●泥中の進軍
「服が張り付いて‥‥気持ちわるいですね」
僅かな苛立ちを見せる機嶋 結(
ja0725)に、郷田 英雄(
ja0378)は簡単な解決法を返す。
「ああ、確かに泥を吸って気持ち悪いな。俺も脱ごう!」
豪快にコートを投げ捨て、筋骨隆々の上半身を晒す。
が、この対処は女性である結には少し無理があったのか、はたまた元々、そちらの方を見ていなかったのか。彼女はそのまま、泥の中を、中央の炉に向かって突き進む。
ゴポ。
泡が一つ、炉の近くから浮かび上がる。
それに続いて水中から浮かび上がってきたのは、彼らが良く知る――八卦が『水』、たつさきさん。
敵の姿を認めて尚、撃退士たちはそれを無視するように、炉に向かって突き進む。
それを迎撃しようとそちらに向かって動くたつさきさん。
と、その前に、突如一本の矢が突き刺さる。
「かなり厄介な相手のようですね。‥‥ですので、邪魔されないよう、足止めさせてもらいましょう」
低空を飛行していたが故に、最も早くポジションについた夜姫(
jb2550)。たつさきさんの姿を視認した彼女は、即座に味方の前進を援護するため、それに弓で攻撃したのであった。
その間に、全力移動を選択していた久遠寺 渚(
jb0685)が、いち早く炉の傍に到着し、符を四方に展開する。
「これでたつさきさんを気にせず炉を攻撃できます! 」
それは仲間への呼びかけ――に見せかけた、たつさきさんへのフェイク。
「行かせませんよ」
そちらに向かおうとしたたつさきさんへの、再度の牽制の一矢。この高度ならばたつさきさんの攻撃は届くまい。延々と足止めし続ける事も可能な筈だ。
「恭子、引き摺り下ろしなさい!」
――そう、もう一体の『獣』がいなければ。
●枝上の強襲・枝下の逆襲
――『ナイトメア・チルドレン』によって生み出されていた獣――『恭子』と呼ばれるそれは、機動力と悪地走破に優れる。これは、前回の一戦で、壁を這う事で空挺していた者に追いついた事からも分かる事だ。
それは息を潜めて枝を伝い、頭上から夜姫に襲い掛かったのであった。
「――っ」
バランスを崩し、増えた重量も相まって落下。地面に叩き付けられる。幸いにしてやわらかい『沼』がクッションとなり、ダメージはほぼ無かったものの、押さえ込まれて身動きは取れない。
刀を抜刀し、薙ぎ払おうとするものの、牙で受け止められ変則的な鍔迫り合いとなる。その間に、足止めを解除されたたつさきさんが、全速力で炉を攻撃していた撃退士たちへと向かう。
「その傷が、貴女を非道に落とした原因ですか」
下半身は沼での移動に適すよう変形させてあれど、上半身はそのまま人型。そこに刻まれた痛々しい傷跡に、結が眉を顰める。
けれど、彼女は戸惑い無く、抜刀する。
いかなる同情すべき経緯があれど、それが怪物に堕ち、人の世に仇を成すようになったのならば‥‥斬るだけ。
「どきなさい…!」
距離があったのならば、ロザリオでの迎撃も考えたが、このフィールドに適応させるためだけに下半身を変化させたたつさきさんの移動速度は常軌を逸していた。その右肩から獣の口が発生し、結に襲い掛かる。
法陣を展開し、一撃を受け止める。そのままカウンターでの一閃を仕掛けるが、腰から発生した別の獣の口に受け止められる。刃は食い込んでいる。無傷ではないだろう。だがそれは結自身も同じ。防壁陣は飽くまでもダメージを『軽減』する技。完全に防ぐ技ではない。
純粋な押し合いであれば、この場合、質量が大きいたつさきさんが有利であったが――
バキュン。
「ぐっ!?」
その背後から、たつさきさんを銃弾が貫く。
「(・3・)あうち、邪魔するなーっ★」
まるで『炉を狙ったがその射線上にたつさきさんが入ったので当たってしまった』とでも言うような口ぶりで、新崎 ふゆみ(
ja8965)が狙撃を行ったのである。――本来の狙いは、口には出さない。
