●想い
「やれやれ、あの銀行での一件から何度目だろうねぇ‥‥いい加減この『風』に振り回されるのにも終わりにしようさねぃ」
心底うんざりした感じで、階段を駆け上がりながら、九十九(
ja1149)が弓の弦をピン、と張り詰めさせる。
「きっと‥‥この行動の裏には、ヤツが居る」
月詠 神削(
ja5265)の脳裏に浮かぶのは、己が宿敵の姿。この様な作戦‥‥そして『八卦』が関係していると言う事。何れも過去のとある作戦に類似している。その後ろに居るのは――きっと八卦が参謀にして、『湖』たるあの男だろう。
「はっけーろだかはっきょろーだか何だか知らないけど、あたいが全部壊してやるんだから!」
屋上への入り口を前にして。雪室 チルル(
ja0220)が、得物の氷の結晶のような大剣を構えなおす。
深く考えるのは苦手だ。この敵が何を狙っているのかは、分からない。
ならば深く考えなければいい。目の前の敵を、全て薙ぎ払えばいい。
一閃と共に、鍵が掛けられた扉を両断し。チルルを先頭にして、撃退士たちは屋上に躍り出たのである。
●風舞う陣地・ぶつかり合う信念
「やあ、いらっしゃい」
屋上で彼女らを出迎えた敵――ヴァニタス『八卦』が一人。『風』のヨーコは、さもうれしそうな表情を浮かべていた。
「ここは、あたしが選んだ、あたしに最も有利なフィールド‥‥ここで、あたしに勝てると思う?」
口ではそう言いながらも、彼女はその場――八卦炉の前を動く様子はない。考えてみれば当たり前の事でもある。ヨーコの目的は『時間一杯まで八卦炉を守り切る』『時間一杯まで自身が生き残る』の二点。故に、撃退士たちが仕掛けてこなければ、彼女が動く必要は全くない。
「ならば強引にでも、その場を動いてもらうさね‥‥!」
前進しながら弓に矢をつかえる九十九。放たれるは、全てを『貫く』一撃。風切り音を伴い、それはヨーコへと襲い掛かり――
カン。
金属音と共に、それは八卦炉に直撃し、弾かれる。見ればヨーコの姿は既にそこにはなく、6mほど更に上昇していた。
――風乗り。
ヨーコの機動性を支える『空を歩く』能力を司るこの技は、同時に彼女が既に移動していない任意の状況で風によって更なる推進力を得られる事を意味していた。
「相当硬い、ってのは本当見たいさね‥‥」
そして、八卦炉。
貫通の力が込められた矢が当たったにも関わらず、それは表面に僅かな傷がついたのみ。
これを壊すためには、相当の時間が掛かる事は間違いないようだ。
「その状態なら、もう推進は使えねぇだろ。‥‥望み通り、『殺して殺ル』よ」
両手で拳銃を構え、狙いをつける狗月 暁良(
ja8545)。狙い済ました一射を放つが、それはヨーコの顔、三寸前ほどで止まってしまう。
「お返しするよ!それっ!」
逆に飛来する弾丸。それが狙ったのは、遠距離組がヨーコを牽制している間に接近を試みていた近接組の先頭――ラグナ・グラウシード(
ja3538)。
「フンッ!」
気合の声と共に、構えた盾を横になぎ払い、弾丸を遥か彼方へ払い飛ばす。
ラグナの鉄壁の防御の前には、奇襲ならば兎も角――この様な正面から飛んでくる攻撃は、ほぼ脅威にはなりえないのである。
衝撃に僅かに足こそ止まってしまうが――彼はすぐさま体勢を立て直し。ヨーコの方を、その性格同様。真っ直ぐな眼差しで見つめる。
「お前は『理不尽に』傷つけられ、絶望した」
幾度も刃を交えたからこそ、知っている。
「だから復讐を望んだ‥‥違うか?」
人の悪意によって、傷つけられ、虐げられた目の前の少女。
ラグナは、彼女に憐れみの感情すら感じていた。
「だが、お前が今からやろうとしていることは‥‥無数の罪なき人間を『理不尽に』傷つけるものじゃないのか?!」
虐げられたと言う事は、決して虐げる権利を得たと言う事ではない。ましてや、それが関係ない人々ならば尚更だ。
