或いは、そう出来たのは、その身に流れる古き血がそうさせてくれたのかもしれない。
卜部 紫亞(
ja0256)は、そんなオカルトにでも頼らなければその現象を、自分でも説明出来そうになかった。
敵、ディアボロ、刀抜いた。距離、三十から四十メートル。たったそれだけの情報で、紫亞は使用回数に制限がある瞬間移動の術を、確たる必要性もなしに使ったのだ。
直後、紫亞の居た空間目掛けて、文字通り弾丸の如くディアボロが突っ込んで来た。常識外れの凄まじい速度で。
とはいえ如何な速度でも、ディアボロが動く前に既に紫亞はその空間に居ないのだから、捉えられようはずもない。
この個体の危険さを察したのは彼女だけではない。
法水 写楽(
ja0581)は、こちらは勘ではなく明確な意図をもって暗闇を放つ。
彼の状況判断は速い。任務の成否判定を下し、次にどう動くべきかはもうこの段階で定まっている。
いくらなんでもこのディアボロ、強すぎる。挙句、この身体能力に加え正体不明の居合いまで持っているようだ。
そんな写楽の判断を裏付けるように、ディアボロは自らを覆う闇を突破し、写楽へ一直線に向かってくる。避ける? 不可能だ。暗闇が揺れたかと思ったらもう、目の前に奴は居るのだから。
思わず見惚れてしまいそうになる美しさが、その剣にはあった。
写楽が一撃をもらって真っ先に感じたのは、痛みでも恐怖でもなく、一流の舞台を観劇した後のような清清しい余韻であった。
いやまあ、結局すぐ後にものすっごく痛くなってくるのであるが。しかも追撃が迫っている。リアルに死を想像させる程の終わった感溢れる一撃だ。
短距離転移で跳躍した紫亞が援護の術を。
イメージは北欧の海。氷雪が壁の様に吹き付ける中を進む、愚かで哀れな一艘の小船。不安と恐怖に苛まれながら必死に舵を取る彼等に、無慈悲な最後の一吹きを。
開きかざした魔法書の背表紙より、渦を描いた凍てつく風がディアボロへと走る。
風に吹き飛ばされるディアボロ。虎口を脱した写楽であったが、ディアボロの視線は写楽を見据えたまま。
写楽は舌打ちしつつ、自らの気配を断ちにかかる。
居るのに居ない。動きは敵の視線から外れるといったものだが、精神のあり方は黒衣のそれだ。
ここまで来ると他のメンバーも対応に動き出してくれたので、ディアボロの注意から自らを逸らすのはそう難しくは無かった。
だが、最初に受けた写楽のディアボロへの印象は変わらない。コレはあまりに危険すぎる相手だと。
既にメンバーの半数は乱戦状態に突入しており、彼等はコレの撃破に動くようだ。それを見た終夜・咲人(
ja2780)が、文句を言いながらその援護に回るのが見えた。
写楽と目が合った逢見仙也(
jc1616)は、その妥当性を認め頷く。紫亞が術の準備をしながら援護をすべく、写楽の動きを待つ。
そして咲人が鋭い声で言った。
「行け」
この敵が相手では一瞬で総崩れの可能性もある。誰かが最悪に備えるのがよろしかろうと。
写楽は駆け出した。
敵が強いからこそ、退けぬ者も居る。
「放置すれば数日以内に人間の居住域にまで辿り着く可能性が否めん。――退く訳には行くまいよ」
小田切 翠蓮(
jb2728)の背後よりの術を、背中に目でもあるのかという勢いでディアボロ、剣鬼は容易くかわしてくる。
というか、よってたかって集中攻撃を仕掛けているというのに、未だ有効打が一つも得られていない。
コレは間違いなく視覚以外の何かで周囲を認識していると思われる。翠蓮は和装の懐よりまるで似合わないスマートフォンを取り出し、手早く操作すると機器よりやかましい騒音が鳴り響く。
また防御結界を張り、敵の強烈な攻撃の軽減を狙う。こういった小細工を積み重ねねばならぬ相手であると、翠蓮もコレを警戒しているのだ。
そしてその判断は正しい。
近接組に囲まれているはずの剣鬼が、そこだけ時間軸が狂っているのでは、と思えるような神速の納刀からの居合い一閃。
翠蓮も警戒を怠っていたわけではないのだが、この速さで動かれては対応など出来ようはずも無い。
気付いた時には斬られていた、などという経験、そうそうお目にかかれるものではない。
痛みもなく噴出す血飛沫、遅れてくる脱力感と激痛。咲人が膝を突く翠蓮を庇うようにその前に立つ。次撃が来るか、と身構える咲人であったが剣鬼もそこまで余裕はない模様。
何時背中からぶった斬られるか冷や冷やしながら咲人は、翠蓮の傷口に手を翳し治療を施す。
