一般人の佐藤と、撃退士・大河内が猿のディアボロに襲われたことにより、警察が久遠ヶ原学園へとディアボロ討伐の依頼を出した翌日。
依頼を受けた陽波透次(
ja0280)は、まだ明るい時間から問題の公園へと足を運んでいた。
「……こんな感じでしょうか」
陽波はかすかに滲んだ額の汗を軽く袖で拭う。彼の足元には2メートル四方のブルーシートが敷かれていた。
一見すれば、ピクニックにも見えなくはないが――それは、とある作戦によるものだった。
「あとは土をかぶせるだけですね。葉っぱなんかも乗せてみます?」
同じように間隔を置いてビニールシートを設置していた六道鈴音(
ja4192)が、純日本的な長い黒髪をさらりと揺らしながら陽波に訊ねた。大きな瞳には微かな好奇心が宿っている。
線の細い陽波は、似合わない軍手で近くの土をかき集めながら小さく首を振る。
「なるべく違和感が少ないほうがいいかも……敵は闇に強い目を持っているかもしれませんし――と言っても、昼ではバレバレですが」
「それを逆手にとっての作戦だけど……見られてなければもっと好都合ですよね」
六道が周囲を気にしていると――。
「だーいじょうぶじゃ! たとえ作戦が通じなくとも、粗野な獣魔なぞ、金竜姫であるわしが一掃してやるのじゃよ――わっはっは!」
突然、空から舞い降りてきたラヴ・イズ・オール(
jb2797)に、陽波と六道が肩をビクつかせる。
眩い金髪に赤い瞳が印象的なラヴだが、喋るとなんとも残念な悪魔人である。
「だが、被害者の佐藤とやらはどこにいるのかのう」
「明るいうちに探したほうがいいですよね」
きょろきょろと辺りを見回すラヴに六道が言うと、
「――まあ!」
公園奥の東側にある木陰から、女性の声が聞こえ、三人はいっせいにそちらへと視線を向けた。
見れば、マシュマロのような雰囲気の狐耳天使、ルフィーリア・ローレンツ(
jb4106)が驚いた顔をして立っている。
「あれ……ルフィーリアさん、罠作りには参加しないんじゃ……?」
六道が訊ねると、ルフィーリアは気まずさを払うように小さく咳払いをする。
実は早くから公園の視察を行っていたルフィーリアだが、あとから陽波達が来た際、なんとなく隠れて以来、出るに出られなくなってしまったのである。
「ちょっと作戦位置の確認に来ましたの。――それよりも、あれを見てください」
ルフィーリアが白い指で鬱蒼とした低木の陰を指し示すと、六道がその場所に駆け寄り、陽波とラヴもそれに続いた。
見れば、低木に囲まれた土の上には、血色の悪い佐藤少年の顔面が。
パッと見、人面が落ちているようにも見えるそれに、一同息をのむ。
どうやら、佐藤少年の顔から下が埋められているようだった。
「なんて趣味の悪い所業じゃ! チュパカブラのような吸血行為といい、お猿を作った悪魔の美意識を疑うのじゃ!」
「とにかく早く掘り起こさないと……」
憤慨するラヴの傍ら、陽波は持参したスコップでまず少年の周囲にある土を慎重に掘り起こす。そして周囲が柔らかくなったところで、皆で土をどけつつ佐藤少年を地面から引きあげた。
「ひどい状態ですわね。早急に救急車を呼ぶべきかと」
あまりに顔色の悪い少年を見て、苦い顔をするルフィーリア。
「そうですね。でもこれでリスクが一つ減りました。あとのことは、長田寺さんと長幡さんに任せましょう」
携帯を手にした陽波が静かに言うと、他の者達は無言で頷いた。
***
静かな夜のとばりに包まれた深夜。
公園の奥にある高木の幹から、まるで幽霊のようにふわりと抜け出た動物が二匹。
