向坂 玲治(
ja6214)、ファーフナー(
jb7826)、タイトルコール(
jc1034)の三人は今、鮎の動物塾「愛」に居た。
とりあえず熊の警戒心を解く為だということで、三人は鮎の持っていた地味目な色のコートを貸してもらうことになったのだが
「すまん、儂のじゃ少し小さかったようじゃな。我慢してくれんか」
全員が全員、体のサイズが大きいだけに、腰の曲がった老人のコートは、着れないことは無いものの少しキツそうだった。
時刻は早朝の六時。向坂とファーフナーは眠そうに眼を少ししょぼしょぼさせているが、それとは対照的にタイトルコールは鮎に進んで接していっていた。ニコニコと一歩も引かない鮎はすごいなー、と眠そうな二人の頭の中には、そんな台詞が棒読みで再生される。
何を彼らは談笑してるのだろうか。
ファーフナーは呆れたように一つ溜め息を吐き、鮎に質問を投げる。
「ゴホン、えっと、鮎氏。熊は賢いという話を聞いたが、例えば俺達が鮎さんの関係者だと分かるようなものを見せれば、こちらの言うことをある程度聞いてくれるようにはならないですかね?思い出のある『罠道具』でもよろしいですが」
「んー、無いことは無いが、恐らく無駄じゃ」
訝しげに唸りながら、鮎は話を続けた。
「儂以外の人間が儂の『罠』を見せたら、アイツは増々警戒心を強めるじゃろうて。かといって儂本人が見せても、今から遊びが始まるんだとか勘違いして一目散に姿を隠しそうなやつじゃしの。そのコートだけでちょうどいい」
不意に向坂の携帯が揺れる。どうやら先に山の方に向かっていた三人からだった。
「タイトルコールさん、ファーフナーさん。皆目的地に着いたみたいです、今のところ捜索隊はいないらしいから早めに熊の捕獲に向かってほしいって」
向坂の指示に二人は頷く。
「じゃあ、皆さんお気をつけて」
どこか悲痛な雰囲気の漂う鮎の姿を見て、三人は「任せて下さい」と返した。
●
向坂達三人は目的地に着くと、早速熊の捜索へと向かって行く。
残された三人。ジョン・ドゥ(
jb9083)、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)、狩野 峰雪(
ja0345)は各々の果たすべき役割について、地図を片手に話し合っていた。
海外の捜索隊がこちらに向かっているという連絡は、鮎が事前に知らせてくれるとのことらしい。
「ジョンさんとエイルズレトラさんは捜索隊の包囲網を崩すために、錯乱を目的として動くということでしたね」
峰雪が地図に指をつける。
真っ直ぐ塾まで向かえる北方向の道で、行動を起こすのは峰雪。そしてその北方向を手薄にするため、ジョンとエイルズレトラが西と東で混乱を起こすという手筈だ。
『──マステリオさん』
予め向坂が全員に配っておいた通信機に、その向坂から連絡が入った。
「どうしましたか?」
『どうやら既にこちらへ捜索隊が向っているようです。総数はよく分かりませんが、準備に入って下さい』
「わかりました」
最低限の情報を交わし、通信を切った。
まだ熊を見つけることは出来てないらしい。しかし、時間は待ってはくれない。三人が一斉に各々の準備に動き出した。
●
腕時計は午前の8時を回りそうだ。
(──タイトルコールさん、ファーフナーさん。どうやら俺が当たりを引いてしまったみたいです。それも、なんか大当たりみたいで……)
熊の寝床である山の頂上の大木へと足を進めていた向坂は、草薮に隠れ、遠くから目標地の様子を伺っている。
通信機の向こう側では、例の二人が疑問符を浮かべながらも「わかった、すぐ行く」と返してくれた。