この一撃により力のバランスが崩れ、たつさきさんが逆に押される事となる。
その隙に、炉の上方に、枝を伝って渡った翡翠 龍斗(
ja7594)が、降下の勢いを乗せ、炉に強烈な一撃。
「ちっ、流石に硬いな」
その一瞬に、炉の周囲を観察する。
龍斗は、炉に弱点のような物がないかを探索していたのであった。が、特段装飾のような物は見当たらず、方角もこの深い森の中では判断は困難。何せ入り組んだ枝によって空すら見えないのである。
「まぁいい、なら叩くだけだ」
槍を縦にして、全力で突き下ろす。
「くっ…壊させる訳にはいきませんわ」
体勢を逆にして結を地面に叩きつけ、反撃で足を切られるのも構わず――寧ろ尻尾切りのような形で一部を盾にし、そのまま炉の方へと向かう。
「邪魔するなーっ!」
無数の氷の結晶を含んだ白き光が、横からたつさきさんに襲い掛かる。雪室 チルル(
ja0220)の一撃によって一瞬視界を遮られた彼女に、追撃で襲い掛かるのはアサニエル(
jb5431)の火球弾。
氷と炎が交錯し、竜巻となって彼女を巻き込む。
「ついでにこれも喰らいやがれ!!」
竜巻を切り裂くように、飛来する三柄の大鎌。左右、そして上段から、それはたつさきさんを切り裂く。
「っ‥‥どうだっ‥‥!」
屈みこむ英雄。彼の武器複製の技は大量のアウルを消耗し、それ故に一時的に、行動不能に陥る。
「どうした。来ないならこのまま破壊するぞ」
味方の猛攻によって傷ついたたつさきさんを更に挑発するように、槍で炉を叩く龍斗。
それは同時に、反対側で火球を形成させていたアサニエルから注意を逸らす為でもあった。
「生命力吸うのはおばさんのセンバイトッキョじゃないよっ★」
飛来する弾丸から、生命力が吸い取られるのを感じる。
見れば、遠くでドヤ顔をするふゆみの姿。だが、今のたつさきさんには、彼女に構っている暇はない。何せ至近距離を五人の撃退士に囲まれている状態なのである。
「そらもう一発! 何の因縁もないけど、仕事なんでね。ビジネスライクに仕留めさせて貰うよ」
アサニエルの造りだした火球が、たつさきさんに飛来する。同時にチルルもまた、位置を調整し。直線上にたつさきさんと炉の両方を射程に入れ、その氷の刃を振り上げた。
だが、それを振り下ろそうとした瞬間。チルルは、たつさきさんの顔に、にたりとした笑みが浮かぶのを目の当たりにする。
――『恭子』は夜姫を押さえ込み、戦闘を繰り広げているが、見方を変えれば逆に夜姫に牽制されているとも言える。たつさきさん一人で、撃退士の猛攻を凌ぎながら炉を守るのは、少し難易度が高いと言えよう。
(「炉にも傷はついてしまいますが‥‥仕方ありませんわね」)
どの道、牽制され続ける今のままでは炉を攻撃する龍斗の元に到達するのは不可能。
――故に、彼女は、この場で唯一、状況を変えられる手を選択した。
「このポジション‥‥いいですわ‥‥!」
「危ない‥‥全方位攻撃、来ます!」
夜姫が警告の声を発した次の瞬間、無数の獣の口がたつさきさんの全身から噴出される。
それは一斉に周りの地面を掘り、大量の水を空中に噴出させ、アサニエルの投下した火球を遮る!
●Underwater
――戦場は、一瞬にして、水中へと沈んだ。
それはやや距離を置いて『恭子』と押し合いになっていた夜姫と、遠距離狙撃に徹していたふゆみを除く6人を、八卦炉と共に、一斉に飲み込んだ。
「ち……!」
視界が一気に悪化したのに、舌打ちする龍斗。だが、至近距離にはまだ炉がある。これを攻撃し続ければ、たつさきさんの動きをある程度限定する事が可能。そう考えた彼は、武器を拳に切り替え、今一度、それを殴りつける。
「――!」
とっさの殺気。元々警戒していない訳ではないため、即座に盾を取り出し一撃を受け止める。
そのまま龍斗は、襲来したたつさきさんをナックルで掴み上げ、逆に炉へと叩き付ける!
