「ねぇ、今どんな気分? 憎くて憎くて仕方がない親の仇が目の前にいるのに手が出せない気分ってのはさあ?」
目的地へ走るマイクロバスの中── 瞳をキラキラ輝かせて訊いてきた黒翼の『挑発』に。勇斗が激発するより早く立ち上がったのは周りの戦友たちだった。
「……いい加減、煽るのはやめなさい」
「勇斗さんを煽って貴方は何がしたいのですか? 人の心に興味がある? 戯言を。己が楽しみたいだけならその口を閉じなさい!」
感情を抑制した声で──それだけに噛み殺した怒りの強さを窺わせつつ、黒翼を睨む月影 夕姫(
jb1569)。ユウ(
jb5639)に至っては活性化させた自動拳銃の銃口を素早く黒翼の眉間へ向けている。
「これ以上、勇斗さんへの挑発としか捉えられない態度を取るのなら、敵対行為として捕縛し、撃退署へと引き渡します。当然、観戦許可も取り消されることになりますね」
そんな二人とは対照的に、冷静に、淡々と悪魔たちへ告げる雫(
ja1894)。
その間に葛城 縁(
jb1826)と彩咲・陽花(
jb1871)の二人が勇斗を席へと引き戻す。特に陽花は抱きつくようにして必死に勇斗を抑えにかかったのだが、当の勇斗は驚くほど呆気なく腰を落とした。
(どうやら自分が激発するより早く皆が怒ってくれたから、感情を爆発させるタイミングを逸したみたいだね)
ホッと息を吐いて席へと戻る縁。陽花の方はどさくさ紛れで勇斗に抱きついたままだけど。
一方、撃退士たちに怒りをぶつけられた黒翼は(ごちそうだぁ……!)と恍惚の表情を浮かべつつ、一人一人見回してその感情を堪能しながら、撃退士たちに問い返した。
「いいのかなぁ。これから同盟を結ぼうかって話をしている時にそんなことをしちゃっても。僕らの報告で同盟話がポシャッちゃったら、大問題になるんじゃない?」
その黒翼の物言いに、永連 璃遠(
ja2142)と水無瀬 文歌(
jb7507)は呆れた様に顔を見合わせた。そして、もう一人の悪魔に向かって、むしろ気の毒そうに声を掛ける。
「アルデビアさん、でしたっけ。黒翼の人、静かにさせなくて良いんですか?」
「これ以上の挑発行為は上に報告させてもらうことになりますけど……」
璃遠と文歌の言葉にアルデビアは同意の溜息を吐いた。「ん?」と一人、分かっていない黒翼に、夕姫が嘆息しながら説明してやる。
「自分の発言には気をつけなさいってことよ。……さっきから好き勝手喋っているけど自分の立場を分かってる? こちらも同様にあなた個人の発言を魔界の総意と捉えることもできるのよ? たった『二人』の悪魔の所為で同盟話がポシャッちゃったら……私たちが直接手を下す必要もないかもね」
夕姫の言葉にアルデビアは改めて息を吐いた。サラリーマン然とした格好の彼は、或いは実際に魔界でも中間管理職のような立場であるのかもしれない。
「……彼らの言う事はもっともだ。お前はもう少し口を噤め」
「えー」
上司に睨まれて、黒翼はしぶしぶ口を閉ざした。
そのまま黙り込みつつ、内心では涎を啜る。──この榊勇斗という人間の感情はごちそうだ。それも見たこともないくらい極上の! しかも、それをここまで熟成させたのはなんと僕自身であるという。
これはもう運命だ。恩寵だ。神の御心に反するわけにはいくまい──
●
目的地の駐車場に到着した撃退士たちは、小さな丘の展望台に悪魔たちを連れて行くことにした。
「同盟を結ぶかもしれないとは言え、まだ心の整理がつかない者もいます。無用なトラブルを避ける意味でも僕の近くにいてください」
悪魔二人の案内は『委員長』黒井 明斗(
jb0525)が率先した。彼の仕事は完璧だった。感情的になることもなく、終始冷静に悪魔二人に対応していた。
「君自身は今回の事に思うところはないのかね?」
その態度を見たアルデビアが先頭を行く明斗の背に訊ねた。
「……。仕事ですから……」
足を止めることもなく。振り返らずに明斗が答える。
アルデビアは感心したような声を上げた。論理的な思考の持ち主とは話がし易い、と感慨もなくそう告げる。
「……僕にだって感情がないわけではありません」
