天気は快晴で、空港内は然したる異変もなく通常運転だ。
しかし、それは表向きのみで、一般客の中には私服の警察官が数十人紛れ、警備も多く、監視カメラ等の確認も複数人体制でのチェックを行っていた。
「そちらのヘッドセットと、こちらの無線機などの接続は完了しました。何か異変があれば直ちに連絡いたします」
「ありがとうございます」
体が大きく笑顔の似合う男性の警察官に頭を下げるのは、今回の作戦の中心となる撃退士の一人である佐藤 としお(
ja2489)だ。
「念の為、爆発物の確認の方もご協力を願いたいと思っています」
「分かりました。しかし、敵も悪い場所を選びましたな。空港のセキュリティは大変優秀で、それこそ他国に逃げるだろう犯罪者を逃さないような仕組みも備えてあります。顔も名前も割れてる、このチャンスを逃す手はありませんね」
そう、この作戦は大きなリスクが伴っている反面、二度とない好機でもある。
絶対に逃がさない。佐藤はもう一度頭を下げた後、自らの持ち場へと向かった。
「空港に来るとさ、ほんとに旅行に行きたくなってくるね〜」
買う気はないと口では言っていても、あちらこちらのお土産に目移りしているその猪川 來鬼(
ja7445)の姿にはあまり説得力が無い。
同じく行動を共にしているメンバーのラファル A ユーティライネン(
jb4620)は明らかに苛立ちを隠せておらず、逢見仙也(
jc1616)は苦く笑っている。
「何でそんなに楽しそうなんだよ。胸糞悪い連中の処理なんて、こんな面倒な事はないってのに」
「大義名分の上での殺しなんて、心躍ることこの上ないけどね♪」
この食い違いは相容れない。いざ戦闘になれば話は別なんだろうが、逢見は二人に聞こえないよう息を吐いた。
『───皆さん、聞こえますか!?』
そんな時だった。不意にヘッドセットに声が流れ込んできたのは。
声の主は女性で、聞き覚えはない。恐らく警察側の誰かだろう。
『敵が現れましたっ!北西側上空に未確認の飛行物が複数、空港に向かって急接近しています!避難を開始してくださいっ、撃退士の皆様は所定の位置へっ!!』
すぐさま非常事態を告げるアナウンスが流れ、人の集団は波へと変わる。
大きく広い窓ガラスが砕け、蜂の重い羽音が空気を震わせた。そこに降り立つ二つの狂気。
「さぁ、対岸の火事だと思っている皆々様の平和な脳に、恐怖と絶望を刻みましょう」
●
真っ先に行動に移したのは、佐藤、ラファル、逢見、そして九十九(
ja1149)の四人であった。
佐藤と九十九の二人は、一般客に襲い掛かる五体もの蜂型ディアボロに向かい銃弾や弓矢を放って牽制し、警戒心を全て自らのもとへと集める。
そして、逃げ惑う人の波に向かって、空を切り裂くかのごとき斬撃を一瞬のうちに複数繰り出した鹿路。ラファルは刀で、逢見は盾を用いて、そのすべてを弾き受け止め被害を抑え込んだ。
「なんで、コイツらがここにいるの?」
「通報を受けて駆け付けたにしても早すぎますね……」
「ま、関係ないよね。今日はいっぱい殺せば良いんだからさ」
驚き、怒りの表情も見せたソフィと鹿路であったが、それは一瞬で。矛を収めるでもなく、ますますその表情は喜に満ち、獲物が増えた程度にしか思っていないのだろう。
ソフィはダガーナイフを、鹿路は両手に剣を構え、同時にラファルらに向かって飛び出した。
「まずはあの二人を引き離そう!」
九十九、そして合流した紅香 忍(
jb7811)にディアボロの掃討を任せ、佐藤は自ら前線に立ちながら予め決めておいた行動の指示をする。
それを皮切りに、ラファルと逢見も前に飛び出し、後方からは猪川と佐藤の援護が続く。
