果樹園や水田がちらほらと広がり、家屋や道路が多く見える様な小さな町。
しかしその整えられた町並みは派手に壊されており、頻りに降ってくれる雨のおかげで、皮肉にも火事の二次災害が防げている状態であった。
「早急な対応、ありがとうございます」
「いえ、お気になさらず」
「非常に助かります」
雨脚の早まる中、あちらこちらに負傷の傷を抱えている中年の撃退士が、久遠ヶ原から救援に駆けつけてくれた撃退士の二人に頭を深々と下げた。
南條 侑(
jb9620)は目の前の撃退士に頭を上げるように促す。どうやら先日、杠家で出会った撃退士とはまた違う人の様だ。
そこで一つ、谷崎結唯(
jb5786)が質問をする。
「では今から私達は仲間のもとに向かいますが、依頼書に記していない様な小さなことでもいいです、何か敵に関しての情報はないですか?」
傷負いの撃退士は難しげに唸り、確証はないと前置きを置くような表情で口を開く。
「自分達は直接、真っ向から戦闘を行ったわけでも無いので、あまりこういった不確かなことは言いたくないのですが………」
確かに、これから戦闘を行う者にとって、不確かな情報というのは「不安定な慢心」を抱かせかねないものだ。
二人はそのことを承知で情報を頭の中で咀嚼する。
「これは、私個人の感じた事です」
「はい」
「『将棋』という『ルール』をそこまで意識しない方が良いと思います。ゲームのように見せかけてながら、これはれっきとした『戦闘』なんだと、念頭に置いていた方が宜しいかと」
●
その姿形は人間のそれだが、一目見ただけでこの集団が「敵」だというのが分かる。
全身を真黒に染められ、人でいう顔に当たる箇所に、大きく漢字が一文字、白く書かれている。総勢14体、こいつらが町をぐちゃぐちゃに荒らしまわっているのだ。
敵の外見は気持ち悪いほどに同一。違うものといえば、顔に書かれた行書体の漢字のみ。武器の一つも持っていない、下手な心霊現象より不気味な光景。
「じゃぁ、行こうか……」
「なっ、おい!?」
その不気味な集団に、いきなり単独で突っ込む鈴木悠司(
ja0226)。
ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)を始めとしたその場の全員が、驚きの声を上げた。
「ロド、援護をっ」
「分かりました」
フィーネ・アイオーン(
jb5665)の合図とともに、少し遅れて全員が各々の位置へと動き出す。
単独で向かってくる外敵に気づいたのか、それまで街を素手でボコボコに壊していた集団の首がぐるりと鈴木の方へ向いた。
しかし、そのことに何一つ物怖じしない鈴木は、更に自らの速度を上げ、連続して「時雨」を放つ。
「まだまだっ」
不意の攻撃で怯んだ敵の一体、鈴木は「歩」の右側面に回り込んで、鋭い曲刀をその首元に振るった。まるでその攻撃に反応できていない「歩」。刀を握るその手に力が入る。
「───ッ!?」
敵の首をはねた瞬間だった。鈴木の体は大きく吹き飛ばされ、瓦解した民家にぶつかるまでその勢いが止まることは無かった。
激しい痛みが体中に響く。呼吸が整わず、指が一本たりとも一時的に全く動かない。「どうして?」その問いばかりが、途切れ途切れの意識の中を埋め尽くす。
