうの昔に腹は括った。
どちらか選べと言うのなら、迷うつもりなどさらさら無く。
閃光が視界を覆う。
稲妻が襲いかかる直前、愁也の前に飛び出てくる影。
「馬鹿お前!」
庇い立つ遥久に思わず怒鳴る。
もう立ち上がる力など残っていなかったはず。ましてやこの状態で攻撃を受けるなど、死んでもおかしくは無い。
「言っただろう。お前は死なせないと」
そう言って、友は微かに笑んだだろうか。
蒼い閃光が、視界の全てを覆い尽くした。
※※
突然、遙か後方から降ってくる声。
「バルシーク様大変です! フロスヒルデが輸送中に奪われました!」
我が耳を疑う言葉に、霊査室から出てきたバルシークは思わず顔を上げる。
そこには、血相を抱えた従士がこちらへ向かってくるのが見え。
「どういうことだ」
「詳しいことはまだ…! オグン団長からは、ゴライアス様と共に盾奪還へ向かうようとのご伝達です」
従士の言葉に眉をひそめる。そもそもいつの間に盾輸送など行っていたのか。困惑する彼はそれでも、表情に出すことは無く。
「……まあいい、雫は手に入れたことだ。すぐに戻ると伝えてくれ。事情は向かう途中で報告してくれればいい」
そして撃退士の方へと視線を戻すと、端的に告げる。
「では私はここで失礼しよう」
飛び去ろうとする背に、かけられる声。
「待てよ…逃げるのか……」
その言葉に僅かに反応を見せたものの。蒼の雷霆はそれ以上何も言うことは無かった。
脅威が去った時、こちらのメンバーでまともに意識が残っていたのは三人だけであった。
死活を使っていた阿修羅達は、終わったと同時にその反動を受け意識を失う。
良助が攻撃と同時に放った渾身の回避射撃と遥久が身を呈して庇ったことにより、二人はぎりぎりの所で命を繋いでいた。
なお、バルシークが奪った雫は予め用意されたダミーであった。
それを疑問を無く持ち去ったのは、撃退士達が命懸けで守ろうとしたからこそだろう。
彼らが時間を稼いだことで本物の雫は奪われず、何とか動ける鈴音や黒百合が懸命の救出作業を行ったことにより被害は最小限にとどまったと言える。
しかしそれでも助けられなかった研究員がいたことは、痛切の極みで。
報告を受けた太珀は、眉根を寄せる表情はそのままにただ一言だけ、告げた。
「得たものと、喪ったものを忘れるな」
次に必ず活かすために。
――意識を失う寸前。
愁也が最後に見た景色は、涙で歪んだ悔敗の赤だった。