大当たり、その意味を二人が知るのは向坂と合流してからのことになる。
熊は基本的には群れない、一匹で餌を探し求めて山々を放浪するのだ。複数で行動することがあるとすれば、親子連れの場合が多い。
合流した三人。向坂達の見つめる先には巨大な熊が三匹。全ての熊たちの体は確かに大きいが、鮎の指している熊は一目見ただけで分かった。
巨大な二匹の熊たちをまた一回り上回る大きさ。
「きっとあの熊ちゃんね、あれは親子連れなのかしら」
「生態的にはそうだろうな、行くぞ」
ファーフナーの合図もあり三人は直ちに動く。向坂は進むべき通路上の確認、タイトルコールは後方確認の為、所定の位置に着く。熊と直接交渉をするのはファーフナーだ。
焦らず急がず、ファーフナーは自分が丸腰であることを示すように両手を上げながら、ゆっくりと熊たちの方へと歩き出す。
まるで来るのが分かっていたかのように、例の熊は確かめる様にこちらへ目を向けている。撃退士であるその身体能力に熊如きが敵うわけないと分かってはいるが、ファーフナーはその背筋に緊張感を感じずにはいられなかった。
子供であろう二匹の熊は明らかにこちらに威嚇を見せて来るが、決して襲い掛かろうとはしない。
(試されているのか)
下手に動けば逃げられる。直感的にそのことが分かった。
「鮎さんが君を呼んでいる。ついてきてくれないか」
しかし、動じない。鮎は分かるとは言っていたものの、そもそも熊が人間の言葉を分かるわけない。
熊は鼻をフンと鳴らし、子供であろう二匹の熊を洞に向かわせた。
「ん?」
その熊達が持ってきたのは数匹の魚、「鮎」だった。
この熊の種は見たところツキノワグマの様で、主食は木の実類。植物傾向の強い雑食だったはずだ。魚をすすんで食べることは無いはず。
(これは、鮎氏の言っていた……)
ファーフナーは足元にドサリと置かれた大きな鮎を、よいしょと肩に担いだ。
アイツが魚の鮎を渡して来たら受け取って礼を言え。それが儂とアイツの勝負の始まりの合図の様なものじゃった。話せばわかる奴だ、下手な事でもしない限りついてきてくれるだろう。
「ありがとう。鮎氏に渡しておくよ」
『───峰雪さん、向坂です。こちらは熊の確保に成功しました、今から北へと向かいます』
●
熊を確保。
短く峰雪はジョンとマステリオにそう告げる。
包囲網は着々と仕上がりつつあった。ミリタリーな軍服を身につけ、手に持っている銃は恐らく強力な麻酔銃。鉄砲ならまだしも、ゾウの意識すら奪うと言われているあの銃に撃退士が撃たれたら、流石に無傷とまではいかないだろう。
『こちら、ジョン・ドゥ。包囲網を確認した』
『マステリオ。僕の方も確認したよ』
「まだ、あまり近づかないで。僕が接触して、いくらか情報が集まってから動いて下さい。動き出すタイミングは任せます」
そのまま通信を切ることなく、峰雪は耳につけている通信機を胸のポッケの方に移す。
流石に捜索隊に接触しているときに不審がられるようなものを身に着けておいてはまずい。しかし、その状況はみんなに伝えなければならない。
故に、通信は切らない。
「今回ばかりは、僕がこの役に適任のようだね」
峰雪は、地元の人しか通らないであろう少し開けた道に出て、通信機にも聞こえないような小声でそう呟いた。
少し汚れたハイキング用の服を身に着け、適度にこんもりさせたリュックを背中に背負う。どこからどう見てもただ山登りに来た一般人だ。これで峰雪が疲弊した表情で歩いているのだから、少なくとも撃退士に見られることはまずないだろう。
峰雪は一昔前まで普通の社会人であった。社会に揉まれ、苦労しているうちに、彼は仮面を被る事を覚えるのだ。
