戦闘後以外は吸わない様にってしてたのになぁ。
灰皿に煙草を押し付けるのは、少し肌のハリが心なしか無くなっている入生田晴臣だ。
「お疲れみたいさね」
「やっぱり一人が気楽、なんて泣き言も言ってられないんだよな」
九十九(
ja1149)は苦く笑い、その入生田の隣に座る。
場所は警察署内の休憩スペース。座った椅子にも煙草の臭いが若干染みついているのが分かった。
「卒業後は民間の方に勤めたいとは思ってるが、なにも戦うだけが仕事じゃなさそうさねぇ」
「戦うだけならどの撃退士でも出来るし、実績を積んでない新人には依頼は来ないからな。俺みたいに競争相手の居ない地に行くか、それとも戦う以外のプラスアルファで注目度を上げるか……飯を食うのも大変な訳だ」
「今、その苦労を、目の当たりにしてるさねぇ」
さて、と。入生田はそう呟くと大きく欠伸をかまして腰を上げる。
丁度、向かいから歩いて来た逢見仙也(
jc1616)に目を向け、入生田は九十九の肩にポンと手を置いた。
「無理するなよ、まずは自分を守れ。逃げてでも生きる事、長く撃退士を続けるコツだ」
「バレてましたかぃ」
九十九は衣服の下の傷を抑え、また苦く笑った。
●
「やっぱり、お越しいただけている保護者や、児童の皆さんは少ないみたいですか」
「あんな事件の後ですし、自分の子供を守りたいと思うのが親心ですから」
若い保母さんは申し訳なさそうに頭を下げて、それを受ける佐藤 としお(
ja2489)は、慌てて頭を上げて下さいと促した。
佐藤の見た通り、広めの保育園にしては、だいぶ児童の人数が少ない様に感じる。
「でも、その不安を解消するための俺達だから!」
ニカリと笑って胸を張るのはラファル A ユーティライネン(
jb4620)。
よろしくお願いしますと、再び保母さんは頭を下げた。
「えっと、では資料をまずお開き下さい」
外で園児たちが楽しそうに遊んでいる声が聞こえている中、保育園の一室では、十数人の園児の保護者、そして説明会に参加したいと言った数人の一般の方々が椅子に座っている。
入生田から予め渡されていた資料を配り、保護者達の前に立っているのは、猪川 來鬼(
ja7445)とラファルの二人だ。
書かれている内容は、警察の方々が調査を行った内容で、分かりやすく記されてはいるものの、結局は現在芳しい結果は得られていないと説明を行うしかない状況である。
「質問良いですか?」
「はい、どうぞ」
手を挙げるのは、まだ成人してないくらいの少女。健康的に日焼けした肌が特徴的だ。
園児の誰かのお姉さんだろうか?猪川とラファルはそんな印象を抱く。
「まだ捕まってないってことは、近くに居るかもしれないって可能性もあるの?」
「無い、とは言い切れないかな。でも、これ以上の犠牲を出さない為の撃退士で、警察です。うちらが全力で皆さんを守る事を約束します」
「えっと、だからさ、俺達も皆さんにお願いしたいんだ。絶対に人目のつかないところに行かないこと、すぐに助けを呼ぶこと、よろしくお願いしますっ」
どこかで聞いたことがあった。
子供と言う生き物は凄く純粋で、大人の本性なんかを実は無意識に肌で感じ取っているのだと。