小さな猿達は地上に降りるなり、欠伸を噛みしめて周囲をキョロキョロと見回していた。小さな足で真っ直ぐに立つその姿は、まるで人間の子供のようだ。
「ウキキッ!」
目覚めたばかりの猿達はしばらく周囲を散策していたが――突然、驚いたように甲高い声をあげる。
何か大切なものが無いらしく、彼らはその『何か』を探しめる。だが猿達がいくら探しても目的のものは見つからず、二匹は腹立ち紛れに仲たがいを始めた。
引っ掻いたり噛みつきあったりする猿達。
――ふいに、公園の出入り口付近から人の話し声が聞こえ、二匹は慌てて近くの茂みに隠れる。
「キ?」
「ウキキ?」
丸顔の猿と面長の猿が声を潜めて見守る中、明かりを手にした人間が二人、公園に足を踏み入れたのだった。
「いや〜、予想以上の暗さですね、長田寺さん」
長身痩躯の少年――長幡陽悠(
jb1350)は、ペンライトを軽く振りながら隣を歩く長身の青年、長田寺匠(
jb4532)にさりげなく話しかける。
近隣住民がほとんど移動した上、電灯すら機能していない公園では、懐中電灯の明かりさえ闇に吸い込まれる。長幡のペンライトでは、足元すらまともに見えず――代わりに、長田寺が懐中電灯で足元を照らしていた。
「そうですね。これだけ暗いと、なんだか不気味ですね――おお、怖い」
長田寺はそう言って大げさに身震いする。
二人はゆっくりとした歩調で公園の中心にまでやってくると、軽く周囲を一瞥した。
ちらりと目に入った光で、味方が潜む位置を確認した長幡は、滑り台に寄り掛かりながら、さりげなくポケットから携帯音楽プレーヤーを取り出した。
「恐怖を吹き飛ばすために、これでもかけましょうか」
「おお、いいですね」
長幡は携帯音楽プレーヤーのスイッチをオンにするが――。
『うちのかあちゃんの頭、ごっつうデカイと思てたら、なんやいつの間にか爆発パンチパーマにしててなぁ――』
『それアフロちゃうん? パンチパーマ爆発させても膨らまんやろ、むしろなくなるんとちゃうか』
音楽プレーヤーから流れてきたのは、なぜか音楽ではなかった。プレーヤーの中には、今回任務にあたる人達にそれぞれ好きな楽曲を入れてもらっていたはずなのだが……。
「こ、これ……なんでしょう……。順番的に、長田寺さんですか?」
「ああ、それは私が入れた、某売れてない漫才師のCDです」
そう答えた長田寺の眼鏡が光る。
「……なんでわざわざ売れてない漫才師なんですか?」
「コメディアンの勉強には、良い面だけでなく悪い面も知るべきかと」
「……はあ」
『爆発パーマにしてから、かあちゃんの体積二倍やで? 長椅子が入らんようなったわ』
『お前のかあちゃんの元の体積が気になるわ!』
先の見えない漫才で凍りつく公園の空気。だが騒がしさが功を奏したのか、かすかに猿の声らしきものが聞こえてくる。
じわじわと忍び寄る敵の存在に気づかないフリをしつつ、長幡は音楽プレーヤーの音量をあげる。
最初はあっさり食いついてきた猿達だが、一定の距離を保ったまま近づく気配がない。
「トラップまであと少しですが……やはり警戒しているみたいですね。このまま釣り野伏作戦に持っていきますか」
敵に背中を向けたまま、長田寺が小声で言うと――ふいに、遊具の向こう側で、ブブブ……と何かが震える音がする。
猿達だけでなく、長幡と長田寺も一瞬ひるむが、良く見れば地面を削るような振動音は、携帯によるものだった。液晶の点灯とともに震えだした二台の携帯。
それぞれ、着信ナンバーを示しながら、小刻みに震え続けている。
