「……ディアボロを見つけたのに現場に留まっていたの? ひとりで?」
転送前、学園で状況を聞いた新井司(
ja6034)は眉をひそめた。
「留まって情報を集めてくれたその気持ちはありがたいけれど……まあ、折角用意してくれた情報を無駄にしないように頑張りましょうか」
机の上には地図が広げられている。『敵が発見された』とされる位置にはピンが立てられていた。
地図を用意したのはラグナ・グラウシード(
ja3538)だ。
「山狩り、か」
ラグナが顎に手を添えて呟く。
「だが、山中は奴らの縄張りのようなもの……油断は出来んな。それに町も守る必要がある」
今のところ建物が破壊されたという通報はない。
だが「万が一のときは急行できるようにしておきたい」というのがラグナの意見だった。
「町の警察に携帯電話番号を教えておこう。ディアボロが現れたときは連絡してもらう」
その場にいた撃退士が頷く中、向坂 玲治(
ja6214)は慣れない弓を弄んでいた。
弦を指に馴染ませるように、弦を軽く引いては鳴らしている。
そうしているうちに準備に奔走していた他の面々が集合した。
向坂が腰を上げる。
「ハロウィンも終わったことだし、早々に現世から退場してもらうぜ」
●
そよ――と優しい風が凪いでいる。草の匂いを伴う穏やかな風だ。
鳥のさえずりが絶えず、柔らかな陽光と揺れる木の葉が良い具合に落ち着きを与えてくれる。
「……素晴らしいですわ!」
長谷川アレクサンドラみずほ(
jb4139)が感嘆の吐息を漏らす。
「環境の維持の必要性、よくわかりました。簡単なこと、被害が出る前に倒せばいいのですわ!」
長谷川が拳布をきゅっと巻き直して気合いを入れる。
その後、撃退士たちは現在地と方角の確認に努めた。
ラグナが小天使の羽で一度空を飛ぶ。
「敵は上からも来るかもしれんしな、気をつけねば……」
不意打ちを警戒しながら慎重に木よりも高く飛んだ。
周囲を見回すと、遠くに開けた場所がいくつか見受けられる。
事前に確認してきた地図の通りだった。
「まずは目撃者さんがいた場所を目指してみましょうか?」
防寒具に身を包んだ鈴代 征治(
ja1305)の提案に全員が首肯する。
撃退士たちは山中の獣道を進む。
散開はしない。発見後に一体ずつ、全員で確実に仕留める算段だ。
足元には全員、登山用の靴底取付型スパイクを着用している。斜面や不安定な足場での移動に備えるためだ。
光纏を既に発動させているため、普段は車椅子を使用している御幸浜霧(
ja0751)も歩行が可能になっている。
隊列は弓を手にした向坂を中心に、円陣を選択していた。
ラグナが発見した開けた場所に向かって周囲を観察、警戒しながら慎重に足を進めていく。
獣道の幅が少し膨らんだときは一度立ち止まり、周囲にいっそうの注意を向ける。
耳を澄ませて、唸り声が聞こえないか集中する。
「……現れませんね」
御幸浜の呟きは全員の心を代弁していた。
もうすぐ目撃者が器具を落とした場所だ。広場も近い。
「では、こうしましょう。敵がおびき出されてくれると良いのですけれど」
御幸浜は用意していたポリ袋をごそごそと取り出し、結び目を解く。
中身は肉屋で買ってきた、六人分ほどの牛肉だ。血も付着している。
「じゃあ、僕も」
鈴代も同じ発想で、自分の手に小さなかすり傷をつけた。
「野生の獣ならこれで察知するはずです」
他方、ラグナは足元に目を向けていた。まだ新しいモノと思しき小動物の足跡が見える。
それを見るや、ラグナはアウルを薄く輝かせ、忍法「響鳴鼠」を発動させた。
そこら中の草むらから一斉にネズミが溢れ出てくる。
「いいかねずみさんたち、こういうぁゃιぃ狼を探すのだぞ?」
ワーウルフの特徴を思い浮かべながらラグナが命じると、ネズミたちは周辺へ散っていく。
チューチューと鳴き声の中にチリン、チリリンと鈴の音が混じっていた。
新井が、あらかじめ用意していた熊よけの鈴を首からぶら下げている。
「敵意の高い獣達からすれば獲物の場所を知らせる情報のはず……待っているのが獲物じゃなくて狩人なのは想定外かもしれないけれどね」
餌をばら撒き、視覚、聴覚、嗅覚――ありとあらゆる感覚を研ぎ澄ませたまま再び広場へゆっくりと進む。
「待て」
周囲を広く見回していた向坂が何かに気付く。
木が一本、真っ二つに引き裂かれていた。
近づいてみると、木の根本に血だまりと死骸があった。
「……狐、かな」
新井が近寄り、亡骸を調べる。
木と同じく、胴体を二つに分断されていた。他に荒らされた様子はない。
「捕食目的ではなく、破壊衝動に任せた攻撃かな。たぶんまだそんなに時間は経って」
ガサッ!
