時間帯は夕暮れ、曇天も相まって辺りは薄く暗くなり始めている。
天気予報的には雨は降らないみたいだったが、それでも何だか不安になる。
撃退士らに会話はない。響くのは、紅香 忍(
jb7811)が噛むガムの音と、佐藤 としお(
ja2489)が耳に当てる携帯のコール音だけ。
『───もしもし?』
「入生田さん、こっちは所定の場所へ到着しました」
電話の相手は入生田晴臣。
今回の一連の事件で、撃退士として警察の捜査に協力をしている人物だ。
「すいません、一つ、質問良いですか?」
『何だ?』
「……理由も分からず命を奪う事は出来ません」
『まぁ、そうだよな』
少しの間が空き、入生田は言葉を続ける。
『助けられるなら、それに越したことは無い。情報も得られるしな……ただ、それは助けられる場合の話だ』
「どういうことですか?」
『敵がどういうヤツらかを考えてくれ。フリエル・ホリーは恋人を探していた、その彼が今現在、ヤツら側についている。考えられる理由は二つ、恋人を人質に取られているか、それとも戦闘の末に負け調教されたか。ヤツらのことだ、限りなく後者に近いだろう。人質なんてすぐに殺すような三人だろうからな』
『───どうすれば人が死ぬってのを、よく知ってるやつが行う拷問や調教。それがどれほどキツイか、この前手に入れた鹿路の写真を見るとよく分かるんだ。恐らく、今のフリエルは助からない可能性の方が非常に高い』
言葉を選んでの入生田の指示、希望的観測も多分に含んだ言葉。だから、きっと現実はもっと残酷で。
「……だけど、助けられるなら助けても良いんですよね?」
『自分の身を第一に考え、仲間にも危険が及ばない範囲を厳守した上で、なお助けられると判断できた場合のみだ』
佐藤は了解の旨を伝えて、通話を切る。
さぁ、行こうか。
紅香は味の無くなったガムを吐き捨てた。
●
「工場内に二つの生命反応あり。たぶん、例の翼竜型と天使だと思うよ」
一つの錆びれた廃工場を前にして、猪川 來鬼(
ja7445)が情報を共有する。
「屋内に翼竜?不自然さねぇ」
「でも、やることは変わらない。突入次第、俺らがまず翼竜を潰し、他でフリエルを抑え、外を警戒だ」
猪川の報告を受け反応したのは、九十九(
ja1149)とラファル A ユーティライネン(
jb4620)の二人。
彼らが相手する敵は翼竜型で、その突入次第フリエルを相手する他の班が突入する手筈となっていた。
時間だ。
特に言葉を交わすこともなく、二人は同時に動き出し、ヒビの入った窓ガラスを割って突入する。
明かりはなく一層暗い屋内。障害物も何もなく、ただただ広い空間の中央に、その翼竜とフリエルは居た。
九十九は矢を弓につがえ、ラファルは銃を手にして姿を消す。
目標はあの翼竜───
───キイィィィィイイイイッ!!!!