故に、ラグナは、眼前の少女に、その理を説いた。だが――
「ねぇお兄さん。罪があるかないかなんて。誰が決めるの?」
少女の目に浮かぶは、冷徹と。僅かな悲しみ。
「あたしが傷つけられるのを見てみぬふりした人たち。あいつらに罪はないの?」
人が百人居れば、そこには百通りの正義が存在する。
「あたしの訴えを無視した先生。あいつらに罪はないの?」
故に、正義と言う物は、各々の心の中にのみ存在する物。
「だから‥‥あたしは、その審判を、三崩様に託す」
正義がぶつかり合った時、そこに引き分けと言う物はなく。
「唯一、あたしに救いの手を、差し伸べてくれた、あの人に!」
故に、戦は生まれる。
「っ‥‥!」
最早、言葉では揺らがぬ程に、彼女の信念は固まっている。そして、その理屈を覆す言葉も、また今のラグナにはない。
ならば、残る手段は各々が目的を通すため、力をぶつけ合うのみ。再度、ラグナは進軍を開始する。
彼を先頭にした一隊は、各々多少の速度の差はあれど、狭い道のほぼ中央に到達していた。
「さて‥‥どうしようか」
その場から動かぬヨーコを見て、神削が呟く。
この場から八卦炉の向こう側まで跳ぶのは、自分の力を以ってすればギリギリだが不可能ではない。
だが、確実にそれを行うには、ヨーコの行動が終わった後の隙を狙う必要がある。――彼女が動かぬ現状で跳べば、小回りの効きにくい空中で迎撃されそのまま遥か下の地面へ叩き落されてしまう可能性すらある。それだけは避けたい所だ。
「こちらから援護する。進め!」
カイン 大澤 (
ja8514)が、合図と共にショットガンを放つ。それを反射してラグナの前進を阻むヨーコだが、ラグナ一人を止めた所で他の撃退士たちが止まるわけではない。道はそう狭いわけではないのだ。
この機に乗じ、跳躍して八卦炉の裏側へ、神削がどうする。ヨーコが、僅かにそれに気をとられる。
「今がチャンスさね‥‥!」
ウィンドミラーの使用を確認した九十九が、必殺の一矢を弓につかえる。込めるは雷帝の青き閃光。放たれた矢は一条の稲妻が如く、真っ直ぐにヨーコの眉間を狙う!
「っぁ!?」
ギリギリで頭を傾け、直撃を避けたヨーコ。だが矢は彼女の頬を裂き、雷撃が体を貫く。
僅かに止まったその隙を――意外な所に潜んでいた者は、見逃さなかった。
「きゃはァ‥‥今度こそ地面に叩き落としてあげるわァ‥‥陽子ちゃんゥ♪」
床を砕き。そこから出現したのは、黒百合(
ja0422)。
奇襲効果に期待するためには、床を砕く事と移動、そして更なる敵への攻撃。その全てが一瞬で成されなければならない。
故に彼女は、『自らの影を生み出し、それに床を砕かせる』事により、奇襲を一手にして成し遂げたのである。
咄嗟に振るわれた足を、ジャケットを身代わりにして回避し。爪先に猛毒のウィルスを集約し、振るう。掠めただけで意識を奪うそれは、傷を通じてヨーコの自由を奪う。
風が逆巻き、黒百合を押し戻す。だが、ビルの端、ギリギリの所で踏み止まる。
パン。
「当たり、ってな」
動けなくなったヨーコの太ももを、暁良の銃弾が打ち抜く。
ウィルスの効果もあって、与えられたダメージは大きい。
が‥‥この一撃は。ヨーコに、意識を取り戻させる結果をも生んでしまったのである。
「来るっ!?」
八卦炉の反対側に移動したチルルが、ヨーコの手に渦巻く風の螺旋を視認し、咄嗟に八卦炉の影に隠れる。八卦炉を盾にする事で攻撃を戸惑わせるという寸法だ。
――が。この場に於いて、ヨーコが狙ったのは、彼女ではない。
「排除させてもらうよ‥‥!」
幾度も撃退士たちと相対する中。ヨーコとて、多少敵の脅威度は計れている。三連発される風の螺旋は、それぞれ違う軌道から――その場に於ける最大の脅威である黒百合を狙う!
