『早速ですが、今から皆さんの端末に敵の画像を送りますのでご確認下さい』
未だ他人行儀の抜けない孤境の声が撃退士達の携帯から聞こえ、前回同様、あの共有チャットに使徒の画像などが送られてきた。
お世辞にも整っているとは言えないような顔立ち、中肉中背の体の使徒は、その画像の中で不気味に微笑んでいる。
『俺は一度陰からですが、直にこの使徒を確認しました。あくまで俺の勘ですが、一言で表せば「狂っている」、そんな内面を持っている様に感じました』
その後、孤境との一通りの情報交換を終えた撃退士達は、携帯を懐に収めて森奥へと走り出した。
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時刻は早朝、朝露を乗せる長草や草木が撃退士達のあちこちを撫で、しっとりと各々の衣服を濡らす。
太陽ももう顔を出している頃合いだが、うっそうと茂る木の葉が光を遮り、ここ一帯は不気味な薄暗さを保っていた。戦時中の傷跡が未だに残る古びた家々を抜けると、ぬかるみの土壌の上にかろうじて立っているような病院の外壁があった。
目的地まで残り十数メートル余り。そんな中、地形の確認の為に黒羽 風香(
jc1325)はもう一度自らの携帯を手にした。衛星からの地形情報を参照しているのか、予め渡された地形データは事細かで非常に見やすい。孤境は常にリアルタイムでこの周辺も確認しており、乱入者が居れば即座に連絡を入れるとのことだ。
「時間だ、行こうか」
リョウ(
ja0563)の合図で、全員が自らの武具を手に握り締めた。
体中からアウルを滾らせる面々は、病院内に今回の敵である「使徒」の姿を確認した後、その使徒一体を囲む様に中へ一気に突入する。
『狂っている』、その一言が思わず脳裏に過った。まるで何事も無かったかのように撃退士達の突入に動ぜず、老人の関節を無理矢理折り曲げて作ったであろう歪な人間椅子に腰かけて、へらへらと笑いながら自らのレイピアから滴る血を眺めている。
あ、と一言呟き、小太りの使徒は重い腰を上げて正面から突入してきたシエル・ウェスト(
jb6351)に対して恭しく一礼した。
「いやぁ、ご主人様の言った時間通りだ。どうも皆さんわざわざこんな地まで御足労いただきまして、くっ、あははははっ!本当に馬鹿みてーに集まってやがるぅっ!!」
礼をしたまま腹を抱えて笑い始める使徒。明らかに嫌な顔を浮かべて、シエルはそんな使徒に一つの疑問を問いかけた。
「ここに来る途中の洞窟の中にあった拷問部屋など、これが一体何なのか知ってますか?」
「ねぇねぇ、答えると思う?」
「いいえ。後で無理矢理聞きますよ」
使徒が不敵に微笑む。すると老人の死体がブクブクと膨れ、肉や皮を無残に突き破り、ギィギィと産声のような声を上げながら目玉コウモリのサーバントが三体現れた。
「あははっ、時間ぴったりに孵化したね。じゃあ、始めよーかぁ」
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敵の数は、使徒一体と目玉コウモリサーバントが三体。更に、もともとこの地域を徘徊していたであろう目玉コウモリが戦闘に三体加わる。
サーバントの方はどうやら攻撃手段を持ち合わせていないようで、ただただ辺りをずっと滑空し回っているのみ。
しかし、どうやら全匹が『視覚共有』を持ち合わせているらしく、使徒やサーバント達に撃退士達の攻撃は上手く当たらない状況が続いていた。
新井、シエル、黒羽が病院中に阻霊符を展開したおかげで、幸い敵が透過して病院外へ逃げたりするといった事態は防げている。