「僕も別々に戦いたいですが、あの人の指示なのでここは仕方なく共に戦いましょう」
「チッ、足引っ張らないでよ」
「こっちの台詞です」
ラファル、逢見の連撃を鹿路は双剣で受け、後方からの射撃や投擲されたアウルのナイフは、同じくソフィがアウルで展開したシールドによって阻まれる。
後衛から隔離された構図となったことに気づき、逢見らは一旦大きく後方へと退いた。
「流石に敵も馬鹿じゃない、これじゃあ引き離しは難しい」
逢見は舌を打つ。横でラファルは刀を握りなおした。
●
空港の出発ロビーでは、大型の蜂に追われる人々がパニックを起こしていたが、予め対策を施していた警察の誘導によって、比較的順調な避難が進んでいる。
「それでも、決して少ないとは言い切れない被害さね」
「……動きが、厄介」
大型の蜂は、急襲してきた際の五匹から増え、今や十に届こうとしていた。
あの蜂は寄生する為の宿主に針を刺し、体の内側から肉を食い破りながら出てくる。警戒心に駆られて、針を刺さずにそのまま人間を噛み殺す等といった行動も見られた。
そして何より、あの動きが厄介だ。素早く動く上に、空中で静止したり直角に進行を変えたりなど、予測がつきづらく狙撃もしにくい。被害を抑えるように牽制を続けることが、今のところの九十九と紅香の精一杯であった。
「……近づくことが、アレを仕留めるのには最も効率がいいけど、あの大顎は脅威」
「確かに被害も出ているし、早く掃討しなくちゃいけないが、焦らなくてもいいさね」
「……?」
「お客さんの避難も完了しつつあり、これ以上コイツらが増える心配もなくなる。うちらが務めるべきは、コイツら全員の注意を惹き、徐々にでいいから数を減らすことさね。そうすれば、みんなは数的優位を作って殺人鬼共と戦える。大丈夫、射程も加味すればうちらはいくらでも戦いようはあるさね」
目を細め、九十九はアウルの力を込めて弓を引き絞り、放つ。
その殺気を感じ取った数匹の蜂は剥き出しにした尾の針を収め、瞬時に上空へと逃れた。度々こうも邪魔されているのだ、苛立ちによりますます羽音が重く響く。
「……隙があれば、拘束する。そこを仕留めてほしい」
「了解さねぇ」
この数を相手にミスの許されない戦いは、決して楽ではない。
それでも退けない。二人の口元は不敵に微笑んだ。
確かに、二人まとめて戦った方が効率もバランスも良いが、撃退士らもまた数的な優位を作り、戦いは長期化してしまう恐れがあった。
鹿路が望むのは短期による奇襲決戦。それゆえこの状況はあまり好ましくないと判断し、お互いが離れすぎない位置で、好きに各個の撃破にあたるという作戦へと切り替えたのである。
「私相手に、銃は不利じゃない?それにタイマンだなんてね」
「くっ……」
ソフィに対して戦闘を行うのは、佐藤と華子=マーヴェリック(
jc0898)の二人。
しかし、華子は佐藤の後方にこそついているものの、その主な役割は「回復」であり、仲間全体を注意して見ていなければならない。
つまり今この状況で、ソフィに対して全力を注げているのは佐藤のみ。
中距離から長距離の戦闘を得意とするライフルを主な武器としている佐藤に対し、ソフィは超至近距離を得意とするナイフが主な武器。三次元的に動き回り、ぴったりと敵の傍を離れないその戦闘スタイルに、佐藤は歯噛みをしながら冷や汗を何度も滲ませた。
とにかく距離を取りたい。佐藤は焦ったように、敵に当てるというよりも牽制をするという意味で何発も続けて銃を放ったあと、すぐさま後方へと距離をとる。
「逃げないでよ、まだ、まだ全然愛が足りない!」
「としおさんっ!」
