しきりに雨の降る中、滑りやすい足元に注意しながら、七人の撃退士が起伏のある岩肌を進んでいた。
ふと誰かの携帯が震える音がする。
「………もしもし?」
『任務中に失礼します。孤境重喜です』
電話に出たのは月乃宮 恋音(
jb1221)だ。電話の相手は、現在パストラルを誘拐した天使を追跡中の孤境であった。
孤境は天使の手掛かりを探す為に、自身の持つネットワークなどをフルに活用しながら捜索を行っているらしいが、未だにこれといった決め手が見つかっていない状態との事。
『一つお願いがあり、事務員の大谷さんに勝手ながら連絡先を聞きました。それで手短に用件をお伝えします。今回の標的であるスライムを無事退治することが出来たなら、そのスライムが潜んでいる地下の穴を辿ってほしいんです』
「………穴を、ですか?」
『はい、悪魔の少女はそのスライムに穴へと引き込まれてしまったんです。ですから、その穴を辿ればもしかしたら何かの痕跡が残ってるかもしれません。出来ればその穴を辿った先に何があったかなどを教えて欲しいんです』
「………分かりました。そういう事ならば、喜んで協力します」
『よろしくお願いします』
そこで電話が切れ、ちょうどそのタイミングで撃退士達の歩みが止まる。
今回の討伐目標となるスライムが出現している場所はここから少し先の方にあった。
「それじゃあ、戦闘を始める前に動きを予め確認しておこうか」
雨に濡れながらそう告げたのは麻生 遊夜(
ja1838)だ。
集団はその雨を避けるように、岩肌に雨宿りに丁度良い隙間が空いていたので、そこへ揃って入っていく。
湿気ってふやけている依頼書のコピーを麻生が広げた。
「うーん、今回の敵のスライムは核を破壊しない限りいくらでも復元可能。それと、視覚とは違う方法でこっちの居場所を認識するらしい」
きっとこの二つをどうにかしないことには今回の依頼を無事達成させることは恐らく難しいだろう。
ふと、ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)が麻生の袖をクイと掴む。
「ん、視覚が無いなら、きっと足音とかの振動を読み取ってると思う」
「あー、私も『振動』は少し考えてたわ。例の天使の事もあるし、胸の揺れなんかを読み取ってるのかも」
地堂 灯(
jb5198)もヒビキに続いた。それに合わせて、月乃宮も依頼書を覗き込む。
「………雨がセンサー代わりになっていたり、単純に生命力を探知してる可能性も有りますね」
「まぁ、その辺は戦っている内に検証するほか無さそうだな」
●
「………な、何か言いたいことでもあるのかしら?」
「いや、あの、別にないにゃ」
体操服に猫の耳や尻尾を身に着けた猫野・宮子(
ja0024)からチラチラと感じる目線に、地堂がぎこちなく眉をひそめる。
「分かってるわよ、えぇ、それは分かってるわ。だからね、そんな月乃宮さんと見比べないでもらえるかしら」
「そ、そんなことにゃい………」
段々と小さくなる声で猫野は否定するが、暗にそれは肯定を表している気がして、地堂はクッと下唇を噛みしめた。
きっと今回の敵が「胸」に関する行動もしてくるであろうと予測したのか、月乃宮の服装はいつもより胸元の露出が高い。また同じ予測をした地堂も、不自然に見えるくらい胸にたくさんの詰め物をしている。でも、それでもまだ月乃宮の胸が大きい事に猫野は純粋に驚いていたのだ。
ちなみに月乃宮はさらしを巻いているので実際はもっと大きい。
「悪意が無いからこそ余計に………」
「別にボクも人のことを言えた立場じゃないのにゃぁ」
「ほら、二人とも準備して」
