何とも全身がリラックスする様な穏やかな木の香り。景色は湖や山などが一望できる良スポット。
今回のキャンプの為に無料で借りることが出来たログハウスは大きくて、セシル・イザベラは思わず心躍らせる。
「しっかし、無料での貸し出しってのが太っ腹だよなぁ。あ、孤境さんがどこ行ったか知らないか?」
今回持って来た食材を冷蔵庫に入れてるのだろう麻生 遊夜(
ja1838)が、ちらりと目をやりながらセシルに尋ねる。
「あ、師匠はオーナーさんと少し。師匠がネットで有名な人なのをオーナーさんが知って、宣伝も兼ねてということで無料の貸し出しになったみたい。だから私達は先に広場の方に」
「なんか、責任重大な話だな」
球場くらいありそうな一面芝生の広場、そこにはロープが地面に張られていて、色々なスポーツが手軽に楽しめるようになっていた。
「みなさーん、こっちでーす」
一足先に直接来てカメラの用意を済ませている、相変わらずジャージ姿の孤境重喜が手を振っていた。
しっかり全員が居るのを確認し孤境は一つ頷いて簡単に挨拶と説明を済ませ、さっそく予め決めていたチームに人数を割り振る。
孤境のチームは、麻生、アルジェ(
jb3603)、ジョン・ドゥ(
jb9083)。そしてセシルのチームが、雫(
ja1894)、詠代 涼介(
jb5343)、戒 龍雲(
jb6175)となっていた。
「さて、今回はイーブンな勝負をしましょう」
何やら圧のある言い方をする雫。しかし孤境はマスクを着用し終わって、何やら不敵に微笑んだ。
苦虫を噛み潰したような表情というのは、今の雫にこそ似合っているのだろう。
孤境を中心に狙いを定めようとしていたのに、孤境はそんな雫の思惑をまるで見透かしていたように最初に外野の位置へついたのだ。そして空中のアルジェが勢いに乗せて放つボールを避けられないと踏んで、物質透過で躱そうとした戒を、ジョンが阻霊符で妨害。現在、雫側の内野は、雫とセシルの二人になっていた。
「麻生、挑発か?」
「ふふん、別にそんなつもりは無いぜ?」
外野でボールを持つ詠代、内野のジョンとアルジェは離れて位置しているというのに、麻生一人は挑発でもするかのように外野の近くに立っている。ギリリと奥歯を噛む詠代、今すぐにでも投げたいところだが、麻生は本当に全ての球を完璧に躱し続けているのだ。例えこの距離でも当てられるかどうかは分からない。
「挑発に乗ればそれこそ思うつぼだぞっ」
「大丈夫だ」
戒の注意を振り切る形で、詠代は麻生のど真ん中目がけボールを投げた。
しかし、それでもまだ余裕があると言わんばかりに麻生はひらりと避ける。誰もが詠代は失敗したんだと、そう思った瞬間だった。
「なっ!?」
「これぞモンスタースト………うっ、目にゴミが」
グググと不可思議にボールはカーブし、後方のジョンの横腹にヒットした。
麻生だけに注視を注ぐ全員と違い、一番遠目で全体を見ていた孤境だけが、そのタネに気づいた。詠代の召喚獣がボールに隠れるように飛んで、ホーミングさせていたのだ。
詠代は目を擦りながら内野に戻って、ジョンが外野へ。
ジョンに当たった反動で今度は、ボールは孤境の手に渡る。
「空中に居るからって、余裕こくなよセシルっ」
「ぐ、ぐぬぬ、勝負っ!」
大股に助走をつけて、孤境はセシル目がけてボールを横投げで放る。孤境の長い腕から繰り出される横投げの球、しかしそれは孤境の目線の先とはてんで違う方向へと発射された。
軌道は地を這うような低空。「えっ」とセシルが呟いたのその間に、加速するボールは足の甲にちょうど当たってすぐに地面へ落ちる。
「くっ、この………」
「イーブンな勝負をしましょう、雫さん」
マスク越しでも分かるくらいに、孤境は悪い笑みを浮かべていた。
その後は誰しもが当てつ当てられつつの繰り返しであった。
アルジェの真似をするように勢いをつけて球を投げるセシル、しかしアルジェはそれを片手で受け取り回転する様に勢いを増してまた投げ返す。
外野の雫が繰り出す大砲の様なボールを内野の詠代が召喚獣を使って何度も弾き返す怒涛の攻め。この中で一度もヒットしてないのは、試合前にこっそりとボールに「追跡痕」を撃ち込んでいた麻生のみ。
途中でアルジェがボールを増やそうとしたが、編集的な面とルール的に孤境が却下する場面なんかもあった。
そして、現在内野に居るのは雫と詠代、そして麻生と孤境だ。
「ここで決めるっ」
ボールを持つジョンが取り出した札は、蒼色の光をした人型の式神へと変化する。
そしてその式神は目にも止まらぬ速さで、自らを爆発させながらボールを放つ。
「いいや、まだだねっ」
