とあるマンション一階の一室。そこには整えられたネットやゲームの環境が構築されており、そこで孤境重喜はパタパタと忙しなくパソコンに向かって作業をしていた。
孤境は投稿した動画の再生数でお金を得る暮らしをしている。この町に来ている間もその投稿を休めるわけにはいかないという事で、急遽この部屋をこしらえたのだとか。
「さて、と。これで一応皆さんの携帯の位置情報は共有できるようにしました。そして、これは潜入捜査なので通話よりはチャット形式で情報の共有を行えた方が良いでしょう、その為のアプリなんかも入れておきました。あ、一応通話もできるようにしてますので」
簡単かつ手短に、撃退士達に操作の説明を行い、さっそくそのアプリに画像を送る孤境。
どうやらこれは今回潜入する廃ビルの内部構造の様だ。
「今回の潜入候補地は三か所。どんな些細な情報でも構わないので、俺の方に連絡を下さい。よろしくお願いします」
その言葉は切な願い。
真剣に頭を下げる孤境の姿を見て、撃退士達は一様に強く頷いた。
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今日は何だか風が強い日だ。木々がざわざわと揺れて、何だか少し肌寒い。
『洞穴班、目的地に着いたよ先輩っ♪』
ニコニコしながら携帯にそう打ちこんでいるのは来崎 麻夜(
jb0905)だ。その横で、軽い苦笑いを浮かべるシエル・ウェスト(
jb6351)。
『共有のチャットを私用で使うんじゃないっ!』
返信が来たことに、更に気を良くした来崎は追加でまた返信を打ちこもうとしたが、流石にシエルに止められた。
遠目に洞穴の入り口が見える。そこには孤境の情報道り、大きな目玉にコウモリの羽が生えたような生き物が三体、規則的に飛び交っていた。
大きさはおよそ二人の顔のサイズより少し小さめといったところか。
「来崎さん、洞穴の入り口で合流という事で、各々で行動しましょう」
「確かに。今回の目的は別に戦闘ってわけではないんだし、だけど、洞穴に入ってからの情報が少ないから、そこからは万が一も含めて一緒に行動した方が良いかもね」
少し前の事、視覚共有を持つサーバントが現れたことがあった。
あの巡回している目玉サーバントが、もし今回の目標である使徒と視覚の共有を行っていた場合、逃げられたりする可能性が出てきてしまう。
そして、来崎の姿は木陰に紛れるかのようにスゥっと消え入り、シエルは気配を完全に消した。
洞穴の中は思った以上に暗く、見通しが効きづらかった。
しかしこんな中で無闇に光を照らそうものなら、内部に敵が居た場合一発で見つかってしまいかねない。そこで、来崎は自身のスキルを使い暗闇の中で視界が効くようにし、加えて音を立てないように飛行する来崎にシエルが掴まるという形で潜入を行っている。
「あの目玉に気づかれず潜入できたのは良いけど、今のところ特に変わったところは見受けられないね」
「内部の画像を孤境さんに送って分析を頼んでいるんですが、あまり変わってるところは無いようです」
敵の気配も感じず、淡々と潜入が行われている。
「………最奥まで来ましたね」
シエルは携帯で写真を取り、画像を孤境に送る。来崎も隅々まで見渡している様だが、相変わらず成果は無い。
「見回りのサーバントが居るくらいだから、何かあっても良いと思うんだけど」
「来崎さん………一旦下ろしてください。何か、聞こえます」
シエルの怪訝そうな顔を見て、来崎も羽ばたくのを止めて地に足を下ろす。暗所の中、視界のあまり効かないシエルだからこそ逸早く聞き取ることの出来たパタパタとした羽音。
自分達が通ってきた一本道から、後を追うかのようにあの目玉コウモリが洞窟内に入ってきていたのだ。
「孤境さんの分析が届くまでに、あの敵をやり過ごすのは困難かと」
「うん、これは撃退するほかないようだね」
───コツン。
三体の背後で、不自然に石の落ちるような音が響いた。異変を感じたのだろう、即座に振り向いてその異変を感じた箇所を取り巻く様に飛んでいく。
(………今だっ)
何発ものボシュンという小気味の良い音と共に、銃弾が真黒のアウルに包まれ、確実に二体の目玉の命を刈り取った。
しかし、残り一体の目玉はそんな仲間の異変に気付くことなく、ただただ不安定にふらふらと慌てる様にその場を飛び交っている。
予めの打ち合わせ通り、きっとシエルの「目隠し」が効いているのだろう。
来崎は銃口を目標にピタリと合わせて、もう一度トリガーに指を掛けた。
目前の脅威も何とか退け、最奥の散策も一通り終えたその時、シエルの携帯がふと震える。
孤境からの連絡。しかし、本文が長い。シエルが来崎にチャットを見るように促した。
「見ました?」
「うん、確認してみるよ」
孤境からの連絡は『上方に微かに電線が露出しているから、それを辿ってほしい』とのことだった。
