●降下
「久々ね!あんたの相手はこのあたいよ!」
冷気を身に纏い、まるで北風のように。竜崎の後ろから、雪室 チルル(
ja0220)が急速接近する。
「伏せなさい!」
跳躍し、空を舞い。雪の妖精は、その身を屈めた竜崎の前に着地し、その水晶のような材質の直剣を地に突き刺す。細身のそれを上手く操り、犬に骨を噛ませるが如く、たつさきさんの獣の口による一撃を受け止めようとする。
僅かに遅い。初手に跳躍へのスキル交換を行わざるを得なかった事が影響してか、受けが僅かに遅れ、獣の牙は彼女の脇腹に食い込む。
――だが、最悪の事態――竜崎が喰い殺されると言う事態は、この時点では阻止できた。
「あら、また私の邪魔をするつもりですの? 家庭事情には、首を突っ込まないで欲しかったのですけど」
たつさきさんの目には、更に後方から接近する多数の人影。見知った姿をその中に見た彼女は、即座に僅かに霜に覆われた獣口を引き、地に伏せるような姿勢を取る。
「いらっしゃい、恭子。父さんと一緒に、遊んであげて」
ぐっ、とその背部が醜く横に裂ける。
その中から這い出す、異形の獣。それはやがて形を変え‥‥人間の、しかも女の子の姿になる。
但し、変わったのは『形』だけ。その体表は、黒い毛に覆われていた。
「今度は強制突破させてもらう」
更にその上方を越えるようにし、郷田 英雄(
ja0378)が跳躍する。空中で、その右目が、暗い紅に光る。
「前回の借りだ。‥‥ブッ飛ばす!」
煌く眼光が、矢のように地に伏せたたつさきさんを射る。衝撃で、至近距離にいたたつさきさんは大きく後ろへと滑る事になる。
そしてその直後。三枚の盾が、竜崎の前に立ちはだかり。完全にそこに至るための射線を遮断する。
「その無念、憎悪、憤怒‥‥よくわかります 」
無表情なその顔とは裏腹に、放たれたのは同情の言葉。
「ですが、悪魔は殲滅すべき、です。そして私は、あなたの目標を護る仕事がある」
故に今は――
そう言っているかのように、盾を構える機嶋 結(
ja0725)。その後ろで、更に新崎 ふゆみ(
ja8965)と翡翠 龍斗(
ja7594)が、同様に盾を構え、展開する。
「むー☆ やっぱり危ないかー★」
本来、ふゆみは後ろに飛び降りる直前、壁を蹴って方向転換し、竜崎とたつさきさんの間に降り立とうと画策していた。だが、これはコントロールが困難であり、一歩間違えば竜崎の上に『着地』してしまう可能性もあったため、断念したのである。
そして、最後に動いたのは、竜姫――宗方 露姫(
jb3641)。
仲間の作り出した盾のバリケードの後ろで、彼女は竜崎を抱え上げる。
「よぉイケメンさん、死にたくなけりゃ掴まってろ!あいつの事が気掛かりでもなっ」
そのまま、その背にある、影の如く翼を広げる。
前衛の注目は、一斉に敵、たつさきさんの動向に集まるが――
――彼女が動く気配は、ない。
●分散
――それは、1/6程の確率。
たつさきさんは、英雄の眼光の一撃によって、行動不能になっていたのである。
制御不能のその体に宿る獣が、最前線に居たチルルと英雄に噛み付き、同様の衝撃を与えて攻撃不能にする。そして、跳躍した分身体――『キョウコ』が、先ほどの英雄とチルルの行動を見よう見真似でやっているのか‥‥同様に、上方の障害物に向かって跳躍し、そこに着地する。このまま障害物を岩渡りのように伝い、襲撃する魂胆だろうか。
「はっぴー・ばれんたいーん☆ミ」
その注意を引き付けようと、ふゆみの手からばら撒かれるチョコ菓子。
