腐れた烏が空を飛び、ギィギィと不快な声で楽しそうに歌う。
「腹が立つなクソがっ」
剣を振るって来る天使「ヨアン・イザベラ」がまだ生きていることを知り、孤境重喜は逃げて躱すことを繰り返す。
時間が無いんだ。ギリリと歯を鳴らすが、そんな滑稽な様子を見てまた腐った烏が笑った。
『一人で駆け出したのに、こんなとこで足踏みか?』
急に体が後方に引かれて、自分とヨアンの間に大剣を持った少女が割り込む。何発もの銃声が空に響き、続々と他の撃退士がその場に集まりだした。
そして、孤境の体を引いたのは戒 龍雲(
jb6175)だ。
「言いたいことはたくさんある………でも、それは後回しだ。状況を説明してくれ」
尻もちをついた体を起こして、孤境は全員の後姿を見渡し、小さく一つ頷く。
「この敵は、セシルの兄の『ヨアン・イザベラ』。今は胸の裂傷から入り込んだと思われる寄生型ディアボロに体を乗っ取られてるんだろうと思います。でも、まだ、生きてます、かろうじて、ですが」
「セシルは?」
「きっと、俺が持っていたペンダントから察して、何のあてもなくこの森を飛び回っているものだと。でも、きっと敵は、アダムズ・ディーテリヒはそれを見逃すようなヤツじゃないことは明らかです………」
「よく分かった」
戒は拳に布を巻き、視線をヨアンに向けた。
「ヨアンを助けて、セシルも助ける、こういうことだな。ここは任せろっ」
戒の合図とともに各々は声を上げて前進を開始する。
「………邪魔はさせませんっ。孤境さん、早くセシルさんのところへ!」
「こっちは任せろっ、絶対に助けて見せるからよ!!」
群れを成し、孤境へ突っ込んでくる烏を雫(
ja1894)が大剣の腹で防ぎ、麻生 遊夜(
ja1838)の銃撃で蜘蛛の子を散らすように群れは再び空へと戻る。
「ありがとう、ございます………俺も必ずアイツを見つけてみせますっ」
身を翻し、孤境は力強く地面を蹴った。
●
例えるならば、ゾンビだ。生きていると言うよりも、無理矢理生かされている。動物の生死の摂理に働く冒涜を、彼らはまざまざと見せつけられていた。
本当に救えるのだろうか、普通ならばそう疑いを抱いても仕方がない。しかし、幾度とない死線をくぐった彼らの目に曇りは無かった。
必ず助ける。ただそれだけを自らの拳に込めた。
「ヨアンさんの心臓部と重なる様に、異なる生命力が一つあります。それと………ヨアンさんの生命力が今のこの間にも、弱まってます、急ぎましょう」
後方で盾を構える御堂・玲獅(
ja0388)がヨアンと対峙する三人に指示を飛ばす。
その指示を受けるのは、麻生、戒、そしてジョン・ドゥ(
jb9083)の三人。中衛に位置する麻生は苦い表情を浮かべながら、御堂の言葉に頷いた。
「追跡痕で全体像が分かった………予想以上に酷いぞこれは。触手がまるで神経の様に、全身の体内に張り巡らされてる。どっちが本体なのかよく分からねーな、クソッ」
ヨアンをどうにか抑え込んで、傷口から微かに露出する寄生ディアボロの核を破壊すれば良い。
そう、数分前までは。
しかし現在、撃退士達の戦闘の「気」に触発されたのか、触手がグズグズと蠢き出し、完全にその傷口を塞いでしまっているのだ。
ヨアンをどうにか抑え込み、内臓を傷つけないように触手を断ち斬り、そして寄生しているディアボロの核を破壊する。もちろん触手も無抵抗なわけではない。
「来るぞっ!」
動きを読み取った麻生が声を上げると同時に、戒とジョンが正面から立ち向かう。
血塗られた剣が素早く振り下ろされ、戒は大きく右に飛び退き、紅のアウルを滾らせるジョンは瞬時に懐へと入り込んだ。