二人は治療の間に何か口頭でのやりとりを行うつもりであったのだが、その口が止まってしまう事態が、剣鬼を中心とした空間で展開されていた。
それは、この世のものとは思えぬ光景であった。
剣鬼はむしろ、居合いはそれほど使っては来ない。両手で、或いは片手で握った刀を、目で追う事すら困難な速度で振り回してくるだけだ。
そしてこの剣鬼の息つく暇もない剣撃の真正面に立つは、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)である。
振り回すだけ、というのは語弊があるかもしれない。剣の術理に従った体裁き、剣捌きを極めて高い精度で行っているのだ。剣鬼は高い身体能力を持つのみならず、稀有な剣士であるのだ。
その、暴風のような剣撃を、その全てを一身に集めて尚、一切かすり傷すら負わぬのがエイルズレトラであるのだが。
エイルズレトラの手にした刀。その握り手を狙い振り下ろす剣鬼。一転、剣は小手より跳ね上がり首元への突き。左に一歩を踏み出しながら間合いを詰め、斜め上より面打ち。再度の面打ちを見せ、受けに刀を上げた所を狙い澄ました小手。小手打ちで半歩下がった所から更に大きく下がりながらの伸びるような片手突き。
剣術六十八手でも学んだかのような綺麗な剣鬼の剣を、エイルズレトラは刀で受けるでなく全てかわす。受けるフリを見せる事はあっても、実際には絶対に受けたりせず全撃をかわしきる。
一呼吸の連撃を終えた剣鬼に、エイルズレトラは手にしていたカードの束の、一番上をめくり開く。
絵柄はスペードのキング。剣鬼の一撃毎にカードを一枚切らせてやっていたので、都合十二連撃であったわけだ。
残る四十一枚を手の中で開き、剣鬼に見せる。言葉にせずとも伝わろう。これが無くなるまでに当てられるか、と問うているのだ。
エイルズレトラの目的は、自らに敵の攻撃を少しでも多く集める事。そういった目的を相手に悟られず、煽り、誘い、引き寄せる。奇術士の腕の見せ所であろう。
エイルズレトラの奇跡のような回避運動があったとしても、剣鬼の居合いによる後方への攻撃だけは防げない。防ぎようがない。
ファーフナー(
jb7826)はこれを少しでも減らせるよう、かわす自信なんて欠片もない剣鬼の近接間合いへ怖れる気もなく踏み込んでいく。
手にした長槍の先端を下段に向け、極端な程半身の姿勢で大きく足を開く。
肩、肘、腕を細かく動かし、剣鬼の動きを誘う。剣鬼は同時に複数を相手取りながら、こちらの動きもきっちり把握して来る。槍先を突きの形に動かし重心を乗せた瞬間、剣鬼は反応を見せる。
この速さでは、とファーフナーが思った通り、剣鬼は多重フェイントの上での突きをいともあっさり見切って来た。
剣鬼の強さの一つが、反応速度の速さであろう。更に観察を深めるファーフナー。居合い。これは納刀の瞬間も抜刀の瞬間も見えなかった。それでもと諦めずに食らい付く。
深く踏み込み雷をまとった拳を相打ち覚悟で打ち込むも、一方的にやられるのみでかわされる。確実に視界の外にあった拳を剣鬼は見切っていた。音、それもかなり細かな音まで拾えるのだろう。取捨選択も可能であるようだ。
そして二度目の居合い。ファーフナーの目が大きく見開かれる。鞘走るなどといった次元ではない、何がしかの特殊な力場が発生している。大気の流れが鞘の周辺で変化した事に気付いた。気付けた。
ファーフナーは注意深く、狙いを悟られぬよう、小刻みな足捌きで間合いを惑わし、下段から上段へと跳ね上がるしなる突きを見せつつ、本命、鞘を狙った突きを繰り出す。
剣鬼の剣は外した、体捌きでも避け得ぬタイミング。しかし、剣鬼は鞘の上を一叩きして向きを変え、ファーフナーの突きを外す。直後、剣鬼の鞘が砕け散った。
逢見仙也はファーフナーより距離を開けて剣鬼を観察していたおかげで、剣鬼の近接時の動きの癖やリズムは掴めぬままであったが、剣鬼が尋常ならざる聴覚の持ち主である事はより早く察知していた。
翠蓮が騒音を鳴らし始めた時、剣鬼の反応が鈍った事に気付けたのだ。すぐに対応したようだが、その後翠蓮は居合いに何度か狙われるようになっているのも、その根拠の一つである。
そして居合いだ。
こちらも距離が開いている分見え易い。
ファーフナーと同じく二度目の居合いでからくりに気付く。そして、ファーフナーが気付いた事にも気付けた。
彼が仕留められれば良い、だが出来なければと密かに距離を詰め後に続く。
そして多数のフェイントで幻惑してのファーフナーの突き。見てるこちらも獲ったと確信出来る動きであったが、剣鬼のディアボロ離れした反射神経でぎりぎり外す。だが。
