水溜りを大きく飛ばし、道路を数台の車が全力で走っている。普通ならば規制ものなのだが、事態が事態だ、一刻を争う。
「すいません、少し考えれば分かった様な事なのに、まんまと敵の思惑に………」
「いえ、皆様が居なければ自分達は何も出来ずにいたところです。現に、今もこうして戦力になっていないのですから………それよりも今は、急ぎましょう」
複数台の車は、町の方に現れた複数のディアボロの被害に遭った人達を救護する為に現地に出向いた、杠家専属の撃退士達の物であった。
彼らは全員負傷中で戦力になれない為、久遠ヶ原学園からやってきた撃退士達の援護に徹している。
現在車に乗っているのは、鈴木悠司(
ja0226)とルティス・バルト(
jb7567)の二人。残りの撃退士である四人は自身の翼を用い、最短距離で目的の場所へ向かっていた。
目的の場所。それは、依頼主である杠菊枝の屋敷。
「菊枝様と、リーダー、そして奥さんはこちら側で引き取ります。光源が足りないようでしたら車を一、二台置いていきますので、みなさんどうか、よろしくお願いします」
戦えない歯痒さ、撃退士としての自分の非力さを噛みしめる専属撃退士の男性。
その不安を振り払うかのように、二人は口を揃えて「任せて下さい」と強かに言い放った。
●
時折鳴り響く雷の明かりの中で、巨大な狼が一体と、その上に悠々と座るヴァニタスが一人。
「ふざけんなああぁっ!!」
「アハハハっ」
大声を上げて雨を突っ切り滑空するのは南條 侑(
jb9620)。大振りに投げた彼の大瑠璃翔扇は弧を描くことなく真っ直ぐとヴァニタスの方へと飛んでいくが、彼女の狂気的な笑い声と共に渦巻く風がその軌道を逸らす。
少し遅れてその場にたどりついたロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)、フィーネ・アイオーン(
jb5665)、谷崎結唯(
jb5786)の三人が目撃した惨状は、あまりにも酷いものだった。
ボロボロに砕けた盾が散らばり、一人対抗していた撃退士の物であろうその剣は、刀身が全て無くなっていた。
そして何より、血液と泥にまみれ、四肢の全てがあらぬ方向へ曲がっていながらその場に倒れている撃退士が全員の目に深く刻まれる。声にならない呻き声が聞こえる、生きているというより、あれでは生かされていると表現した方が良い。たった一人で立ち向かい、ろくに対等に立ち回ることも出来ず、嬲られ、そして生かされている。撃退士として、人として、彼の心はすでにズタズタであろう。
その惨状を一部始終見ていたのか、依頼主の菊枝さんは真っ青な顔色でガタガタと震え、その傍らの家政婦はすでにショックで意識が無い。
「フィーネっ!」
「分かっています!!」
ロドルフォに言われるより先に、フィーネは撃退士の元へ駆け寄る。
すでに虫の息。命を繋ぎとめる為には、しっかりとした医療機関が必要だった。自分が出来るのはあくまで応急処置、フィーネの目には涙が滲む。
南條、谷崎、ロドルフォ。三人が敵の前に立ち塞がる。
「あらあら、意外に優秀なのね、もう少しかかるものだと思っていたのに。はぁ………今からあの弱っちいヤツの前でそこの老婆達を殺そうと思っていたのに、良いところで邪魔をしないでほしいわぁ」
吐き気がする、反吐が出そうだ。
この目の前の敵は、まるでゲームでも楽しむ様にあっさりと人の命を奪っている。
暗がりの辺りが一気に明るく人工の光で照らされ、何台もの車の音も鳴り響く。車のライトと、フラッシュライトの白色光だ。
「遅れてすまない」
鋭い殺気を放つ鈴木とルティスが戦線に加わった。