会話の中に嘘を盛り込むことは得意だ。しかし、好きではない。
(でも、僕に出来ることはやらないと)
不意を打たれたかのような顔をして、峰雪は包囲網の前に体を出した。
一斉に向けられる銃口。峰雪はあわあわとしながらその場で両手を上げた。
表情は困惑を作りながら、辺りの状況をゆっくりと伺う。海外から来たと言うだけに、彼らが話すのは英語だ。上手く聞き取ることが出来ない。
「── Wait」
銃口が上を向き、包囲網を分けて一人の若い日本人がこちらへ歩いてくる。年齢を見ると、20代半ばくらいであろうか。
「こ、これは何なんですか?」
「失礼、この山の調査を少しね。見たところによると山登り中か何かですか?はぁ……ここには一般人を立ち入らせない様に、僕は先生に言っておいたはずですが」
いかにも利発そうな顔立ちをした、軍服ではなく白衣を身に着けている若い男性は無表情のまま峰雪に近寄った。
「おじさん、ここに居ると調査の邪魔になります。即刻立ち去って下さい」
「この山を下りてくる途中に、て、天魔を、見かけてっ」
峰雪の仮面が表情や声色を演じ、男性の眉が微かに動く。
「……だったらなおさらだ。日本語の分かる兵士を一人あなたにつけましょう。山を下ったところに一軒の古ぼけた塾がある。そこにとりあえず非難すると良い」
「ありがとうございますっ」
男性が片手を挙げて合図をすると、すぐに一人の迷彩を纏う中年男性が峰雪の隣へと来る。
「ソレデハ、イキマショウ」
彼の促されるままに峰雪はその場を後にした。
「天魔っ……」
男性の殺意の籠ったその声に、峰雪は気づかない。
●
本来の作戦と変わり、ジョンとマステリオは山の中腹で落ち合っていた。
作戦を替える決断をしたのは峰雪の通信機から聞こえてくる情報を聞いた時だ。──北の方には、包囲網を指揮する人間がいる。
加えて銃の臭いや微かな空気の変化を感じ取ったのか、タイトルコール達から熊が動かなくなってしまったとの報告も入った。
最も優先すべきは「熊を見つからないようにさせること」。だが時間はかけてられない。こうなったら少々、強硬手段に出ないと。
「聞こえますか、タイトルコールさん」
『あ、マステリオさん!ほんとに申し訳ないんだけど、熊ちゃんが全然動いてくれなくて、とりあえず今あたしが熊ちゃんの餌場から色々木の実を持って来てるところなの』
「分かりました。峰雪さんからの情報から判断して、進むルートを北から東側へと変えてくれませんか?僕とジョンさんで東側から適度に暴れて、包囲網に無理矢理穴を空けますから、その隙に通って下さい」
『指示に従うわ。何かあったら連絡をちょうだい、先行している向坂さんが加入できると思うから』
「了解です」
通信を切り、二人は少し困ったように微笑んだ。
「適度に暴れるのは俺だけで、マステリオはあくまで俺の援護だったっけか?」
「そうですね。もう西側で、僕は例の熊に変装して引っ掻き回してますから、更にこっちで追い打ちを掛けましょう」
「フッ、撃退士なのに天魔の真似事か、皮肉なもんだな」
「仕方ありませんよ」
そう言ってる割には、どこか冷血な表情を匂わせるマステリオ。
ジョンはあえて何も言わず、ジリジリと迫る包囲網へと目を向ける。百獣の王の頭に、紛れもない天魔の翼。
「始めるぞ」
大きく羽を広げて堂々と包囲網を敷く捜索隊たちを見下ろすジョン。見渡せる限りで確認できる人数は、ざっと七十名程度。
その脅威を十分に知ってるからか、英語を話す彼らにたちまち混乱が広がり始めた。
「俺はあんまり研究者ってやつが好きじゃないんだ、俺の気が変わらないうちに早く消えなよっ」
