下条の誘いに乗った生徒は手伝いも含めて9人になった。
教師は2名。下条の他は司馬と細田のみ。
余りに規模を大きくしても引率者の負担が増えるだけなので、
気軽に進めるにはこの人数ぐらいが適正だろう。
各々自前で準備したランニングウェアを纏い、軽く体を動かしながら準備運動をしている。
参加していないのはイザベラの手伝いに来たリーゼロッテ 御剣(
jb6732)ともう1人。
車椅子に乗ったままの御幸浜 霧(
ja0751)だ。
「ウォーキングですけど、光纏して走るんですか?」
カタリナ(
ja5119)動く気配の無い御幸浜の様子を怪訝に思い、恐る恐るその質問を投げかける。
澄まし顔の御幸浜はきっぱりと「光纏はしません」と言い切った。
「光纏とは言わば武士の刀。おいそれと抜いて良いものではありません」
「それはつまり…」
「私はお手伝いです。人の乗った車椅子はそれなりに重いですから、押せばそれなりの負荷になるでしょう」
「あ…ありがとうございます」
それは果たして自分が歩かない言い訳ではないのか。
カタリナは複雑な面持ちで車椅子を押す。
もとより自分は切羽詰まってダイエットする必要はない。
「話し相手が多ければ歩くのも楽しいですからね。
ダイエットと思わなければ気楽になれますよ」
御剣 真一(
jb7195)はカタリナに柔らかく微笑みかける。
前向きに考えるのは大事だ。カタリナはそれでひとまず納得した。
「ま…まあ、知識のある人も居ることですし、頑張ればなんとかなりますよね」
「そうですね。意志薄弱な私でも、流石に皆さんと一緒ならなんとか」
イザベラは胸の前で拳を握って決意を新たにする。
本当はダイエットなどしたくないのだが、冬物が入らない以上危機感はある。
親友も手伝ってくれている。なんとしても成功させたかった。
一方、出発前から悲壮感を漂わせる面々も居た。
「そうです。このままではいけません。絶対に成功させましょう」
「その通りだぞ! おいらも頑張る。メタボ…じゃなくてポッチャリ体型になったら社会から孤立しちゃうぞ!」
龍玉蘭(
jb3580)とフォルド・フェアバルト(
jb6034)だ。
体重増加に悩む二人が気勢を上げた。
重いだの太いだのなんてもう言わせない。
余計なことを言った胸中の弟にジャブを食らわせつつ玉蘭は誓いを立てる。
「その意気です、皆さん」
「何事も計画的に。イザベラさん、頑張りましょう!」
礼野 明日夢(
jb5590)とリーゼロッテは2人ともクリップボードにノート持参の体制だ。
この日のために用意した注意書きのメモと、
更にリーゼロッテはイザベラ用にスケジュールまで組んできている。
(これをやるの…?)
イザベラは早速不安で顔を暗くする。
リーゼロッテの作ったスケジュールは、スパルタの一言だった。
ウォーキング後、一緒に40キロマラソン、階段の兎跳び200段、縄跳び&腕立て&腹筋200回。
昨日までゴロ寝が基本のズボラな女に、このプログラムはどう考えても無理な内容だ。
横目で覗き込んだカタリナが早速白目になっている。
「そろそろ出発しますよー」
奉丈 遮那(
ja1001)の呼びかけで場が一時静かになった。
何にせよ時間のかかる話。
どんな小さな一歩でも、踏み出さなければ始まらない。
不安を抱えながらも、一行は久遠ヶ原の外周に向けて歩き始めた。
●
三日目。三日坊主という言葉があるように、
堕落が始まる頃合の日付でもあった。
「御幸浜さん、なんで今川焼き買ったんですか」
「ふふっ。重りは重いほうが効果が出るでしょう?」
精神的なスパルタに移行したのか。
カタリナは悪意を感じずには居られなかった。
「自分が食べたいだけじゃないんですか。食べ歩き、よくないです」
「わたくしは座っているから良いのです」
「太っても知りませんよ」
「フローエ様はご存知ないかも知れませんが、
古来日本ではふくよかなほうが美人とされていました。 少しぐらい増えたところで…」
ああ言えばこう言うとは正にこの事。
ただ、その御幸浜の妨害を持ってしても、細田教諭の半分程度だったろう。
「この匂いは…」
奉丈は周囲を見渡して匂いのもとを探る。
元凶はすぐに見つかった。
「細田先生……」
「なんだい?」
細田が手に抱えているのは見紛うことなくフライドチキン。
それも袋。一本どころではない。今川焼き1個など可愛く思える。
「ダイエットの時はお肉も食べないとダメなんだよ」
わかりやすく都合の良い言い訳をする細田。
あっと言う間に周りの冷たい視線を集める。
「もう、そんなに食べては効果ありませんよ!」
カタリナの言葉が全てだった。
たんぱく質の摂取は必要だが、カロリーオーバーである。
女性陣が風下へ逃げる中、補助メンバーの礼野が疾風の如き勢いで食べ物を奪いに掛かる。
「ウォーキング中の食べ歩きは禁止です。
ゴミを散らす可能性が高いし、運動中に物食べて喉詰まらせたりお腹痛くなったらどうするんですか!」
「そんなぁー…」
崩れ落ちる細田には誰も同情しなかった。