「ね、ね!お兄ちゃん、次はこの歌が聞きたい!」
「あたしもあたしも!」
「順番に弾いてあげるから待つさぁねぇ」
「すごいすごい!さっきまで持ってた十円玉が消えちゃったよ!?」
「あははっ、お兄ちゃんは撃退士だからな」
「すげー!撃退士すげー!」
園児達に囲まれ、とてもすごい人気の二人だ。説明会を終えた猪川はそんな外の様子を眺めていた。
そして、せっかく頑張ってあの格好をしてきただろうに、意外と人気が無いのは、一足先に説明会を切り上げていたはずのラファルである。
ペンギンの着ぐるみが何とも寂しげであった。
「何で、だと思う?」
「え、っと……タイミングかな?」
きっと、本性にあるサディスティックな部分が、子供には何となく感じ取れているんじゃないだろうか。
勿論そんなことを言うことも出来ず、猪川は首を傾げて見せる。
「───あの、すみません。少し良いですか?」
「?」
そんなとき不意に、不安げな表情を浮かべたあの保母さんが、小声で九十九に声をかけた。
●
ここは、俗に言うモニタールーム。
床のタイルには広く血が染みているのだが、別にモニターが破壊されている気配は無い。
「我々は、文違が最初に訪れて殺人を犯した場所がここだと推測しています。モニタールームの警備員を手早く殺した後、モニターに繋がるケーブルを切断。その後に診察室で医者や看護師を殺害、そして病院内を歩き回ったのではないかと」
一室に訪れているのは女性の警官と、川内 日菜子(
jb7813)の二人。
説明を受けた川内は部屋の隅のケーブルに目を移した。
確かに、そこには乱雑な切り口で千切られたケーブルがある。
「じゃあ、もう記録とかは残ってないのか?」
「そこは文違の唯一の失敗だったと思うのですが、ケーブルを切断してもモニターに映像が映らなくなるだけで、記録はこの本体に残っています。別のモニターを繋げば出力も、読み込みもできるんです」
そういって女性はノートパソコンを開いて、ケーブルをつなぐ。川内は画面の前に顔を向けた。
「これは、あの日の映像か」
自然に廊下を歩く文違の姿。
彼は時折カメラの死角に入り、そして姿を現す。特にカメラの位置を確認している様子もなく、ただ普通に歩いているだけのようだ。
このモニター越しでも、彼に異変を感じることはない。だからこそ、ここまでの侵入を許してしまった。
「そしてこの部屋に来て、警備員を素早く殺害。でも、どうして真っ先にこの部屋へ?」
「病院の入り口に案内図があります、それを見て覚えたとしか……でも、監視カメラの位置は分かっていないはず。情報を提供してくれるような協力者も、彼にいるとは考えにくいんです」
「まさか、偶然が重なったとでもいうのか……?」
時間が進み、今度は死角に隠れるようなことなく次々と殺人を犯し、ただただ普通に走りも隠れもせず文違は廊下を歩く。
そして本当に不思議なことに、文違の行動を目撃する人間が、丁度その時々で居ないのだ。
これは、あまりに出来過ぎた偶然。
「川内さん、このようなことは撃退士の観点から見て、起こり得ると思いますか?」
「………っ」
───神に愛されている。
言葉で表すとするなら、きっと
しかし「殺人」に、そのような事があってもいいのか?