全員の怒りに溢れた殺気を一身に受け、ヴァニタスは幸せそうに体を震わせる。
「………ふふっ、あなた達にこの子を殺すことが出来る?あの老婆に、二度も目の前でご主人を失わせる光景を見せつけることが出来る?それこそ私の理想のストーリーよ、守るべき者達が守るべきものを守るべき時に守れない、私はあなた達にそんな展開を望んでいるの。アハハッ、結局どちらに転んでも───」
「───それは違いますっ!!」
ヴァニタスの声を遮る声。その声は紛れもない、杠菊枝の声だった。
震えながらもその場に立ちあがり、気力を振り絞った叫びに近い訴え。怯える身体とは裏腹に、その瞳は強く真っ直ぐ現実を見据えている。
「それは、違います。もう、私は守られるだけの存在ではありません。いくらその狼が私の主人だとしても、今は違う事くらい百も承知です。そして、あなたが私の命を奪うことが目的なら、私はここから逃げません。撃退士の皆さん、私を存分に囮として使って下さい」
「菊枝様っ!?」
「静かに、あなた達は二人を早く病院に連れて行きなさい。ここで私が逃げることは、撃退士の皆さんに迷惑が掛かります。そうですよね、ヴァニタスさん?」
「貴様ァ………」
「その狼の走力は相当なものだと聞いています。あなた一人が暴風で皆さんを抑え、狼が私の元に来たりしたらそれこそ本末転倒です。ここに立ってる方が、まだ、安全だし、敵の狙いも定まります」
段々とヴァニタスの顔に血が上る。
「ここは撃退士として、菊枝さんの意見を取り入れることは危険が大きすぎて承諾できるものじゃないけど、俺個人として、その心意気を買いたいね。敵さんの顔を見てみても、どうやらそっちの方が良いそうだし。護衛は南條さん、頼んでも良いかな?」
鈴木の言葉に南條は頷く。
「………いいわ、全員まとめてぶち殺してあげる」
一際強い風が木々を凪いだ。
●
狼型ディアボロと対峙するのは鈴木、その援護に回るようにルティスが立ち回る。ヴァニタスと対峙するのは谷崎とロドルフォだ。
ロドルフォは攻撃に回るというより、菊枝の方に攻撃が向かない様に後衛のフィーネの指示を受けながら飛行をして、小賢しく一撃離脱を繰り返す。全体の状況を見ながら回復、指示を担当するのがフィーネ。そして、菊枝の方に攻撃が向きがちなので、その全てを弾き、菊枝を守るのが南條である。
案外、菊枝の行動は敵にとって効果があったらしく、ヴァニタスと狼の動きはとても息の合ったものとは言い難く、一人感情的に動き出したヴァニタスをディアボロから引き離すのは容易であった。
しかし、それでも敵は強い。
自身の「風」を扱う能力を上手く利用し、谷崎とロドルフォの飛行を度々妨げ、自身は風に乗って縦横無尽に飛行する。谷崎の銃弾、ロドルフォの斬撃は空を切ってばかりだ。
そしてディアボロはというと、いくら負傷しているとはいえ、鈴木とルティスの二人で抑えるのは辛く、互いに一歩引いての状態が続いていた。
互いに決め手を欠くまま、膠着している状況である。
「菊枝さん、あなたがここに残るという判断は危険が大きすぎます。ご主人はもう元には戻りませんし、そのことで自分の命を軽率に扱っているのならすぐさま俺がここからあなたを帰します」
その目は敵を捕らえている南條が責める様に、菊枝にそう呟く。
「以前の私は、死んでも良いと、そう願ったかもしれません。でも今は違います。今の私は一人ではないですから、生きて帰りたい、みんなで一緒に、生きて帰りたいんです。だからこそ、今自分にしかできないことをしないと、主人に顔向けできません」
「………分かりました。でしたら、全力で俺も自分にできることをしましょう」