それだけを答え、黙って歩き続ける明斗。その背を黒翼が蕩ける様な眼差しで。ホント、人間というものは面白い──
「何と言うか……清々しいまでに『悪魔』な悪魔だね…… いや、悪魔らしいといえばそうなんだろうけど」
「ああ、すがすがしい程の下衆野郎だ。……でも、好きだぜ、あーゆう奴は。その分、落としてやった時の鳴き声がたまんねぇからなぁ」
辿り着いた展望台── 遠く戦場を眺める悪魔たちを遠目に、陽花とラファル A ユーティライネン(
jb4620)が呟いた。
「勇斗さん。三界の情勢を鑑みるに、今、あの黒翼に手を出すことは余りにリスクが大きすぎます。……酷なことですが、耐えてください。そうとしか言えない自分が情けない限りですが」
すまなそうに告げるユウに向かって、勇斗はどこか透明感のある笑みで「わかっています」と頷いた。その表情を見たユウは声を失った。透明感──? それは即ち、空っぽということではないか……?
「勇斗君…… 君は私たちが思っていたよりも、ずっとずっと重いものを背負っていたんだね……」
そんな勇斗を見やって、縁が痛々し気に呟いた。──想像を絶した勇斗の過去。それは鎖となって勇斗自身の魂を雁字搦めに縛っているのだろう。もはや呪いと言える程に──
白野 小梅(
jb4012)はどうにか勇斗を元気づけたいと思案を巡らせたが、結局、何も思いつかなかった。──せめてドーナツさえあったなら!(←小梅的万能薬) ショッピングモールで2個しか買えなかったことが今更ながらに悔やまれる。……あれ? でも、2個しか買えなかったのは勇斗ちゃんが暴れたからだし? じゃあボクが勇斗ちゃんを励ませないのは勇斗ちゃんの所為ってことに……?
そこへ明斗と共に悪魔についてた雪室 チルル(
ja0220)が歩いてこちらに戻って来た。何かあったのだろうかと身構える撃退士たちに、親指で背後の悪魔たちを指差しつつ連絡事項を伝達する。
「連中、ここからじゃ遠すぎてよく見えないって。悪いけどもう少し前進するわ」
とは言っても真正面からバスで戦場に乗り込むわけにもいかない。前線に近づけば近づく程、敵の哨戒や斥候に遭遇する危険性が高くなる。
「なもんで、なるべく遮蔽物の多い地形を選んで、隠れながら、少人数で。ただし、勇斗の配置は最後尾。……言ってる意味、分かるよね?」
チルルの意を察して撃退士たちは頷いた。悪魔の度を越した挑発から、物理的に勇斗との距離を離すいうことだ。
「じゃ、隊列の先頭はあたいと委員長で引き受けるわ。悪魔と勇斗のことはお願いね。……何か、考えがあるんでしょ?」
雫と縁、文歌の三人がその言葉に視線を交わし合う。チルルは無言で頷くと悪魔の所に戻るべく踵を返し。途中、一人で佇む勇斗の背中を励ますように平手でバーンと叩く……
「……勇斗さんには誰かついてた方がよさそうだね」
「だな。そこんとこしっかり押さえておかないと、またショッピングモール中を走り回るような羽目になる」
人の悪い笑みを浮かべてそう混ぜっ返すラファルに苦笑いの璃遠。……とは言え、彼女の言う事はもっともだ。黒翼の挑発に乗って手を出してしまったら勇斗の立場が悪化する。それこそフードコートの二の舞だ。
「しかし、このまま黙って耐えさせていても、学園を去ることも厭わずに黒翼を討つ決断をしてしまう可能性も……」
そう心配するユウの言葉に陽花の心が千々に乱れる。しかし、彼に何と声を掛けるべきか──陽花にも分からない。
正直なところを言えば、狩野 峰雪(
ja0345)にも悩み深き若人に掛けるべき正答が分かっていたわけではなかった。それが分かるような人間であれば、きっと家族に寂しい思いをさせるようなことはなかったはずだ。
だが、久遠ヶ原に来て、その生活と日々の中で、そんな自分も幾らか変われた。であれば、年長者として、人生の先達として。今、悩める青年に声を掛けるのは自分の役目だ。
「やあ」
片手を上げて声を掛けた。少し声が上ずったかもしれない。
「隣、いいかな?」
我ながら何を言っているのかと思ったが、他に気の利いた言葉もない。勿論、と答える勇斗の表情は透き通るように──今にも消えてしまいそうに見えた。
(激情を越えた……? 何かの覚悟を決めてしまったのか……?)