ヨアンの腕を下から両手で掴んで、そのまま掴んだ腕を脇に挟み込む。
「剣を、離しやがれッ」
関節を極めて動きを封じるが、剣が手から離れる気配は全く無い。
「そのままにしていてくれ、俺が縛る」
後方に回った戒が発動するのは『髪芝居』。ヨアンの視覚には今、戒の髪が伸び、自らの体を絡めとらんと動いているように見えていた。
ガキッ、ボキッ
ジョンが耳では無く、肌で感じ取ったその嫌な音。
今までギチギチに極めていたヨアンの腕から「芯」が無くなった様に感じて、力任せに拘束から抜け出されてしまった。
「なっ───グフッ!?」
ヨアンは後方へと振り向くと同時に、逆の腕でジョンの首を薙ぎ払う。その不意を突かれた行動に、ジョンは呆気なく後方へと弾き飛ばされた。
外れた関節の代わりのつもりか、触手は肘や肩にグルグルと巻きつき、ヨアンに無理矢理剣を振らせる。きっとこの一振りで髪の幻影を断ち斬ったのだろう。剣を振ったすぐ後にヨアンは地面を蹴って、一足飛びに戒との距離を詰めた。
「援護するっ!」
麻生は突き出された剣に銃弾を連続で放ち、上手く剣の軌道を逸らさせる。
「このままじゃ、ヨアンさんの命が危険です………一旦、回復を行います」
上手く事が進まない状況を見て、御堂はその両手からヨアンへとアウルの光を送り込んだ。
羽は所々抜け落ち、瞳の色が白く濁りきった十数体の烏はギィギィと騒ぎながら、各々があちこちへと飛び回る。
「これじゃあ埒が明かないっ、スレイプニル!」
詠代 涼介(
jb5343)の呼びかけに応じて、スレイプニルは飛び交う烏に向けて威嚇の声を上げる。
増々けたたましくなる烏の鳴き声に詠代は眉をひそめた。
「それで良い、叩くなら今だ」
「詠代さん、少し離れて下さい」
翼を羽ばたかせて、アルジェ(
jb3603)は勢いに乗せたまま、脚甲を装備した足で注意の逸れている烏達を薙ぎ払う。
詠代の側にいるスレイプニルに向かって、口から剣先を突き出した状態で突っ込んで来る数体の烏を迎撃するのは、大剣を構える雫だ。
まるで扇ぐかの様に大剣の腹を敵に向けて振るい、上手く烏の剣先の全てを刀身で受け止める。
「そして、このままっ」
受け止めた勢いの全てを力で捻じ伏せるかの様に、雫はそのまま大剣の腹を、烏を受け止めた状態で地面へと叩き伏せた。
「ふぅ………それでも、まだ、数がいる事にはいますね」
「あぁ、まるで本物の烏の様に殺気を読んでるみたいだ。やりにくい」
潰れた烏を足元に、一息を吐く雫。そしてその隣に、アルジェがふわりと降り立った。
「でも、本来の目的はヨアンを助けることだ。俺らの役目はコイツらの注意を集めていれば良い」
詠代のスレイプニルは大きく空中へと飛び上がると、注目を一身に集め、そのまま烏を迎撃するように激しく暴れ出した。
「派手にやろう」
自分に与えられた役割果たす。それは、仲間への信頼を行動で示すことと同意。
雫とアルジェの二人も、詠代の言葉に静かに頷いた。
●
血塗られた剣先が曇り空に向けられると、偶然だろうか、ぽつぽつと雨が木々の葉に落ち始める。
曇天は怪しく蠢いて、先ほどまで騒がしく飛び回るだけだった烏は、段々と群れとなって飛びだした。陰に紛れる、黒い烏の白く濁った瞳が怪しく動く。
「クッ、一旦退いてくれっ」
「鳴き声がうるさくて、攻撃が何処から来るか」
統率された烏の集団は騒がしく周囲を飛び回り、視界も良好とは言えない中で良い様に一撃離脱を繰り返す。
止むを得ず詠代は召喚獣を手元に退かせ、雫はその大剣を四方に振るが、あちこちに黒い羽が舞うだけだ。空中にいるアルジェも煩っているように見える。一つ幸いなことは、その集団の目が一方的にこちらに集まっていることぐらい。