放たれた銃弾が、ソフィの服をかすめ肉をえぐる。それでも加速は止まることなく、真っ直ぐに佐藤の喉を掻っ切ろうとナイフが迫った。
その瞬間、盾を構えた華子が急いで間に入る。
体制が不安定な中、真正面から攻撃を受け止めたはいいが、それに堪えきれず華子の体は大きく吹き飛んで二転三転と地面に体を打ち付けた。
「邪魔しないでほしいんだけど」
楽しげに弾んでいたはずのソフィの声が、低い憤怒の声へと変わる。そこから感じ取れるのは圧倒的な殺意。
「よそ見するなよ、お前の相手はこの僕だろ?」
「……良いね。そういうの、私大好き♪」
佐藤の周囲には、彼が用意してきた全ての銃火器が浮かび、銃口をソフィ一人に向けていた。
殺らないと殺られる、単純にして残酷。ソフィの頬は仄かに赤く染まった。
●
どうしてソフィに対して、人員を割けなかったのか。きっとそれは、ひとえに鹿路の純粋な戦闘能力が高い、という理由が要因の一つとしてあるだろう。
ラファルと逢見、そして猪川の攻撃を一人で受け、そしてただ受けるだけでなく反撃に転じる余裕もある。その鹿路の無駄のない動きが多対一を可能にしており、均衡を保てていた。
それでも連撃を加えていればいつかボロが出るはず。
攻撃を弾かれても、またすぐにラファルは刀を構え肉薄する。数撃刃を互いにかち合せた後、鹿路はラファルの攻撃の勢いに沿って後方へと下がった。
「大切なのは周りをよく見ることだよ」
ラファルが肉薄していた隙に斜め後方へと回り込んでいた逢見へ、鹿路は一瞥もせずに斬撃を飛ばす。逢見もまたその瞬間にアウルで形作られた光の波を飛ばしていたので、それはすぐさま相殺されてしまった。そうなってくると、後方からまた不意を突くためにアウルのナイフを投擲していた猪川の攻撃も難なく躱される。
「良いだろう、その安い挑発に乗ってやる」
逢見はラファルと猪川の二人と視線を交わし、小さく一つ頷いた。
やることは変わらない、また同じように連撃を叩き込むだけ。
同じように攻撃を続け鹿路に傷を与えるには、難しいようで簡単だ──力を、速さを、角度を変え、リズムを崩せば良い。
「これを見切れるか?」
最初に、目にも止まらぬ速さで飛び出したのはラファルだ。
文字通り鹿路の目にはラファルの姿が消えたように見えた。しかし、見えずとも自らを襲う鋭い殺意が襲う。
鹿路の表情からは完全に余裕が消え、ギリギリ身をよじりラファルの刀を避けた。肌を撫でる程度ではあるが、鹿路の横腹に初めての傷がつく。しかも攻撃はこの一撃に止まらず、また恐るべき速さで何度も刀を鹿路へと叩き付けた。
両手に握る剣でその猛攻を何とか凌ぐ鹿路、完全にその目はラファルのみしか捉えていない。そこで、不意に忍び寄るのは猪川による「髪芝居」。鹿路の腕の動きが完全に止まり、刀が真っ直ぐに胸部へと迫っていた。
「煩わしい!」
右に持つ剣の腹に頭を思い切りぶつけた後無理やり左腕を動かして、力任せに刀を弾いて見せた。
頭から血を流し、鹿路は口に笑みを浮かべる。
「……僕も、撃退士だった。あの拘束が幻術であることくらい知ってる」
「強い痛みと衝撃でうちの幻術を意識から消したってことか、こんな荒々しい戦い方もできるんだねぇ」
準備は整った。
ラファル、猪川の一連の猛攻がどうせ凌がれるだろう事は織り込み済みであり、全てはこの瞬間の為である。
全身にアウルを滾らせる逢見がフェイント無しに正面から迫る。鹿路はこの瞬間、生まれて初めて「殺される側」の危機を身に感じ取った。
「でも、武器も持ってないんじゃ、僕が殺すほうがきっと早い」
逃げるでも避けるでもなく真正面から立ち向かい、二つの剣を頭上から逢見目掛けて振り下ろす。