考えつつ、世間話を交わすこと暫し。やがて峰雪は本題に入る。
「……あの黒翼は価値観が違い過ぎる。罪の意識なんてないし、榊くんが許しがたいのもよく分かる」
だけど、感情的になったら思う壺だ。あの黒翼はわざと勇斗を怒らせて墓穴を掘らせようと仕向けている。そして、その様を見て楽しんでいる。
「だから、君が冷静に対応すれば、きっと黒翼をガッカリさせられる。……勿論、それで君の口惜しさが晴れるわけでもないだろうけど」
悔しさ、か…… 勇斗が自身の手の平に視線を落とした。
「……たとえ黒翼を殺したとしても、この思いは晴れないでしょうね。それは分かっているんですが」
口の中で峰雪は呻いた。彼は──戦友たちは知っている。これまでに勇斗本人がその態度で、その行動で何度も示してきたその想いを──!
「勇斗くん……! 君の幼い頃の選択と行動は誰にも──『君自身にも』責められるものではない! どうしようもなかったことだと思う。責められるべきは黒翼だ!」
「分かってます。頭では理解しているんです。でも、何より僕が僕自身を、僕自身がしでかしたことを許せない──ッ!」
勇斗が新たな呪いを自身に掛けようとする寸前──背後からぶつかるように抱きついて来た何かが彼を包み込むようにしてそれを止めた。
陽花だった。語るべき言葉を持たない彼女は、言葉ではなく態度で己の気持ちを伝えるより他に術がなかった。
小梅もまた同様。伝えるべき言葉を見つけられぬまま居ても立ってもいられず駆け寄って。勇斗の手をペチペチ叩きながら、今にも泣き出しそうな表情でとりとめもないまま言葉を溢れさせる。
「あのね、えと、ありがとね!」
「え?」
「ボク、悠奈ちゃんとお友達になれたよ! 悠奈ちゃんもたくさんお友達できたよ! 勇斗ちゃんもお友達できたよね。ボクも勇斗ちゃんに会えて嬉しかったから、だから、だから『ありがとう』だよぉ」
そのまま声を上げて泣き出してしまう小梅。つられてなんか陽花まで。
突然の事に慌てる勇斗に、近づいて来た文歌が告げる。
「勇斗さん。貴方は悠奈さんを見殺しにしようとしたって言ってましたけど…… 貴方が存在したからこそ、妹さんは助かったんですよ?」
──あの時、勇斗が家に帰らなかったら、両親も悠奈もそのまま殺されていたはずだ。勇斗があのタイミングで帰宅したからこそ、あの黒翼の堕天使が悠奈を殺さないという気紛れを起こした。
「つまり、あの時、貴方自身の存在が悠奈さんを生かしたんです」
……文歌たちの言葉に、勇斗は己の心の中で鎖が外れたのを感じた。しかし、彼がその人生を掛けて己に絡ませ続けた罪悪感という名の『呪い』は、まだまだ勇斗を自由にはしてくれない。
(今、ここに悠奈ちゃんがいれば……)
陽花は涙を拭きながら臍を噛んだ。勇斗が救われる為には、彼が悠奈に真実を話し、その上で悠奈が勇斗を許す──そうすることが必要だろうと陽花は考えていた。
真実を聞かされた悠奈が本当に勇斗を許すのか? その懸念は陽花になかった。それはこれまでの兄妹二人を間近で見ていれば分かる。
「人と天魔の同盟が成ったとしても、榊くんのように家族を天魔に奪われた人はそれに猛反対するするかもしれない」