詠代は召喚獣を繰り出して自らが吹き飛ばされながらもそのボールを真上へと弾き上げた。
「麻生さんをアウトにするには、これしかないですっ」
高く弾き上がったボールを、大きく地を蹴りその手に掴む。雫のアウルはますます強まり、周囲には粉雪の様に燃焼されたアウルが綺麗に舞った。
大砲が打ち出されるような衝撃で放たれた球は麻生でも孤境でもなく、敵陣の内野中央に叩き込まれる。
雫が叩き込んだボールは地面に触れた瞬間大きな爆発を起こし、麻生と孤境は爆風でコートの外に放り出されてしまった。
ここでルールの確認だ。内野手がコート外に出ると、その内野手はアウトになる。
現在内野に立つ人間は、雫の一人だけ。つまり
勝利、セシルチーム。
●
ドッヂがひとまず終わり、汗を流す為に先に女性陣が風呂へ入る事に。
「動画を盛り上げる為に覗きでもしないのか?」
「な、なに言ってるんですかアルジェさん」
着替えをもって淡々とそう述べるアルジェに、孤境のみならずその場の男性陣の体がギクシャクと固くなる。
そんな中苦笑いの孤境はチラリと雫と目が合った。
「この部屋から一歩たりとも出ません」
「う、うん?」
「早く行きましょう、アルジェさん、セシルさん」
その時一番近くに居た麻生は、孤境の顔が一瞬で真っ青になるのを見たとか。
「なっ、へっ!?」
「ふむふむ、これはなかなか」
同時に五人程度なら入れそうな広めの浴槽に浸かる三人。何が発端かは知らないが、アルジェは現在セシルの豊満な胸をわきわきと揉んでいる最中である。
その場で慌てふためくセシルを見かねて雫が注意をしたところで、ようやくアルジェの手が離れた。
「なっ、なななっ」
「スキンシップだよ、仲良くなりたかったんだ。裸の付き合いが駄目となると、そうだな、セシルの昔の話なんかを聞いてみたい」
「そ、そういうことでしたか」
今ので納得するんだ。雫は少しセシルの将来が不安になる。
「そうね、昔話、といってもお兄ちゃ……兄のこと以外はあまり話せないわ。私は物心ついたころから両親が居なかった、だから兄とずっと一緒で。何においても優秀な兄は私の憧れで、こんなに長いこと一緒に居ないのは生まれて初めてかも。お兄ちゃんにあったらきっと、二人とも一目惚れすると思うわっ」
誇らしげにその豊満な胸を張るセシル。アルジェは思わず再びそれに手を伸ばした。
「ねぇ、セシルさん。ところでなんだけど『アダムズ・ディーテリヒ』という名前は聞いたことある?」
「ひぇっ、だ、誰ぇっ?」
「知らないのね、ごめんなさい」
「へ?いや、た、助けてぇ」
「さっぱりした」
「ふぅ、重喜らも入ってきたらどうだ?」
バスタオルを肩にかけた詠代とジョンは、ちょうどカメラの整理をしてる孤境とその手伝いをしてる麻生にそう告げる。
「丁度戒さんも帰って来ましたし、そうですね」
孤境は頷いて、麻生と少し泥に汚れた戒との三人で浴槽へと向かった。
男三人で、戒、孤境、麻生の順に並び自らの頭をわしゃわしゃと洗う。
「さっそく本題に入りたい。知ってることを教えてくれ、俺達だって協力したいんだ」
戒の言葉に麻生も同調して頷いた。
「そうですね、今後の事も考えて話しておいた方が良い………たぶん、ヨアンを殺害し、イザベラ夫妻の死に何らかの関係がある悪魔、それがアダムズです。現在は消息を絶っていて生きてるかどうかも分からない、階級は準男爵。ディアボロの製作と扱いに非常に長けてる、片翼を失っている、決して体格が良いとは言えない、とまぁその程度ですね。他の情報は未だに分からないまま。でも、セシルにはまだ、話さないでほしいです」
髪を洗う手が止まっている孤境の背を、麻生は平手でバチンと叩く。
「───つぅ!?」
「大丈夫、一人じゃないんだ。いつでも協力するぜ?」
孤境は手を動かして、明るい苦笑いで「ありがとう」と答えた。
●
(では、今から闇鍋パーティーを開始したいと思いまーす)
(((いぇーーい)))
孤境の小声に続いて、複数の小さな掛け声が暗闇の中に響いた。
暗くて静かなリビングに、ポコポコと穏やかに沸騰する鍋の音が聞こえる。
鍋に入れて良い材料は「食べられるもの」。そして鍋に食材を入れて行く順番はテーブルに座ってる人を時計回り。
最初に入れるのは孤境だ。
(要するにハズレの具材を引かなければいいんだ、つまり、こうすれば)
菜箸を使って真四角のこんにゃくを静かに鍋へ立てる様に入れて、煮卵や春雨などを次に入れる。
これでこんにゃくは壁の役割を果たし、自分の具材が混ざって分かりにくくなる可能性は低くなった。
(よし、次はアルジェさんか)
(とりあえず色々持って来たが、ふぅむ)