「ちぃ‥‥!」
軽々と一発目をかわす。やはり敵の能力は衰えている。昔ならあたっていたかも知れないが、今は――
「!?」
スクールジャケットを身代わりにし、二発目を回避した所で異変に気づく。今までは同じ軌道で三発叩き込んできた物だが、今回は――
(「追い込まれた!?」)
先ほどのフェイントの一撃に空蝉を使うべきではなかった。
挟み込むような軌跡の二発。そして避けられないような場所への三発目。強引にかわそうと、跳び上がるが――
「ぐぅ!?」
足を風の螺旋が掠める。直撃ではないが、それでも体は風に引きずられる。
――そう。足場なき、ビルの外へと。
「こんな時の為に、準備してきたのよォ」
咄嗟に展開した漆黒の翼は、落下の速度を和らげる。が、30mまでの上昇が限界であるこの翼は、150mの高空に於いては降下速度を和らげる事は出来ても自在に動けるには程遠い。ましてや、工夫なしでは上昇が出来るはずもない。
だが、その問題に対する解を示した者が、一人。
「これが、フルメタル・ワークで飛翔する不死鳥の勢いだ!」
命図 泣留男(
jb4611)ことメンナクが、同様に翼を広げ、そのまま屋上から飛び降りる。弧を描くような軌道で外側から黒百合に接近。体当たりするように、共に窓を割りビルの中へと飛び込む。
相当の階数、下に落とされたようだが‥‥それでも地面から上がるよりは極めてマシだ。
「ありがとねェ」
「いいってことよ。さぁ、もう一度あれに、漆黒のパニッシュメントを味わわせに行こうぜ」
二人は、階段を駆け上がる。
●居る者・居ない者
一時的とは言え、二人が戦場から離脱した。
だが、それは決して残った撃退士が攻撃の手を緩めるという事を意味しない。
「纏めて壊してやるよ!」
地を擦るように振り上げた水晶の如き刀身に、凍気が宿る。それは剣先の一点に集約される。
チルルが、その剣を、真っ直ぐ八卦炉に向けて突き出し、氷のエネルギーを砲撃の如く放つ!
冷気は、炉を貫き。その後ろに居たヨーコを狙う。
「あっぶな!」
が、次の瞬間、彼女の姿は再度そこから消え。H字になっている通路の横‥‥両側をつなぐ一本道のすぐ横に現れる。
「‥‥空気を踏みしめて足場にしているようだけど‥‥なら、これはどうかな?」
状況を見ていた神削が動く。
吐き出される紫の霧は、ヨーコの足元に絡みつく。その霧が繋ぐ先へと、神削は、己が拳を叩きつける!
「その足場を崩せば‥‥!」
連鎖する爆発。それは紫の霧を辿るようにして、ヨーコの足元を大きく揺らす。
「わわっ!?」
バランスを崩すヨーコ。落下を、直ぐ下の空気を更に踏みつける事により留める。
――神削の推測は、大まかに当たっていた。
ヨーコの『風乗り』は、基本的には水上歩行と同じ原理である。故に、足場が揺れればバランスは崩れる。
そこに違いがあるとすれば、踏みつけられるのが水面と言う境界か、それとも空気と言う全ての場所にある物か。
どこでも『足場』にできるが故に、バランスを崩してもヨーコは即座に立て直せるのだ。
「よし‥‥!」
が、完全に彼女を落下させる事が出来なくとも、そこに出来る一瞬の隙こそが神削の目的。
敵は一人なのだ。隙さえ出来れば、数に勝る撃退士たちが一気に有利となる。
「ちょっと離れすぎか」
カインの一閃は、空中にいたヨーコがバランスを崩したせいで僅かに届かない。しかし、それが彼女の注意を引いた隙に、
「さっさとブッ斃さねぇとな」
放たれる暁良の銃弾。
「このままお返しするよ!」
強引にウィンドミラーを展開。それを弾き返す。近距離まで肉薄していたラグナが、それを防ぎ――盾を下げた瞬間、大きく頭を下げた。
――その後ろを駆け抜けたは、蒼き閃光。
「ぐっ‥‥!」
完璧な連携。九十九による天界の雷光を纏ったその一撃は、この体勢ではヨーコを以ってしてもかわせはしなかった。
「なら‥‥っ!」
故に、彼女は攻で攻に対抗する事を選択する。
「はぁぁぁ!」
両足に、螺旋の風を纏う。と同時に、雷光の矢に、ワザと己が腕を差し出す!