そんな勇斗たちを振り返りながら、峰雪が独り言つ。
「でも、そんな人たちに寄り添えるのは、きっと榊くんのような撃退士なのかもしれないね」
夕姫もまた心中で勇斗に向かって語り掛ける。
(自分を追い詰めすぎないで。気楽にやってみなさい、勇斗くん。君が道を違えてしまったら、その時は全力で止めてあげる。いざ機が来たらその時は、一緒に突っ走ってあげるから──)
●
一行が前進する。予定通りチルルと明斗を先頭に、少人数のグループに分かれて、主に空からの索敵を警戒しつつ、街路樹の植わった道を行く。
「……確かに黒翼は他にも犠牲者を出していそうだ。堕天したばかりで人に興味があったって言っていたし、思いつくままに人の命を弄んでいたことが推察できる。……それこそ勇斗さんを忘れるほどに、ね」
道中、縁たちに『計画』の内容を知らされて。璃遠は思案し、賛意を示した。
「なら、僕はそれを補完する情報を集めよう。10年以上前の話だけど、結構目立つ外見や能力の持ち主だから知っている人もいるかもしれない」
とりあえずは手近にいる青葉から。──先生は当時の事件について何か聞いたことはないですか?
「失礼な。私、16年前って普通の小学生だったんだけど(=幾つだと思ってんのよ)」
「あはは……(と笑って誤魔化す) 松岡先生はどうでしょう?」
「んー、今は戦闘中だろうからなぁ…… あ、地元の警察か撃退署に捜査資料とかあるんじゃないかしら」
その間、ユウは勇斗に気付かれぬよう敬一を呼び寄せ、親友として勇斗にずっとついていてくれるように頼んだ。
「? それは勿論……」
「いえ、お願いしたいのはここだけのことではなく」
もし勇斗が自制し切れず黒翼を討つ為に学園を離れる決断を下した時は。勇斗と共に行動し、連絡をして貰えぬだろうかと……
「……マジか」
「……如何です?」
それは敬一にとっても容易ならざる決断であるはずだったが…… 最終的には割とあっさりユウの提案を了承した。
「あいつとも付き合い長いしなぁ。不幸でいるよりは幸福であってほしいと思っているよ」
一方、雫と縁、文歌の3人も行動を開始した。
それぞれ隠し持った『ソレ』を操作をしてから、何食わぬ顔して監視名目で悪魔たちの周囲へ移動する。
悪魔に接触する役目を担ったのは『ポーカーフェイス』を持つ縁だった。全ては可愛い後輩である勇斗と大切な親友・陽花の為。『今すぐにでも蜂の巣にしてやりたい』との内心を押し隠し、人好きする笑顔を浮かべて、つつつ、と悪魔に寄っていく。
「ねえ、ところで君の名前は何ていうのかな?」
身体が触れ合わん程の距離で上目遣いに覗き込む縁。まさかこんな所でグラビアバイトの経験が活きるとは思ってもみなかった。事情を知らず、強張った表情でこちらを見やる勇斗に内心謝りながら、それすら全くおくびにも出さずに『友達汁』全開で相手の関心を惹こうとする。
「……人に名前を聞くなら自分から名乗るべきじゃない?」
「私? 私は葛城縁。君は?」
「えー。いきなり得体の知れない人に本名を明かすのはちょっと……」
殴りてぇ。物凄い勢いで減っていく『ポーカーフェイス』の残数(効果音はコイン音)を思いながら、縁はどうにか笑顔を維持する。