――天魔は元より人間とは栄養摂取の仕方が違う故に、普通の天魔はこれに興味を持たないはずだった。だが、キョウコはその出自故に。人間の、子供だった故に。僅かにそのお菓子に気を取られてしまう。
「っ‥‥!」
この機に。襲い掛かってくる前に、さっさとその場を抜けるしかない。
露姫が翼を広げ、大きく上昇する。彼女の移動力は、1度で分身体が居る高度を超えるのは十分。しかし、目の前には、出っ張った窓が――
「邪魔だからな。うらまないでくれよ、この部屋の持ち主よっ!」
紅の槍を生み出し、それを破壊する。
然し、攻撃を行うという事は、それに一呼吸かかると言う意だ。それが人を抱えて行われる物ならば、尚更である。
若しも、懐に、竜崎と言う負担がなかったのであれば。あるいは彼女は一撃で障害物を破壊し、全速でその場を抜けられたかもしれない。
だが、この世に『若しも』は存在しないし、彼女が懐の一般人を置いて行ける筈も、またない。
キョウコが、彼女の方を向く。一瞬気は取られてしまったものの、愛する母親の命は絶対。ヴァニタスの分裂体は、跳躍を繰り返し、少しずつ露姫との距離を縮めていく。
●残された者たち
「高いわね!」
一手の遅れ。スタンしている間に、既にキョウコはチルルの跳躍だけで届く距離の外に居た。
「させるかッ! 翡翠、力を貸せ!」
この様な事態も、また想定済み。
英雄が、龍斗の盾の上に飛び乗る。
例え一人の力では届かずとも、二人の力を合わせれば――
持てる力の全てを以って、龍斗が盾を振り上げると共に、英雄は足に力を注ぎ込み、跳躍する!
「ぐっ‥‥!?てめぇ‥‥!?」
上昇したのは僅か。痛みと共に、その体が何かに繋ぎ止められたかのように、空中で停止する。
龍斗が見たのは、友の脚に食い込む、獣の牙。
――スタンに掛かったのは、たつさきさんが先。チルルと英雄がその影響から逃れていたと言うのならば、彼女が逃れていても何らおかしくはない。
そのまま、英雄を地面に叩きつけ、満足げに後退するたつさきさん。
「っ!?」
その胸から、白刃が突き出る。
「会いたかった!ふふ、事情は聞いたわ。男に棄てられるなんてその程度の仲しか築けなかったか、棄てるような男を選んだ自分のせいじゃない!!なのに逆恨みして悪魔に魂を売って復讐するなんて滑稽ね!アハハハ!クズ男にお似合いの馬鹿女ね、竜崎涼花さん!」
「そのクズ男を助ける貴方はなんなの?まさか、あのクズ男に惚れた?やめた方がいいわよ、捨てられるだけだから。それとも何、捨てられるのが趣味のマゾなの?」
――女とは、怖い物である。それはこの皮肉の応酬を交わした両側に言える事である。
上空からロープを伝い。安全高度に至ってから、たつさきさんの背後へと降下した雨野 挫斬(
ja0919)の偃月刀は、背後からたつさきさんを貫通していた。
常人ならば即死である奇襲。だが、一撃で屠れるような敵なのであれば、今まで彼女が生きてはいないし、撃退士たちがこれだけ警戒をする事もまた無かっただろう。
その傷が、ゆっくりと癒え始める。
「この術なら、飛び降りたってへっちゃらです!」
ふわりと、華麗に敵の後ろから久遠寺 渚(
jb0685)もまた舞い降りる。
挫斬が無事に降下できたのは、彼女の『韋駄天の術』による物が大きい。でなければ、更に安全な高さまで降りるために時間を消費していただろう。着地した彼女は、即座に地脈に働きかけ――
「四神の守護よ、今ここに!」
陣形を展開し、持久戦に備える。
――だが、戦場が空中と地上に分断された今。果たして持久戦は、吉と出る物だろうか?