この膠着状態で、最も体力の消費が激しいのは───鈴木だ。
ワイヤーを使い狼の足や首を巻き取りながら上手く立ち回ってはいるが、相手の体は大きく、行動を一人で押さえつけるのはとてもじゃないが困難である。肉を削ぎ、傷を広げる様に剣を振るう。しかし、同じくらい狼に振り回され、そしてその動きについて行くだけで、尋常じゃない体力が一気に削られる。
この状況を打破しないと。鈴木の援護に回っていたルティスが口を開いた。
「フィーネさんっ、行きましょう!」
「分かりましたわっ!」
ルティスは鈴木一人に狼を任せその場を離れ、フィーネも自分の注意を全てヴァニタスの方へ向ける。
谷崎とロドルフォの一撃離脱の連続に、落ち着きがなくなっている様子のヴァニタス。そんな彼女に向け二人は両の手の平を掲げた。アウルの光が二人を包む。
「合図だ、下がるぞっ」
谷崎は指示を出し、ヴァニタスに接近していたロドルフォと共に距離を空けた。
「───なっ!?」
ヴァニタスが気づいた時にはもう遅い。
ルティスとフィーネが同時に出現させた「鎖」に挟まれ、一気に四肢を絡めとられる。苦し紛れなのか、一際強い風が谷崎たちの体に吹き付けた。
「今のうちだっ、狼の方を仕留める!!」
ルティスを先頭に、全員が一気にディアボロの方へ体が振り向く。
しかし、谷崎は落ちるヴァニタスを眺めていた。
「───みんなっ、罠だ!」
その谷崎の叫びが雨音を掻き消す。
一気に風が吹いたかと思えばヴァニタスはするりと拘束から抜け出し、追い風に乗って一直線に南條の、菊枝の方に向かっていたのだ。
あの苦し紛れかと思われた風、谷崎はしっかりと見ていた。あの風が吹いたことで、鎖の軌道が変わって勢いが弱まり、拘束が不安定になっていたのだ。捕まったかのように見えたのも恐らく彼女の演技。
不味いと思いロドルフォと谷崎は追いかけるが、距離が空いてしまったが為に、渦巻く向かい風が彼らの行く手を阻む。
「くっ………」
「アハハハハっ!あなたの攻撃は私には効かないわよ!?」
勢いよく投げられた扇子は先ほどと同じく彼女を避ける。追い風と共に勢いを増し
「ガッ……ッ」
ヴァニタスの拳が南條の腹部を捉え、彼の体は大きく跳ね上がる。菊枝とヴァニタスを阻む壁はもう何もない。
「死ねぇええっ!!」
彼女の鋭く尖った爪が菊枝の喉元に着きつけられようとしていた。
しかし、菊枝の顔は悲しそうな表情のまま動かない。
───パンッ
菊枝の前に五芒星の紋様が現れ、ヴァニタスの体が弾かれた。不敵に微笑む南條が「約束通り、囮に使いましたよ」と呟く。
「これが、お前の笑っていた守るべき者達の強さだ」
「クソ野郎がぁあああぁ!!」
頭上に迫るロドルフォの刃。ヴァニタスは膝や翼を谷崎に撃ち抜かれて動けない。
荒れ狂う嵐のような風は彼女の断末魔と共に止んだ。
「さぁっ、仕上げだ!!」
鈴木の一声にその場の全員が雄叫びを上げる。連戦で体の疲労がピークだが、そんなことを気にしている暇はない。
南條の負傷をフィーネが回復させ、菊枝の新しい護衛にはロドルフォが入る。谷崎の銃は雨の中でも狙いを外すことなく弾を放ち続けディアボロの体力を確実に削っていく。ワイヤーと合い混じり、ルティスの出現させた鎖が確実にその巨躯を捉えた。
ボロボロの体で鈴木は跳躍しその剣を狼の頭上に突き刺す。
「ドォラアアアアッ」
突き刺した剣を無理矢理振り、それと共に刃から飛び出した斬撃が狼の背筋を切り開く。
しかし、それでも、狼は倒れない。
雨雲は晴れ、綺麗な月明かりが血に塗れた狼を照らし出す。