川内は、彼女の問いに何も答えられなかった。
「……分かった」
通話を切り、手元の病院の見取り図に視線を落とす紅香 忍(
jb7811)。
監視カメラの記録を確認していた川内の話によると、
文違の行っていた殺人は思い付き程度の計画性は感じられたが、そのほとんどが偶然の重なりで起きた大量殺人であったとのこと。
「……でも、偶然の重なりとでも言わないと、確かにこの状況は、説明できない」
病院内に何か細工が施されていないかなどを調べ、大した成果が得られずにいた紅香はそう呟く。
そして、最後に足を運んだのは、鹿路晃一の病室。
またここでも壁を軽く叩いて回り、どこかに異変がないか探していた彼女は、とある箇所で足を止めた。
音が違う。壁の色も少し新しい。
勝手に現場を荒らすようなことをしていいのかとは考えたが、紅香はその壁を丁寧に砕いた。
「……これは?」
『───それは僕の秘蔵コレクションです。返していただけますか?』
窓が開かれ、涼しげな風が吹く。
病院の二階。窓の縁に座り笑顔を見せるのは「鹿路晃一」本人だった。
整った顔立ちに、柔らかに細く笑った目。
「……っ」
「ふふっ、貴方も良い目をしてる。僕達と一緒だ……分かりますよね?コレは、僕にとって何よりも大切なものなんです」
壁に埋め込まれていたのはビニール袋。その中には、何かしらの写真が大量に入っているようだ。
鹿路が言う「大切なもの」。その為なら人を殺すことも厭わない、自らの中でそれほどの価値があるもの。
その言葉の意味に、紅香は心当たりがあった。
「っと、まだ他に居ましたか。惜しいですが、これは差し上げましょう」
鹿路はそう言って、体を窓から落とす。
その次の一瞬だ。紅香の横を走り抜け、壁に大穴をあけるほどの拳を繰り出したのは川内。
素早くその場から去っていく鹿路の姿は、すでにもう小さくなっている。
「おいっ、大丈夫だったか!?」
「……うん」
心配してくれる川内、紅香は不意に視線を反らした。
●
「施設訪問のことなんですけど、こんな時期にやる必要ありますか?もし襲撃されて死傷者なんて出たら大事ですし、それに人が多いと防衛にも不向きです」
「だったら、感化された犯罪者達が徒党を組み、着々と準備を進めている間、指を咥えて待てばいいのか?リスクは覚悟の上だ。そして、そのリスクを限りなくゼロにする為に、俺はお前たちを呼んだんだ」
並べられたパソコンに、隣り合わせで座る二人。
入生田と逢見は色々と会話をしながら資料のページを開き、その文章に目を通していた。
「文違は、このまえ入生田さんが話してくれた通りですね。んー……殺人犯にこんなことを言うのもなんだけど、結構悲惨な過去ですね」
「いわゆる望まれて生まれてきた子供じゃなかった、ってことか。親からの執拗な虐待、そのどれもが目を覆いたくなるものばかりだ。それよりも、鹿路の能力はスゴイな。近接武器の扱いに優れ、基礎的な身体能力も非常に高い。持っているスキルも攻撃的なものばかり」
大人しい顔立ちをしているのに、確かに鹿路の戦闘能力は目を見張るものがあった。
それに加えて、殺人を楽しむという異常癖。逢見は微かに寒気を覚える。
「ん?でも、ちょっと待ってください。文違の話に戻るんですけど」
逢見が見せるのは、文違が小学三年生の時に犯した殺害事件のページ。
「母親とその交際相手の死因は、正面から包丁で心臓を一突き。小学生の子供に、喧嘩慣れしてるだろう大人が、正面から刺されますか?」
「そういや、そうだな。今回の事件のこともあるし……仕掛けがあるのか、それとも才能か」
「殺しの、才能?」
「あぁ」
確かに、病院内の被害者の誰もが、一瞬で死んでしまうような急所ばかりが狙われていた。
そういった一種の非凡な才能が、鹿路のように優秀で異常な人間を惹きつけているのだろうか。
時間はいつの間にか過ぎていて、もうそろそろ切り上げようかと、目薬を差しながら入生田は呟いた。
「……んー、ウチの事件の規模が大きいし珍しいから、こういった事件でも小さめでしか取り上げられないんだよなぁ」
「何を見てるんですか?」