来崎が確認すると、確かに不自然な電線が露出している。不自然に脆くなっている岩壁を削り、指示どうりそれを辿った。
「………何、これ?」
洞穴の中にあるにはあまりにも怪しげな人工の鉄の扉。鍵は開いている、扉の向こうに気配は無い。来崎は静かにその扉を押し開けた。
●
「………あいつは、まったく」
麻生 遊夜(
ja1838)は呆れながら小さく溜め息を吐いて、チャットの来崎の発言に返信を打ち込んだ。
リョウ(
ja0563)と新井司(
ja6034)はそんな光景にもう慣れたのか、自分のこれからの行動に関しての準備を着々と行っている。
「ん、リョウ。孤境から連絡が届きましたよ」
双眼鏡で一通りの内部偵察を終えたリョウに、新井はチャットを見るように促した。
麻生も含めた三人が携帯に目を落とす。孤境からの連絡には、『一応この廃ビルは町の内部に位置して見回りの範囲内でもあるから、目立った敵が入り込んでいるとは到底思えない。しかし、小さな敵が入り込んでいる可能性は否めないので、僅かな変化に、より一層注意をしてほしい』とのことだった。
その文面に、新井は微かな引っ掛かりを覚えるが、それが何なのかが分かることは無く、麻生とリョウの会話に耳を傾けている間にそれは意識の奥にフッと消え落ちる。
「んで、リョウさん。あの廃ビルの状況はどうだったんだ?」
「あぁ。ビルの外で巡回している敵は無し、ざっとここからビルの内部を窓から見てみたけど、そこからも何か見えることは無かった。ただ、この孤境の注意書きもあるし、用心に越したことは無いな」
リョウは自らの靴紐をグッと結び直した。
三人は各々の技能を存分に生かしながら、廃ビルを捜索している。
リョウはスキル「壁走り」を使用し、ビルの外壁を歩きながら内部から潜入している二人の死角を補う。内部に潜入している二人のうち、新井は「蜃気楼」で自らの姿を消して、麻生より先行して各部屋の散策や、廊下の曲がり角の先に何かいないかを調べていた。そして麻生はそんな新井の背後につき、後ろからの脅威に備えて行動を行う。
幸いどの部屋もドアが外されているか、ドアがついていてもどこの鍵も開いていて、捜索にこれといった支障は出ていない。
三階まであるそのビル、面積も広く捜索は骨が折れるものだと思っていたが、中には何一つ雑貨が無い為見通しが良く、思いのほかサクサクと三人の足は進む。
「………リョウ、三階の方はどう?」
『異常なしだ、上がってきて良いぞ』
小声の新井の問いかけに、同じく小声でリョウの答えが電話越しに返ってきた。
足音をひそめながら新井と麻生は三階に上がる階段を上る。
「───あとは、この部屋か」
残すところあと一部屋。この部屋は以前会議室に使われていたとかで、このビルの中で一番広い部屋になっていた。
新井は蜃気楼を解き、リョウも二人に合流する。
「二人とも気を付けてくれ。この部屋の窓だけは何故か木の板で封されていて、外から中の様子を見ることが出来なかった」
「しかも丁寧なことに鍵までかかって、少し待ってくれ俺が開ける」
麻生がドアの前でしゃがみ静かに開錠して見せる。
カチャリと音がした。用心に用心を重ね、リョウが自らの槍でドアに小さく穴を開け、中を覗いてみる。
「───っ!?」
ビクリとリョウの体が震える。
「お、おいっ、リョウ!?」
新井の制止の声などまるで聞こえてないかのような表情で、リョウは思い切りそのドアを開いて中に入った。一体何事なのか、何かあってからじゃ遅いと麻生と新井も慌てて後を追う。
そして中に入った瞬間、そのリョウの行動の意味が瞬時に理解できた。
驚きよりも、不気味さや怒り、そしてなにより心が恐怖するのを感じる。握り締めた拳が震える理由は、本人達すらよく理解できなかった。
まるで精肉場のように、数十名の意識を失った人間が足をひもで括られ逆さに吊るされている。
「………んだよこれ。狂ってる」
麻生はそう言葉を紡ぐので精いっぱいだった。
しかしそんな中、新井だけは二人とは違った視点で考え事をしていた。
孤境の文面で感じた違和感。それが今になってようやくつながった。
「この建物は、見回りの範囲内に入っていたはず………じゃあ一体、誰にこんなことが出来る?」
謎が謎を呼ぶその呟きは、どうやら二人には聞こえていなかった様だ。
●
他の班より少し遅れて目的地に到着したのは、ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)と黒羽 風香(
jc1325)の二人だ。
彼女たちの目的地は他の二箇所よりも遠いので、当然と言えば当然なのだが。
「ヒビキさん、麻生さんと一緒じゃなかったからってそんなにしょんもりしなくても」
「………あぅ」
文字道り「しょんもり」とした表情のヒビキ。
一瞬、「学校の遠足か」とも突っ込みたくなった黒羽だが、そこはぐっと飲み込んだ。