鈴木もただ無謀に攻め込んでいた訳ではない。しっかりと冷静に辺りを見渡しての攻撃であったつもりだ。
「フィーネさんっ!回復を!!」
ルティス・バルト(
jb7567)の「コメット」を中心に、ロドルフォ、谷崎、が敵集団の牽制を行い、南條がその3人のサポートに回る。
「あれは、『捨て駒』だな」
「捨て駒?」
意識を敵の動きに向けつつ、ルティスは谷崎の呟きを拾った。そして谷崎は続ける。
「将棋が語源ではあるが、文字通り捨てる駒のこと。さっきの敵の動きは、『歩』を一体捨てて、『飛』で攻撃を繰り出した」
「……胸糞悪い戦法だなっ」
谷崎の説明を聞いていたロドルフォは、あからさまにその顔に不機嫌な色を浮かべ、こちらの力を計るように防御や回避を繰り返す敵達に、再び自身の大剣から光の波を放ち牽制を仕掛けた。
全体を見渡せる位置で、サポートに回る南條。
先ほど鈴木が受けた攻撃の一部始終を、辛うじてながら把握できたのは彼だけであった。
「これでどうだろうっ」
自身の両手から火球を出現させ、それを「香」の側面へと撃つ。
「……やっぱり」
雨の中、一瞬ではあるが辺り一面が業火に飲まれ、南條はひとまず全員に一時撤退の旨を伝える。
どうやら鈴木の回復もある程度は完了したらしく、敵の射程から離れる様に、全員が一時その場を離れた。
●
どうやら、雨も少しずつ上がってきたようで、視界の自由もある程度確保できるようになってきている。
撃退士の六人は、全員で輪を描くように座って、各々の情報をひとまず出し合っていた。
「皆さんに少し聞いて欲しいことがあって、一時撤退の形をとった」
「大丈夫ですわ、どのみち戦況の立て直しは必要でしたから」
鈴木の動きにつられて、全員が慌てて動き出した中、南條だけは自分の役割を捨てて敵の様子見に徹した。攻撃を受けた鈴木本人ですら分かっていなかった敵の動きを辛うじて把握し、自分の攻撃で敵の集団の『役割』を確認できたのだ。
「鈴木さん、あなたはどの敵から攻撃を受けましたか?」
「たぶん、『飛』だっただろう。ただ、何故『飛』が俺を攻撃することが出来たのかなって。確実に俺の『時雨』は、あの場の全ての敵を牽制出来ていたはずなのに」
「そこに敵の『役割』があるんだと思います。恐らく、敵は攻撃側と守備に徹する側の二組に分かれている」
南條が見た駒の動き。
鈴木の範囲攻撃の最中、「金」「銀」が「飛」を庇っていたのだ。南條自身が「香」を攻撃した時も、「歩」が二体その攻撃を庇っていた。
「多分、『飛』『角』『香』が攻撃側、『歩』『金』『銀』は防御側」
「攻撃側の駒は、将棋で言うとどれも直線上に動く駒ばかりですわね」
「遠距離攻撃を仕掛けてくるところは今のところ見ていないことから考えると、その直線上が敵にとっての間合いになっているんだと思います」
しばらくの沈黙。
無制限の直線上の間合い、守備に向いた駒。ボードゲームならば自分のターンがあるが、これは戦闘。自分のターンは、自分達で作り出すしかない。
ふと、ロドルフォが口を開く。
「あれ、じゃあ『桂』は何なんだ?チェスでいうところのナイトのような動きをするらしいけど」
その問いに、南條も含めた全員が口を噤んだ。きっと、全員が盤上のあのトリッキーな動きからどのような攻撃をするのかを考えているのだろうが、答えは出ていないようだ。
───ッ!?