逢見はパソコンをシャットダウンさせ、入生田の画面に顔を寄せる。
そこにはネット新聞が開かれており、その隅に小さく「悪魔の変死体発見。天魔抗争が原因か?」なんていう記事が載っていた。
「結構な事件だぞこれ。悪魔の全身が執拗に切り裂かれていて、もはや原型がわからないとか」
「これは物騒ですね」
「ウチのこの事件に感化されて、なんてことじゃ無ければいいんだがな」
●
『───すみません、少し良いですか?』
逸早く気づいたのは、予め九十九から指示を受けていた保母さんであった。
『あそこの、小麦色の肌の女の子なんですけど。あんな子、見覚えがないんです。児童の誰の血縁でもないみたいですし、近所でも見たことのない顔だなって』
子供に向かって笑顔を向ける、高校生か中学生程度の少女。
保母さんの指摘がなかったら、何一つ疑うことは無かっただろう。
「ちょいと良いかね、お嬢さん」
「……え?」
子供とその少女の間に割って入るようにして、声をかける九十九。
当然少女は驚いたような表情を浮かべた。
「名前と、ここに来た理由を聞いてもいいさね?」
「なんでそんなことを聞くんですか?皆さんも、どうしてそんな目で……」
九十九と少女の周囲からは人が離れ、警戒の色があらわとなっている。
「あーもー、早すぎ。まぁ、無計画に乗り込んだ私が確かに悪いんだけどさぁ」
急に口調が変わった少女。
そのすぐ後だ。彼女の背からは黒い翼が広がり、右半身にタトゥーが刻まれ始めた。
黒いアウルの気配。間違いない、彼女は悪魔の類だ。
「えっと、質問に答えればいいの?私の名前はソフィ・サーナ。ここに来た理由は、子供が好きだからでーす」
「子供が好き?」
「そ!私、可愛いいものとか小さいものとか大好きなの!───」
「───好きな子を、イジメるのがほんとに大好き」
恍惚を浮かべる狂気的な笑顔。
「おい、危ない!下がれっ!!」
誰もが彼女の表情に気をとられていた中、真っ先に佐藤が大きな声を上げた。
九十九を含め、撃退士達はそれを皮切りとして一斉に動き出す。
「あとは俺に任せろ!」
「すまんさね」
九十九と入れ替わるように前に出るのは、大型ライフルを持つラファル。
ラファルとソフィを中心に風が吹き荒れた。周囲の子供達は佐藤によって速やかな避難が開始されている。
「邪魔の入らない一対一、今の俺はちょっと機嫌が悪いよ?」
「可愛いペンギンさん。良いわ、お互い楽しみましょ?」
今度はソフィに向かって突風を飛ばし、その間にラファルはガンガンと数発の銃弾を撃ち込む。
殺しはしないまでも動けないようにする。確実にその銃弾は彼女の腕や肩、羽を貫いた。
「……最っ高!!」
しかし、ソフィは一瞬たりとも怯まず。風をよけ、ラファルに向かって急接近を行う。
手に握られているのは短いナイフ。何発も射撃を繰り返しソフィを削っていくものの、その勢いは衰えるどころか増すばかり。
「愛って、傷つけあって確かめるものだよね?そう思わない!?」
「っ!?」
殺すことしか考えていない目。喉元に向かって突き出されるナイフ、ラファルは一瞬気圧されて反応が遅れた。
しかし、その切っ先はラファルに触れることなく、ズドンという重い衝撃と共に地に沈む。
「───勝手なことしないで下さいと、あれほど言ったでしょう?殺しますよ?」
ソフィがいた場所に、一人の青年が立っていた。
彼は何度も、足元で地に付しているソフィの頭を踏みつけている。その目はまるで子供を優しく諭すような眼であった。
気を失ってしまってるのか、彼女が動く気配はない。
「申し遅れました、僕の名前は鹿路と言います。彼女のせいで皆さんを不安にさせてしまった事を深くお詫びしますね。さて、また会う事もあるでしょうが、今日はこれにて」
あまりに突然の出来事、そして鹿路から全く敵意を感じられなかったせいか、ラファルは目の前の状況をただ見ているだけであった。
傷だらけのソフィを担ぎ、一瞬で姿を消した鹿路。
一部始終を見ていた佐藤らは、入生田の言葉を思い出していた。
助けることより、殺すことを意識してくれ。
不穏な空気を孕んだ風は、いつしか止んでいた。
<続く>