どこか上の空の二人を見て、鴉乃宮 歌音(
ja0427)が声を掛ける。
撃退士達が訪れてきたのを早めに察知したのだろう。少し遠目に、穴からジワジワと湧き出す水色の粘液が見えた。
「まずは予定通りの配置にっ!」
岩の地面に不自然に空いた穴からズルルと複数の触手が飛び出した瞬間、麻生の指示で全員が四方に散開する。
雨に混ざってスライムの粘液が地面に滲み、思いのほか足を滑らせ易い中、撃退士達は器用に触手を避けたり払いながら各々の配置まで駆けた。
前衛で触手を掃う役割を持つのは地堂、猫野、ヒビキ、来崎 麻夜(
jb0905)の四人。それぞれが一つの大きな穴を担当するような配置になっている。後方から弓で援護射撃を行うのは鴉乃宮、そして全体のサポートに月乃宮がつき、四つの穴の中心点で「指示」を行うのが麻生だ。
「もう………一つの穴から一本の触手ってわけじゃないんだね。鬱陶しいなぁ」
襲い掛かって来る触手の群れを避ける為に来崎は跳躍し、鎖鞭を振るってそれらを容易くぶった切る。斬られたその触手はびちゃびちゃと地面に落ちて弾け、益々足場の状況は悪くなった。加えて触手は何事も無かったかのように復元し、また同じことの繰り返しになる。
周囲を眺めてみてもどこもやはり同じような状況だった。ただ不思議な点があるとすれば、ヒビキが特に多くの触手に襲われていており、猫野が襲われている触手の本数が少ない様に見える。
「先輩っ!そっちはどうかな!?」
来崎は襲い掛かる触手を断ちながら、中央で探知を行う麻生に問いかけた。
丁度そのタイミングに、麻生はサーチトラップを終えて顔を上げる。
「落とし穴なんかは無いみたいだっ、全員もっと広く動いても構わないぞ!」
麻生の側で、その麻生を庇うような立ち回りを見せるのは月乃宮だ。
「………動いてない麻生さんも度々狙いに入れるあたり……どうやら足踏みなどによる振動は、関係ないかもですね」
「確かにな。それと、すまないけどもう少しカバーを頼みたい。銃で地面を抉って、直接ここから地下の方に攻撃を加えてみる」
「………任せて下さいっ」
後の事は月乃宮に任せ、麻生は二丁の拳銃の銃口を地に向けた。
しかしその時、麻生の視界の端で、誰かが足を滑らせる。
ヒビキだった。その事実が思考が全てシャットアウトさせ、麻生は視線を思わず上げてしまう。
「………あ、麻生さん!」
麻生は体を突き飛ばされ、その麻生が居た場所に無理矢理割って入った月乃宮が、地の岩の隙間から出現した触手に体を絡めとられてしまった。
「………私は、大丈夫ですっ。それよりも!」
「くっ、すまないっ!」
月乃宮の救出に急ぐ鴉乃宮と猫野が見え、麻生は太ももを悔しげに殴りながらヒビキの方へと走り出す。
「間に合えっ!!」
銃を放ちながら走るものの、地面に滲んだスライムがヒビキの足を絡めとっており、いくら触手を弾き飛ばしてもヒビキが絡めとられるのは時間の問題だ。
銃を収め頭から飛び込み、その腕でヒビキの体を突き飛ばした。
「ユーヤっ」
「娘には、手を出させんさ」
「せんぱーーいっ!」
遅れて来崎が駆けつけたが、その時にはもう麻生は四肢を絡めとられ上方へと持ち上げられる。
すぐに助け出そうと来崎とヒビキは武器を構えるが、ふと麻生の様子を見た二人の顔が一瞬で赤くなった。
『なっ、このっ………マジで服の中まで、やめろやめろ!って、ほんとに早く助けてくれないかな二人ともっ!?』
「「………え?」」
『え?じゃねーよっ!マジマジと見ないでくれっ、早く助けろやぁ!!』
恥ずかしさを悟られまいとじたばたする麻生。そんな彼の姿がどう見えているのかは彼女ら二人以外には分からないが、麻生の目には彼女達の顔が満更でも無い様に見えていた。