「聖人君子を相手にしていると思っているのか?」
「思っていないわ。だから、これも――卑怯だと思わない事ね」
水の抵抗力によって、叩き付けの威力は多少、相殺されている。だからまだたつさきさんは、喋れるのだろう。次の瞬間、背中に刺すような痛みを感じ、
「ぐぁっ!?」
龍斗は掴んだたつさきさんを手放す事になる。
その一瞬をついて、押して行ったのか――龍斗の目の前から、炉の影は消失する。
襲ってきたのは、『獣』。恐らく周囲が水中に沈んだ直後の混乱を突いて、たつさきさんが再度生成した物なのだろう。
――そもそも、八卦炉が今まで移動できなかったのは、それが泥に埋まっていたという点が大きい。明確に固定されていた『風』の一戦は兎も角、『山』の一戦に於いては敵ヴァニタスがそれを足撃を以って回転させ、動かせる事を実証した事もある。
こと、この水中に於いては、水の浮力によって、八卦炉の重量は大幅に軽減される。故にたつさきさんは、それを『移動させ』、泥水の視界の悪さを利用して『隠す』事も出来たのであった。
振り向けば、自身の背後に噛み付いていたのは、たつさきさんの本体。振り払おうと拳を叩きつければ、それは命中する前に自分から口を離し、泥水の悪視界を利用して即座に別方向から襲い掛かる。
「‥‥っ、お前たちは、誰の復活のために造られた安全装置か‥‥っ?」
大きな空気泡を吐き出しながら、龍斗は問いかける。
「何それ?‥‥知らないわよ、そんな事」
「ま、どちらにしろ滅する事に変わりはないがね」
「溺死寸前のご身分で、大口をまだ叩けるのね?」
再度推進しようと、身を屈めたたつさきさんに、その瞬間。水面から伸びた一本の鎖が巻きつく。
それはそのまま、彼女を吊り上げる!
「当たりだ‥‥! 攻撃こそ、最大の防御だ」
たつさきさんが湖を掘る際に、夜姫の警告を聞き咄嗟に頭上の枝に鎖を絡ませ、沈下する事を防いだ英雄こそが、この大釣劇の仕掛け人であった。並ならぬその腕力で、強引にたつさきさん空中へとを引き上げる。
「よしよし、そのまま暴れないでねー☆」
弾丸が飛来する。無論、遠くで狙っていたふゆみによる物。
「っち、こりゃやばいか?」
攻撃の衝撃が鎖に伝わり、それが頭上の枝にまで伝わってギシギシという音を立てるのを聞いて、英雄が奥歯を噛み締める。
「来なさい、恭子!」
たつさきさんの呼びかけと、夜姫がその手に雷電を纏ったのはほぼ同時。
放たれる雷撃の一打に、吹き飛ばされる獣。が、その勢いに逆らわず、そのまま炉のあった方向――たつさきさんを吊り上げていた英雄へと、飛び掛る!
「この‥‥っ!離しやがれ!」
片腕は枝側の鎖。片腕はたつさきさんを吊り下げた鎖を持っている。噛み付かれても抵抗できない。見ようによっては「たつさきさんと獣の一体を纏めて攻撃できる最大のチャンス」でもあったのだが――陸上に居て動けたのは、単体攻撃を主体とするふゆみのみ。アサニエルは水中でこの状況にきづかず探索を続けており、チルルは上陸の途中であった。
「よし、今がチャンスね!」
何とか陸にたどり着いたチルルが、振り向き氷雪の剣を構え、薙ぎ払う。放たれた冷気と、刃の如き氷の結晶。
――が、英雄を支えていた枝も、また限界であった。
「うぉっ!?」
バキン、という音と共に枝が折れる。吹雪が薙ぎ払ったのは獣の背中のみ。そのまま水しぶきと共に、英雄はたつさきさんと共に水中へと落下する。
咄嗟に陸上に向かって鎖を投げるが、長さが足りない。若しも陸上のメンバーがそれに合わせてキャッチすれば、或いは留められたかもしれないのだが――
●Homeground
(「両目でも視界はどうにもならねぇか‥‥」)
両目を交互に使う事によって、泥が入り込む事による影響はほぼ、防げている。
だが、それでも泥が『光を遮っている』と言う事には代わりは無い。視界は依然、灰色のままだ。
水中眼鏡を用意していたチルルは、既に陸上への脱出に成功しているが‥‥若しも彼女がそのまま水中で戦っていたとして、例え眼鏡を使用しても、光を遮られた事による視界低減の影響は受けるだろう。
(「どこだ‥‥?」)
暗闇の中、アサニエルが視認できた影は5つ。その手に魔力を溜め、いつでも投げられるように魔力の槍は準備したが、『どの影が敵であるか』を判断できない以上、範囲攻撃を使えば仲間ごと巻き込む可能性が存在する。
炉の影は他より大きい故に、それを視認できれば攻撃すると言う手もあるのだが、アサニエルのいた場所からそれらしき物は見当たらない。移動させられたか、それとも――
そうこう探索している内に、彼女が視認したのは、二対一で揉み合う三つの影。果たしてこれは、味方二人が敵一体へ集中攻撃を仕掛けているのか。それとも、たつさきさんと獣が、誰か味方を襲撃しているのか。
(「近づいて状況を確認するしかないな‥‥」)
そちらへと泳ぐアサニエル。その後方から、迫る黒い巨大な影。
「ぐぅ!?」
鉄槌で叩きつけられた様な衝撃。水の抵抗で衝撃力が全体的に減衰していたものの、それでもダメージは軽くない。
咄嗟に、魔力の槍を投げつける。それは彼女を殴りつけた凶器‥‥『八卦炉』を貫き、背後から炉を押していた『獣』にもダメージを与える。が、それに耐えたのか、そのまま敵は炉を押し、彼女ごと泥湖の床に叩き付ける!