使徒に肉薄し攻撃を行う前衛はリョウを筆頭とした、新井司(
ja6034)とヒビキ・ユーヤ(
jb9420)の三人。
後方から使徒やサーバントを狙い射撃を行うのはシエルと黒羽。そしてその前衛と後衛の間を取り持つ中衛を、麻生 遊夜(
ja1838)と来崎 麻夜(
jb0905)の二人が担当する形だ。
「二人とも下がれっ!」
リョウの指示が飛び、使徒を追いながらの攻撃を行う新井とヒビキは一旦その場から後方へ離れた。その二人と入れ替わるように、盾を手にしたリョウが使徒の正面へ向かう。
「ヤッフゥーッ!」
「グッ………」
後衛の黒羽を狙うかのようにレイピアはボシュンと音を立てて勢いよく伸び、即座に射線上へと移動したリョウがそのレイピアの剣先を自身の盾で弾いた。
その隙をつくべく再び新井とヒビキが使徒の両脇から迫る。
「見えてるよーぅ」
やはり、といったところか。一度も視線を二人に向けることなく、決して素早いとは言えないような動きではあるが、使徒はその二人の攻撃を空中でひらりと避けて見せる。
攻撃を行うというより、挑発を行っていると言った方がよい使徒の行動。段々と前衛に苛立ちが募ってきているのを、中衛の麻生と来崎はひしひしと感じ取っていた。
「落ち着けヒビキっ、深追いしすぎだ!」
「………っ」
麻生の声を受け、ヒビキは眉間にしわを寄せて一旦追撃をそこで踏みとどまる。
使徒がレイピアを振るう様子はいかにも素人臭く、力で押し切っている感が否めない。それによって出来る隙も大きく、視覚共有があるとはいえそこを上手く突くことが出来ない自分自身にも腹を立てているのだろう。
「先輩………」
背後の来崎の呼びかけに、麻生は無言で頷く。
辺りを煩わしく飛び回る目玉コウモリ、後衛の射撃により何とか二体は沈めることが出来たのだが、それでも残るのは四体。病院内全体の視界を確保するには十分すぎる数だ。
「ねぇ、ボクに任せて。ボクならアレに気づかれずにしとめることが出来るから」
来崎の不敵な微笑み。
彼女が何を意図しているか、麻生はそれを読み取り「任せた」と一言託した。
「………チッ」
先ほどまでまるで撃退士全員の行動を先読みしているかのような立ち回りを行っていた使徒の動きが明らかに鈍ってきている。
後衛のシエルと黒羽の放つ銃弾や弓矢が彼の羽を貫き、肌を抉った。
小太りの使徒は辛うじて新井の拳と、ヒビキの放つ巨大な鉄球を躱しながら舌打ちを鳴らす。彼の動きが鈍っている理由、それは中衛の二人の行動にあった。
使徒の攻撃をリョウとの連携で上手く躱しながら立ち回る麻生。その麻生の背後には、いつもぴったりと隠れるように潜む来崎が居た。
その来崎は麻生が動き回る中、自らの体を闇に染めて影や遮蔽物へと密かに移動し、目玉コウモリを陰ながら仕留めていたのだ。注意して見ておかなければ見逃してしまうような麻生と来崎の連携に、一瞬の隙を突かれたサーバントは次々に仕留められる。
残るサーバントは二体のみ、その内の一体は来崎と麻生を注視しているので、実質全体を把握している目玉は一つのみだ。
「次はこっちよ」
「クソがぁっ!!」
ヒビキの鉄球を避けたところに待ち構えていた新井が、雷を剣状にした「サンダーブレード」を間髪入れずに叩き込む。運動法則を無視するように、使徒は大声を上げながら急な方向転換を行ってなんとかその斬撃を躱した。しかし、そこで新井がニヤリと笑う。
その微笑を使徒が目で捉えた瞬間に、自らの行動の過ちに気づいた。
「今ですっ!」
黒羽の合図とともに、銃声が大きく鳴り響く。黒羽の弓矢は使徒の足に複数本突き刺さり、ヒビキの銃弾が大きく広がっている羽を打ち抜く。