空気の変化にいち早く気付いたのは、ロドルフォ。
「フィーネっ!!」
「え?」
対角線上にいた彼女のもとへ駆けつけ、その華奢な体を乱暴に自分の胸元へと押し付けた。頭上に盾を掲げ、防御陣を展開する。フィーネの耳に聞こえたのは、激しい衝突音と、ロドルフォの痛みに耐えるくぐもった声であった。
盾の上に飄々と器用に座り込んでいるのは、『桂』と書かれた敵である。
近くにいた鈴木の曲刀が振られ、谷崎の銃からガンガンと弾が放たれた。しかし「桂」は盾を踏み台にし、攻撃を軽々と飛び越え遠くに着地する。
再び全員の目の前にぞろぞろと集団が到着。
「ロド、大丈夫!?」
「少し腕は痺れてますけど、大丈夫です。また、フィーネに叱られたくないですから、無理はしませんよ」
いつもの明るい笑顔。フィーネはほっと胸を撫で下ろす。
「これで、敵の動きもだいぶ掴めたね。じゃあ再開しようか。指示は後衛のフィーネさんに任せよう」
ルティスの一言で、全員は武器を構え直した。
●
「『飛』二体、『角』二体というのは流石にキツイね」
敵の主力であろうその四体の猛攻を受けているのは、ルティス、南條、谷崎の三人だ。
空中では「桂」とロドルフォが戦闘を行い、その他の駒を鈴木が牽制している。全員が敵集団と戦闘を行える範囲は、フィーネの回復スキルが使える範囲内。つまり、彼女の回復があると分かっているので、みんなは少々の無茶を行うことが出来た。
「いくぞッ」
ルティスが両腕を前にかざすと、「角」の一体の体が鎖で縛られる。南條は確実に息の根を止める為、扇をその「角」の首元に這わせ、谷崎はダメージ覚悟で主力三体を抑え込んだ。
ドサリと「角」の体が沈み、谷崎のダメージはフィーネのおかげで回復していく。残る主力は三体。
そんな南條達の攻撃を見てか、その三体は大きく後方へと下がる。彼らの間合いは長く、大きな距離が空いたとしてもこちらは迂闊に動くことは出来ない。
「飛」の動きは、前後左右への目にも止まらぬ高速移動からの強攻撃。「角」の場合は自身の斜め方向へ両腕を伸ばして、鋭い攻撃を行ってくる。
常にこの三体を視野に入れながらの攻防は、鈴木達の体力より、精神力に大きく響いてきていた。
「南條様っ、『飛』が来ますわっ!!」
フィーネの声が飛び、谷崎と南條が下がり、ルティスが一歩前に動く。
谷崎の銃の攻撃を物ともせず高速で向かってくる「飛」、その二体に向かってルティスがコメットを放った。
隕石の様な魔法弾が敵を捉え、「飛」の二体がズリズリと後方へと押しやられる。
「ルティスっ」
「了解」
再びルティスの審判の鎖が片側の「飛」を捕え、拘束された方の敵の頭に谷崎が銃弾を的確に撃ち込む。そして、もう片方の「飛」の体を南條の投げた扇が袈裟懸けに断った。
「あと一体!!」
谷崎は奥の方にいた「角」の方へ銃口を向け、引き金を何度も引く。
しかし、谷崎と南條の攻撃を喰らってもなおそのボロボロの体を投げ出して、「飛」二体が「角」を庇い息絶える。
まずい。
谷崎は全身に嫌な焦りを覚える。将棋で言うと、「飛」を捨て駒にする時というのは、「王手」が近い時なのだ。
誰が反応するよりも早く、「角」の片腕が鋭く真っ直ぐ伸び
遠くに位置する鈴木の脇腹を抉った。
自分の事で手一杯であっただろう鈴木は、無防備のままその攻撃を受け、一転二転しながら瓦礫の山へぶつかる。
しかし、敵の思惑は鈴木では無く、鈴木を一時動けなくすることで、王手に最も近い「香」を自由にすることにあった。
「フィーネさん、避けてっ!!」
敵にとって最も厄介であったのは回復役の存在。自由になった「香」が高速で直進しフィーネの鳩尾に衝撃波を伴った拳を繰り出す。ルティスの叫びも虚しく、彼女の体は大きく吹き飛ばされた。
そして援護に向かおうとした南條達の目前には、「角」そして「金」「銀」達が立ちはばかる。
「フィーネっ!?クソが、退けえええ!!!!」
ロドルフォが大きく叫び、時間稼ぎでもするかの様に空中であちこちに動き回る「桂」を、防御陣を展開したまま盾で弾き飛ばした。