パン。
雷光の前で弾け飛ぶように、ヨーコの片腕が消滅する。
ギリッと奥歯を噛み締めて痛みに耐え、ヨーコは全力で風を背後から噴出。体をひねるように回転させ、己が最大の技を繰り出す!
「これで――吹っ飛べェェ!」
雷帝の矢は諸刃の刃。冥魔の眷属たるヨーコに大ダメージを与えると引き換えに、九十九自身もまた彼女の一撃を受けやすくなる。今まではラグナが守っていたが故に、そのデメリットを無視できていたのだが――そのラグナが前に出た瞬間、この守りは解除される事になったのである。
磁石に吸い寄せられるかのように、ヨーコは九十九へ向かっていく。
「っ‥‥生司る南斗星君!その生死簿に一筆、書き加えるさね!」
迎撃のため放たれる、紫風の矢。しかし、九十九が元々回避を重視していなかったのもあり、それは状況を覆す事ができず。彼らは一条の流星と化し、地面へと落ちて行く。
●竜巻激戦
九十九と共にヨーコが落下していった後。ある事実に、撃退士たちは気づく。
――『スカイフォールの発動の直後、ヨーコは落下中であるため、ほぼ全ての攻撃が届かない』と言う事実である。
どうするべきか。別プランを用意していたのならば良かったのだが、この時点では全ての者が、構え、彼女が再度上がってくる事を待つしかない。
「これで一人――ッ!?」
片腕を失ったヨーコが、ビルの上に頭を出した瞬間。槍が彼女の背後から突き刺さる。
黒百合の残した『影』が、彼女を襲ったのだ。
槍によって地に叩きつけられたヴァニタスを、すかさずチルルの氷砲と神削の紫煙が襲う。
強引に風で体を推進させ、黒百合の影をビル下に向かって強引に投げ飛ばす。それは既に行動時間が限界だったのか、空中で四散する。
と同時に、ギリギリで氷の砲撃に体を貫かれる事だけは避けるが、紫煙――『破軍』の爆発が、時間差で彼女に襲い掛かる。
「ぐぁ‥‥!」
空中に飛ばされるヨーコに向かって、放たれるショットガンとマグナムの同時銃撃。速く到達したマグナム弾をそのまま弾き返して暁良を退け、強引に巻き起こる風を盾にショットガンの弾幕を突っ切りカインのほうへと向かう。
だが。
「寧ろ好都合だ」
足に向かって薙ぎ払われる大剣。あの一瞬で武器を取り替えたと言うのか。即座に後退したヨーコの足には、しかし一筋の傷跡が。
「ちっ、完全に切れなかったか」
風雲甲によって距離を離され、舌打ちするカインが、改めて縦に大剣を構えようとした、その瞬間。
「――吹っ飛べェェ!」
風雲甲の効果により落ちないよう、中央を背にした故に、落ちては居なかった。だが、カインが体勢を立て直す間もなく、ヨーコは次の行動に移っていた。
――風雲甲はヨーコの意思とは関係ない、自動防御の様な物。
故に、発動の直後、その機に乗じて彼女が行動する事も、また可能なのだ。
風の螺旋をその足に纏い。ヨーコは、カインに肉薄する。
「やらせん‥‥!」
大剣を使うために接近していたのが幸いした。九十九と違って、カインは同じように前に出ていたラグナの保護圏内にあったのだ。
盾で蹴撃を受け止める。巻き起こる旋風に、ラグナは後ろへと押される。
翼を展開し、空を滑空するが‥‥推進するヨーコの勢いが止まる事はなく、そのまま二人は地面へと向かう。
「強い奴と戦う―あの時言っていた、それがお前の望みだったろう!」
身を守るための盾を、解除する。両手で、その大剣に、力を注ぎ込む為に。
「さあ!見せてやろう、私の全力を!」
リア充に向ける怒りによる渾身の力を剣に乗せ、ヨーコの足へと横薙ぎに叩きつける!