●
「おー、皆さんよくご無事で!」
ヘトヘトの表情で、向坂、ファーフナー、タイトルコールが巨大な熊を連れ塾まで連れてくることに成功した。
当初の予定より大幅な回り道にはなったが、それでも難なくたどりつくことは出来た。
「大変だったんですよ、鮎さん。ファーフナーさんは大きい魚抱えたまま移動してるし、この熊は途中途中で止まったり別方向に行ったり、そのたびにタイトルコールさんが木の実持ってきてくれたりして。挙句の果てにはどっちが先導しているのか分からず終いでしたよ」
「しかし、無事で何よりじゃ」
「本当にご苦労様でした」
そして塾の「愛」から出てきたのは峰雪。情報を集め終えてからは、皆の情報を整理する役を務めていた。彼の補助が無ければ、ここに来るまでもっと時間がかかっていたであろう。
「それで、あの二人は……?」
「あぁ、彼らなら仕上げでもう少しかかると言っていたよ──っと、噂をすればだ」
ファーフナーは担いでいた魚を一旦地面に下ろし首を解す為に空を見上げたところ、噂の二人が結構な速さで、大きく迂回しながらこっちへ向かってきていた。
「ん?」
しかしどこかおかしい。
ジョンの腕には、もう一人の人間が抱えられている様だ。腕を後ろに縛られている。
そして、その人物を峰雪は知っていた。
「ジョンさん、マステリオさん。どういうことですか?」
「俺は研究者が嫌いだ、今だって思ってる。鮎さんがその熊を殺してしまうんじゃねぇかと」
「僕達が軽く暴れまわっていた時、一人だけ逃げることはせずに、僕達が鮎さんの差し金か何かかと問いかけてきたんだ。もしこの白衣の人と、鮎さんが知り合いの関係だったら、僕達は結構な茶番に付き合わされていることになるからね。連れてきたんだよ」
後ろで腕を縛られたまま、地面に放られた白衣の若い男性は殺気の籠った目で鮎のことを睨みつけていた。
熊も含め、この場の状況が上手く分かっていない全員は思わず口を紡ぐ。
「そうじゃな……こやつは儂の昔の教え子じゃ。皆を混乱させまいと黙っておったんじゃが、申し訳ないことをした」
あの時、この男性が言っていた「先生」とは鮎の事だったのかと、峰雪は記憶を照らし合わせた。
「……先生、邪魔をしないで下さいっ」
押し殺したような悲痛な声。
「僕の昔のことを知っているでしょ……僕にはかつて、撃退士だった愛する人がいた。しかし彼女は天魔によって殺されてしまった。敵を討つのは僕しかいないんですよ、この実験が成功すれば、もっと他の事に応用が出来る!撃退士になるのを望まない人からアウルを提供して貰うことだって、撃退士になることを望む人にアウルを付加させることだって出来る!」
彼の言葉と感情は怒涛のように流れ出す。
「人間だって使徒を使える様になるかもしれない、何であなたは分からない!?」
鮎は熊のもとへ歩き、その大きな頭をガシガシと撫でた。心なしか熊も気持ちよさそうだ。
そして相変わらずそのしわ枯れた声で口を開く。
「研究者は自分が正しいと思ってはならない、生き物の生態を調べる我々なら尚更じゃ。そして、コイツは儂の友達じゃ。お前の論文に儂はコイツと二人で反論を出し続けてやる、儂らを超えられない事には、世界を変えることなんて出来んぞ」
ジョンは何も言わず男性の縄を解いた。
熊はファーフナーの足元に置かれている大きな「鮎」を咥えて、それを男性の目の前に差し出す。
「受け取ると良い。これは、勝負じゃ。お前が完璧な論文を書き上げるまで儂らがお前の壁となろう」
「先生、あなたはいつまで経っても子供の様な方だ」
男性は袖で自分の目を擦り、鮎と同じく子供の様に微笑んだ。