ばっ、と全員が音がした方へ注目する。
……殺されている狐よりも一回り小さな狐と、子狐だった。
「驚かせやがる」
向坂がめんどくさそうに嘆息していた。
「……殺された狐の家族、でしょうか」
鈴代が無念そうに呟き、新井も亡骸の傍を離れてやった。
すると、狐たちは警戒しながら木へ近づいて、
ウォォォォオオオオオオオオオオオオ――――――ンンンンンン!!!!!!
撃退士たちが武器を構えて周囲を警戒する。視線を左右に走らせる。
いない。
黒い影が横切った。
「上だッッ!!」「上です!!」
頭上を警戒していたラグナと鈴代が同時に叫んだ。
「いえっ! 右方にもいます!」
御幸浜の言う通り、地上にもワーウルフがいた。
合計三体。
ギン! と新井が瞳に燃えるような輝きを宿す。
咆哮!!
「ァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
瞬間、驚き戸惑っていた狐の母子が逃げた。鳥の羽ばたきも遠くで聞こえる。野生動物を逃がすための叫びだった。
その間も三体のワーウルフは頭上と地上から迫りくる。
戦いやすい広間へ駆け出したラグナが全身を光纏で黄金に輝かせる。
「さあッ、汚らわしき人狼よ……この私を見ろおッ!!」
クワッ!! と目を見開いた後、ウィンクとポーズをキメる。
不規則な軌道で木から木へと飛び跳ねていた敵がラグナに真っ直ぐ飛び掛かった。
鋭い爪と牙が鮮血を飛び散らせる。ラグナの血だ。
さらには地上を駆けていたワーウルフが突進してきた。
全ての攻撃を受け止めたラグナは、不敵に笑った。
「その程度の牙で私に挑むか? 笑わせるな!」
ラグナが広場へ駆け出した結果、隊列が乱れている。彼だけが森が開けている場所の方へ突出している状態だ。ラグナは敵の注目を集めながら広場へ誘導をするだろう。
故に他の撃退士もラグナを追う。
ラグナを追走するワーウルフの両翼を新井と長谷川が固め、後方には御幸浜、鈴代がついた。ラグナに注目しているワーウルフは包囲されていることに気が付かない。ラグナは攻撃を受け続けているものの、巧みな防御で致命傷を避け続けている。
羊を追い込む牧羊犬のように、ワーウルフに追い付いた鈴代が槍で攻撃する。振り回さないよう、徹底して上段からの叩き付けに終始していた。
「木は傷つけちゃいけないもんね!」
側面を並走する新井や長谷川も側面から牽制する。
それでも敵はオーラを纏うラグナから目が離せない。
そうして敵が手こずっている間に向坂がラグナを追い抜いた。
「どれ、犬っころに躾の時間だ」
冥府からの黒い風に身を包み、向坂が敵の足元に照準を合わせて弓を引く。矢は命中せずに地面へ突き刺さった。
遠距離からの牽制を嫌ったワーウルフたちは向坂に攻撃対象を移した。向坂を追う。
そして森が途切れた。
ワーウルフも異変に気付く。戸惑うように歩調を緩めたがもう遅い。
ここなら包囲もしやすく、木や動物を傷付けてしまうこともない。
退路を塞いでいる御幸浜が愛刀を構える。
切っ先から雷のような光が断続的に溢れていた。
「元がなんであれ使い魔は使い魔。容赦は致しません。いちいち同情などしていては、この渡世をシノいでいけませんから。速やかに、木っ端を食らわして差し上げましょう」
気合十分に放った敵意にワーウルフが唸りを上げる。
そして三匹同時に遠吠えをあげた。