「忠実な手駒の様に、こっちの『威嚇』にもあまり乗ってくれない………やっぱり、ヨアンを先に片付けないと」
「詠代さん、提案があります。少し、良いですか?」
「?」
雫はもう一つの戦況の方に目をやりながら、詠代にそう問いかけた。
「私が行きますっ」
「頼む!」
御堂は戦線から少し離脱して、自らが持つ盾で、こちらに向かって来る二匹の烏を弾き返す。
弾かれた烏は深追いしてくること無く、そのままアルジェ達の方へと踵を返した。
遠距離の武器を持つ麻生が本来ならば対応すべきなのだが、ヨアンが操る触手を前線の二人に近づけさせない様に銃を放つので、どうやら手一杯みたいだ。
「このまま回復を続けたら、益々敵の核が捉えづらくなる」
引き金を何度も引きながら、麻生は後方から戦況を見て考えを巡らせる。
ふと、そんな時だった。
もう一つの戦況に立つ雫と視線が合ったのは。
「失敗したら色々厄介だぜ………でも、賭ける価値は十分にあるっ」
お互いが何を思っているのか、不思議とこの一瞬で、確信に近いくらいに分かり合えた気がする。
「ジョンさんっ、戒さん、これに賭けようぜっ!援護を頼みます、御堂さん!」
何を思ったか、麻生は銃を懐に戻し、代わりに小刀を手に携えながら一気に前線へと駆け出した。両目に灯るのは黒色のアウル、口元は微かに笑っている。
「さぁ、いくぜ………!ヨアン、あんたも生きたいなら根性見せてみろ!!」
「ここが正念場だ!」
麻生の援護が途絶えた事により、複数の触手が二人の体を締め付け、自由を削いでいく。
それでも、決して怯むことは無く、二人はヨアンの体へ掴みかからんと、その身を前に前に押し出した。
操られていようと元をただせば、この体の持ち主は「秀才」ヨアン・イザベラ。二人の攻撃を見事に裁き、しなやかな動きで決して的を絞らせない。
でも、こうなると話はまた別だ。
拳だけでは無い、全てをかなぐり捨てる様に、自棄を起こした子供の様に、ジョンと戒は体全部でヨアンへと飛びかかった。
右を切れば左が、左を切れば右が。横に凪ぐには態勢が間に合わない。
そんな迷いの間に、確かに二人はがっしりとヨアンの肩を腕を掴んだ。天使の体は地へと崩れる。
「こ、これはっ……!」
先に声を上げたのは戒であった。ヨアンは確かに倒れた、だが、二人の体はまだ宙に浮いている。
触手に絡みつかれたまま、体を宙に固定されてしまっていたのだ。ヨアンの顔は笑わない、それでも、まるでこれを狙っていたかの様により一層烏の群れが騒ぎ立て始める。
「確かに予想外だが………それでも、俺達の勝ちだ」
カチャン。
ジョンの言葉と同時に、あれ程までに戦闘中手放すことが無かった剣を、ヨアンは手の平を広げて自ら落としてしまった。
彼の腕に、足に、首元に絡みつくのは『手の形をした影』である。
「何とか、間に合いました。いや………ギリギリアウトでしょうか?」
後方でスキルを発動させていたのは雫だった。
そして畳み掛ける様に、ジョンは『威圧』を、戒は『髪芝居』を発動させ、完璧に天使の体を封じ込める。
「これで最後だ!」
駆けてきた麻生はすぐさまマウントをとり、小刀を両手で握った。
敵もきっとこれが最後の力なのだろう、うじゅうじゅと傷口の触手が蠢き、そしてまるで間欠泉の様に湧き出した触手が麻生の体を飲み込まんと溢れ出す。
「ここで決めろ!!」
触手を自らの身に浴びながら、それの根元に噛みついたのは詠代の召喚獣ストレイシオンだった。
力任せに喰い千切られ、根元から露出するのは紫色に光るディアボロの「核」。
「約束は守ったぜ」