「ほら、ね。ちゃんと成果を出して帰れば、その分たくさん褒めてくれると思いますよ?」
「ハッ………頭良い」
羨望の眼差しを受け、黒羽は乾いた笑いを返す。本人の与り知らぬところで、またおかしな権利が発行されたが、麻生は当然このことを知らない。
彼女たちが潜入するのは、戦時中の爪痕が残る、通称「捨てられた町」だ。
町とは言っても、そこにあるのは今にも崩れ落ちそうなボロボロの家が五棟と、外壁だけが辛うじて残っているような病院が一つ。地面は長草が生い茂り、病院が近くなるにつれ雑草は減って、ぬかるみの地帯が広がっている。
そして、二人が遠くから確認すると、予めの情報の通り、ボロボロの家の周辺で目玉から羽の生えた敵が何体か見受けられた。
「身を隠す場所も多いですし、あれなら見つからずに行けるかもしれませんね」
「………私が黒羽さんを抱えて飛んで、黒羽さんが『鋭敏聴覚』で敵の動きを読む。確かに、単純だけど、一番効率が良い」
ヒビキはコクリと小さく頷くと、ふわりと自分の翼を広げる。
「………行こう?」
差し出された手を黒羽は掴み、その場から立ち上がった。
家の陰に隠れ、黒羽の指示で縫うように二人は病院の元まで静かに飛んでいく。
あの目玉コウモリが後ろ向きで飛ばない限り、二人が見つかる事は到底考えられない。ヒビキの羽ばたく音も実に静かだ。
「………ヒビキさん、おそらく、もうこの辺で良いかと」
黒羽の囁きにヒビキは頷いて、病院の裏手に回り込んで二人は音も無く地に足をつけた。
一息ついて、改めて黒羽はもう一度『鋭敏聴覚』を発動させる。
「っ………」
出来るだけ声を押し殺すヒビキは、黒羽の表情が強張るのを見た。強張ったかと思えば黒羽はすぐに携帯を取り出し、孤境に「当たりの様です」とだけ打ちこんだ。
二人はひび割れた外壁の隙間を覗き込む。
『クッ………クッ、ハハッ』
中には少し小太りである男の『使徒』が居るのが目に見えた。彼はその身にあまり似つかわしくない細身のレイピアを持ち、笑いながらおもちゃでも遊ぶかのように振り回している。
そして、その剣先を自らの足元の「何か」にゆっくりと突き刺した。
「っ!?」
その瞬間、ヒビキは怒りに震え立ち上がろうとするが、黒羽が彼女の腕を全力で握りその動きを止める。
使徒の足元の「何か」は痙攣するようにビクビクとのたうち回り、それを実に楽しそうに使徒が眺めているのだ。
その何かとは、一般の人間の老人であった。
感情を取られているのか目は虚ろ。だが、その体は大きく痙攣を繰り返している。
「………黒羽さんっ、私、許せないっ」
「お願い、落ち着いて。今飛び出せば全てが水の泡です」
黒羽の噛みしめる下唇から一筋血が流れるのを見て、ヒビキは強く拳を握ったまま腰を下ろす。
「………早く帰ろう」
ヒビキの言葉に黒羽は強かに頷き、その場を静かにあとにした。
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「おっさん、これはシエルさんからアメリアに渡しておいてくれって言われた『魔具』だ。動物図鑑みたいななりだから、あの子が持ってても何らおかしくはないだろう」
「あぁ、あとで礼を言っとかないとな」
日は落ちてすっかり暗くなっている。ひとまず今日の結果を直で伝える為に、孤境は入生田に会うためにアメリアの入院する病院まで訪れていた。
まず、今回発見した使徒が、マルティネリを襲ったとみていることだ。
その根拠は、使徒の持っていた武器が毒を付与しているようで、マルティネリの傷口と使徒の武器が一致するという二点である。もしその使途が犯人では無かったとしても、撃退せねばいけない存在であると孤境は判断していた。
そして、廃ビルには感情を吸い取られた抜殻のような人達が数十名いて、一応帰還した撃退士達全員で救助をしたが、誰一人今だ口もきけない状態であること。ちなみに彼らは行方不明者と見事に合致したらしい。
「んで、洞穴の方はどうだ?」
「ここもおかしな点があったよ」
孤境は懐から一枚の写真を取り出し、それを入生田に渡す。
「なんだ、これ?」
「洞穴の奥に隠されたようにこの一室があったんだ。何故か電気も通っている、はっきり言ってこれはどう調べても何が関連しているのかは分からない」
写真に写っているのは、鋼で囲まれた一室に様々な拷問道具が落ちていて、固定具の施された椅子が中央に据えてあるといった光景だった。
あまりに現実離れしていて、写真を渡された入生田も眉をしかめるしかないようだ。
「んー………一番確実なのはその行方不明者達から証言を貰う事だが、大元を何とかしないと意識が戻らないしな」
「あぁ、だからあの『使徒』をまずはどうにかしないといけないんだ」
どこか生き急いでいるかのように見える孤境の表情に、入生田は下手に「力を抜け」とも言えず、肩にポンと手をつくことしか出来なかった。