アルジェが持って来た具材は「ナタデココ、鶏肉、タコ足」などだ。
(そして最後にこのヨーグルトとカレールーだな)
ぼちゃぼちゃと沢山の具を投入した後に、ヨーグルトの水っぽいびちゃびちゃとした音が響く。微かに孤境の顔が引きつっていたが、それは誰も知らないことだ。
(次は、私ですね)
雫が持参した食材は鮪の目玉と、バロットだ。両方とも栄養価が高いのだが、如何せん見た目のせいで敬遠される食材だ。
ちなみにバロットとは雛が孵化する寸前の卵を茹でたものであり、フィリピンの名産品としても扱われている。
(味は良いんですけど……)
ぼちゃぼちゃと音が響いて、菜箸は次に回された。
(本当は猪や鹿なんかが良かったが、そう上手く事は運ばないものだな。野兎だけでも見つけられたのは幸運だったと思おう)
戒の持つ肉は、野兎と山のカラスの肉だ。山で採れた野生の動物の肉を調理することをジビエと言い、これらの肉は外国では高級品として重宝されている。
ちなみに街中のカラスの肉は食べられないので注意。
(そしておまけに蛇の肉を、っと。よし)
一つ一つを丁寧に鍋に入れて、戒はどこか満足そうに頷いた。
(闇鍋は初めてだな)
詠代が持つのは至って普通の鍋の具材ばかり、ネギや豆腐、白菜など野菜が少し多めだ。
(あとは、このミニの肉まんとあんまんを)
後ほど誰かが詠代に何故この二つを入れたかを聞いたみたいだが、特に理由なんてものは無かったとの事。
トプンと二つ。菜箸はまた次に回される。
(これで良い出汁が取れるって思ったが、既にまごうことなきカレー臭が………)
麻生の耳に今まで聞こえてきた数々の投入音。聞こえる、聞こえはするんだが如何せん暗闇。変に悪い方向へ妄想が掻き立てられる。
(こういうのを、焼け石に水とか言うんだったか)
グッと眉をひそめて、ミカンとスルメを鍋の底まで押し込んだ。
(残すのは避けたいからどうにか食べれるようにはしないとな)
ジョンが持つのはカレールーだ。すでにカレーの香りはしているのだが、まぁ、味が濃い方が「変なもの」の味を紛らわせるだろうから。そう思ってポトポトと固形のルーを落とした。
(あとは、固形が残らないように混ぜようか)
確かそばにあったはずだと、ジョンはお玉を手にとって鍋をぐるぐるとかき混ぜた。これは孤境の小細工が破綻したことを意味するが、当然それは知る由もないことだ。
(師匠が、好きなので良いって言ったからぁっ………鍋なんて聞いてないわよぉ)
イチゴやパインなど、可愛らしい果物を持つのはセシルだ。
このフルーツ達をカレー臭がプンプンする鍋の中に放り込むのは気が引けるどころの話では無い。
(どちらにしろ、よね………覚えておきなさいっ)
後は野となれ山となれ。最後のセシルの順番が終わった。
暗闇の中各々の皿に分けて、それではいただきます。
動画に残る為、全部美味しくいただきましょう。
●
「もう、まんま雛じゃん………なにあれ、ウッ」
「蛇なんて、初めて食ったぞ。斑模様が、まだ目に浮かぶ………」
「目ん玉ぁ、何でよぉ………」
震える声でグロッキーになっているのは、孤境、麻生、セシルの三人だ。
特に自分が齧ったバロットを、明かりのついた状態で目撃した孤境は酷いもので、どうしてもそれだけは食べきることが出来なかった。結局それだけは雫が代わりに「味は良いのに」とひと口で食べた。
それを見て益々孤境の表情が曇ったのは言うまでもない。
「その、重喜。気分転換に外へ出ないか?そしたらいくらかリフレッシュ出来ると思うぞ?」
孤境を呼ぶのはジョンと、その横に居る詠代だ。
「ふぅ………確かに、空気が美味しいです」
「ん、そうだな」
星空の下、孤境と詠代は大きく息をした。そして横に座るジョンが訝しげな顔で孤境を覗き込む。
「なぁ、俺はすぐにでもヨアンの死をセシルに伝えるべきだと思う。知らないままずっと探し続けるのは、あまりにも酷だ」
「分かってます、伝えますよ。でも、それは今じゃない」
「何でっ」
「今なら彼の『勝手な願い』が痛いほどよく分かる。最後の最後に妹では無く、見ず知らずの誰かにメッセージを残した理由も。あの、優しすぎるセシルを守りたいからなんです。いくら努力をしていたとしても、今のセシルじゃ到底敵には敵わない。だから、伝えるとするなら全てが終わったその後です」
孤境は二人に向き直って「手を貸して下さい」と、地に額がつく寸前まで頭を下げる。
あまりにも張りつめたその覚悟に、ジョンは首を縦に頷かせるしかなかった。
湖を撫でた後の冷たい風が吹く。
木の陰に紛れていた銀色の髪がふわりと揺れたが、それに気づいた者は、誰も居なかった。
<続く>