と、そこへとてとてと走って来た小梅が、極めて自然な動作で(勇斗と同様、縁らの計画は知らなかった)訊ねた。
「ねーねー、いじわるしないでお名前教えて?」
「ん? 今は『黒翼』が本名だよ? 堕天した時にそれまでの名前は捨てたんだ」
……こいつ、噛み殺してぇ。無限1upしそうな勢いで心中にコイン音を鳴り響かせる縁をよそに、小梅が更なる質問を続ける。
「ふぅん。じゃあ、黒翼ちゃん。黒翼ちゃんはさぁ、もしかしてだけど、子供は殺したくなかったのぉ?」
「ん?」
「だって、殺すのがお仕事なら、勇斗ちゃんが帰って来るまでに悠奈ちゃんも殺せたでしょぉ?」
「ああ、その話? あれはかの榊勇斗くんのご両親をバラバラにする際に、人質として使ったからだよ。……いや、人間の親って種類の生き物は強いよねぇ。四肢を引き千切られているのに、赤ん坊を生贄に捧げれば助けてやるって言っても「子供だけは助けてくれ」ってずっと言い続けてたもの」
……撃退士たちの顔から表情が消えた。縁もまた忍耐を総動員しながら改めて黒翼に笑顔を向ける。
「勿論、勇斗くんちだけじゃないんでしょ? 君の武勇伝ってさ」
「聞きたい?! いーよ、いーよ。あの頃は僕、頑張っちゃったんだから! あ、見た事あるかな? 金魚の池に落ちたミミズがどんな目に遭うか……」
●
それから後のことはよく覚えていない。
一行はどうにか集団戦が確認できる距離まで近づき、悪魔らはそこで天使と撃退士たちの戦いを観戦した。
戦いは久遠ヶ原の勝利に終わった。その事実は人類の力が──少なくとも対天魔戦闘において、天魔に並んだことを意味していた。
「人類の力、しかと見させてもらった」
アルデビアが皆に告げ、展望台へと踵を返す。
敗走してきた天使の一隊と遭遇したのはその途上での事だった。
「やり過ごしましょう。こんな所で殴り合っても意味はない」
明斗はそう言うと手信号で皆に枝葉の下に隠れるよう指示を出した。瞬間的に姿と気配を消すアルデビア。撃退士たちもそれぞれ空から見つからぬよう身を隠し…… だが、黒翼だけが開けた土地のど真ん中に突っ立ったまま動かない。
「ちょ、あんた、何を……」
「あ。天使だ。やっつけないとー」
その呟きが終わるより早く、純粋魔力のエネルギー波を天使に向かって打ち上げる黒翼。地上に敵がいることに気付かされた天使たちが、敗戦の鬱憤を晴らそうと眼前の小勢に全力で襲い掛かって来る。
「お前……!」
「ほら、天使たちが来たよ? まずはあちらさんへの対応が先だと思うけど」
のほほんと言ってのける黒翼を睨みながら、夕姫は非戦を報せるように両手を振りつつ、急降下で迫り来る天使たちの前に出た。
「落ち着きなさい。私たちはあなたたちをどうこうするつもりはないわ。私たちは観戦武官の護衛。討伐も追撃も仕事じゃない。まずは話を聞いて!」
「既にこの辺りはエルダー派の真っただ中よ!(←ハッタリ) 武器を捨てて投稿するなら命は保証するわ!」
夕姫とチルルの勧告に、しかし、天使たちは応える素振りもない。
無理もない、と璃遠は思った。彼らは今の今まで学園の撃退士たちと血みどろの戦いを繰り広げてきたばかりで極度の興奮状態にある。せめて少しは冷静な天使が何人かいてくれれば会話も成立するだろうけど……