微妙に音程の違う音が重なったせいで反響しているように聞こえた。頭蓋と大地を揺らすに十分な声量の音だ。
「そちらがその気ならば!」
威嚇をねじ伏せるべく長谷川が様相を変える。
理性の底から呼び出したのは闘争本能ではなく殺戮衝動だ。
「では……行きますわよ!」
決戦である。
●
――とはいっても、広場での戦闘にまで持ち込んでしまえば此度の作戦、そうそう難しいものではない。
「理想的な展開だよ。戦っている最中に乱入されるのが一番困ると思っていたからね」
鈴代が安堵と共に槍からロザリオに装備を変えた。
彼の言う通り、三体が別々に行動し、散らばっているのはひどく戦いにくい状況だった。
山中に潜む複数の敵を集めるか、あるいは各個撃破するか――そこが成否を分ける部分だった。
敵を呼び出すために行った数々の工夫が現在の好条件を生み出した。
これを逃す手はない。
「場所が移っても私のやることは変わらんぞ! さぁ汚らわしい人狼どもよ……私の方へこぉい!!」
敵の正面に立ったラグナがシャイニング非モテオーラを全開、ワーウルフの行動を制限する。
見つかっていない敵がいた場合は背後にも注意を払うところだが、今はその憂いもない。正面に集中できる。
先頭のワーウルフが牙を剥き、がぁっ! とラグナに迫る。
「行儀が悪いぜステイ」
攻撃が届く寸前、ワーウルフの眼前を向坂の矢が横切った。敵の鼻先をかすめる精密なサポートを受けたラグナは盾をうまく使い、回避に成功する。
ラグナと向坂が一体を引き付けている間に残る二体を倒すのが理想。
その思考のもと、他の撃退士も各個撃破へ動く。
「参ります!」
敵の後方に位置していた御幸浜が一足飛びに間合いを詰め、刀を振るう。ラグナに目を奪われているワーウルフの後方から袈裟斬りを放つ。空間に糸を引くようにワーウルフから鮮血が噴き出した。
彼女の攻撃と同調して鈴代もロザリオから光の爪を放つ。地面スレスレを疾走する無数の爪だ。片足の肉を抉られたワーウルフが悲鳴と共に体勢を崩し、地面に片膝をつく。
それでもなおワーウルフは両腕を掲げた。そして×の字に御幸浜を引き裂こうと爪を振るう。
反撃を前にした御幸浜はしかし、冷静だった。
刀身に紫淡色の光纏を宿して刀の峰で初撃を逸らす。二撃目を流し、最後の噛み付きは牙を叩いて押し返した。
盾の術によって硬化した刀身だ。強打された牙は真っ二つに折れた。
――勝てない。
ワーウルフが悟る。
――逃げるしかない。
そのための足が再び光の爪で抉られた。無傷だった方の足だ。
「逃がさないよ……!」
御幸浜と鈴代の方はこれでほぼ詰みだ。
残る一体――最後のワーウルフを相手取る長谷川と新井はどうか。
彼女たちが標的にした人狼は三匹の中で最も慎重な性格らしく、二人が飛び込んでくるのを待っているような節があった。
だが殺戮衝動を露にした長谷川に躊躇はない。迷いなくワーウルフの懐に飛び込んだ。
当然反撃が飛んでくる。爪を立てた状態の横薙ぎの一撃――長谷川からすればぬるいフックだった。
疾走している途中に大きく左足を踏み込み、わずかだけ腰を沈ませる。
最低限の動作で回避してみせた後、攻撃へ移る。踏み込んだ左足は軸足に、腰をやはり左へねじる。
「これで動けるかしら?」
腰を捻転させて射出した左拳をアッパー気味にワーウルフの脇腹へねじ込む。凶悪なボディーブローにワーウルフの呼吸が止まる。