背に生えた翼を羽ばたかせ、急いでフィーネのもとに向かおうとするが、進路をまたもや阻むのは「歩」の三体と「香」。
しかし、敵の攻撃など気にすることなく、フィーネの体を急いで抱きかかえ上空へと逃げる。
「ロド……下ろしてください」
「フィーネっ!まずは自分の回復を!!」
「わたくしは、大丈夫……それより、鈴木様を……あの人が一番、ダメージが、大きいはずですわ」
フィーネはヒューヒューと息をしながら、ロドルフォの胸倉を力なく掴む。その痛切な表情、ロドルフォは喉の奥が締め付けられるように痛んだ。
そんな二人の背後に、「桂」が迫る。
「───いや、俺は大丈夫です。そう何度も失敗は繰り返さないですから」
ロドルフォが背後からの攻撃に遅れて気づいたその瞬間、「桂」の体が一刀両断された。
ジャンプしながら「桂」を斬った鈴木の体には確かにダメージが残されている。しかし、その動きはダメージを感じさせない。
全身からアウルの力をみなぎらせ、着地と同時に「香」と「歩」を数体屠る。そしてみるみるうちに鈴木の体は自己再生を行っていた。
「ロドルフォさんはそのままフィーネさんが回復するまでそこに居て下さい。起死回生が発動した今、俺は大丈夫です」
そう言って鈴木は南條達のもとへと駈け出す。その力強い足取りに、ロドルフォは彼の言った「大丈夫」の意味を理解した。
「フィーネ、貴方はこの前俺に言いましたね。『あなたが居なくなったら、どうやって生きていけば良いか分からない』と。俺だって同じなんです、貴方が居なくなってしまったら、俺だってどう生きていけば分かりません。こんな場面で、身勝手な願いかもしれないけど、貴方にだけは、傷ついてほしくないのです」
ロドルフォのフィーネを抱きしめる力が次第に強くなる。
そしてふと気づく。ロドルフォの体の傷がみるみるうちに回復しているのだ。思わずフィーネの顔を見る。彼女はどこか嬉しそうに笑っていた。
「わたくしも、あなたには傷ついてほしくないのですわ。わたくしはもう大丈夫です、ロド、みなさんの加勢をお願いします」
彼女の体には今だ幾ばくかの傷は残っていたが、彼女の言葉通り、「大丈夫」そうではある。
しかし、今は戦闘中。
ロドルフォはここを離れたくないと心で思いながらも、フィーネを掴んでいた腕を離した。
「無理を、しないで下さい」
「えぇ、ロド、あなたもね」
●
集団戦は、数的優位に立った方が有利だ。ロドルフォ、フィーネが戦線に復帰すると、敵の駒は残り六体で、回復を繰り返す撃退士達に敵は為す術無く一体二体と削れていった。
そもそも残されていた駒で攻撃側に回れたのは「角」一体のみであった為、ほぼ「飛車角落ち」してしまった敵集団にはほぼ為す術がない状態であったのだ。
最後の一体、「金」が地に崩れ落ち、戦闘は終わる。
戦闘が一段落し、ルティスと鈴木は「王」の存在が気になると言って、町中を一通り探し回ったが、どうやらそれらしき存在は見当たらず、探知にも引っかかることは無かった。
「やはり……これは、敵にとっての享楽でしかなかったのか?」
受けた苦労に合わない、腑に落ちない結末。ルティスの呟いたその一言に、誰もが頭を悩ませる。
「もしかしてだが、今回の敵が無理矢理『将棋の駒に当てはめられていた』としたら」
「どういうことですか?」
ルティスの言葉に、フィーネが反応した。
「そもそもからおかしかったんだ。集団戦なら、全員を『飛』の様な敵にした方が絶対に優位に事を進めれる。でもそれをあえてせず、ゲームチックに戦闘を仕立て上げた。まるで何かから俺達の目を逸らさせるように、時間稼ぎを行って、かつギリギリで俺達にクリア出来るように」
「───皆さん、大変です!!」
必死に走ってくるのは、先刻、南條と谷崎が出会った中年の撃退士であった。その表情は、只ならぬ雰囲気を帯びている。
「杠さんの……自宅の方に、例の、例の『狼』と『ヴァニタス』が!!」
再び、雨脚が強くなってきた。
<続く>