「………んー、やっぱり都合よく王子様なんてのは現れないのねー」
四肢をスライムに絡まれているのは地堂だ。
自分以外の人間は何だか忙しなくて、どうやらこっちに注意が向いていないようにも思える。特に目を惹くのはやはり月乃宮だろう。
擬音で表すのならば「ムギュムギュ」。にゅるにゅるムギュギューっとされている月乃宮を助けようと鴉乃宮と猫野が駆けつけているのだが、どうにも助けあぐねているようで。
『………は、はひゃく、助けて下さいぃ』
『ちょっと待ってて!』
『………そ、そんな鴉乃宮さんっ!そんなにジッと見ないで下さい!』
『見なくちゃ!弓撃つから見なきゃ!ね!?』
『………見ないでどうにかして欲しいですっ』
『私にどうしろと!?』
鴉乃宮は眉をしかめながら声を荒げ、猫野は圧巻の光景に空いた口が塞がっていない。つまり、何も現状は変わってない。
「変化してるのは月乃宮さんの胸の形だけね、なーんて………分かったわよ!偽乳だからか分からないけど、私に悪戯しないスライムにも逆に腹が立つし!」
地堂の怒りを体現する様に、彼女の両腕からスライムの体内に向かって電撃の光線が放たれた。
「───あれ?」
拘束からするりと解放され、岩の地面に膝を打つ地堂。すぐにスライムの方を確認すると、水色で透明な触手がブルブルと痙攣をしている。
麻生と月乃宮もこの隙に自力で抜け出しているみたいだ。
「地堂さんっ!とりあえず一回撤退するぞ!」
少し怒りを孕んだ麻生の声でハッとなり、全員に合わせて急いでこの場を後にするように駆けだした。
●
再びあの事前作戦会議を行った岩肌の隙間に全員が集合する。
各々みんなが言いたいことがあるようだが、何とかそれは喉元近くに収まっている様だ。麻生に対して小声で謝っている来崎の鼻下に、何故か赤い液体が滲んでいたので、この場の全員はかすり傷だなと思い込むことにした。
「あの、気づいたことがあるからちょっと聞いてほしい」
鼻下をゴシゴシと袖で擦って、ヒビキが控えめに挙手をする。
「きっと、敵は足音とかの振動じゃなくて、地面から伝わってくる微細な重みの変化で判別をしてると思う。核が潜んでるのも地下だし」
ヒビキの言い分としてはこうだ。
もしそうだとすれば、重い鉄球を振り回しながら戦っていたヒビキが執拗に狙われ、ナックルで戦っていた猫野が狙われにくい理由の辻褄が合う。
例え麻生の様にその場で立ち止まっていたとしても、微かな体重移動なんかはしていただろうから、それで狙われていたのではないか。
「でもそれだったら、パストラルと一緒に捕まったあのディアボロ二体の説明はどうする?あれらは飛んでいたから、重さなんかは関係無くない?」
首を傾げているのは鴉乃宮だ。
その問いに何かに気づいたのか、地堂がハッと口を開いた。
「そういえば私の電気系の攻撃にあのスライムが痺れていたの。つまり、少なからずあの触手にも神経の様なものが通ってるってことなんじゃないかな?そうだとしたら外の空気の振動を察知してると考えてもおかしくないわ」
「………確かに、生命探知をやってるにしては、動きに精度がありませんしね」
月乃宮の肯定の意見で、一同が頷く。
「だったら、こっちとしてもやりようがあるな………よし、やってやろうじゃんか」
麻生は圧を感じる笑みを浮かべながら、ぼそりとそう呟いた。
雨脚は弱くなることなく降り続ける。
「今だっ、猫野さん!」
「必殺、ロケットパンチにゃー!」
麻生の合図で猫野は地面の岩を抉る様に拳を振りぬき、大小様々に砕けた岩を宙に弾き飛ばした。ドスドスと音をたてて岩が地に落ち、今まで猫野達を襲わんとしていた触手の群れが混乱したようにぐちゃぐちゃと絡み合う。