●アスレチック・ウォーズ
「ジリ貧じゃねぇか‥‥!」
障害物を踏みつけ再上昇。目の前の壁のような物を術式で粉砕し飛び越えながら、露姫は下を見やる。
距離はだいぶ近づいてきている。だが、竜崎を抱えたままでは、まともな迎撃すら出来ない。
今の自分にできるのは、一刻も早く建物のてっぺんを越える事のみ。それさえ成し得てしまえば、翼を持たぬ分身体を引き離す事は、それ程難しくはなくなるはずだ。
機敏に障害物を足場として使い、一刻一刻、分身体『キョウコ』は彼女へと近づいてくる。
「なぁ‥‥俺を助ける必要なんて、ないだろ?このまま俺をあれに投げろ。そうすればお前は――」
「馬鹿いってんじゃねぇ!」
怒鳴り声が、見上げた竜崎の声を遮る。
「目の前で人が殺られるってのを、お前はどう思ってるのかはしらねぇが‥‥俺は嫌なんだよ、見殺しにするのはな!」
放たれた血の槍が、目の前の障害物を打ち砕く。最早屋上までの直線上には障害物はない。後は全速力で飛び越えるだけ――
「ぐあっ!?」
脚に走る痛み。よく見れば、後ろの足場から跳躍したキョウコが、彼女の足に全力で噛み付いていた。
「こん‥‥のぉぉ!」
急激に後方へと加速。噛み付いたキョウコを、全力で壁に叩き付ける。
「離しやがれ‥‥っ!」
もう一度。今度は横の壁に向かって、猛突進。だが、それが届く前に、キョウコの牙は、露姫の翼に食い込む。
「しまっ‥‥!」
持って生まれたその翼は、たつさきさんと同じ能力を持つ、キョウコの技を以ってしても奪う事は出来ない。
だがしかし、それを発現させている術式を奪う事は出来る。
浮力を失った三人は、そのまま墜落していく。
落下の勢いによって、僅かにバランスを崩し、竜崎が露姫から見て上になった、その一瞬。キョウコの牙は、彼の喉元を噛み千切っていた。
「――お帰りなさい、お父さん」
●攻守
たつさきさんへの奇襲を挫斬が成功させ、その身に刃を食い込ませたのをきっかけに。撃退士たちはこの仇敵を屠るべく、一斉攻撃を仕掛け始める。
「さっきのお返し、させてもらう」
地面に叩き付けられた英雄は、大きく後ろに跳躍すると共に空中で体勢を整えながら、銃弾の雨をたつさきさんに降り注がせる。
(「しかし‥‥やっぱ分身に力を割いてるのか?一撃貰った割にいたくないな」)
そして、その英雄の想定が実証されるまでに、そう時間はかからなかった。
「‥‥こうも狭いと回り込みもしにくいな」
本来は回り込んで、たつさきさんの脱出を防ぐため烈風突で更に行き止まり側へとたつさきさんを叩き込むつもりだった龍斗。だが、既に両側から仲間やたつさきさん本体ですし詰め状態となっているこの路地に、回り込むためのスペースは無かった。
「打ち抜く――」
光り輝く結の掌底が、たつさきさんにの胸部に叩き込まれる。光がその体を焼き‥‥肉を焦がす。圧倒的なカオスレート差によるダメージは、たつさきさんとて一時では回復しきれまい。
「仕方ない。もう一つの眠る力‥‥お見せしよう」
その機に乗じ。龍斗の髪の色が変化し。身に纏う闘気が、一層鋭さを増す。そして、その髪の影が長く伸び――たつさきさんに絡みつき、動きを封じる。
「あら‥‥妙な技、使ってくれるねぇ」
声と共に。その身から再度、彼女の意思とは無関係に獣の口がが奔る。噛み付いたのは‥‥挫斬、結、そして英雄。後退しようとした状態で束縛された前衛二人は、味方の更なる接近を阻む事となる。
「邪魔だわ!」
攻撃が届かないチルルが歯噛みする。
――前衛が多すぎた。殆どの者のメイン兵器の射程が2以下であった現状。撃退士側の攻撃は阻害されていると言わざるを得ない。
隙間を縫っての渚の銃撃に乗じ、ふゆみのワイヤーが下からたつさきさんの足を引き裂く。攻撃手段が長距離であった者は攻撃にこの障害を受けない。そして――