「点じゃなくて、面ならどうかな」
槍の穂先をかわした鞘であったが、仙也が手にするは面制圧の銃器ショットガンである。
人数差を活かしての囲んでの波状攻撃。ファーフナーもファーフナーで良く心得たもので、自分が外したとわかるや即座に身を翻し仙也に攻撃位置を譲る。
打ち合わせをした覚えはない仙也であったが、ファーフナーが当たり前のように合わせて動けるのはやはり経験故であろうか。
目的を達するや即座に距離を取る仙也。エイルズレトラの脇を抜ける形ならば、敵の追撃は止められる。
これで敵の、間合いの狂った居合いは封じた。後衛が先に全滅するなんて心配ももう無用であろう。後は単純な力勝負。それに勝てるかどうかが問題であるのだが、その是非如何によらず、仙也は撤退方法の確保に回る。
そういうリスクのある、敵なのだ。
敵を引きつける防御の要がエイルズレトラならば、敵を削り倒す攻撃の要は雫(
ja1894)が担う。
雫の後ろにたなびく髪が、風に流され揺れるように踊り、剣鬼を覆い包むように迫り伸びる。
剣鬼、横一閃でこの術を破って見せる。どうやら小細工は通じ難い模様。ならば、と握り締めた大剣に必要以上に力を込め、深く沈みこんで溜めを作る。
強い呼気と共に踏み出す。剣鬼、こちらの挙動を感じ振り返る。白光が尾を引く横凪の一閃を、苦も無くかわす剣鬼。
しかしここからがこの剣の本領。人間本来の肉体では決してしえぬだろう急激な加重移動により、大剣の軌道が変化し、八の字を描いて今度は斜め上より斬り下りて来る。
一刀両断、そう見えたのは剣鬼の体が残像を残す程の速度で下がった故。振り抜かれた大剣は、勢い余って雫の後方へ半回転。否、回らず。
膂力と両足での支えにより、左へと振りぬかれた大剣は直後、今度は右へと返しの一撃を見舞う。剣鬼、刀の根元を押し当てるようにして雫の大剣を受け止める。
その位置から、体の向きを変える事で更なる加速を生み出し雫が大剣を振りぬくと、剣鬼の胴を捉えた大剣から大きく鈍い音が響いた。
強力無比な一撃がまともに入った、にも関わらず、剣鬼は微動だにせぬまま雫を見つめる。
「……まるで、天刃と称されたあの男の様な理不尽さですね」
無理な挙動で動きの止まった雫。この瞬間、紫亞の北風の術が放たれ彼女を守る。
更に、もう何度目になるか、動きを止める封じの手を送りこむ。
紫亞の術はやはり今度も同じように剣鬼の動きを捉えきれなかったが、こう何度も動きを見ていれば一瞬のみならアレを上回る瞬間を作り出せる。
伸びた白い魔術の手の平から更に別の手を伸ばす裏技で剣鬼の足を掴む。一つが届けば後は雪崩るように残る手がまとわりついていく。
好機到来。これを見逃す雫ではない。
「でも……あの男に比べれば恐ろしさを余り感じない」
雫の全身をアウルが滾り蠢き脈動する。
皆もここぞと最大火力を振り絞っての集中攻撃。まともな人間なら百回死んでおつりが来るような猛攻撃に、しかし、剣鬼は倒れなかった。
掴んだ手から逃れようと全力を込め、手が消えた瞬間弾かれたように飛び出す。相手は、どうやら心底邪魔であったらしい、騒音の元を持つ翠蓮であった。
次元刀は使えなくなったが、それまでの傷が蓄積していた翠蓮に、この、飛び込んでの一撃は厳しすぎる。
カレは小さく溜息、そして目が言っていた。
『クソッ、ついてねえ』
咲人が翠蓮の前に立ち、この一撃を受けた。
驚きがあろうとも為すべき事は見失わない翠蓮。剣鬼に石化の術を、これまでで一番の集中力と共に放つ。
本来は決して通らぬ術であったのだろうが、直前の集中攻撃で色々なものを既に失っていた剣鬼は、足元から石へと変化していき、頭頂までもを覆ったところで、他のメンバー達もこの場に辿り着き剣鬼にトドメを刺したのであった。
疲れきった様子で皆がその場に座り込んでいる所に、ヘリの音とトラックの音、そして多数の人間が駆け寄って来る音が聞こえて来る。
彼等は撃退庁の人間らしく、周囲を警戒しながらも撃退士達の怪我を手際良く治療していってくれる。
そんな中、治癒術を施されている最中にも頑なに煙草をやめようとせず、撃退庁の人間にものっそい嫌な顔をされていた咲人の側に法水写楽が立っている。
「よう、息があるようで何よりだ」
写楽の頬に白いおしろいの粉のようなものがついている。
それが、大量に流れ出した汗が乾いて出来たものである事に気付いていながら、咲人は憎まれ口を叩いた。
「来るのが遅ぇんだよバーロー」