その隙を見逃しはしない。すぐさま地堂が電気の光線を触手に撃ちこみ、確実に動きを封じた。そして全員が再び移動を開始する。地面に広がった鬱陶しい粘液は鴉乃宮が火炎放射器で蒸発させた。
三人はこれを繰り返し、他の面々に注意が向かないように動き続ける。
「行くよっ、ヒビキ♪」
「ん、塞ぐ穴は三つ」
触手が出てきている穴のうちの一つ、ヒビキが巨大な鉄球を大きく凪ぎ触手を根元から引き千切る。
一瞬、二人の目の前に大きな穴が現れた。来崎は大きく息を吸いこみ、マイクに向かって体の内側にある全ての「声」を吐きだした。
その声は地を揺らし、岩穴を瓦解させ、穴の奥に潜むスライム諸共押しつぶしながら蓋をする。そして再び、駄目押しでもするようにヒビキは鉄球を高く振り上げ、蓋をした岩々を押し固める様に打ち砕く。
「………敵の神経が、やっぱり末端まで広がってますね……でも、敵の生命力はこの下に集中してます」
「よし、核はきっとそこだな」
月乃宮の探知の結果を聞き、麻生は二丁の拳銃を自分の足元に向ける。
一発目で地を抉る弾丸を、二発目は敵の核を把握する弾丸を。
麻生は腕に力を込め、両指に乗っている引き金を同時に引く。発砲に伴う衝撃が腕を走るが、それを無理矢理力で捻じ伏せ、立て続けにもう一度二つの引き金を引いた。一発目で地に開けた穴に、寸分違わぬ軌跡を描いて二発目の銃弾が吸い込まれていく。
「月乃宮さん、これで核と思われる箇所の位置は把握できた。思ってたよりは結構浅いところにあるぜ」
「………でしたら、予定通りに」
「あぁ、ヒビキ!!」
四つの穴のうちの三つを塞がれ、スライムは絶え間ない電撃をその身に浴びている。
ドドドドド。麻生の呼びかけで駆け付けたヒビキは、その小さな体に似つかわしくない荒々しげな大型ドリルを抱えていた。
●
未だに曇天雲が空を覆い、太陽の光を遮断している。ただ、雨の方は一時的にだろうが降り止んだ様だ。
「うーん、立派な武器なのに、こんな掃除まがいの事をさせられるとはなぁ」
「………鴉乃宮さん、どうかしましたか?」
「ん?いーや、何でもないよ………っと、それじゃあここら辺は蒸発させたからみんな通っても良いよ」
ヒビキがスライムの核を破壊した後、今まで形を保っていたスライムはドロドロと溶けて岩の隙間へと染み込んでいった。勿論穴の中も例外では無く、ぐちゃぐちゃの粘液が地面や壁に付着している。
きっと触れても害はないだろうけど、これに触れるのは精神衛生上あまり喜ばしいものではない。
穴の中で、先行し進む鴉乃宮が火炎放射を使い残骸を蒸発させていった。
穴の中を照らすのは月乃宮のフラッシュライト。
最初は下へ下へと進んでいた一本の穴だったが、やがて他の三本の穴と繋がると、今度は多少蛇行しながら上へ上へと昇り始めたのだ。
意外と長い道筋。体感としてはもうとっくに地上に出ていてもおかしくないと各々が感じ始める中、ふと、穴の中の空気が変わる。
「ここは、坑道か?」
火炎放射器を収めて、鴉乃宮は穴を出た。この穴は坑道の側面にぽっかりと開いていて、そしてこの坑道はずいぶん古い時代に掘られたのだと分かる。
電気の通ってない電灯。錆びきっている支柱。地面に敷かれた木製のレールは所々腐っていた。
「………あそこが入り口みたいですね」
遅れて出てきた撃退士の面々。月乃宮が指を向ける方に視線を移すと、そこからは灰色に染まった曇天雲が見える。
「………ここでいくら考えても、私達の手には負えません……孤境さんに連絡した方が良いかもです」
寒さの所為か、誰かの体が震えた。
<続く>