「もう戦う意味はないんだよ! 玉砕して何の意味があると……!」
嘆く陽花をよそに、サーバントを前面に押し出した天使たちが撃退士たちへと吶喊する。
活性化させた大型小銃を空へと振り向け、牽制射撃を行う夕姫。それに峰雪やユウが加わり、光纏してアウルで全身を『機械化』したラファルがやる気なく(彼女にとって天使は別に恨みがある相手ではない)対空射撃を開始するも、天使は全く怯まない。
「誘導します。悪魔の方たちはここから離脱を……」
その間に黒翼へと走り寄る明斗。だが、当の本人はあろうことかその場に胡坐をかいて座り込んでしまった。
まるで花見でもするかの如く──その態度が雫の癇に障る。
「ひとつ言っておきます。お前はあくまで観戦武官であって警護対象というわけではない。監視の為に同行こそしているものの、私たちにお前を守る義務はない」
故に、死にたくなければ自衛しろ──雫はそう黒翼に告げた。戦えないとは言わせない──ショッピングモールでは実際に剣を交えた間柄だ。
「先の戦闘? いやいや、まさか! これから同盟を結ぼうって相手に、久遠ヶ原の人間(榊勇斗君のことだよ?)がいきなり掴みかかって来たなんて、そんなことあるわけがない! あるわけないけどもし仮にそんなことがあったとしたら、今、僕が戦えない理由はその時の怪我や疲労が原因かもしれないねぇ(←嘘)」
チッ、と雫は舌を打った。この悪魔は自分を守らなければ先の勇斗の行動を問題化すると言っているのだ。
「放っておきなさい! 戦わないっていうならむしろ好都合よ!」
こっそりぶん殴ってやろうか、とか思いつつ、チルルが雫たちに叫んだ。
なるほど、と夕姫は首肯した。先の戦いを見る限り、黒翼は触れた物を『複製(?)』する能力を持つようだったから──
「わざわざ手札を増やさせることはないわ。……今後のことも考えて、天使たちはなるべくなら殺さず戦闘不能にするよーに!」
テキパキと指示をだすチルルを、勇斗が意外そうに見返した。
「チルルちゃんが考えて戦っている……(慄然)」
「あたいのことをなんだと…… でも、骨の一、二本は覚悟してもらうわよ!」
『氷砲』の奔流で、敵の前面に立ったサーバントたちを薙ぎ払うチルル。峰雪もまた「……仕方ないっ」と舌を打ちつつ「まずはサーバントから片付けるよ!」と手持ちの射撃武器、全てを活性化させる。
峰雪の周囲に浮かび上がった和弓に洋弓とクロスボウ、自動拳銃、狙撃銃が、迫る敵前衛に一斉に火を噴いた。ユウもまたアウルを体内に循環させてかつての二本角の悪魔の姿に戻ると、その有り余る魔力を術式に乗せ、片手を振るって影の刃を空へとばら撒いた。銃弾と魔力の刃に切り刻まれたサーバントたちがぬいぐるみの様に千切れて空に華を咲かせ、その火力に後続する天使たちが怯む。
「せめて一矢……! あの戦えぬ様子の黒翼に攻撃を集中せよ!」
残った戦力の全てを以って、全方位から急降下攻撃を仕掛けて来る天使たち。
勇斗を振り返った黒翼の口が動く。戦闘の只中にあって、その言葉は勇斗にははっきりと分かった。
──ねぇ、どんな気持ち? 憎くて憎くてたまらない親の仇を必死に守らなければいけない気分ってのはさ──?