九十九の弓矢は空を切り、ラファルの銃弾はコンクリの床に撃ち込まれた。
甲高い金切り声。その高音の咆哮は、閉じ切った工場内を反射し、耳を咄嗟に塞いだ二人の脳を直接揺らす。
「クッ!?」
間髪入れずに、剣を構えたフリエルが九十九に突撃を開始した。なぜ耳を塞ぐことなく、無表情を保っていられるのか。
そんなことを考える間もなく、その間合いは射程圏内に入った。
九十九が身をよじりその剣を躱そうとしたとき、フリエルの体は突如「鎖」で縛られる。後方を見ると、顔を歪めている猪川の姿が。
その隙に、九十九と猪川はたまらず工場の外へと飛び出した。
ガンガンと痛む頭を押さえ、一度辺りを見渡す九十九。
共に突入したラファルは、頭を押さえて川内 日菜子(
jb7813)の肩に腕を回している。
「……構えて」
一番早く反応したのは紅香。
目線は上空、そこには黒い翼を広げるソフィ・サーナの姿があった。
「ここは私と紅香に任せてっ、皆は予定通りに!」
川内の一声を合図として、撃退士らは各々の役割を持って散会する。
「さて、また同じ様に突入するのは得策ではないさね」
「だったら任せて。俺が壁を斬るから、そこから射撃して追い出そう」
そう言ったラファルの手には刀状の武器が握られ、その刃は錆びれた鉄の柱ごと工場の壁を断ち斬った。
大きな亀裂からは、翼竜の姿が確認できる。
「天使の方は居ないが、それは皆に任せるさね」
連続で放たれた弓矢は今度こそ、その翼竜の体に突き刺さった。それに驚いたのか、翼竜はギィギィと不快な声を漏らし飛び立つ。
逃がさないぜ。
工場の屋根を抜けて飛ぶ翼竜に向かって、ラファルは背に担いだ高射砲から勢いよく鎖を射出し、無理やりその翼竜を絡めとって地に落とす。
「ちょいと離れたとこに落ちちまったみたいさねぇ」
「すぐに向かおう」
翼竜の落ちた地点、そこは少し離れていたとはいえ、まだ廃工場の敷地内であった。
「……こりゃ、一体、どういう」
地に落ちた翼竜の息は止まっている。
ラファルの鎖は無残にもバラバラと千切られており、何より、その翼竜の腹は中から何かが出て来たように食い破られていた。
二人は眉をしかめる。
そして、不穏な羽音が聞こえ、顔を上げた。
●
「これは、状態異常の回復を試みるなんて、悠長なことは言ってられないなっ」
「ああぁぁああっ!!」
意味無き声を叫び剣を振るうフリエルと対峙するのは、猪川と佐藤の援護を受ける逢見仙也(
jc1616)だ。
ソフィの方は川内と紅香が相手をしているものの、どうやらソフィは進んで交戦しようとせず、のらりくらりと回避を続けているらしい。
「おいおい、どうしてその悪魔の味方をする?彼女のことは良いのかっ?」
これで何か変化が生じればいいのだが、当のフリエルは変わらず狂ったように剣を振るばかり。
佐藤や猪川が同じく呼びかけてみても、結果は変わらなかった。
「ここは、敵を引き離した方が良い」
「了解」
逢見に近寄り、苦戦している様子の川内がそう告げる。
作戦としてはとてもシンプルなもので、押して押して、ソフィとフリエルの距離を広げさせていくといったもの。
川内は拳に炎を纏って怒涛の攻めを、そしてその後方からの紅香の援護が、ソフィの行動を制限していく。
一方フリエル側は、前線で逢見が攻撃を受ける盾となり、後方から猪川と佐藤が援護することによって、次第に敵の距離を開けていくことに成功した。
「距離も開いた。試すなら今だっ」
佐藤が合図を出し、猪川が前線に飛び出す。
暴れるフリエルの剣を逢見が力任せに上方へかち上げたその隙に、猪川はアウルで形作った槍でフリエルを貫いた。
その槍は、クリアランス。状態異常を治癒する効果があり、佐藤はその効果でフリエルが正気に戻ってくれることに賭けたのだ。
「ぐ、ぁが、うぅぅ……」
剣を持たない腕で肩を抱き、そのままガタガタとフリエルは動かず震えだす。
嗚咽にも似たうめき声は言葉としての意味は持っていない。