すると、最初は驚いていた猿達も、徐々に好奇心を刺激されたのか、生物のように動くそれに近づきはじめる。
そして猿達が携帯に触れようとした寸前――地面が重い音を立てて崩れ落ちる。
「あっさり罠にかかりました! タッチダウン、長幡さん、今です!」
長田寺の声を合図に、長幡が阻霊符を発動すると、罠付近を囲むようにして木陰で待機していた四人の撃退士達も、一斉に行動を起こした。
「やっと出番ね! 待ちくたびれたわよっ!」
六道が待っていましたと言わんばかりに飛び出し、
「意外と単純ですわね。所詮はおサルさん……と、言うところでしょうか?」
ルフィーリアも飛ぶようにして駆けつける。
そんな中、真っ先に敵へと接近した陽波は、目くらましにフラッシュライトの煌々とした光を猿に向けた。
罠に落ちた猿達がさらに混乱するのを見て、陽波は細い糸を素早く引き伸ばし、その先を猿に向けて飛ばした。
陽波が放った透明な糸は、丸顔の猿の体に絡みつき、ギリギリと食い込む。
「皆の者、今のうちに攻撃じゃ! ――おサルども、『タスケテ』と叫んだところで『タスケナイ』のじゃぞ!」
腰にランタンを下げたラヴが叫ぶと、撃退士達はさらに隙間を詰めて猿の周囲を固めた。
「ストレイシオン」
屈んで阻霊符を押さえていた長幡が呟く。
すると次の瞬間、彼の斜め後ろに幼体の召喚獣がふわりと現れる。長幡に頭を寄せてくるストレイシオンに、主はそっと言いつける。
「よろしくな……皆を全力で守ってくれ」
そう告げた瞬間、その場にいる全ての撃退士達が蒼い光のベールに包まれる。
――輝く燐光は防御の証。
「助かります!」
長幡の手回しに、六道は嬉々として声をあげる――が。
ほんの少し長幡に注意を向けた六道に、糸の拘束を力づくで解いた猿が襲いかかる。
面長の猿はビニールや土に足をとられながらも、鋭く伸びた爪で六道の足を狙い――引っ掻く。
「ちょっと、地味に痛いじゃないのよ! 喰らえ、六道鬼雷刃!!」
不意打ちを受け、お返しと言わんばかりに、六道は強烈な雷撃を面長の猿に向けて放った。
いまだ動けない猿を見て、間髪入れず、ルフィーリアが指輪をはめた五本の指を前に差し出す。
「悪戯がすぎましてよ?」
ルフィーリアの周囲に浮かびあがった五つの桃色の光玉――それはいっせいに目下の敵を襲撃した。
優しい色ながらも強力な魔法攻撃を食らった面長の猿。最後の余力すら奪われた猿は、断末魔の叫びとともに倒れ、二度と動くことはなかった。
一方、片割れである丸顔の猿に、真っ先に攻撃を仕掛けたのはラヴだった。
跳躍したラヴは、勢いをつけて得意の薙刀を振り下ろす。
鮮烈な一撃に声をあげる猿を見て、連撃を目論む長田寺――彼は長槍で突くようにして攻撃するが。
猿は狭い中でも長槍を上手くかわし、そしてするりと罠を抜け出してしまう。
長田寺が舌打ちする中、陽波が目を細め、五本の指間に黒い棒状の手裏剣を出現させる。
「逃がしません」
陽波が素早く放った手裏剣は、罠を抜け出した猿の背中に突き刺さる。
猿が悲鳴とともに再び足を止める。
「このわしから逃げられると思うでないぞ!」
手で銃のように構えたラヴの指先から、見えないアウルの弾丸が放たれる。
しかし、猿にはかろうじて当たらず――再び逃亡を始めた敵の前に、すかさず長幡が回り込み、刀を構える。
蒼炎を纏った刀で斬りつけられた猿は化け物じみた咆哮をあげ、よろめく。
それでもさすがはディアボロ。生命力をほとんど削られていながらも、逃亡をあきらめてはいない。