全員の膝は笑う。持っている武器が異様に重い、フィーネの回復は使用回数を超えていた。それでもなお彼らは目を背けない。背けることが出来なかった。
傷だらけの狼、その姿が異様に美しかったのだ。
一体どれほどの年月を生きてきたのだろうか。体に刻まれた傷は古き傷も多数含まれている。
「あっ………」
ディアボロは銀色の月明かりに向かって、どこにそんな力が残っていたのかという速さで駆けだした。
●
「菊枝様、例のディアボロは例の山の野原で死体で見つかりました。そして、これを」
「あ………」
とある病院の一室。訪れているのはフィーネとロドルフォの二人。
今回の戦いで重傷を負ったあの撃退士は、応急処置のおかげで命を繋ぎとめることが出来た。しかし、もう二度と戦場に戻ることは出来ず、それどころか自分の足で立つ事すらできなくなってしまったようだが。それでも手術の終わった後の彼と彼の妻は、フィーネ達に涙を流しながら礼を述べた。
フィーネは指輪を、病室で横になっている菊枝に渡す。彼女もまた、戦いの後過労で倒れてしまっていたのだ。
「間違いない………これは、主人のです。これで、私も、前を向いていけます」
「ディアボロは、何故最後になってあの場所に赴いたのか、俺達には分かりません。一般的な意見を言うと、逃げたのだという仮説がしっくりきます。しかし、あくまで俺の意見ですが、狼は、御主人はしっかりと約束を果たしたのだと思います。もう一度菊枝さんと会い、最後の最後にあの思い出の場所で息絶えたのだと。そんな奇跡が、起きたんだと俺は信じたいです」
ロドルフォの言葉に菊枝は涙をボロボロと流した。
今は一人にさせておいた方が良い。二人は顔を合わせて一つ頷き部屋を出る。
外は数日前の出来事が嘘のように晴れ渡っている。そよ風が柔らかく頬を撫でた。
「ロド、一つ聞いてくれますか?」
フィーネは振り返り、ロドルフォの顔を真っ直ぐ見つめる。
「今回の事件で気づきました、何かあってからでは遅いのだと───」
「───ロド、あなたが好きです。愛しています」
「………フィーネ」
「あなたが口にした心の痛みを気づけなかったわたくしに、資格はないのかもしれません。ですが、これからも寄り添っていきたいと思っているんです」
「資格が無いなんて、言わないで下さい。貴方が居なければ俺はその痛みにすら気づけなかった。俺にとっちゃこうしてあなたと並んで歩けること自体夢みたいなんです。だから、俺の方からも改めて言わせて下さい。フィーネ、君が好きだ。これから何があっても、貴方と一緒なら乗り越えていける」
涙で声が震えるフィーネをロドルフォは抱きしめた。
髪の匂い、柔らかな温もり、何よりも自分より少し背の低い彼女の全てが愛おしい。
───パキッ
小枝の折れる不自然な音が木の陰から聞こえる。ロドルフォとフィーネは一気に我に返り、慌てて離れた。
木の陰から申し訳無さそうに出てきたのは………ルティスだ。
「な、何の用ですか、ルティス様っ」
顔が真っ赤の二人を見て、益々申し訳なさそうに微笑むルティス。
「あの、ね?杠家専属の撃退士の皆さんが、明後日くらいには一時的に菊枝さん達が病室から出れるらしいから、その時に報酬とは別でお礼をしたいんだと。それで、何か御馳走しますってことだったんだけど………」
ルティスが小さく親指で自身の後方を指した。
そこには豪華なリムジンが止まっていて、車内には鈴木、南條、谷崎が乗っているのが分かった。慌ててその三人が、ロドルフォとフィーネの視線から目を逸らす。
「じゃあ、待ってるからっ、ごゆっくり!」
落ち着かない様子で、リムジンへ駆けだすルティス。
ロドルフォとフィーネはその様子が堪らなく可笑しくなり、顔を見合わせて笑った。