とはいえ、捨てるのは宜しくない。
明日夢は奪ったフライドチキンをどうするか決めかね、
結局小休止の間に処分する事にした。
主な処理先はフォルドだ。
がつがつと食べ始めるフォルドを見てイザベラは首を傾げる。
「あれ、フォルド君もダイエットじゃないの?」
「背が伸びただけだから問題ないらしいぞ!」
「あ…そう」
彼が肥満でないのは初日から明らかだった。
理由を確認した司馬との面談で、食事の内容から通常のものに戻している。
一応礼野がカロリー計算しているが、それほど重要ではない。
「そういうイザベラさんはどうなんですか?」
玉蘭はじと目で問い詰める。
リーゼロッテに食事制限まで課せられたはず。
これは計算の外ではないのだろうか。
「一杯動いたから、体力回復のために栄養補給しなくちゃダメよね」
発想が既にドツボである。
目的が痩せることか健康の維持かにもよるが、
ダイエットを考えるならもう駄目だろう。
これでは新調したサウナスーツもジャージも効果が無い。
外見を繕っても心の弱さは変わらないのである。
そのやり取りを奉丈は黙って見過ごした。
本当は処理を任せるはずが気づけば手をつけていた。
自分には追求できない。意識から隠れるように端へ移動した。
小さな塊を食べる御幸浜の影ならばれないだろう。
「ところで、一つ聞きたかったのですが」
「何でしょう?」
「その服装はどこで買ったんですか? 気合入ってますよね」
カタリナは上から下まで玉蘭の衣服を見る。
バレーシャツとハーフパンツ、そして「ぎょくらん」と書かれたゼッケン。
他のメンバーとは明らかに違う。
日本の文化に疎いカタリナもそれはよくわかった。
「これですか? 店員さんにお奨めされたんです。
なんでも、『体操服にはゼッケンをつけるのが必須、寧ろ作法』
『このゼッケンを縫いつけたらダイエット効果がさらにアップ!』
らしいですよ?」
玉蘭の脳裏で親指を立てる若い男性店員。
赤い全身甲冑が一瞬ダブッて見えるが、どうでも良い情報なのでぐっともみ消した。
「えっ…!そんな魔装も開発されていたんですか、私も用意してくればよかった!」
特殊抵抗、移動力、果てはカオスレートも変化させる衣装が用意される昨今、
ダイエット効果のあがる装備があってもおかしくないはず。
そんな都合の良い理屈でカタリナはあっさりと自分を信用させた。
盛り上がる女の子2人。
話を聞いていた御剣はどうしたものかと困惑する。
それはもう明らかに店員のよからぬ意図だろう。
御剣にその趣味はないが、ウォーキングの途中で視線を集めたことを考えると、
良くない方向で人気のある衣装なのは間違いない。
「今度そのお店教えてください、私も是非欲しいです」
御剣が流石に止めようとしたところ、意外な人物がくいついた。
「面白そうね。私も知りたいわ」
話に乗って来たのは司馬教諭だった。
「良いですよ。場所は…」
玉蘭は地図を描き、教えてくれた店員の特徴を説明していく。
後にそのスポーツ用品店の店員が、顔を腫らして出社する姿が目撃されたが、
それはまたどうでも良く且つ別の話であるので記載は省くこととする。
●
ウォーキングを終えて解散した後、今日もいつものメンバーが残る。
引率の司馬教諭、フォルド、御剣、明日夢の3人の生徒。
元から運動量の多い人間にはダイエットメニューは物足りない。
初日から今日まで誰が言うともなく、4人は続いて鍛錬に励んでいた。
「物好きね。付き合わなくても良いのに」
「いえ、何事も最後まで付き合いますよ。司馬先生にだけ負担はかけられません」
御剣は走り終えた司馬にスポーツドリンクを手渡す。同じように礼野にはお茶を。
フォルドは自前の水筒に入れたスポーツドリンクを浴びるように飲んでいた。
司馬は物好きの中で一番の物好きだろう。
「司馬先生は真面目なんですね。友達思いで素敵だと思います」
「そう。ありがと」
照れている、ようには見えないが司馬の反応は素っ気無い。
今まで出会った女性とは少し勝手が違うが、
御剣にとってその面倒見の良さは好意的に映った。
「フォルド君は今日もまだ鍛錬?」
「そうだぞ! 一日さぼればそれだけ弱くなるんだぞ!」
ダイエット不要とわかってからのフォルドは、より運動に前向きだった。
ダイエット向きで不摂生な食事も改め、始めた頃よりも生き生きしている。
礼野は「にしても食べすぎ…」と常々渋い顔をしていたが、
その度に司馬は笑って「若い子は食べるのも大事と」とりなしていた。
「なるほど。丁度いいわ」
司馬は革のブルゾンを脱ぐと手近な石垣に投げかけた。
服の下からは引き締まった筋肉が見える。
「強くなりたいなら、課外授業をつけてあげる」
司馬は拳を握り構えると光纏した。
アウルに反応して風が吹きすさぶ。
「かかってきなさい!」
「よーし、なら遠慮しないぞ!」
止める間もあればこそ、光纏したフォルドが飛び掛っていく。
我にかえった御剣と明日夢は、その剣撃に巻き込まれないように、
こっそりと公園を出て行った。
●そして、一ヶ月の時が過ぎた!
