空はどんよりとした曇り空で、予報では雨は降らないといってはいたものの、どうも疑わしくなってくるような天気だった。
森の中に進むための入り口の一般道で、セシル・イザベラ、孤境重喜らと共に複数人の撃退士が揃っている。
「………何だその西洋兜は」
「森にはやぶ蚊が多いから、これをつけといた方が良いって」
重装歩兵の様な全身装備をしているセシルが指しているのはアルジェ(
jb3603)だ。彼女もセシルと同じ様にゴーグルをつけている。
西洋兜の視界を保つ箇所の上から、更にゴーグルをつけているセシルの姿は何だかとても滑稽に見えたが、本人が納得してるなら良いかと、孤境は頷いた。
「えっと、皆さん今回もよろしくお願いします。それじゃあ、班を二つに分けて敵を探しましょう」
「みんな一緒じゃないの?」
孤境の提案にセシルは首を傾げた。
確かにその通りだ、今回の敵は複数体で群れで行動をする。安全性を考えれば集団で行動した方が手堅い。孤境はそんなセシルの単純な問いに苦笑いを浮かべた。
すると詠代 涼介(
jb5343)がセシルの肩にポンと手を置く。
「効率の良い索敵を行うならやっぱり分かれた方が良い、敵にははぐれの個体もいると聞くからな」
「そういうことねっ」
鎧の中でどんな表情をしているかは分からないけど、どうやらセシルは納得してくれたらしい。
「じゃあ、行きましょう」
孤境の合図でセシルの班と孤境の班の二つに分かれ、その二班は一般道から早速外れるようにして森奥へと進んで行った。
●
孤境を先頭にして、その後ろについてくるのは雫(
ja1894)と戒 龍雲(
jb6175)の二人だ。
「随分と迷いなく森を進むんですね、孤境さん」
「あ、いや、この前に戒さんと調べた情報を基に、目的地はある程度特定できてますから」
相変わらずの苦笑いの孤境。雫は孤境のジャージの背を掴んで足を止めさせた。
「ここにセシルさんは居ません。さて、孤境さんの様子が何時もと違うのは分かっているので全て話して貰えますか?」
息を吐き、観念したように頭を掻く孤境。ポツリと「どこから話しましょうか」と呟いて、近くにあった木の幹に体を傾けた。
セシルは行方不明の兄を探す為に人間界を訪れた事。
およそ二十年近く前にこの森で天使と悪魔の抗争があった事。
孤境が知人の天使から聞いた話の諸々。
「───ここからは俺の推測の話です。きっとその死亡した天使の夫妻は、セシルの両親だと思うんです。そうだったとしたら、いくらか話に筋が通る。何故セシルの兄のヨアンは、あんな未熟で世話の焼ける妹を一人残して旅立ったのか。それは、そんな妹を連れて行きたくないような場所に行かなければいけなかったから」
「例の悪魔を、見つけたってこと?」
「たぶん………だからきっとヨアンは必ずここを何度も訪れているはず。その生き残り悪魔を知る情報として一番有力なのは、エロスさんが言っていた『白豚』。きっとそれを探し、見つけ、時期を見てセシルに別れを告げ、旅立った」
「まだ他にも、何故小規模な抗争で両陣営が全滅するほどまで戦わないといけなかったか。その辺の謎もまだ残りますね」
雫と孤境が頭を悩ませていると、戒が会話に加わる。
「じゃあこっちもその悪魔を特定しないといけないな。きっと悪魔は痛手を負ってたはずだから、近辺の住民を捕獲していた可能性も有る。警察や市町村に協力してもらって当時の情報を調べよう。ヨアンの目撃情報も見つかるかもしれない」
「なるほど、盲点でした。さっそく学園の方の大谷さんに連絡してみましょう」
孤境が携帯を取り出そうとすると、雫がその手を抑えて「待って」と短く呟いた。