「おい!聞こえるか!?」
しかし、佐藤の呼びかけに反応はない。
そこでふと、最も近くに居た逢見は何かに気付いたらしく、目を凝らしフリエルに顔を軽く寄せる。
「───っ、危ない!」
猪川が叫ぶのと同時だった。
先ほどまで怯えていた様子のフリエルは、近づく逢見にいきなり斬撃を飛ばしたのだ。
何とかそれを剣で弾くが、逢見の体は大きく後方へと吹き飛ぶ。
「あははっはははっ!!!!」
今度は狂ったように笑い出した。
それを見た猪川は、淡々と、佐藤に告げる。
「これ以上はこっちが危ない───殺さないと」
待ってくれ。佐藤はそう言いかけて、逢見の姿を目にした瞬間、口をつぐんだ。
傷に泥が入り地味に痛む。逢見は痺れた両腕に力を入れ立ちあがった。
「……声が届いてなかったのは、アイツ、鼓膜が壊れてんだ」
フリエルの耳の穴の目立った傷や、固まった血などで、結論に至る。
つまり、フリエルは拷問の末に聴覚を失い、クリアランスも無駄なほど根本から心を壊されたのだろう。
「あれじゃ、情報は得られない」
表情の硬い佐藤を目の端に捉え、逢見は武器を鎖に持ち替えた後、攻勢に転じる。
猪川と佐藤の攻撃を煩わしく思ったのか、フリエルは斬撃を飛ばしながら空中へと退いた。
「逃がすかよっ」
逢見の繰り出した鎖はうまくフリエルの足首に絡みつき、その動きを止める。
しかしこのままでは格好の的だ。フリエルは剣を振り上げた。
「今度はこっち!」
猪川から射出される複数のアウルの鎖が、四肢に絡む。
「今だよっ」
「迷ってる暇はないぞ!」
猪川と逢見の指示が飛び、佐藤はギリリと歯を噛んだ。
砂糖の周囲に出現する複数の銃。ライフル、マシンガン、ガトリングなど。
「……すまん」
フリエルが身をよじり鎖をほどいた瞬間、全ての銃口が連続で火を噴き、天使の体に次々と穴をあけていく。
命が削られ、息は次第に弱くなった。
しかし、薄れゆく意識の中で、フリエルの表情は憑き物が取れていくように楽になる。
「……の…む」
何と言ったかはうまく聞き取れなかった。息を止め、倒れたフリエルの手には、血に濡れた小さなレコーダーが。
死に顔というより、寝顔だ。
疲れているがどこか安心したような、そんな寝顔のまま、一人の天使は眠りについた。
●
まるで毎週楽しみにしているアニメを見終わった子供のように、ソフィはどこか楽しそうな笑顔を浮かべている。
「……目的は、一体なんだ」
色々な感情が重なりながら、川内は口を開いた。
それに対し、ソフィは変わらずの笑顔である。
「楽しいからだよ。私も、鹿路のヤツも、楽しいから殺すの♪」
「あれが、お前の能力か?あの天使も含め、他人をマインドコントロールするような。そうだというなら辻褄が合う」
「……んー、フリエルくんはただ壊れちゃっただけだよ?それに、私が得意な能力は、それじゃない」
会話を断つように銃が連続して鳴り、ソフィは肌を裂きながら宙に逃れた。
「目的は、殺すか、捕らえるか……後は別に興味ない」
「それはそうだけど……」
そこでふと、耳に耳障りな羽音が聞こえてくる。
これは「蜂」だ。人としての本能が、その羽音に警戒と恐怖を覚えている。
「ラル、こいつは?」
「ごめんねヒナちゃん、アイツ凄く素早くて。あの翼竜の腹を食い破って出て来たんだ」
近くに合流する九十九とラファル。
敵の蜂は大きさ1〜2m程の緑色の蜂で、トンボの様に瞬時に動き、ピタリと止まるような飛行をしている。
「動きは予測しづらいが、チャンスはある」
「……アレが攻撃してきたときさね」
ラファルの拳銃が乱雑に弾を吐き、それに合わせて素早く避けながら迫る蜂。九十九はというと、弓を引いたまま放とうとはしていない。
羽音は一層強くなり、強靭な大顎がギチギチと擦れている。アレに噛まれたら、考えるだけでも恐ろしい。
「攻撃に動いたとき、回避することは難しいさね」
大顎が開かれる。蜂が狙うは、先ほどから煩わしいラファル。