運命の計量日。
この日はウォーキングを早い段階で切り上げ、夕食前に保健室に集合した。
目的は勿論、体重計の使用。
日々の中で食事や睡眠で誤差があるが、
計量のタイミングは夕食前と統一している。
部屋に入ってまず最初に、細田がデジタルの体重計に乗った。
祈るようなポーズで目を閉じ、数値が止まった頃と見計らい目をあける。
「…やった! 目標達成だー!」
幸先良いスタート。とは誰も思えず、皆して怪訝な顔で彼を出迎えた。
「あんなに食べてたのに……なんで」
明日夢は呆然としている。
結局、隙あらば何かを食べようとする細田を妨害しきることはできず、
失敗に近いだろうと覚悟もしていた。
「それでも普段より食べる量が減ってた、ってことじゃないかな?」
御剣は一ヶ月を思い返す。
強引に間食を奪っていく明日夢とフォルドが居なければ、
食事の量は確かに1.2倍ぐらいには増えていただろう。
普段の食事もローカロリーな物を揃えた為、摂取カロリーは確実に減っていた。
釈然としないのは誰しもだったが、これは当然の結果だろう。
続いてイザベラが体重計に挑む。
「途中、あんなに食べたのに体重が増えてないなんてすごーい!」
いいのか、それは。ともいえず、細田教諭の時と似たような雰囲気になる。
「でも痩せれなかったから、リーゼロッテさんに何を言われるか…」
「大丈夫。僕が弁護してあげますよ。ダイエットしなくても、イザベラさんは綺麗だから大丈夫です」
御剣が不安がるイザベラの肩を叩く。
笑顔を見て不安がなくなったのか、イザベラは嬉々として体重計を降りた。
違う、そこでもない。ともやはり誰も言えなかった。
そして言いだした本人へ順番は回る。
果たして結果は…。
「………」
「マイナス3キロ。まあまあ良い具合ですね」
落ち込みそうになる下条に奉丈がそっとフォローを入れる。
「一気に痩せるとリバウンドするので、一ヶ月に元の体重の5%ぐらいが良いといわれています。
元々マイナス8キロを達成するにはかなり色々しないと届きません」
それを聞いてカタリナと玉蘭も安堵のため息をもらす。
2人もだいたいそれぐらいに収まっていたのだろう。
「そういう奉丈さんはどうだった?」
言葉が詰まる奉丈。
ぎりぎりのところで「ええ、痩せましたよ」とだけいえた。
計量ではマイナス1.5kg。
確実に痩せてはいるが、普段の生活の中で容易に覆る範囲である。
胸を張って痩せたとは言えない誤差程度の数字だった。
とはいえ、この企画は成功に終わったと言って良い。
それぞれに胸をなでおろしたり、喜んで跳ねたりと、保健室は黄色い声で沸いた。
「よし、成功祝いに焼肉食べに行こうだぞ!」
「ここで言うの、それ?」
フォルドの提案に御剣が苦笑してツッコミを入れる。
とはいえ、頑張った分だけ脂肪を消費しやすい体に変わっている。
鍛錬に明け暮れた彼にも、ダイエットに励んだ女の子達にも、
あながち悪い提案ではなかった。
皆が成功を祝い、荷物を纏める一方、
意識が体重計から遠ざかったタイミングを見計らい、
御幸浜はこっそりと体重計に乗った。
(……本格的に痩身運動しようかしら)
しなかった努力も裏切らない。
そういう意識の無い御幸浜にせよ、殿方に笑われる体型は困る。
御幸浜は決意を新たにしつつ、仲間達の後を追っていった。