黒翼が勇斗に対して背を向ける。
ドクン、と勇斗の心臓が跳ねた。今ならば──この戦闘のどさくさならば、仇を討ってしまえるのではないか──
勇斗の足が、前に出る。
次の瞬間、その眼前を、1発の砲弾が通り過ぎ。殴られたような衝撃に、勇斗がハッと我に返る。
アウルのホバーで滑るように地面を移動しながら、立て続けに放たれる第二射、三射。それは座り込んだ黒翼を掠め飛び、その向こう側に迫っていた天使の羽根を打ち砕いた。
「おおっと! こいつは失礼。ワザとじゃないぜ!」
心底愉快そうに笑みを浮かべながら、黒翼の間際を砂利を巻き上げながら走るラファル。まあ、単純に嫌がらせだ。他人様の戦いを鼻くそほじりながら高みの見物をさせてやる義理は無ぇ。
その間に、夕姫や縁、陽花たちが勇斗を囲むように黒翼との間に入り込んだ。小梅は「きゃー!」と天使に追いかけられながら、勇斗の背後へと逃げ込んだ。
「勇斗ちゃん、お助けぇーなのぉ」
「え? え? 小梅ちゃん、普段は天魔もばったばったと……」
「てへ♪」
自分の頭をこっつんんこして舌を出す小梅。突っ込んで来た天使の槍を受け、反撃。それをどうにか無力化したと思った時には小梅が再び新手を連れて来て、再び応戦を余儀なくされた勇斗は黒翼の事を考える間もなくその対応に忙殺される……
「こんなところで暴れたらダメよ。もっと広い場所でボコ……いえ、ゲフンゲフン」
その背中を守りつつ、微苦笑を浮かべながら小声でそっと告げる夕姫。
陽花はもっと直接的だった。勇斗の胸元を掴んで己へと振り向かせると、振り被った平手で思いっきりビンタした。
「卑怯者! 楽な方へと逃げちゃダメだよ! 何をするにしたって、まずはちゃんと悠奈ちゃんに事実を報せて謝ってからでしょう!?」
思わずカッとなった勇斗は、しかし、陽花の表情を見て何も言えなくなってしまった。
言われる方よりずっと辛そうな表情で、己の心を切り裂きながら諫言した陽花の頭に、親友の縁が労わる様に手を置いた。
「勇斗君。私たちでは君が抱え込んだ気持ちを本当の意味で分かってあげることはできないのかもしれない…… でもね、どうか忘れないで。君は唯奈ちゃんのたった一人のお兄さんだってことを」
●
翼持つ者を地へ墜とすアウルの銃弾を立て続けに撃ち放ち、天使のみを選別して峰雪が敵を天と地の二手に分かつ。
地上には、呼応して前に出たアイドル衣装の文歌が『髪芝居』──ステージいっぱいに伸びて埋め尽くす立体映像的幻影で以って、墜ちた天使たちを次々と拘束・捕縛をし。
空に残されたサーバントの集団には、サーチライトの如く放たれるチルルの封砲が、そして、闇の翼を翻して空へと舞い上がった悪魔のユウが敵を眼下に見下ろし放たれた闇刃が、瞬く間に残敵を残らず掃討していく……
「クッ……!」
最後に残った隊の指揮官と思しき天使が、命を投げ出し黒翼へと迫る。
だが、その一撃は届かない。突き出された槍の穂先を明斗が白銀の槍で受け逸らし。クルリと回したその柄で、通り過ぎていく天使の背と翼を上段から地面へ叩きつける……
地に落とされ、文歌の髪に束縛されつつも。天使たちは降伏勧告を受け入れなかった。
地面に拘束されながら、槍の穂先を向ける天使たち。一人、進み出た文歌が彼らに回復の光を飛ばす……
「既に戦いの趨勢は決まりました。これ以上、余計な犠牲を出す必要はありませんから……」
なぜ、と問う天使たちに答えつつ、文歌は重傷者の命を繋ぎ続けた。
「貴方がたも勝敗が既に決していることは理解しているのでしょう……? であれば、隣にいる仲間の命も大切にしてください」
その文歌の微笑みに言葉を無くす天使たち。もうこれ以上の血を流さずに場を収めるたい── その彼女の提案に天使たちは叩きのめされた。