六道は口早に詠唱する。彼女の周囲から現れた複数の手。それはどこまでも伸びて、猿をがっちりと押さえこみ――続けざま、ルフィーリアも鈍色のワイヤーを放つ。細いワイヤーが猿の体をギリギリと縛り上げるが、それでもなお、猿は叫びながら抵抗し――。
最後、動けなくなった猿に止めを刺したのは、長田寺の長槍だった。
***
「これで任務は完了ですわね」
ルフィーリアが柔らかい髪を整えながらほっと息を吐く。
ディアボロ二匹の討伐を終えた撃退士達は、一通り事後処理を済ませて、帰還しようとしているところだった。
「あとは帰る前に少し、佐藤さんの様子を見に行きませんか?」
すっかり仕事モードの解けた長幡が、そんな風に提案すると――ふいに、カサカサッと木の茂みで何かが動く音がする。
異変を察知した陽波は、すぐさま近くの茂みに向かって細い糸を投げつけるが……。
「わあッ! あいたたたたたッ」
同じく戦闘態勢に入ったラヴが飛翔し、公園の片隅に近づいてみれば、そこにはパジャマ姿の青年が。
深夜の、しかも立ち入り禁止区域と化している公園で人の姿を確認した一同は、皆ぎょっとして顔を見合わせる。
「あの……あなたは?」
六道が訊ねると、青年は涙混じりに訴える。
「痛い痛い! とにかくこれを外してくれ!」
相手が敵ではないと知り、陽波はゼルクの糸を解く。
「こぉんな夜中に、何をしとるのじゃ、おぬしは」
拘束がなくなり、ほっとする青年だが、ラヴに間近で問い詰められ、気まずそうに俯く。
「……わ、私は……大河内と言うが……」
「あら、大河内さんと言えば、ここでディアボロの被害にあった撃退士さんですの? どうしてまた現場に? しかもそんな格好で――」
「君はもしかして、病院から抜け出してきたのではありませんか……?」
ルフィーリアの問いに続けて長田寺が言うと、他の撃退士達もハッとして大河内を凝視した。
大河内はぎこちなく頷く。
「……ああ。どうしても、佐藤――ディアボロに捕まった後輩の身が気になって……」
「気持ちはわかるけど……あなたも怪我人でしょう?」
陽波が指摘するも、大河内は首を振る。
「私のことはもうどうでもいいんだ。だが佐藤の身にもしものことがあれば――私は撃退士を辞めるだけでは済まない。どうやって罪を償えばいいのか……」
土で汚れることも厭わず膝をつく大河内を見て、長幡はそっと声をかける。
「大丈夫、佐藤さんは無事ですよ。それに、あなたが撃退士を辞めることを、本当に佐藤さんは望んでいるのでしょうか」
「…………佐藤は……望まないと言うのか? こんな私が撃退士でいても良いと?」
大河内が頼りなげな顔で見あげると、長幡は頷く。
「ええ、佐藤さんはずっとあなたのことを応援していると思います。だから、佐藤さんに申し訳ないと思うなら、辞めてしまうよりも、あなたがこの先頑張って活躍するほうがずっといいと思いますよ」
「そうそう! 佐藤さんはあなたの活躍を待っているんだから、一度の失敗くらいで立ち止まってちゃ駄目ですよ!」
言って、六道が励ますように背中を叩くと――大河内は情けない顔を見せまいとするように、掌で顔を覆った。
「……本当に……私は……この先、撃退士でいてもいいのか……?」
嗚咽を噛みしめる大河内。そんな彼を見て、陽波、六道、ラヴ、リフィーリアはそれぞれ――昼間、佐藤少年を救出した時のことを思い出す。
『……兄ちゃん、頑張れ……兄ちゃん……負ける、な……』
救急車で搬送される直前、弱りきった少年がうわごとのように繰り返していた言葉。
それは、大河内を今も信頼し続けている証だった。