「何かがこっちに、三体の気配が近づいてきてます」
各々が武器を構えて、雫の見つめる先に目をやった。
しかし、不意に戒が眉間に深くしわを寄せる。
「犬型ディアボロが、二体?」
「あ、あれ?でも私の感知では確かに………先頭の一体が来る、はずなんですが、見えない!?」
●
「さて、セシル。敵に数的優位に立たれた場合は、どういった立ち回りをするのが一番有効か分かるか?」
「え………んー」
「答えは『逃げる』ことだ。一旦退きこっちも数を用意した後に再戦を望めば、より手堅く勝ちに行けることが………そんな犬が威嚇する様な唸り声上げなくても、分かったよ気に喰わないんだな?」
今回の討伐目標である犬型のディアボロが目撃された場所へ向かう撃退士の面々。
その移動中に、詠代がセシルに集団戦においてのアドバイスをしていたようだが、どうやらお気に召さなかったらしい。そんな二人の様子を見ていた麻生が会話に入る。
「周囲の地形、敵味方の位置など、確認する事は山盛りだ。見通しや足場が悪い戦場なんざ幾らでもある、幸いセシルさんは飛行できるし、今回の足場の悪条件は無視できる。フォローは任せとけ、前回の復習も兼ねて試したいことをやってみればいいさ」
「集団戦で大切なのは、仲間を信じる事、だったわね」
自分の中で確かめるように、セシルはうんうんと一人で頷いた。
するとふと先頭を進んでいた谷崎結唯(
jb5786)が足を止めて合図を出す。それに合わせて撃退士達はその手に武器を握った。
「セシル、アルたちは前衛だ前方警戒を怠るな。背後は任せて、目の前の敵を叩け」
「ミスしてもフォローするから」
セシルを先頭に、その後方にアルジェとジョン・ドゥ(
jb9083)の二人が翼を広げて並ぶ。
目の前で唸り声を上げるのは六体の犬型ディアボロ。全身は真黒で、蜘蛛の様な八つの赤い目が不気味に光っていた。
「ふはははっ!死にたい奴からかかって来い犬っころ共め!!」
さっきまでの態度とは打って変わり、大きくランスを振るいながら開戦の火蓋を切ったセシル。その様子にジョンは呆気に取られていたが、迫ってくる敵を見てすぐさま意識を切り替える。
敵は八方に展開し、その内の二体が左右からセシルの翼を狙って跳躍した。
「させないっ」
急な戦況に少し戸惑うセシルをカバーする様に、アルジェは複数本の針を投げ、もう一方の犬をジョンが蹴り上げる。怯んだ二体はすぐさまセシルから距離を取った。
「まだ来るぞっ、下だっ!」
後方の麻生から指示が飛んだ。
まるでその二体は囮だと言わんばかりに、アルジェとジョンの隙を上手く突き、一体の犬がセシルの真下から飛び出したのだ。
「行けっ、フェンリル!」
咄嗟に詠代は「フェンリル」を召喚させ、召喚されたと同時にフェンリルは怒気を吐き出すように大きく吠える。
その瞬間、意識がそのフェンリルの方へ向き、攻撃がおろそかになるディアボロ。
「うぅがぁああ!!」
自身を奮い立たせるかのようにセシルは声を上げながらランスを真下に叩きつけた。グシャリと骨が砕ける音が響き、ディアボロは地に伏して動かなくなる。
「良いか、もう一度言うぞ。後ろは任せろ、だから前だけを向くんだ」
全身から真紅の光を溢れさせるジョンは、呼吸が震えているセシルに優しく言葉をかけた。
現在ディアボロの注目はフェンリルに注がれている。木々の間を縫いながら動き続ける犬達は的確にこっちの隙をついては攻撃を繰り出し、それを麻生ら後衛の銃弾が牽制し続けた。
「まだこのほかにも潜んでるかもしれないし気を抜くな」
谷崎の注意が銃声と共に全員に伝わる。