更に、後衛の二人よりも近くに居た麻生の銃弾は、正確に使徒の持っていたレイピアを大きく弾いた。
「降参するなら今のうちだぜ、オイ!」
麻生は中指を立てながらもう一度引き金に指を掛ける。
「───ヤメロォオっ!!」
喉が張り裂けんばかりの悲痛な叫び声、使徒は撃退士達に攻撃の手を向けられているに関わらず、その身をかなぐり捨てて全力で手から離れたレイピアを追いかけた。
まるで子供みたいに泣きながら怒っている表情で、レイピアに傷が無いかを確かめている。撃退士達はそんな使徒の豹変ぶりに思わず我を忘れていた。
「許さねぇ。これは、あの方から頂いた大事な………絶対に許さないぃっ!!」
泣き喚きながら、使徒は近くの病院を支える柱を蹴ってぶち壊し、崩落する瓦礫を壁に向かって弾き飛ばす。
そして、轟音を立て地を揺らしながら病院は崩れ落ちた。
●
「他の方々は………」
「大丈夫だ、ヒビキが瓦礫をドリルで壊しながら地表に向かっている。みんな無事だ」
「ド、ドリル?」
現在瓦礫の山の上に立つのは、咄嗟に瓦礫を壊しながら上へと登ったシエルと、元々の回避能力が高いリョウの二人のみ。そして他の撃退士達はというと、麻生と来崎が黒羽と新井を庇いながらヒビキのもとに身を寄せることで、どうやら現在危機を脱しているらしい。
そして瓦礫の上の二人は今、ズタズタの羽を広げ両足に弓矢が刺さりながらも、剥き出しの敵意でその場に立つ使徒と向かい合っていた。
目玉サーバントは、恐らく阻霊符の効果により透過することが出来ず瓦礫に押しつぶされたのだろうか、この場には一体も残っていない。
「絶対絶ぇっ対にぶっ殺す!!」
もう立つのすら困難であるはずなのに、使徒は大きくその場から跳躍しレイピアを突き出した。伸びてくるレイピアをリョウは再び盾で受け止め、その剣先を弾こうと力を込める。
しかし、剣先は盾と擦れてギチギチと音が漏れるばかり。盾を持つリョウの足元が不安定な瓦礫の為、ただでさえ力の強い使徒の攻撃を上手く跳ね返せずにいるのだ。
「援護します!」
シエルのライフルが吐き出した銃弾が、使徒の肩口や膝などの関節を貫く。全身は血だらけで、瞳の焦点も上手く定まっていない。これ以上攻撃すると殺してしまいそうだ、そう懸念したシエルの引き金を引く指が固まってしまう。
一体何が使徒を突き動かしているのか、狂気的なまでの執念に二人は一瞬だが恐怖した。
そんな時、使徒の後方の瓦礫が微かに盛り上がる。
コンクリの破片達が耳障りな騒音を上げながら崩れ、そこからドリルの先が見えたと同時に、ヒビキと新井、そして黒羽が瓦礫の中から姿を現した。
「………一気に決めようっ」
決意の籠っているかの様なヒビキの一言に新井と黒羽は強く頷いて、リョウの援護の為に走り出した。
ドリルから鉄球へ武器を持ちかえたヒビキはレイピアの剣先に鉄球を振り下ろし、そして砕く。黒羽の放つ弓矢は使徒の二翼を縫い付ける様に突き刺さり、落下してくる使徒に対して新井は駄目押しのサンダーブレードを叩き込んだ。
為す術無く、体が痺れて動くことが出来ないその使徒は瓦礫の上に仰向けの形で激突する。
「そして、これで終わりだ」
どこから現れたであろう来崎の「髪芝居」により使徒は地面のコンクリに縛り付けられ、もうどうしたって動けない体になった。そんな使徒の額に銃口をつきつけ、チェックメイトを告げるのは麻生だ。
「さぁ、ここで何を画策しているのか話してくれない?素直に話してくれれば、あなたにとって最悪のシナリオを用意しないであげるわよ」