ドン。
鈍い衝撃音と共に、風雲甲による旋風が巻き起こり、ラグナを吹き飛ばしてビルの壁へと叩きつける。
が、これこそが彼の狙い。
翼を以ってしても、この高空での機動力ではヨーコを上回る事はできない。
――ならば、ヨーコの力を利用して、最速で戦場に戻るのが筋だ。
剣でそのままビルの窓を叩き割り、ラグナはその中へと転がり込む。
転がる勢いで立ち上がり、そのまま全速で階段を目指す。
「くっ‥‥完全に落とせなかった‥‥」
地に叩きつけ、儀式が終わるまで復帰できないようにしたかったが。
ヨーコは、舌打ちし、すぐさま空を踏んで屋上へと舞い戻る。
「待っていたよ」
出会い頭に叩き込まれる、神削の拳のアウル。強引に残った片腕を前に出して防御したヨーコの体が大きく後ずさる。
「そう、『待ってた』よ!!」
そこへ飛び出すチルル。氷の砲撃を撃ち切ってしまった故に八卦炉に隠れながらにしてヨーコに大打撃を与えられる手段はなくなり。そして何よりも、今こそ彼女が待っていた『チャンス』。
その両手に、彼女の象徴である氷の結晶を形成する。
膨張する二つの結晶はしかし、彼女が両手を合わせた瞬間、一本の細剣に合成される。
それを顔の横に構え。普段のおおらかな彼女からは想像できない真剣な表情で、猛突進する。
「っ‥!」
少しでもダメージを軽減すべく、咄嗟に風を集めるヨーコ。
だが。
――氷の刃は、いとも容易く、その壁を貫いた。
「な‥‥っ!?」
驚愕に目を見開くも、しかしヨーコもまた、八卦最速を誇る一人。儀式の影響で衰えているとは言え、その反応神経は未だ驚異的。
強引に腕で氷の剣を受け止め、そのまま自ら――腕を、引きちぎった。
「!?」
今度はチルルが驚愕する番だ。噴出した血が一瞬、視界を遮り。その隙に、手応えが消える。
片腕を犠牲にする代わりに自由を得たヨーコは、そのまま神削へ接近する。
渦巻く旋風。放たれる風弾。
――『八卦炉の近くに着地』『射程ギリギリからの牽制』。
神削が取っていた方針は、ヨーコからの攻撃を防ぐためにはこれ以上ない効果を発揮していた。
それ故に彼が今までヨーコに攻撃される事はほぼなく。妨害に専念出来たのである。
だが。
忘れてはならない。敵は命をも捨てる覚悟がある事を。
その状態で追い詰めれば、異様な手を使う覚悟もある事を。
「あんたたちが使ったその手――そのまま返すよ!!」
放たれた風弾は、チルルと八卦炉を貫通し、その後ろにいる神削を打ち据える!
「ぐぁぁ‥‥!」
1発回避した事もあり、ダメージはほぼ皆無に近い。
元よりこの技は、ダメージよりは寧ろ敵の位置移動、体勢を崩すために使われる物だ。
撃退士たちの盾であったラグナが今までこの技を幾度と受け、それでも毎度ほぼ傷を受けなかったのは、彼の防御の堅牢さもさることながら、この技が元より殺傷向きではない事にも起因する。
その事実と、八卦炉の堅牢さを加味し。ヨーコは敢えて八卦炉ごと巻き込む事で、チルルと神削ごと攻撃する事を選択した。
「きゃあっ!?」
前に出ていたチルルは、八卦炉が壁となり。そこに叩きつけられるだけで済んだ。
だが、後ろに居た神削はそうはいかない。空に舞い上げられ、遥か下へと落下していく!
「ガッデム!俺のブラックWingを以ってしても間に合わなかったか!」
丁度屋上に滑り込んだメンナクが、その状況を見て唇を噛む。
「はぁ‥‥はぁ‥‥っ」
ヨーコの体は、既に人の形を留めていない。両腕を失い、肩をえぐられ、細かい傷は数知れず。
「‥‥そんなになってまで、これは守る価値がある物か?」
淡々と、カインが問う。
「ああ、あなたたちには、分からないでしょうけどね――っ!?」
息を継ぐその一瞬。足を止めた瞬間に、黒の鎖がヨーコを絡め取る。
「ブラックSOULはオマエを縛る鎖!」
ギシギシと、軋みをあげる鎖を、その手で制御しながら。
サングラスの下にあるメンナクの瞳が、ヨーコを睨み付ける。
「貰った――!」
その隙を逃さず。大剣を引きずるようにして距離を詰めるカイン。
強引に縦に振るった一閃は、同様に強引な体勢で回避を行ったヨーコに回避される。しかし、一撃目は飽くまでもフェイント。本命は返す刃による、神速の一撃――!