「うぐ…っ」
泥がクッションになって衝撃ダメージは少ない。が、炉自体の重さによって持続的な圧力を受けており、アサニエルの腕力ではそれを押しのける事も出来ない。これがもし、怪力の結、英雄、龍斗等の前衛陣だったらまた違った結果になっていたのだろうが、彼らの所在は未だにこの泥水の中では探知できない。
炉を離し、泳ぎ寄った『獣』が、その口を開ける。アサニエルは咄嗟に魔力の槍を形成し放つが、体勢の関係でそれは彼女に乗っかっていた炉を貫くだけ。反対側から回り込んだ、『獣』には届かない。
――そのまま。獣の口は、彼女を襲った。
一方、先ほど水中に引きずり込まれた英雄はと言うと――
「こ‥‥の――っ!」
水中に広がる冷気が、『獣』を捉え、深い眠りに落とす。
チャンスとばかりに武器を構えて襲おうとするが、下方から潜行を以って冷気を回避したたつさきさん本体が、獣の口で彼の足に噛み付き、前進を止める。『氷の夜想曲』は元々それ程命中に優れた技ではない。当たった方が、幸運だったのだろう。
鎌が斬り付ける。返す獣の牙が英雄の顔を掠め、傷跡を残す。
「いい加減‥‥離しやがれ…っ!」
放つは残る最後の一発。英雄の後ろに四本の鎌が出現し、己の意思を持つかのように、水を切り裂きたつさきさんへ飛来。
「ここは私のホームグラウンドよ?」
しかし、水中と言うアドバンテージを得たたつさきさんは、その内二本を軽々と回避し、残り二本も僅かに両肩を掠めた状態に留め、その間をすり抜ける。技の反動によってアウルを消費し、動けない英雄の腹部に獣の口は噛み付き、そのまま彼を湖底に叩き付ける。
そして、その衝撃波によって――冷気によって眠ってしまった『獣』が、目を覚ます事になる。
二体は共に、大口を開け。――英雄に、襲い掛かった。
――味方の援護を受けれていれば、ハイリスクな技を使用する事も間違ってはいない。その隙を仲間にカバーしてもらえるからだ。
「あちゃー‥‥どれが敵か、分からないんだよー」
『ある意味で』泥湖化の影響を最も大きく受けたのは、実はふゆみであった。
近接戦闘を挑んでいた仲間たちを遠距離から援護する事に徹していた彼女だが、その距離の分だけ、泥湖の中を見通す事は困難になっていた。狙撃レンジからでは、その湖の中の人影を特定する事すら不可能であったのだ。
だからと言って、湖の近くにいた夜姫とチルルの仕事が簡単だったか、と言えば‥‥そうではない。
あがる水しぶきや影から、水中の交戦地点の大体の位置は掴めた物の、交戦している双方の『どちらが』味方なのかを特定する事はできなかった。
迂闊に攻撃すれば味方に当たり、敵を利する事になりかねない。だが、かと言って、このまま手を拱いて見ていられはしない。
「行くしかないですね」
意を決して、夜姫は水中へと向かう。
本来ならば味方同士を合流させるための援護射撃を行いたかった所だが、この状態ではそれはきわめて難しい。
戦闘の至近距離まで接近すれば、敵味方の判別も可能だろう。少なくとも、岸上で待つよりはましだ。
一方、チルルもまた、味方が上がってこないのを確認し、再度湖の中に進入する。彼女の目的は味方の「救出」であった。
●Split Battle
交戦により、水は激しく波打つ。交戦箇所が1箇所ならば、或いはその波を読んで場所の特定が可能だったかもしれない。が、この状況下では、波がお互いに干渉しあい、場所の特定を困難にしていた。何とか水中の英雄を探り当てたチルルは、傷を負った彼を岸に運び上げ、再度水中へと向かう。
「っ!?」
弾丸のように飛来する八卦炉が命中し、水中で大きく距離を離される龍斗。