「まだ、もう少し……」
蜂との距離が詰まる。九十九は息を止め、引き絞った矢を離した。
「あの蜂は、私がまぁ仕込んだんだけど、鹿路のヤツの趣味なの。虫が体内から宿主を食い破る芸術性がどうとか言ってた。一応フリエルくんにも仕込んでたんだけど、文字通り蜂の巣にされちゃってるから、一緒に死んじゃったのかもね」
命に対する感覚が、あまりにも違いすぎた。
歯噛みする川内。本当なら一気に勝負を決めておきたいところではあるが、ソフィの言っていた「得意な能力」がまだ分かってない以上、一気に攻めるのは得策ではないと踏んでいた。
「……だから、聞いていないし、興味ない」
「なっ、危険だぞ!?」
動いたのは、事態の均衡に少し苛立っていた様子の紅香だ。
ずっと後方からの射撃を行っていた紅香の動きに、ソフィも少し対応に遅れ───ニヤリと笑う。
「そういうの嫌いじゃないよっ♪良いよ、愛し合おう!」
「……五月蠅い」
初めてソフィが攻撃に転じた瞬間だった。
狂気的な笑顔で、手にナイフを持ったソフィは勢いを上げ、対する紅香も全くそれに物怖じすることは無い。
間合いはほぼゼロとなる。ソフィのナイフは寸分の狂い無く紅香の喉元へ迫ったが、その紅香の姿は次の瞬間に消え、裂かれたスクールジャケットのみがその場に落ちた。
「───アハ♪」
「っ!?」
完全に裏を取ったはずだった。
背後から首にチタンの糸を回したその瞬間、ソフィの顔がぐるんと紅香の方を向く。糸はナイフで手早く切られた。
襲う「死」の予感。
ナイフが迫るよりも早く、紅香は一気に組み合って地面へと転がった。
互いに狙うは相手の死。紅香は銃を突きつけ、ソフィはナイフを突き出す。そして、くぐもった一発の発砲音が響いた。
「まだ、まだ、愛せるよね?」
ナイフは心臓をずれあばらを介し肺へ、銃弾は左の鎖骨から下を粉々に砕く。
ぐるんと、上を取っていた紅香の視界が反転し、今度はソフィが上に乗る形に。
今度こそ。ナイフは引き抜かれ、銃の引き金に指が乗る。
「邪魔だっ!!」
次の瞬間、川内のド派手な拳がソフィの頬を捉え、体ごと吹き飛ばした。
錆びれた鉄材の山に突っ込み、もうもうと砂煙が立つ。
「大丈夫か!?」
川内の問いの後、答えようとした紅香は血を吐いた。回復のスキルを持つ猪川と逢見が急いでこちらに駆け寄ってくるのが見える。
「あー、楽しかった♪」
砂煙の中から姿を見せるソフィ。
一瞬目を離しただけなのに、彼女の体には傷一つ残ってはいない。
「……それがお前の能力か?」
「そうだよ。永く愛し合いたいから、回復は人より得意なんだ♪……とはいっても時間みたい、今日は楽しかったよ!」
翼を広げ空へと飛び立ったソフィ。
追いかけなければならない、しかし今は紅香や自分達の治療が先である。
握りしめた拳、手のひらに爪が食い込んだ。
●
傷はとても深かったが、治療にかかる時間が手早かったため、大事にはならなかったみたいだ。
佐藤は紅香を見てほっと胸をなで下す。
果たして、自分が何も迷わず、フリエルを殺していれば結果は良くなっていたのだろうか。
だけど、命を助けるという行動が、間違いであるとは思いたく無かった。
「……このレコーダー、壊れていて聞けないな。一旦警察に持ち帰って、データの修復を行わないと」
死ぬ間際に、フリエルが残したそれ。まだ血に濡れており、自分の手のひらを赤くした。
「一応、入生田さんに報告した方が良いさねぇ」
「それもそうだな」
九十九に促され、佐藤は携帯を取り出し電話を掛けた。
「…………出ないな」
入生田の方も確か今は別行動中で、電話をとれるような状況ではないのだろうか。
佐藤はもう一度だけ電話をかけてみようと、リダイヤルを押す。
微かに地が揺れ、遠くで大きな爆発音が聞こえた。
そっちの方向からは煙が立ち上がり、曇り空に溶けている。
電話は再び、留守番電話サービスに切り替わった。
<続く>