小刀を突き立てられた核は、断末魔の様に一瞬激しく光り、ボロボロと崩れ去った。
●
「はぁ、はぁ………どうやら、あっち終わったみたいだな。全く、酷な役割だ」
烏に囲まれながら、大きく翼を広げているのはアルジェだ。
残る敵の数はおよそ五匹。彼女の下には、蹴り殺されている烏の骸が数体転がっている。
雫と詠代が戦線を離れている間、複数の敵を相手にしていたアルジェ。流石にスタミナ的にもそろそろキツイものがあった。
「アルジェ、もう後は大丈夫だ。御堂と雫がヨアンの回復、それの護衛に戒が入った。後は俺らで、この烏合の衆の後片付けをするだけだよ」
宙にいるアルジェと肩を並べる様に飛んできたのはジョンだ。
下の方からは銃声や、召喚獣の唸り声が聞こえて来る。
「最後まで気を抜かないように、だな。それじゃあ、片付けを始めようか」
呼吸を整え、統率を失った敵の群れに、アルジェは真っ直ぐに突っ込んだ。
静けさを取り戻した森の中。あのけたたましく煩わしい鳴き声は一つも聞こえてはこない。
「様子はどうだ?御堂さん」
「………傷は塞がりました。しかし、やはり精神的な面や、体の底にたまっている疲労度などを考えると、回復のスキルだけではカバーしきれないのが実情です。命の危機は去りましたが、集中的な治療を行うには、この環境はあまり好ましくないですね」
息が浅く、眠ったように目を開けない天使、ヨアン・イザベラ。
麻生の問いかけに答える御堂の表情は、あまり晴れやかなものでは無かった。
一体どれほどの間、寄生されたままだったのだろうか。死んでも、心が折れてもおかしくないくらい苦しかったはずなのに、彼の心臓は意思を込めて「生きたい」と鼓動をうつ。
「───乱入者っ!」
『ちょっ、ま、違───グハァアッ!?』
アルジェの警戒の声と同時に聞こえてくるのは、一人のおじさんの蹴り飛ばされた声。
周囲は警戒心をあらわに武器を携えアルジェに近づくが、麻生は何だか覚えのある声だったので、あえて無視をすることにした。
「アダムズの手の者か!?」
「ホントに、話を聞いて下さい、よく見て下さいっ!私です、ファンタジスタ・エロスです!!」
逞しい肉体に、黒の上下女性用下着を身につけている姿のおじさんは、自らをエロスと名乗った。確かに、自分達よりも先にこの地へ赴き準備を整えてくれていたあのエロス本人だ。
色々事情はあるのだが、実際にこの格好が彼にとっての戦闘スタイルであるし、その実力は折り紙つきである。
流石に見るに堪えかねず、麻生が事情を話し、何とか事態は収まった。エロスもすぐさまスーツを着用し始める。
「敵の排除を終えてすぐにここに来たものですから、それはそうと、救出は成功したみたいですね。あとは私に任せてください、麓に学園から救護役員が来ておりますから、私が警護に当たりしっかり病院へとお連れいたします。皆さんは少し下山したところに簡単なベースキャンプを設けていますので、そこで少し休養を取って下さい」
エロスは両腕でヨアンの体を抱きかかえてそう告げた。
しかし、アルジェはそれに反論をする。
「生憎だが、すぐに助けに向かわないといけない友達が居るんだ。ここで休んでいる暇はない」
「それは駄目です」
「………なぜ?」
「この一帯を見れば分かります、決して楽な戦闘では無かったことぐらい。あなた方は覚悟を決めたはずです、みんなで生きて帰ると。今は少し体を休めて、孤境さんを、どうか仲間を信じてあげて下さい。それと、何かあれば彼の方から連絡が入ります。この通信機を持っていて下さい」
未だ止まぬ雨。濡れた通信機がエロスから彼らに手渡される。
逸る気持ちを抑え、彼らは山を下り始めた。
<続く>