「一度死んだつもりで新たにアテナさんの下、新たな天界を創ってみませんか? 私は王権派、エルダー派関係なく、全ての天使と親交を深めたいのです」
再びアイドルの微笑み──傷ついた天使たちに抗う術はなかった。
武装解除を受け入れ、槍を捨てる天使たち。どうにか無血で天使を従え、峰雪がホッと息を吐く……
「ハハハッ、圧倒的じゃないか、久遠ヶ原の撃退士たちは!」
パチパチパチと手を叩いて讃える黒翼。無論、その称賛に応える撃退士は一人もない。
「……調子に乗っていられるのも今の内ですよ」
内心の嫌悪感を隠すことなく、雫が吐き捨てるように黒翼に告げた。
「今、貴方を合法的に裁く為の準備を進めているところですから」
●
展望台から前線に向けて移動を始める前の事だ。
隊列の先頭に立って先行する予定であった明斗が「毛利家を知っていますか?」とわざわざ勇斗を訪ねて来た。
「江戸時代、毛利家では毎年正月に、家来が『いつ江戸に上りましょうや』と問い、殿様が『まだ、早い』と嗜める儀式があったんです。……毛利家は関ケ原の負け組です。ですが、300年、戦意を保ち、機会を待ち、明治維新の主役の一角を占めました」
なぜ今そんな話を……? 不思議そうな顔をする勇斗に答えたのはラファルだった。彼女はガッと勇斗の首に腕を回すと、ニヤリと笑った。
「チャンスは必ず来るってことさ。……あんたの仇はお綺麗な振りしていやがるが、今も昔のネタを使ってお前を弄って来るくらいの天然下衆野郎だ。必ずそのうち尻尾を出す。でも、今ここであんたが先に根負けしてたら、相手の思う壺ってやつだ。……双子戦の時を思い出せ。機会は必ずやって来る。なんなら俺たちがお膳立てしてやったっていい。悪魔憎しなのは俺だっておんなじなんだからな。あいつに吠え面かかせてやろうぜ!」
「裁き? 合法的? いったい何を……」
「あなたの口ぶりから随分と非道いことをしてきたみたいでしたからね。周りを納得させられるほどの確証を得たかった」
璃遠の言葉に、雫と縁、文歌がポケットに忍ばせて置いたICレコーダーを取り出した。
「君みたいな『人を家畜として見る天魔』はまだまだ多いだろうからね。問題例として君と榊くんのことを上層部に例示してみようかと」
峰雪の言葉に悪魔が失笑する。撃退士たちが非道と呼ぶものは、戦争中に上官の命によって行われたものだ。学園の名の下に多くの天魔を殺してきた撃退士たちと変わらない。必要以上に残虐だった? 人間の価値観で、悪魔が悪魔であるという理由だけで裁かれてたまるものか。
「何か勘違いしているようですね、貴方は」
「私たちが問題にするのは、君が久遠ヶ原学園の学生(榊勇斗)を意図的に、執拗に挑発し、結果、同盟話を危機に晒したことだよ!」
黒翼が沈黙する。小首を傾げて上司を見る。
「私は事実だけを報告する。どう判断するかは上役次第だ」
アルデビアの言葉に、黒翼は周囲を見渡した。自分を睨みつける撃退士たちへ視線を泳がせ……最後に勇斗の上に停まった瞬間、ククッと笑みを零し、やがて狂ったように笑い始めた。
「ああ、まったく…… 君のその情動と葛藤は見ていてまるで飽きなかったよ! ……これで終わりというのは余りにも名残惜しい。まだまだ君を味わい尽くしたい。憤懣やる方ない君の心は今にも爆発寸前で、まさにたわわに実った芳醇な果実のようだ。それほどまでに育った『ごちそう』を放って帰るのも、おあずけを喰った犬みたいで我慢ならない。なにより神のご意思に反する!」
ザンッ、という音がして。アルデビアの頸が落ちた。
何が起きたか脳が理解するより早く。それが黒翼の仕業と察する。
「さあ、これで僕は反逆者だ。人と天魔の同盟話も関係なくなった。榊勇斗。君もこれで我慢する必要はない!」
それまでどうにか憎悪を抑え込んできた理性、そのタガの一つを外されて──
改めて苦悶し始めた勇斗を、黒翼は愉悦と恍惚の表情で眺めていた。