すぐさま自身に命中した炉を、全力で拳で殴りつける。
「さぁどうした‥‥攻撃してこないならこのまま破壊するぞ‥‥!」
脅迫とも言えるその挑発は的中し、右後方から噛み付いてきた『獣』に裏拳を叩き込む事に成功する。すぐさま距離を離すそれに、武器を銃に切り替え連射するが、距離が離れれば視界の圧倒的不利が効いて来る。弾丸はただ、水を切り裂くのみ。
そこに、先ほど湖に飛び込んだ夜姫が合流する。
(「どこへ行った?」)
(「分からん、こう視界が悪くては‥‥」)
一方、たつさきさんともう一体の『獣』は、炉を見失い、探索していた渚を襲撃していた。
「この‥‥っ!」
符を『獣』に向かって投げつける渚だが、水流に翻弄され、命中していない。
脇腹を『獣』の牙に抉られる。
――元々渚はそれ程戦闘向きではない。どちらかと言えば、搦め手とサポートこそが彼女の最も得意とする所。二対一のこの状況では、直ぐにピンチに陥る。
が、ただでは倒れない。搦め手こそが彼女の得意とする所と言うのならば、それを使った戦法も、また存在する。
生み出すは蛇の幻影。獣に噛み付かれたその一瞬の隙を利用し、武器を銃に切り替え、そこから放った蛇をたつさきさんに纏わりつかせる。
「ぐ‥‥毒!?」
万全の状態のたつさきさんならば、毒は彼女の自己回復能力を上回るには至らないだろう。だが、現在、このヴァニタスの回復能力は、儀式の影響によって低減している。故に、毒は十分に影響を与えていた。
(「今助けに――」)
(「来ないでください!」)
戦闘による水の波動を辿ってか、結がたつさきさんと渚を発見する。
が、毒をたつさきさんに付与したばかりである。次に来るのは――
「あああぁぁ!」
咆哮と共に、たつさきさんの全身から暴れる獣の口が飛び出す。渚の警告に咄嗟に後退し、断つさきさん本体の『リアクトビースト』を回避した結だが、別の方向から『獣』の方のリアクトビーストが彼女の額を掠める。
その牙に含まれた蟲毒が、彼女にも感染する。
結が距離を置いたその隙を突き、たつさきさん本体が渚を急襲する。地脈に刻まれた四神の加護は今だ有効。それ故に、渚は先ほどの二体同時攻撃を受けても、まだ倒れていない。だが、もう一発食らえば、どうなるか――
覚悟を決めた渚は、最後の力を符に込める。
生み出すは無数の戦剣。それを交差するように――一閃。
一瞬の後、たつさきさんの胸に、傷跡は刻まれる。
そのまま、渚は水底へと、沈んでいく。
●Outnumbered
「人に害成す悪魔は駆逐します。例え人もまた、悪魔だったとしても」
水中で点るは、火刀の明り。防壁でたつさきさんの攻撃をいなしながら、その刀を振るい続ける結。
だが、二対一の状況。猛撃を与えようと思えば逆側が体当たりしてそれを邪魔するために、決定打を与えるには至らない。何よりも、毒の影響もあった。両者共に己が力で毒を振り払ったものの、ダメージの累積は否めない。そして、ことその状態に於いては――微量とはいえ、回復能力が残留しているたつさきさんのほうが、回復手段のない結より有利なのだ。
ジリ貧。その言葉が脳裏をよぎった瞬間、獣の体当たりによって湖底に叩き付けられる。
頭から激突してしまったが故に、今までのダメージも重なり、意識を失う。
だが、たつさきさんが結を追撃する事はない。激戦の位置を特定した龍斗と夜姫がやってきていたのだ。
「これは‥‥」
炉を追跡していた二人が目の当たりにしたのは、『獣』たちが合流した場所。
たつさきさんと一体の『獣』が前に立ちはだかり、後ろで炉を抱えたもう一体が警戒するように彼らを睨む。
「突破して炉を狙う」
「援護します」