そして、捉えた。剣が届く方が早い──
「もう俺の術中だ。その剣先は、逢見に届くことはない」
ラファルの声が聞こえる。まるで時間を先送りされたかのような錯覚、鹿路の剣先は空を斬った。
「くたばれっ!」
その一撃はまるで槍の如く。鹿路の胸部中央、強化されたその一撃が貫いた。
●
「なんてザマよ、その程度であの人の傍にずっと居るつもり?」
「怪我人はもっと労わるべきだと思いますけどね。それはそうと、回復ありがとうございました」
ラファルらが、全ての攻撃を凌がれることを想定していたとするなら、鹿路は最後の大技を喰らったその後の事まで想定していた。
確かにあの一連の攻撃の間、鹿路は周囲を見渡す暇など無かった。しかし、逢見から攻撃を喰らうその瞬間、一瞬でソフィの位置を確認し、僅かに体をそらして急所を避けた後、その位置まで自分が吹き飛ぶ様に動いたのだ。
鹿路はニコリと笑うと剣を捨て、大きな方天画戟を展開する。
「皆さんの回復はもう済ませてありますっ。後は任せてください!私が援護します!」
華子の援護で、全員の体力はほぼ全快に近い。敵の鹿路も、ソフィによってほぼ全快。蜂型ディアボロの姿はもう無く、あたりはひっそりと静まり死骸が転がるばかり。
「振り出しに戻った。きっと気力で劣った方が後れを取る」
佐藤はそう呟き、大きく息を吸う。
もう、誰が最初に動いたなどは無い。各々が前に出て、一斉に鹿路とソフィの首を取りに行く。
ソフィが前に出ようとしたのを抑えて、一人で立つのは鹿路だ。
「振り出し?それは違いますね……」
鹿路の姿が消える。
次に現れたのはラファルの目の前だ。
「っ!?」
「これは貴方の技でしょ?そう驚かないで下さい。まぁ、素早さや膂力等を強化した上でのコピーですが」
まるで小枝のように振られた画戟、刀で受けるものの、ダメージは避けられない。
吹き飛んだラファルを守るように前に出るのは、佐藤と逢見の二人。
「それは悪手だ。まだ僕の『速さ』は流れに残っている」
画戟から高速で突き出される、まるで逢見のお株を奪うような衝撃。勿論、こうなると急所を反らすのが精いっぱいである。
さらに拘束しようと動く紅香と猪川に向かい、光の波の様な斬撃を。不意を突こうと後方から矢を放つ九十九に向かっては、数多のアウルのナイフを飛ばす。
「ハァ……ソフィ、今の内に逃げて下さい。この襲撃は僕らの完敗です、ディアボロも残っておらず一般人も逃げた。敵に回復役がいる以上、数的に圧倒的不利なこっちが負けるのは必然」
「らしくないな」
「貴方の死体なんて芸術性の欠片も無い、想像するだけで反吐が出る、だから早く逃げて下さい。僕なら大丈夫です、こうして互角以上に戦えますから、きっと数人道連れに出来ます。あの人の事は頼みましたよ」
再び華子の回復によって立ち上がる面々。いくら自らに傷が無いと言えど、さっきの様な動きはもう疲労度的に繰り返すことは出来ない。それを悟り、鹿路は笑う。
その瞬間、風を切るように前に出たのはソフィだ。
「──違う、あの人に必要なのは私じゃない。お前が逃げろ。私だって、大嫌いな奴が傷ついて死ぬなんて、考えただけで吐きそうなんだ」
●
病室で報告書を一人眺める、入生田晴臣。
「ソフィを仕留め、鹿路は逃がしたと。ソフィは自己回復を続け、四肢を裂かれ首一つになってもなお抵抗を続けた、か。まぁ、みんな無事で何よりだ」
この時忘れていたのは、敵もまた人間であり仲間を想っているということ。社会から外されていた者同士、その想いは、深く強いものであったということ。
終わりの瞬間は、そう遠くない未来に迫っていた。
<続く>