ヒューヒューと気管を鳴らし息をする使徒へ、新井は冷酷に、有無を言わさぬかのような圧力で問い詰める。洞窟内の施設は何なのか、アメリアとの関係性、その他諸々の疑問を投げかけた。しかし使徒は空虚な笑みを浮かべたまま、声を出さずへらへらと笑うばかり。
使徒に突き付けられている銃口へ更に力が込められた。麻生のその行動に別段注意するでもなく、新井は続けて質問する。
「それでは、マルティネリを襲撃したあなたのもう一人の仲間の事について何か知らない?」
「………あぁ、ははっ」
初めて使徒の反応が変わった。苦しそうに笑いながらせき込み、再び使徒は口を開く。
「………まんまと踊らされてやんの」
「それは、どういう───」
「───良いよ、答えてあげる、どうせもうお前達は間に合わないんだから。ご主人様が考えている事なんて、俺には分からない、だからさっきあんたが聞いてきた質問の答えは『分からない』だ。ずっと、ずっとそのまま間抜けに踊ってろよ。俺はただの囮役さ………くっ、あはははははっ!!」
ゴボゴボと血を吐きながらも、狂ったように笑い続ける使徒。すると、その使徒の笑い声に混ざり「カチリ」と、この場には似つかわしくないスイッチ音が聞こえた。
一番近くに居た麻生がその音の意味を瞬時に理解する。
「みんな離れろっ!麻夜っ、お前もだ!!」
無理矢理「髪芝居」を解除させ、麻生は来崎と新井の体を抱えてその場から離れた。
「あははははっ!!我が主『マルティネリ』様に栄光あれっ!!!!」
まるであの小太りの使徒の存在など最初からなかったかの如く、彼の体の中心から巻き起こった大きな爆発は瓦礫を、そこら一体の全てを吹き飛ばす。
異常なまでの覚悟。あまりにも壮絶な光景。不意に鳴る電話で我に返るまで、撃退士達は半ば放心状態にあった。
「もしもし………」
『あぁ、新井さんっ、大変です聞いて下さい───』
電話に出たのは新井だ。電話口の向こう側の孤境の声からは只ならぬ焦りが伝わってくる。
『───マルティネリのやつの姿が病院から消えてしまったようです………医師や看護師に重傷者多数、アイツの部屋を中心に荒らされていました。侵入者については確認されなかったはずなのにっ』
切り詰めるような孤境の声色。そこでカチリと、新井の頭の中で重要なピースが合致した。
「一足早く急いでアメリアの方の病院へ向かって欲しいの!入生田さんとアメリアの身が危険よっ!!」
●
時刻は数時間前まで戻る。いつものように、アメリアが朝食を食べ終えた朝方のことだ。
「………私、行かなくちゃ」
「は?」
ふと、アメリアの顔から表情が消えた。
遠く、妖艶な笛の音がどこかから聞こえてくる。
心配になって肩に手を置く入生田の腕を掃い、アメリアは窓際まで歩いていった。
明らかにこれは変だ。入生田はアメリアの腕を強く握り、その歩みを止めさせる。しかし、次の瞬間
「邪魔」
ぼそりとアメリアが呟いたかと思うと、彼女のもう片方の手から爆発が起こり、病室諸共入生田の体は吹き飛ばされた。少女の背中から大きく純白な翼が広がり、入生田が大声で少女の名を呼ぶが、その声は届いていない。
窓も爆発で吹き飛ばし、アメリアは外へと飛び去って行く。
「………一足、遅かったようですね」
「お、おい、お前」
痛む体を抑えつつ立ち上がる入生田の前に、フラフラの状態のマルティネリが現れた。
「どうしてここにっ!?」
「お嬢様の為ならば、これしきの傷っ………そんなことより早く追いましょう、手遅れになる前に!!」
刺す様に真剣なマルティネリの瞳に、入生田は力強く「あぁ」と返す。
その瞬間、マルティネリの喉奥でクツクツと押し殺したような笑い声が鳴るが、当然、この場の誰もその様子に気づくことは無かった。
<続く>