挟撃のタイミングを計っていた新井が背後から敵に肉薄し、頭の上で組んだ両拳で脳天をぶっ叩いた。動きを止めていた敵に激痛と意識が戻る。
唸り声をあげたワーウルフは長谷川に背を向けて新井に振り返った。
「長谷川には勝てない、でも私ならもしかしたら、ってわけ?」
新井の口振りに屈辱や嘲笑はない。ただ冷静に「でも残念」とだけ呟いた。
「そうでもないと思うよ」
氷のような声色で呟いた新井が拳を一閃。
鳩尾を射抜いた一撃からアウルが波紋のように沁み渡り、残留した衝撃がワーウルフの体内で弾ける。背中を丸めて苦しがった次の瞬間には背中を反り、数瞬後に再び前傾姿勢になる。
「長谷川、任せたわ!」
「All right! ゴングは聞かせませんわ!」
長谷川はワーウルフの前方へ回り込む。
ずざざざ! と地面を滑りながら右フックの姿勢を取る。隙だらけの大振りだが、今なら入る。
「Go to heaven!」
神速の一撃がジョーを貫く。
骨が砕ける音のあと、遠くの地面に何かが落ちた。
頭蓋を揺らすどころか、衝撃で首がねじ切れて吹き飛んだのだ。
首無しになったワーウルフの身体が倒れるのを見送った新井は状況を確認する。
御幸浜がワーウルフと斬り結んでいた。
「終わりです!」
御幸浜が袈裟懸けの一撃を放つ。
新井に知る由はないが、御幸浜が最初に放った一撃と同じ軌道だ。察知したワーウルフが肩を庇う――刹那、御幸浜が肘を畳み、胴薙ぎに変化させた。
ワーウルフの胴を分断した御幸浜は強く刀を振り、血振りを済ませた。
残るは一体。ラグナたちはまだ敵を引き付けていた。
新井が走る。
同じように鈴代も駆け出していた。武器は再度、槍に戻っている。目いっぱいまで身体を伸ばし、槍の穂先をワーウルフの背中に食い込ませる。そのままアウルの電流を流し込んだ。ワーウルフが顔だけを振り向かせる。それ以上の動きはない。スタンエッジの効果だ。
ワーウルフの瞳に、攻撃動作に入った新井の姿が反射して映っている。
「怖い? でもだめ。だって、あの狐たちも怖かったはずだもの」
新井の拳撃が眉間を穿つ。
……敵が動かなくなったのを見て、向坂が弓を肩に担いだ。
「かくして狼は絶滅しました、ってな」
●
討伐が完了した後、撃退士たちは報告のために町へ戻った。
ラグナ以外は回復を受けて無傷である。
負傷の度合いはラグナが一番大きく、仲間も彼を回復しようとしたのだが「自分は騎士だから最後でいい」とラグナが拒んだのだ。
結果、スキルが切れて――という状況である。致命傷ではないので、本人はいたって元気だ。
環境の被害については口頭でも説明したが、長谷川が後日レポートで送ることを約束した。
「誠実な対応に感謝します」と町長から礼があった。
情報を提供した目撃者にも同席しており、彼は「自分も感謝されるかな」とそわそわしていたが――
「今回は運が良かったですが、次は最初から逃げて下さいね」
「留まって情報を集めてくれたその気持ちはありがたいけれど、それで命を落としたら何にもならないからね」
鈴代、新井の両名に叱られて少しがっかりしていた。
「それはさておき、みなさん。無事討伐も終わりましたし、バーベキューでもしてから戻りませんか? ちょうど生のお肉もあることですし」
御幸浜の提案に「おおっ」と、町長が声を上げた。
「でしたら、町の果物も召し上がってください。すぐに届けさせます」
久遠ヶ原に戻るのはもう少し、後になりそうだった。
(代筆:扇風気 周)