龍斗が前進するのと同時に、弓撃で弾幕を張り、それを援護する夜姫。それをたつさきさんたちが回避した隙に、龍斗は炉へと肉薄する。
「ぐっ!?」
殴りつけようとした瞬間、炉自体が『ぶつかってきた』。後ろに居る『獣』の仕業だろう。先ほどもやられたように、炉が水中なら動かせる事を利用し、その質量を『武器』として利用しているのだ。シールドで防いだが故に、ダメージはほぼない。が、前の炉はフェイント。本命は――後ろに居たたつさきさん。
獣の口が、龍斗の腰に噛み付く。
「離しなさい」
弓を構える夜姫。しかし、彼女にもまた、別の獣が飛び掛っていた。そのまま揉みあいになるが、その状況は長く続かない。
雷を纏った掌底が獣に叩き込まれ、それを炉の方へと吹き飛ばす。
すぐさま弓を取り出し、連射で追撃する。
――『獣』の体を矢が貫いた場所から、血が流れる。それに構わずに、炉の方へ吹き飛ばされた一体は、そのまま龍斗へ襲い掛かる。
一瞬、三体共に彼から離れたかと思うと。炉を持ち上げ、上から彼に押し付けるように叩き付けたのだった。
「ちぃっ‥‥!」
全力で炉の底を叩く龍斗。だが、一人分の火力しかない以上、堅牢な炉の早急な破壊は期待できない。そのまま、湖底へと押し付けられる。
そんな彼を救出しようと、援護射撃を行う夜姫だったが、それは逆に、炉で龍斗の動きを封じた後のたつさきさんと獣二体による一斉攻撃を誘う形になってしまう。
たつさきさんは儀式によって力は衰えているとは言え、三対一の状態になってしまっては、夜姫の勝算は、極めて低かったのだった。
●終わりのその形
ざばぁと、チルルが龍斗と夜姫を担ぎ、岸へと上がる。
元々は水中に居る味方を救出しようとした彼女だが、皮肉にも彼らが戦闘不能になってから陸上へ引き上げる事になる。
が、そのお陰で、重体者が大幅に減ったのも、また事実であった。
陸上からの攻撃を警戒してか、水面に波をも立てずに、たつさきさんと『獣』たちは、水中に潜む。
が、水中に味方が居なくなった事で、撃退士たちは『自由に水中を掃射する事』が可能となる。
「あたれー☆」
ありとあらゆる、敵に見える水中の影に向かって、狙撃するふゆみ。
彼女にはたつさきさんが襲来した時の迎撃のために準備した技もあった。だが、水によって銃弾が弾かれ、そして何よりも『炉に近づいた者たちの方が』脅威度が高い以上。それが日の目を見る事はなかった。
「全部纏めて薙ぎ払うわ!」
チルルの放つ吹雪も、また湖底を一斉に薙ぎ払う。
「ぐっ……!」
歯を食いしばり、水底のたつさきさんはそれに耐える。彼女以外に、『獣』の一体も巻き込まれている。儀式によって弱まった力では回復は追いつかない。
――若しも最初から岸に上がり、全員で遠距離や範囲攻撃で湖底を薙ぎ払ったのであれば、たつさきさんは迎撃のため上陸せざるを得ず、泥湖のアドバンテージは消滅していただろう。
或いは、水底で戦うための、己の位置を示す照明等を用意し、一斉に合流して総力を以って襲来するたつさきさんたちを迎え撃ったのならば、純粋な地力の差で上回っていたかもしれない。
ここまで多くの撃退士たちが負傷し、持久戦に持ち込まれたのは、純粋にこの場に於いての最も脅威となる技――フィールドを変更させる『エンドレスボーグ』への対応策が不足し、統一されていなかったのが、根本的な原因であった。
着実にチルルとふゆみの攻撃は、水底のたつさきさんの体力を削っていく。が、二人のみでは…火力は足りないと言わざるを得ない。
指定された時刻が、一刻一刻と、近づく。そして――
「あはははははは!」
立ち上る光の柱。それに乗って、水上に出てきたたつさきさんの哄笑。
儀式は、完遂された。