「アハハハ!もう攻撃はおしまい?守りばっかりになってるわよ?」
そう、一見相手を殺すことのみに意識を向け、何も考えていないとも見える挫斬。その心の内では、敏感に英雄も感じていた違和感の正体を察していた。
――たつさきさんは、攻撃よりも防御に手を割く方が多くなっていた。
そして、英雄が先ほど、一撃を受けて尚、それ程の負傷につながらなかったと言う事は‥‥
「キャハハ!力が減って、命も半分分けちゃったという所かな?殺すなら今がチャンスだねー!」
「っ‥‥」
戦闘開始から、初めてたつさきさんの顔色が変わる。まるで、自分の弱点を見透かされたように。
●潜む毒
そうと分かれば、遠慮することはない。猛攻を仕掛けるべきである。
挫斬の縦に振り下ろした偃月刀を、たつさきさんは龍斗から奪った闘気を使い、すんでの所で回避する。
距離の問題で攻撃が届かない龍斗、チルルの二人を除いた全員が、一斉に攻撃を仕掛ける。
身軽になったお陰で回避能力は寧ろ上昇していたたつさきさんだったが、路地の狭さもあり、かわしきれずに斬られ、撃たれる。
(「そろそろ体力を補給しないと‥‥」)
再生能力を以ってしても、回復は撃退士たちの猛攻には追いついていない。それどころか、このままでは体力が尽き、回復が完全に停止する。
ならば、最速で体力を回復するべき。‥‥たつさきさんは、一番手近な挫斬に狙いを定め、獣の口を開ける。
――それが、『そうなるように誘導された』物とも知らずに。
噛み付き、体力を回復する。続いて降り注ぐ攻撃を、防御する。
これでもう少し耐えられる――そう思った矢先。
「ぐぅぅっ!?」
猛烈な衝撃。体の内部から、まるで食い破られるような。
「キャハハ!!拾い喰いはお腹を壊すわよ!馬鹿ね、切り札を見せびらかすから対策されるのよ!」
派手に笑う挫斬。先ほどたつさきさんに噛ませたのは、毒が仕込んであったからだ。
『死活』と言う毒が。
元より生命力は残り多くは無い。この毒を以って、既に彼女の命は風前の灯。
このヴァニタスを斃すと言う目標が、もうすぐ達成される。そう思われた瞬間。
「ぐはっ‥‥!」
挫斬の後ろに、どさりと。露姫が落下する。
そしてそれに伴い、キョウコもまた、落下してくる。
待っていた、とでも言うかのように――たつさきさんの体の口が、キョウコを飲み込む!
「よくやったわね。キョウコ。‥‥もうここに用はなくなった。失礼するわ」
再度分身体を取り込み、ある程度の体力を取り戻したたつさきさん。即座に、人数の少ない、挫斬と渚の方から脱出を試みる。
「逃がしません‥‥貴女では、この結界は越えられません!」
光り輝く五芒星。それが一瞬、壁の如くたつさきさんの接近と通過を阻むが――
「邪魔よ、退きなさい!」
周囲全てを飲み込むかのように、獣牙の波が放たれ、撃退士たちを襲う。
波が晴れた時、そこには、黒の五芒星を張ったたつさきさんの姿が。
●終幕
結論として、撃退士たちはたつさきさんを逃してしまった。
一撃を受け、たつさきさんが依然と吸収攻撃を行うと判断した挫斬と英雄はそれぞれ死活を起動したが、マスバイトはあくまでも撃退士にダメージを与え攻撃を緩めるための物であり、たつさきさんはそれ以降防戦をメインとし、持続的に壁に攻撃を加えていた。
そして、ついには壁を破り、死活の反動によりダメージを受けた挫斬と英雄に一撃を打ち込み、絡みついたふゆみのワイヤーを身を裂くのも気にせずに強行で脱出し、その隙に遁走したのである。
戦闘自体の結果だけを見れば、たつさきさんの遁走による、撃退士たちの勝利である。
しかし、惨劇は、やはり、避けられなかったのだろうか――