セシルはランスをグッと握り直し、小さく「ありがと」と呟いて正面に見据えた敵へと接近した。
●
「うわっぷ!?」
「孤境さんっ?」
何とも間抜けな声をあげて、孤境はその場に尻もちをついた。戒はそんな孤境に駆け寄って、雫はディアボロに向かって大剣の腹を構える。
『───ピ、ピギィッ』
「なっ、こいつは」
孤境の胸元に飛び込んだその透明の生き物が段々と色づき始めた。
小さく白い子豚だ。背中には羽を持っており、孤境にしがみついたまま離れようとしない。
「孤境さんはそのままで、敵は私達に任せて下さい!」
雫は正面から二体のディアボロを弾き飛ばす。その間に戒も戦線に参加した。
弾き飛ばされた犬型ディアボロ達は煩わしげに唸り声を上げながら、大きく跳躍して木々に幹を蹴り、孤境目がけて飛びかかる。孤境は子豚を抱いたまま横っ飛びに転がった。
「こっちに目が向いてないなら簡単だ」
「邪魔をしないで下さい、ねっ」
着地した瞬間の敵に、戒は拳を振るって近くの木へと飛ばし、雫は大剣を思い切り振り下ろして渾身の一撃をお見舞いする。
戒に殴り飛ばされたディアボロはよろめきながらも立ち上がるが、そこに孤境が何度もリボルバーの引き金を引きまくり、乱暴に真黒な体を撃ち抜いた。
「何とか当たった………なっ、よ、寄るなっ」
ほっと息を吐く孤境の顔や体をフゴフゴと荒い鼻息で嗅ぎ回る子豚。
しばらくすると子豚はパタパタと翼を動かして、ゆっくりとどこかへと進み始める。
「ついて来いって事か?」
三人は顔を見合わせて、コクリと頷いた。
『ピギッ、プギィィ』
忙しなく翼を動かす子豚は、とある何の変哲もない木の根元に着地し、そこを忙しなくフガフガと嗅いでいた。
きっとここを掘れという事なんだろう。しかし孤境も戒も地面を掘るような道具を持ってなかったので、渋々雫が大剣を地面に刺してそこを掘り返す。
「孤境さん、これ」
雫が地面から取り出したのは、青い宝石のついたペンダントだった。しかし、宝石には血が付着していて、金具の部分は少し錆びれている。
『プギッ───あなたが、願わくばセシルの、味方である者だと信じたい』
「な、うわっ!?」
さっきまで可愛らしい鳴き声を上げていた子豚が、急にノイズ交じりの青年の声に変わった。子豚は相変わらず孤境の傍をパタパタと飛び回っている。
『セシルの匂いを持つ、セシル本人では無いあなたに、どうしても伝えたいことがある。僕の名前はヨアン・イザベラ、セシルの兄で………今は、もうこの世には居ないだろう』
「………っ」
『時間が無い、一方的ですまないが用件を伝えたい。まず、この事はセシルに伝えないでほしいんだ。アイツは人一倍優しいから、俺の死を知ったら、きっと我を忘れてしまう』
あまりに唐突な状況に、誰もが口を開けない。雫は心配になって孤境を見てみると、血が滴るほどに拳を強く握り締めていた。
この物語の先に、どんなハッピーエンドがあるというのだろうか。
『もう一つ、「アダムズ・ディーテリヒ」という片翼の悪魔に注意してほしい。そいつから僕の妹を、お願いだから守ってほしいんだ。僕じゃ、もう守ってあげられないから………』
『こんなの、死んでも死にきれないや………あぁ、もう会えないな。何も見返りを用意できない勝手なお願いを許してくれ、セシルを、どうか僕の妹を』
ノイズ交じりの涙声。
ぷつんと声は途切れて、白い子豚は静かに地面に横たわり、もう二度と動くことは無かった。
「孤境、さん」
「大丈夫です、戒さん。帰りましょう、やらなくちゃいけないことがたくさんできてしまった」
●
「右に二体、正面から一体、ジョンさん今ならいけるぞ!」