「仕事とはいえ邪魔するのに多少罪悪感があったんだ、それにお前は嫌いじゃない、正直に言えば殺したくない、だから俺は、初めて自分の意志でお前を殺さなければならない」
鎖に未だ動きを止められているヨーコにこれを回避する術は――
「情け‥‥?っ、はぁ、嘗めるんじゃないわよっ!!」
どこからその様な力を搾り出したのか。
ヨーコは、片足を、強引に剣にぶつける。
「片足さえ残っていれば、あたしはまだ、戦える‥‥!!」
「っ!?」
彼女の過去を追って来た。それ故に、カインは知っていた。
足を失った事で自殺にまで追い込まれた彼女が。よりによってその足を盾にすると言う事。それが、どれほどの覚悟を意味するのかを。
ヨーコの片足を切断し、カインは飛び退く。
『兵士』である彼が、この場で表情を露にする事はない。故にその心中を、知る術はない。
「あたしのせいで‥‥三崩様は、あんな状態になったんだ。だから‥‥あたしが一番、三崩様を助けなきゃ‥‥!」
再度風に乗り、強引に黒の鎖を引きちぎり、空に舞い上がろうとする。
しかし、黒い影が、彼女の背に迫っていた。
「あらヨーコちゃん、ここで倒れてもらわなきゃ困るのよォ」
ヨーコは想定するべきだった。
メンナクが戦場に復帰したと言う事は、彼が救助した『あの者』もまた、戦場に復帰してしかるべき事を。
真紅に染まった黒百合の牙が、空中で彼女の首に噛み付いていた。
「その首、貰ったぁ!」
縮地で一気に距離を詰めた暁良の、薙ぐような蹴りが、ヨーコに直撃する。目標が空中にいることによる体勢の悪さのせいか、首を断つには至らなかったが。それは先ほど槍に貫かれた傷を引き裂くようにし、大きく血を噴出させる。
「さて、落ちてもらうわよォ」
頭を振るようにして、既に抵抗力の残っていないヨーコを、黒百合はビル下へと投げ飛ばす。
それを、銃を構えたカインが、狙う。
「ごめん、ロイ、三崩様‥‥あたし、負けちゃった‥‥」
一筋の涙が、血に塗れたヨーコの頬を伝う。
「地獄には落ちないだろ、なんせ俺ほど殺しちゃいないんだ」
僅かな悲しみを目の奥底に仕舞いこみ。カインは、引き金を引き。
弾丸に貫かれたヨーコは、灰となり。飛び散った。
「せめてあの世では、自由に駆け回れるように、祈ろう――」
屋上に辿り着いたラグナは、供えるように、スニーカーを、ビルの端に置く。
悲しき運命を辿ったヴァニタスが、その運命から開放されるように、と。
●発動
ヴァニタスは斃れたが。撃退士たちの目標はこれだけではなかった。
彼らは、もう一つの目標である――八卦炉の破壊に取り掛かる。
「硬っいわねェ」
カン、としびれるような手応えを感じながら。それでも黒百合は槍を炉の表面に突き立て続ける。
時間は刻一刻と過ぎている。ヨーコが思いの他粘ったのもあり、彼女の技『スカイフォール』が彼女自身を戦場から離脱させる事で図らずとも時間稼ぎとなった事も災いし、予定以上に時間を消耗してしまった。
屋上に残る六人の撃退士たちが、各々の技を八卦炉に叩きつけてはいるが故に。少しずつ炉の表面のヒビは広がり始めている。だが、時間が僅かに足りない。
後1分。いや、後30秒あれば。
その場にいる誰もかが、奇跡を祈りながら、炉に攻撃を加え続ける。
「むううー。氷剣が使えればもうちょっと楽にっ」
「仕方ない。全力を出さなければ、時間内にヨーコを倒せていたかすら分からなかったのだ。いまさら言ってもしかたあるまい」
愚痴るチルルを宥めるラグナ。
だが、無情にも時間は過ぎて行き――終に、光が炉から噴出する。
「くっ‥‥戻るぞ!」
儀式の内容が不明である以上、この光がどういう効果を持つのかもまた不明だ。それに巻き込まれるのは余りにもリスクが高い。
金山の方へと光が向かっていくのを見ながら。撃退士たちは、ビルを後にした。