「任せろっ、後はみんな頼んだ!」
敵の動きに翻弄されながらも徐々に数を減らし、残る敵の数は三体。
麻生の指示に合わせて、ジョンの体から爆発するかのような紅色の威圧感が溢れ出す。
肌が裂けるかと思うくらいの威圧感がビリビリと空気を震わせた瞬間、今からまさにこっちに襲い掛からんとしていた三体の動きがピタリと止まった。
「行くぞ、セシル!」
アルジェは合図を出すと同時に札を敵に投げつけ、その札から戦車の幻影が飛び出す。セシルは真っ直ぐにランスを構えたまま急降下した。そして、口を開けたまま固まる残る一体に向かって、谷崎がアウルを纏った弾丸を数発撃ち放つ。
静まり返った森に、全身に鎧を着た小さな天使は、ガシャガシャと音を立ててその場に座り込んだ。
「セシル、拠点に戻るまで警戒を怠るな 逸れた個体に奇襲を受けるぞ」
「まぁ、アルジェ。とりあえず一旦休憩を取ってもいいだろう」
詠代はフェンリルを近くに呼び、セシルに向かってヒーリングブレスを使用させる。
そして額の汗を拭いながら、麻生が近づいてきた。
「お疲れさま、やっぱりまだ周りが見えてなかったり、突進を無闇に多用したりしてるけど、まだまだこれからさ」
「本当の、命のやり取りの場は、あははっ、まだ怖い………こんなのじゃ、お兄ちゃんに怒られちゃうな」
震える手で甲を外して、セシルはぎこちなく笑う。
そんな中、アルジェはその首元に光る青いペンダントに目がいった。
「それは何だ?前はつけてなかったよな?」
「あ、これはお兄ちゃんに貰ったペンダントなんだ。これを持ってると、負けそうな気持ちの時も頑張ろうって思えるの」
「そういえば兄の名前はヨアン、だったか。良ければ色々教えてくれないか?」
今度はジョンが話に興味を持って近づいてくる。
するとセシルはどこか嬉しそうに微笑んで、宙に目線を上げた。
「お兄ちゃんは本当に凄いのよ!剣でストンって感じに岩を切るし、模擬の戦闘でも負けたところを一度も見たことは無いの。まさに大人顔負けっていう感じだったわ。頭も良かったし、そうね、本当に悪いところなんて一つもなかった。小さいころから親が居なかったから、ずっと私を守ってくれて………だから、今度は私がお兄ちゃんを助けてあげたいんだ」
そこで不意に、詠代の携帯が震えた。
「………分かった、じゃあ最初の地点で合流しよう」
どうやら孤境の班との連絡を取っている様だ。詠代は通話を切って、携帯を収める。
「戒からだ。どうやらあっちは二体の逸れを討伐して、一通り森を索敵し終わったみたいだ。よって今回の依頼はこれで終了らしい」
広い曇り空は一向に晴れる気配を見せない。
曇天に紛れる様に、一羽の烏が飛び去った。
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「おーぅ、よしよし」
目の下には酷いクマ、病気でもしてるのかというくらいに痩せた男の腕に一羽の烏がとまった。
男はその烏の首元に括りつけていた小型カメラを外し、それを自身のポータブルプレイヤーに接続する。
「うんうん、可愛いペットが全滅したけど、それに見合うだけの収穫だなこれは。あの小僧のサーバントを探す手間が省けたってもんだ」
画面に映し出されるのはセシルや撃退士達の姿。
するとふと男は烏の方に目をやった。
「んだよ、お前にはもう用は無いんだ」
頭を掴んでぐしゃりと潰した後、その亡骸を後ろに放り、男は汚れた自分の手を綺麗に舐めとる。
「あとは、コイツだけだ。コイツさえ殺せば俺の復讐は終わる………でもなぁ、邪魔者が多いなぁ」
酷く猫背な男の背には、右側にだけ翼が生えていた。
<続く>